Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

2019? 04? 20? by satoh

44周年のミニカーコレクション、第3位発表!!

やっとこさ春らしくなって来まして、MQQNEYESからもTシャツ等の春・夏物のNew Itemデザインが目白押しとなっております。

MQQNBUGとRace Camaroのイラストが楽しい”MQQNEYES DRAG RACING”TシャツやEagleのPinstripeとH/D Orange Krateのイラストを組み合わせた”MCCS Eagle”Tシャツ等、Wildman描き下ろしの新作が続々と入荷しておりますので、夏に向けてNew Item要Checkなのであります、宜しくお願い致します!!

そしてプロ野球も開幕致しまして、対戦カードも一周したのですが、我が
横浜DeNAベイスターズは可もなく不可もなくといったスタートでありまして、何より昨年に続いてケガ人が多くなっているのが心配なのです。

ベストメンバーが組めて初めてAクラス争いに参加出来るといった感じのチームなので(最下位チームにデッドボールを食らって4番が不在となってしまいました!!)このままケガ人ばかりですと、昨年の二の舞になりそうで、とってもとっても不安なのです・・・

負けると「全くバカらしいぜ、こんな弱いチームの試合なんか二度と見ねえぞ、ふざけるな!!」と怒りまくっているのですが、翌日になると「今日も野球が楽しみだね、早く試合が始まらないかな!?」とウキウキしている二重人格?の自分が恐ろしい今日この頃であります。

という訳で、連載中の「44周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」はついに第3位までやって来ました。国産車だったり、外車だったりと支離滅裂なコレクションのベスト10なのでありますが、一貫しておりますのは、我がコレクションは全て実車の生産と同時期に造られていた「当時物ミニカー」オンリーなのでいわゆる「絶版ミニカー」しか集めておりません。なので我が家には遺品のようなものが沢山並んでおりまして、実際に70年以上前に造られたミニカーを見てると「これを最初に買われたのはどこの国のどちら様なのでしょう?もうご存命ではないのでしょうか??」と部屋の中で一人つぶやいていると、だんだん恐ろしくなって来るのです。しかし次の日には部屋に戻って「やっぱり旧いミニカーは楽しいな!」と叫んでいる自分はやはり気が狂っているのでしょうか? 44年もよくこんなことを続けているなと思います、あとには引けませんが・・・

ついこの前の1976年に祖母と一緒に(祖母を連れまわし)ホームグラウンドである「鶴見のチェッカー」に行ったときにレジ奥の絶版ミニカーコーナーのショーケースに一台の可愛らしい青い物体を発見、店主のTさんに

「それを見せてくださいな」と気の狂った小学生がリクエストしました。

それがこちらの英国Corgi Toys製の”Heinkel Economy Car”でした。BMWイセッタのような前開きのドアを持つ可愛い三輪車なのですが「そうか、これが世界のミニカー、24ページに載ってたハインケルなんだ!」と一人納得する小学生はすぐに祖母に「これを買ってくれたまえ」とお願いして

初期の絶版ミニカーコレクションに加わったのでした、本当に嫌なガキですね・・・・

店主のTさんは「この青色のやつは結構珍しいんだ、ほかの色よりも少ないんだよ」とご説明され「実はタイヤに少しだけヒビがあるんだ、だから少し安くしてあるんだよ」と追加のご説明をしてくれました。よく見ると1mm程のヒビがありましたが、当時の私はそこまで気にしていないのでこれで十分、といった感じでした。今なら死ぬほど気になりますが・・・

何て43年前の会話を普通に覚えている私は、やはりどこかおかしいのかもしれません。

その後サンセットさんでオレンジ色のヤツも入手してからバブルカーに興味を持つようになり自動車雑誌を読みまくり、イセッタ似のハインケルを調べるようになりました。実車はドイツの航空機メーカーの設計だったり、イギリスでライセンス生産されていたりと、どうでもよい知識が頭に詰め込まれて行きました。

そして運命の1979年中学生の時、元町の裏通りにあったサンセットさんがコパルームというテナントの二階に引っ越しをされた頃、レジ奥の”Not For Sale”の棚に一台の真っ赤なハインケルを発見しました。

これこそがミニカーベスト10の第3位、英国はZEBRA TOYSのハインケルになります。

「な、何、このでっかいハインケル??こんなの初めて!」と叫ぶと店主の宇野さんが見せてくれました。「これはねイギリスのゼブラというメーカーのとても珍しいミニカーなんだ」とご説明「でも、非売品なんだ」と言われてしまいました。

Japan Miniature Automobile Club会長、中島登著「世界のミニカー」にも出ていないミニカーとは一体何なんだ?と疑問に思いましたが「会長がお持ちでないミニカーもこの世に存在するんだ」と数分後気付きました・・・

Corgi Toysのハインケルは全長5cm程度の可愛らしいモデルでしたが、ゼブラのはそれを4倍くらいに膨らませたような大きさで、可愛いと言うよ不気味に思えたのです。しかしそれは非売品、欲しくても売ってもらえるわけもなく、第一お値段も幾ら位するのか見当もつきませんでした、高いに決まっていますから。

ZEBRA TOYSのハインケルは1960年前後に造られた英国製ミニカーでしたが、日本には未輸入で現地での販売台数自体も少なかったので、当時の日本では手に入れようもないという状況でした。と言うより1970年代に日本でこのミニカーの存在を知っている方も殆どいらっしゃらなかったと思います。インターネットも資料本も無いのではどうにもなりませんからね、だから昭和のコレクションは楽しかったのですが・・・・

「あー欲しい、本当に欲しいぞゼブラのハインケル、手に入れないと死んじゃう!!」と思ってもサンセットさんのは非売品、他の専門店にも並ぶはずが無く夢のミニカーと化したゼブラのハインケルでしたが「きっといつかサンセットさんのが売りに出されるかも?そうだその時に土下座して売って頂こう」と考えを膨らませていたのですが、あえなく撃沈・・・いつの間にか真っ赤なハインケルは高名なコレクター様の元へとと嫁いで行ってしまいました・・・大人の取引きは怖いので有ります。

その後もずっとミニカーコレクションを続けていたわけですが、どこへ行ってもどうやって探してもゼブラのハインケルは見つからず「これを手に入れたらコレクションをやめるぜ!」と豪語してもやっぱり見つからずTV出演したときに(何でも鑑定団)「10万以上出すから私に売ってくださいませ!」とお茶の間の皆様に問いかけても反応は全く無し・・・・

これはもう無理なのかもしれないと思いかけていた2007年のある日、すでにインターネットでのコレクションがあたり前になっていたのですが、英国のVectisというオークションサイトに何とゼブラのハインケルが出品されているではありませんか、しかも箱付きで!!!

「うおおおおお~ついに来た、これだゼブラのハインケルだ!!」と気が狂いそうになり、じゃなくって完全に気が狂ってしまい「勝負をかける、これを逃したらもう人生終わりだぞ」と勝手に言い聞かせ「絶対に落札出来る」(であろう)金額を入札しその時を待ちました。

すると私の入札金額ギリギリの金額で見事落札出来たので有りました、めでたし、めでたし、さあどうやって払おうか?と我に返ったときには達成感と絶望感が交錯しておりました、世捨て人炸裂であります!!

こちらが英国よりはるばる我が家にやって来たゼブラのハインケルであります。真っ赤なボディーはコンディション抜群で何と言ってもゼブラ模様のイラスト箱が素晴らし過ぎて、昇天してしまいました。

恐る恐るドアを開けると中にはハンドルやシートもあり、思わず乗ってしまえそうな錯覚に陥りました、いつもの白昼夢であります・・・

こうして1979年に初めてその存在を知ってから、手元にやって来るまでには約28年の歳月が経っておりました、気が長いというのか、気が狂っているというのか・・・・・

「ゼブラのハインケルを手に入れたらコレクションはもうやめます!」と宣言していたのですが、やっぱり無理だったのでどこかの大臣みたいにカミさんに撤回&謝罪を致しました・・・・かたじけない。

という事でミニカーコレクション第3位、ゼブラのハインケルのお話は終わりましたが、オマケのバブルカーのモデルたちも紹介させて頂きます。

こちらのハインケルは昭和30年代のアオシマ製プラモデルなのですが、何といっても箱絵が秀逸なのです。どこかの山道を疾走するハインケルには、にこやかな表情のアベックが乗っています。モデル自体は当時のプラモらしく正面から真っ二つという作りでして、手描きイラストの説明書は感動ものなのでした。赤塚不二夫先生の「べし」にしか見えませんが・・・

お次は昭和30年代グリコのオマケのハインケルであります。2cm程度の

小さなモデルですが、どう見てもハインケルにしか見えないのでした。

そしてこちらは仏蘭西はBSというブランドのVelam Isetta(ヴェラム・イセッタ)になります。1950年代後半に造られたプラスチック製のモデルですがプロポーションは素晴らしいのでした。箱絵も不気味で素敵なのです。

これも仏蘭西製なのですがグリコのようなオマケのヴェラム・イセッタになります。真横から見ると普通ですが正面から見るとただの板と化す、トリックアートのような不思議なモデルなのです、あせった!



最後に英国はSPOT-ON製のPocket Setなるバブルカーのセットになります。3台のバブルカーがセットになった可愛らしい物で、結構レアなギフトセットになります。

BMW Isetta(BMWイセッタ) Meadows Frisky(メドウス・フリスキー)Goggomobile Super(ゴッゴモビル・スーパー)の珍車3台のセットとなっております。

もっとご紹介したい珍車のミニカーが沢山あるのですが、キリがありませんのでまた次の機会にやらさせて頂きます、お楽しみに!!

2019? 04? 6? by satoh

灼熱のタイにてアラレちゃんこんにちは!

今年の春はとっても寒くて、本牧通りの桜さんたちも寒さを感じているようでして、ゆっくりと咲いてゆっくりと散って行くようです。

そんなSakura Weekの間にMQQNEYES御一行はタイに行って参りました。まさか帰国後も桜が咲いているとは思っておりませんでした。

タイはバンコクのMQQNEYES SHOP BKKが3周年記念のイベントを開催致しまして、そちらに参加して来ました。というか昨年の9月にも2周年記念イベントで行っておりますので、何だかAnniversaryだらけでよく分からないのであります・・・・・

タイは只今真夏でして、気温は平気で35度!になってしまう暑さでありまして、春なのに寒い日本とのギャップが激しかったのです。おかげでもう日本では食べられないDaily Queenのソフトクリームが食べられて大変満足なのでした。懐かしいなあ、元町や上大岡にあったDaily Queenが・・・・

いつもと同じくビンテージモール内のMQQNEYES Shop BKK & MQQNCafe前の広大なスペースを利用してCar & Bike Showが開催されました。

相変わらずいろんな車やバイクがあるのですが、今年はやたら旧い型式のメルセデスが多かったのです、タイで流行っているみたい!?

残念ながらこのマフラーの意味が分かりませんが・・・

こちらは出来たばかりのMQQN CafeのShop TruckのISUZUですが、黄色と白のツートンカラーは少し寝ぼけた感じがしていたので、塗り分けの境目に一本黒いラインをササっと描いたところ、このようにビシッと決まりました、自画自賛!?

日本車は人気でありまして、70’s なセリカには本牧ステッカーが張られていました。ルーチェもやたらうるさいロータリーサウンドを響かせておりました。

ナゼか藤原とうふ店(自家用)仕様はダイハツ・シャレードでした。

VWはHot Wheelsの実物大のような感じで作られていました。これからは実車からミニカーを作るのではなく、ミニカーを実車にしてしまう時代が来るのかもしれません・・・

フラフラ歩いておりますと、目の前に突然不気味な物体が! 何とマツダ・ライトバスがバーに改装されて鎮座しておりました。

何でこのような珍奇なクルマが、この場所にこのような形で存在しているのかさっぱり分かりませんでしたが、異国の地で余生を送っているライトバスに郷愁を感じたのであります。

勝手に決める、Best of ShowはこちらのDr,スランプはアラレちゃん号に決定致しました。最初に見た時は驚きました、だってまさにミニカーを実車化したとしか思えませんでしたから。

漫画に出て来るルーフがビヨ〜ンと伸びたMiniがそのまま形になっていて、一体どうやって作ったのかと思ったら、ベースはゴルフカートでそれにMiniのパーツを組み合わせて仕上げたようなのです。素晴らしいです、んちゃ!!

カスタムバイクも沢山飾ってありましたが、他の東南アジアの国々とは違って小さな排気量のバイクは少なく、大型の日本車やHarley-Davidson、Triumphが目立っておりました。

旧車會は世界進出を目指しているのでしょうか・・・・



ちょっと珍しいスズキは750刀ではなく、しぶいGS650Gでありました。

何と陸王のコレクターさんがいて、ベース車両やエンジンが沢山あって驚きました。どこの国にも変人はいるものです。

鉄腕アトムやドラえもんも人気なのであります!

ヨーロッパの旧い珍スクーターたちも、ここに来た時に見れる楽しみの一つなのでした。

カスタムペイントのコンテストも開催されておりまして、今回のお題はぶった切ったバイクのタンク(片面)でありまして、力作揃いでした。

Pinstripeのお仕事も沢山頂き、タイ在住の日本人の方も来てくれました、有難うございます。

そして同じ敷地内のナイトマーケットを廻ってみると相変わらず小心物Wildmanには食べられそうにない食材が多数並んでおりました。

真ん中のは天然記念物にしか見えないのですが・・・・

豚の血のスープのタイラーメンは何とか食べれるようになりましたが・・・・

おなじみの初期ダイハツ・ハイゼットのケータリングも来てました。

こちらも少し新しい年式のハイゼットですね。

相変わらず動物の生体も売られておりまして、暑い中小さなワンちゃんがケージの中に・・・複雑な思いであります。

スワップミートを覗いてみますとショーケースの中に青い素敵なミニカーを発見、あわてて写真を撮ったらこのようにブレてしまいました、すみませんです。

こちらの青いミニカーは本物のビンテージモデルになりまして、1960年代に製作された英国はCorgi Toys製のLotus Mk.Elevenなのです、実車が現役だったころに作られた当時物です。

キズや汚れもあってドライバーのフィギュアも欠品しているのですが、よくぞこの灼熱の地、タイに50年以上残っていたものだと感動してしまい思わず買ってしまいました。たったの200バーツ(700円くらい)でしたので・・・・

Wildmanお気に入りミニカーの一台でありまして、家に帰れば御覧の通り沢山生息してました。初期は薄いグリーン、シルバー、レッドの3色で品番が151でしたが、後期になって鮮やかなブルーにストライプのゼッケン
デカールとなりドライバーが追加されて品番151Aとなりました(どうでもいい知識!?)奥にあるレッドが激レアのカラーでして、20年以上探しました。ちなみに薄いグリーンのヤツが最初に手に入れた物で、ついこの前の1978年に元町サンセットにて捕獲しております。

さらにレアなのがこちらのレーシングカー・ギフトセットで、3台セットの内、一台がLotus Elevenとなっています。

最後はミニカー話で今回のタイ出張Reportは終了となりますが、「ミニカーコレクション、第3位」は次回の発表とさせて頂きますので、宜しくお願いします。

2019? 03? 14? by satoh

採算は取れたのか? SCNもインドネシアも天気予報は大外れ!

ついに33回目の開催となりましたMQQNEYES Street Car Nationalsでしたが、週間天気予報は見事に外れてくれまして、当日はちょっと晴れ間が覗く曇り空の中、無事に開催出来ました。

1200台を超えるエントリーの方々、145件ものSwap Meetの方々、そして11,000人の来場者の方々、皆様有難うございました!!



思い起せば大井競馬場で開催された1回目のSCNにエントリーしてから33年の月日が経ってしまったとは驚きです。あの時はまだ昭和だったのですね・・・・

昭和に始まり平成を駆け抜け、そして東京オリンピックの開催となって、34回目は未だ開催未定のSCN、この先も続けられるよう頑張りますので、宜しくお願い致します。

そして2週間前はですね、インドネシアで開催されました”BBQ Ride”というイベントに出撃致しました。これまでも他のMQQNEYESスタッフは参加していたのですが、私は今回が初参加となりました。



インドネシアのBandungという街での開催となったのですが、空港に着けばやっぱり雨・・・最近は晴れ男のイメージ先行のWildmanで有りましたが、初めて行くところはナゼか必ず雨が降っているような気が致します。



今回の会場付近は標高が高いところにあるため、これまで経験した強烈な蒸し暑さのインドネシアとは違った感じの場所で、過ごしやすかったのでした。



今回、MQQNEYES御一行を案内してくれたのはこちらのスズキのバンなのですが、日本から中古で輸出された車両なので、サンルーフ等フル装備状態でした。ETCまで付いたまなのですが、使えるはずが無いのに使っていたので何かと思ったら、ただのカード差しとして使っておりました・・・・・

相変わらず東南アジアの街中はスクーター天国ですが、ガソリンスタンドではこのようにとっても素敵なミツビシがおりました。



クルマの渋滞が酷い所でして、こちらの徒歩で進む移動レストラン?のおじさんには何度も抜かれました。歩いた方が早いのです。



こういった移動式屋台も風情がありますね、ひ弱な私は絶対に食べられませんが。初インドネシアの時、帰国後病院送りになった事を思い出してしまいます・・・

今回のイベントは2日間開催されるのですが、会場はジャングルクルーズのような密林地帯にあり、スズキのバンのエンジンを唸らせて山の中を突き進んで行くのでした。

画像では分かりにくいのですが、山の中にはこのように家の軒先でやっている小さな小さなガソリンスタンド?が沢山ありました。やっと着いた会場はキャンプ場にもなっているのですが、芝生のはずが、雨のせいで泥の中に芝生が見え隠れするといった感じでして長靴がないと遭難してしまいそうな所でした。

天気予報は2日間共に100%雨・・・・・「やっぱり私が来てはいけなかったのでしょう」と心を痛めていたのですが、結局雨は夜を中心に降ったので、日中の開催時間はあまり降らない状況が続いて、100%の降水確率というのは大げさな予報のようでした。

それにしても泥んこの中でキャンプをされている方々は凄いですね、私には絶対無理です。

MQQNEYESブース前も泥んこ状態でして、すのこというかパレットを敷いて歩けるようにしてました。というか何度も転びそうになりましたが・・・・

ステージも設けられた会場にはバイクメインのエントリー車が並びました。泥んこの上にディスプレイされたバイクたちはちょっとかわいそうでしたが・・・

こんなオリジナルなGTサンパチ@湘南爆走族桜井やCB500Fourも並んでました。

クルマは少なめでしたがアメリカ車がメインとなっておりました。と思うとヘッドライトにワイパー装着のメルセデスはボンネットに穴をあけて我が道を行くという感じが素敵でしたね。

こちらの赤いChevy C-10がMQQNEYES Pickとなりまして表彰されました。泥の中に埋まり車高はさらに低く見えるのでした。

Wildmanが心の中で勝手に決めさせて頂くBest of Showはこちらのダイハツ・デルタになります、素晴らしい!!遠くから見た時に古いトヨタ・ダイナがあると思って近づいてみると、何とOEM供給のデルタさんじゃありませんか! しかも4輪駆動なんてあったんだ、知らなかった・・・

今回こちらのBBQ Rideイベントの限定販売Tシャツのデザインをさせて頂きましたが完売となったようで嬉しい限りであります、有難うございました!!

Pinstripeのお仕事も沢山頂きましたが、現地生産のペンキを使わさせて頂いたのですが、乾きが猛烈に早くて慣れるまではちょっととまどってしまいました。特性を生かせば使いやすい面もありましたが、30年使っている1-Shot Paintの方が体に馴染んでいるようです。

相変わらず東南アジアではShige菅沼始め、MQQNEYES御一行はサインを求められる機会が大変多くなっております、ナゼかはよく分かりませんが・・・

そんな中、こちらの青いNolanのジェットヘルメットにもサインを求められたのですが、これと全く同じのをついこの前である1982年に私は被っておりましたので、あまりの懐かしさに震えてしまいました。そういえばあれどこ行っちゃったんだろ・・・・・

そして2日間に渡って開催されたBBQ Rideイベントは無事終了となり、夜は現地スタッフと日本食レストランに行きました。

お店の名前は何と「採算」SAISAN・・・・一体、採算とは何の意味があるのでしょうか?? 

絶対に採算を取るために採算にしたのかな、と思いながら入り口まで行くと今度は提灯に「彩山」と書いてあるではないですか? 横にあった社用車の看板も「彩山」となっています。しかも採算も彩山もきちんとデザインされたフォントなのでうっかり間違えたようには思えず、ナゾは深まるばかりです・・・・

外の大きな看板は「採算」入り口からは「彩山」ここは途中で店の名前が変わるのでしょうか? う〜む、これは新しいやり方だと納得し、お食事を頂きました。はたして採算は取れたのでしょうか?

帰国日は朝早くホテルを出発したのですが、ホテルの駐車場係の方は御覧のように熟睡状態・・・この街はのんびり屋さんが多いのですね。

Bandungのローカルな空港からのフライトはタラップを使っての搭乗となりまして、風情があるのでした。なかなかタラップを使う機会はありませんので素敵でした。

という事でミニカーコレクション第三位を発表しようと思っていたのですが、また話が長くなってしまいますので次回に致します、お楽しみに! (というか自分が楽しい!?)

2019? 02? 23? by satoh

ミニカーコレクション第4位、共産圏のクルマが大好き!?

この前のお休みの時にですね、ふと思いついて我が家の玄関扉の枠の部分のペンキを塗りたくなりまして、ホームセンターに直行、水性ペンキとハケを購入し寒い中、朝からペタペタと塗り始めました。

普段家では絶対にピンストライプのブラシなど握らないのですが、(私オンオフのスイッチが強力なので、家に帰るとPinstriperからただの変態になってしまうのです)ハケなら良いでしょうという事で、古い塗装を落とし、完璧なマスキングを施して塗り始めると、何だかとっても楽しくなって来ました。

素晴らしいハケ捌きで、ムラも残らずどんどん塗られて行く扉の枠、「うおおお〜完璧だ、趣味でやるなら建築塗装も楽しいぞ!」と次は横の柱も塗りまくり、まだペンキも余っているので今度は2階のベランダに行き、扉も枠も全部塗ってしまいペンキが無くなった所でハイ、おしまいとなりました。道行く近所の方々は、とっても不思議そうな目で塗装職人と化したWildmanを見ておりました、いつも不思議に思っているようですが・・・・・

まだ塗り足りないので、今度はお隣の家の玄関に侵入し勝手に塗ってしまおうかと思ってしまう今日この頃であります!!

という事で今回のお話は連載中の「44周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」第4位となります。ついに4位まで来てしまい、寂しい気分となってしまいます。せめてベスト50にすれば気持ちに余裕を持って考えられるのですが、10台というのはかなり厳しい選択となりまして、選ぶのに苦労するのです。そんなこと普通の方々にとってはどうでもいいことなのですが・・・・アブノーマルな人生は大変なのです。

この本に出合っていなければ、こんな人生は絶対に送っていなかったと常々思っている昭和の問題作、保育社のカラーブックス「世界のミニカー」を毎日熟読する小学生のWildmanは「今まで知らなかった自動車をミニカーで知る」という喜びを得まして、どんどん訳の分からない車の名前を憶えて行きました。

それまではポルシェ、フェラーリ、メルセデス・ベンツ、ジャガー、アストン・マーチン、リンカーン、キャデラック等々、いたって正統派のクルマを覚えて憧れを持っていたのですが、世界のミニカーを見てからはホールデン、パナール、ハンバー、ブリストル、ダフ、ヤライ、アドラー等々、普通では理解不能なクルマの名前が次々とインプットされ「アームストロング・シドレーが大好き! いつかはメドウス・フリスキーに乗ってみたい!」と叫ぶ、気の狂った小学生が横浜に一人誕生致しました、かたじけない・・・・

とにかく「世界のミニカー」を見て先にそのクルマの名前や形を覚えて、あとから実車の事を知るという変態極まりない車道楽が始まってしまったのです。

そんな中、世界のミニカーの39ページにセップトーイ社のガスキー(Septoy,Gasquy)というベルギーのブランドのミニカーが紹介されていました。「ベルギーだって、一体どの辺にあるんだろその国は?」と世界地図を広げるとヨーロッパのちっこい国でした。1970年代までは海外でのミニカーの生産国はイギリス、西ドイツ、フランス、イタリアといった国々が主流で、他のヨーロッパ諸国での生産はイレギュラーな感じだったのです。それにしてもそれから30数年の時を経て、ベルギーで開催されたEuropean Bug Inに行ってPinstripeデモを行う事になるとは夢にも思っていませんでした、白昼夢は良く見ますが・・・・

「ベルギー製か、しかもガスキーなんて気持ちの悪い名前のメーカーだな、ああ気持ち悪い、不気味だけど素敵だぜ!」と変態小学生はガスキー製のミニカーに興味を持ったのでした。世界のミニカーにはこのメーカーの説明文が以下のように書いてありました。

「このメーカーは一九五五年を最後に生産を中止している。当時はベルギー国内だけで販売されていたようで、現在では入手がむずかしいモデルである。代表モデルにタトラ、リムジーンがある」

「げっ、1955年に生産中止だって、しかも入手が難しいって」と不安になる小学生でした。1970年代中期のことなので、その当時でも20年前の絶版品で、現在では64年落ちのミニカーとなる訳です、ふ、古い・・・・・

代表作にタトラ・リムジーンがあると書いてあって、そのモデルは39ページの一番下に掲載されていました。

ガスキーの他のモデルはフラッシュ・サーフェスのフォードやシボレー、プリムス等いたってまともな車種を作っているのですが、ナゼか一点だけ「タトラ」なる不気味な響きのモデルがあります。

「タトラって何?? たとら、多虎、他登良・・・」と変態小学生は頭を悩ませます。しかも流線型でとってもカッコいいぞ!と今度はタトラにあこがれを持つ始末です。

ガスキーがモデル化したタトラは「タトラT600 タトラプラン」(TATRA T600 Tatraplan)なるクルマでした。今は解体された社会主義国家チェコスロバキアのクルマで、戦前より流線形の変態的なデザインのモデルを色々作っておりました。

だってこれら戦前のタトラのデザインなんてKustomの世界にしか思えず、完全にHirohata Mercuryもぶっ飛ぶ仕上がり具合だと思います、ハイ。

ガスキーがミニカー化した「タトラT600タトラプラン」は戦後のモデルで、1948年から本格的な生産が開始されたリアエンジンの空冷フラット4で2リッターの排気量を持つモノコックボディの6人乗り乗用車でした。流線形デザインの空気抵抗係数(cd値)は何と0,32というものでした、素晴らしい! 実車には世界一気温が高い博物館と思われるマレーシアのミュージアムで遭遇して大変感激し、日本には帰らず住み込みでそこの管理人になりたいと思ったくらいでした・・・・

で、ガスキーのタトラなのですがやはり難物でありまして、小学生や中学生のマニアにはとても手に負える代物ではありませんでした。ていうか、当時このミニカーを日本で持っているのはおそらく数名しかいないと思われ、トップクラスのウルトラ変態コレクターの手元にあるだけでした。インターネットもオークションもEMSも無い時代ですから・・・・

結局、夢のガスキー、タトラを入手したのは1980年代後半の大人になってからでした。昭和の大コレクターA氏のコレクションを譲り受けた物で、A氏も当時ヨーロッパとの海外交流で入手したそうですが、サラリーマン時代だったので先方からの請求額にはビックリしたそうです。私には儲け無しでそのビックリした金額で譲って頂きました、あ〜ビックリ!?

このようにガスキーの流線形タトラは素晴らしい出来栄えでありまして、どこからどう見ても「ミニカー芸術」に値する物なのです。

勢い余ってその後ももう一台入手しましたが、これでいつでも後ろから前から(@畑中葉子)美しい流線形タトラの姿を見らるのでした、素晴らしい!!

オマケで何点か不気味な芸術タトラのミニカーを紹介致します。

こちらはチェコスロバキアのIGRAというブランドの当時物T600で小さなベークライト製モデルになります。黒光りする異様な風情はゲンゴロウにしか見えませんが、怪しさを通り越して、芸術の域に達しているのですな。

巨大なT600は同じくチェコ製ですが、ミニカーというよりも置物や模型的な物で、ベークライトの塊ながら完璧なプロポーションを持っております。

こちらのティンプレートの2台は共に60年以上前のドイツ製と思われますが、テールに背びれを持っているので、明らかにタトラだと思われます、いやタトラに違いありません!!

そして極め付きのタトラと言えばこれ、フランスはSolido(ソリド)社製のモデルになります。もうミニカーの枠を飛び越えて現代美術に認定しても良いくらいの出来栄えになります。テールの背びれがたまらないのです!

Hot Rod by Boydsもチップ・フーズも逃げ出すくらいのプロポーションであります。金型師はきっとタトラの写真や設計図を見ずに自分の頭の中だけでタトラを考えたのだと思われます。1940年代後半から50年代に掛けて作られたとても古いミニカーなのでした。

こちらはT600の後に生産されたリア空冷V8エンジン、三つ目のタトラ603のモデルでゲンゴロウさんと同じくチェコのIGRA製になります。変態度が増していますね。

IGRAはもう少し大きな1/43スケールの603も作りましたが、黒いのが初期のベークライト製で、赤が後期のプラスチック製となります。黒いのは質感も全然違うので、より一層不気味なのでした。プラの方は他の色も持ってますが、かなり長い間販売されていたようです。

そして最後はチェコ製のItesの603です。1/24位の大きさなので、かなりの迫力となっています。プラボディーに塗装が施され、フリクション駆動となっていて、三つ目のヘッドライトがにらみをきかせてますね。ドアーの上部の点々ストライプは現地のタクシー仕様です、マニアです。

他にもこんなでっかいタトラが何点かあるのですが、ケースから出すのが大変なので、また今度紹介致します。

そして皆様にお知らせです、本日よりMQQNEYES オンラインショップ限定販売のCalifornia Dreamin’ZIP HQQDIEパーカーが発売となります。MQQNEYESのVW 5台のイラストを組み合わせたFLQQWER Power(Flower Power)のデザイン描き下ろしで、ベースも各色有りますので、お好みのカラーをチョイスして下さいませ。オーダー受付は3月11日(月)までとなっております。Go! Go! MQQN

2019? 02? 2? by satoh

ミニカーコレクション第5位、体を張ってメッサーシュミット!?

横浜はですね、クリスマスくらいから殆どまともな雨が降っておらず、乾燥した毎日が続いているのですが、このまま一気に春になって欲しいですね。とにかくPinstripeの作業は寒さが大敵?なので、早いとこ、春ラ!ラ!ラ!(@石野真子1980)と行きたいものですね!

春と言えばMQQNEYESからも新製品が沢山リリースされます。すでにデザインが完成したものもありまして、こちらのTシャツ、”Heart of Yokohama” Cruisin’本牧は横浜Bay Areaの夜景をバックに昨年のYokohama Hot Rod Custom ShowでデビューしましたBuick Le Sabre ”MQQNBLESSING”がCruiseするデザインとなっております。もちろん版下は手描きで仕上げてあります、もうすぐ発売となりますので宜しくお願い致します。

という事で今回のお話は連載中の「44周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」第5位となります。もう5位まで来てしまったかという感じでありまして、やっぱりベスト10だけを選ぶというのは難し過ぎますので、一生掛けてベスト1000にしたい気分であります!

BREサムライ、ビュイック・セダネット、トヨタスポーツ800、ロータス・エラン、トヨペット・クラウンDXと来まして第5位はメッサ—シュミットとなります。何だか国産車と外車が交互になっていますが、全くの偶然でありまして意図したものではございません、ハイ。

メッサーシュミットと言えば戦闘機ですが、ドイツは日本と同じく第二次世界大戦において敗戦国でしたので、軍需産業とみなされる航空機の開発はNGとなってしまいました。戦後復興期の庶民の足としてマイクロカー(バブルカー)と呼ばれる小さな自動車が色々開発されましたが、メッサーシュミットも飛行機テイストを満載した小さな三輪車を開発しました。

1952年にこちらメッサーシュミットKR175という2サイクル175ccエンジン搭載のモデルを発売しました。前2輪、後ろ1輪で透明プラスチック製のキャノピーを持ち、縦2人乗りというのは、まさに戦闘機のそれですよね、カッコいい!!

バイクやスクーターと違って雨がしのげるというのは、当時かなり大きなアドバンテージだったと思います。まさにキャビン・スクーターという名前がピッタリですね。

KR175はリバース機構を持たなかったので、自分では後退出来ないというお茶目さんでしたが、車重が軽かったのでドライバーがよっこらしょと持ち上げて向きを変えられたという変態的なクルマでもあります・・・・

1955年にはパワーアップされた200ccエンジンを持つKR200となりました。芙蓉貿易や東急商事によりかなりの台数が日本にも輸入されたのでメッサ—と言えばこのモデルが頭に浮かんで来ますね。こちらはエンジンの逆回転機構が付いたので、エンジンを逆転させてバックするというさらに変態的なクルマとなっていて、そのままシフトアップすればバックしながら加速も出来るという夢のような世界が広がったのです、恐ろしい・・・・・

スーパーカーブーム華やかしき頃、横浜はシーサイドモーター近くの反町でトヨタ2000GTとメッサーシュミットKR200をお持ちの方がいらっしゃいまして、そこで朱色のメッサ—を目撃したのがメッサ—初体験となりました。

もちろんメッサ—は実車よりもミニカーの世界で先に知っておりました。私の人生を変えてしまった問題作、JMAC会長 中島登著「世界のミニカー」にメッサ—のミニカーが載っていたのです。

こ、こんなミニカーがあったなんて! 何て素晴らしいんだ、欲しくて死にそうだ! と叫ぶ小学生はその後の人生がどう狂うのかなんて全く考えておりませんでした・・・・

調べてみるとこのミニカーはフランスのキラル(Quiralu)というブランドの製品で、もちろんメッサ—現役時の1950年代後半に作られた「当時物モデル」でした。変態小学生が「欲しい!」と叫んでいた1970年代中期でも、すでに20年近く前の絶版ミニカーという事なので、当然簡単に手に入るはずもありません。

しかも世界のミニカーの説明文章には「このメーカーのモデルは一九六〇年を再後に生産が中止された。販売期間も短期に終わったため、現在では貴重なものになっている。中でもメッサーシュミットKR二〇〇、ジャガーXK一四〇などはミニカーとしては非常に珍しいため、特に人気がある」と書かれているではありませんか。「うおおおお〜これは参った、どうすりゃいいんだ!」と再び叫びますが、どうもこうもありませんでした・・・・

1960年に生産が中止とありますが、それは我が大洋ホエールズ初優勝の年、1975年当時、小学5年生の私にはついこの前ではなく、遥か遠い遠い昔に感じられました。

当然日本には未輸入のミニカーだったため流通せず、超ハイレベルなミニカーコレクターさん達しかお持ちで有りませんでした。海外のコレクターやブローカーさんたちと交流して手に入れるという大人の世界がやっと見え始めたのです。

「あ〜あ、キラルのメッサーなんて一生手に入らないや、もう諦めようかな」と数年が経過したついこの前の1979年、来年には高校受験を控えているというにもかかわらず、横浜元町のマニアのおもちゃ箱「サンセット」に自転車で定期的に通う変態中学生の目の前にキラルのメッサーシュミットがついに現れたのでした。当時サンセットさんには独自のルートでヨーロッパから非常に珍しいミニカー達が定期的に送られて来ていて、マニアを楽しまさせておりました。私は楽しくなり過ぎておかしくなってしまいましたが・・・・

新店舗となったサンセットさんのショーケースの中で輝くキラルのメッサーシュミットKR200、もう完全にノックアウトでした。当然とっても高額なプライスが掲げられていたのですが、親戚全員が横浜在住というお年玉チャンピオンの少年Wildmanにとっては何とか手の届く範囲にあり、これを逃したらショックで高校受験に失敗するかもしれないという意味不明の考えも頭をよぎり、世捨て人の第一歩として購入に踏み切ったのでした。

嬉しくて嬉しくて、暫くの間は寝る前にメッサーを見続けてから就寝するという変質者となっておりました・・・・

キラルのメッサーはドライバーまで乗っていて、プロポーションも完璧で、素朴な作りはまさに1950年代のミニカー芸術でありました。箱絵も素晴らしいのです!!

その後サンセットさんにはキラルのメッサーが何台も入荷し、この冊子広告にもメッサーが3台並んでいて度肝を抜かれました・・・

いつか自分もこのように3台並べたいな!と思い夢がかなったのは21世紀になってからでした・・・気が長いのです。1990年代にキラルの金型が発見され復刻版がリリースされましたが、あれはどうでもいいのです。だってドライバーが乗っていませんでしたから。申し訳ありませんが、復刻版否定派のWildmanは受け付けません。

という事でキラルのメッサーのお話は終わりなのですが、オマケで他の当時物メッサーのモデルたちを紹介致します。実車が有名な割には当時あまりモデル化されず、ダイキャスト製ミニカーはキラルだけなのでした。

こちらは西ドイツのSiku製のメッサーになります。現代ではドイツ語読みで「ジク」と呼ばれていますが昭和の時代は「シク」と呼んでいたので、昭和のコレクターWildmanはシクと言ってます。

1950年代から60年代にかけて作られたプラスチック製のとっても小さなシリーズなのですが、出来はとっても良くてキャノピーもちゃんと再現されています。

どれくらい小さいかと言いますと、トミカと並べてみたのでそのサイズ感が分かると思います。

ファーストモデルとセカンドモデルの2種が作られておりまして、左の茶色がファースト、右のブルーのがセカンドとなります。ヘッドライト周りとテール部の造型がかなり違って作られていますね。

Sikuはジオラマ用のパーツも沢山作っていてこのように並べて遊ぶことが出来るのです、アイスクリーム屋さんが素晴らしい!

こちらはKR175のモデルですが、何とデンマーク製の珍品でPILOTというブランドになります。プラスチック製なのですがプロポーションは最高で、内装も付きバーハンドルまで再現されているのです。一度きりしか入手のチャンスが無く、以降日本では一度も同じモデルにお目に掛かっておりません。

このアイボリーのKR175はイギリス製なのですが、ブランド名がどこにも記載されていないナゾのモデルです。プラスチック製でゼンマイ駆動という1950〜60年代のスタイルです。箱の絵が秀逸ですね。

そしてこちらがティンプレート(ブリキ)製のKR200であります。Made in Japanの世界的評価の高いバンダイ製モデルですね。2009年2月7日のWildman’s Blog「体を張ってメッサーシュミット!!」で入手の経緯をお伝えしておりますので、もう一度読み返してくださいませ。

素晴らしい出来栄えで、内装のバーハンドルやシートのプリント、キャノピー開閉と見どころ満載のモデルです。

お次は当時物プラモデルの紹介となります。こちらはSHIZUKYO(静岡教材社)のKR200です。キャノピーではなくロードスターをモデル化していました。出来はというと当時の国産プラモ標準形でして、メッサーというよりも和式の便器に見えます・・・・

メッサーシュミットは最終的に4輪バージョンも作られまして、500ccの強力エンジンを搭載し、Top Speedは140km/hというスポーツカー並みのモデルとなり”TIGER”(ドイツ語でティーゲル)と呼ばれました。当時日本にも2台入ったそうです。ドイツでは何とアウトバーンのポリスカーとしても使われたとの事です、凄いですね。

そんなTIGERもプラモ化されておりまして、初期のアオシマが作っていました。「走るプラスチック ポートカー シリーズ」という不思議なネーミングが与えられております・・・

かなり横幅が広く表現されていて、伏せをした犬にしか見えないのです。完全に乾燥してしまったセメダインの隣にはデカールがありますが、旧書体の靜ナンバーが泣かせますね。

そしてお次はホームラン模型のTIGERになります。ホームラン模型って・・・という感じですがまさに昭和のネーミングセンスですよね、ホームラン最強!!

8の字走行が出来るそうですが、モデル自体の出来は「これから飛ぼうとしているアオガエル」といった風情であります・・・・

そして最後は当時物ではなく3年前にしか感じられないついこの前の1980年代に日本で作られたホワイトメタル製の「カワグチモデル」になります。サンセットさんでも扱っておりましたが、当時物では無かったので全く無視して買いませんでしたが、後年資料的な意味も含めて入手致しました。

物凄い重量で、足に落としたら確実に大怪我すること必至です! 3輪のKR200と四輪のTIGER 500をモデル化していますが、中々のプロポーションです。作りは雑なのでプライベートモデルの域を出ませんが・・・・

両方ともロードスターなのでフィギュアをのせて良い雰囲気なのですが、このポーズどっかで見たことあると思ったら、昔イギリス製のブリテンというブランドが出していた、ランブレッタ・スクーターのフィギュアの縮小コピーでありました。中々いいセンスのパクリ(コピー)ですな。

メッサーシュミットの実車はヨタハチに続いて欲しいクルマなので、いつか体を張って手に入れたいですね、もちろん足元はMQQN Discsで!!!