Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

2ストローク3気筒、Wildmanオートバイ物語 Part.9

「今度こそフィナーレ」を宣言し(何回目だ?)刻一刻と最終章に向かっている ブログ小説はついに9回目の連載となり、いよいよ最後のお話となるはずです・・・ マッハ号(350SS)とカエル君(KH250)の2台体制を整え身の程知らずの80年代を楽しく過ごしていたWildmanでしたが、看板屋への通勤手段として順番に乗り換えるという今思えばとっても贅沢な通勤タイムを送っていました。今日は白、明日は緑色のバイクと3本マフラーからの白煙と2ストトリプルのサウンドに酔いしれて、信号待ちでショーウィンドウに写る姿を見て「俺って何てかっこいいんだろう」と完全にナルシストと化して酔っ払っていました。 カエル君には新品のタンクを付けていたのでそこそこキレイに見えましたが、マッハ号は味のあるちょっと色褪せたオリジナル塗装の外観でくたびれ感も少しありました。「もうちょっと外装をキレイにしたいな、パーツを探してみましょう」と近くのカワサキ販売店に行って在庫を調べてもらいました。カエル君の新品タンク等もこのお店でお世話になったのでマッハ号のパーツも何とかなるでしょうと思いましたが何とかなりませんでした。80年代中期ですでにマッハ系のパーツはかなり厳しい状況にあり、外装部品なんて門前払いという感じです。「ウゲッーこんなにもパーツが無いとは!この先どうやって維持して行くんだ、無責任だぞカワサキさん!!」と思いましたがその時点で約15年落ちのバイクです。メーカーとしても旧態依然としたトリプルのパーツなんか商売上どーでもよかったのしょうね。「今は調子よく動いてるけど何かあったらどうしましょう?自力でパーツを探すしかないのでしょうか?」と悩みましたが、物を探すのは好きなのでうんと悩む事にしました。 現在と違ってインターネットも無く情報の収集原も限られていた80年代です、もちろんネットオークションも無いのでマニアのつてを頼るか雑誌からの情報しかありません。「よーし、ミニカーの個人売買のように雑誌の売買欄にとりあえず出してみよう」と思い旧車にも強い別冊モーターサイクリスト誌に恐る恐るハガキを送ってみました。「カワサキS1及びS2パーツ熱望、取りに行きます」なんて短い文章でまとめてみました。(S1というのは250SSのS2は350SSのそれぞれ型式名です)「こんなんで何か反応あるかしら?」と本の発売日を待っていました。するとですね、いきなり自宅に電話が掛ってきたり、年賀状ほどではありませんがハガキがまとめて来たりと想像以上のレスポンスにビックリ仰天でした。 「うおおー、なんでこんなに売り込みがあるの??これじゃどっから返事してよいのかわからんぞ」と嬉しい悲鳴とオヤジの「お前また何かいい加減なものを買ったのか!!」と怒りの悲鳴が聞こえて来ました。「いい加減なものではないですけど何を買っていいのか分らなくなっちゃいました・・」と返事するしかありません。 いや本当にビックリしました。あんな短い文章で求むと出したにもかかわらず、いろいろな方々より沢山の情報をいただいたのです。ある方は350SSの中古パーツがバラであるとか、ある方はまだカワサキに在庫しているパーツの詳細や部品番号を知らせてくれたり、ある方はエンジンが一基あるよとか、逆に「マッハお持ちでしたら売ってください!」という方もいました。こまごました物を含めると10数人の方々よりご連絡をいただきました。「マッハのマニアさん達って何て優しいのでしょう、素晴らしい!!マッハ最高」と感激のWildmanでした。 とりあえず全部買えるわけもないので、買えそうな低い金額の物から連絡を入れ購入の手配をして、買えないものに関しては自分としては丁寧なお断りの返事を順次して行きました。「パーツ売りますフィーバー」もひと段落した頃、一通のハガキがやってまいりました。「まいったな、もう買えませんよ」と思いながらハガキを読むと「350SS部品取り車1台あります、欠品無しのオリジナル、赤レインボーです。不動、抹消済、オイル抜いてあります」と悩ましい文章が…「なにー、オリジナルの部品取り車だと!!ふざけるな!どうしましょう??」と震えるWildmanでしたが、次の瞬間受話器を握っていました。 すぐに連絡が取れた相手の方は何と石川県在住です。詳細を聞くと「レストアするつもりだったが他のバイクの面倒もみなきゃならないのでこれはあきらめました。部品取りには最高ですよ、書類も付けますし」との事でした。「ぐわーまいった!!これ欲しいぞ、大好きな?書類も付いてるし!でももうお金なんてありません、どーすんのこの状況」と又も危険な方向に向かう馬鹿は一つの提案をしてみました。「あのー今ちょっとお金がないので、再来月まで待ってもらうなんて事は出来ないものでしょうか?」とボーナスを当て込んだ捨て身のセリフを発するとMr,石川県は「別にいいですよ、売り急ぐ訳でもないし」とあっさりと契約成立でした。「またやってしまった、本当にバイクが家に来たら今度こそ家から追い出されるかも知れんぞ」と思いましたがマッハのブレーキ同様「止まらない物欲は止まらんのだと!」自分に言い聞かせ再来月を待ったのです。 看板屋よりめでたくボーナス支給後、トヨタレンタリースでハイエースを借りてマップルを買い込み高校時代のテニス部の後輩を拉致し、一路はるかかなたの石川県に向かったのです。「遠いいったらありゃしない、なんでこんなに遠いいの!!」と二人で叫びながら横浜を出発後6時間以上掛ってやっと約束のインターに到着となりました。 「確かバイクで迎えに来てくれるって言っていたぞ早く来ないかな」と思っていると前方より素敵な2ストサウンドを響かせ煙とともにMr,石川県はやって来ました。 「うおー、み、見ろ!!あれは750SSだぞ!!」と叫ぶWildmanのハイエースレンタカーの所にゴールドレインボーのマッハⅣ750SSが到着しました。 「こんにちは、遠い所まで出向いてくれてありがとうございます、早速ウチまで行きましょう」とシビレル サウンドの750SSの後を付いて行きました。その間もずっとウットリしていました。10分くらい走り、Mr,石川県の自宅に到着となりました。いかにも田舎の民家?といった風情の趣きのある建物の納屋の中から引っ張り出されたのは、何とまあフルオリジナルを保った赤レインボーの初期型350SSでした。「こんなんですけど、お気に召しますか?」と言われましたが、「お気に召すどころかこんなにキレーな物を本当に譲って頂いてよいのでしょうか?たったの\10万円で!!」と震えるWildmanでした。そうです部品取りのつもりだったこの車両は、はっきりいってWildmanの白マッハ号よりもキレーだったのです。しかも金額は書類付きで\10万と現在の相場を考えるとタダみたいなものです(当時でも)嬉しくなってしまい、マッハに対する気持ちをベラベラ攻撃でMr,石川県に伝えました。彼のコレクションは他にも多数あり、トリプル数台と旧い国産車が並んでいました。今は750SSに夢中だとの事でした。 ベラベラしゃべり続けるWildmanでしたが、横浜に帰らなくてはならないのでお土産の崎陽軒のシウマイを渡して、一路横浜に向かいました。「ありがとう、Mr,石川県!赤マッハは大事にするぜ!!」と感動しまくりで石川県を後にしました。 と、ここまで書きましたがやっぱり話が終わりませんでした、すみません・・・・・次回はいよいよ10回記念のお話で本当に最終回となります「サラバ、カエル君、さらばマッハ号」にご期待下さい!!

2ストローク3気筒、Wildmanオートバイ物語 Part.8

暑い暑い8月より始まった長期連載は際限なく続き、気がつけば秋・・・・・しかしまだまだ暑く、本人も熱くなり、どこまで話をすれば良いのか収拾がつかなくなってきた今日この頃・・・・しかし今週も勝手に怒涛のブログ小説はスタートします! 1985年7月28日(日)御所山付近でのGSX400インパルスとのバトルには勝ち、白バイには負けたWildmanは白バイ隊員サンの指示通りマッハ号を路肩に寄せて止まりました。「オマエ、飛ばしすぎだ!!」と隊員サンは御立腹、Wildmanはビビリまくりでした。スピード違反なんてどうでもよく、早く切符を切ってくれと願っておりました。「ちょっと急いでいたもので…」とボソボソ言うと「どこに行くんだ」と聞くものですから「貴重なミニカーを買いに行くので急いでいました」と今日の予定を告げると「ハア?????」と隊員サンは悩んでおりました。 「とにかくさっさと切符にサインしてこの場を立ち去らなければとんでもない事になるぞ、もう変な事を言うのはよそう」と思い直し、「すみませんでした、私が悪うございます」と謝り反省の態度をとっていると隊員サンが突然「しかし懐かしいバイクだなこれ、マッハだろ?」と話し掛けて来ます。「ゲッ!この人わかってらっしゃる!!」と嬉しくなったWildmanは「そーなんですよ、知ってます?僕のこれ、初期型ですよ初期型!!しかも白レインボーですよ、カッコいいでしょう!」と得意のベラベラ攻撃が始まりました。するとこの隊員サン反応してくれて「ドラムブレーキのヤツだろう?かなり旧いよな」とマニアの顔になってゆきます。そして我マッハ号を観察しています。 「3本マフラー懐かしいよな、さっきすごいケムリだったぞ」とケムリの事を誉められると?またも嬉しくなるWildman、「オマワリサンも好きなんですね!分かってらっしゃる!同じ白いバイク同士仲良くしましょう」とベラベラしゃべり続け「’71年型なんですよ、僕が7歳の時のバイクなんです、人造人間キカイダーにもハカイダーの愛車として登場していたんですよ」とどーでもいい事をしゃべっていると隊員サンがマッハ号のサイドカバーに目をやり「あれ、これ350じゃん」と恐怖の一言を発しました。 次の瞬間我にかえるWildman、「し、しまった!調子に乗り過ぎた、振り出しに戻さねば」と思い「あっ、これですね!エンブレムだけ350なんですよ!お金がないから車検付きの350なんて僕は乗れないですよ、ワハハハハ~」と作り笑いをしました。隊員サンは「ナンバーが250で、エンブレムが350???」と難しい顔をしています。 そして「さっき、オマエやたら速くなかった?本当に250かよ?」と状況は悪くなります。「や、やばい!もしフレームナンバーを見られたら秘密の書類とは全く違う車体番号だ、このまま逮捕で人生初の牢獄行きだぞ!」と青ざめます。こうなったらイチかバチかベラベラ攻撃だと思い、「オマワリサン知ってます?250SSと350SSって車体なんかまったく同じで車重も2キロしか違わないんですよ!でもパワーは13馬力も違うんですって!いつか僕も350SSに乗ってみたいですよ、でも本当は750SSに乗るのが夢なんです、究極のマッハですね」」としらじらしい会話を続けます。するとですね隊員サンは「俺は500が好きだな、やっぱりあれは速かったよ!」と素晴らしい反応が!!「そうですよね!やっぱオリジナルは500ですよね、あれはキカイダーもサイドカーをつけて乗っていましたし、最高速度なんて500キロって彼が言ってましたよ!!」などと楽しいとんちんかんなマッハ談義が続きました。 ベラベラ攻撃が一段落すると隊員サンは「じゃ、これにサインして」と赤切符を手渡します。「喜んで!!」と猛烈なスピードでサインをしました。「マッハも免許も大切にな」などとクールな一言を残しやがって白バイは消えて行きました。「た、助かった!演技力の勝利だ!さすが岡村小学校6年4組の時、学芸会で主役を張っただけのことはあるぜ!」と胸をなでおろしました。 イヤー本当にやばかったです、もし車体番号なんか確認された時には言い訳なんて考えつきません。350SSの車体とフレームナンバーで250登録、書類はもちろん見たこともない250SSのもの、何一つ合っていない無茶苦茶なバイクが街を走っていたのです。「うーむ、もう一歩で不良の仲間入りだったな、不良どころか犯罪者だ!こりゃ不良のA君もビックリだ!」と路肩で少し反省しながらも自分の演技力の素晴らしさを思い返すWildmanでした。しかし傷心のこの日はオモチャのスワップミートはあきらめて、なぜかそのお金でマッハ号のタイヤ交換に行ったのを覚えております。 大体なんでサイドカバーを250のものにしなかったと言うとですね、我マッハ号には350SSの中でも初期型のリフレクタータイプ(反射板)のエンブレムが付いていたのですよ。これが実にカッコイイ!!しかも当時でもカワサキからはパーツとして出ない貴重な物だったのでどーしても外すわけにはいかなかったのです(ただのバカです)その後も「やっぱりカッコいいから絶対外さない!」という信念の元にずっとそのままでした・・・ 免停通知がやってきて、看板屋の社長に頭を下げて仕事を休ませてもらい講習に行きました。六角橋の交通安全センターで講習を受け、帰りにラーメンを食いながらWildmanは誓いました。「ばかばかしい、俺はもう捕まらないぞ!!二度とこんな所へ来るもんか!!」とこの強い思いはその後「信号3つ目グランプリ」を卒業し「信号3つ目の間に1回ミラーを見ましょうキャンペーン」に変わり見事これまで目標を達成中で1985年から2007年の今日まで22年間バイクでは1度も捕まっておりません!!素晴らしい!!(車では3年前に1度だけ捕まりましたが・・・) そんなこんなでWildmanとマッハ号の80年代は過ぎて行くのですが、カエル君もまだ手元にありました。これではまだ話が終わりませんね・・・・秋の夜長にWildman’s Blogを楽しみましょう! 次回はついにPart.9「今度こそフィナーレ」をお送り致しますが、もはや誰も読んでないかもしれませんね・・・

2ストローク3気筒、Wildmanオートバイ物語 Part.7

7回目の連載になってしまい、後には引けなくなったので今回も長々と書きますが今度こそフィナーレを迎えられるよう頑張ってみたいと思います。 1985年ついに念願の’71カワサキ350SSマッハII(250登録)を50万円のボッタクリ価格で買ってしまったWildmanは東京のバイク屋からの帰路、ガソリンスタンドにて全く止まらないマッハを体験したのでした。給油機の前を通り過ぎて止まったWildmanはマッハのカックンブレーキに恐怖を感じました。KH250は貧弱とはいえ一応フロントディスクブレーキが奢られていたので現在の目で見れば効かないブレーキかもしれませんが、当時としてはこんなもんだろうというレベルの効きはありました。ところが初期型のマッハシリーズは750SSを除いて全てフロントはドラムブレーキの設定でした。見た目はカッコイイのですが止まるのが苦手というか止ろうとする意思が全く無いオートバイに思えました。 「曲がらない、止まらない、まっすぐ走らない」という’70年代当時よく言われていたマッハシリーズの恐怖の一端が垣間見えたのです。「こいつは怖いや、気をつけて帰らなければ死んじゃうぞ、第三京浜の料金所で止まれなかったら恥ずかしい伝説を作ってしまうので下道で帰りましょう」と一般道をトコトコと帰る事にしました。環八を抜け第二京浜に入る頃には少しコツをつかみ「そうか!3つ先の信号まで見てればいいんだ、そうすれば何とか止まれそうだ、マッハは安全運転の促進車だったのか!」と訳のわからない解釈が始まっていたのです。 横浜市内に入りだいぶマッハにも慣れてきたので「ちょっと飛ばしてみましょう」と思いました。広い見通しの良い道路で信号が青になりカエル君と同じ感覚で6000rpmくらいでクラッチをつないで発進したところ、いきなりポーンとフロントが持ち上がり意志とは裏腹にウィリー発進してしまったのです。「ウギャオー、コワー!!なんじゃこのバイクはー!!」と驚きで心臓がバクバクのWildmanでしたが、目の前にいた通りすがりの皆様にはさぞやカッコ良く見えた事でしょう・・・実際は不可抗力だったのです。 「は、速えー!このバイク、これがマッハフィーリングなのか!!!でも全く止まらないぞ!」と感動と恐怖がいっぺんにやって来たのです。350SSは速いバイクでした。500SS譲りの空冷2ストローク3気筒エンジンはピーキーな特性で、6000rpmくらいを境に急激にパワーが出る感じで、全開加速時はポンポンとフロントが持ち上がり、KHとは全く別モノのバイクに思えました。オートバイ全体の機能としてみればKHの方が良く出来ていますが、それは牙を抜かれてしまったSSにしか過ぎないのだと思いました。   KH250は車重160kgで28ps、それに対して350SSはもっと軽くて車重152kgで45psと圧倒的なパワーウェイトレシオの差 があり、エンジン特性もSSは高回転型でピーキーな物ですがKHは2ストロークとしてはややマイルドな中速寄りのセッティングになっていたと思います。見た目は似ていても乗ればその差は歴然でした。 「こんなにもカエル君と差があるとは思わなかった!こりゃぜんぜん別物だ、速いのは嬉しいけど止まらなくて怖いや・・・まさにジャジャ馬だこのバイクは」と思い、不良のA君が言っていた「アニキのは250CCのエンジンを積み替えて350CCになっているんだぜ」という本当の意味が7年以上経ってやっと理解出来たのです。 それからというもの、3つ先の信号を見ながらフロントをポンポンと上げてフル加速する快感を覚えてしまったWildmanは400CCクラスのバイクを見つけると常に勝負を挑んでいました。「オレは直線番長だ!信号3つ目までの加速なら負けねえぞ!!それ以上は止まらなくて危ないから勝負は終わりだ」と勝手にルールを決めては「シグナル3つ目グランプリ」を常時開催していたのです。 本当にですね、この14年落ちのマッハIIは同年代の中型バイクのCB400FourやGS400、GT380などは全く寄せ付けず、80年代の空冷4スト4気筒の400ccたち(XJ400、GSX400、CBX400等々)さえも相手の腕がよほど上手でない限り信号3つ目まではまず負ける事は有りませんでした。 旧いバイクで新しいバイクをブチ抜く快感を覚えてしまったWildmanでしたが、そんな事ばかりやっているから見事にバチがあたりました。忘れもしない1985年の7月28日(日)に白バイに捕まり1発で免停となりました。なぜ日付けまで正確に分かるのかと言うとですね、この日は現在も続くオモチャのスワップミート”ワンダーランド マーケット”の開催日だったからです!!いつも横浜で開催されるこのイベントですが、長い歴史でたった1回この年だけおとなりの川崎市での開催だったのです「川崎だからカワサキで行こう」とついマッハで行ってしまいました。しかも捕まった場所は数年後に自分の勤務地となるあの伝説の御所山のすぐそば、上原バス停付近でした。 信号待ちで並んだのはスズキGSX400インパルス(こんなのも懐かしいですね)「ケッ、GSXかよこんなのブッチちぎってやるぜ!この先は上り坂で下ったところに3つめの信号があってその先は止まれなくなる危険性もあるから勝負はそこまでだ」と勝手にルールを決めて信号が青に変わると同時に6000rpmでスタート!3本の白煙をあげてわがマッハ号は軽くフロントを上げ猛然とダッシュを決めました。「2速、3速!やった、このまま3つ目の信号まではオレの勝ちだな!!」とミラーを見るとGSXではなくて白いオートバイが赤い物をクルクル回して止まれと叫んでいます。「だまされた!GSXにだまされた!汚いやろうだあのインパルスは、だからスズキは嫌いなんだ!」と言っても後の祭り、おとなしく路肩にマッハ号を寄せました。 白バイ隊員サンが降りてきて「オマエ、飛ばしすぎだ!!」と何やら怒っていらっしゃいます。しかしこの時Wildmanはスピード違反よりももっと違う事を恐れていたのです・・・・・・ という事でやっぱり今回も話し切れませんでした。いい加減にしろという意見も御座いますが、それ以上にブログ風小説を楽しみにしていらっしゃる方が大勢いますので次回Part.8「オレとマッハと80年代」をお送りする予定です、今度こそフィナーレです、ハイ。

2ストローク3気筒、Wildmanオートバイ物語Part.6

大好評の?長編ブログはついに今回で連載6回目となり、もうどうしたら良いのか分らなくなってきました。 6回で終わるのかどうかは書いてみなければ自分でも分りませんので皆様ご理解下さい。 1985年のとある日曜日、カワサキ350SSマッハIIと東京の中古車屋で衝撃的な出会いをしたWildmanでしたが、ヒゲオヤジの「値段は50万円だよ」と人をバカにしたような金額を提示されビックリ仰天のWildmanでした。 今でこそ絶版車に高額なプレミアが付き、フルレストア済みのマッハシリーズとなれば100万円以上しても全く普通の事ですが、この当時で350SSが50万というのはボッタクリに近いものがありました(しかし数年後には平気でそれ以上の金額になっていましたが・・・) カエル君を\15万で下取ってもらっても残金は35万となり、考えていた予算を少しオーバーしていました。あたふたしているWildmanに向かってヒゲオヤジが50万円でも今後得する秘密の物を見せようといって何やらブツを持って来ました。「ほら、これだよ」と1枚の紙を渡します。みて見るとバイクの書類なんですが意味が分りません。「あの、これが何か得するんですか?」と聞いてみると「これはカワサキ250SSの書類だよ、これも付けて売るよ」とヒゲオヤジがニヤリとしながら言い放ちます。「250SSの書類??だってさこのマッハは350SSじゃん」と疑問に思いましたがハッとひらめくWildman。 「あのーもしかしてこの書類で250cc登録をしろという事ですか???」と聞いてみると「どう使おうがキミの勝手だよ、もちろん350SSの書類もあるから車検付きで納車してもOKだよ」とヒゲオヤジが言いました。 ご存知の通り日本では250cc未満の排気量のバイクは車検無しで登録出来ますが、それ以上の排気量だと当然四輪と同じように車検という恐ろしくお金の掛かるシステムが待ち受けております。「350SSが250cc登録!!だったら今後の維持費は猛烈に安くなるではないか!!」と興奮のWildmanでしたが「いや待てよ、そんな事をしたら不良のA君のお兄様が250SSのエンジンを350SSのエンジンに積み替えた以上に犯罪ではないか!!これでWildmanも遅まきながら不良の仲間入り??」と色々な事が頭の中をグルグルと駆け巡ります。 「どうしましょうこの状況、欲しいけど50万円は高すぎる、しかし秘密の書類を使えば今後の維持費はカエル君と同じ250ccクラスの安い金額で済むのか!!」とだんだん悪者になって行くWildman。「どうする、値引きは無いけどKH250を15万円で下取るから、35万円プラス250SS書類付きでどう?」とヒゲオヤジが攻撃をしてきます。 「うーむ、冷静に考えて見ればたとえ50万円というボッタクリ金額で買っても車検の無い250cc登録で乗ってしまえば、とーってもお徳な事ですね!!だって車検費用こそボッタクリではないか??」とどんどん思考が不良化して行くWildman。 さらに考えはおかしくなり「うん、これは50万円で買ってしまっても良いのかもしれない、だってさカエル君をたったの15万円で引き取られてしまうくらいなら、カエル君もそのまま残して2台体制、3気筒X2台の6本マフラーも素敵ではないか!!素晴らしい!かっこ良過ぎるぜ」と最悪の(最高の)?シナリオに向かって行ったのです。 完全に購買意欲はフルブースト状態になり「車検3回分くらいの金額が含まれていると思えば50万円なんて安いもんよ!よし買った!!頭金は5万円出そう、早くローン用紙を用意してくれたまえ!!」と気がおかしくなり、手馴れた手付きでローン用紙にサインをしていました。 もうこの頃は看板屋に勤めておりまして、KH250のローンもとっくに終わっていたので簡単に審査に通ってしまい今後20年以上た経っても止まらないクルマ&バイク借金生活の輝かしいスタートとなったわけです。 そして翌週末に納車となり、電車を3本も乗り継いでバイク屋に到着しました。カエル君の時とは違い陸送ではなく、今度は簡単に運転できるでしょうと思い自ら東京まで引き取りに来たわけです。 「ブレーキやキャブは調整してあるけどさ、KHとは感覚がちょっと違うから気をつけてな」とヒゲオヤジが簡単なレクチャーをしてくれます。「そうだよな、マッハだもんな、やっぱり速いのかな?でも同じような車体で100cc違うだけだからそんなに運転は難しくないでしょう」と考えるWildmanでした。 350SSでありながらなぜか250cc登録の横浜ナンバーが付いた我がニューマシンにまたがりキックを降ろすと1発でエンジンは目覚めました。「それでは失礼致します」と発進しようとするとヒゲオヤジが「ガソリンは半分くらいしか入ってないから入れて行きな、その先の出光なら有鉛があるから」と言いやがります。「ちぇっ、ガソリンくらい入れておいてよ、50万だぞ、50万!!ケチだなー」とブツブツ言いながら発進しました。そろりそろりと走り出すとさすがプラス100ccの余裕か、KHほど回転を上げなくてもトルク感が有りました。店からほんの100mくらい走ると出光のスタンドがあったので入り口を目指しました(当時出光は最後まで有鉛ハイオクのガソリンを扱っていた事を思い出します)スタンドに入り有鉛ハイオクの給油機の所で止まろうとすると、マッハのブレーキはカックンとなり止ろうとしません。目標より2mも先に止まってしまいました。 「ビ、ビックリした!何なんだこのブレーキは!」と驚きのWildman!!スタンドのお兄さんが「お客さん、そこ軽油だよ!」と言ってくれます。「は、恥ずかしい、バカみたいだ」と思いながらマッハを後ろに下げました。この時から止まらない借金と止まらないマッハとの生活がスタートしたのです。 さて、やっぱり話が終わりませんでしたので物語は次回に続きます・・・・連載ブログ小説は皆様の期待に応えついに7回目に突入し、次回ではやっと最終回を迎える予定ですがやっぱりどうなるかわかりません。 えーっと書類の件ですが、そんな事もあったよーな気がするだけです。なんせ20年も前のお話なので皆様あまり気になさらないで下さいませ。

2ストローク3気筒、Wildmanオートバイ物語 Part.5

ついに記念すべき5回目の連載となったこのブログ風の小説は、とりあえず今回で完結の予定ですがどうなるか分りません。 マッハにあこがれつつもマッハが見つからず、半ば妥協したような形でカワサキKH250(推定1978年型)のオーナーとなったWildmanでしたが、KHに乗ってみれば2ストロークトリプルの末弟としてそれなりに面白く、3本の白煙とこの形式のエンジンでしか味わえないサウンドを数年間楽しんでおりました。 ところが1985年のある日バイク雑誌の中古車屋のCMを見てビックリ!「カワサキ350SS 昭和46年型 車検2年付き 上物 応談」という物件が目に飛び込んできました。「マ、マッハだ初期型だ、白レインボーだ 一番欲しかったヤツだ!!!」と興奮し、東京のこの店にすぐ電話しました。 「あのー、雑誌の広告に出ている350SSなんですけど、まだありますか?」と聞くと、「まだありますよ、いつでも見れますよ」と嬉しい返事を頂き、「じゃあ、今度の日曜日にそちらに伺いますので宜しくお願いします!!」とお金の事は考えずに伝え指折り数えて日曜日を待ちました。 カワサキ350SS(形式名S2:通称Mach II)は世界最速のマッハIII500SSに続き1971年に発売されたマッハシリーズとしては2台目のモデルでした。軽量ハイパワーはマッハIII譲りで3気筒350ccで45psはもちろんクラス最高のパワーで(当時他メーカーの350ccは2気筒で36ps程度)これは10年後の’81年に発表となる750キラーと言われた水冷のヤマハRZ350と同じ数値という驚異的な物でした。しかしWildmanが惚れていたのはパワーもそうですが、不良のA君のお兄様のマッハで体験したあのテールカウルだったのです。 350SS発表時のキャッチコピーは「40年間お待たせしました、初めての テールアップGT」という物で世界初のテールカウル装着の量産車だったのです。デザインもエンジンもテールカウルも丸くなってしまったKHとは違いSSはとんがったテールカウルを持つ斬新なスタイルのバイクでした。レインボーラインと呼ばれる虹をイメージしたようなまさにバリバリの70’sなデザインのストライプがタンクとテールカウルに入っていました。 タンク等の外装部品はベースカラーが白とレッドの2種類があり、特に白は当時では珍しいパールホワイトの塗装でした。60年代の古臭いバイクのデザインから完全に決別した物となった最初のバイクだとWildmanは解釈しております、ハイ。 またもや説明が長くなり終わりが見えなくなってきましたが、22年前の日曜日に東京の中古車屋に出向いたWildmanはついに憧れの350SS マッハIIとご対面となりました。「ギャオー、カッコイイ!!本当にカッコイイ!どうしましょう、このバイク!!」と興奮するWildman、するとお店の怪しいヒゲオヤジが「若いくせに旧いバイクが好きなんだ?」と話し掛けてきます。 「旧いバイクが好きなんじゃないんです、好きなマッハが旧かっただけです」と又も会話がおかしくなっていました。 現車はハンドルやミラー、リアショック以外はほぼオリジナルを留めていて、タンクやテールカウルの塗装も塗り替えがされていないオリジナルのパールホワイト&レインボーラインというWildmanにとって完璧な物でした。14年落ちのバイクとしては程度は良く、ピカピカと言うわけではありませんでしたが、ずっと車検を取って乗り続けてきた風格?のような物がありました。物欲モードはピークに達し「目の前のマッハがオレを呼んでいる! 何とかしなければこの15分後お店に来る悪いヤツに買われてなくなってしまうかもしれない、いやきっとそうなってしまうぞ」と思い込みが激しくなり興奮しすぎてお店の中をグルグルと歩き回っていました。 「ところでこのマッハはおいくらでしょうかね??」とヒゲオヤジに聞いてみると、あっさり「50万円だよ」と言い放たれました。「ご、ごじゅう万円!!」とびっくり仰天のWildman。 いくらプレミアが付いた金額とはいえ当時の相場からいっても高すぎる金額に愕然となりました。頭の中では30万円くらいかしら?と考えていたので50万と言われて返す言葉もありませんでした。 「まいった、いくら何でも50万は出せない・・・350ccで車検もあるし、今後の維持費を考えたら無理すぎる」とWildmanにしては珍しく、あきらめモードが漂ってきました。ガックリと肩を落としているとヒゲオヤジが「君が乗ってきたKH250なら結構キレイだから15万円で下取るよ」と攻撃して来ました。「苦楽を共にして来たカエル君は15万か・・・寂しいな」と思いましたが、「そうすれば残金は35万になるのか、それなら払えるかしら?」とカエル君を見つめていました。するとヒゲオヤジが「確かに金額は高いけどさ、このバイクには秘密があってさ、50万円でも今後得する物を付けようと思っているんだ」とネズミ講のような怪しい言葉を発します。 「ナンダ、詐欺師かこのオヤジは・・・」と警戒するWildmanに向かってヒゲオヤジはごそごそと何やら店の奥からブツを持ってきて見せようとします。 と言う事で又もや今回も書き切る事が出来ませんでした、本当に参りました。次回は今度こそ感動の最終回「止まらない借金、止まらないマッハ」をお届けする予定です。皆様もう少しこの小説にお付き合い下さい。(と言うか誰か終わらさせて下さい・・・) Mach was his dream and given some up for Kawasaki KH250(1978?) As being owner Wildman had enjoyed the riding the little KH with 2 stroke triple sound and smoke for few years. […]