Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

郷愁の電子フラッシャー、セキネVX GTOの幻

車ネタばかりやっていると皆様から「あいつは正気か」と怒られそうなので今回はクルマ以上に魅力的なスーパーマシンのお話です。 70年代の初頭から中期にかけて、日本の少年向け自転車界では一大ブームが起こっておりました。もはやお笑いのネタとしても古過ぎるそれは、自転車のくせに巨大な方向指示器「電子フラッシャー」を搭載したサイクリング車たちでした。単一電池をごっそり入れて車体重量を過度に重くしながらも誇らしげな電子音と共にウィンカーを点滅させて走るそいつらは子供たちの憧れの的となったのです。各メーカー思考を凝らした電子フラッシャーを搭載し、独創的なデザインはどんどんエスカレートして行きました。 そんな中、ブリジストンなどと並ぶトップメーカーのセキネからとんでもないデザインとメカニズムのスーパーマシンがデビューしたのです。 その名は「セキネVX GTO」というネーミングからしてから少年たちを威嚇するような凄いヤツでした。GTOですよGTO!まるでフェラーリGTOかポンティアックGTOか、いずれにしろ「これは自動車デザインの自転車なのだ、なめんなよ!」と設計者の信念が伝わって来ます。巨大な電子フラッシャーは極限に達する大きさ&デザインとなりストップランプも兼ねている15石トランジスタはクラス最大の物となりました。 GTOはのハイメカっぷりはこれだけでは済まされず、「サイクルコクピット」と呼ばれるフロントのヘッドライトユニットにはトリップメーター内蔵のスピードメーターはおろか、驚愕のAMラジオまで搭載されていて伸縮式アンテナをおっ立てて疾走する姿はまさに「走る電子要塞」といった風情でした。 走りにも怠りはなくフロントにはセキネが初採用となる強力なディスク・ブレーキが奢られ、5段変速のミッションのシフターはアメ車並みのデザインで、素敵なセミドロップハンドルもスポーティーで、もはや全てが自転車の域を超えていたのです・・・・カッコいいぜVX GTO! 必死に調べた結果72年発表のフロントドラムブレーキのセキネVX GT(定価¥48,500)から始まったこのシリーズは翌年「超ド級フラッシャー、アストロメカ搭載」の キャッチフレーズのもとディスクブレーキ仕様のVX GTO(定価¥49,900)となりさらにマイナーチェンジを繰り返し最終型「夕陽のサイクルマン」のコピーで完成形となり定価¥56,900の超高級車となりました。 現在の感覚ですと¥20万近い金額でしょうか、もはや自転車界のフェラーりですな・・・・そういえばテレビコマーシャルもやっていましたよ! 当然こんな超高級車を買ってもらえるのはごく限られた方々となり、Wildman少年の必死の願いもむなしく我が家にVX GTOはやって来ませんでした・・・・当時我が街には1台のVX GTO(最終型)が存在し指をくわえて眺めておりました。2学年上のトヨタ系ディーラーお偉いさんの息子様の物で、颯爽と走る電子要塞に憧れた物でした。 「俺もニッポン放送全開で走ってみたい、電子フラッシャーを点滅させたい!」と夢を膨らませていましたが結局どう頑張っても納車には至りませんでした。その後この電子フラッシャーブームは一気に下火となり、より本格的な「ロードマン」等のスポーツ車が主流になり、一瞬の打ち上げ花火のような存在の電子フラッシャー搭載車たちは姿を消して行きました。まるでホンダビート50に通ずるものがありますね・・・・ 入手した2冊のカタログを見ていると興奮してきます。もしかしたらビート購入時のようにどこかにデッドストック車両が眠っているかも・・・と妄想が膨らんで来ます。 もはやセキネサイクルも存在せず、40系クラウン以上にパーツの供給も困難なVX GTOシリーズですがいつか再会して乗ってみたいものです。21世紀の横浜の街を電子フラッシャーもきらびやかにAMラジオ全開で疾走する幻のVX GTO・・・・カッコよすぎますね。

伝説のACコブラは横浜で生き続けてるぞ!

「ACコブラ」と言えば、車好きの皆様なら誰もが知ってる名車中の名車ですよね。40年以上も前のクルマのくせに未だにファンは多く、多くのレプリカも作られていますが、本物は天文学的なプレミアが付いてしまいおいそれと買える様なクルマではなくなってしまいましたね。 レーサーとしてル・マンでも優勝経験のある「キャロル・シェルビー」がイギリス製のスポーツカー「ACエース」のシャシーにパワーのあるデトロイト製V8を押し込んだ「ACコブラ」は量産Hot Rodとして数々の伝説を残しました。伝説のスタートはMoon Equipped(現:Mooneyes USA)にて第一号車が組み上げられた事ですね。当時Shelby AmericanはMoonに間借り?していて60年代初期の住所はMoonと同じ10820 S.Norwalk Blvd. Santa Fe Springs,CAになっています。ディーン・ムーン、キャロル・シェルビー、エド・ロスらの関係はこの頃に築かれていますね。ディーンもロスもすでに鬼籍に入ってしまいましたが’23年生まれのシェルビーは心臓移植を受けていますが、とっても長生きしておりまして未だにファンの前に姿を見せてくれます。画像は昨年のSEMA Show会場での物です。サインが欲しくて並びましたが、残念ながら途中で打ち切られてしまいました・・・ フォード・フェアレーン用の260キュービックインチの排気量から始まったコブラはその後289となり、ついには7リッターで425hpを誇るビッグブロックの427ユニットを積んで、スタンディング1/4マイルが12秒台、マキシマム・スピードが280km/hに達するとっても危険な量産車となりました。パワーもでかくなればボディーも横に膨らんでグラマラスな427独特のデザインとなり、現在でも人気のあるのはこの427の方ですね。私は260や289も好きですが子供の頃は断然427でした。 当時カーグラなんかを見て「なんじゃ、このクルマはカウンタックよりも速いじゃん!」と興奮し、コブラ427は未だ見ぬ憧れのクルマとなりました。 そして話は2008年1月4日のWildman’s Blog「絶対に読むべし!力道山のロールスロイスは名著だぜ」に戻ります。この時に皆様にお伝えした、本のお話に登場するクルマでWildmanが実際に運転する機会に恵まれたというのはなんと本物のACコブラ427だったのです。 中沖満氏がグリーンにオールペンしたコブラは’60年代にたった1台だけ輸入されたディーラーカーで、本の中で氏がこのコブラについて色々なエピソードを紹介してくれていますが、なかでも傑作なのは「カワサキのマッハIIIより速いクルマがあるわけないわ」と、クルマやバイクに詳しい女性が豪語し「じゃあ、ためしに乗ってみるかい」と当時のオーナーが助手席に女性を乗せて夜の第3京浜で全開をくれたら失神してお漏らし・・・というエピソードがあります。 たった1台だけ日本に存在したコブラ(今は色々入ってきていますが)はニューエンパイア モータースの手によって日本に入って来ました。シリアルナンバーCSX3268がロスの港から横浜港に入って来たのは1967年の3月9日になります。 そして第一回日本グランプリのウィナーであるトヨタワークスレーサーの式場壮吉氏が購入しファーストオーナーとなり、日本の路上についにコブラが登場しました。 当初アイボリーだったボディーはオーナーが変わってから中沖氏の手によりグリーンに塗り替えられ、この頃カーグラなんかによく登場しましたね(’70年代前半)その記事を見たり「力道山のロールスロイス」を見たりして憧れが募る「グリーンのコブラ」でしたが、’90年代になってからミニカー関連で知り合った横浜在住のM氏がこのたった1台の「ディーラー物のコブラ」を所有されておりました。レーサー式場氏所有だったあまりにも有名なこのコブラはM氏が’70年代に苦労して譲り受けて、現在でも大切に乗られていて今となってはM氏が一番長くこのコブラを所有されている事になります。現在は氏が’60年代からずっとイメージしていたというガーズ゛マンブルーとホワイトのストライプというコブラとしては極めつけのカラーにリペイントされています。 そしてとある日、御所山に咆哮するFord 427ユニットの雄たけび・・・・・・なんとM氏がコブラで御所山にやって来たのであります。古い街並みにビッグブロックのACコブラ427は最高のミスマッチでした。 「昔から憧れていたあのコブラ・・・カウンタックより速いあのコブラ、ディーラーカーのあのコブラ、中沖さんが塗ったあのコブラ・・・・」変態は色々な事が頭を駆け巡り陶酔しきっておりました。しかもシートは一度も張り替えていないそうなので、「あの伝説のお漏らしのシートなのか・・・スゲェ」と偉大な歴史を感じました。 そうこうしていると「運転してもいいよ」と変態を誘惑するM氏のささやきが・・・「いや、怖いからいいですよ」と行った次の瞬間、変態は軽いアルミ製のドアを開けて運転席に座っていました。「ついに来たぞこの瞬間、オレは伝説のコブラに乗っとるんだ!見てろ式場壮吉よ!これから御所山を激走だぜ!」と重た~いクラッチを踏んでGo! Goshoyama Drag Stripとなりました。 大通りに出て国道1号線西平沼の交差点を右折し「いまだ~!」と7リッターV8に鞭をくれると、強大なトルクはぶっといタイヤを簡単にホイールスピンさせ勝手な方向に吹っ飛んで行こうとします。「アワワワ、やっぱり怖い、漏らしてしまいそうだ!」とアクセルを緩め御所山界隈を一周して何事もなかったように御所山8にたどり着きました。車重1tのクルマに7リッター425hpではどうなるか想像がつきますよね・・・「どうだった?」言われたので「イヤ~とっても面白かったです、結構乗りやすいですね」とウソをつきました。あんなクルマ慣れないと恐ろしくて振り回す事なんてとても出来ませんです。 短い体験でしたが伝説のクルマに一瞬だけですが触れる事が出来て変態は大変満足致しました。M氏は現在もこのコブラを大切にしていて、毒蛇は伝説と共に横浜に住みついています。510台が作られた427ですが、やっぱり変態的には日本でコブラといえば、このCSX3268の事を指すのです。

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ヤンキースの主砲レジー・ジャクソンはひょっこり現れた!!

もうすぐプロ野球が開幕しますね。愛すべき横浜ベイスターズは今季は間違いなく最下位争いに加われるので今からゾクゾクしてしまいます。弱いから楽しい!これがプロ野球観戦の醍醐味でしてFAやトレードで主力選手が抜けるとそれはもう楽しさ倍増です。 こんな事を真顔でを言っていると、先週のロマンスカーイラスト製作から始まって、ついに気が狂ったと思われているようですが、私はいたって正常ですので心配無用でございます。 70年代よりプロ野球は少ない趣味の一つでしたが、変態だったので当時からメジャーリーグ(大リーグの方が言いやすい)にも興味があり野茂以降大騒ぎしているわけではなく、昭和の時代に雑誌ポパイのメジャーリーグ特集なんかを見ては、一人騒いでおりました。何よりも当時のメジャーのユニフォームがカッコよく、Houston AstrosやOakland A’sのデザインがお気に入りで、「なんで日本のプロ野球のユニフォームはカッコ悪いんだ!(除く:オレンジの大洋ホエールズ)俺にデザインさせろ」と意気込んでおりました。確か79年の秋頃にお遊びでメジャーのオールスターが来日し、我が横浜スタジアムでお遊びゲームをやったのですが、その時も一人で観戦に行き、ユニフォームを研究する変態中学生がライトスタンドに陣取っておりました。その時のチケットの半券があるはずなのですが、不覚にも今回のブログまでに発見する事が出来なく、皆様に深くお詫び致します。80年代初頭にメジャーリーグのオフィシャルベースボールジャケットがポツポツと日本にも輸入されるようになって、王道のDodgersやYankeesは皆が着ていたので「俺は同じは嫌だ」と豪語し必死に他チームのジャケット探し廻り、超マイナーなMinnesota Twinsの物を手に入れ、高校の修学旅行に着ていった変態でございます。 そんな小僧がメジャーリーグに夢を寄せ、ベースボールマガジンの特集号なんかを見てはいまだ見ぬメジャーのスーパースターの研究にいそしんでおりました。「ヤンキースは強いのう、このビリー・マーチン監督ってのは怒っている写真ばっかりだのう」と雑誌のみを頼りにし、70年代後半から80年代前半に掛けて乏しい資料を元に勝手にメジャーリーグ通と名乗っておりました。 そしてこの頃一人のスーパースターの存在を知りました。ヤンキースの主砲である彼は77年のワールドシリーズで初球3打席連続ホームランという離れ業を演じたりして、とにかく秋の優勝が掛った大舞台になると重要な場面で異常なほど打ちまくり「ミスターオクトーバー」と言われたニューヨークの名物男「レジー・ジャクソン」です。サングラスをかけたコワモテの彼は、誰もが認めるこの時代のスーパースターで、93年には野球殿堂入りを果たしています。しかも在籍したヤンキースとアスレチックスの両方のチームで2つの背番号が永久欠番になっているという、すんごいお方なのです。 Wildman的になぜこの人に興味があったと申しますと、レジーは変態級のカーコレクターだったからです。画像にもありますように彼は変態なので80年代初頭、自身のコレクションの1台であるAC Cobra 289がAMTから“Reggie Jackson Collector Series”としてプラモデルにもなっていたのです。 パッケージ側面には彼はエンスーで「他にもDeuceや’59 コルベット、’23T-Bucket等、いろいろクルマを持っているぜ」と書いてあります。「こんなスゲえカーコレクターがメジャーリーグにはいるんだな、愛車がコブラだぜ!やっぱ違うな日本のプロ野球選手なんかメルセデス買って喜んでいるだけだからな」と変態少年は一人つぶやいておりました。 そして時は流れて2007年の秋、変態はラスベガスはSEMA Showに出張していました。Mooneyes USAのブースにて一人せっせとPinstripeのデモを行っていましたが既に作業3日目となり、かなりクタビレテおりました。夕方になり「そろそろ今日は撤収だぜ」と思っていると、Mooneyes USAのChico-sanが「レジー・ジャクソンが携帯電話に何か描いて欲しいって言っていてるよ、そのうち来るから」といつもながら訳のわからない発言をしたのです。「エッ、ジャクソンて何?携帯?どういう事??」と思っていると眼の前にニコニコと笑うおじさんが現れました。 「ゲッ、なんのこっちゃ、この顔はレジーだ!本物のレジー・ジャクソンだ」と呆然とする変態の前に30年前にポパイやベースボールマガジンで見た憧れのスーパースター、ヤンキースの主砲が出現したのです。「アワワワワ」と緊張してしまいましたが携帯にヤンキースの永久欠番である44という数字を描いてくれとのリクエストでした。興奮しながら筆を走らせましたが、走らせ過ぎて野球のボールまで描いてしまうというサービス精神旺盛のWildmanでありました。描き終わって携帯を渡すと、とっても喜んでくれて”Thank You!”と言ってPepsiのペットボトルを差し出してくれました。「こちらこそサンキューだぜ」と思いました。 まさかガキの頃、雑誌で見て憧れていたメジャーのスーパースターに30年も経ってお会い出来るとは変態冥利につきました・・・・・・「長く生きていると色々な出会いがあるのう、これも人生だ」とつぶやく変態はすでに40代になっておりました。 ジャクソンは相変わらずカーコレクターのようで、いろいろなクルマ関連のイベントにも顔を出し、コレクションもさらに充実しているようです。 野球もスゲえ、クルマもスゲえなんていうプロ野球選手が日本にも出現してくれないかなと思う今日この頃です。元ベイスターズの駒田選手が国産旧車のファンでして、旧いファミリアで現役時代横浜スタジアムに乗りつけておりましたが、それを除けば日本のプロ野球選手なんかAMGのエンブレムに憧れる程度の趣味しか持ち合わせていないようですね。Wildman的には変態プロ野球選手の出現を待ち望んでおります。

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小田急ロマンスカーはストリームライナーだ!

好き勝手なことばかり書いているこのブログですが、今回はついに電車の話題に及びます。と言いましてもWildmanは「鉄ちゃん」という訳ではございません。小学生の時一瞬鉄道に興味を持ちそうになった時期もありましたが、クラスの友人に猛烈な鉄ちゃんがおりまして「これはかなわん、やっぱりやめた、俺はクルマ&ミニカーで行くぞ!」と心に誓い間口の狭い変態道を選びました。 しかしですね一つだけ猛烈に好きな電車があるのです。子供の時に「のりもの図鑑」を見て衝撃を受けた車輌は鮮烈なオレンジレッドにグレーとホワイトのストライプがインダストリアルデザインの奥深さを感じさせるものでした。 何よりも先頭車両の運転席を屋根の上に押し上げてしまい、車輌前面を展望席としてしまった大胆な造りは子供の純粋な「電車を運転してみたい!」という気持ちを高ぶらせるには十分すぎる演出でした。ここまで書けば変態の皆様は分かりますね、そうです小田急電鉄が誇った昭和の傑作特急「ロマンスカーNSE3100」がWildmanにとって史上最強の電車なのです。 似たようなデザインの車輌が「名鉄パノラマカー7000系」として近畿地方の皆様にはお馴染みでしょうが、やっぱりグラフィックの美しさや細かなデザインの違いによりWildman的にはロマンスカーの方に軍配が上がります。何といっても名前がいいですね、「ロマンス」ですよ!! 東京オリンピックを前にした高度経済成長期の真っただ中、1963年にデビューしたNSE3100(NSEはNew Super Expressの意)はWildman少年にとってまるで未来へ連れて行ってくれるような電車に見えました。しかし実際に連れて行ってくれるのは箱根まででした・・・「あの先頭展望席に乗ってみたい、運転手気分を味わいたい、ウェイトレスさんに席まで食事を運んでもらいたい」と子供のころ常々思っておりましたが、小田急のルートというのは我が横浜をわざと避けるように新宿から箱根までを走っていて、横浜市民にとってはとっても使う機会の少ない路線なのでした。箱根の芦ノ湖にはおやじとニジマス釣りによく行っていたのですが、クルマで行くのが我が家の常識で「ロマンスカーで行こうよ」と言っても「時間もお金も無駄」との事で箱根湯本の駅を尻目にいつもクルマで山登りとなりました。それでも湯本駅で初めて遭遇したロマンスカーにはとてつもないオーラを感じ、子供ながら「う、美しい図鑑よりももっと美しい、毎日見ていたいくらいだ!」と強烈な感動を覚えました。毎年釣りのシーズンになるとクルマで湯本駅通過時にロマンスカーと御対面出来ましたが、たまに旧式のSE3000系が停まっていたりすると「チッ、今年はハズレだぜ」と悔しがる少年Wildmanでした(今見ると3000系もカッコイイですが) そんなこんなで自分がバイクや自動車免許を取ってみると、「やっぱり横浜から箱根にはクルマで行くのが一番まともな行き方だ」という事が判明し、ロマンスカーに乗る事はありませんでした。ここが鉄ちゃんになれなかったWildmanの寂しいところでして、気が付けば1999年をもってNSE3100系ロマンスカーは現役を退いてしまい、2度と乗れない車輌になっていたのです。クルマと違い自分の力ではどうにもなりませんね・・・・・「何という不覚、これでは変態失格だ!」と思いましたが後の祭りで、ロマンスカーはWildmanにとって永遠のかなわぬロマンスになってしまったのです。解体車輌を引き取って顔面を切り取り、家の前に飾っておきたいくらいでした。 こうなったら自分の手元にあのデザインを置いておきたいというミニカー的な発想が生まれましたが、鉄道模型というのはあまりにも出来が良すぎて、Wildmanの美的感覚からは少々ずれてしまいます(オマエがずれているとよく言われますが)という事でもっと製作した職人さんの温かみが感じられるオモチャという事でブリキのロマンスカーに白羽の矢が立ちました。 どうですカッコイイでしょう、湯本駅で遭遇したアイツの美しさが倍増されて伝わって来ますね。箱にのっかっているのが’60年代米澤玩具製のモデルで、車輌内部には何とシートが別パーツで立体的に表現されています。ボックスアート(箱絵)も最高ですね。芸術の域に達しています。 もう1台はイチコー玩具製でこちらはマイナーチェンジしながら’60~’70年代までずっと作られていた人気物です。プロポーションは最高ですが、何といってもプリントで表現された車窓が秀逸ですね。これから箱根に向かう皆様の楽しそうな表情が描かれております。自分もこの中に入りたかったです、返す返すも先頭車両に乗ってみたかった・・・・・ こんなオモチャを見ているとだんだん気が変になってきました。ロマンスカーがストリームライナーに見えて来るのです。流線型というのはNSE3100の為にある言葉ですね。 「ロマンスカーでボンネビルを走ってみたい、200マイルに挑戦だ!」と夢は膨らみ20分でブログのために書き下ろしたのがこのイラストです。ボンネビルの塩湖を疾走するロマンスカー「世界最速のインディアン」に匹敵するまさに男のロマンですね。 ついに気が狂ったと思われるでしょうが私は平常心ですのでご心配なく。 PS:NSE3100ロマンスカー先頭車両「デハ3181」は開成駅に保存されていますのでそこに行けばスケッチするWildmanに遭遇するかもしれません。

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ああ、憧れのMade in USA Part.4

皆様、まだ寒い日が続きますが心温まる話題が一つ。温まるのは自分の心だけなんですけど、この数日間嬉しくてしょうがありません。このブログで昨年6月29日より3回に渡っての連載となり大変好評を博しました?「ああ、憧れのMade in USA」の続編となります。見ていらっしゃらない方は早急にチェックをお願いします。話について来れません・・・・ 1981年の早春、メンマ潰しの必死のアルバイトをこなし、当時最高の憧れだったMade in USAのスニーカー、Nike Bermuda(バミューダ)を友人のT君と一緒に大枚¥14,800にて購入し興奮しまくった少年Wildmanでしたが、そのままずっと興奮がおさまらず、気付けばワンオーナーのバミューダと共に27年の歳月が経ち、Wildmanおじさんになっていました。 27年落ちのバミューダはリペアを受けながらいまだに現役を貫き通し、鑑賞用では無く、実用のワンオーナースニーカーとしては手持ちの中で最古参となりました。誰が何と言おうと自分の中では最も好きなスニーカーで、その後、例の台湾製とマイナーチェンジした最終型アメリカ製を入手し、計3足のバミューダを揃えて、楽しい老後に備えておりました。 しかし「3足では不安だ、あと何年このバミューダたちは履けるのだろうか!」と常日頃より大きな悩みを持つWildmanは考えすぎて眠れない日々が続いておりました。 昨年くらいからNikeは業績の低下の為なのか、過去の栄光にすがるように70年代の名品をヴィンテージラインとして何種も復刻し、マニアさんたちを楽しまさせてくれていました。それまでも90年代から復刻版と称し、古いタイプのスニーカーを再販していましたが、これらはどいつもコイツもとっても出来が悪くて、当時の本物を知っている変態の目には名前だけが同じで、あとは全く違うスニーカーに見えました。「復刻版なんてこんなもんでいいだろう、適当に似せておけばいいや」という開発担当者の声が聞こえて来そうな仕上がりで、とてもじゃないけど復刻とは呼べないシロモノばかりでした。 しかしヴィンテージラインではやっと本気になってくれたのか、これまでのナンちゃって復刻バージョンとは違い、細部にまでこだわりを持って製作してくれています。パッと見はオリジナルモデルと見まごうばかりの仕上がりで、「これなら変態もきっと満足」という感じとなり、小さなマーケットですが結構話題となりました。 細かいところを見れば、イチャモンはいくらでもつけられるのですが、基本的なデザインはかなり忠実に復刻していて、シューズの素材自体が21世紀生産なので当然良くて、どれも当時物よりずっと軽くて履きやすく仕上げられておりました。 まるで1JZ換装のクラウンかレクサスハイブリットモーターを積んだトヨタ2000GTのような感じでございます。 でも復刻されるのは当然ヴィンテージ市場で人気が高いモデルが主流で、復刻版最後の切り札と思われていたLD1000や変態のみんなが大好きなオレゴンワッフル、コルテッツ、エリート、デイブレイク等々、名の知れたモデルばかりでした。しかし昨年インターネットにて変態はある情報をキャッチしました。何と我がバミューダが復刻されるというではありませんか!!しかもヴィンテージラインで!!! Wildmanにとっては最高の思い出であり、いまだ現役のバミューダでしたが、変わったデザインの為かそれほど人気があるモデルではなく、どちらかというとコアな存在で、あえて本気で復刻してもそんな物一体誰が喜んで買うのですか? という感じです。「ハイ、Wildmanが喜んで買わさせて頂きます!」と数ヶ月間首を長くして待っておりました。ヨーロッパ先行発売でしたが、2月より日本でも発売となり、ついに27年振りに「新品」のバミューダが再び変態の手元にやって来ました。 箱を開けた瞬間「我、タイ経由にてバミューダトライアングルより帰還せり」とあいつは言っていました。そうなんです、もう「ああ、憧れのMade in USA」である訳はなく、今回のモデルはMade in Thailndとなっております。「そんな事はどうでもいい、クオリティーが高ければ製造国なんて関係ないのだ!」と数々のスニーカーを履いた変態は経験上納得しています。そして21世紀のバミューダ君を手に取って見てみると・・・・・「す、素晴らしい!!!何て出来の良さだ!!これはもう犯罪だ!」と部屋の中で一人ブルブル震えておりました。 今回の復刻はかなりオリジナルに忠実で、各パーツの形、色味、全体の雰囲気、どれをとってもヴィンテージラインの中でも最高の出来と思えるクオリティーを誇っています。バミューダならではのつま先部を全体的に囲むメッシュ素材や、ソールの形状、微妙なブルーの色味等々、及第点のつけられる出来栄えです。 これでは製作担当者がまるでWildman’s Blogを見たとしか思えません(希望的観測)あえて、文句を言うとしたらオリジナルでは取り外し式だったインソールが固定タイプになった事と、シュータンのNikeロゴの文字が少し小さいのとその下のオレンジスウォッシュの色が濃い事ですが「まあこのくらいは勘弁しましょう!」と一人納得しています。ヴィンテージ加工というのがなされていて、少し履きこんだようにミッドソールやシューレースが茶色く変色している感じやスウェード部も古っぽく加工されています。履く前からヴィンテージと変な感じですが、ヴィンテージラインはこの加工がお得意のようです。 1枚目の画像の左側のシューズが27年前に購入したオリジナル「ああ、憧れのMade in USA」のバミューダ君そのものです。いまだ現役で頑張っております。そして右が今回の復刻版ですが、どうです?なかなかのもんでしょう・・・27年後をお楽しみに!! 2枚目の画像は「バミューダ揃い踏み2008」になります。Wildman所有のバミューダ全てですが前列左より順にMade in USA、となりが問題であり笑劇の、しかし耐久性抜群でもあるMade in Taiwan、そして一番右が最終型となるマイナーチェンジ後のMade in USA(結構レア)になります。どれも20数年を経て風格さえ漂っております、本当に素晴らしい!! 後列でBoxに鎮座するのが今回の復刻版ですが、これから数十年どれくらいの耐久性が有るのか見ものですね・・・・・Wildmanとともに新たな歴史の始まりです。このブログを見てバミューダが欲しくなったアナタ、一緒に歴史を刻みましょう。どちらが長持ちさせるかバトルの始まりですよ!!

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