やっとこ蜂に刺された右腕も快復しましたが、ハレが引くのに2週間も掛かるとはアメリカの蜂、恐るべしでありますな。蜂のムサシは死んだのさ・・・・・
この前の休みの日、ミニカーにワックス掛けを行いました。楽しいけどとっても大変なので今回は15台ほどで勘弁してやりました。ローテーションで死ぬまでやり続けますが、こんなペースじゃ今回施工したモデル達に次のワックス掛けの順番が廻ってくるのは10年後の2020年になるかもしれませんな・・・
そして次の日の天気予報が気になったので、めったに見ないテレビを見よう思いアナログ放送にスイッチオン!!ちょうどニュース番組がやっていたのですが、最近話題の横綱朝青龍の引退に関する特集をやっておりました。「ふ~ん、横綱も相撲協会もどっちも悪いのう・・・横綱の品格ですか」そんなのより「変態の品格」の方がよっぽど大事に思えるのです。
と思っていた次の瞬間、突然テレビ画面がモノクロに変わり、飲んでいたカルピスソーダをブッと噴出してしまいました!!
「セ、先生、力道山先生!!!どうしたのですか、テレビ出演などなされて!!」と叫ぶ変態が一人・・・・興奮のあまりアワワワワと品格の無い醜態をさらしておりました。
この番組では関取引退後の転身みたいな内容で、大相撲引退後に成功した偉大な力道山先生や、転身失敗のどーしようもない双羽黒や、なんだか分からない存在になっちゃった曙たちの事を紹介していたのです。
テリー伊藤氏も言ってましたが、朝青龍もですね、引退の経緯はもうどーでもいいとしてですね、これからもし格闘界でやってくのなら、どっかの団体にすがりつくんじゃなく、力道山先生が日本にプロレスを持ち込んだように、自分で団体の一つでも作ってやってみなさいと言う感じなのです。確かに強さは半端じゃなかった朝青龍、これからどんな行動を起こすのか当分のあいだ話題になって行くのでしょうね。
そんな事よりも、テレビ画面で久々に力道山先生の動く姿を見てしまい、ふと思い出しました。「そうだ、この前の12月15日はMooneyes USAのX-mas Partyに出張していたので先生の命日だというのにお墓参りに行ってないではないか!!これはイカン」と思い、気が付けば東京は池上本門寺に向かう準備をしておりました。
朝青龍引退の事があったので「先生もついこの前の昭和25年9月の関取引退後は大変だったのう・・・確かに先生も朝青龍ほどじゃないかもしれんが、関取時代の素行は決して良かったとはいえないのですな、これが・・・」先生も関取時代はこの有様で、こんなカッコで場所入りしてたのですよ!!
当時の愛車「1948年型インディアン」であります。今じゃ考えられない相撲取りのバイカー・・・・先生カッコ良過ぎます!!朝青龍にも出来ますまい!!(というか今じゃこんなの許されませんね)無茶苦茶に固かったインディアンのキックでしたが、先生はシートに座ったまま軽々とキックを踏み下ろしていたそうです。
なんて考えているうちに「そうだ、どうせ東京に行くのなら、先生が関取引退を決意した日本橋浜町のご自宅跡にも伺ってみましょう]と言う事になりました。と言うか自分で勝手にそうしているのですが・・・
そしてやって来ました東京は日本橋浜町3丁目、ついこの前の昭和24年頃、ここに関取現役時代の力道山宅があったのです。
関脇に昇進し、ここから場所入りしプロレス転向後も暫くはこの場所にお住まいになられておりました。こちらはそのご自宅前でキャッチボールをする先生であります。2010年現在はこのように銀行等が入った大きなテナントビルが建っておりますが、ここに確かに力道山邸が合ったのです・・・・行きたかった・・・・
昭和25年9月、このご自宅で先生はなんとご自身で包丁を使い髷をぶった切ってしまい、勝手に廃業してしまったのです・・・大関目前にある地位の力士がこのような行動を取ったのは相当な覚悟があり、これは相撲協会の先生に対しての扱いへの回答だったのです。
結局亡くなるまでご本人からこの件についての真意は語られませんでしたが・・・どうせなら朝青龍にもこのくらいぶっ飛んだ行動を取って欲しい物ですな。
この後先生のサクセス・ストーリーが始まり、ご自宅も引越しとなって今度は大田区梅田町へと家族共々移って行くのでした。それでは次週はそちらに向かいましょう、皆様ついて来てくださいな・・・
最近のコメント