Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

採算は取れたのか? SCNもインドネシアも天気予報は大外れ!

ついに33回目の開催となりましたMQQNEYES Street Car Nationalsでしたが、週間天気予報は見事に外れてくれまして、当日はちょっと晴れ間が覗く曇り空の中、無事に開催出来ました。

1200台を超えるエントリーの方々、145件ものSwap Meetの方々、そして11,000人の来場者の方々、皆様有難うございました!!

思い起せば大井競馬場で開催された1回目のSCNにエントリーしてから33年の月日が経ってしまったとは驚きです。あの時はまだ昭和だったのですね・・・・

昭和に始まり平成を駆け抜け、そして東京オリンピックの開催となって、34回目は未だ開催未定のSCN、この先も続けられるよう頑張りますので、宜しくお願い致します。

そして2週間前はですね、インドネシアで開催されました”BBQ Ride”というイベントに出撃致しました。これまでも他のMQQNEYESスタッフは参加していたのですが、私は今回が初参加となりました。

インドネシアのBandungという街での開催となったのですが、空港に着けばやっぱり雨・・・最近は晴れ男のイメージ先行のWildmanで有りましたが、初めて行くところはナゼか必ず雨が降っているような気が致します。

今回の会場付近は標高が高いところにあるため、これまで経験した強烈な蒸し暑さのインドネシアとは違った感じの場所で、過ごしやすかったのでした。

今回、MQQNEYES御一行を案内してくれたのはこちらのスズキのバンなのですが、日本から中古で輸出された車両なので、サンルーフ等フル装備状態でした。ETCまで付いたまなのですが、使えるはずが無いのに使っていたので何かと思ったら、ただのカード差しとして使っておりました・・・・・

相変わらず東南アジアの街中はスクーター天国ですが、ガソリンスタンドではこのようにとっても素敵なミツビシがおりました。

クルマの渋滞が酷い所でして、こちらの徒歩で進む移動レストラン?のおじさんには何度も抜かれました。歩いた方が早いのです。

こういった移動式屋台も風情がありますね、ひ弱な私は絶対に食べられませんが。初インドネシアの時、帰国後病院送りになった事を思い出してしまいます・・・

今回のイベントは2日間開催されるのですが、会場はジャングルクルーズのような密林地帯にあり、スズキのバンのエンジンを唸らせて山の中を突き進んで行くのでした。

画像では分かりにくいのですが、山の中にはこのように家の軒先でやっている小さな小さなガソリンスタンド?が沢山ありました。やっと着いた会場はキャンプ場にもなっているのですが、芝生のはずが、雨のせいで泥の中に芝生が見え隠れするといった感じでして長靴がないと遭難してしまいそうな所でした。

天気予報は2日間共に100%雨・・・・・「やっぱり私が来てはいけなかったのでしょう」と心を痛めていたのですが、結局雨は夜を中心に降ったので、日中の開催時間はあまり降らない状況が続いて、100%の降水確率というのは大げさな予報のようでした。

それにしても泥んこの中でキャンプをされている方々は凄いですね、私には絶対無理です。

MQQNEYESブース前も泥んこ状態でして、すのこというかパレットを敷いて歩けるようにしてました。というか何度も転びそうになりましたが・・・・

ステージも設けられた会場にはバイクメインのエントリー車が並びました。泥んこの上にディスプレイされたバイクたちはちょっとかわいそうでしたが・・・

こんなオリジナルなGTサンパチ@湘南爆走族桜井やCB500Fourも並んでました。

クルマは少なめでしたがアメリカ車がメインとなっておりました。と思うとヘッドライトにワイパー装着のメルセデスはボンネットに穴をあけて我が道を行くという感じが素敵でしたね。

こちらの赤いChevy C-10がMQQNEYES […]

ミニカーコレクション第4位、共産圏のクルマが大好き!?

この前のお休みの時にですね、ふと思いついて我が家の玄関扉の枠の部分のペンキを塗りたくなりまして、ホームセンターに直行、水性ペンキとハケを購入し寒い中、朝からペタペタと塗り始めました。

普段家では絶対にピンストライプのブラシなど握らないのですが、(私オンオフのスイッチが強力なので、家に帰るとPinstriperからただの変態になってしまうのです)ハケなら良いでしょうという事で、古い塗装を落とし、完璧なマスキングを施して塗り始めると、何だかとっても楽しくなって来ました。

素晴らしいハケ捌きで、ムラも残らずどんどん塗られて行く扉の枠、「うおおお〜完璧だ、趣味でやるなら建築塗装も楽しいぞ!」と次は横の柱も塗りまくり、まだペンキも余っているので今度は2階のベランダに行き、扉も枠も全部塗ってしまいペンキが無くなった所でハイ、おしまいとなりました。道行く近所の方々は、とっても不思議そうな目で塗装職人と化したWildmanを見ておりました、いつも不思議に思っているようですが・・・・・

まだ塗り足りないので、今度はお隣の家の玄関に侵入し勝手に塗ってしまおうかと思ってしまう今日この頃であります!!

という事で今回のお話は連載中の「44周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」第4位となります。ついに4位まで来てしまい、寂しい気分となってしまいます。せめてベスト50にすれば気持ちに余裕を持って考えられるのですが、10台というのはかなり厳しい選択となりまして、選ぶのに苦労するのです。そんなこと普通の方々にとってはどうでもいいことなのですが・・・・アブノーマルな人生は大変なのです。

この本に出合っていなければ、こんな人生は絶対に送っていなかったと常々思っている昭和の問題作、保育社のカラーブックス「世界のミニカー」を毎日熟読する小学生のWildmanは「今まで知らなかった自動車をミニカーで知る」という喜びを得まして、どんどん訳の分からない車の名前を憶えて行きました。

それまではポルシェ、フェラーリ、メルセデス・ベンツ、ジャガー、アストン・マーチン、リンカーン、キャデラック等々、いたって正統派のクルマを覚えて憧れを持っていたのですが、世界のミニカーを見てからはホールデン、パナール、ハンバー、ブリストル、ダフ、ヤライ、アドラー等々、普通では理解不能なクルマの名前が次々とインプットされ「アームストロング・シドレーが大好き! いつかはメドウス・フリスキーに乗ってみたい!」と叫ぶ、気の狂った小学生が横浜に一人誕生致しました、かたじけない・・・・

とにかく「世界のミニカー」を見て先にそのクルマの名前や形を覚えて、あとから実車の事を知るという変態極まりない車道楽が始まってしまったのです。

そんな中、世界のミニカーの39ページにセップトーイ社のガスキー(Septoy,Gasquy)というベルギーのブランドのミニカーが紹介されていました。「ベルギーだって、一体どの辺にあるんだろその国は?」と世界地図を広げるとヨーロッパのちっこい国でした。1970年代までは海外でのミニカーの生産国はイギリス、西ドイツ、フランス、イタリアといった国々が主流で、他のヨーロッパ諸国での生産はイレギュラーな感じだったのです。それにしてもそれから30数年の時を経て、ベルギーで開催されたEuropean Bug Inに行ってPinstripeデモを行う事になるとは夢にも思っていませんでした、白昼夢は良く見ますが・・・・

「ベルギー製か、しかもガスキーなんて気持ちの悪い名前のメーカーだな、ああ気持ち悪い、不気味だけど素敵だぜ!」と変態小学生はガスキー製のミニカーに興味を持ったのでした。世界のミニカーにはこのメーカーの説明文が以下のように書いてありました。

「このメーカーは一九五五年を最後に生産を中止している。当時はベルギー国内だけで販売されていたようで、現在では入手がむずかしいモデルである。代表モデルにタトラ、リムジーンがある」

「げっ、1955年に生産中止だって、しかも入手が難しいって」と不安になる小学生でした。1970年代中期のことなので、その当時でも20年前の絶版品で、現在では64年落ちのミニカーとなる訳です、ふ、古い・・・・・

代表作にタトラ・リムジーンがあると書いてあって、そのモデルは39ページの一番下に掲載されていました。

ガスキーの他のモデルはフラッシュ・サーフェスのフォードやシボレー、プリムス等いたってまともな車種を作っているのですが、ナゼか一点だけ「タトラ」なる不気味な響きのモデルがあります。

「タトラって何?? たとら、多虎、他登良・・・」と変態小学生は頭を悩ませます。しかも流線型でとってもカッコいいぞ!と今度はタトラにあこがれを持つ始末です。

ガスキーがモデル化したタトラは「タトラT600 タトラプラン」(TATRA T600 Tatraplan)なるクルマでした。今は解体された社会主義国家チェコスロバキアのクルマで、戦前より流線形の変態的なデザインのモデルを色々作っておりました。

だってこれら戦前のタトラのデザインなんてKustomの世界にしか思えず、完全にHirohata Mercuryもぶっ飛ぶ仕上がり具合だと思います、ハイ。

ガスキーがミニカー化した「タトラT600タトラプラン」は戦後のモデルで、1948年から本格的な生産が開始されたリアエンジンの空冷フラット4で2リッターの排気量を持つモノコックボディの6人乗り乗用車でした。流線形デザインの空気抵抗係数(cd値)は何と0,32というものでした、素晴らしい! 実車には世界一気温が高い博物館と思われるマレーシアのミュージアムで遭遇して大変感激し、日本には帰らず住み込みでそこの管理人になりたいと思ったくらいでした・・・・

で、ガスキーのタトラなのですがやはり難物でありまして、小学生や中学生のマニアにはとても手に負える代物ではありませんでした。ていうか、当時このミニカーを日本で持っているのはおそらく数名しかいないと思われ、トップクラスのウルトラ変態コレクターの手元にあるだけでした。インターネットもオークションもEMSも無い時代ですから・・・・

結局、夢のガスキー、タトラを入手したのは1980年代後半の大人になってからでした。昭和の大コレクターA氏のコレクションを譲り受けた物で、A氏も当時ヨーロッパとの海外交流で入手したそうですが、サラリーマン時代だったので先方からの請求額にはビックリしたそうです。私には儲け無しでそのビックリした金額で譲って頂きました、あ〜ビックリ!?

このようにガスキーの流線形タトラは素晴らしい出来栄えでありまして、どこからどう見ても「ミニカー芸術」に値する物なのです。

勢い余ってその後ももう一台入手しましたが、これでいつでも後ろから前から(@畑中葉子)美しい流線形タトラの姿を見らるのでした、素晴らしい!!

オマケで何点か不気味な芸術タトラのミニカーを紹介致します。

こちらはチェコスロバキアのIGRAというブランドの当時物T600で小さなベークライト製モデルになります。黒光りする異様な風情はゲンゴロウにしか見えませんが、怪しさを通り越して、芸術の域に達しているのですな。

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ミニカーコレクション第5位、体を張ってメッサーシュミット!?

横浜はですね、クリスマスくらいから殆どまともな雨が降っておらず、乾燥した毎日が続いているのですが、このまま一気に春になって欲しいですね。とにかくPinstripeの作業は寒さが大敵?なので、早いとこ、春ラ!ラ!ラ!(@石野真子1980)と行きたいものですね!

春と言えばMQQNEYESからも新製品が沢山リリースされます。すでにデザインが完成したものもありまして、こちらのTシャツ、”Heart of Yokohama” Cruisin’本牧は横浜Bay Areaの夜景をバックに昨年のYokohama Hot Rod Custom ShowでデビューしましたBuick Le Sabre ”MQQNBLESSING”がCruiseするデザインとなっております。もちろん版下は手描きで仕上げてあります、もうすぐ発売となりますので宜しくお願い致します。

という事で今回のお話は連載中の「44周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」第5位となります。もう5位まで来てしまったかという感じでありまして、やっぱりベスト10だけを選ぶというのは難し過ぎますので、一生掛けてベスト1000にしたい気分であります!

BREサムライ、ビュイック・セダネット、トヨタスポーツ800、ロータス・エラン、トヨペット・クラウンDXと来まして第5位はメッサ—シュミットとなります。何だか国産車と外車が交互になっていますが、全くの偶然でありまして意図したものではございません、ハイ。

メッサーシュミットと言えば戦闘機ですが、ドイツは日本と同じく第二次世界大戦において敗戦国でしたので、軍需産業とみなされる航空機の開発はNGとなってしまいました。戦後復興期の庶民の足としてマイクロカー(バブルカー)と呼ばれる小さな自動車が色々開発されましたが、メッサーシュミットも飛行機テイストを満載した小さな三輪車を開発しました。

1952年にこちらメッサーシュミットKR175という2サイクル175ccエンジン搭載のモデルを発売しました。前2輪、後ろ1輪で透明プラスチック製のキャノピーを持ち、縦2人乗りというのは、まさに戦闘機のそれですよね、カッコいい!!

バイクやスクーターと違って雨がしのげるというのは、当時かなり大きなアドバンテージだったと思います。まさにキャビン・スクーターという名前がピッタリですね。

KR175はリバース機構を持たなかったので、自分では後退出来ないというお茶目さんでしたが、車重が軽かったのでドライバーがよっこらしょと持ち上げて向きを変えられたという変態的なクルマでもあります・・・・

1955年にはパワーアップされた200ccエンジンを持つKR200となりました。芙蓉貿易や東急商事によりかなりの台数が日本にも輸入されたのでメッサ—と言えばこのモデルが頭に浮かんで来ますね。こちらはエンジンの逆回転機構が付いたので、エンジンを逆転させてバックするというさらに変態的なクルマとなっていて、そのままシフトアップすればバックしながら加速も出来るという夢のような世界が広がったのです、恐ろしい・・・・・

スーパーカーブーム華やかしき頃、横浜はシーサイドモーター近くの反町でトヨタ2000GTとメッサーシュミットKR200をお持ちの方がいらっしゃいまして、そこで朱色のメッサ—を目撃したのがメッサ—初体験となりました。

もちろんメッサ—は実車よりもミニカーの世界で先に知っておりました。私の人生を変えてしまった問題作、JMAC会長 中島登著「世界のミニカー」にメッサ—のミニカーが載っていたのです。

こ、こんなミニカーがあったなんて! 何て素晴らしいんだ、欲しくて死にそうだ! と叫ぶ小学生はその後の人生がどう狂うのかなんて全く考えておりませんでした・・・・

調べてみるとこのミニカーはフランスのキラル(Quiralu)というブランドの製品で、もちろんメッサ—現役時の1950年代後半に作られた「当時物モデル」でした。変態小学生が「欲しい!」と叫んでいた1970年代中期でも、すでに20年近く前の絶版ミニカーという事なので、当然簡単に手に入るはずもありません。

しかも世界のミニカーの説明文章には「このメーカーのモデルは一九六〇年を再後に生産が中止された。販売期間も短期に終わったため、現在では貴重なものになっている。中でもメッサーシュミットKR二〇〇、ジャガーXK一四〇などはミニカーとしては非常に珍しいため、特に人気がある」と書かれているではありませんか。「うおおおお〜これは参った、どうすりゃいいんだ!」と再び叫びますが、どうもこうもありませんでした・・・・

1960年に生産が中止とありますが、それは我が大洋ホエールズ初優勝の年、1975年当時、小学5年生の私にはついこの前ではなく、遥か遠い遠い昔に感じられました。

当然日本には未輸入のミニカーだったため流通せず、超ハイレベルなミニカーコレクターさん達しかお持ちで有りませんでした。海外のコレクターやブローカーさんたちと交流して手に入れるという大人の世界がやっと見え始めたのです。

「あ〜あ、キラルのメッサーなんて一生手に入らないや、もう諦めようかな」と数年が経過したついこの前の1979年、来年には高校受験を控えているというにもかかわらず、横浜元町のマニアのおもちゃ箱「サンセット」に自転車で定期的に通う変態中学生の目の前にキラルのメッサーシュミットがついに現れたのでした。当時サンセットさんには独自のルートでヨーロッパから非常に珍しいミニカー達が定期的に送られて来ていて、マニアを楽しまさせておりました。私は楽しくなり過ぎておかしくなってしまいましたが・・・・

新店舗となったサンセットさんのショーケースの中で輝くキラルのメッサーシュミットKR200、もう完全にノックアウトでした。当然とっても高額なプライスが掲げられていたのですが、親戚全員が横浜在住というお年玉チャンピオンの少年Wildmanにとっては何とか手の届く範囲にあり、これを逃したらショックで高校受験に失敗するかもしれないという意味不明の考えも頭をよぎり、世捨て人の第一歩として購入に踏み切ったのでした。

嬉しくて嬉しくて、暫くの間は寝る前にメッサーを見続けてから就寝するという変質者となっておりました・・・・

キラルのメッサーはドライバーまで乗っていて、プロポーションも完璧で、素朴な作りはまさに1950年代のミニカー芸術でありました。箱絵も素晴らしいのです!!

その後サンセットさんにはキラルのメッサーが何台も入荷し、この冊子広告にもメッサーが3台並んでいて度肝を抜かれました・・・

いつか自分もこのように3台並べたいな!と思い夢がかなったのは21世紀になってからでした・・・気が長いのです。1990年代にキラルの金型が発見され復刻版がリリースされましたが、あれはどうでもいいのです。だってドライバーが乗っていませんでしたから。申し訳ありませんが、復刻版否定派のWildmanは受け付けません。

という事でキラルのメッサーのお話は終わりなのですが、オマケで他の当時物メッサーのモデルたちを紹介致します。実車が有名な割には当時あまりモデル化されず、ダイキャスト製ミニカーはキラルだけなのでした。

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ミニカーコレクション第6位、珠玉の逸品は観音開きであります!

寒い寒い毎日、皆様いかがお過ごしでしょうか?

先週ですね、こちらの横浜のCafeの看板描きに行ったのですが、計3日半の作業中、1日目は途中から雨、2日目は強風、最後の半日は超低気温となりまして、まともな天候で作業出来たのは3日目だけだったという過酷な作業となってしまいました・・・・

通り掛かりの方々が「お兄さん、寒くないの?」と声を掛けてくれるのですが「ハイ、変態なので全く寒さを感じないのです」と答えるしかありませんでした。寒いに決まってますが・・・・

真冬の作業は日没も早くてとっても寂しい気持ちになるのですが、ミニカーと力道山先生とベイスターズのことだけを考えて猛スピードで仕上げたあっという間の3日半でございました。ご注文有難うございました!!

という事で連載中の「44周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」第6位となります。ベスト10なんて言ったはいいのですが、冷静に考えるとベスト10て本当に難しく、たった10台の優秀なミニカーを選択するのは 苦渋の思いで有りまして、ベスト1000にしたくなって来ました。

1000台紹介すれば、自分的にも納得出来るのですが、そんなことしてたら寿命が尽きてしまいそうなので、やっぱりベスト10にしておきます、ハイ・・・・

これまでの10位から7位は以下のモデルたちでした。

第10位がイタリア製Politoysの「BREサムライ」

第9位が西ドイツ製Marklinの「ビュイック・セダネット」

第8位が日本製モデルペットの「トヨタスポーツ800」

第7位が英国製Corgi Toysの「ロータス・エラン」 という順になっておりました.

そしてベスト10の第6位はアサヒ玩具のモデルペット製、品番No,1の「トヨペット・クラウンDX」とさせて頂きます。ついこの前である昭和34年10月発売の、これぞ国産ミニカーのパイオニアとなる珠玉の逸品なのであります。

戦後の復興期に当たる昭和30年代は、Made in Japanの玩具類は輸出用の花形産業としてティンプレート(ブリキ)メインに沢山作られておりましたが、ダイキャスト製のミニチュアカーというのは存在しておりませんでした。

最近プラモデル界では「国産最初のプラモデルは何?」という論争が上がっていて、これまでは長い間「〇ルサン」が日本で最初のプラモデルという説がまかり通っていたのですが、実はそれ以前に他のメーカーが先に作っていたことがほぼ判明し、歴史が書き換えられようとしています。私は門外漢ですが・・・・

日本のミニカー業界ではこのモデルペットのクラウン発売以前、前後にも実は「ミニカーらしき物」は作られておりました。揚げ足を取りたい方々からは「モデルペットは最初の国産ミニカーでは無いぞ!」と反論されそうなのですが・・・・

こちらはついこの前である享保9年創業の増田屋が昭和30年頃に輸出メインとして発売したのが「シルバーペット」シリーズでして、クロームメッキされた車体にフリクションモーター内蔵という玩具的なモデルでした。

こちらはとりあえず「ビュイックのクーペ」らしきものと判別出来るのですが、隣りに並べた同年代の外国製ビュイックのモデル(白/赤)と比べるとミニカーというより単なるオモチャにしか見えません・・・・

こちらの倉持商店製のモデルはとっても小さくてグリコのオマケ程度の大きさで、スバルやミゼット等とりあえず車種判別は可能ですがただの駄玩具に過ぎませんね。今日、これらを見つけるのはとっても大変なのですが・・・・

同じく倉持商店製の50’sアメ車群ですが、これらもアメリカのLINEMAR TOYSブランドで主に輸出目的で製造されていました。下請けみたいなものですね。日本国内にも少し流れたようで、手持ちのパッケージには当時のデパートの値札が貼ってあるのもありました。

出来はまずまずなのですが、キャストの質が悪い物が多かったらしく、まるで時限爆発装置がついているように、ある一定の期間が経つとボディーにヒビが入り最後はバラバラになってしまう恐れがあるという恐怖のミニカーなのです。幸い手持ちの物は他にもあるのですが、全て製造後60年経過しても未だ爆発しておりません。とってもラッキーですな!

これらのビュイックや正体不明のアメ車みたいなものも、パッケージが全て英語で表記されていて、国内向けというよりも輸出用という事が分かりますね、あくまで「ミニカーらしき物」です。

という事でこれらのモデルは、時系列では確かにモデルペットのクラウンよりも先、あるいは同時期に作られていたことが判明していますが、とてもスケールモデルとして考えるにはお粗末過ぎまして、輸出メインや駄菓子屋行き?という販売体系を考えると、Wildman的にはやはり「国産ミニカー第一号」の栄誉は問答無用でモデルペットの品番1、トヨペット・クラウンDXで決まりなのです!!

観音クラウンのプロポーションを見事に再現し、車種的にも王道でスケールも1/42とほぼ国際規格標準のスケールで作られた事もポイントが高いのですな。アポロ・ウィンカーも最高なのです。未だハンドルやシート、サスペンションは付いておりませんが、迫力あるプロポーションがそれらを帳消しにしてしまうのです。トランク左下にはOverdriveのエンブレムまで彫ってあるのでした。

当時このミニカーをデパートのショーウィンドウで見て興奮された黎明期のコレクター様の気持ちが良く分かります、私は不覚にも生まれておりませんでしたが、ああ残念・・・・

モデルペットを販売したサンタ印の旭玩具(のちにアサヒ玩具)は、昭和35年の玩具自由貿易化の流れに沿って、英国製のCorgi Toys、Dinky […]

Happy New Year!! そしてミニカーコレクション第7位であります。

皆様、明けましておめでとうございます。本年もWildman’s Blogにお付き合いくださいませ。

今年の干支はBoar(イノシシ)なので、本牧はArea-1のNew Year Special Stickerはイノシシさんをモチーフにデザイン致しました。毎年恒例のプレミアムなギンギラ仕様となっております。Area-1店舗にて¥3,000(税別)以上お買い上げの方にプレゼントしておりますが、残り少なくなって来ましたので、ぜひご来店頂きお買い物を楽しんでステッカーをGetしてください。

そして力道山先生より年賀状を頂きました。先生のご結婚を祝うもので、大変恐縮で有ります。

今年は昭和38年か、来年は東京オリンピックだなあ・・・・と思ったら平成31年で有りました、初夢を見てしまいました。でも東京オリンピックはまた来年ありますね、東洋の魔女再来であります!

という事で夢から覚めまして、次はいつもの白昼夢ミニカー話の続き「43周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」第7位となります。43周年のはずでしたがいつの間にか年が明けてしまったので、コレクションスタートの1975年からは44周年となってしまいましたが・・・・

第10位がイタリア製Politoysの「BREサムライ」 第9位が西ドイツ製Marklinの「ビュイック・セダネット」第8位が日本製モデルペットの「トヨタスポーツ800」ということでありました。もちろん全て実車現役時代に作られた「当時物」のビンテージミニカーたちなのです。

そして今回発表の第7位は英国製Corgi Toysの傑作ロータス・エラン(Lotus Elan)であります。もちろん1960年代に造られたミニカーなのです。

1975年当時、少年ジャンプにて「サーキットの狼」の連載が開始されましたが人気が出ない為、打ち切り話が出たくらいでしたが、突如人気が出てその後は76〜77年に掛けてのです爆発的なスーパーカーブームにつながって行きました。

主人公の風吹裕矢の駆るロータス・ヨーロッパが当時のお子様たちの人気でしたが、頭のおかしい少年Wildmanは「ロータスだったらヨーロッパより エランの方がカッコいい、いやコルチナの方がいいかも」とひとりつぶやく変質者と化していました。

すでにミニカーコレクションはスタートしておりましたが、まだ知識の浅い小学5年生はこれまでにどんなクルマがミニカー化されていたのか全く理解出来ておらず、資料も今と違って少ないので、ミニカーは現場で知るしかありませんでした。ミニカー専門店、玩具店、デパート、文房具屋、駄菓子屋、縁日の露店等々現場で遭遇してその存在を確認しておりました。

変態への道を突き進んでいた11歳はミニカー専門店というものを突き止めて通うようになりました、世捨て人の始まりです・・・・

70年代当時の横浜はミニカーパラダイスでして、数々の専門店が存在し、買う買わないに関わらず、そこに行けばいろんなミニカーに遭遇出来たのです。横浜に生まれてしまったことが人生を狂わせたと言っても過言ではありません・・・・

専門店では新製品や現行モデルに混じってとっくの昔に生産が終わっている「絶版ミニカー」が平然とショーケースに並んでおりました。

いろんなお店に行きましたが最初にホームグラウンドとなったのが鶴見区にあった「チェッカー」というホビーショップでありました。ミニカー、プラモデル、モデルガン等々、当時のお子様に人気のあった商品を小さな店舗内に所狭しと並べてありました。

夢のような空間で夢のような買い物をする術が少年Wildmanにはありまして、当時鶴見区には親戚が住んでおり、そこに遊びに行こうと祖母を誘い出し、途中でチェッカーに寄ってミニカーを買ってもらうという鉄板のルーティーンがあったのです・・・なんというガキなのでしょう!

昭和50年のとある日、いつものように祖母を誘い出しチェッカー経由で親戚の家に行く段取りとなりました。すでに頭のおかしくなっていた少年Wildmanは現行品や新製品のミニカーには目もくれず、店の奥にあった絶版ミニカーコーナーを凝視しておりました。

するとブルーと白のツートンカラーのミニカーが目に留まりました。「あれ何だろ、小さなスポーツカーに見えるぞ」と思い店主のTさんに「み、見せて下さい、その青いの」と頼んでケースから出して頂きました。

紛れもないロータス・ヨーロッパよりも好きなロータス・エランでありました。「うおおお〜エランのミニカーなんてあったんだ!」と興奮し、祖母にお願いし「これを買って下され」となりました。

これが英国Corgi Toys製のロータス・エランでその頃でも10年近く前のミニカーでした(実車が60年代のクルマなので)

こちらが当時のCorgi Toysカタログ画像になります。

Corgi Toysは昭和35年の玩具自由貿易が施工された時に日本に最初に正規輸入されたブランドの一つでした。

ミニカー王国の英国ではDinky Toysというブランドが戦前からトップブランドのミニカーとして君臨しておりました。こちらの画像が50年代のDinky Toysですがプロポーションも良く頑丈な造りとなっています。未だ窓ガラスが無い時代のモデルです。ハドソンの美しさにはほれぼれ致しますね・・・

後発のCorgi ToysはDinky Toysに追い付け追い越せという感じでスタートし、こちらの初期モデルでもすでに窓ガラスを装着していてDinkyに差をつけていました。

その後怒涛のCorgi快進撃が始まり、こちらの1960年発売のアストン・マーチンDB4では世界初のボンネット開閉アクションを持ちエンジンも再現されるというエポック・メイキングなモデルとなりました。

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