Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

2020? 05? 30? by satoh

間違えだらけの雑誌探し、Bye Bye PORSCHEが見つかった!!

皆様、Stay-At-Homeはいかがお過ごしでしょうか?私は元々お家にいるのが大好きなので、皆様が何で自粛で外に行けず苦しんでいるのかさっぱりわかりませんです、はい!

家にいればミニカーも磨けるし、スニーカーも履かずに眺められるし、50年前の雑誌も読み放題だし、イヌやネコにも遊んでもらえるし、KISSも思う存分聴けるし全く問題ありません。変態はこういう非常事態の時はとても生きやすい生き物という事で納得しております。

という事で長らく探していたある雑誌がやっと見つかったので報告させて頂きます。ついこの前である昭和51年の真冬に小学5年生だった少年Wildmanはあるクルマ雑誌をお買い上げになりました。

何でお買い上げになられたかと言いますと、一台の衝撃的なクルマが紹介されていたのです。スーパーカーブームが始まろうとしているこの頃(ピークまではもう少し時間が掛かります)BMW2002ターボやポルシェ930ターボが日本に上陸し、漫画「サーキットの狼」でもこれらのクルマが大活躍し子供たちは未知のメカニズム「ターボチャージャー」に興味と強いあこがれを持っていました、しかも「ターボ」という語呂が何となく高性能をイメージさせたのです。

「ターボってなんか凄いらしいぞ、かたつむりみたいな形してて、それがグルングルン回ってガソリンを沢山エンジンに送り込むらしいぞ、だから速いんだ!」と訳の分からない会話をし、ターボエンジンはとにかく凄いというのがクルマ好き少年たちの小さな頭にインプットされていました。

国産車にもボルトオンのターボキットを組み込んだ車が現れて、ゼロヨンなんかでも活躍し始めるのでした。日産のL型、トヨタの2TGや18RGに組み込んでドッカンターボが炸裂していました。市販の国産車メーカー純正のターボ車が出るのはまだ先のことでした。

そんなご時世の中、ある雑誌を開くととんでもないクルマが紹介されていたのです。当時はフォルクスワーゲンType-I(ビートル)は全然現役だった時代でして、そこらへんを走り回っていた外国製乗用車のイメージしかなく、やっと日本でもCal Lookのシーンが始まり出した頃でした。

唐突に現れたそのクルマは「ターボチャージドVW」でして、私にとってただのノロマな乗用車のイメージでしかなかったビートルにターボキットを組み込んでチューニングしたという化け物(に見えた)でした。

「す、すげえコレ、ワーゲンにターボだってさ!きっと無茶苦茶速いんだぞ!」と勝手に興奮しておりました。しかもですねリアフードには手描きのレタリングで”Bye Bye PORSCHE”なんて描かれているじゃありませんか。

「うおおおお~、売買じゃなくってバイバイ・ポルシェだって、ポルシェに手を振ってバイバイする、つまりポルシェより速いんだぞきっと!!」と少年は純粋な心で本当にそう信じておりました。この瞬間、将来カウンタックを買ったら、後ろにバイバイ・フェラーリと描こうと決めたのでした。

しかも横浜ナンバーだったので「これはきっと横浜のどこかで遭遇するかもしれないぞ、その時はオリンパス・ペンで激写だ!!」と意気込みましたが、結局一度もこのクルマに遭遇することはございませんでした・・・・

「ワーゲンがポルシェをぶっちぎるのか、それは素晴らしいぞ、バイバイ・ポルシェは素敵過ぎる、早くミニカーになればいいのに!」とその頃は本気で思っておりました。

何て妄想にふけっておりますと、時は流れてバイバイ・ポルシェのことはうっすらと頭の片隅に残っておりましたが、その後免許を取ってからワーゲンとは全く関係のないクルマ人生を歩んでしまい、バイバイ・真っ当なな人生となってしまいました・・・・

「あのバイバイ・ポルシェの記事が又読みたいな」と数年前よりずっと思っていたのですが、ついこの前の1978年に実家を建て替えた際、おそらくその時に間違えてその本を捨ててしまったようなのでした、同時期に買った本は未だ沢山手元にあるのに・・・・残念!!

まあいいや古本で探そうと思ってみましたが「あれって、モーターマガジンでしたっけ、あの本は?」と勝手な思い込みが不幸を呼んでしまい、片っ端から70年代のモーターマガジンを探したのですが、あの記事なんてどこにも載ってないではありませんか!!

「トンネルの中を走っている後ろ向きのVWの写真を鮮明に覚えているんですけど、表紙が全く思い出せん!」とどんどん混乱して行きます。

「おかしいな、確かあれはモーターマガジンだったはずなのに、あの本を買った翌日に友達と横浜市営バス78系統に乗って国鉄根岸駅まで行き、そこから歩いて本牧市民公園に遊びに行ったことまで覚えているのになぜだろう・・・」と本が全く見つからない状況になってしまいました。

「あ~、読みたい、あの本がもう一度読みたいぞ!」とムキになってネットで検索すると何とビックリ、バイバイ・ポルシェのオーナー様のブログを発見!!そこには当時の掲載雑誌は「ドライバー」と紹介されていました。

「な、何だ、あれはモーターマガジンじゃなかったのね」と完全な記憶違いなのでありました、とっても間抜けなのでした・・・・しかも何月号とは書いておりませんでしたので、一体どれに記事が載っているのやら。

そして必死にドライバー誌を探すとやっと記事が見つかりました。ついこの前の昭和51年2月5日号なのでありました、疲れました反省です・・・・

表紙は素晴らしいイラストの真っ赤なロールス・ワーゲン、パラパラとめくるとカラー4ページ、モノクロ2ページでバイバイ・ポルシェが紹介されていました。40年以上前に読んだ本をもう一度見たい為にかなりの時間が掛かってしまいましたが、大変満足であります。

ベースは何と’56年式のオーバル・ウィンドウで(と言っても1976年当時ですとたったの20年落ちなのでした)赤と黒のツートンカラーのボディはフロントにスポイラーとシビエのデッカイフォグランプを装着し、リアはフェンダーがカットされ、のたうち回るターボの配管が見えて少年Wildmanには夢のウルトラ超高性能マシンに見えたのでした。

しかもこのクルマは未だオーナー様の元で現存するとの事で大変感激しております。当時学生のオーナー様が自力で作ったターボチャージドVW、70年代にこれをやってのけたのは素晴らし過ぎます!!

「やっとこの本が見つかって大感激だ!この幸せを他の方々にもお伝えしなければ」と問題のドライバー誌を抱えてシゲ菅沼の元へ・・・

「どうです、素晴らしいでしょうバイバイ・ポルシェ、この時代にこんなことをやられているのは変態、じゃなくって大変な事ですよね!」とドライバー誌を見せて意見を求めました。

するとファイルされた古い雑誌切り抜きを差し出されました。そこにはバイバイ・ポルシェの姿と、何とVW Type IIのOwnerとして紹介される70年代のシゲ菅沼の姿が!!

「67年式バンの室内。たたみにして20畳くらいのじゅうたんを使用している。シートはサンダーバードの物。改造費約60万円。オーナーは菅沼クン」と解説が載っております。

「たたみ20畳のじゅうたん・・・・何て奥の深いカスタムなんだ、きっと不良だったに違いない!」と感動しました。私が小学生の頃にこのような事をされていたとは反則であります。バイバイ・ポルシェ同様、当時横浜でこのType IIに遭遇することはございませんでしたが・・・・

こちらは昭和50年11月5日号のドライバー誌の切り抜きで、伝説のスキャット・ジムカーナ大会第一回の記事でして、優勝したバイバイ・ポルシェの姿とカスタムされたシゲ菅沼のType IIが載っていたのでした。う~む45年の時を超えて何という偶然なのでしょう・・・・

オリンパス・ペンはもうないですが、いつかデジカメでバイバイ・ポルシェを激写してみたい今日この頃であります、バイバイ・変態人生!!

2020? 02? 29? by satoh

A&Wはポテトが美味い、 KISSロスと沖縄出張!!

横浜は全く雪の降らない冬が終わろうとしております。いつもはですね1回位ほんの数センチ積もる雪が降りまして、パニック状態に陥るのですが、今年は通勤に支障をきたすことなく冬が終わろうとしています(そんなことを考えてるとあっさり降ってしまうのですが・・・・)

あんまり雪が降らないのでイチゴスイーツを食べることに致しました。テレビを見ていると横浜は赤レンガ倉庫にてイチゴのスイーツのイベントがやっている情報をキャッチ、その日のうちに現場に直行しまして、イチゴバーガーと、イチゴパフェ、お土産にイチゴのケーキを買って大満足となりました。

KISSのラストコンサートが終わってはや2ヶ月が経過し、完全なKISSロス状態に陥っていたのですが、沢山のイチゴを食したことにより少し気分が晴れました。

そう思っておりますと音楽関連出版社のシンコーミュージックより「KISS来日大全」なるムック本が出版されました。ついこの前である1977年の初来日から2019年まで計12回のJAPAN TOURのリポートをまとめた1冊となっています。私も12回の来日の内、計13公演を鑑賞させて頂きました。

それぞれの公演のセットリストや裏話、各メンバーのインタビュー、懐かしい写真等で構成されていますが、ぱらぱらとページをめくってみますと、22~23ページに掛けてこの前の東京ドーム公演の写真がありまして、スタンド席方面からステージに向かってPaul Stanleyが空中を舞って来るカットがありました。「あ~こんな感じだったなあ、又あの時に戻りたいな~」と思っていますと、ページ右下の方でどっかで見た人がPaulに暑い視線を投げかけております。よく見るとそこには小心者Wildmanがいらっしゃるじゃありませんか。「やった、最後の最後にKISSの本に出れたぞ、もうこれで思い残すことはないぜ!!」と部屋で一人震えておりました、ああ嬉しい!!

という事で、KISSロスの心が少し癒えた私は急遽沖縄に飛ぶことになりました。相変わらず単純な精神構造となっております。旅行ではなく仕事ですのでお間違いなく・・・・

今回はですね沖縄で毎年開催されている”Drawin’ Rod & Custom Day”というイベントにお招き頂きまして、参加することとなりました。

今回で10回目の開催となる歴史あるイベントですが、ピンストライプ等のフリーハンドによるペイントとアメリカン・オールドカー、カスタムカー、チョッパー等を融合させた物となっています。

現場には本土から参加となる私を含めた6名のPinstriperが集まり、地元沖縄で活躍するローカルペインターさんも来られておりました。

このイベントを主宰しているのはYokohama Hot Rod Custom ShowのPinstripe Gatheringにも毎年参加されている、イズム アートワークスの仲西さんになります。PinstripeやAir Brush等、多数の技術を駆使されていて、沖縄各地のカスタムカーやお店の看板等に素晴らしい作品がございますので、沖縄に行かれた方は必見ですよ。

このイベントはですねHamburger ShopのA&Wの敷地内で開催されるという、最高のロケーションでした。カッコいいアメリカンスタイルのデザインのA&Wの店舗ですから、それだけでも絵になってしまいますね。

そしてBurger類も大変美味しゅうございました。特にポテトのCurly Fries(カーリーフライ)が絶品なのです。くるんくるんとネジのようにカットされ揚げられたポテトさんは独特の歯触りとスパイスで、いくらでも食べられそうな感じなのであります。

イベントは駐車場&芝生のスペースにカスタムカーやバイクが並び、そこでブースを出した各Artistがデモを行うという物でした。朝から多くのお客様がいらっしゃり、Pinstripeのお仕事も沢山頂きました。おかげさまで真っ暗になっても終わりませんでした・・・沖縄の皆様、有難うございました!!

又、オープン戦絶好調の我が横浜DeNAベイスターズは、おなじみ宜野湾にてキャンプを行っておりましたが、時間が取れず今年の作戦を指導しに行けなかったことが大変悔やまれるのでした・・・・・

2019? 12? 21? by satoh

さらばKISS, 42年間有難うございました!!

この1ヶ月少々の間にですね、台湾に行きタイに行き、Yokohama Hot Rod Custom Showが開催され、その後はアメリカに飛んでMQQNEYES USAのイベント、Christmas Bashに参加しフラフラと日本に戻って参りました。

何が何だか分からない日々を過ごし、混乱した毎日となっておりましたが、その先にはただ一つ、12月11日に大きな目標が待ち受けていたのです。私にとって令和元年、いや人生の中でも最大級のイベントとなるそれはもう言葉では表せないものとなったのであります!!!

我がKISSが”End Of The Road World Tour”で来日し、日本における最後のライブ開催となりました。KISSは1973年の結成以来46年間の活動となっておりますが、ついにライブをやめることとなりまして、事実上の引退ツアーとなったのでございます。

KISSと言えばライブ、火を吹き、血を吐き、空中をさまよう奇想天外なステージでファンを魅了して来ましたが、Gene Simmonsも今年はついに70歳となりまして、Tシャツとジーンズで椅子に座ってギターを弾いている分には全然大丈夫ですが、24キロの衣装を身にまとい火を吹いて2時間のステージで暴れるのはもう無理となったようであります・・・・そりゃそうですね。

今までも「やめる、やめる詐欺」を繰り返して来て「やめるのやっぱや~めた」などと言ってましたが、今度は本当にThe Endとなるとの事で、私もその言葉を信じております。

6月に日本ツアーが発表となり、人生掛けて申し込んだチケットは定価で

何と\150,000也・・・・・見事12月11日東京ドームのVIPパッケージ、

“Meet & Greet Experience”を手にして待つこと数か月、ついにその日がやって来たのであります。

もう¥150,000なんて法外なチケット代金はですね、感覚が麻痺しているので安いんだか高いんだか分からなくなっていました。「もう最後だし、ケチる理由はこれっぽちも無いぜ!」と豪語し15万振り込んだことなんてすっかり忘れてました。

ついこの前の1977年(昭和52年)KISSが初来日し、NHKのヤングミュージックショーで武道館ライブを放送し、あの怪獣4人組が歌手だったという事実を知り、それ以来42年間ずっとファンであり続けた私は、一度もKISSから離れることなく過ごして来ました。

レコードからグッズ、ありとあらゆるKISS物を収集し、KISSに捧げた42年間は全然後悔しておりません、地獄の収集はEndlessなのです。

おととし位に感じるついこの前の1988年に10年ぶりの来日をした際、横浜文化体育館でのライブにシェルビーGT350で乗り付けて以来、日本でのライブは毎回参戦し、ついに今回が最後となったわけであります。

首を長くして待っていたら日本に来る直前のオーストラリア&ニュージーランドのライブはPaul Stanleyがインフルエンザに掛かり何と中止になっているではありませんか!! 「こりゃまずい、ポールの具合次第では日本ツアーも中止か?そんなことになったら生きて行けない」と小心者はビクビクしていました。

しかしポールの具合は良くなったようで、特に延期や中止のアナウンスも無く、KISSは無事日本に到着したようです、ああ安心だ・・・・

アメリカ出張より帰国した翌日、何かあったらまずいと思い朝の9:45に東京ドームに到着した私は「ライブは夜の7時なのにこんなに早く来て恥ずかしいな」と思いながら階段を上がって行くとそこには信じられない光景が・・・グッズ販売の長蛇の列がすでに始まっていたのです、数百人が並んでおりました!! KISSと言えばグッズと言うのは分かるのですが、平均年齢50歳くらいの方々が朝から並んでいるのは凄過ぎました・・・・

私はですね大枚¥150,000を支払ったおかげで、VIP優先レーンなる物に並べば11時からの販売開始時間に先頭で購入出来るという特典が付いておりましたので、余裕をもってその風景を眺めてました、だって15万も払ったんだもんね!!

「これとこれとこれ全部頂戴!!」と言ってたくさんのTシャツやパンフレットを買ったので「恥ずかしいな、隣りの人に見られたら何て思われるのでしょう」と不安になっていると隣の人はもっといっぱい買ってました・・・今日はみんな完全に狂っているようですな。

こちらは豪華なツアーパンフレットで、これまでの物よりも断然素晴らしい出来栄えであります。

そしてボンカレーとコラボのKISSカレーは地獄の辛さで、お値段も地獄の¥1,000でした! さすが地獄の商人であります。

色々と買いすぎて持ち切れなくなったのでコインロッカーにグッズを預けて、その後は一緒に参戦の方々と神保町のキッチン南海にて高カロリーなランチを食し、また東京ドームに向かいました。

VIPチケットの人は3:30pmに22番ゲート下に全員集合!!となっておりましたので、現場に行くとだんだんと列が長くなって行きます。「仙台のライブはVIPが100人くらいだったという噂を聞いていたので、東京は倍くらいの人数がいるかも?」なんて考えていたらその列はディズニーランドの行列のようになって来ました!? 先頭グループに並んでいたのでじゃあ数えてみましょうと、必死に人数をチェックすると何とビックリ400人は

いるじゃありませんか!! 「うおおおおお~、私以外のバカがこんなにいるなんて、何て素敵な世界なんだ!」と同志たちに感動致しました。

え~と、VIPおひとり様¥150,000で400人ですと¥60,000,000ですよね、

これに定価¥400,000のスーパーVIPの方々が20数名いたようなので、それを足すと、VIPチケットの売上だけで約¥70,000,000になるとは!!恐るべし地獄の商人KISSよ!!もっと貢がせて下さい!!

免許証やパスポートを見せて(転売禁止!!)VIPのチェックインを済ませ、未だお客様の入っていないドーム内に足を踏み入れ、バックステージを通過しそこで皆さん並んで待機。クルーの外人さんの中にナゼか広島カープの鈴木誠也の赤いTシャツを着た人がおりました、にわかカープファンなのかな?

そしてついにその瞬間がやって参りました。バックステージに設けられた撮影スポット、そこにはKISSのメンバー4人がフルコスチューム姿で待ち受けているのであります!!

自分の番が近くなるにつれて小心物は緊張して来ました。「一人30秒くらいしか持ち時間が無いのに何を言えばいいんだ??好きです、愛しています、かたじけない、いや違うなそれは??」と錯乱状態に陥っている内に、ついに順番が回って来てしまい、目の前に本物のKISSが現れたのです!!!!!!

4人の前に突撃し、とにもかくにもブーツを履いたら身長2mのジーン・シモンズの前に行き、「こ、こんにちは御所山出身Wildman石井と申します。これはKISSが最初に契約したカサブランカレコードのスタッフジャケットであります」と変態丸出しの1978年製ジャケットを見せて胸の刺繍を指さすと、ジーンも指をさして反応してくれ、さらに肩をもんでくれました!!肩がこっていたので「もうちょっと右」と言いかけたところでカメラマンがシャッターを切って記念撮影終了、ハイ次の人となりました。

あっという間のKISSとの遭遇でしたが、それはもう夢のような30秒でありました・・・・・昇天。

こちらが変態とKISSの記念撮影写真になります、もう一生楽しめるものとなっております、ジーンの手が私の肩に・・・そのまま火を吹いて燃やして欲しかったのですが・・・・

その後はサイン入りのポートレートとVIP専用お土産を渡されました。巨大バッグの中にはKISSのバスローブやらポーチ、チケットホルダー、パスケース等々、さっき買ったグッズと合わせると帰りの電車が思いやられる程の量となってしまいました・・・・

そしてそのまま自分の席に向かう事となりチケットに書いてある「地獄のアリーナ」に入ると予想通り最前ブロックセンターど真ん中、通路側の前から6列目という最高のポジションが確保されていました!!

東京ドームは広過ぎるのでライブはアリーナ最前ブロックでないと見えない事は分かっておりましたので、最高の気分であります!!

ちなみに前回のライブで拾ったジーンの投げた水入りペットボトルは現在も我が家の冷蔵庫で冷凍保存されております、ハイ。

「うおおおおおお~、KISSに会えて写真撮って、この席で見れて、お土産まで付いて代金たったの¥150,000ポッキリとは何て安いんだ、安過ぎるぞこれは!!」と席についてカルピスウォーターを飲みながら一人納得しておりました。

そして7:00pmキッチリ(さすがKISS)”All Right Tokyo, You Wanted The Best, You Got The Best!! The Hottest Band In The World, KISS!!!のオープニングアナウンスとともにDetroit Rock Cityで幕を開けたショウは火を吹き、血を吐き、空飛んであっという間に2時間の夢を見させて頂きました。

アンコールでは何とXのYoshikiが登場し(彼もKISS ARMY)ピアノやドラムを演奏するというサプライズもありました。もちろん日本スペシャルのスキヤキ(坂本九、上を向いて歩こう)も演奏しましたよ。

ステージが終わるとスクリーンにLOVES YOU TOKYOの文字が輝き「ああこれで本当に終わってしまったんだな」と変態は涙しながらKISSとお別れしておりました。

ついこの前である1977年の初来日からKISSとともに歩んで来た42年、ついにサヨナラとなってしまいました。

さらばKISS、42年間有難うございました!! まだまだ貢ぐぞ!?

と思ったらですね、とんでもないニュースが入って来ました!今年のNHK紅白歌合戦にですね、何とビックリKISSが出演決定となりました!!これではサヨナラなんて・・・言えないよ、バカヤロー!@近藤真彦

皆様、大晦日はNHK紅白歌合戦にてKISSを宜しくお願い致します!

2019? 11? 9? by satoh

3年ぶりの台湾、プリンが美味しゅうございました!?

さて、横浜DeNAベイスターズの主砲、筒香嘉智選手がついにポスティング・システムを使ってメジャーリーグに挑戦する事となってしまいました。

横浜高校から2009年ドラフト1位で入団しはや10年、ホームラン王や打点王を獲得し、サムライジャパン日本代表にも選出、チームのキャプテンも務め、最下位ばかりだったベイスターズをここ数年はクライマックスシリーズに出場させる原動力となり、2010年代は横浜の顔として活躍して来ました、年俸も4億円over・・・・・

今年のベイスターズは2位となりましたが「筒香のいるうちに優勝」という夢はかなわず、ついに主砲が抜ける状況となってしまいました。

もう一年ベイスターズでやって欲しかったのですが、メジャーリーグ市場では結構年齢も契約の際に響いて来ますので、やっぱり20代のうちに挑戦した方が宜しいのでしょうね。年俸も日本でやるより確実に下がってしまいますが、もはやお金じゃ無いのでしょう・・・

もしメジャー契約が出来たならもちろん応援は致しますが、そんなことより心配なのは「筒香の抜けた」ベイスターズであります。戦力ダウンは必至なのですが、ラミレス監督最終年になるかもしれない2020年はこれまでの筒香を中心とした戦い方からシフトしなければ大変なことになるかもしれません・・・

ホームラン頼みの一発野球から脱却し、ヒット1本でも点が取れるような繊細な野球をしないと、とてもじゃないけど筒香の穴は埋まらないでしょう。もっと盗塁や送りバントが出来ないとどうにもなりません。リーグ2位の翌年は本当に怖くって、ここ数年はヤクルトや阪神が2位の翌年に優勝どころか最下位となっております、マジ怖いです・・・・・

という事で筒香抜きのベイスターズをどうコントロールするのかはラミレス監督の手腕に掛かっておりますので「ホームラン一発頼みの野球」から脱却して走力を意識した細かな野球を目指して欲しいのです。なんなら私が監督を引き受けても良いのですが、優勝しちゃうな、これ・・・・・

という事で唐突に台湾に行って来ました! もちろんプレミア12 サムライジャパンを見に!! じゃなくってプレミアが始まる前日に日本に帰って来ました・・・

はい、本当はお仕事で行って参りました。今回は台北で行われたバイクのイベント”Ride Free 10”に参加させて頂いたのです。

以前にも一度お邪魔しましたが、今回は3年振りの出撃で2泊3日の

スケジュールは一瞬の出来事でありました。

インドアのイベントなので雨の心配もなく、台湾各地よりバイクが集まりまして、沢山のお客様が来られていました。

こちらはMQQNEYESブースでここでPinstripeのお仕事を行いました。

日本からOrion Aceさんも出店されClay Smith商品の展示販売を行っていました。

MQQNEYESブースの前ではナゼかおでんのお店が・・・・・その名

も「男子漢」男の中の男という意味でしょうか???売っていたのは女性でしたが。ちくわは有りましたが大好きなちくわぶは有りませんでした、おでんなんて「ちくわぶと玉子」だけで良いのですな!

バイクはですね、この世に比較的新しい年式の物が多くて、極端なカスタムよりもそのまま街乗りが出来るようなスタイルの物が多かったです。

ビンテージな日本車も何台かありまして、量産車としては世界初のDOHCヘッドを持ったホンダCB450が素敵でした。

ヤマハのTXやスズキGTのラムエアーシステムがそそります。

中学生の頃はおっさんのバイクにしか見えず、興味の無かったホンダのWING(CX500)も今見ると素敵に見えて来ますね。

又、東南アジア同様、小排気量車のカスタムも盛んなようでカブ系が沢山並んでいました。

バイクのイベントなので車は殆ど無いのですが、このように素敵な日産キャラバンや過激なサニーバンがありました。こちらの日本の仮ナンバーは勝手に作ったと思われます・・・・

ナゼかピカピカのハネベン230Sや使い込まれた風情が素晴らしいナローポルシェが並んでおりました。ポルシェのライセンスプレートの意味が知りたかったです。

Pinstripeのお仕事も沢山頂きまして、イベント当日は忙し過ぎて本当に終わるのかどうかという状況になってしまい、結局出来なかった分は日本に持ち帰りました・・・・

美味しい物も沢山頂きまして、特にこの巨大プリンは昭和の味わいがしまして大変美味しゅうございました。

そんなこんなであっという間に台湾出張は終わってしまい、気づくと羽田空港に立っているという、いつものパターンになっていました。

そしてこの前ですね、ついにEnd of the Road World Tour ,KISS東京ドーム公演のチケットが発券されました。ライブまであと一か月、緊張しておなかが痛くなって参りました、イタタタ・・・・

人生掛けて購入した”Meet & Greet”のチケットはVIP専用入場口より

地獄のアリーナにお邪魔し、おそらくステージど真ん中の前から6番目、通路側だと思われます、最高です!!!!!

前回のライブではジーン・シモンズの投げた水入りペットボトルを拾い上げ、未だ自宅の冷蔵庫で保管しておりますが、今度はジーンが吹いた炎で燃やされてしまいたいくらいです!!もうこれで最後のKISSですからね。あと一か月、緊張の毎日が続いてしまうのであります。

2019? 09? 21? by satoh

ALQQHA! 久々のHawaiiは暑かったぜ!!

さて、いよいよ今年のプロ野球ペナントレースも終わりに近づいております。前回のブログで言い切った通り、我がDeNAベイスターズは優勝をあきらめざるおえない状況になってしまいましたが、何とかAクラスにはぶら下がっていて、クライマックスシリーズへの出場を目標にする形となっております。優勝しなけりゃ2位も最下位も同じなのですが・・・・

それにしても今年はホントに優勝のチャンスだったのですよ! 王者カープが勝手にコケてくれたり、首位独走だった読売が突然連敗したりして、

10連敗+5連敗のベイスターズはその後何となく持ち直して、せっせと勝っていたらいつの間にか首位のしっぽを掴むところまで来て「こりゃ行ける!うっちゃりで優勝だぜ!」と真夏の夢を見た瞬間に怪我人続出と意味不明の下位チーム戦で見事な連敗をなしとげ、あっさりと引き離されてしまいました。やっぱ地力が無いのでしょうか・・・・

2015年の混戦セリーグを制したヤクルトのような感じでちょぴっとのゲーム差でうっちゃりの優勝が狙えたのに、残念でなりませぬ。

まあもし2位に滑り込めたらベイスターズ的には素晴らしい事なのですが21年ぶりの優勝がちらっと見えてしまったので、今年は悔し過ぎるのですな、トホホ・・・・

ついこの前の1979年のシーズンも別当監督の元、奇跡の2位となりまして中学生の私は優勝したかのような錯覚にとらわれていたのを思い出します・・・・次に2位となったのは18年後で優勝したのはその翌年、1998年でしたね、ああ気が長い話ですな。

来年はラミレス監督体制を継続するのか? 読売のように補強、補強で選手を集めまくって優勝を買うのか?(プロだから別に良いのですけどね)筒香選手は本当にメジャーに行ってしまうのか?ドラフトで良いピッチャーが獲得できるのか?興味は完全にそっちに行っている今日この頃なのであります。

あとですね、すでにベイスターズショップでは完売となっております、MQQNEYES X DeNAベイスターズの2019コラボグッズ第2弾のスタンドカラージャージがごく少数ですがStockがございますので、お探しの方は本牧のムーンアイズ エリア-1までお越しくださいませ。

という事で唐突に常夏の島Hawaiiに行って来ました!もちろんバカンスですよバカンス!! ああ~楽しいなぁハワイは、ALQQHA!!! 何て言うのはウソでして、お仕事で行って参りました、お仕事で! ホントだってば!!!

現地に着いた初日はPaint Shopなどを廻りまして、Hawaiiの貴重なコレクションを拝見させて頂きました。

こんなところに珍車SCAMPが!! そういえば北海道にこのような名前のお店があったような気が致します・・・・・

前回も訪れました、きたなシュラン三ツ星選定のForty Ninerにてランチをとりました。素朴なパンケーキが無茶苦茶美味しくて、過去に食したパンケーキの中でもトップクラスの出来栄えでございました、こりゃ美味い!!!

前回常夏の島に来たのは2011年でありまして、その時はRon’s Performance Center主催のCruise Nightに招待されましてそちらでPinstripeのデモを行いました(2011年5月21日ブログ参照)

今回はHawaii のMQQNEYES DealerでありますPacific Rod and Streetさんが”OHANA Weekend”というというタイトルでPinstripeとCar Showを開催することとなりまして、イベントポスターとTシャツプリント用のデザインを依頼されてこちら2点を製作させて頂きました。

こちらのイベント記念Tシャツはですね、少量ですが日本のMQQNEYESでも販売致しますので、お問い合わせくださいませ。

イベント初日はですね、Pacific Rod & Streetさんの店頭でPinstripeのデモを行ったのですが「常夏の島でのんびりとPinstripeを描きましょう」と

思っていたのですが、何のことは無い次から次へと沢山のお仕事を頂きまして、気づけばランチを食べることもなく怒涛のペースでお仕事をこなしておりました・・・・ああ疲れた、本当に有難うございます!!

そしてお店の前にはこのような凄まじいクルマが停まっておりました。カローラ70系2ドアHTをオープン化したものですが、これが何と「勝手に屋根ぶった切りオープン仕様」ではなくGRIFFITHというコーチビルダーが製作した、電動オープンの限定販売車両の生き残りでありました、凄いですね! 70系カローラはWildmanの最初の愛車でもありますので特別な思い入れがありまして、今回のWildman Pickに認定させて頂きます。

私が行っているので当然雨の洗礼も受けましてDeuceもこのようにビショビショに濡れておりました、申し訳ございません。それにしても暑いのですよ、Hawaiiは。そんなのは当たり前だろと言われそうですが、蒸し暑いというか、過去Hawaiiに来たときは絶対にこんなに暑くなかったはずです。東南アジアに行ったり日本の異常な夏を経験しておりますので、暑さには慣れているはずなのですが、やっぱりどう考えても暑いと思いましたね。

この日はHawaii在住のTakeshiさんというお客様が来てくれました。2011年に来た時にHarley –DavidsonにPinstripeを描いたのですが、現在も大切に乗られていてPinstripeもそのままでした、嬉しい限りであります!!

そして2日目は場所を変えまして、山の中にある? Clyde’sというAuto ShopにてCar Showが開催されまして、そちらのFactory内にてデモを行いました。

「昨日忙しかったから、今日はのんびりやりましょう」とふざけた考えを持って臨んだのが悪かったのか、またもや想定外の量のお仕事を頂いてしまいまして、2日連続のランチ抜きというスタイルとなってしまいました。

なのでCar Showの写真何て全く撮っていないことをご了承下さいませ。

こちらが今回イベントに呼んで頂きましたPacific Rod and StreetのTadさんであります。WildmanデザインのオリジナルTシャツ等も販売しておりますので、Hawaiiにお越しの際はぜひお立ち寄りくださいませ。

こうして一瞬のHawaii出張は終わりまして、Waikiki Beachで日焼けすることも無くそそくさと日本に戻って来ましたが、やっぱりHawaiiと言うのはそこに行っただけで何だかHappyな気持ちになってしまう不思議な場所なのであります。という事で次に行く時はあのカローラを買いに行きます!?