Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

RUSH/プライドと友情は変態的な面白さであります!!

皆様ご無沙汰しております。4月の27th Annual Mooneyes Street Car Nationalsですが、おかげさまでエントリーが一杯となってしまいました。今日15日が受け付けの締め切り日でしたが、その前に予定数を完全にオーバーしてしまい、申し訳ありませんが現在新規のエントリーは受理出来ない状況になっております。会場のキャパシティの問題があり、どうしても入り切りませんのでご了承くださいませ、宜しくお願い致します。

さて皆様、先月日本でも封切りとなったフォーミュラ1を題材としたレース映画「”RUSH”ラッシュ/プライドと友情」はご覧になったでしょうか?私も遅まきながら見て参りました。昨年末に乗った飛行機の中で予告編をやっていたので楽しみにしておりましたが、やっとこ映画館に向かうことが出来ました。

で、一言「大変素晴らしい!!」作品となっておりました。日本でも結構プロモーションをきちんとやっていて、朝のTV番組なんかでも紹介されたりしていて、レース映画なんて注目されそうにないジャンルですが東宝さん、力をいれていましたね。

内容は1976年のF-1グランプリで実際にあったお話に多少の脚色を加えて仕上げたものですが、映像といいストーリーといい、見事な完成度を誇っていたと思います。

ついこの前の小学5年生の頃、F-1に興味を持ち始めAuto Sport誌を読みあさって、日本に遅れて伝わって来るグランプリのレース結果を食いいるように見ておりました。F-1なんて当時は新聞にも出ないしインターネットもありませんので・・・・

「ラウダって凄いな、さすが世界チャンピオンだぜ」とか「ジェームス・ハントと風吹裕矢はどっちが速いのでしょう?」などと妄想を膨らませて’75~’76年のグランプリシーンを追っておりました。

まさにこの1976年のニキ・ラウダとジェームス・ハントのチャンピオン争いをこの映画RUSHは題材にしているのです。ロイ・ジェームスは関係ありません・・・・

当時を知るファンにとってはこの映画はたまらないストーリーですね!!何しろ最終戦は何と日本で開催されることになり、まさかF-1を日本でやるとは思っていなかった少年Wildmanは狂喜致しました。しかし富士スピードウェイで開催されるこのレースを小学生が狂喜な値段のチケットを買って見に行けるはずもなく、F-1を生で見る夢はかないませんでした・・・

まあでもこの映画で、まさにあの時に起こった出来事をライブ感覚で見る事が出来るので、38年間待ったかいがありましたね。ちなみにKISSの初来日はこの翌年の事でした・・・

実車での撮影をベースにCGをうまく取り入れた映像も素晴らしく、英国で撮影された最終戦、雨の富士スピードウェイの場面もコース幅が狭い事を除けば大変良い出来になっています。富士は大幅に改修されちゃったので撮りようがなかったのでしょうか・・・日本語の看板や駐車場に停まっているダルマ・セリカやクジラ・クラウンも素晴らしいわき役っぷりを発揮しております。

この頃のF-1マシンがWildmanにとっては最強のF-1なので。これ以降数年間はAuto Sport誌を買いまくりF-1をずっと追っておりましたがターボエンジンの台頭とホンダのカムバックの頃より急に興味を失い、マンセルだプロストだ、セナ様だシュー様だという頃は完全に門外漢となってしまった次第であります。申し訳ありませんが、その頃のF-1の話をされてもさっぱりわかりません・・・・

フォードDFVエンジンをベースにした、手作り感満載のキットカーF-1の時代が最高に楽しかったですね。 エンジンとミッションがあれば後はちょっとしたアイデアで面白いF-1が作られていました。6輪のタイレルP34がその最たる物でしたが、他のマシンたちもそれぞれ一目でわかるデザインで、カッコいいスポンサーカラーと共に全てが個性的でありました。

その走りもドリフト走行バリバリで、今のF-1のようなレールの上を走ってるスロットカーみたいなのは何がいいのかさっぱりわかりませぬ・・・スピードなんてどうでもいいのです、アクセル踏んで、クラッチ踏んでケツを流して、空飛んじゃったりするのがF-1なんだと38年前に勝手に決めさせて頂きましたので宜しくお願いします・・・

だから何はともあれ映画”RUSH”をぜひご覧になって下さいませ、本当のF-1の魅力が分かると思いますよ!!ちなみにレースを知らない方が見ても、面白い作品になっていますね。

で、話足らないのでここらでミニカーの話に移行させて頂きます。この頃のF-1のミニカーなんていくらでもあるのですが、まともなモデルではこのブログの意味がなくなってしまいますので、変なのを紹介させて頂きます。

こちらは英国Dinky Toys製のミニカー、ヘスケス308Eであります。ヘスケスは英国のアレキサンダー・ヘスケス卿というレース好きの酔狂な貴族が、ご自分の資産をぶっ込んでスポンサーを付けずにF-1に参戦していたという漫画のようなチームなのであります。いいな~70年代って・・・

RUSHの中でも出て来るのですが、ジェームス・ハントがマクラーレンに移ってチャンピオンになる前に乗ってたのがヘスケスでありました。そのヘスケスが資金難でついに力尽きた最終年度(1978年)のマシンがこの308Eでした。ドライバーは何とスキーの元オリンピック選手だったディヴィナ・ガリガという女性!!でありました。名前も強烈なのでそれだけで強く印象に残っているのです、レースは予選落ちばかりでしたが・・・

金がなくなったのでオリンパス・カメラがスポンサー付いていてミニカーもちゃんとそのカラーになっていますが、このモデルはミニカーよりも箱に価値があるのです。オリンパスが販促用に作った仕様のこの箱は、現在とってもレア扱いされておりまして、プレミアムな物になっています。興味のない人にはどうでもいいことなのですが・・・・

そしてもう一台がこちらの6輪車になります。6輪と言えばタイレルP34と皆様決め付けそうですが、そんなのは甘いのです。(ティレルなんて呼ばないでね、タイレルです!!)タイレル6輪は当時から現在に至るまで人気者で、多数モデル化されましたが、他にも6輪車はあったのです!!

マーチが作った2-4-0という珍奇なマシンはタイレルとは反対に後ろが4輪!!というグロテスクな物で、2軸アクスルで後輪全てを駆動させるという変態的な構造になっておりました。ちなみに2-4-0って6輪機関車の動軸表示ですって!!強烈なトラクション以外にも、リアも前輪と同じサイズの小径タイヤによる空気抵抗の軽減を狙ったりしたそうですが、結局実戦には投入されませんでした。

こんな変態車両は当時全く海外ではミニカー化されませんでしたが、時はスーパーカーブームでありまして、東洋の島国ではスーパーカーからレースカーまで片っ端からオモチャ化されていました。版権も何もあったものではなかったので、駄菓子屋にもカウンタックやBBの駄玩具が沢山並んでおりました。

そしてその中にナゼかマーチ6輪車が混ざっていたのです!! ひよ子のマークのISというさっぱり正体のわからないメーカーが勝手に作っていたのですが、紛れもないマーチ2-4-0/ 6輪車なのであります、ビックリした!!何でこのようなマニアックなクルマをモデル化したのかさっぱり分かりませんが、きっと雑誌をめくったら写真が出ていて「おお、これは面白い、早速作っちゃいましょう」というノリだったと思われます・・・

品番14と書いてあるパッケージにはFordのオーバルロゴも入っていますが、これも勝手に使ったと推測されますね、最高だぜ70年代!!!

ちなみにこちらは同ブランドの品番2、ランボルギーニ・カウンタックLP500RSであります。本当はLP500Rのはずなのですが・・・どちらも当時のブームを偲ばせる貴重なモデルとなっております(もちろん未開封)

と言うことでミニカーの話も出来て楽しかったので、今度おさらいの意味も含めてもう一度RUSHを見に行って来ますね。

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バゲーラでバケラッタ?プラスチックなクルマたちはカッコいいぜ!!

もうすぐは~るですねぇ♪と歌いたくなるようなポカポカな陽気になってまいりました。春は嬉しいですね、雪は一生見たくないので・・・

というわけでキャンディーズを歌っている場合ではなく、前回のブログの続きとなるプラスチックなクルマたちのお話をさせて頂きます。

キャンディーズが流行ってる頃といえばわが国はスーパーカーブームに明け暮れ、地獄の軍団KISSが来日し、ナイキが日本発売される等、私の狂った人生が狂い始めた記念すべきスタート地点となります、ハイ・・・

ついこの前の1977年5月8日に、今はなき磯子の高台にあった横浜プリンスホテルで開かれたスーパーカーショーにヤマハモトバイクで出撃し、展示車両だったロータス・ヨーロッパに座らさせて頂いたのがプラスチックなクルマの初体験でありました。

ロータス・ヨーロッパは漫画サーキットの狼の主人公、風吹裕矢の愛車だったので、当時の子供たちには絶大な人気を誇っておりました。

練馬56そ・740の白いヨーロッパ・スペシャルはアイドルとなっておりましたが、4気筒1600ccで126馬力、最高速度200km/hのこのクルマが漫画の中では12気筒4000ccで375馬力、最高速度300km/hを誇るカウンタックに勝ってしまうのが不思議でなりませんでした・・・

だったら2気筒360ccで36馬力のスバル・ヤングSSが6気筒2000ccで150馬力のトヨタ2000GTに勝てるのではないかと本気で考えてました、風吹裕矢の次の愛車はヤングSSにした方がイイと思ってました・・・

で、ヨーロッパの当時物ミニカーですが、実車が「史上最速のブレッド・バン」と呼ばれた不思議な形の為なのか、今一つ作りにくかったようで傑作と言えるモデルが見当たりません。

  

しいて言えばちっこいサイズのこの英国マッチボックスが初期OHVエンジン搭載の細いタイヤを履いたヨーロッパの雰囲気をイイ感じで捉えていますね。

イタリアはMebetoysからもこのレーサー風ヨーロッパが出ていましたが、おそらくコスワースエンジン搭載のレースカーである47GTをモチーフにしたと思われます。

  

このミニカーは1975年に鶴見のチェッカー、絶版車コーナーにて祖母におねだりして買って頂きました、¥2,500もしました・・・帰り道でつくの商店街の長崎屋でラーメンを食したこともちゃんと覚えております。

「今でも大切に持ってるぜ婆ちゃん!!」と墓参りの度に伝えております。

そしてプラスチックなロータスと言えば、古いエランの方がマニア受けは良いようですね。

初めて実車を見た時はあまりにも小さくて、ニセ物なんじゃないと心配してしまいました。

浮谷東次郎が船橋のレースで勝ったりして、古くからのファンには人気がありましたがスーパーカーブームの頃にはもう古過ぎて、子供たちのアイドルにはなれませんでした。

しかしミニカーマニヤの私には十分にアイドルとなってましたね。

 

英国Corgi Toys製の傑作モデルの誉れ高きエランS2は、シャーシー脱着可能!!という驚異のアクションを持ち、子供たちに実車の構造を教えてくれたのでした。

 

トヨタ2000GTがこのフレーム構造をマネしたんじゃないかとひねくれた考えを持つ子供を育てることにもなってしまいました・・・

ブルーに白ルーフのは、ついこの前の1976年にやはり婆ちゃんにチェッカーで買って頂きました、¥3,000もしました・・・・いまでも大切にしております。

いろんなバリエーションが作られましたが、1960年代の英国の人気テレビ映画The Avengers(邦題:おしゃれ丸秘探偵)の劇中車両セットもありました。

当時輸入されなかったようで、なかなか手にはいりません。

主人公のベントレーとヒロインの白いエランS2がセットになっていて、武器?であるこうもり傘も付属しています。箱絵を見ているだけで夢が広がって行くのです。

日本代表のプラスチックといえば1956年発売のフジ・キャビンにとどめを刺すのです。

全くこれ以上何を望めばいいのかと思わせるほどの前衛的なデザインを持つこの超小型3輪車は、フレームを持たないモノコック構造全体をFRPで構築するという画期的な手法で作られました。

同じ構造のロータス・エリートよりも2年も早い開発という快挙なのであります。

たったの125ccで5,5馬力という性能のキャビンは、夏は暑くて冬は寒いという素晴らしい特性を持ち、操縦性も悪くて市場には受け入れられずにたった85台が作られただけで寂しく消えて行きました。

でもプラスチックで錆びないから外で放置しても残ってしまった車輛も少数存在し、マニヤ様の元で生き永らえているようです。

キャビンは当時物では一切モデル化されず(ミニカー、プラモ、ブリキ)ここ何年かでレジンのキットや完成品が出たにすぎません。

  

こちらはレジンの完成品ですが、流石に現代の技術で作られた為「実車より精密」に作られております、味はありませんが・・・・・

お次はおフランスのプラスチックになりまして、日本ではあまりなじみの無いマトラになります。

フランスのルネ・ボネという小さな会社が作っていた世界初の市販ミッドシップカーであるルネ・ボネ・ジェットというクルマがありました。

1962年から2年間細々と作られていましたが経営難に陥り、航空宇宙産業やミサイルなどの軍需産業で有名なマトラ社がルネ・ボネを買収しました。

マトラは元々ジェットのFRPボディを作っていたのです。

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鬼才ガンディーニの傑作は亀マークのナバホだぜ!!

まったく地球は一体どうなってしまったのでしょう??この前の成人の日、関東地方は強烈な雪が降りまして、横浜市では有史以来初めてとしか思えない積雪13センチを記録しまして、私のような小心者は一歩も外に出られなくなってしまいました。

 

我が家は山の上にございますので、数日間は遭難したも同然となり通勤は長靴をはいてバス停まで25分歩くという悲しい日々をおくる事になってしまいました・・・ナイキじゃないと足が痛いんです。

 

雪はあと30年くらい、横浜市内には降らなくて結構なのです。

そして早く春にならないかと思っておりましたところ、皆様に吉報であります!

第27回Mooneyes Street Car Nationalsの開催が5月19日(日)に決定致しました。当初のスケジュールより変更となり、5月の開催となってしまいましたが、場所はおなじみの東京はお台場になります。

当日、雪は絶対に降りませんし、ゴールデン・ウィーク渋滞もありませんので、カッコいいクルマ、変態なクルマ、奇抜なクルマ、たくさんお待ち申し上げておりますので宜しくお願い致します!!

  

で、カッコ良くて、奇抜なクルマと言えばどう考えてもスーパーカーか三輪トラックになりますよね。

子供の頃、カウンタックと三菱レオは同じような衝撃を受けました。

今でもどっちが欲しいかと言われれば本当に悩んでしまいますよね・・

カウンタックのデザインと言えばカロッツエリア・ベルトーネのチーフデザイナーだったマルチェロ・ガンディーニさんであります。

強そうな悪役みたいな名前ですが・・・

私、この方の作品が大好きなのであります、なのでフェラーリよりもランボルギーニなのです(それよりも三菱レオかもしれませんが・・・)

 

天才ジウジアーロが抜けたベルトーネのチーフ・デザイナーを務めた鬼才ガンディーニは60年代中期から70年代に掛けて数々のスーパーカーやコンセプトカーをデザインし、はるか離れた東洋の島国の少年たちを狂喜させました、いまだに狂喜している馬鹿もここにおりますが・・・

 

ランボルギーニ各車、フィアットX1/9、ランチア・ストラトス、マセラティカムシン等々、極端なウェッジ・シェイプのデザインは一目でガンディーニの作品と分かる物でした、ああカッコいいなあ・・・

と言うことで今回もガンディーニな作品を、実車よりもっとカッコいい「当時物ミニカー」たちで紹介させて頂きます。

まずは名車の誉れ高きランボルギーニ・ミウラです。ジウジアーロの流れを汲む60年代的な美しいラインは今でも色褪せることありませんね。

 

ミニカーの世界でも人気者で当時は世界各国、各社でモデル化されましたが、一番入手しづらいと思われるのがイタリアはEDIL TOYS製のこちらになります。

ミウラのモデルとしては平均的な仕上がりなのですが、このエディル製は何せ生産数が少なく、当時日本にもちょぴっとしか輸入されなかったのです。

あとシルバーのがあるのですが、生涯かけて探すしかありませぬ・・・

お次はフル4シーターのスーパーカー、ランボルギーニ・エスパーダです。

フロントに12気筒エンジンを積んだ4人乗りのおシャレさんですが、70年代から80年代にかけてグリーンのSSSAディーラー車をしょっちゅう横浜市内で目撃し、オーナー様に声を掛けたこともある大好きなランボです。

 

イタリアはPolitoysより素晴らしいプロポーションでミニカー化されており、フルアクションのこいつは12気筒エンジン、4つのシートも再現された傑作であります。全3色揃えるのに15年掛かりましたが・・・

同じく4つのシートを持ちながら何とミッドシップ・エンジンという手品のようなクルマはランボルギーニウラッコであります。

V8エンジンの2+2のスーパーカーは対ポルシェ911を想定していましたが、商売としては惨敗に終わりました。

ついこの前の1976年、小学6年生のときに、東京は目黒通りのミツワ自動車にポルシェの撮影に繰り出し、正面入り口から突入し怒られましたが、帰りにちょうど現FLAT4さんのあたりを歩いていると、メタグリーンのウラッコが走って来たのを目撃したのがウラッコ初体験であります。

こちらもイタリアのPolitoysとMebetoysよりミニカー化されてました。

よく見るとリトラクタブル・ヘッドライトの位置が違っていて、左のポリトーイはボンネットの真ん中あたりに位置していますが、右のメーベトーイはもう少し前になっています。

子供の頃はポリトーイのライトの位置が「真ん中へんで変なの、俺が目黒通りで見たやつはもっと前だったぜ!」と一人ブツブツ言ってましたが、その後、中学生になって調べた結果、ウラッコのプロトタイプは真ん中へんにライトがあり、ポリトーイのはプロトタイプをモデル化したことが判明しました納得。

やはりミニカーで実車を勉強出来ることが明白になったのであります。

そしてお次はランボルギーニ・ハラマです。V12フロントエンジンで2+2のシートを持つごく平凡的なレイアウトのGTカーでしたが、ショートホイールベースのハンドリングに優れたクルマでバランスが良く、サーキットではミウラをしのぐ走りをしたそうです。

地味なスタイルのハラマでしたが、大社長フェルッチョ・ランボルギーニのお気に入りだったそうです。

テストドライバーのボブ・ウォレス共々「あれこそ本当のランボルギーニ」と絶賛していたクルマなのです、鬼才ガンディーニにしちゃおとなしいデザインですが・・・

 

ハラマも当時Politoysからモデル化されてました。スクエアなスタイルを上手く表現しV12エンジンもちゃんと載っております。

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「なんだ、これは!」殿堂入りのスーパーカーはカウンタック様だぜ!!

当ブログ読者ならすでに御覧いただいていると思いますが、ムーン・イラストレイテッドvol.6がとっくに発売となっております。 今回のWildmanページはですね、またもやFruityとのコンビによる物ですが、ついこの前の1990年代に一世を風靡致しました雑誌”Cal”へのトリビュートという形でデザインしました。意味の分かる方は「ナール程!」と思いますが、分からない方にはさっぱり分からない構成となっています、そこがいいのですな!! 一字一句、慎重にお読み下さいませ。 何はともあれ本屋さんにGo!であります。ムーンアイズ通販にてお求め頂ければ勝手Wildmanページにサインをしてお届けすることも可能であります!!

で、この前ですね出張Paintの際に首都高速をHiaceにて激走中、「ランボルギーニカウンタック」に遭遇しました。官能的なフェラーリ・ミュージックと違い今にもぶっ壊れそうな爆音がたまらなく素敵で、そこにあるだけで人々を幸せにしてくれる車だと改めて痛感致しました。

ついこの前の1970年代の日本で突然巻き起こったスーパーカー・ブーム時にはその頂点に立ち、少年のアイドルとしてAKB48なんか目じゃないような存在となり、未だにスーパーカーと言えばカウンタックの事を指していると思っております。 昔から自称カーマニアと言われる方々はカウンタックや70’sスーパーカーをバカにしたり興味無い様な素振りを見せてくれますが、カウンタックの素晴らしさが理解できないようでは人間として致命的な欠陥を抱えていると思います。

カウンタックはですね、岡本太郎先生の「なんだ、これは!」という脅威の芸術性を表す言葉がまさにピッタリでありまして、本当にイタリア語でそういう意味の感嘆詞なのです(正式発音はクンタッシュやクンタッチだそうですが) やっぱり日本人にとってはカウンタックという名前の響きが良いのです、名前だけで強そうでカッコ良く感じるじゃありませんか。 これが同じイタリア語でも、ランボルギーニ・バジリコやランボルギーニ・カルパッチョじゃゼンゼン駄目だったでしょうね・・・

嘘八百の最高速度300キロ、高速になればなるほどフロントがリフトし、どこに走って行くんだか分からないスリリングな直進性を誇っておりますが、実は見掛けに似合わずコーナリングは結構良かったりするおませさんだったりします。

そんな事はどうでもいいのです、鬼才「マルチェロ・ガンディーニ」の手によるあの外装デザインと、天才エンジニア「パオロ・スタンツァーニ」による基本設計の組み合わせはまさに「Oh! Countach」なのであります。 空に向かって跳ね上がるドア、芸術としか思えない構造の鋼管スペースフレーム、スペックなんかどうでもいい巨大な12気筒エンジン・・・・全てはカウンタックだけの素晴らしき世界なのです。ああ本当に素晴らしい・・・

ミニカーの世界ではカウンタックが現役の70年代当時、英国マッチボックスのちっこいモデル以外、海外ミニカー業界ではなぜか無視されていた存在で、東洋の島国でのあのブームが無ければまとまなミニカーにもならなかったというのはちょっと意外な事実なのです、なんでだろ?? 70年代のスーパーカー・ブーム時、その人気に当て込んだ日本の「サクラ」というミニカー・ブランドがありまして多数のスーパーカーをモデル化し一時大儲けしてました。そんなサクラがシリーズ第3弾として発売したのがカウンタックLP400でした。 世界初の1/43スケールのカウンタックの登場は待ち遠しく、愛読書の月刊ミニチュアカー誌発売予告のCMが載っていて楽しみにしておりました。 そしてついこの前の昭和52年3月20日発売のカウンタックを求めに横浜市は磯子区の闇市上がりである「浜マーケット」内の玩具店に出撃致しました。 それがこちらミニカーになります。今見れば幼稚なモデルですが、カウンタック最大の売りであった(少年たちにとって)リトラクタブル・ヘッドライトとガルウィングドアー開閉アクションの採用はこのミニカーをベストセラーとしました。なんといっても当時物ということに価値があります。 そしてもう一台の色違いは、まるでちんどん屋さんのようなセンスの白と赤のツートーンになります。これ冗談ではなく本当に実車にあったカラーなのです!! どこのどちら様がこういったカラーにしたかは存じませんが、当時はあまりにも強烈で少年Wildmanは「なんだ、これは!」を連発しておりました。サクラさん、よくぞこの色をモデル化してくれました、御礼申し上げます。 カウンタックのシートに初めて座ったのは、1994年の夏、Blue Maxのダイゴさんがナゼかブラックのカウンタック・アニバーサリーに乗って御所山Studioに来られた時の事でした。 「ダ、ダ、ダイゴさん、これどーしたんですか???」と聞くと「借り物だよ、CM撮影の帰りだよ座ってもいいよ」と言われたのでありがたく着座させていただきました。全く後ろが見えなかったです・・・・

このオレンジのカウンタックは横浜のシーサイド・モーターが入れた新車輸入三号車で、21世紀現在も素晴らしいコンディションに保たれております。数年前の箱根のスーパーカー・イベントで撮った写真ですが、このときMini Truck界の重鎮たち?がこの会場にいた事が忘れられません・・・やっぱりみんなカウンタックが好きなのさ!! ちなみに日本上陸一号車は、60年代の日本グランプリをジャガーやローラで激走し、その後税務署を手玉に取り、ラスベガスに高飛びしホテル王となった「安田銀治」氏が購入されたそうです(黒色) そんなヒストリーもカウンタックらしくてとっても素敵なのです。

何はともあれカウンタックは史上最強のスーパーカーであり、ちんどん屋であり、芸術作品なのです。 ブガッティが400キロ出ようが、バイクの隼が300キロを超えようが、カウンタックの嘘八百300キロの方がゼンゼン説得力があるのですな。

「なんだ、これは!」最高だぜランボルギーニ・カウンタックよ!!!

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