Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

2020? 07? 11? by satoh

ミニカーコレクション45年、ついに終わりは見えて来たのか?

いよいよプロ野球が始まって、カードが一回りしまして今年も何とか楽しむ事が出来そうですね。観客も少しずつ入れ始めるそうですが、チケットの入手はかなり困難になりそうなので、横浜スタジアムでの観戦はかなりハードルが高そうな感じです。

我がDeNAベイスターズは可もなく不可もないスタートを切っていますが、今年はスケジュールの関係で試合数も少なくセ・リーグはクライマックスシリーズがありませんので、1位フィニッシュで即優勝と昔のような感じのシーズンとなります。

なので秋まで上位に食らい付いて行けば、そこで何となく調子が良いチームがうっちゃりで優勝!なんてことにもなりそうなので、どのチームにもチャンスがありそうですね。

ベイスターズ的には筒香選手がメジャーに行ってしまいましたが、全体の戦力的にはここ数年で見ればかなり選手が揃っていますので、もしかしたら?という淡い期待を抱いております。と言うか今年ダメでしたら、ベイスターズ&ホエールズ・ルールにのっとって、本当に38年待たなくてはいけないことにもなりそうなので怖いのです(1960年優勝→1998年優勝)

あれから38年(前回優勝は1998年)ということは次は2036年まで待たなければならないというのは、かなり大変な事ですよね・・・・最高だぜ、横浜DeNAベイスターズ!!

と言いましても38年なんてついこの前の出来事なのですが、私がミニカーを「コレクション」として初めてからついに45年の歳月が経ってしまいました(ついこの前の1975年変態活動開始!)

何度も話しておりますが少年Wildmanがこの悪魔の書籍、保育社のカラーブックス「世界のミニカー」中島登著を手にしたあの日から人生が完全に狂ってしまい、「うおおおお~、これは芸術だ!この本に載ってるミニカー全部欲しいぞ!」と叫んで以来、修正不可能のおかしな人生となってしまいました。

「当時物ミニカー」に芸術性を感じてしまい「ミニカーの生産時期は実車が製造されていた時期とシンクロしていなければならない」と言う理論を勝手に確立させ、1964年式のクルマのミニカーは同じく1964年に造られていなければ認められないと言い切って45年が経ちました。これを「ミニカー芸術」と申します。アホな小学生もいた物です・・・・

よって2020年に造られた精巧な1964年式Mustangのモデルなんてミニカーではなくただの「模型」でありまして残念ながら「ミニカー芸術」には含まれないのであります、申し訳ありません。

こんな事言ってるとまともな方には相手にされないのは承知しておりますが、もう考えを改めることは出来そうにありません、かたじけない。

それでですね名著「世界のミニカー」をバイブルにずっとコレクションを続けて来たのですが、当然全部集めるなんて不可能に近く、この本に載っていないミニカー芸術も多々ありまして、この20年は自分の欲しい物に絞って集めて来ました(たいして欲しくない物も手に入れてしまいましたが・・・・・反省)

流石にアホみたいに45年もやっていますと、欲しかったものはだいぶ手元にやって来まして、自己満足もピークに達しつつありましたが、あと何台かが手元に無くて探し続けております。

「これ持ってないと死んじゃうぞ、欲し過ぎる!」といくらほざいても見つからない物は何十年も見つからないのですが、タイミングが合うと立て続けに出て来たりして不思議な縁があるのです、ミニカー芸術は。

「あと死ぬまでに欲しいミニカー芸術は20台くらいかな、いや10台かもしれんぞ?」なんてここ数年自分に言い聞かせて来ましたが、冷静に考えると本当にそんな数になって来たような気が致します(だと良いのですが・・・・)

で、この2年位の間にずっと探していた芸術品がどういう訳か立て続けに手元にやって来ました。これら5台は「どうしても欲しいラスト20台、いや10台」の中に入っておりまして、本当に奇跡が起こったと思っております。ベイスターズが今年ホントに優勝するかも知れません・・・・

名著「世界のミニカー」50ページにイタリアはMERCURY社(マーキュリー)のモデルが紹介されています。モノクロ画像の怪しげなモデルばかりですが、MERCURYという会社はついこの前の1932年に創立された実車の部品製造会社でしたが、第二次世界大戦後に副業でミニカーの製造を始めました。1940年代中期のことでした。

この中で品番1番のAero(エアロ)というモデルに大変な芸術性を感じ少年Wildmanはその虜になってしまいました。エアロは当時の流線形のクルマをモチーフとしたミニカー芸術で実車の特定は出来ませんが、美しい流れるようなボディラインにエアロダイナミクスを感じ、自分も空気と一緒に流れて行ってしまいそうなのです(世界のミニカーでは残念ながらNo,1 AeroとNo,2 Farina の画像が入れ替わってしまっています、校正ミスです)

このモデルはついこの前である1945年から5年間くらいの間に渡って造られていましたが、当然当時日本に入って来るはずもなく、変態小学生が1975年に手に入れられるはずもございませんでした。

そして同じくMERCURY社のNo,5 Lincoln Continental Cabriolet(リンカーン・コンティネンタル・カブリオレ)であります。迫力のアメリカ車オープンモデルでございますが、この当時のミニカーとしてはシートやステアリングが付いていることが珍しく(ナゼか右ハンドル)しかも窓枠まで別パーツで表現されているところが芸術点高めなのであります。アメリカ車らしく他のマーキュリー社のモデルと比較しても一回り大きい造りとなっています。今まで窓枠が折れていたり、事故車のような傷だらけのローラとは何度か遭遇して来ましたが、45年待った甲斐があって美しい個体がやって来ました。

そしてお次はベルギーのGASQUY社(ガスキー)という珍ブランドの珍ミニカーになります。もともとガスキー社の前身は電話機のスペアパーツ製造会社だったのですが、こちらも大戦後の1947年に玩具の製造を始めて1950年代初頭まで数年間だけミニカーも製造していました。

生産期間が短かったのと、あまり輸出もされていなかったようなので、コレクター泣かせのブランドとなっております。ガスキーは以前紹介したTATRA(タトラ)のように他のブランドが手掛けなかった車種を造っていた所が素晴らしいのであります。

こちらはChevrolet Styleline(シボレー・スタイルライン)になります。まさに40年代のアメリカ車デザインでありまして、当時この年代のシボレーは他のミニカーブランドではナゼか造られていないので、そういった意味でもガスキーは貴重な存在となっています。もっこりとしたフェンダーを見ているとやっぱり実車よりカッコ良く見えて来ますよね。

そして同じくGASQUYのアメリカ車Studebaker Commander(スチュードベーカー・コマンダー)になります。2013年2月2日のブログでもスチュードベーカーの事はレイモンド・ローウィと共に紹介していますが、

このガスキーも当時”Coming or Going”と「来るのか行くのかどっちなの?」言われた180度パノラマビューのガラス面を持つ、どっちが前か後ろか分からないスチュードの形を見事に再現している芸術品なのです、ああ美しいな・・・・

ガスキーのシボレーもスチュードベーカーも戦後短期間だけベルギーでひっそりと作られていました、君たちはかないなぁ・・・

最後はもしかしたらこれが「世界のミニカー」で一番欲しかったモデルなのかもしれません、きっとそうなのです!! つまりコレが手に入ったらもうコレクションをやめてしまっても良いのかもしれないと思っていたのはコレなのです(のはずなのです)

69ページにカラーでSIKU社(ジク)のモデルが紹介されています。ドイツのジクは現在もダイキャスト・ミニカーを製造する大手玩具メーカーですが旧西ドイツ時代には1950~60年代初頭にかけてプラスチック製の小スケールモデルを製造していました。当時これらは殆ど日本には入って来なかったので、とても入手が難しかったのです。

その中でも少年Wildmanの目に留まったのはページ左上にあるブルーのトラックでした。「こ、こりゃ何だ?? バナナが見えるんですけど」と不思議なモデルに目が釘付けです。ジクの品番V102はBorgwart Verkaufswagenといいまして、何と八百屋さんの販売トラックだったのです!

「や、八百屋さんのトラックって? そんなのミニカーになるんですか??」とびっくりし、吊るされたバナナにビックリ、荷台に佇む八百屋のおじさんと野菜の計量器でさらにビックリ致しました。12センチ程のモデルなのですがその中にビックリ要素が凝縮されていました。キャベツみたいなトマトみたいな野菜や、バナナ、それを入れる包み紙、さらに野菜計量器や押し売りをしそうな八百屋のおじさん等が小さなモデルの中で芸術的に表現されていたのです、素晴らしい!!

まあ、これが見つからない、見つからない・・・たまに出会ってもバナナが売り切れていたり、おじさんが行方不明になっていたりで、まともな個体には全く巡り合えませんでした。

あれから45年、2020年になってやっとウチにも野菜を売りに来てくれたようで、一安心しております。小学生の頃からの夢がかなってマジで本当に嬉しいのであります!!

という事で「ミニカーコレクションはもうやめた!!」と言いたいところなのですが、あと数台欲しいミニカー芸術がございますので、せめて2036年くらいまでにはそれらを入手したいと考えておりますので、暫くお待ちくださいませ。

そして本日よりMQQNEYESオフィシャルオンラインショップ限定販売でWildmanがPinstripeを施したCQQLER BOXが発売となります。Moon EquippedとRat Fink のデザインで限定各5個となっておりますので、お早目のご注文をお待ちしております。Go! with MQQN

2020? 06? 20? by satoh

MQQNEYES Int’I magazine発売、変態極まる!!

皆様お待たせ致しました、ムーンアイズ インターナショナルマガジン Vol.22が発売となりました!! 今回もですね満載の記事ページと、総合カタログを兼ねていまして、MQQNEYES Fanの皆様と変態の皆様が共に楽しめる一冊となっております。

ムーンアイズ インターナショナルマガジンのご購入はこちら!!

巻頭特集のSHIGE SUGANUMA ”Seventy Seven California”は本牧横浜のMQQNEYESに繋がるルーツとなる「Shige Suganumaの1977年の旅」を当時アメリカで撮影した貴重な写真と共にフィーチャリングしております。街中やDrag Stripに佇む「当時のアメリカ車」の写真なんて中々見れないのです。

ちなみに中学一年生となった「Wildman石井の1977年」はKISSの初来日と、熱狂のスーパーカーブーム、暴走するミニカーコレクションで大変忙しかったことを記憶しております。これら全ては未だに継続しているという事に我ながら感心している今日この頃であります、バカは死んでも直りません・・・・・”Seventy Seven Okamura”

1977年、アメリカでのカッコいい生活、かたや横浜でひっそりと変態活動に勤しむ少年、この二人が出会うのは9年後の1986年5月ムーンアイズ元町店オープンの日、21歳のWildmanがお店まで粗品を頂きに行った時まで待たなくてはなりません。全くついこの前の出来事なのですが・・・・

そしてMQQN Cafe特集ページでは”DRAG RACING PLATE MENU”と題してIGNITE Magazine編集長のMr,石橋がMQQN CafeのプレートメニューをDrag RacingのRace Carに見立てて紹介するという変態的な食レポとなっております。Steak PlateはTop FuelでTeriyaki PlateはFunny Carだそうです・・・・

こうなって来るとどう見てもグリーンのナイキ・ミエカはPlymouth Dusterですし、真紅のナイキ・モントレーなんかPontiac GTO The Judgeにしか見えませんよね、ズックもクルマも70年代は美しい!! すみません変態の独り言であります・・・・

Mr,石橋はレポートするにあたり、これらプレートメニューを全て食しておりました、Food Fighterとなった本気のレポートであります!!

そして皆様お楽しみのWildmanページは本来なら4月にStreet Car Nationalsで沢山のクルマ、そしてカーガイたちがお台場に集う予定でしたが「ステイ・ホームーン」となりまして延期となってしまいました。

それならミニカーでStreet Car Nationalsをやってしまいましょうという事になりまして、実車より芸術的なミニカーを机上に集めて「ストリート変態ミニカーナショナルズ」を開催させて頂きました。カーガイならぬキチガイの集いは最高潮なのであります!!もちろん各アワードも発表させて頂いております。

現代の精密模型と化してしまったミニカーではなく、全て実車が生産されていた同じ時代に作られた「当時物ミニカー芸術」という事をお忘れなく見て楽しんで下さいませ。

そしてもう一つのお知らせはMQQNEYES通販限定Tシャツが発売となります、お題は”Cruisin’ Bay Area横浜”で今回の為に描き下ろしとなりました。

このデザインはですね、横浜ベイエリアにSummerがやって来ましたので、ベイエリアを疾走するMQQN Buggyをモチーフとしまして70’sのタッチとし、横浜の文字を漢字で描きました。もちろん全てフリーハンドで仕上げてあります!!
カラーも7色揃えておりますので、お好みの色をチョイスして下さいませ。

ご予約はこちら!!

Go! with MQQN

2020? 05? 30? by satoh

間違えだらけの雑誌探し、Bye Bye PORSCHEが見つかった!!

皆様、Stay-At-Homeはいかがお過ごしでしょうか?私は元々お家にいるのが大好きなので、皆様が何で自粛で外に行けず苦しんでいるのかさっぱりわかりませんです、はい!

家にいればミニカーも磨けるし、スニーカーも履かずに眺められるし、50年前の雑誌も読み放題だし、イヌやネコにも遊んでもらえるし、KISSも思う存分聴けるし全く問題ありません。変態はこういう非常事態の時はとても生きやすい生き物という事で納得しております。

という事で長らく探していたある雑誌がやっと見つかったので報告させて頂きます。ついこの前である昭和51年の真冬に小学5年生だった少年Wildmanはあるクルマ雑誌をお買い上げになりました。

何でお買い上げになられたかと言いますと、一台の衝撃的なクルマが紹介されていたのです。スーパーカーブームが始まろうとしているこの頃(ピークまではもう少し時間が掛かります)BMW2002ターボやポルシェ930ターボが日本に上陸し、漫画「サーキットの狼」でもこれらのクルマが大活躍し子供たちは未知のメカニズム「ターボチャージャー」に興味と強いあこがれを持っていました、しかも「ターボ」という語呂が何となく高性能をイメージさせたのです。

「ターボってなんか凄いらしいぞ、かたつむりみたいな形してて、それがグルングルン回ってガソリンを沢山エンジンに送り込むらしいぞ、だから速いんだ!」と訳の分からない会話をし、ターボエンジンはとにかく凄いというのがクルマ好き少年たちの小さな頭にインプットされていました。

国産車にもボルトオンのターボキットを組み込んだ車が現れて、ゼロヨンなんかでも活躍し始めるのでした。日産のL型、トヨタの2TGや18RGに組み込んでドッカンターボが炸裂していました。市販の国産車メーカー純正のターボ車が出るのはまだ先のことでした。

そんなご時世の中、ある雑誌を開くととんでもないクルマが紹介されていたのです。当時はフォルクスワーゲンType-I(ビートル)は全然現役だった時代でして、そこらへんを走り回っていた外国製乗用車のイメージしかなく、やっと日本でもCal Lookのシーンが始まり出した頃でした。

唐突に現れたそのクルマは「ターボチャージドVW」でして、私にとってただのノロマな乗用車のイメージでしかなかったビートルにターボキットを組み込んでチューニングしたという化け物(に見えた)でした。

「す、すげえコレ、ワーゲンにターボだってさ!きっと無茶苦茶速いんだぞ!」と勝手に興奮しておりました。しかもですねリアフードには手描きのレタリングで”Bye Bye PORSCHE”なんて描かれているじゃありませんか。

「うおおおお~、売買じゃなくってバイバイ・ポルシェだって、ポルシェに手を振ってバイバイする、つまりポルシェより速いんだぞきっと!!」と少年は純粋な心で本当にそう信じておりました。この瞬間、将来カウンタックを買ったら、後ろにバイバイ・フェラーリと描こうと決めたのでした。

しかも横浜ナンバーだったので「これはきっと横浜のどこかで遭遇するかもしれないぞ、その時はオリンパス・ペンで激写だ!!」と意気込みましたが、結局一度もこのクルマに遭遇することはございませんでした・・・・

「ワーゲンがポルシェをぶっちぎるのか、それは素晴らしいぞ、バイバイ・ポルシェは素敵過ぎる、早くミニカーになればいいのに!」とその頃は本気で思っておりました。

何て妄想にふけっておりますと、時は流れてバイバイ・ポルシェのことはうっすらと頭の片隅に残っておりましたが、その後免許を取ってからワーゲンとは全く関係のないクルマ人生を歩んでしまい、バイバイ・真っ当なな人生となってしまいました・・・・

「あのバイバイ・ポルシェの記事が又読みたいな」と数年前よりずっと思っていたのですが、ついこの前の1978年に実家を建て替えた際、おそらくその時に間違えてその本を捨ててしまったようなのでした、同時期に買った本は未だ沢山手元にあるのに・・・・残念!!

まあいいや古本で探そうと思ってみましたが「あれって、モーターマガジンでしたっけ、あの本は?」と勝手な思い込みが不幸を呼んでしまい、片っ端から70年代のモーターマガジンを探したのですが、あの記事なんてどこにも載ってないではありませんか!!

「トンネルの中を走っている後ろ向きのVWの写真を鮮明に覚えているんですけど、表紙が全く思い出せん!」とどんどん混乱して行きます。

「おかしいな、確かあれはモーターマガジンだったはずなのに、あの本を買った翌日に友達と横浜市営バス78系統に乗って国鉄根岸駅まで行き、そこから歩いて本牧市民公園に遊びに行ったことまで覚えているのになぜだろう・・・」と本が全く見つからない状況になってしまいました。

「あ~、読みたい、あの本がもう一度読みたいぞ!」とムキになってネットで検索すると何とビックリ、バイバイ・ポルシェのオーナー様のブログを発見!!そこには当時の掲載雑誌は「ドライバー」と紹介されていました。

「な、何だ、あれはモーターマガジンじゃなかったのね」と完全な記憶違いなのでありました、とっても間抜けなのでした・・・・しかも何月号とは書いておりませんでしたので、一体どれに記事が載っているのやら。

そして必死にドライバー誌を探すとやっと記事が見つかりました。ついこの前の昭和51年2月5日号なのでありました、疲れました反省です・・・・

表紙は素晴らしいイラストの真っ赤なロールス・ワーゲン、パラパラとめくるとカラー4ページ、モノクロ2ページでバイバイ・ポルシェが紹介されていました。40年以上前に読んだ本をもう一度見たい為にかなりの時間が掛かってしまいましたが、大変満足であります。

ベースは何と’56年式のオーバル・ウィンドウで(と言っても1976年当時ですとたったの20年落ちなのでした)赤と黒のツートンカラーのボディはフロントにスポイラーとシビエのデッカイフォグランプを装着し、リアはフェンダーがカットされ、のたうち回るターボの配管が見えて少年Wildmanには夢のウルトラ超高性能マシンに見えたのでした。

しかもこのクルマは未だオーナー様の元で現存するとの事で大変感激しております。当時学生のオーナー様が自力で作ったターボチャージドVW、70年代にこれをやってのけたのは素晴らし過ぎます!!

「やっとこの本が見つかって大感激だ!この幸せを他の方々にもお伝えしなければ」と問題のドライバー誌を抱えてシゲ菅沼の元へ・・・

「どうです、素晴らしいでしょうバイバイ・ポルシェ、この時代にこんなことをやられているのは変態、じゃなくって大変な事ですよね!」とドライバー誌を見せて意見を求めました。

するとファイルされた古い雑誌切り抜きを差し出されました。そこにはバイバイ・ポルシェの姿と、何とVW Type IIのOwnerとして紹介される70年代のシゲ菅沼の姿が!!

「67年式バンの室内。たたみにして20畳くらいのじゅうたんを使用している。シートはサンダーバードの物。改造費約60万円。オーナーは菅沼クン」と解説が載っております。

「たたみ20畳のじゅうたん・・・・何て奥の深いカスタムなんだ、きっと不良だったに違いない!」と感動しました。私が小学生の頃にこのような事をされていたとは反則であります。バイバイ・ポルシェ同様、当時横浜でこのType IIに遭遇することはございませんでしたが・・・・

こちらは昭和50年11月5日号のドライバー誌の切り抜きで、伝説のスキャット・ジムカーナ大会第一回の記事でして、優勝したバイバイ・ポルシェの姿とカスタムされたシゲ菅沼のType IIが載っていたのでした。う~む45年の時を超えて何という偶然なのでしょう・・・・

オリンパス・ペンはもうないですが、いつかデジカメでバイバイ・ポルシェを激写してみたい今日この頃であります、バイバイ・変態人生!!

2020? 02? 29? by satoh

A&Wはポテトが美味い、 KISSロスと沖縄出張!!

横浜は全く雪の降らない冬が終わろうとしております。いつもはですね1回位ほんの数センチ積もる雪が降りまして、パニック状態に陥るのですが、今年は通勤に支障をきたすことなく冬が終わろうとしています(そんなことを考えてるとあっさり降ってしまうのですが・・・・)

あんまり雪が降らないのでイチゴスイーツを食べることに致しました。テレビを見ていると横浜は赤レンガ倉庫にてイチゴのスイーツのイベントがやっている情報をキャッチ、その日のうちに現場に直行しまして、イチゴバーガーと、イチゴパフェ、お土産にイチゴのケーキを買って大満足となりました。

KISSのラストコンサートが終わってはや2ヶ月が経過し、完全なKISSロス状態に陥っていたのですが、沢山のイチゴを食したことにより少し気分が晴れました。

そう思っておりますと音楽関連出版社のシンコーミュージックより「KISS来日大全」なるムック本が出版されました。ついこの前である1977年の初来日から2019年まで計12回のJAPAN TOURのリポートをまとめた1冊となっています。私も12回の来日の内、計13公演を鑑賞させて頂きました。

それぞれの公演のセットリストや裏話、各メンバーのインタビュー、懐かしい写真等で構成されていますが、ぱらぱらとページをめくってみますと、22~23ページに掛けてこの前の東京ドーム公演の写真がありまして、スタンド席方面からステージに向かってPaul Stanleyが空中を舞って来るカットがありました。「あ~こんな感じだったなあ、又あの時に戻りたいな~」と思っていますと、ページ右下の方でどっかで見た人がPaulに暑い視線を投げかけております。よく見るとそこには小心者Wildmanがいらっしゃるじゃありませんか。「やった、最後の最後にKISSの本に出れたぞ、もうこれで思い残すことはないぜ!!」と部屋で一人震えておりました、ああ嬉しい!!

という事で、KISSロスの心が少し癒えた私は急遽沖縄に飛ぶことになりました。相変わらず単純な精神構造となっております。旅行ではなく仕事ですのでお間違いなく・・・・

今回はですね沖縄で毎年開催されている”Drawin’ Rod & Custom Day”というイベントにお招き頂きまして、参加することとなりました。

今回で10回目の開催となる歴史あるイベントですが、ピンストライプ等のフリーハンドによるペイントとアメリカン・オールドカー、カスタムカー、チョッパー等を融合させた物となっています。

現場には本土から参加となる私を含めた6名のPinstriperが集まり、地元沖縄で活躍するローカルペインターさんも来られておりました。

このイベントを主宰しているのはYokohama Hot Rod Custom ShowのPinstripe Gatheringにも毎年参加されている、イズム アートワークスの仲西さんになります。PinstripeやAir Brush等、多数の技術を駆使されていて、沖縄各地のカスタムカーやお店の看板等に素晴らしい作品がございますので、沖縄に行かれた方は必見ですよ。

このイベントはですねHamburger ShopのA&Wの敷地内で開催されるという、最高のロケーションでした。カッコいいアメリカンスタイルのデザインのA&Wの店舗ですから、それだけでも絵になってしまいますね。

そしてBurger類も大変美味しゅうございました。特にポテトのCurly Fries(カーリーフライ)が絶品なのです。くるんくるんとネジのようにカットされ揚げられたポテトさんは独特の歯触りとスパイスで、いくらでも食べられそうな感じなのであります。

イベントは駐車場&芝生のスペースにカスタムカーやバイクが並び、そこでブースを出した各Artistがデモを行うという物でした。朝から多くのお客様がいらっしゃり、Pinstripeのお仕事も沢山頂きました。おかげさまで真っ暗になっても終わりませんでした・・・沖縄の皆様、有難うございました!!

又、オープン戦絶好調の我が横浜DeNAベイスターズは、おなじみ宜野湾にてキャンプを行っておりましたが、時間が取れず今年の作戦を指導しに行けなかったことが大変悔やまれるのでした・・・・・

2019? 12? 21? by satoh

さらばKISS, 42年間有難うございました!!

この1ヶ月少々の間にですね、台湾に行きタイに行き、Yokohama Hot Rod Custom Showが開催され、その後はアメリカに飛んでMQQNEYES USAのイベント、Christmas Bashに参加しフラフラと日本に戻って参りました。

何が何だか分からない日々を過ごし、混乱した毎日となっておりましたが、その先にはただ一つ、12月11日に大きな目標が待ち受けていたのです。私にとって令和元年、いや人生の中でも最大級のイベントとなるそれはもう言葉では表せないものとなったのであります!!!

我がKISSが”End Of The Road World Tour”で来日し、日本における最後のライブ開催となりました。KISSは1973年の結成以来46年間の活動となっておりますが、ついにライブをやめることとなりまして、事実上の引退ツアーとなったのでございます。

KISSと言えばライブ、火を吹き、血を吐き、空中をさまよう奇想天外なステージでファンを魅了して来ましたが、Gene Simmonsも今年はついに70歳となりまして、Tシャツとジーンズで椅子に座ってギターを弾いている分には全然大丈夫ですが、24キロの衣装を身にまとい火を吹いて2時間のステージで暴れるのはもう無理となったようであります・・・・そりゃそうですね。

今までも「やめる、やめる詐欺」を繰り返して来て「やめるのやっぱや~めた」などと言ってましたが、今度は本当にThe Endとなるとの事で、私もその言葉を信じております。

6月に日本ツアーが発表となり、人生掛けて申し込んだチケットは定価で

何と\150,000也・・・・・見事12月11日東京ドームのVIPパッケージ、

“Meet & Greet Experience”を手にして待つこと数か月、ついにその日がやって来たのであります。

もう¥150,000なんて法外なチケット代金はですね、感覚が麻痺しているので安いんだか高いんだか分からなくなっていました。「もう最後だし、ケチる理由はこれっぽちも無いぜ!」と豪語し15万振り込んだことなんてすっかり忘れてました。

ついこの前の1977年(昭和52年)KISSが初来日し、NHKのヤングミュージックショーで武道館ライブを放送し、あの怪獣4人組が歌手だったという事実を知り、それ以来42年間ずっとファンであり続けた私は、一度もKISSから離れることなく過ごして来ました。

レコードからグッズ、ありとあらゆるKISS物を収集し、KISSに捧げた42年間は全然後悔しておりません、地獄の収集はEndlessなのです。

おととし位に感じるついこの前の1988年に10年ぶりの来日をした際、横浜文化体育館でのライブにシェルビーGT350で乗り付けて以来、日本でのライブは毎回参戦し、ついに今回が最後となったわけであります。

首を長くして待っていたら日本に来る直前のオーストラリア&ニュージーランドのライブはPaul Stanleyがインフルエンザに掛かり何と中止になっているではありませんか!! 「こりゃまずい、ポールの具合次第では日本ツアーも中止か?そんなことになったら生きて行けない」と小心者はビクビクしていました。

しかしポールの具合は良くなったようで、特に延期や中止のアナウンスも無く、KISSは無事日本に到着したようです、ああ安心だ・・・・

アメリカ出張より帰国した翌日、何かあったらまずいと思い朝の9:45に東京ドームに到着した私は「ライブは夜の7時なのにこんなに早く来て恥ずかしいな」と思いながら階段を上がって行くとそこには信じられない光景が・・・グッズ販売の長蛇の列がすでに始まっていたのです、数百人が並んでおりました!! KISSと言えばグッズと言うのは分かるのですが、平均年齢50歳くらいの方々が朝から並んでいるのは凄過ぎました・・・・

私はですね大枚¥150,000を支払ったおかげで、VIP優先レーンなる物に並べば11時からの販売開始時間に先頭で購入出来るという特典が付いておりましたので、余裕をもってその風景を眺めてました、だって15万も払ったんだもんね!!

「これとこれとこれ全部頂戴!!」と言ってたくさんのTシャツやパンフレットを買ったので「恥ずかしいな、隣りの人に見られたら何て思われるのでしょう」と不安になっていると隣の人はもっといっぱい買ってました・・・今日はみんな完全に狂っているようですな。

こちらは豪華なツアーパンフレットで、これまでの物よりも断然素晴らしい出来栄えであります。

そしてボンカレーとコラボのKISSカレーは地獄の辛さで、お値段も地獄の¥1,000でした! さすが地獄の商人であります。

色々と買いすぎて持ち切れなくなったのでコインロッカーにグッズを預けて、その後は一緒に参戦の方々と神保町のキッチン南海にて高カロリーなランチを食し、また東京ドームに向かいました。

VIPチケットの人は3:30pmに22番ゲート下に全員集合!!となっておりましたので、現場に行くとだんだんと列が長くなって行きます。「仙台のライブはVIPが100人くらいだったという噂を聞いていたので、東京は倍くらいの人数がいるかも?」なんて考えていたらその列はディズニーランドの行列のようになって来ました!? 先頭グループに並んでいたのでじゃあ数えてみましょうと、必死に人数をチェックすると何とビックリ400人は

いるじゃありませんか!! 「うおおおおお~、私以外のバカがこんなにいるなんて、何て素敵な世界なんだ!」と同志たちに感動致しました。

え~と、VIPおひとり様¥150,000で400人ですと¥60,000,000ですよね、

これに定価¥400,000のスーパーVIPの方々が20数名いたようなので、それを足すと、VIPチケットの売上だけで約¥70,000,000になるとは!!恐るべし地獄の商人KISSよ!!もっと貢がせて下さい!!

免許証やパスポートを見せて(転売禁止!!)VIPのチェックインを済ませ、未だお客様の入っていないドーム内に足を踏み入れ、バックステージを通過しそこで皆さん並んで待機。クルーの外人さんの中にナゼか広島カープの鈴木誠也の赤いTシャツを着た人がおりました、にわかカープファンなのかな?

そしてついにその瞬間がやって参りました。バックステージに設けられた撮影スポット、そこにはKISSのメンバー4人がフルコスチューム姿で待ち受けているのであります!!

自分の番が近くなるにつれて小心物は緊張して来ました。「一人30秒くらいしか持ち時間が無いのに何を言えばいいんだ??好きです、愛しています、かたじけない、いや違うなそれは??」と錯乱状態に陥っている内に、ついに順番が回って来てしまい、目の前に本物のKISSが現れたのです!!!!!!

4人の前に突撃し、とにもかくにもブーツを履いたら身長2mのジーン・シモンズの前に行き、「こ、こんにちは御所山出身Wildman石井と申します。これはKISSが最初に契約したカサブランカレコードのスタッフジャケットであります」と変態丸出しの1978年製ジャケットを見せて胸の刺繍を指さすと、ジーンも指をさして反応してくれ、さらに肩をもんでくれました!!肩がこっていたので「もうちょっと右」と言いかけたところでカメラマンがシャッターを切って記念撮影終了、ハイ次の人となりました。

あっという間のKISSとの遭遇でしたが、それはもう夢のような30秒でありました・・・・・昇天。

こちらが変態とKISSの記念撮影写真になります、もう一生楽しめるものとなっております、ジーンの手が私の肩に・・・そのまま火を吹いて燃やして欲しかったのですが・・・・

その後はサイン入りのポートレートとVIP専用お土産を渡されました。巨大バッグの中にはKISSのバスローブやらポーチ、チケットホルダー、パスケース等々、さっき買ったグッズと合わせると帰りの電車が思いやられる程の量となってしまいました・・・・

そしてそのまま自分の席に向かう事となりチケットに書いてある「地獄のアリーナ」に入ると予想通り最前ブロックセンターど真ん中、通路側の前から6列目という最高のポジションが確保されていました!!

東京ドームは広過ぎるのでライブはアリーナ最前ブロックでないと見えない事は分かっておりましたので、最高の気分であります!!

ちなみに前回のライブで拾ったジーンの投げた水入りペットボトルは現在も我が家の冷蔵庫で冷凍保存されております、ハイ。

「うおおおおおお~、KISSに会えて写真撮って、この席で見れて、お土産まで付いて代金たったの¥150,000ポッキリとは何て安いんだ、安過ぎるぞこれは!!」と席についてカルピスウォーターを飲みながら一人納得しておりました。

そして7:00pmキッチリ(さすがKISS)”All Right Tokyo, You Wanted The Best, You Got The Best!! The Hottest Band In The World, KISS!!!のオープニングアナウンスとともにDetroit Rock Cityで幕を開けたショウは火を吹き、血を吐き、空飛んであっという間に2時間の夢を見させて頂きました。

アンコールでは何とXのYoshikiが登場し(彼もKISS ARMY)ピアノやドラムを演奏するというサプライズもありました。もちろん日本スペシャルのスキヤキ(坂本九、上を向いて歩こう)も演奏しましたよ。

ステージが終わるとスクリーンにLOVES YOU TOKYOの文字が輝き「ああこれで本当に終わってしまったんだな」と変態は涙しながらKISSとお別れしておりました。

ついこの前である1977年の初来日からKISSとともに歩んで来た42年、ついにサヨナラとなってしまいました。

さらばKISS、42年間有難うございました!! まだまだ貢ぐぞ!?

と思ったらですね、とんでもないニュースが入って来ました!今年のNHK紅白歌合戦にですね、何とビックリKISSが出演決定となりました!!これではサヨナラなんて・・・言えないよ、バカヤロー!@近藤真彦

皆様、大晦日はNHK紅白歌合戦にてKISSを宜しくお願い致します!