Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

2019? 02? 2? by satoh

ミニカーコレクション第5位、体を張ってメッサーシュミット!?

横浜はですね、クリスマスくらいから殆どまともな雨が降っておらず、乾燥した毎日が続いているのですが、このまま一気に春になって欲しいですね。とにかくPinstripeの作業は寒さが大敵?なので、早いとこ、春ラ!ラ!ラ!(@石野真子1980)と行きたいものですね!

春と言えばMQQNEYESからも新製品が沢山リリースされます。すでにデザインが完成したものもありまして、こちらのTシャツ、”Heart of Yokohama” Cruisin’本牧は横浜Bay Areaの夜景をバックに昨年のYokohama Hot Rod Custom ShowでデビューしましたBuick Le Sabre ”MQQNBLESSING”がCruiseするデザインとなっております。もちろん版下は手描きで仕上げてあります、もうすぐ発売となりますので宜しくお願い致します。

という事で今回のお話は連載中の「44周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」第5位となります。もう5位まで来てしまったかという感じでありまして、やっぱりベスト10だけを選ぶというのは難し過ぎますので、一生掛けてベスト1000にしたい気分であります!

BREサムライ、ビュイック・セダネット、トヨタスポーツ800、ロータス・エラン、トヨペット・クラウンDXと来まして第5位はメッサ—シュミットとなります。何だか国産車と外車が交互になっていますが、全くの偶然でありまして意図したものではございません、ハイ。

メッサーシュミットと言えば戦闘機ですが、ドイツは日本と同じく第二次世界大戦において敗戦国でしたので、軍需産業とみなされる航空機の開発はNGとなってしまいました。戦後復興期の庶民の足としてマイクロカー(バブルカー)と呼ばれる小さな自動車が色々開発されましたが、メッサーシュミットも飛行機テイストを満載した小さな三輪車を開発しました。

1952年にこちらメッサーシュミットKR175という2サイクル175ccエンジン搭載のモデルを発売しました。前2輪、後ろ1輪で透明プラスチック製のキャノピーを持ち、縦2人乗りというのは、まさに戦闘機のそれですよね、カッコいい!!

バイクやスクーターと違って雨がしのげるというのは、当時かなり大きなアドバンテージだったと思います。まさにキャビン・スクーターという名前がピッタリですね。

KR175はリバース機構を持たなかったので、自分では後退出来ないというお茶目さんでしたが、車重が軽かったのでドライバーがよっこらしょと持ち上げて向きを変えられたという変態的なクルマでもあります・・・・

1955年にはパワーアップされた200ccエンジンを持つKR200となりました。芙蓉貿易や東急商事によりかなりの台数が日本にも輸入されたのでメッサ—と言えばこのモデルが頭に浮かんで来ますね。こちらはエンジンの逆回転機構が付いたので、エンジンを逆転させてバックするというさらに変態的なクルマとなっていて、そのままシフトアップすればバックしながら加速も出来るという夢のような世界が広がったのです、恐ろしい・・・・・

スーパーカーブーム華やかしき頃、横浜はシーサイドモーター近くの反町でトヨタ2000GTとメッサーシュミットKR200をお持ちの方がいらっしゃいまして、そこで朱色のメッサ—を目撃したのがメッサ—初体験となりました。

もちろんメッサ—は実車よりもミニカーの世界で先に知っておりました。私の人生を変えてしまった問題作、JMAC会長 中島登著「世界のミニカー」にメッサ—のミニカーが載っていたのです。

こ、こんなミニカーがあったなんて! 何て素晴らしいんだ、欲しくて死にそうだ! と叫ぶ小学生はその後の人生がどう狂うのかなんて全く考えておりませんでした・・・・

調べてみるとこのミニカーはフランスのキラル(Quiralu)というブランドの製品で、もちろんメッサ—現役時の1950年代後半に作られた「当時物モデル」でした。変態小学生が「欲しい!」と叫んでいた1970年代中期でも、すでに20年近く前の絶版ミニカーという事なので、当然簡単に手に入るはずもありません。

しかも世界のミニカーの説明文章には「このメーカーのモデルは一九六〇年を再後に生産が中止された。販売期間も短期に終わったため、現在では貴重なものになっている。中でもメッサーシュミットKR二〇〇、ジャガーXK一四〇などはミニカーとしては非常に珍しいため、特に人気がある」と書かれているではありませんか。「うおおおお〜これは参った、どうすりゃいいんだ!」と再び叫びますが、どうもこうもありませんでした・・・・

1960年に生産が中止とありますが、それは我が大洋ホエールズ初優勝の年、1975年当時、小学5年生の私にはついこの前ではなく、遥か遠い遠い昔に感じられました。

当然日本には未輸入のミニカーだったため流通せず、超ハイレベルなミニカーコレクターさん達しかお持ちで有りませんでした。海外のコレクターやブローカーさんたちと交流して手に入れるという大人の世界がやっと見え始めたのです。

「あ〜あ、キラルのメッサーなんて一生手に入らないや、もう諦めようかな」と数年が経過したついこの前の1979年、来年には高校受験を控えているというにもかかわらず、横浜元町のマニアのおもちゃ箱「サンセット」に自転車で定期的に通う変態中学生の目の前にキラルのメッサーシュミットがついに現れたのでした。当時サンセットさんには独自のルートでヨーロッパから非常に珍しいミニカー達が定期的に送られて来ていて、マニアを楽しまさせておりました。私は楽しくなり過ぎておかしくなってしまいましたが・・・・

新店舗となったサンセットさんのショーケースの中で輝くキラルのメッサーシュミットKR200、もう完全にノックアウトでした。当然とっても高額なプライスが掲げられていたのですが、親戚全員が横浜在住というお年玉チャンピオンの少年Wildmanにとっては何とか手の届く範囲にあり、これを逃したらショックで高校受験に失敗するかもしれないという意味不明の考えも頭をよぎり、世捨て人の第一歩として購入に踏み切ったのでした。

嬉しくて嬉しくて、暫くの間は寝る前にメッサーを見続けてから就寝するという変質者となっておりました・・・・

キラルのメッサーはドライバーまで乗っていて、プロポーションも完璧で、素朴な作りはまさに1950年代のミニカー芸術でありました。箱絵も素晴らしいのです!!

その後サンセットさんにはキラルのメッサーが何台も入荷し、この冊子広告にもメッサーが3台並んでいて度肝を抜かれました・・・

いつか自分もこのように3台並べたいな!と思い夢がかなったのは21世紀になってからでした・・・気が長いのです。1990年代にキラルの金型が発見され復刻版がリリースされましたが、あれはどうでもいいのです。だってドライバーが乗っていませんでしたから。申し訳ありませんが、復刻版否定派のWildmanは受け付けません。

という事でキラルのメッサーのお話は終わりなのですが、オマケで他の当時物メッサーのモデルたちを紹介致します。実車が有名な割には当時あまりモデル化されず、ダイキャスト製ミニカーはキラルだけなのでした。

こちらは西ドイツのSiku製のメッサーになります。現代ではドイツ語読みで「ジク」と呼ばれていますが昭和の時代は「シク」と呼んでいたので、昭和のコレクターWildmanはシクと言ってます。

1950年代から60年代にかけて作られたプラスチック製のとっても小さなシリーズなのですが、出来はとっても良くてキャノピーもちゃんと再現されています。

どれくらい小さいかと言いますと、トミカと並べてみたのでそのサイズ感が分かると思います。

ファーストモデルとセカンドモデルの2種が作られておりまして、左の茶色がファースト、右のブルーのがセカンドとなります。ヘッドライト周りとテール部の造型がかなり違って作られていますね。

Sikuはジオラマ用のパーツも沢山作っていてこのように並べて遊ぶことが出来るのです、アイスクリーム屋さんが素晴らしい!

こちらはKR175のモデルですが、何とデンマーク製の珍品でPILOTというブランドになります。プラスチック製なのですがプロポーションは最高で、内装も付きバーハンドルまで再現されているのです。一度きりしか入手のチャンスが無く、以降日本では一度も同じモデルにお目に掛かっておりません。

このアイボリーのKR175はイギリス製なのですが、ブランド名がどこにも記載されていないナゾのモデルです。プラスチック製でゼンマイ駆動という1950〜60年代のスタイルです。箱の絵が秀逸ですね。

そしてこちらがティンプレート(ブリキ)製のKR200であります。Made in Japanの世界的評価の高いバンダイ製モデルですね。2009年2月7日のWildman’s Blog「体を張ってメッサーシュミット!!」で入手の経緯をお伝えしておりますので、もう一度読み返してくださいませ。

素晴らしい出来栄えで、内装のバーハンドルやシートのプリント、キャノピー開閉と見どころ満載のモデルです。

お次は当時物プラモデルの紹介となります。こちらはSHIZUKYO(静岡教材社)のKR200です。キャノピーではなくロードスターをモデル化していました。出来はというと当時の国産プラモ標準形でして、メッサーというよりも和式の便器に見えます・・・・

メッサーシュミットは最終的に4輪バージョンも作られまして、500ccの強力エンジンを搭載し、Top Speedは140km/hというスポーツカー並みのモデルとなり”TIGER”(ドイツ語でティーゲル)と呼ばれました。当時日本にも2台入ったそうです。ドイツでは何とアウトバーンのポリスカーとしても使われたとの事です、凄いですね。

そんなTIGERもプラモ化されておりまして、初期のアオシマが作っていました。「走るプラスチック ポートカー シリーズ」という不思議なネーミングが与えられております・・・

かなり横幅が広く表現されていて、伏せをした犬にしか見えないのです。完全に乾燥してしまったセメダインの隣にはデカールがありますが、旧書体の靜ナンバーが泣かせますね。

そしてお次はホームラン模型のTIGERになります。ホームラン模型って・・・という感じですがまさに昭和のネーミングセンスですよね、ホームラン最強!!

8の字走行が出来るそうですが、モデル自体の出来は「これから飛ぼうとしているアオガエル」といった風情であります・・・・

そして最後は当時物ではなく3年前にしか感じられないついこの前の1980年代に日本で作られたホワイトメタル製の「カワグチモデル」になります。サンセットさんでも扱っておりましたが、当時物では無かったので全く無視して買いませんでしたが、後年資料的な意味も含めて入手致しました。

物凄い重量で、足に落としたら確実に大怪我すること必至です! 3輪のKR200と四輪のTIGER 500をモデル化していますが、中々のプロポーションです。作りは雑なのでプライベートモデルの域を出ませんが・・・・

両方ともロードスターなのでフィギュアをのせて良い雰囲気なのですが、このポーズどっかで見たことあると思ったら、昔イギリス製のブリテンというブランドが出していた、ランブレッタ・スクーターのフィギュアの縮小コピーでありました。中々いいセンスのパクリ(コピー)ですな。

メッサーシュミットの実車はヨタハチに続いて欲しいクルマなので、いつか体を張って手に入れたいですね、もちろん足元はMQQN Discsで!!!

2019? 01? 26? by satoh

ミニカーコレクション第6位、珠玉の逸品は観音開きであります!

寒い寒い毎日、皆様いかがお過ごしでしょうか?



先週ですね、こちらの横浜のCafeの看板描きに行ったのですが、計3日半の作業中、1日目は途中から雨、2日目は強風、最後の半日は超低気温となりまして、まともな天候で作業出来たのは3日目だけだったという過酷な作業となってしまいました・・・・

通り掛かりの方々が「お兄さん、寒くないの?」と声を掛けてくれるのですが「ハイ、変態なので全く寒さを感じないのです」と答えるしかありませんでした。寒いに決まってますが・・・・

真冬の作業は日没も早くてとっても寂しい気持ちになるのですが、ミニカーと力道山先生とベイスターズのことだけを考えて猛スピードで仕上げたあっという間の3日半でございました。ご注文有難うございました!!

という事で連載中の「44周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」第6位となります。ベスト10なんて言ったはいいのですが、冷静に考えるとベスト10て本当に難しく、たった10台の優秀なミニカーを選択するのは

苦渋の思いで有りまして、ベスト1000にしたくなって来ました。

1000台紹介すれば、自分的にも納得出来るのですが、そんなことしてたら寿命が尽きてしまいそうなので、やっぱりベスト10にしておきます、ハイ・・・・

これまでの10位から7位は以下のモデルたちでした。

第10位がイタリア製Politoysの「BREサムライ」

第9位が西ドイツ製Marklinの「ビュイック・セダネット」

第8位が日本製モデルペットの「トヨタスポーツ800」

第7位が英国製Corgi Toysの「ロータス・エラン」

という順になっておりました.

そしてベスト10の第6位はアサヒ玩具のモデルペット製、品番No,1の「トヨペット・クラウンDX」とさせて頂きます。ついこの前である昭和34年10月発売の、これぞ国産ミニカーのパイオニアとなる珠玉の逸品なのであります。

戦後の復興期に当たる昭和30年代は、Made in Japanの玩具類は輸出用の花形産業としてティンプレート(ブリキ)メインに沢山作られておりましたが、ダイキャスト製のミニチュアカーというのは存在しておりませんでした。

最近プラモデル界では「国産最初のプラモデルは何?」という論争が上がっていて、これまでは長い間「〇ルサン」が日本で最初のプラモデルという説がまかり通っていたのですが、実はそれ以前に他のメーカーが先に作っていたことがほぼ判明し、歴史が書き換えられようとしています。私は門外漢ですが・・・・

日本のミニカー業界ではこのモデルペットのクラウン発売以前、前後にも実は「ミニカーらしき物」は作られておりました。揚げ足を取りたい方々からは「モデルペットは最初の国産ミニカーでは無いぞ!」と反論されそうなのですが・・・・

こちらはついこの前である享保9年創業の増田屋が昭和30年頃に輸出メインとして発売したのが「シルバーペット」シリーズでして、クロームメッキされた車体にフリクションモーター内蔵という玩具的なモデルでした。

こちらはとりあえず「ビュイックのクーペ」らしきものと判別出来るのですが、隣りに並べた同年代の外国製ビュイックのモデル(白/赤)と比べるとミニカーというより単なるオモチャにしか見えません・・・・

こちらの倉持商店製のモデルはとっても小さくてグリコのオマケ程度の大きさで、スバルやミゼット等とりあえず車種判別は可能ですがただの駄玩具に過ぎませんね。今日、これらを見つけるのはとっても大変なのですが・・・・

同じく倉持商店製の50’sアメ車群ですが、これらもアメリカのLINEMAR TOYSブランドで主に輸出目的で製造されていました。下請けみたいなものですね。日本国内にも少し流れたようで、手持ちのパッケージには当時のデパートの値札が貼ってあるのもありました。

出来はまずまずなのですが、キャストの質が悪い物が多かったらしく、まるで時限爆発装置がついているように、ある一定の期間が経つとボディーにヒビが入り最後はバラバラになってしまう恐れがあるという恐怖のミニカーなのです。幸い手持ちの物は他にもあるのですが、全て製造後60年経過しても未だ爆発しておりません。とってもラッキーですな!

これらのビュイックや正体不明のアメ車みたいなものも、パッケージが全て英語で表記されていて、国内向けというよりも輸出用という事が分かりますね、あくまで「ミニカーらしき物」です。

という事でこれらのモデルは、時系列では確かにモデルペットのクラウンよりも先、あるいは同時期に作られていたことが判明していますが、とてもスケールモデルとして考えるにはお粗末過ぎまして、輸出メインや駄菓子屋行き?という販売体系を考えると、Wildman的にはやはり「国産ミニカー第一号」の栄誉は問答無用でモデルペットの品番1、トヨペット・クラウンDXで決まりなのです!!

観音クラウンのプロポーションを見事に再現し、車種的にも王道でスケールも1/42とほぼ国際規格標準のスケールで作られた事もポイントが高いのですな。アポロ・ウィンカーも最高なのです。未だハンドルやシート、サスペンションは付いておりませんが、迫力あるプロポーションがそれらを帳消しにしてしまうのです。トランク左下にはOverdriveのエンブレムまで彫ってあるのでした。

当時このミニカーをデパートのショーウィンドウで見て興奮された黎明期のコレクター様の気持ちが良く分かります、私は不覚にも生まれておりませんでしたが、ああ残念・・・・

モデルペットを販売したサンタ印の旭玩具(のちにアサヒ玩具)は、昭和35年の玩具自由貿易化の流れに沿って、英国製のCorgi Toys、Dinky Toys、フランス製のSolido、イタリア製のMercuryといった当時の一流ブランドのミニカーメーカーと手を結び正規代理店となってミニカーコレクションの啓蒙活動?を務めておりました。

同時に自社ブランドの国産ミニカー、モデルペットも販売し昭和48年までに78車種を発表しましたが、昭和54年に倒産の憂き目にあってしまいました。ママレンジやピンクレディーのグッズが懐かしいですね。

これはモデルペット最初期のリーフレットになりまして、一台¥170の定価となっております。マツダ三輪トラックや、ミゼットMP、こだま号も載っていましたが、残念ながらこれらは発売には至りませんでした。

裏面には「ヨーロッパや北米では自動車や飛行機の、小さな模型のコレクションが大人や子供の流行になっています」と書いてありますがWildman的には今でも現在進行形なのであります!!

昭和34年はクラウンのみの発売でしたが翌年からはこのように順を追って次々と素晴らしいモデルたちが発売されたのでした。クラウンDX、マスターライン、トヨエース、ランドクルーザー等、ナゼか最初はトヨタ車ばかりで、まるで60年後のトヨタの一人勝ちを予言しているようにも感じられるのです・・・・・

おまけで他の国産ミニカー黎明期のモデルを少しだけ紹介致します。

こちらの初代トヨエースはマルサン製のモデルで、ほぼモデルペットと同時期の発売なのですが、マルサンは他に英国Dinky Toysのモデルを勝手にコピーして発売していて、このトヨエースが唯一のオリジナル金型モデルとなります。

車種的には珍しい物なので、出来はともかく国産ミニカーのコレクションとしては外せないモデルになっています。ドアーに貼られたカタカナの「トヨエース」デカールが泣かせますね・・・・

そしてこれは中山商店がミニチュアペットというブランドの第一号としてついこの前の昭和37年に発売されたオペル・カピテーンになります。品番はNo,1なのですが、これ一台の発売に終わったというナゾのミニカーブランドなのです。しかも選んだ車種がオペルという地味さ加減が余計にミステリアスです。又、パッケージもモデルペットを意識したのかそっくりデザインの赤箱となっています。しかし年式違いのオペルのイラストを描いているところがご愛敬なのです・・・オリジナルのタグ付きは結構珍しいですね。

きっと中山商店の社長さんがオペルに乗っていたとか、会社の隣りの駐車場にいつもオペルが停まっていたとかという理由に違いありません、たぶん・・・・・・

出来は結構良くて、塗色もいい感じで、ラップアラウンドのウィンドウを持つ年式のカピテーンの魅力が伝わって来ます。

面白いのはインテリアがティンプレート(ブリキ)でシート等の内装を絵でプリントして表現し、まるでブリキ玩具のような風情となっております。昔から珍重されていたミニカーですが、コレクションとして大切にされて来たのか、意外と多くの台数が21世紀現在でも残っている感じが致しますね、ハイ。

今回でやっとベスト6まで発表致しましたが、勢い余ってベスト100までやりそうになったら警告をお願いします!!

2019? 01? 12? by satoh

Happy New Year!! そしてミニカーコレクション第7位であります。

皆様、明けましておめでとうございます。本年もWildman’s Blogにお付き合いくださいませ。

今年の干支はBoar(イノシシ)なので、本牧はArea-1のNew Year Special Stickerはイノシシさんをモチーフにデザイン致しました。毎年恒例のプレミアムなギンギラ仕様となっております。Area-1店舗にて¥3,000(税別)以上お買い上げの方にプレゼントしておりますが、残り少なくなって来ましたので、ぜひご来店頂きお買い物を楽しんでステッカーをGetしてください。

そして力道山先生より年賀状を頂きました。先生のご結婚を祝うもので、大変恐縮で有ります。

今年は昭和38年か、来年は東京オリンピックだなあ・・・・と思ったら平成31年で有りました、初夢を見てしまいました。でも東京オリンピックはまた来年ありますね、東洋の魔女再来であります!

という事で夢から覚めまして、次はいつもの白昼夢ミニカー話の続き「43周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」第7位となります。43周年のはずでしたがいつの間にか年が明けてしまったので、コレクションスタートの1975年からは44周年となってしまいましたが・・・・

第10位がイタリア製Politoysの「BREサムライ」 第9位が西ドイツ製Marklinの「ビュイック・セダネット」第8位が日本製モデルペットの「トヨタスポーツ800」ということでありました。もちろん全て実車現役時代に作られた「当時物」のビンテージミニカーたちなのです。

そして今回発表の第7位は英国製Corgi Toysの傑作ロータス・エラン(Lotus Elan)であります。もちろん1960年代に造られたミニカーなのです。

1975年当時、少年ジャンプにて「サーキットの狼」の連載が開始されましたが人気が出ない為、打ち切り話が出たくらいでしたが、突如人気が出てその後は76〜77年に掛けてのです爆発的なスーパーカーブームにつながって行きました。

主人公の風吹裕矢の駆るロータス・ヨーロッパが当時のお子様たちの人気でしたが、頭のおかしい少年Wildmanは「ロータスだったらヨーロッパより
エランの方がカッコいい、いやコルチナの方がいいかも」とひとりつぶやく変質者と化していました。

すでにミニカーコレクションはスタートしておりましたが、まだ知識の浅い小学5年生はこれまでにどんなクルマがミニカー化されていたのか全く理解出来ておらず、資料も今と違って少ないので、ミニカーは現場で知るしかありませんでした。ミニカー専門店、玩具店、デパート、文房具屋、駄菓子屋、縁日の露店等々現場で遭遇してその存在を確認しておりました。

変態への道を突き進んでいた11歳はミニカー専門店というものを突き止めて通うようになりました、世捨て人の始まりです・・・・

70年代当時の横浜はミニカーパラダイスでして、数々の専門店が存在し、買う買わないに関わらず、そこに行けばいろんなミニカーに遭遇出来たのです。横浜に生まれてしまったことが人生を狂わせたと言っても過言ではありません・・・・

専門店では新製品や現行モデルに混じってとっくの昔に生産が終わっている「絶版ミニカー」が平然とショーケースに並んでおりました。

いろんなお店に行きましたが最初にホームグラウンドとなったのが鶴見区にあった「チェッカー」というホビーショップでありました。ミニカー、プラモデル、モデルガン等々、当時のお子様に人気のあった商品を小さな店舗内に所狭しと並べてありました。

夢のような空間で夢のような買い物をする術が少年Wildmanにはありまして、当時鶴見区には親戚が住んでおり、そこに遊びに行こうと祖母を誘い出し、途中でチェッカーに寄ってミニカーを買ってもらうという鉄板のルーティーンがあったのです・・・なんというガキなのでしょう!

昭和50年のとある日、いつものように祖母を誘い出しチェッカー経由で親戚の家に行く段取りとなりました。すでに頭のおかしくなっていた少年Wildmanは現行品や新製品のミニカーには目もくれず、店の奥にあった絶版ミニカーコーナーを凝視しておりました。

するとブルーと白のツートンカラーのミニカーが目に留まりました。「あれ何だろ、小さなスポーツカーに見えるぞ」と思い店主のTさんに「み、見せて下さい、その青いの」と頼んでケースから出して頂きました。

紛れもないロータス・ヨーロッパよりも好きなロータス・エランでありました。「うおおお〜エランのミニカーなんてあったんだ!」と興奮し、祖母にお願いし「これを買って下され」となりました。

これが英国Corgi Toys製のロータス・エランでその頃でも10年近く前のミニカーでした(実車が60年代のクルマなので)

こちらが当時のCorgi Toysカタログ画像になります。

Corgi Toysは昭和35年の玩具自由貿易が施工された時に日本に最初に正規輸入されたブランドの一つでした。

ミニカー王国の英国ではDinky Toysというブランドが戦前からトップブランドのミニカーとして君臨しておりました。こちらの画像が50年代のDinky Toysですがプロポーションも良く頑丈な造りとなっています。未だ窓ガラスが無い時代のモデルです。ハドソンの美しさにはほれぼれ致しますね・・・

後発のCorgi ToysはDinky Toysに追い付け追い越せという感じでスタートし、こちらの初期モデルでもすでに窓ガラスを装着していてDinkyに差をつけていました。

その後怒涛のCorgi快進撃が始まり、こちらの1960年発売のアストン・マーチンDB4では世界初のボンネット開閉アクションを持ちエンジンも再現されるというエポック・メイキングなモデルとなりました。

さらにエスカレートしたこちら1963年発売のGhia L6,4 Coupeではボンネット、、ドアー、トランクが全部開閉出来て、クライスラーエンジン、ダッシュパネルやミラーが再現され、シートも可倒式で、リアのガラス越しにはCorgi犬が鎮座するという前部のせのラーメンみたいなミニカーとなりました。

こちらのゴールデンジャッキシリーズではタイヤ交換も楽しめました。専用のスペアタイヤも発売されていたのです!

トランスOライトというギミックではパテントを取り、天井やリアガラス部から光を入れて(自然光)ヘッドライトが画像のように光って見えるという変態的な機構を持っていました。

その後もバットモービルや007のボンドカー等のキャラクター物はミサイルやフィギュアが飛び出すというアクション全開で世界中で大ヒットしましたね。

さらにこのようなジオラマ的なギフトセット物も多数制作して、子供たちの夢を膨らませていったのです。私は膨らみ過ぎてこのようになってしまいましたが・・・・

そして話はエランに戻るのですが、チェッカーで購入した後(買ってもらって)家に戻って箱を開けるとゼッケン用のシールと英語の説明書が入っていました。

「シールは一生貼らずに保存するとして、この説明書には一体全体何が書いてあるのでしょ?」と見てみると何やらイラストも描かれています。するとこのミニカーはボディとフレームが脱着出来るぞ謳っているではありませんか。

「すげ〜、バラバラになるぞこのミニカー、こんなの初めて!!!」と興奮し、バラバラにしてみました。シートが可倒式という事もわかったのです。

本来子供用のオモチャのはずなのに、ナゼかマニアックなボディ、フレーム分離というアクションを持つこのエランは変態を養成するための物にしか感じられませんでした。

だって実車そっくりなロータスのY字型バックボーンフレームにロータスのツインカムエンジンまでバッチリ再現されているのですから・・・・Corgi Toys恐るべしです。

このミニカーを見て、その後トヨタ2000GTの作りがエランにそっくりという事実を知り、ちょっとしたショックを受けたのでした・・・ミニカーは実車の勉強にもなるのです!!!

Corgiのエラン・クーペには他の色もあることを知って長い年月を掛けてせっせと集めました。

さらにオープンモデルも有ったので、こちらもせっせと色違いを捕獲して行ったのでした。オープンの方はクーペのようなフレームの脱着アクションは無いのですが、このようにドアーのウィンドウが上下するアクションを持っておりました、もちろんシートも可倒式であります。

44年後に気付くとCorgi Toysのロータス・エランは我が家に沢山生息しておりました、好き過ぎるミニカーはナゼかこうなってしまうのですな・・・・・

これでベスト10の内、第7位まで発表出来ましたので、もう先は見えて来ましたね。本年も宜しくお願い致します!!

2018? 12? 28? by satoh

KISSも終わりか!? そしてミニカーコレクション第8位

2018年も残りあとわずかとなりましたね。先月が元旦だと思っておりましたらもう年末を迎えようとしております・・・

今年は我が横浜DeNAベイスターズは3年振りのBクラスに沈んでしまい、昨年はクライマックスシリーズを勝ち上がり日本シリーズまで行った事実が夢のように感じられます・・・

まあ数年前までは毎年のように最下位だったことを考えますと、贅沢なことは言ってられませんが、いい加減に優勝しないと本当に前回のように「38年ぶりの優勝!」なんて恐ろしい事態になりかねません(すでにあれから20年経過しましたが)このパターンが繰り返されますと次回の優勝は2036年になりますので、皆様覚悟を決めておいてください・・・

そして今年の私的な出来事でベイスターズのBクラス転落以外でショッキングな出来事はと申しますと、KISSがついに最後のツアーを行うという事が発表されてしまいました・・・・「ついに解散か??」と途方に暮れてしまいましたが「ライブ活動はこれで終わり」という事らしく、もうライブはやりませんが、解散はしないという解釈のようです。

ややこしいのですが、彼らももう70歳が目前に迫っておりまして、Tシャツとジーンズ&アコースティックギターで適当に演奏してれば何歳でもライブが出来ますが、あの衣装と18cmのブーツを身にまとい、空中遊泳をし、火を噴いて2時間近いライブをこなすのはさすがに無理という事のようです・・・そりゃそうだ。



KISSは2000年にも「もう、や~めた」とフェアウェルツアー(サヨナラツアー)を行って、もうこれで最後だと私もだまされて、せっせと日本ツアーを廻りましたが、結局「やっぱりやめるのや~めた」という事になりKISSはその後も何も無かったように存続、活動し現在に至っておりましたが、今度は「もう疲れるからライブ活動や~めた」という事のようです。なのでまだ解散はせず、新しい楽曲も出る可能性もありますし、無限にグッズ類も売られ続けるでしょう・・・永遠のKISSビジネス万歳!であります。

最後のツアーはOne Last KISS: “End Of The Road” World Tourというカッコいいタイトルで数年掛けて世界中を回るとの事です。これまでで最も激しく、最もデカいショウになるそうです。生KISSを見たことのない方は本当に最後のチャンスですぜ・・・

すでに2019年のスケジュールはほぼ発表されているのですが、まだその中に日本は入っておりませんので来年は来ず、オリンピックイヤーの2020年の来日かもしれません、ぜひ聖火台で火をぶっ放して欲しいのであります!そしてその年にベイスターズが優勝したら私は昇天して死んでそのまましまうかもしれません・・・

という事で本当はKISSの話をするつもりでは無くて、ミニカーの話をするはずでした。以前「43周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」と大騒ぎしたのですが、10位と9位を発表したままで、それ以降をお休みしておりましたので、反省してお気に入りベスト10の第8位を発表させて頂きます。

10位はイタリアのPolitoys製「BREサムライ」(ヒノサムライ)でしたね。見れば見るほどカッコいい!!

そして9位は西ドイツMarklin(メルクリン)製の”Buick Sedanette”でした。ほぼ70年落ちのミニカーなのですが、その迫力は現在の模型化したミニカーでは到底表現出来ないものとなっております、まさに芸術ですな。

そして栄光の第8位は8という事でヨタハチ、トヨタスポーツ800に決定いたしました!! 8という数字は良いですな、御所山8も・・・

私、国産車の中ではスバル360やフジ・キャビンとともに最も好きなクルマの一つがヨタハチでありまして、この車のデザインは国産車の中では最強と思っております。どう考えてもトヨタ2000GTの10倍はカッコいいのです・・・・あくまで私見ですが。

そんなヨタハチのミニカーですが当時物は1種類しか出ておりませんでした(ブリキ製は除く)ついこの前である昭和40年の5月に発売となったアサヒ玩具はモデルペット製の品番31「トヨタスポーツ800」であります。Wildman生後10か月のときでありました・・・・

昭和40年8月1日発行の当時のミニカーコレクターのバイブル、月刊コレクター誌No,66の表紙にもなっております。このミニカーの当時の定価は¥450でした。

存在を知ったのは、少年Wildmanがミニカーコレクションを始めた年である昭和50年(1975年)9月発行の月刊ミニチュアカー誌 No,85の連載記事「モデルペットのすべて」にこのヨタハチが紹介されていた時なのであります。

「うおおお~なんてカッコいいミニカーなんだ、まんまヨタハチじゃん!!」と興奮する11歳は変態の道を突き進んでおりました。その頃、モデルペットのヨタハチは発売後約10年が経過しており当然絶版モデルだったので、そんなものをすぐに手に入れるのは至難の業となっていました。

あっちこっちのミニカー専門店、ひなびた玩具店、ミニチュアカー誌の売買欄等を必死に探しましたが、全く私のアンテナに引っ掛かりませんでした。「欲しい、欲しい、欲しい」とのたうち回ってもナゼかこのミニカーは目の前に現れず、長い年月が経過して行くのでありました。

縁の無いモデルというのはある物で、たいして珍しくないモデルでもどういう訳か全然手元にやってこないことがありまして、ヨタハチはまさにそんな一台の代表となってしまいました・・・

そして80年代も終わりになってから、横浜は伊勢佐木町の日活会館にあった伝説のお店BIG BOYに足を運んだところ、絶版車ケースの中にモデルペットのヨタハチを発見したのでした。

「やった、ついに発見した! これちょうだいな」と行きたかったのですがプライスを見てびっくり、¥50,000と表示されてました。当時の相場よりはるかに高く、いくら何でも5万はないでしょうと思いました。実際にその時5万なんて持ってなかったのですが・・・・

しかし「長いあいだ探してたし、これを逃すとまた何年もチャンスはやって来ないかもしれない、これが最後のチャンスなんだきっと」と勝手に思い込み、箱付きミント状態のこいつを捕獲しないと死んじゃうかもしれないと判断し、死にたくないので捕獲しましょうということになりました。

しかし5万円なんてすぐに用意出来ないので、交渉に入りました。BIG BOYや千代田ママストアは絶版ミニカーの交換にも応じてくれておりましたので、持ち合わせの無い青年Wildmanは一度帰宅し、交換用のミニカーを数台持って再び戦場に向かったのでした。

同じ国産モデルの大盛屋のダイハツ・コンパーノやサンダーバード等数点を持ち込み「これらとヨタハチをトレードお願いします」と宣言しました。すると意外と反応が良くて、じゃあこれとこれと先方が選んであっさりと交渉は成立し、念願かなってモデルペットのヨタハチがやっと手元にやって来たのでした、実際には5万円以上持って行かれましたが・・・

あまりの美しさに感動しヨタハチは暫くの間、自宅ケースの一番目立つところに飾って楽しんでおりました。アンチモニー製のこのモデルはプロポーション抜群で、グリルの造型や空冷2気筒エンジンも再現され、タルガトップのルーフも実車同様に脱着出来るのです、壊れると怖いので今回外したのが2回目ですが・・・

しかしこれまで縁の無かったこのモデルでしたが、一台来るとまた他の話が来たりして、このミニカーが好き過ぎる事もあって、気付くと2018年現在、このように5台も我が家に生息しておりました。あの苦労は一体なんだったのでしょうか???

こうなったらあと2台赤色を手に入れて月刊コレクター誌の表紙を再現してみようかなと思う今日この頃であります、人間失格!!

2018? 12? 20? by satoh

2大イベントの後は不良の?ミニカー話で。

27th Yokohama Hot Rod Custom Showも無事終了となりまして、その後すぐにアメリカに飛んで、今度はMQQNEYES USA主催のMQQNEYES X-mas Partyに参加して来ました。

こちらのイベントは元々90年代、Ed”Big Daddy”Roth存命中にRat Fink PartyとしてMQQNEYES USA敷地内で開催されていたのですが、どんどん参加車両が増えてしまい、とてもShop敷地内では出来ない状況となってしまいまして、Police Academyに会場を移したりしていたのですが、Irwindale Speedwayという大きな会場で開催出来るようになりまして1000台規模のイベントとして継続しております。Show & Dragが堪能できる最高の場所なのですが、こちらもSpeedway自体がClosedしてしまうという噂? がここ数年流れていまして、昨年はポスターにLastの文字を入れて「これで最後ですよ」と謳ったのですが結局未だClosedせず今年も何とか開催出来ました、良かったです!




今年も現場では早朝から沢山のペイントのお仕事を頂きまして、写真を写すことが出来ませんでした、すみません・・・・

そんな中、気になったクルマがこちらになりましてChevy Vanには70’sなAir BrushによるChopperのイラストが描かれておりまして、思わず見とれてしまいました。何とロシア人の女性Artistによる作品との事でした。



そしてこちらは珍車? のAMX 390でございます。Drag Racerでとってもカッコ良かったのですが、子供の頃はヘンテコな形にしか見えずとってもカッコ悪いゲテモノ車だと思っておりました、本当にすみませんです・・・・

AMXの「当時物ミニカー」は数が少なく、あまりモデル化されておりませんでしたが(やっぱりゲテモノ?)何とスペイン製のミニカーで4座モデルのジャベリンがあったのでした。

Auto Pilenというブランドなのですが、当時この会社はコピー商品をたくさん作っていて、英国のDinky ToysやCorgi Toysの型を流用したりアップデートしたりして沢山のモデルを製造していまして、日本にも70年代に結構な量が輸入されていましたね。

こちらのC2 Corvette Stingrayは英国のCorgi Toys製のモデルで、リトラクタブルのヘッドライトの開閉アクションを持つ60年代製造商品としては画期的なミニカーでございました。(ちなみに右端のカッパーの色は激レアモデルなのです)

そしてこちらはその型を流用し更にドアー開閉アクションを追加したスペインはAuto Pilen製のモデルになります。オリジナルのCorgiを上回ってしまう部分もありました。Corgi製が絶版になった後、70年代になってもずっと販売されていましたね。

そんな中、ジャベリンはコピー品ではなく、自社のオリジナル金型で、しかもこのように最高の出来栄えとなっております。コピーモデルで腕を磨き、技術を身につけた感じですね。実車同様、時を経てからカッコ良く見えて来ました!

さらに3インチミニカー、香港の宝石であるPlayartより70年代に何とAMX 390とジャベリンの両方が造られておりました。チープミニカーの代表のPlayartですが、今見ると素晴らしい出来のモデルが多数あるのです、40年経って見直されております。

という事でミニカーの話を始めたら止まらなくなって来ました。アメリカより帰国後、本棚の整理中ついこの前である昭和51年11月1日号の平凡パンチを発見、その中のページで「横浜(本牧)のホットロッド野郎たち」という記事がありまして、本牧通りのVenice前に集まる当時の不良?の方々のクルマが紹介されています。

不良ではなくただの不良品だったWildmanはこの記事の11年後に初アメ車のShelby Mustangに乗ってカッコつけてVeniceに行った思い出があります、ついこの前の1987年のことでした・・・

平凡パンチの記事には伝説のHemi ‘CudaやMustang、Corvette、Camaro、Cougar等の当時の人気者が紹介されナゼかLamborghini Miuraも登場しております、スーパーカーブームが爆発する直前ですな(Wildmanは小学6年生、変態に向かってまっしぐらです)

そんな中、仮ナンバーを付けた地味なアメ車が1台たたずんでおります。この車こそが2018年現在も本牧はMooneyes Area-1前にたたずんでいる1960 Ford Thunderbirdその物なのです。当時のOwnerはもちろんShige菅沼でございます、この記事の現場にいるという事はやっぱり本物の不良だったのでしょうか??

数奇な運命をたどって数年前Shige菅沼の元に戻って来たこのT’Birdは現在も可動状態で、本牧の街をずっと見つめております。目の前が米軍のベースだったあの頃とはずいぶん景色が変わってしまいましたが・・・

そこで当時物T’Birdのミニカーの紹介となります。本家アメリカのHubley Real ToysシリーズはMade in USAでありまして、製造後実車と同じくらいの年月を過ごしているのです。やっぱミニカーは当時物に限りますよね!

小さいながらも出来が良くて、グリルの造型は素晴らし過ぎるのです。当時日本には輸入されなかったので入手には手こずらされました。

そして有名どころでは英国のCorgi Toys製があります。Hard TopやConvertibleのバリエーションがあり、昭和35年の日本の玩具貿易自由化時に最初に輸入されたミニカーの一台でもあります。当時の定価は¥350でした、Made in Japanのミニカーの倍くらいしていた高級品であります。

このモデルの面白いバリエーションにBermuda TaxiというモデルがありましてConvertibleベースに能天気な日除けの布製幌を付けて、肌の色が黒いドライバーのフィギュアが乗っかっております。きっとバミューダ海域の島の観光用タクシーのモデル化なのでしょうな。2ドアのタクシー素敵過ぎますので、本牧通りでも営業してみたいです。

結局イベントの話をするつもりがナゼかミニカーの話になってしまいましたが、頭の中は常にバミューダ・トライアングル状態なのでご了承下さいませ。

あ、それと本牧のT’BirdということでMQQNEYES商品のご紹介を。今年の秋~冬物New ItemとしてロングスリーブTシャツをデザインしたのですが、イラストのモチーフは夜のMQQNEYES Area-1店頭にたたずむFord Thunderbirdとなっております。もちろんあのクルマであります。タイトルは「本牧Midnight」うう、カッコイイゼ!!



右袖にはネオンサイン風のMQQNEYESレタリングとピンストライプがデザインされています。不良の皆様も普通の方々もこれを着て夜の本牧に繰り出して下さいませ、Go! with MQQN