Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

究極の贅沢、それは “Moon Shoes” です

久々にバイクでない話を書こうと思ったら、あまりにも書きたい事が多すぎて困ってしまった今週のWildmanであります。ということで今回はオリジナルスニーカーのお話を致しますが、コイツは世界に2足しかない超贅沢なスニーカーなのです。 思い起こせば数年前、手持ちのビンテージスニーカーたちが次々と壊れて行くことに腹を立て、本気でナイキに文句を言ってやろうと思いましたが、20数年前のスニーカーがまともに機能するはずもなく、逆にナイキに訴えられたら困るので文句を言うのはやめておきました。 ジョギングブームのころ(’80年代くらいまで)はスニーカーショップなどで、ソールの張替や簡単なリペアはやってくれたものでした。しかしそんな奇特なお店はもはやなく、所有している古靴たちは履けば履くほど壊れたり劣化して、哀れな姿になって行くのでした。「困ったな、自分でボンドで直すのも限界があるしこのままでは全部解体車輌のようになってしまうぞ、部品取りとして取っておくしかないのか?」と悩んでいたところ、インターネットでへんてこなお店を発見しました。BOOMERというこのお店は古スニーカーのリペアを専門にやっているとの事で「今どきこんな変態相手の職人さんがいたのか!」と驚き、恐る恐るメールを送って変態なりの問い合わせをしてみました。すると変態相手にとっても丁寧なお返事を頂き、壊れた古靴を送ってくれればリペアしてくれるとの事「きっと変態がやっているお店に違いない、変態に悪い人はいない」と考えるWildmanは早速このBOOMERさんにボロ靴を送ってみました(送り先は何と九州は長崎でした、変態は日本中に生息しています)) 待つこと数週間、リペアされた我がナイキが九州より無事帰還となりました。箱を開けてビックリ仰天のWildman!!スポンジが劣化しボロボロだったシュータン(ベロ)はふかふかになっていて、硬化していたミッドソールも張りかえられ、新品のはき心地が甦り、あっけにとられてしまいました。さらにサービスでほつれていた糸も縫い直してくれ、20数年落ちのボロ靴は新車のようにレストアされて手元に帰ってまいりました。しかもリペアする際にスポンジの厚さ(アメリカ製ナイキと日本製ではスポンジの厚みも違う)まで聞いて来てまさに変態職人のプライドを感じました。これで旧車同様スニーカーもレストアできるなと思いました。「す、凄い、凄すぎる、こんな職人さんが今どきいたなんて!!これは完全に変態だ、いや芸術だ!!」と感動のWildmanでした。その後もすっかりBOOMERさんの技術のとりこになってしまい、我がボロナイキたちは次々と九州のレストア工場にせっせと送られて行き、レストア済みとなって生まれ変わり、横浜に戻って来ました。 画像の赤いスニーカーは1976年製造のナイキモントレーというモデルです、31年落ちです。アウトソールを張り替えてもらい新品同様になりました。もったいなくて履けません。(以前ブログで紹介した「ああ、憧れのMade in USAナイキバミューダ」というスニーカーもBOOMERさんでのレストアです)そんなこんなでなかなか会うことは出来ないけれど常識人には理解出来ない古靴のやり取りですっかり意気投合した?BOOMERのBOOさんはもともとクルマの世界にいた方でした。40系のクラウンセダンを所有されてる一見普通のマニアです。しかし好きが高じて変態になってしまいました。が、その技術は圧倒的でビンテージスニーカーマニア(変態)の救世主でした(と、勝手に思っております) ただ、手作業でPinstripeと同じく量産が出来ない仕事なので、それはそれは苦労されたと思います。しかし変態はそんな事でくじけません、苦労ついでに今度は「一からスニーカーを作ります」という暴挙に出たのです!!最初は「いったい何を言っているのだろう??」と思いましたがBOOさんは本気でした。量産スニーカーを流用して部分的に変えるというのではなく、ホントーにデザインをして型から起こし、全てを手作りにより1足のスニーカーを作るというのです。Hot Rodderのような人です。しかもそんなお話を聞いていたのがちょうどMooneyesが創立20周年を迎える直前でした。Wildmanの心の中でムラムラと考えが浮かんで来ました。「そうだ、20周年記念にMoonのオリジナルデザインのスニーカーを作ってもらい、Bossにプレゼントしよう、本当はBossも隠れスニーカーマニアかもしれない!!きっと喜ぶぞ」と考え、その思いをBOOMERさんに伝えました。するとBOOさんはこちらの意向を理解してくれ、快く変態の希望を受け入れてくれました。しかもストライプのデザインをWildmanに任せてくれたのです。さらに恐縮してしまうことに、Bossモデルと一緒にWildmanモデルも作ってくれるというのです!変態は半狂乱になりこの嬉しいプロジェクトを心待ちにしました。 そして20周年記念日の数日前、世界に2足しかない超贅沢スニーカー、その名も “Moon Shoes” が完成致しました。 どーです、素晴らしいでしょう!!’70年代スニーカー風のフォルムにMoonのグラフィックス、そして極め付けはシュータンにプリントされたWildmanの似顔絵?です。 まさに究極のワンオフ モデルです。もちろんBossモデルにはBossの似顔絵がプリントされています(Mooneyes Express参照)イエローレザーの質感も素晴らしく、まさに一生物のシューズとなりました。しかも万が一の場合にはリペアもして頂けるので完全補償のスーパーシューズです!!あまりにありがたくてしばらく履けませんでしたが、昨年のHot Rod Custom Showに初出撃し会場の皆様の目を楽しませました。2007年現在、重要なイベント時のみ履いております。目撃された方は大変ラッキーです。履いてるWildmanはもっとラッキーです。 それにしてもこんな変態、じゃなくて職人さんがいたとは本当に驚きました。謎の職人BOOMERさんの技術は最高です。もっとBOOMERさんを知りたい方は自分で探してください。変態は何事も自分で探すものです。

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2ストローク3気筒、Wildmanオートバイ物語 Part.12

変態の皆様お疲れ様でした。3ヶ月に渡って連載のロングランブログ風小説、「2ストローク3気筒、Wildmanオートバイ物語」は12回をもちましていよいよ最終回となりました。 切腹はやっぱり痛いから嫌なので何が何でも今回で終わらないと大変な事になってしまいます。しかし皆様がこんなに旧いオートバイのお話にお付き合い下さるとは思いませんでしたので、変態さんの数が確認出来てとっても良かったです。 さて、カエル君ことカワサキKH250(推定1979年型)を90年代になってから手放してしまったWildmanは350SSの2台体制となり(1台はオブジェの不動車)細々と?オートバイライフを送っておりました。白マッハ号は意外にも調子が良く、大きなトラブルもないままそれなりに走行距離を稼いでいました。遠出をすることはめっきり減りましたが、たまに御所山8への通勤にも使い横浜市内のみをグルグルと走り回っておりました。用もないのに1時間くらい乗るのがちょうど気持ち良く、それ以上走ると気持ち悪くなるのがこの頃の白マッハ号とのつきあい方でした。 ある日通勤途中、掘割川横の16号線で横に並んだのは一瞬カエル君と見間違うライムグリーンのKH250に乗る若いにーちゃん(というか暴走族)でした。白く塗られた集合チャンバーがこの世のものとは思えぬ壮絶なサウンドを発しておりました。信号待ちでにーちゃんはマッハ号に気付きジロリとこちらを見たかと思うと日章旗のグラフィックスの入ったメットの奥でニッコリとほほ笑み「エスエスカッコイイッスネ!」と賛辞の御言葉をいただきました。「アホな暴走族だが趣味は一緒、マッハを好きなヤツは認めなくては」と思いしばらく並走しました。それにしても2スト用の集合チャンバーというのはわかっちゃいるけどムチャクチャな音で、音ばかり凄くてちっとも前に進まないのがとっても微笑ましく思えました。「よーし、ここらで我がインチキ250登録マッハ号の実力を見せてあげましょう」と思いアクセル全開、ケムリも全開、KH250を置き去りにしました。次の信号で追いついて来たにーちゃんは「速いっすね!本当に250すか?」と御質問、「実はかくかくしかじかでコイツは350ccなのさ」と自慢げなWildmanでした。この頃はトリプルはかなりの稀少車になっていて街中ではバイク好きの方々によく声を掛けられました。相変わらず250cc用ナンバープレートと350のエンブレムについては良く質問を承りましたが・・・ こうして90年代を過ごしておりましたが、こんな世捨て人もなぜか結婚することになりついに実家を出る事となりました(出るのはいいんですが、あまりの物量の多さに四苦八苦の引っ越しだったのは言うまでもありません)横浜の端っこの方に借りたアパートはミニカーとクルマの駐車スペースは確保出来ましたが、バイクを保管するにはあまり良くない環境でした。「うーん心配だなこれは、又もオヤジに頭を下げてマッハ号はしばらく実家に置かさせて頂きましょう」という事になり、2台のマッハはとりあえず実家に居残りとなりました。乗りたくなるとリード90かクルマで実家まで行き、気持ちの良い1時間くらいをメドに乗りまわし、気持ちが悪くなってくるとマッハ号を実家に戻し、アパートに帰るという生活パターンを繰り返しておりました。そして90年代も押し迫った頃、突然マッハ号と悲劇の別れがやって来たのです・・・・・ ある日の事、実家より電話があり「ところでお前バイクどうしたの?」と意味不明の事を言い出します。「なんで?そこに置いてあるじゃん2台とも」と言うと「無いよ2台とも」と理解不能な言葉を発します!!「○X△・・・・◇!!!!」と発狂モードになったWildmanは即行で実家に向かうと、いつもマッハ号2台を置いてあった場所にマッハ号が無いのです!!!「こ、これはどーなちゃったの??なんでマッハ号が無いの????」と半狂乱状態で家の周りを探してもあるはずがありません・・・・・・盗まれました、2台とも・・・・・・・きれいさっぱり無くなっておりました。まさか自分とマッハ号がそんな目にあうとは思いもよりませんでした。10数年を共に過ごしてきた愛車は一瞬で闇の中に消えてしまいました。結局盗まれた2台は出てくる訳もなく今日に至ります。出て来たのは白マッハ号から外されたナンバープレートのみでした(道路にクシャクシャになり落ちていて警察に届けられていました) 2度と再会する事もない2台のマッハは今頃どこでどのようになっているのでしょうか。バラバラになって部品取りになったのか、テキトーな書類と組み合わされて走っているのか、犯罪者Wildmanの元を離れていったマッハは新たな犯罪者により走っているかと思うと皮肉な物ですね・・・・ こうして長年連れ添った3台の中型2ストローク3気筒たちはWildmanの元から消えてしまい、全ては幻のような思い出となってしまいました。思い起こせば今から29年前、中学校の帰り道で不良のA君のお兄様のマッハとの衝撃的な出会いがWildmanオートバイ物語の始まりでした。あの出会いが無ければバイクなんか興味がわかなかったかも知れないですね・・・Wildmanにとってはあのゴールドのマッハこそがいまだに一番カッコイイマッハだと思っております(川に捨てられてしまいましたが)さて、不良ながら異常にイラストの上手かったA君はその後どうなったのでしょうか?Wildmanにバイクの事(マッハの素晴らしさ)を教えてくれたA君は中三の時のクラス替えにより違うクラスになってしまい進路は知りませんでした。しかしその後1度だけA君に遭遇した事があります。1982年ころ我が岡村町で床屋に行こうと思いフラフラ歩いていると交差点で前方より激しい70’s暴走族カスタムのされた真っ赤なスズキGS400が爆音と共にやって来ました。「真昼間なのにノーヘルで2人乗りか・・暴走族は元気が良いのう」と思っていると乗っている二人組を見てビックリ!運転していたのは岡小、岡中と不良を貫いていたヘビー級の不良のY君でした(さらに数年後明らかにその筋の方となり、ベンツSクラスに乗っているのを目撃)そして後ろに乗っていたのはA君ではありませんか!「アッ、A君」と思ったらA君と目が合い、激しい爆音の中で彼もこちらに気付たらしく一瞬ニヤリとして、信号無視をして岡村4丁目方面に消えて行きました。「やっぱりA君はこうなっていたか、予想通りだったな・・・・」とこれがA君を見た最後でした。きっと今頃何かしらの形で立派に?なっている事でしょう。ありがとうA君(なんのこっちゃ??) A君によりバイクは2ストロークという方程式を教わったWildmanは単純なのでそれ以来その教えを貫いております。すでに2ストロークのオートバイは環境問題により基本的には生産が終わってしまい今後は新たに開発される事もなく消えゆくのみの悲しい存在です。近い将来法律が変わり、2ストに乗ったら死刑になるかもしれません、みなさん気をつけましょう。 HDやトライアンフ人気で、日本はスーパースポーツのオートバイは売れ行きが悪く、一部のマニアさんを除いて、速いバイクというのは皆様興味の対象外になっていますね。別にマッハみたいに旧いモデルでなくても機会があったら2ストロークのバイクに乗ってみて下さいな。音、ケムリ、オイルの焼ける匂い、ピーキーな立ち上がり、全て2ストだけの世界ですよ。 という事でめでたくこの超長期連載のこのお話は完結となりWildmanは切腹を免れた次第でございます(良かった)しかし嬉しいお知らせです、いつかオートバイの話は第2章が始まりますよ。いつになるかは分かりませんので、今後もこの変態ブログを宜しくお願い致します。

2ストローク3気筒、Wildman オートバイ物語Part.11

8月の猛暑の中スタートし、多数の皆様に御支援頂いた超長期連載のブログはとうとう11回目を迎え、ほんとーに今回で完結編となることが決定致しました。本当ですよ(たぶん・・・)。3回のつもりが4回に、8回のつもりが10回にそして季節は移り変わり今は秋・・・やめられない止まらないお話は、多数の変態様のコメントも頂き、最近はコメントの方が面白いのでは?と思う今日この頃です。変態参加型ブログは、たぶん最終回のお話が始まります。 2ストローク3気筒、3台体制を整えたWildmanでしたが、とっても楽しいバイクライフを送った80年代は過ぎ去り、時代は90年代になっておりました。Mr,石川県より譲って頂いた赤レインボーの350SSは暫くオブジェとして頑張ってもらうのは良しとして、カエル君はだんだんと出撃の機会が減って来ていました。どうしても白マッハ号のパワーばかりが魅力となってしまい、常に回転を上げて走らなければまともに動かない250ccのカエル君に少し物足りなさを感じていました。「うーむ、2台分の保険料や維持費も大変だし、カエル君には暫く冬眠してもらおうか、でもナンバーを切るのは嫌だから税金位は払っておきましょう」とナンバー付きでの保管という結論を出しました。 乗るバイクは白マッハ号のみとなり、相変わらず250cc登録の犯罪者のまま横浜の街を疾走しておりました。そんなこんなで90年代は刻一刻と過ぎて行くのですが、その頃はWildmanも看板屋からMooneyesのPinstriperになっていて猛烈に忙しい日々を送っていました(この頃はただ単に仕事が遅かっただけなのですが・・・)。赤レインボーのレストアどころではなくカエル君でさえいつ復活するのか分らない状況になってしまい3台もあるのに1台しか動かないというバカらしい事態を招き、世捨て人なりに悩んでおりました。 「まいったな、無駄というかバイクが可哀そうというか、どーしてよいのかわからんというか、何はともあれ自分はバカだ!」という変態なりの結論が出ていました。そんなある日の事、クルマ関係で知り合った方よりカエル君を譲ってくれないか?という御申出を受けたのです。「しばらく乗ってないから何かとOHの必要が有りますよ、抜群に程度が良い訳でもないですし・・・」と当初は謙遜して、あまり売るつもりもなかったのですが、「このまま持っていても乗らないんじゃ可哀そうだし誰かに乗ってもらった方がカエル君のためにも良いのかも!!」と思うようになり、その方の熱意にも押され、カエル君はついに冬眠から目覚めることが決定したのです。初めて買ったオートバイだし、たくさんの思い出もあり1度はマッハ号の下取りに出されそうになって思いとどまり、その後ムキになって所有してきましたが、ここらが限界かなという感じでした。ただ知り合いの所に行くので完全にサヨナラという訳でもなく、新オーナーは同じ横浜市内だったのでナンバーもそのまま継続出来るので、寂しさは半減といった気分でした。この頃はKH250もかなりプレミアが付いておりましたが、そんなんで儲ける気もなく適正価格にてWildmanの手元を離れて行きました。 しかし無くなると無くなるで、たまにカエル君を思い出してしまいウルウルしていました。観音崎で焼きついた時のこと、アクセルワイヤーがぶった切れて死ぬかと思った時のこと、ハンドルをスワローに変えて走ったらものの10分で捕まり、これはオリジナルだ!と豪語したものの、バカ扱いされ整備不良で切符を切られたときのこと、RD250とバトルをし、信号待ちで止まった時、お互い「いやー素晴らしい音とケムリですね!!」と言い合ったこと・・・・Wildmanとともに10~20代を過ごしたカエル君は3本マフラーのケムリと共に思い出の彼方へ走り去っていったのです。 なーんてセンチメンタルになったところで時代は21世紀にシフト致します。ふっふっふ…・この画像を見てください。 そーですこれは21世紀のカエル君です。4年くらい前の写真なのですが、カエル君はオーナーがまた変わっておりましたがいまだ横浜市内で生き続けていました!!!何とナンバーも20数年前に少年Wildmanが取得した時のままであります。しかもこの写真は御所山8で撮影したのですが、走って見せに来てくれたのです。中年Wildman感謝感激であります!!!! 画像のカエル君はタンクが赤で意味不明のカラーリングとなっておりますが、これはWildmanが雪の中の実験走行ですっ転んで傷をつけてしまったあの赤タンクそのものです。カエル君を売る時に一緒に渡したパーツですが、ライムグリーンのタンクに錆が出てしまって使えなくなったそうで、この傷付きタンクを一時的に?使っていたとの事でした。それにしてもあの思い出のカエル君に久々に再開出来て本当に嬉しく、その後一週間は頭の中で80年代にタイムスリップしていました(今もですけど・・・)。カエル君にはその後会っておりませんが、きっと元気にあのトリプルサウンドとケムリを撒き散らし横浜の街を激走している事でしょう、がんばれカエル君!!! とここまで書きましたが、やっぱり終わりませんね…皆様この連載はもはや犯罪となってきました。次回話が終らなかったら切腹致しますので、今度こそ感動の?最終回「ケムリの向こうに消えたマッハ号」をお送りします、ついに終わりだぜ!!!

2ストローク3気筒、Wildmanオートバイ物語Part.10

今度で最後だ、ついに終わりだと宣言してついに10回記念の長期連載ブログ小説ですが、先日開催のイベント「オールオッズナショナルズ」会場でも 「もっと続けろ!」という声を多数頂いてしまいました。そんな事を言われてしまうとこっちも後には引けなくなります。実はこの連載が始まってからですね、ブログへのアクセス数が異常に増えたのです(何でだろ?)嬉しいんですが、いつまでも同じ話をしていると他の事が話せなくなります。(いまさらそんなこと気にするなって・・・)ということで今度こそ完結を目指して頑張ってみたいと思います!! 世捨て人はMr,石川県より3台目のバイクとなる赤レインボーの350SSマッハIIを¥10万円にて購入してしまい、はるばる石川県より横浜まで無事持ち帰りました。部品取り車のつもりだったのに、とってもキレーなこの車両にウットリでした。「ついに3台体制か、3気筒X3台で合計9気筒だ!!ワハハハハー、これならキカイダーにも勝てるかもしれないぞ」と3台並べて恍惚状態になっておりました。 「赤レインボークンは奇麗すぎるな、部品取りなんてもったいない!!秘密の書類をもう1枚探して250登録しちゃおうかしら?」と思っているうちはまだよかったのですがそのうち「いや待てよ、どうせ白マッハ号と同じバイクなんだから、乗るたびにナンバーを付け替えていればいいのか!!」と犯罪者はもっと前科を増やそうとしていました。「でもカエル君もあるからな、しばらく赤いのは保存しておいていつか復活させましょう」と赤マッハオブジェ計画となりました。 週に1度は3台をまとめて実家前の道路に引っ張り出して、カタログと同じように並べて「クー、カッコイイ!!このカッコ良さは犯罪だぜ!!」と犯罪者は一人悦に入っておりました。近所からは「あそこの息子は頭がおかしいらしい、動かないバイクを見て興奮しているぞ」などと言われても変態は動じませんでした。 そのうちに元町にムーンアイズがオープンし、白マッハ号でよく通いました。「マスタングが大好きなんです!」とほざいていた時期で週に1回しか会えないBOSSが元町プラザの2Fからマッハ号を見て「バイクも旧いのが好きなんだ」と言ってきました。「違います!旧いバイクが好きなんじゃなくて好きなマッハが旧くなっただけです!!」と又も意味不明の会話をプラザの1Fと2Fで交わしておりました。 そういえばこんな事もありましたっけ。ムーンアイズからの帰り道、本牧産業道路にて信号待ちで美しいイエローのフェラーリディーノ246GTと並んだ事がありました。 オーナーのオッサンは我マッハ号を見てニヤリとしています。「そうか、このオッサンはマッハの事を知っているのか!ならばイイトコを見せなくっちゃ!!」と勝手な解釈をし、信号が青になると同時にケムリモクモクの ロケットスタートを決めました。フルスロットルで加速しディーノはミラーに小さく写っていました、その時何か小さな物体が飛んで行く姿も写ったような気がしました。 赤信号で止まり「へっへっへ、カッコ良かったでしょう!」と自画自賛しディーノが並ぶのを待っているとおっさんが窓を開けてこっちを指差してさらに後ろを指差します。「なんのこっちゃ?、このおっさん」と思っているとさらにWildmanの足元を指差します。「へっ、何でしょう?」と足元を見ると「な、無い!マッハ号のサイドカバーが無いぞ!!、しまったさっき飛んでいた物体はサイドカバーだったのか」と慌てふためきUターンし、産業道路の捜索作業が始まりました。大型トラックが走りまくるこの道路です、もしやぺちゃんこ?と泣きそうになりながらさっき走った所を捜索すると中央分離帯の手前に白い物体がころがっています。「あ、あったぞオレのサイドカバー!!感動だ」と叫びながら拾い上げるとチョコット傷が付いたくらいで大きな損害はありませんでした。「良かったー、奇跡だ!ありがとうディーノのおっさん」と心の中でお礼をしておきました。この時点で右サイドカバーは欠品部品で(なぜか左はありました)ぶっ壊れていたら廃人になっていたでしょう。   マッハ号はスーパーカーには縁があり、ある時真っ白のポルシェ・ターボが追いかけて来ました。 信号待ちのたびにピッタリとマッハ号の後ろに付き何やらこっちばかり見ています。「やだなあの下品なクルマ、何か文句があるのかな」と思っているとポルシェのチョイでぶオヤジが「兄ちゃん、エスエスカッコいいね、何シーシーのやつ?」と質問されました「何だ、いい人ではないか」と思い「これはですね350SSでございます、訳ありでナンバーは250ですけど・・・」答えましたが白バイにつかまって以来、やたらエンブレムとナンバーの差についてのご質問が多くなった感じがして、この頃自分のやっている事の重大さに気付き始めました(でもやっぱりそのままでした)   ある時は山下公園のところでグリーンメタリックのランボルギーニ・エスパーダと並走しましたが、この横浜ナンバーの固体はあの伝説のスーパーカーディーラー「シーサイドモータース」(Wildman’s Blog 5/25分参照)が輸入した正規物で珍しいオートマチック仕様でした。 それから10数年経って今度は伊勢佐木町でそのクルマそのものと再会しビックリしました。オーナーはずっと乗っていたそうですがその後しばらくしてカーマガジンの売買欄に売りに出されておりました、どうなったか心配です・・・欲しいです。   なんて余計な事ばかり書いているから話が終わらないじゃないですか!!どうしましょうこの展開・・・とにかくこの頃はバイクに乗るのが楽しくてしょうがなかったのです。しかしだんだんとカエル君には乗る機会が減ってきていました。通勤にもマッハ号ばかり乗るようになり、カエル君は出番が激減して来ました。「うーむ、2台均等に乗るつもりだったがパワーの差はいかんともしがたいな、カエル君にはカエルらしく冬眠してもらった方が良いのかなと考えつつ80年代は過ぎ去ろうとしていました。 という事で皆様の期待に答えて今回も終わるのはやめました(終わらなかっただけですが)次回11回目の連載はついに正真正銘の完結編「2ストローク3気筒は思い出のかなたに」をお送りしてピリオドを打ちます。ほんとーです、覚悟しててくださいね。