ちょっと前の話題ですが、第40回東京モーターショーに行ってきました。日産GT-Rは黒山の人だかりで写真もろくに撮ることが出来ず、さんざんなイベントでしたね・・・・・・じゃなくって2007年の東京モーターショーなんて私は行っておりません!もうちょっと前のお話しですが1983年の第25回東京モーターショーに行ってまいりました。ほんとについこの前の事ですよね・・・ 電車とバスを乗り継いで幕張メッセじゃなくって東京は晴海国際見本市会場に高校の同級生のN君とたどり着きました。 83年のモーターショーはWildmanにとって自身3回目のショー出撃となりました。この頃はカエル君(KH250)に乗っていてまだバイクに夢中だったので(普通免許持ってなかったし)バイクの会場をメインに見た記憶があります。 この年は明らかに日本製バイクの世代が大きく変わって行く時期で、以前ブログで紹介した2ストの最高峰ヤマハRZV500Rの発表や、カワサキといえば空冷のZ系だったのが、ついに水冷となりその後ベストセラーとなるGPz900Rニンジャが発表されたショーでした。 一緒に行ったN君はGPz400Fをこのショーで見て一目ぼれ、その後購入されヨシムラの集合管を付けた数日後に転倒していました・・・・若いって素敵です。 カワサキは当時ブームとなっていた250cc、2ストレーサーレプリカにも最後発で参入し、水冷タンデムツイン&アルミフレームのKR250をこのショーでお披露目していました。 「ついに我がKH250以来のカワサキ製2ストか、しかも水冷だなんてスゲえな・・・・でもやっぱりカエル君がいいや!3気筒じゃなきゃダメだ、水冷3気筒なら買ってもいいかも」と一人アホなことを考えておりました。 3気筒といえばホンダは打倒RZを目指して2スト市場に参入し、この年の1月に欠陥車の誉れ高き?MVX250Fを発売していましたね。水冷V型3気筒なんて変態がそそられてしまう素晴らしいエンジンレイアウトでしたが、とにかく評判が悪くて同時期に発表されたRZ-Rやスズキのガンマに性能でも人気でも大きく水をあけられてしまった悲しい変態バイクだったのです。大好きですMVX・・・・ 超デリケートな3気筒エンジンは完璧な慣らしを必要としましたが、そこは当時の飛ばし屋さんたち、夢中でRZを追ってしまい慣らしなんてどこえやら・・ガスもオイルもよく食って、街中ではすぐにカブり、当時としてもうるさいエンジン音、サイレンサーからまき散らす異常な量のオイル、そして目出たく2番シリンダーの焼きつきと・・・・特に初期ロットのMVXは調子が悪く、友人も買って数か月で売り飛ばしてしまったのを思い出します。 当時のホンダワークスGPライダーのフレディ・スペンサーをキャラクターに起用し鳴り物入りでデビューしたMVXでしたが、欠陥車のレッテルを貼られ、RZ-Rの43ps、ガンマの45psに対し40psのカタログデータは数値的にも見劣りしてしまい(当時はこれがとっても重要だった)人気はさらに急降下、あっさりと1年ほどでNS250Rにバトンタッチされてしまった悲しいバイクは変態的には魅力タップリです。このモーターショーにも展示されて跨ったりしましたが、そういえばこれ以降2度と触れていないバイクだった事に今気付きました。乗ってみたいぜ変態3気筒の同志、MVX250Fよ!! この画像が83年の東京モーターショーにおけるMVXとWildmanでございます。足元に注目、ナイキのテラTCは自慢のMade in USAです。かっこいいな~テラTC!このスニーカーもうボロボロですがまだ持ってます・・・確か82年に買ったので26年間ワンオーナーですね、変態だから仕方がありません。もうボロ過ぎて履けませんが一生持っている事でしょう。 またも話が訳の分らない方向に行ってしまいましたが、ここからが本題なのです。このショーで衝撃的な車両がデビューしていました。ホンダのブースで異様なオーラを発していたそいつはその後20数年間Wildmanを悩ませ、21世紀になってから、手元にやってきたのです。変態を満足させた変態車輌の正体は・・・次回のお楽しみに!!
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