Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

箱根の山にはPinstripeが良く似合うぜ!

2007年最後のWildman’s Blogでございます。皆様よくぞここまでお付き合いしてくれたかと思うと感動してしまいます。この数ヶ月間いいように暴走しまくりの当ブログでしたが、最後くらい変態としてではなくPinstriperとしてPinstripeの話題をお届けしなくてはバチが当たると思い珍しくお仕事のお話を致します。 思い起こせば1年半くらい前の事でした。アメリカはLong Beachで行われたJapanese Classic Car Showに行き、現地でアメリカの変態さんと交流を深めて来たWildmanでしたが、帰国後Studioに戻ると1枚のメモがDeskの上にのっかっており、何だろうと思い見てみますと、お客様からのPinstripeのお問い合わせで、折り返しのTelをする事になっていました。 お名前を見ると「箱根吟遊」となっています。「はこねぎんゆう、なんでしたっけ?何か聞いた事有るような無いような??」と思いましたが、その時は何だか思い出せませんでした。 常務様宛にTelするようになっていたので、「うーむ、いったい何の御依頼なのでしょう??カスタム ショップとも思えんし・・・」とちょっとビビりながらTelしてみますと、とってもご丁寧な言葉使いの常務様がお出になられました。お出になられたのはいいのですけれどお話をよく聞いてみますと「箱根吟遊」さんは何と老舗の日本旅館でございました。しかも旅館のお部屋始め建物内に好きなようにPinstripeを描いてほしいというこれまでになかったオファーを頂いたのです。 常務様があんまり熱心に話されるのですが、相手は日本旅館であってホテルでは無いのです。「あのー私は普段カスタムカーやバイクをメインの仕事をしておりまして、デザインも和風定食というよりは洋風ランチなのですが、私のようなものがお邪魔して描きまくっても宜しいのでしょうか?と聞いても「全然構いません、どうしてもPinstripeを描いてほしいのです!」と力強く答えてくれます。 「それならばやりましょう!!日本旅館をカスタムしましょう!」とWildman的にも燃えてきました。 その後に色々な人に話を聞いて思い出しました。「そーいえばテレビで見たことがあったような気がする、そうか箱根吟遊さんは予約が取れないので有名な超人気旅館だったんだ!」その後常務さんにパンフレットを送ってもらってビックリ、ホームページを拝見してさらにビックリの高級旅館でございました。「うおー、こんな所に仕事に行くのか、旅行じゃないけど興奮して来たぞ!」とすっかり戦闘モードになったWildmanは一泊二日の「箱根吟遊、Pinstripeの旅」に出たのです。 当日ちょっと場違いな?YellowのProbox Phase IIIで旅館に乗りつけたWildmanは吟遊さんの駐車場で箱根連山の壮大な景色にビックリ、ロビーに通され素晴らしい建物にさらにビックリでした。 それよりもペンキだらけのLeeでうろつく変態を見た当日のお客様の方がビックリだったでしょう・・・ 思っていたよりもずっと若かった常務様と打ち合わせをした所、とにかく2日間で時間の許す限りお部屋だろうがロビーだろうがどこにでも描いて欲しいといわれるので、どこにでも描く事にしました。しかしこの時の出張は旅館の営業日だったので、Wildmanにとって試練が待ち受けていたのです・・・ お客様が正午頃にチェックアウトされた後、次のチェックインまでの残り数時間で部屋の内部にPinstripeを描き、夕食の時間にはお客様が来そうもない廊下や露天風呂周辺、さらに皆が寝静まった頃、のこのこロビーに出かけ深夜脚立によじ登りPinstripeを描く変態が一人・・・・・という感じで試練の2日間はあっという間に過ぎてしまいました。もちろん超人気旅館なので20部屋しかないお部屋があいているわけもないので、小さめの宴会場にて夜を過ごささせて頂きました。 しかしそこから見える景色は他のお部屋と全く同じで、しかもお部屋でお食事まで出して頂いたので「うーむ、世は苦しゅうない」と言っておりましたが、時間に追われる仕事はちょっぴり苦しかったです・・・ しかし2日間で仕上げたPinstripeはなかなかの出来と自画自賛?のWildmanでしたが、日本旅館ながら各部にバリのテイストをちりばめた常務様のセンスによる吟遊の建物はPinstripeと上手くマッチし、日本旅館とPinstripeの組み合わせという新たな感覚が生まれたのでした。 吟遊さんは箱根で代々続いて来た老舗旅館でしたが、常務様の代になり2002年に完全リニューアルし現在のスタイルを作り上げたそうです。絶景が楽しめる各お部屋に露天風呂があり、バーやラウンジにもバリのテイストを施し、日本旅館でありながらちょっと海外のリゾート気分も味わえるスタイルでPinstripeもばっちりハマったのでした。 結局この日だけではとても描き切れなかったのでその後も何回か出張し描き続けておりますが、あと1回行けばほぼパーフェクトといった所までこぎ着けました。 他にもオリジナルの日本酒のラベルデザインをやらさせて頂いたり、ラウンジ等のサインボードなども描いたりしましたが、もう一つデザインをしている物があり来年には完成予定です。それは宿泊すれば分かりますのでぜひ皆様も一泊二日「箱根吟遊、Pinstripeの旅」に行ってみて下さい。 しかし注意事項があります、超人気旅館なので予約は半年から1年待ち!!という事を御理解下さい。(ほんとーだったのでビックリしました)しかし我慢して予約が取れれば絶景とお風呂と素晴らしいお食事とオマケでPinstripeも堪能出来ますよ!!運が良ければ?ペンキだらけでうろつくWildmanに遭遇するかもしれませんが・・・・

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絶対欲しいぜ!衝撃の2ストV4”ヤマハRZV500R”

死ぬまでに欲しいオートバイがあと何台かあります(ほんのちょっとですけど・・・)カワサキ党を自認するWildmanでありますが、コイツだけは例外といえるバイクが1台ございます。2ストローク大好き人間にとっては最後の大型2ストバイクとして思い出に残る車両「ヤマハRZV500R」がWildman欲しいものリストの上位にランクされております。 イヤー本当にコイツがデビューした時は衝撃的でしたよ。1980年代中盤、世は空前のレーサーレプリカブームで各メーカーこぞって公道にレーシングマシンをほっぽり出したような危険な市販車を平気な顔をして売りまくっておりました。特に250ccクラスは2ストロークレーサーそのものといった感じでヤマハRZシリーズから火が点き、ホンダのMVXやNSシリーズ、軽量ハイパワーがウリのスズキは超過激なRG250γ(ガンマ)をデビューさせ、我がカワサキも空冷トリプルに代わる新世代の水冷2ストKR250を送り込んで来ました。まあその頃はWildmanはカエル君(KH250)やマッハ号(350SS)を転がしていたので我感知せずといったスタンスでしたが、それら250ccレーサーレプリカの速さには驚いておりました。だって当時の4スト400ccや型遅れのナナハンなんかでは全く相手にならないようなスピードを誇っていたのです。 「2ストの進歩はスゴイのう・・そのうちマッハみたいにデッカイ排気量の2ストが出たら笑えるのう・・・」と思っていたら本当に大笑いするようなバイクが現れました、そいつがRZV500Rだったのです。83年の東京モーターショーでお披露目されたRZVは水冷2ストの500ccしかもV型4気筒エンジンなんてまさに当時のワークスレーサーそのものだったのです。 国内版はアルミフレームでパワーは自主規制のような形で64ps、輸出仕様は名前がRD500LC(LCはLiquid Cooledの意味)こちらはフルパワー86psですが、フレームはスチールとなっていました。国内版はパワーが抑えられていましたがキャブ調整やサイレンサーの加工で簡単にフルパワー仕様に出来ました。 国産2ストロークマシンの集大成としてデビューしたRZVは当時のテクノロジーを全てつぎ込んだような豪華レーサーレプリカで走り屋ライダー達の憧れの的となりました。なんたってこの頃は2輪免許も改正前で400cc以上に乗れる大型免許は一発試験しかなく、その合格率も数パーセントの詐欺に近いような世界一難しい免許で、さらにRZVの価格ときたら¥82万5千円也!!というナナハン以上のプライスでこれも詐欺まがい?でした。つまり免許もあって乗りこなす腕もあって、さらにお金もありますよという3拍子揃ったエリート様のバイクと勝手に解釈しておりました。 中免しかなく腕もなくローンで苦しみお金もないWildmanにとっては別世界のバイクそれがRZVだったのです。しかし別世界のバイクが一瞬だけWildmanの世界に入って来ました。当時看板屋に務めていたWildmanでしたがこの看板屋の先輩Mさんが大のオートバイ好きでなんとも渋いヤマハXJ750というバイクに乗られておりました。このMさん猛烈に運転が上手いというか気が狂っているというかスピード感がおかしいというか別世界の走りというか、とにかく異常に速かったのです。XJも休みの日にはサーキットに持ち込みスポーツ走行をしたり、箱根などの峠にもしょっちゅう行かれておりました。 そんなある日カエル君(KH250)で通勤途中、右高速コーナーをボケッーと流していた所、いきなりハングオン状態で4本マフラーから煙を吐きながら狂ったようなスピードでカエル君をパスして行くバイクが1台「うおー、スゲーRZVだ!!」と思ったら前方でウィンカーを出して止まり、Wildmanを手招きして呼んでいます。「ん?あのアライのメットは??もしかしてMさんではないか!!」とビックリのWildman。そーです、Mさんはいつの間にやらRZVを購入されていたのです(内緒にしないで下さい) 速い走りを追い求めるMさんはトーゼンの成り行きとして最高峰のレーサーレプリカRZVにたどり着き、XJ750は保安部品を外してサーキット専用にされてしまいました・・・RZVは購入と同時に輸出仕様のフルパワーに改造し、Mさんはその走りに大変満足されておりました。 しばらくし白マッハ号(350SS)を購入したWildmanでしたが、カエル君(KH250)にはあまり興味を示さなかったMさんでしたが白マッハ号にはちょっと興味があったようで、ある日仕事が終わってから素敵な提案をされました。「今日俺のRZV貸してやるから君のSS貸してよ、一晩交換しようよ」と危険なスワップ話が持ち上がりました。「だってMさん、僕は大型免許持ってないですけど…」と言うと「そんな事気にすんなって、わかりゃしないよ」と励ましの?御言葉を頂きました。 「そーだよなどうせインチキ書類のインチキバイクに乗っててもわからないんだから、一晩くらいインチキしてもわかりゃしないな!どうせ犯罪者だし、そうだ、そうだ」といい加減な結論をだして一夜限りのスワップは成立しました(この頃は無免許運転ではなく条件違反というものになったようです) 「初めて乗る大型バイク、しかも2ストの最高峰RZV500R!!、俺はGPレーサーだぜ!」と興奮し、発進しようとするとなんかギアが変??「Mさーんなんかコレおかしくないですか?」と聞くと「悪い悪いそれシフトパターン変えてあるから、一番上が1速で、そのあとはニュートラルを挟んで下に向かって6速になっているから」と難しい事を言いやがります。サーキット走行が大好きなMさんはシフトパターンを逆にして1ダウン5アップではなく1アップ5ダウンというレーサーみたいなことをしていていきなりWildmanに試練を与えてくれました。「まったくもう、狂人の考えていることはわからん」と思いながら変態は恐る恐る発進致しました。RZVは意外や意外、V4で500ccは低速トルクも十分にあり普通に街中でも乗れる感じで「なんだ、これなら白マッハ号の方がピーキーで2ストっぽいじゃん」なんて思っていましたが、大好きな安全そうで長い直線路に入りアクセルをガバット開けたところRZVは狂ったような加速を見せてWildmanを未体験ゾーンに連れて行ってくれました! 「は、速えー!何なんだこの乗り物は!!危なすぎる、こんなもの俺の手にはおえんぞ!!」とビックリ仰天の無免許野郎はビビりまくりました。これまでに経験したことのない加速性能をRZVは見せてくれたのです。中免野郎には荷が重すぎましたが、でもせっかく借りたのだから少しでも走り回らねばと思い横浜市内をグルグルと回っていると、信号待ちのたびに熱く感じるライダーたちの視線、そうです当時RZVに乗っていれば街中のヒーローになれたのです。 「どーだ、かっこいいだろう!中免ライダー諸君、でも俺のじゃないし免許も無いけれど…」と一人中途半端な優越感に浸る変態無免許エセオーナーは一夜限りのRZV体験を人に見せびらかす事によって楽しんだのでした。 次の日バイクを返すとMさんが「どうだった乗った感じは?」と聞いてきましたが「どうもこうも、こんな乗り物は免許が10枚と命が5つくらいなければ乗っていられません」と答えるしかありませんでした。反対にMさんは白マッハ号のことを「エンジンはよく回るんだけどさ、このバイクいったいどうやって止まるんだ?」と言っていたので「簡単です、信号3つ前からブレーキを掛けれるようにすれば良いのです」とマッハ号の乗り方を教えてあげました。RZVがデビューしすでに20年以上が経ちこのバイクもビンテージの仲間入りとなりパーツの供給もままならない物となりましたが、大型2ストの最高峰の1台として現在でも色あせる事はないと思います。同時期にスズキがRG500γを出しましたが、軽量ハイパワーのスズキらしくこちらの方がスピード的には速いかもしれませんが、残念ながら400cc版も出してしまったので、500cc専用設計で大型免許が必要だったRZVに比べれば細かな造りも含めてその存在感は薄いかなとWildman的には思っております。 画像のRZVは先月アメリカに行った時、モーニングクルーズ会場で見かけた車両です。やっぱりアメリカにも変態さんはいるのだなと思い嬉しくなってしまいました。 とにかく2度と作られることのない大型2ストロークレーサーレプリカのヤマハRZV500RはWildmanの欲しいものリストの上位にランクインされているのです。

F-1が好き!(だった)思い出の赤いペガサス

時は70年代中盤、漫画「サーキットの狼」の爆発的ヒットにより日本はスーパーカー ブームに火が付き始めておりました。日本中の少年たちが一過性の変態となっていたこの頃、何とF-1(Formula 1)が初めて日本で開催されるというニュースが少年Wildmanの耳に入って来ました。「つ、ついにF-1グランプリが日本にやってくるのか、感慨深いのう・・・」と小学生の変態少年は一人ミニカーを握りしめ感動しておりました。 1976年10月24日豪雨の中、富士スピードウェイにて開催された日本における最初のF-1レースはすでに故人となったイギリスのジェームス・ハントが優勝し、この最終戦での逆転劇でニキ・ラウダを退け初のワールド・チャンピオンとなった話題性のあるレースになりました。翌77年(注:KISS初来日の年です、忘れないように)も同じく富士にて開催されましたが、レース中の接触事故でギャラリーが死亡するという悲劇により、この年をもって日本でのF-1開催は一時中止となりました(その後鈴鹿で開催されるのは10年後の87年になります)たった2回の開催でしたが少年WildmanはF-1のとりこになり、この分野の研究活動も始めました。当時はF-1といえど日本では情報は遅く半月から1ケ月遅れのレース結果をレース専門のオートスポーツ誌より仕入れて、ひとり海外で開催されるF-1レースに夢を膨らませておりました。WildmanにとってのF-1というのは70年代中期から82年頃までのレースでそれ以降セナの時代や現在のバーチャル体験のような安全なF-1には全く興味がございません。クラッチペダルやシフトノブのないF-1なんていくら速くても、ちっとも面白くないのです。 80年代初頭までのいつ死んでもおかしくない、危険で美しいバリバリドリフト走行のFord DFVエンジン使用のF-1マシンのみが素晴らしくて、それ以降のフジテレビによるF-1ブームなんてどーでもよいのです(ファンの方本当にすみません・・・・)だからF-1は「好き」ではなく「好きだった」という表現になってしまいます。 という事で初めて日本でのF-1が開催された30年前、少年サンデー誌において、超本格的F-1マンガ「赤いペガサス」の連載がスタートしたのです。 少年ジャンプ誌では池沢先生による「サーキットの狼」がバカ当たりし、スーパーカーブームが巻き起こっていたこの時期に今度はものすごい描写によるF-1マンガが始まったのです。村上もとか先生によるこのマンガは70年代のF-1シーンを実在のマシンやレーサーを登場させ、まるで本物のグランプリを再現しているようでした。主人公のケン・アカバとそのチームであるSVE(Soundervolt Engineering)のみフィクションであとは全て実在の物が登場し、リアル感満点のストーリーで何よりもレースカーのイラストが秀逸で少年Wildmanは村上先生のタッチに憧れてしまいました。「クー、かっこいいぜ!!俺もこんなイラストを描きたい、池沢先生には申し訳ないが鞍替えしよう」と今度はあこがれの対象を村上先生に変えたのです。いいかげんですね・・ この頃のF-1はロータスのコーリン・チャップマンによる革新的な技術が開発され、車全体をウィングに見立てた強烈なグランド・エフェクトを発生する通称ウィング・カーが出た時代でさらに危険度は高まりましたが、個性的なマシンのオンパレードでデザイン重視のWildmanにとっては素晴らしい時代でした(今のF-1は全部同じに見えます・・・)マンガの中でも主人公のケン・アカバのマシンは勿論ウィング・カーになり、その名もSV-01改というとってもかっこいい空想の日本製F-1マシンでした。 「なんてカッコイイんだろうこのクルマ、ミニカーになればいいのに!!」と思っていましたが、空想のクルマなどミニカーメーカーからモデル化はされません。と思っていたら、何と超合金シリーズのオモチャで有名なポピーからポピニカシリーズとしてSV-01改がモデル化されてしまったのです。 ミニカーというより、オモチャとしての意味合いが強く、プルバックモーターにより走るギミックが付いていて、お子様向けの玩具でしたがそんなことはWildmanにとってはどーでもよく、赤いペガサスがモデル化された事に感動してしまいました。生産量も少なかったこのモデルは今となっては入手が非常に難しく、基本的には子供のオモチャだったので遊ばれてしまい廃車になったものも多くて現存台数は極めて少ないと思われます。 このミニカーを見ていると70年代のカッコ良かった頃のF-1シーンが蘇ってきます。そしてついつい赤いペガサスの単行本を取り出して読みふけってしまい、70年代後半にフラッシュバックしてしまいます。もちろん画像のWildman 所蔵本全14巻は全て初版のオリジナルです。 こんな素晴らしい描写のマンガが30年前にあったなんて感動ものですよ。復刻もされているはずなので探して読んでみて下さい。F-1に興味がなくても、話の中に出てくるアルファロメオ・カングーロやフォード・エスコート、そして主人公ケン・アカバのプライベートカーであるフェラーリ308GTレインボーに変態ならそそられると思います。(変態さんなら分かると思いますが、レインボーがプライベートカーになる分けがありませんね)こんなレア車を登場させるなんて村上先生もきっと変態に違いありません!! 先日30年ぶりに富士で行われたF-1は、またもや豪雨にたたられ何か因縁めいたものを感じますね。大枚をはたいて見に行った方々は悲惨でしたが、ほとんどのギャラリーはセナ以降のF-1ファンだと思われます。きっと少数ですが30年前の富士や赤いペガサスに興奮していた変態さんも含まれていたと信じているWildmanであります。

変態限定の本、それは勝手に作ったミニカーブックです

またもや更新が遅れてしまい、変態の皆様には大変ご迷惑をお掛けした事をお詫び致します。Hot Rod Custom Showに向けての仕事があまりにもたまってしまい、不覚にもブログ更新が出来なかった事を海より深く反省しております。 しかしShow会場ではたくさんの変態の方々に声を掛けて頂き(ブログの話で)このブログの方向性が間違っていなかったことが改めて確認出来てうれしい限りでございます。いまだに疲れが抜けず思ったように筆が進みませんので、申し訳ないのですが今回は残念ながら比較的新しめのお話で12年前の話題となります。 1995年当時、Wildmanのミニカーコレクションは知る人ぞ知るといった感じで細々と?やっているつもりでしたが、周りからはそうは見られていなかったようで、歯止めがきかないこのコレクションの暴走を見かねて、ある日Bossが「お前もういい加減にしてさ、1冊の本にまとめちゃえば?」と素敵な御言葉を掛けてくれました。「ということは自分で本を作ってしまっても良いということですか???」と聞き返しますと「Mooneyesからの出版で写真集みたいに作ればおもしろいんじゃないの」と変態に甘い言葉を掛けてしまったが最後、Wildmanが本気にならない訳がありません。「作りましょう、作りましょう、面白い本を作りましょう!!」と真夏に持ち上がった企画は秋の発売を目指して暴走が始まってしまいました。95年の時点で75年よりスタートしたWildmanのミニカーコレクションはちょうど20周年を迎えていて「コレクションの節目に素晴らしい企画が来ちまったぜ」と勝手に興奮し、充実した数週間の製作期間を過ごしました。この頃はまだデジカメもないので、フィルム式のカメラでミニカーを撮影しなければならないのですが、ミニカーはとっても小さいので上手く撮影するのがとっても難しく、Wildmanの手には負えないのでプロのカメラマンに撮影を お願いするという、今考えるととっても贅沢な企画でした。 撮影場所はとーぜん御所山8のStudioなのですが、何が大変だったかというと御所山までミニカーを運んでくる作業でして1台ずつティッシュでくるみ箱に入れ厳重な梱包での搬送作業でした。1回に付き50台位運んで撮影して頂きましたが心配症のWildmanはとにかく気を使いまくり最後の1台が無事撮影し終わるまで気が気ではありませんでした。 御所山8でミニカーの撮影に没頭する大人二人…変態冥利につきました・・・最高です。 もっと楽しかったのはミニカーたちにつけるキャプションで「文章を書くのって面白い!!」と、この頃より12年後のWildman’s Blogに向って文才を鍛えておりました。もっともっといっぱい文章を書きたかったのですが、ページ数の制約もあるので我慢しました。その反動がこの長文ブログに表れているのかもしれません。 こうして短期決戦で製作された変態の為に変態が勝手に作った本、”Mooneyes Mini Car Book”は変態限定のマニア本としてほんの一部の方々に好評を持って迎えられました。マニアの方には素晴らしい!!と絶賛されたこの本は、普通の人には理解不能の古いオモチャの写真集でした。 しかし今見るとフルカラーのスーパーデラックスな本でありまして、前半はMooneyes DragsterやEd.Rothの60年代当時の写真とレベルのプラモを組み合わせた貴重な画像満載で、そのあとにどういう訳かマニアと言う事をいまだに隠し続けているBossのビンテージプラモコレクションが続き、そしてWildmanのミニカーコレクション紹介という構成であります。 もちろんすべてのミニカーを紹介するのはとっても無理な事だったので、我慢してお気に入りのモデルに絞っての写真集となりました。今見てもあの製作時の楽しさが蘇ってきますし、どのミニカーをどこで買ったかも全て思い出せるのは変態冥利に尽きますね。 なんて久々にこの本を開いておりますと、ムラムラと危険な思いが募ってきます・・・・・・・・・「この本のPart IIを出してみたい!そうすればもっとたくさんの変態さんが反応してくれるぞ!! 酔狂などこかの出版社さま、ぜひお願い致します」と日々本気で考えております。ミニカーコレクション歴は今年でついに32年目を迎え暴走が止まらずに膨大な量となってしまったモデルたちにキャプションをつけるのは相手にとって不足はありません。 そして付録でこのブログの小冊子をつければ変態の皆様からさらに愛される本となるでしょう。考えるだけでゾクゾクしてきました。変態に妄想はつきものです、今後は署名活動を行い、ミニカーブックPart II「激闘!!我がコレクションは墓場まで」の制作を進めて行く事を希望するWildmanであります。 ちなみにミニカーブック(Part I)はまだ在庫がございますので(残部僅少!!)変態初心者の方々はぜひ購入された方が良いのではないかと思います(MB002 \3,990) 御希望であればもちろんサインも致します。Part IIが出版の際は御所山にて出版記念のサイン会も催したいと考えていますので妄想を現実とするには変態の皆様の力が必要です。 一緒に頑張りましょう!!!