Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

2019? 07? 27? by satoh

MQQNEYES Open Houseに行って来ました!

さて、そろそろ梅雨明けの声も聞かれて本格的な夏が到来致しますが、その前にもっと暑いCaliforniaに行って参りました、野球を見に・・・・・・
じゃなくってMQQNEYES USAにて毎年この時期に開催されるOpen Houseに参加して来ました!!

ではなくて、Open HouseにてPinstripeデモを行って来たのです。今回も沢山のクルマやお客様が来られてMQQNEYES USAは一日中Hot Rods Heavenとなっていました。もちろんChico’s Burgerも復活致しました。

MQQNの周りには沢山のお客様のクルマが並び、終始賑わっておりました。
お隣のHumburger屋さんHungry Boyもクルマだらけとなってましたが、「お、510が3台も並んでる」と思っていたのですが、よく見たらなんと真ん中のは日産ローレルでございました、だまされた!? 

もちろん右ハンドルで、最近日本から持って来たクルマですが、オーナー様はゴキブリとなっております・・・お約束の車検ステッカーもそのまま貼ってありますね。このような旧い日本車が海を渡ってしまうのは複雑な気分になってしまいますが、それだけ国産旧車も世界に認められてきたという事なのでしょうね。

Pinstripeのお仕事も多数頂きまして、炎天下の中お疲れ様でありました!

毎年ミニカーのPinstripeを依頼されるお客様よりPEP BoysのMQQN版を描いてくれと頼まれ、このような物を描きました・・・・

無事Open Houseも終了し、会社の看板やStaffの自家用車にPinstripeを
入れたりとお仕事を一通りこなしまして、やっぱり野球を見に行きました。

はい、ベイスターズでは無くて、アナハイム・スタジアムでのエンゼルス戦なのであります。イチローが引退してしまったシアトル・マリナーズを迎えてのカードでしたが、結局計2試合も観戦してしまいました、すみません・・・・・

最初のデーゲームは異常な暑さの中、マリナーズの先発は元西武ライオンズのエース、菊池雄星君でありました! エンゼルスの大谷君と同じ高校出身の先輩後輩、花巻東対決なのであります!!本当に暑い日でありまして日本ではこのような時期には屋外球場でのデーゲームは設定されていないので、こんな過酷な状況で投げるのは高校生の頃以来ではないでしょうか?だって本当に暑いんだもん、よくこの状況で野球やりますよね・・・


結局菊池君は途中降板で勝敗はつきませんでしたが、対大谷君は四球と三振という結果で、試合はマリナーズの勝利となりました。

二回目の試合はヒューストン・アストロズとのナイトゲームだったので涼しく観戦出来ました。試合はマリナーズ打線が初回から爆発して一方的なゲームとなってしまいました。それにしても大谷君人気は絶大で、日本から応援に来ている日本人の方も大勢いますが、アメリカ人の方々も大谷君が大好きなようであります。

あ、これは大谷君ではなくMQQNEYESの村上君@carpであります。


そしてこのアストロズ戦ではもう一つの楽しみがありました。アストロズにはキューバの至宝、元横浜DeNAベイスターズのグリエルが在籍しているのです!!

グリエルと言えば、2014年のシーズン途中に野球大国キューバより突如

来日し、ベイスターズにて「本物」の実力をいかんなく発揮し強烈な印象を与えてくれました。「すごい選手が来たもんだ、これで暫く外人選手は安泰だぜ」と思っていたら翌年、ケガの状態が思わしくないとか何とか言ってシーズンが始まっても来日せず、その後契約破棄となりキューバより
亡命後アメリカでメジャー入りしてしまったのでした、残念無念・・・・

一方的な契約破棄によってベイファンの印象は悪いかもしれませんが、それ以上にたった数か月の来日期間中の活躍が強烈だったので、私には強い
イメージとして現在も残っているのでありました。

そんなグリエルを久々に見ましたが、やっぱり良いですね!この日もポンポンヒットを量産していました。試合はマリナーズの大勝でしたが、一人グリエルに夢中でした。こんなことならベイスターズのユニフォームTシャツ着てくれば良かった!?

そして最後はVan NuysにあるGalpin Motorsにお邪魔致しました。これまでHot Rod Custom ShowにもShow Carを持ち込んで頂いておりますので、皆様もご存じだと思います。

今回FactoryやMuseumを見学させて頂きましたが、物量が凄くて圧倒されてしまいます。

歴史あるCustom Carから貴重なMuscle CarやDrag Racer、劇中車両等々何でもある感じです。

マイクロカーやShelby Mustangのコレクションは圧巻であります。

こちらの1965 GT350はバーンファインドのお宝車でして、塗装(ストライプも)もオリジナルのとんでもない個体でありました。ほ、欲しい・・・・

Ed. RothのShow Carや劇中車両も沢山並んでいます。

おっとこんなところに変態車両が!! アメリカの変態スポーツカー?マンツ・ジェット(Munz Jet)であります、初めて見ました!
現存台数は49台の珍車でありますが、オプションでホームバー(冷蔵庫?)が設定されている気持ちの悪いクルマなのです。

ついこの前の昭和26年発行のこちら日本語版ポピュラ・サイエンス誌を見てその存在を知っていましたが、実物を見て感動致しました。本を持っていて良かったです。

さらにミュージアムを散策していますと、異様な物体が目に飛び込んで来ました。大谷君もグリエルも吹っ飛ぶこいつはV8エンジン4基掛けのDrag Racer ”Mustang Mach IVでした。

「ゲッ、こんなのまであるの、まさかミニカーではなく実車が見れるなんて!!」とひとり興奮しMach ㈿に釘付けとなってしまいました・・・・

こちらイタリアはPolitoys製の1970年代初頭当時物ミニカーのMustang Mach ㈿ですが、これは当時のHot WheelsやMatchbox等が作っていた「架空のクルマのミニカー」だとずっと思っていたのです。その後洋書を見て実車が存在することを知ってビックリしていたのですが、まさかその実車に遭遇するとはさらにビックリなのでした。
いやもうあまりの迫力に圧倒されてしまいまして、もうみんな帰るというのにこのクルマから離れられなくなってしまいました。仕方ないので日本に戻ってからミニカーを見て瞑想にふけっておりました・・・・

そんなこんなで今回の出張も無事終了となったのですが、8月3日(土)から18日(日)までの予定で私、Wildmanの30th AnniversaryイベントをMQQNEYES Area-1にて開催予定となっております。作品展示や限定記念GQQDSの販売も御座いますので詳しくはこちらをご覧下さいませ、Go! with MQQN

2019? 07? 6? by satoh

復活ベイスターズ! そしてKISSは最終章へ!?

5月末の時点で最下位、そして6月には恐怖のセ・パ交流戦に突入してしまい、絶望のブルースと言った感じの我が横浜DeNAベイスターズでしたが、何か奇跡が起ころうとしております。

4~5月に掛けて負けまくり(10連敗+ 5連敗)最大借金11を背負ってしまい、ぶっちぎりの最下位を独走していたベイスターズですが、そのうちヤクルトさんが勝手に16連敗してくれたり、カープさんが乱高下の激しい戦いぶりを発揮している内に、ナゼかベイスターズは覚醒してしまい苦手の交流戦を勝ち越すという奇跡が起こってしまいました。

毎年交流戦では酷い成績を残していますが、その集大成としては2015年の悪夢がございました・・・・
あの年の中畑ベイスターズは前半戦まではトップを快走し、もしかして優勝かも?なんて期待を持たせてくれていたのですが、交流戦では3勝14敗という絶望的な戦績を残し、前半戦首位ターンも終わってみれば最下位というプロ野球史上前代未聞の快挙を成し遂げてくれたのです、さすがだぜベイスターズよ!! そして中畑政権は終了しラミちゃんにバトンタッチされました。

その後も交流戦は大の苦手でして、今年も始まるまでは苦痛でしかなかったのですが、あれよあれよという間に勝ち越してしまい、10勝7敗1分で12球団中4位という奇跡が起きてしまいました、信じられませんな。
最大借金11もチャラとなったわけであります。

梅雨入り前は最下位決定と諦めていた今年のペナントレースでしたが、ついに3位まで復帰し、目の前に2位が見えて来ました、嘘みたいです・・・

こうなったら優勝だぜ!と言いたいところなのですが、そんなことを言うと又おかしくなって来ますので、とりあえず3位以内を目指すことに致します、私がやるわけではありませんが・・・・

という訳で、今季初観戦に横浜スタジアムまで行って参りました。オリンピックに向けて拡張工事中のスタジアムですが、毎試合満員御礼との事で改めてDeNA様の営業努力に驚くばかりであります。

プチスポンサー?であるMQQNEYES御一行はバックネット裏VIP RQQM No,4にて観戦となりまして、VS阪神タイガースを楽しまさせて頂きました。もうね阪神はベイスターズにとって大の苦手チームでありまして、今季も負けまっくているのですが、この日は天敵のラーメン大好きメッセンジャーをKOし、ホームランも連発し、大勝利となりました! ああ嬉しいな!! このままのペースで行けばAクラスは見えてくるはずなのですが、そこはDeNAベイスターズ、この夏に何が起こるのか分からないのです。

ラミレス監督の集大成となる今シーズンなので、2年前の奇跡をもう一度、日本シリーズ進出を期待してしまうベイスターズファンは沢山います、皆小心者ですが・・・・・

そしてKISSは最終章を迎えようとしております。ついにライブ活動の終焉を発表し、今年の1月から始まった”End of The Road World Tour”は世界各国を回っていますが、このペースでは日本に来るのは来年なのかなと思っていましたが、先日突如ウドーのKISS特設サイトが開設され、6月24日にTourに関する何かが発表されるとなっていたので「そうかついに来日か、24日にスケジュールを発表するのでしょう」と余裕も持って病院の待合室で24日の正午を迎えてボケ~と携帯の画面を眺めていたのですが、いきなりチケットが一部先行販売となって驚き!! 「え、ウソ、スケジュールの発表だけじゃないの? 」と慌てふためく変態は「ちょっと待って」と待合室を抜け出しサイト情報を確認、やっぱり先行販売が始まっていました。「やばい、どうしよう今回の作戦をちゃんと練らないと」冷静になり、スケジュールを凝視し東京ドーム参戦に一択、席を選ぶも何もSS席以外は眼中にないのですが「そういえば前回はVIPパッケージの席を利用したな、今回もあるのかしら?」と思って再確認、するととんでもないVIP パッケージが2種類設定されておりました。前回のお安いVIPはございませんでした・・・・

一つ目は”Ultimate KISS Army VIP Experience”というパッケージでお値段何と¥400,000也・・・・・・・・・・
メンバーに会えたりバックステージツアーが有ったり、ステージに上がってギターを持ったり、KISSブーツが履けたり、衣装部屋に行ったり、ステージ真下最前列付近でライブが見れたり、サイン入りリトグラフやVIP限定グッズが頂けたりとKISSファンにとっては夢のようなパッケージとなっております、お値段も夢のようですが・・・・

もう一つはKISS VIP Meet & Greet Experienceでお値段は¥150,000となっております、少し安く感じてしまうのは感覚が麻痺しているからなのですな・・・・
こちらもメンバーに会えて写真撮影を行ったり、サイン入り写真が頂けたり、ステージ前方のアリーナSS席の確保やVIP限定グッズが頂けたりとなっております。入り口もVIP専用となるそうです。

「う~む、どうしようか??\40万円なんて世捨て人にも程があるし、第一そんなことにこんな大金をつぎ込むなんて人としてどうなのかしら?」と小心者が顔を覗かせます。

「でもさ、¥15万円なら半額以下で安く感じるし、KISSに会えるしこれで見るのも最後だし、行かなきゃ変態失格だし」と結論付けてしまい、何と¥15万のパッケージに特攻することになったのです。

しかしどちらのVIPパッケージも抽選となっておりまして第二希望なんかも申請するのですが「ここは男は黙って東京ドーム一択、変態の俺が外すわけがない、外したら自死を選ぶぜ!」と勝手に豪語し病院の待合室の外で携帯と格闘し、本当に申し込んでしまいました、ああ人間失格・・・・・

そして運命の6月29日の結果発表、急に気が小さくなり吐き気を催しながら恐る恐るサイトを覗いてみると、見事に当選!! End of The Road World Tourの東京ドームVIPパッケージをゲットしてしまいました!!

思い起こせば1977年よりKISSと共に40数年を歩んで来ましたが、もうこれでKISSに関して思い残すことはございません。東京ドームにて散って来る覚悟で有ります!!
All Right Tokyo, You Wanted The Best ,You Got The Best!! The Hottest Band in The World, KISS!!!

2019? 06? 8? by satoh

ミニカーコレクションは芸術の域へ!そしてMIM No,21発売であります!!

ミニカーコレクション第1位を発表してしまいまして、腑抜けになってしまった
Wildmanは毎日ベイスターズの勝敗を見て、ますます腑抜けになってしまいそうなの
であります。

ついに恐怖のセ・パ交流戦が始まってしまい、この先セ・リーグのチームはどん底に
突き落とされる未来しか見えて来ないのです・・・

我がベイスターズもどん底からは脱して、ちょぴっとづつ成績は上向いて来たのです
が、このタイミングで交流戦が始まると、また振出しに戻ってしまいそうで、小心者
としては梅雨とともに憂鬱な季節が始まってしまいました。早く終わってしまえ、交
流戦なんか!!

7月には横浜スタジアムにて今季初観戦となるのですが、言いたい事は山ほどござい
ますので、Wildmanの「ベイスターズが夏を乗り切る作戦」をレポート用紙にまとめ
て、紙飛行機で一塁側ベンチに飛ばす計画を企てております。

もし夏場にベイスターズの成績が上向いたら、それは私のアドバイスによる作戦が功
を奏したと思ってくださいませ。

そしてミニカーコレクションはついに第1位を発表してしまいましたので、思い残す
ことは無かったはずなのでしたが、やっぱり思い残すことばかりでまた少し語らさせ
て頂きます。

最近のミニカーというのはどれもこれも素晴らしい出来栄えで、まるで実車の縮小コ
ピーと思えるようなものが沢山作られていて、大人がミニカーを集めるというコレク
ションが普通の趣味?ととらえられるような時代となってしまいました。

メーカーも子供対象のオモチャとしてのミニカーではなく、大人を対象とした高価で
精密なモデルを作って売りさばいております。もうこれは「ミニカー」ではなく「模
型」なのであります。メーカーは限定品を乱発し、コレクターをあおって爆買いさ
せ、コレクターはコレクターで自分たちで市販ミニカーを二次加工し(メーカーが加
工したものではなく素人が脚色したモデル)勝手に付加価値を付け、それを勘違いし
たコレクターがネットで高額で取引をする変な時代となってしまいました。

40年以上前は小学校の高学年ですらミニカーを集めてると言ったらキチガイ扱いされ
ましたが、今時いい年こいてミニカーを集めてるといったところで誰も驚かないし、
ミニカーコレクション自体が世に認知されたのは良いのですが、

モデルのディティールや雰囲気を追うのではなく、価値(価格)のみを追っているよ
うな方々が増えてしまい、とっても残念に思っている私であります。

とそんなこと言ったところで私が元祖変態であることには変わりないのです
が・・・・

なので変態的には限定トミカやトレジャーハントのホットホイールなんて全く興味御
座いませんので、勝手に我が道を行く独りよがりのコレクションを続けてまいりま
す。ああ、ちょ~気持ちいい!!

ミニカーを芸術品としてとらえておりますので、ピカソのような無茶苦茶な芸風のモ
デルに魅力を感じ、実車を超えるような形になってしまったモデルや実車とはかけ離
れてしまった仕上がりの作品たちに美を感じる今日この頃であります。

なにも資料を見ないで頭の中だけで考えて車の絵を描いてしまったような作風のミニ
カーこそが最高のミニカー芸術なのであります。何を言ってるのかさっぱり分からな
くなってきました!!

という事で「これぞ何も資料を見ないで作ってしまったミニカー芸術」を御紹介致し
ます。

まずはこちらの北欧はデンマーク製のB.P.(Bros. Peterson)というブランドの

1940 Ford V8 Coupeであります。B.P.はブルーパニックではありません。

このミニカーが製作されたのは資料によりますと1948年頃になりますので何と70年く
らい前の芸術品となります。

初めて写真で見た時に「なんだ、コレは!!」と岡本太郎のように叫んでしまったほど
の衝撃を受けました。だって1945年頃に5歳くらいの子供がスケッチブックに「鉛筆
でフォードのクーペを描いてみました!」と言ったような造型でありまして、これは
もう想像力を掻き立てる以外の何物でもありませんでした、素晴らしい!!

ディズニーの「青い自動車」のスージーにも見えますが、だれが何と言おうと

40年のフォード・クーペであることに間違いありません、金型を作った方はきっと変
態じゃなくって天才だったのです。

70年前に北欧でひっそりと作られていた、あまりにも珍奇なミニカーなので

入手には手こずらされました・・・でもしつこいので7000日くらい探せば手元にやっ
て来るのですな。

前から見ても後ろから見ても動物のように美しく、ホイールにはV8の刻印まであるの
でした。セダンではなくクーペと言うのがポイント高しなのです。

するともう一台エビ茶色のがやって来る事になりまして、我が家にお迎え致しまし
た。「やった、兄弟が揃ったぜ、なんて美しいんだ!」と部屋で叫んでいると「あ
れ、なんか違う」と思いよく見てみるとフロントグリルの縦のバーの本数が違うでは
ありませんか。さらに後ろを拝見しますと今度はリアガラスの大きさが全く違ってい
ました。「何てこった、こんなものにバリエーションがあったなんて」と気が狂いそ
うになり「きっと70年前に兄弟の金型師がいて、それぞれ勝手に別々の金型を作って
しまったんだ、そうに違いない!」と勝手な解釈をし今日に至っている次第でありま
す、あ~ビックリした・・・

そしてお次は日本製のスバル360になります。プラスチック製の駄玩具のようなモデ
ルなのですが、さすが当時物、ちゃんと出目金のスバルをモデル化しているのです。

大きさは大盛屋より一回り小さくトミカよりは大きいといった微妙なスケールで何と
も可愛いのであります。ハイライトは真横から見ると窓枠の本数がおかしいというか
リムジンのようになってしまっているところが芸術なのであります、素晴らし過ぎま
す!

そしてもっと凄いのがこのポリエチレン製の黄色いスバル360でありまして、まるで
Wildmanが幼稚園の時に描いたイラストのようにしか見えないのです。

チョップトップされてしまったような低いルーフはボンネビル・レーサーにも見えて
しまうのであります、カッコいいぜ!! こんな芸術は今作れないだろうな(当たり前
ですが・・・)

そして今度は西ドイツに飛びまして1950年代に造られた当時物プラ製Sikuのポルシェ
356になります。もうね、金魚にしか見えないような356の捉え方でありまして、ポル
シェの本国のくせに何も資料を見ないで、自分の記憶だけで356を作ってしまったミ
ニカー芸術だと思われます。

常に笑っているようなフロントの造型と、低くうずくまるその姿はカエルになる直前
のおたまじゃくしにも見えるミニカー芸術なのであります。

ツートーンのルーフ部のクリーム色は当時筆による手塗りの作業が施されているもの
で、その点も芸術点のポイントが非常に高くなっております。

Sikuは箱もプラスチック製となっておりまして、御覧のようなガレージ風の素敵な物に
なります。

最後はまた北欧デンマークに戻りまして、Tekno製のポルシェ356になります。

こちらはですね1950年代に製作されたミニカーになりますが、Wildman的には過去作
られた356のダイキャストミニカーの最高傑作だと思っております。

先月、旅行先のシュツットガルトの街角で見た最新のポルシェ356の絵を描いてみよ
うと、何も資料を見ずにTeknoの社員さんがお絵かきし「あまりにもカッコ良く描け
たのでこれをもとにミニカーにしてみましょう!」と勢い余って作ったのがこのモデ
ルだと思っております、ハイ。じゃなければ箱を先に作って、そのイラストをもとに
ミニカーを製作してしまったのかもしれません、逆転の発想であります!!

完全に実車を超えてしまうようなカッコ良さで、初期356の魅力を全て表している感
じでして、空気を吸い込む音が聞こえて来そうなのであります。ミニカー芸術ここに
極まる!! と断言致します。

そしてMooneyes International MagazineのNo,21が発売となっております。

今回も盛りだくさんの内容となっておりますが、、何といっても見どころはWildman
のページでございまして、今回は「変態の歩き方 Wildmanが案内する東南アジアの
変態カスタム」というお題となっております。私が訪れた東南アジア各国の変態車
両、珍奇なカスタムカーを一挙ご紹介しておりますので、ぜひご覧くださいませ!!

ご購入はこちらからどうぞ。

2019? 05? 25? by satoh

44年のミニカーコレクション、第1位発表!!

全くどう評価していいのか分からない今期のベイスターズですが、10連敗した後ちょっと勝ったと思ったら又5連敗し、その後再び連勝が続き、ぶっちぎりの最下位にいたはずが、振り向けば横浜、何となく他のチームに追い付いて来ました、ゆっくりとですがね・・・・

このあと6月にはセ・リーグにとって恐ろしい交流戦も待ち受けておりますので、そこでまた順位はシャッフルされ、7月には一体どのような順位になってるのかさっぱりわかりませんね。過度の期待は禁物ですが・・・

横浜DeNAベイスターズXMQQNEYESのコラボレーショングッズは今季

も製作しておりますので、もう少しお待ちくださいませ。

そしてついに「44年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」の栄えある第1位発表となってしまいました! う~ん、名残惜しいな・・・

一体全体、何台持ってるのかさっぱり分からないミニカーの中でベスト10を決めるというのは無謀な企画だったのですが、無理やり10台を決めさせて頂きました、かなり無理やりなのです。

第10位はこちらのイタリアはPolitoys(ポリトーイ)製のBREサムライ(日野サムライ)です。’67日本グランプリを車検失格で出走出来なかったこの美しすぎる(珍奇な)レーシングカーをよくもまあ遠いイタリアのメーカーが当時モデル化してくれたと思います、感謝であります!

第9位は今から約70年前!に造られた西ドイツはメルクリン(Marklin)製のBuick Sedanetteであります、まさに怪獣ですな。コレクションを始めた小学生の頃「こんなに旧いミニカーは一体どうやって手に入れるんだろ?」と毎日悩んでおりましたが、その後10,950日くらい掛かりまして入手出来ました。諦めが悪いのか、しつこいのかよく分かりません・・・

第8位は昭和40年5月発売の国産ミニカーの雄、アサヒ玩具はモデルペット製のトヨタスポーツ800です。ヨタハチの丸みを見事に捉えた秀逸なモデルで当時の国産ミニカーとしては抜群の仕上がりだと思います。一台目の入手は苦労したはずなのに、あまりにも好き過ぎて気付けば同じのが2018年の時点で5台並んでいました・・・・

第7位は英国Corgi Toys(コーギートーイ)製のLotus Elan(ロータス・エラン)であります。ボディとフレームが分離するという変態アクションを持つ自動車マニヤ養成ギプスのようなミニカーでありまして、見事変態に養成されてしまいました。ヨタハチ同様多数が我が家に生息しております。

第6位は国産ミニカー珠玉の逸品、アサヒ玩具はモデルペット製のトヨペット・クラウンです。「本格的国産ミニカー第一号」として昭和34年10月に発売された観音クラウンのミニカーですが、Made in Japanのパイオニアとして長く語り継がれて行く最高傑作であります。

第5位はフランスはQuiralu(キラル)製のメッサーシュミットKR200です。

名著、保育社のカラーブックス「世界のミニカー」を見て死にそうなくらい欲しくなったミニカーですが、ついこの前の1979年にお年玉を駆使して入手したので死なずにすみました。1960年頃には絶版となっていたので、その時点でも20年落ちのモデルでしたね。

第4位はベルギーはGasquy(ガスキー)製のTatra(タトラ・リムジーン)です。名前もスタイルも気持ちの悪い最高のクルマですが、実車よりも先にミニカーで存在を知った物になります。「まずはミニカーで覚えてから実車を知る」という変態的な法則を小学生の時に習得致しました。ガスキーのタトラは1950年前後に造られた大変にレアなミニカーで、入手まで長い長い年月が掛かりました。

第3位は英国はZebra Toys(ゼブラ・トーイ)製のHeinkel Bubble Carです。

1979年に元町サンセットさんで実物を見るまではその存在すら知らなかったモデルで、当時の資料には一切出て無く、日本では存在を知ってる人も欲しがる人もいなかったような幻のミニカーなのです。その後28年の歳月を掛けて手に入れましたが、一度は入手をあきらめたミニカーの代表格なのであります。

第2位は国産ミニカー二番目のブランドである大盛屋(タイセイヤ)Micro Pet(ミクロペット)の品番F-1 スバル360です。昭和36年4月に発売されたモデルですが元々生産量が少なく、殆どが子供のオモチャとして扱われて破壊されてしまったので、現存台数が異常に少ないミニカーなのです。

1998年、ベイスターズが38年ぶりの優勝を遂げた年に力ずくでやっと入手致しました。出目金スバルはWildman家最初のマイカーだったので思い入れも強いのでした。

そしてついに第一の発表となります。実は10位から9位を考える方が難しく、1位は最初からあっさりと決まってました。

小学生の頃「世界のミニカー」に次ぐバイブルだったのが、日本ミニチュアカークラブを主宰するカドー玩具が発行していたミニカーコレクション啓蒙誌「月刊ミニチュアカー」でした。30数ページの小冊子には毎月色々な記事やモデルが紹介され、変態小学生はどんどんミニカーの世界にのめり込んで行ったのです。

昭和50年の12月25日のクリスマスに発行された通巻89号から新しい連載がスタートしました。Wildmanも所属するJMAC(Japan Miniature Automobile Club)の大先輩N氏が執筆する「あちらのこちら」という難解なタイトルの記事でしたが、その内容は外国製の国産車(日本車)ミニカーを紹介する物なので「あちら」は外国で「こちら」は日本というまさに高速有鉛的なギャグ感満載のタイトルだったのでした、素晴らしい!!

当時海外のミニカーブランドが日本車をミニカーにするというのはあまりなく、香港製のチープな3インチモデルではコピー物含めて色々出ていましたが、王道の1/43スケールではある一車種除いてあまりモデル化されていませんでした。今でこそ世界中のブランドで日本車ミニカーは作られていますが、70年代位までは海外のメーカーがわざわざ日本車のミニカーを作るようなことはしていませんでした。フェアレディZ(S30)は実車が爆発的に海外で売れていたのでそこそこモデル化されましたが、70年代に入ってからの話なので、それ以前60年代の日本車なんて海外ではほぼミニカー化されていませんでした。

唯一人気だったのが、ボンドカーの影響もあってなのか、トヨタ2000GTが多数モデル化されていました。そして「あちらのこちら」連載第一回目はそのトヨタ2000GTが特集でした。白黒ページには小さな画像で各ブランドの2000GTが紹介されていましたが、その中で少年Wildmanの目を釘付けにしたのがこちらイタリアはMebetoys(メーべトーイ)製のモデルでした。

「ナニこれ、無茶苦茶カッコいいじゃん」と興奮し、欲しい欲しい病が始まってしまったのです。イタリアの新興ブランドMebetoysは60年代にスタートし、イタリア車やヨーロッパ車を多数モデル化していましたが、突然1968年に日本車のトヨタ2000GTを作ってしまいました。ドアー、ボンネット、トランク開閉のフルアクションを持ち、何よりも実車さながらのロングノーズ、ショートデッキのスタイルを見事に表現していました。見事とというか実はかなり誇張されたデフォルメなのですが、それがバッチリ2000GTにはまってしまい、もはや芸術の域に達していました。Wildmanが認定する60年代傑作日本車芸術品ミニカーとなったのです。

これこそが44年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10!! 第1位となる

メーべトーイ A29(品番です)トヨタ2000GTなのであります!! カッコいいぜ!!!

このミニカーは60年代から70年代にかけて正規輸入されていたので、日本ではそれなりの台数が存在していたと思われます。欲しい欲しい病が発症した昭和50年頃ではそれほど古いミニカーでは無かったので、ホームグラウンドである鶴見のチェッカーで発見、すぐに捕獲されたのでした。

おばあちゃん有難う!!

黄土色の車体でしたが、家に帰ってテーブルに載せて色々な角度から見るとそれはもう幻の名車トヨタ2000GTそのもの、それまでダイヤペットやモデルペット等の国産の出来損ない2000GTミニカーしか知らなかった少年Wildman にとっては宝石のように映ったのでありました・・・

TOYOTA 2000の刻印が入ったカムカバーやトランクのスペアタイヤ、何よりもロングノーズのそれにウットリする毎日でした。実はホイールは同メーカーのランボルギーニ・ミウラ用の流用なのですが、なぜかこの2000GTにはこれがバッチリ合っていたのです。

このモデルは多数のカラーバリエーションがあったのですが「箱にあるシルバーのがどうしても欲しい」となってかき集めたり「2000GTはやっぱり白だよな」と思って必死に白を探したりと、気付けばいっぱいケースに並んでました、何やってんだろ・・・・

その後Mebetoysは米国マテルの傘下に入りHot Wheels化されてしまい、このようにワイドホイールを履かせられ、ドーピングされたミニカーとなってしまい、当時のマニアは憤慨していました。巨大なパッケージのイタリア語のHot Wheels(Brucia Pista)ロゴが泣かせますね!今見るとこれはこれで面白いミニカーなのでした。

今でもメーベトーイA29 トヨタ2000GTと言われると、何だか興奮してしまい、だれが何と言おうとNo,1のミニカー芸術はこれで決まりと豪語してしまいます。2000GTのミニカーは21世紀現在多数のモデルが存在し、どれも素晴らしい出来のようですが、あれらはミニカーではなくただの「模型」なので、芸術作品ではないのです。申し訳ありませんがWildman的には全く興味がございません、ハイ。

これにて44周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10は終了となりましたが、たったの10台では物足りないので、今後も銘品や珍品をご紹介して行きたいと思っておりますのでお楽しみに!!

そして只今、通販限定デザイン、Wildman描き下しのCalifornia Dreamin’ Tシャツ、絶賛予約受付中であります。7色の豊富なカラー展開となっています。ご予約は6月3日(月)迄なのでお早めに、Go! with MQQN

2019? 05? 11? by satoh

44周年のミニカーコレクション、第2位発表!!

皆様、10連休となった(方々もいる)Golden Weekは如何お過ごしだったでしょうか?

この間に我がDeNAベイスターズは10連敗という凄まじい成績を残して

あっという間に最下位転落の憂き目に遭いました・・・・

連敗脱出後、ちょこっと勝って又連敗という流れは、懐かしい暗黒時代を彷彿させる
ものでして、DeNAになってからの新規ベイファンの方々はさぞや困惑されていること
でしょう・・・・

このくらいの連敗でですね、5月でシーズン終了なんて状況は、大洋~横浜大洋ホ
エールズ時代はしょっちゅう起こっていた事ですし、ベイスターズになってからも98
年の優勝後、21世紀になってからは長い暗黒時代がありましたので、Wildman的には
こんなの全然平気なのであります!

なんて、強がりを言っているように思われますが、ここ数年ベイスターズはラミレス
監督の元、Aクラスに2度も入ってしまい、しかも2度目はクライマックスシリーズを
勝ち抜いて何と日本シリーズ進出という快挙というか暴挙をなし遂げてしまいまし
た。

ファンもチームもその気になってしまい「今度は優勝だ!」と騒ぎ始めましたが、昨
年はあっさりと4位に沈んでしまい「あれれ、こんなはずじゃなかったのに」と意気
消沈・・・・横浜スタジアムもスタンドを増設し、今年こそ!と挑んだ今季はいきな
りの大失速で、ぶっちぎり最下位を迷走しております。

この感じは久々なのですが、少し前までは毎年こんなだったので古くからのファンは
それほどの衝撃は無いと思いますが、新規ファンはたまったもんではないでしょ
う・・・かわいそうに。

2年前のクライマックスシリーズ制覇~日本シリーズ出場時の流れではラミレス監督
の采配はズバズバと神がかり的に当たりまくり「短期決戦の鬼」

といった感じで「名将」とさえ言われました。まるで高校野球の甲子園大会を制する
ような感じで、短期決戦上等の素晴らしい采配でした。

これがいけなかったのかも?と昨年薄々と感じていたのですが、ナゼかこの時の采配
をシーズンを通してやるようになってしまい、中継ぎの投手は勝っていても負けてい
ても毎日のように投げまくり疲労困憊でぶっ壊れる、一発頼みの打線はソロホームラ
ンばかりで全くつながらず、打っても打っても全然得点出来ないという流れでホーム
ラン王もいる強力打線を持ちながら最低のチーム得点という摩訶不思議なチームと化
してしまいました。

中畑監督からラミレス監督へと繋がれ少しずつ上昇していったDeNAベイスターズです
が、ここらがここ数年で作って来たチームの限界なのかな?と思わせられる最近の戦
いぶりなのです。

主砲のTさんは来年以降のメジャー移籍を希望されているようですし、チームを引っ
張って来てくれた外国人選手もそろそろ衰えが隠せず、若い投手は一年限定の活躍で
終わるといった恒例の流れとなっていて、どう考えても今期は上昇の兆しは見えて来
ません。ケガ人も多いのですな・・・・

第一期DeNA時代は十分に堪能させて頂きましたので、今後は切り替えて短期決戦型で
はなく「普通の采配」をして頂き、若い選手を上手く起用して新しいベイスターズを
数年掛けて作って欲しいですね。その間はずっと最下位でも昔のことを考えたら全然
OKなのであります、あの大洋ホエールズ時代を知っていれば何も怖くありません、ハ
イ!! 今後もGo! 横浜 DeNAベイスターズであります!!

という事でベイスターズ話が長くなりましたが、いよいよ44周年のミニカーコレク
ション、第2位の発表をさせて頂きます。

Wildman家における最初のファミリーカーは昭和40年頃に親父が中古で買ったこちら
の画像の出目金一本バンパーのスバル360で有りました。

その後もスバル360を乗り継ぎ、初代ダイハツ・フェローに乗り換えましたが、スバ
ルからフェローの流れが幼年Wildmanにとってはたまらなくノスタルジーを感じさせ
る自動車の記憶となっております。

ミニカーコレクションを始めた1975年の時点ではすでにスバル360のミニカーなんて
作られているはずもなく、欲しければ昭和30年代当時に作られた当時物絶版ミニカー
を探すしか方法は有りませんでした。

バイブルのカラーブックス「世界のミニカー」で調べてみるとスバル360のミニカー
は、当時アサヒ玩具のモデルペット製と大盛屋のミクロペット製の二つのモデルが作
られていたようでした。

しかし1975年の時点でもこれらのミニカーは10数年前に絶版となっていて、おいそれ
と見つかる物ではありませんでした、インターネットもありませんしね・・・・

それでもこちらのアサヒ玩具のモデルペットのスバルは当時そこそこの量は作られて
いたようでマニア間でも流通していたので、頑張れば見つかるかもといった感じでし
て、実際に頑張ってみたので1979年に元町サンセットさんの最初の店舗で無事に捕獲
することが出来ました、めでたし、めでたしと変態中学生は一人部屋の中で満足して
おりました、素晴らしい青春であります!

さて、問題は大盛屋ミクロペットのスバルの方でした。まず大盛屋(タイセイヤ)と
いうブランド自体、私は全く理解しておりませんでした。だって昭和40年にはこのブ
ランドは倒産していたので、昭和39年生まれの私はそんなブランドのミニカーなんて
幼少期でも触れる機会がありませんでした。

「世界のミニカー」や日本ミニチュアカークラブ発行の月刊ミニチュアカー誌の連載
「ミクロペットのすべて」等の記事でお勉強して行きましたが、

大盛屋というのは戦後出来た玩具メーカーで、二代目の社長さんが就任後新しい出発
の一部門としてミニカーの開発に取り組んだそうです。が、ミニカーというのは他の
玩具と比較して桁違いの開発費が掛かり「若社長の道楽」とまで言われながら昭和36
年にアサヒ玩具のモデルペットに次ぐ国産2番目のミニカーブランドとしてスタート
し、昭和40年に倒産するまでの間、せっせと60種近いミニカーを販売しました。大し
て売れませんでしたが・・・

そんな大盛屋ミクロペットの第一号が昭和36年4月に発売された品番F-1のスバル360
でありました。モデルペット同様、初期の出目金をモデル化したもので、角ばってい
るモデルペットよりも丸みを上手く再現したミクロペットの方が出来としては優れて
いますね。

しかしミクロペットはアンチモニーという柔らかい素材で出来ていた為、

一回の落下で完全に破損したり、フリクションモーターが内蔵されていた為、子供が
走らせて遊ぶので破壊されて廃車となり、元々の生産量も少なかった事もあって、現
存数は異常に少ないミニカーとなってしまいました。

1970年代の小中学生マニアがいくら探したところで、ミクロペットのスバルなんて手
に入るはずも有りませんでした。大人のヘビー級のマニア間での流通や専門店でたま
に扱われる程度の物だったと思われます。実物を見る機会も全くありませんでした。
「欲しい、欲しい、どうしても欲しい」と思っても私ごときのアンテナには引っかか
らず、80年代から90年代に掛けて20歳代の頃には「もしかしてこれ一生手に入らない
かも?」とかなり弱気になる変態と化しておりました。

しかし時は流れて「欲しい物は力ずくで手に入る」という恐ろしい時代となりまし
て、ベイスターズが38年ぶりの優勝を果たした1998年、23年間探していた大盛屋ミク
ロペットのスバル360は手元にやって来たのであります。長かった・・・・・これぞ
ミニカーコレクション、第2位となるのです!!

嬉しいというよりも、もう疲れたという感じでして、ほんわかと丸いミニカーを見て
部屋で一杯やりました(もちろんカルピスソーダで)

大盛屋ミクロペットのスバルは50年前の我が家のマイカーと同じ青色で、懐かしさが
込み上げてくるのです・・・・ついこの前なのですが。

大盛屋は倒産後、ミニカーの金型を米澤玩具に流して、それらを使って初期のダイヤ
ペットシリーズのミニカーが誕生し、その後長きに渡り国産ミニカーの代表格として
君臨しておりました。

大盛屋というのは謎が多いメーカーで、小さな会社がいきなり当時高級玩具だったミ
ニカーを作って、パッと打ち上げ花火のようにはかなく消えていってしまったという
印象が強いのです。

私の所には遺品のようなものが多数ございまして、大盛屋の資料もいくつかあるので
す。

こちらは大盛屋がミクロペットを発売した時の「ミニチュアカーご説明書」になりま
す。ガリ版刷りの簡素な物ですが、社長のあいさつに始まり、当時の著名コレクター
様が寄稿されています。

簡易カタログやパンフレットも色々と出ていました。一部英語表記もあってミクロ
ペットは少しだけ海外に輸出もされていました(海外で売れたとは思われません
が・・・)

こちらはミクロペットの設計図面になります(何でこんなのがウチにあるんだろ?)
ダットサン・フェアレディ、いすゞベレル2000、メルセデス220SEの3点になります。

さらに恐ろしいのがこちら、いすゞベレルのライトバンであるエキスプレスの図面で
あります。実車もレアですが、ミニカーはサンプル製作止まりで実際には発売されな
かったモデルで、極少数がこの世に存在しています。

これらは大盛屋が主宰していたTHMC(タイセイ・ホビイ・モデラー・クラブ)の会報に
なります。ミニカーコレクション黎明期のコレクター様の情熱が伝わって来るので
す。

もっと凄いのが、昭和36年当時の小学校のアンケート用紙で、ミニカーマニアの先生
が作られたもので「都内の一小学校における玩具に対する感受性の調査」となってお
ります、素晴らしい!! 個人情報が出るとまずいので一枚目だけご紹介致しますが、
最下段に「あなたは、ミクロペットを知っていますか」となっております。思わず
「ハイ、知っています」と答えてしまいましたが、当時の5年生では知っているが
2%、知らないが98%となっています。当時でも見事に大盛屋は無視されていました
ね・・・・

そんなこんなでミニカーコレクションベスト10もついに2位まで来てしまいました。
次回はいよいよ第1位の発表とさせて頂きますので、宜しくお願い致します。