Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

名ばかりのエリートは道をあける、さて私は誰でしょう?

皆様明けましておめでとうございます、本年もMooneyes並びにWildmanを宜しくお願い致します。

 

年末&お正月はですね、恒例のイトーヨカードー鮮魚売り場にて閉店間際アワビの値下がりを待ち、無事2つゲット!! ステーキにして美味しく頂きました、最高です!!

  

さらに私のひそかな楽しみである、関内某ホテルのデザート食べ放題付きのランチにて、食後のデザートを2周させて頂きました、御馳走様でした!

そしてお正月は恒例のミニカーワックス掛けを行いまして、誰にも邪魔されることなく一人至福の時を過ごしておりました。 なかなか減らないシュアラスターもだいぶ底をついてきました。

   

又、新年のMooneyes Area-1 Sidewalk SaleのPinstripeデモにお越しの皆様、寒い中有難うございました。 次回は3月の第一日曜日となりますので宜しくお願い致します。

で、1000冊の本の森と化した自宅にてほんの整理のつもりが手に取った本をついつい読んでしまい、何も整理しないまま数時間が過ぎると言う悪循環を30年位続けております・・・

そんな中こちらの本をじっくりと読んでしまいました。

ついこの前の昭和53年11月発行ですから、まだ新刊みたいな物ですが、(株)企画室ネコの心に残る名車の本シリーズ第5巻”The Lotus 1978”でございます。 当時としては¥1,800もした豪華本でありましたが、それはそれは貴重な資料だと中学生ながらに感じ、ポルシェから始まったこのシリーズをコツコツと揃えておりました。

今見れば手作り感満載の本で、編集の方々の情熱と気合が感じられます。

旧い車に対しての向き合い方が、それまであった日本の他の本とは違い「本当に好きな人が集まって作った本なんだ」と勝手に中学生評論家は論じておりました・・・

表紙は憧れのBOWさんのイラストで当時「それだけで買いだぜ!」と思ってました。

 

他の記事の挿絵のタッチがとっても気に入り、よくマネをして描いていましたが、それらを描いていたのはモデルカーズ誌の初代編集長平野克己様であった事を後から知って驚きました。

3年くらい前としか思えない’85年に創刊された初期のモデルカーズ誌も衝撃的な内容だったので「こんな本を作ってる方々にお会いしてみたいもんだ!」と当時偉そうに思っていたら、その数年後に平野様が取材のお仕事で御所山倉庫に来られましたが、小心者は緊張してしまいたいして話が出来ませんでした・・・

その時の私の愛車、カワサキ350SS マッハIIを見て誉めて?くれたことだけ覚えております。

 

で、The Lotus 1978なのですが、何が素晴らしかったと言えば、当時の少年Wildmanがあまり知識を持ち合わせていなかった、ロータス初の量産車である「初代ロータス・エリート」について詳しくスポットを当てていたのです。

この頃はスーパーカーブームの名残がまだあった時期で、ロータスと言えばサーキットの狼主役である風吹裕矢の愛機ロータス・ヨーロッパの事を指しておりましたので、それ以前のエラン、ましてやエリートなんぞ少年たちの耳には入って来ませんでした。

 

私は実車より先にミニカーから入っておりましたのでエランやコルチナの事は理解しておりましたが、初代エリートとなるとさすがに??という感じで、この本を読んでどんなクルマだったのか理解出来ました。

その頃新型でこのような二代目ロータス・エリートが出ていてましたがスポーツ・ハッチのそのデザインは少年Wildmanにとって理解しがたく「出来そこないのライトバンみたいだぜ!!」とスーパーカーになり切れてないデザインと勝手に酷評してました。今見るとカッコいいです・・・

初代エリートはその新型とは似ても似つかない形で、エレガントな丸みを帯びた古き良き時代のデザインでありました。

キットカーとしても販売されてましたね。

1957年~64年にかけて1000台弱が作られましたが、オールFRPのモノコックボディを武器に1,2リッターの小さいエンジンながら軽さを利用した抜群の運動性能を誇りましたが、チャップマン・ストラットと呼ばれた独特の足回りや華奢な作りで、その後はさらに完成度の高いエランに道を譲りました。

ネコのこの本では、新車当時エリートは芙蓉貿易の手により7台が正規輸入されていて、それら全部の戸籍調査を行ってその消息を追った記事も素晴らしかったです。

ある自動車メーカーに渡り、研究後解体処分されてしまった個体や本田宗一郎&博俊親子が所有した物、ZFミッションにレース用フィラーキャップ、特注カラーの仕様で入って来たものなど、詳しく調べていて情報網の少ない当時で頭が下がるばかりです。

 

塗装名人、故中沖満氏の「力道山のロールスロイス」の中にもこのエリートのお話があり、補修で入って来たエリートのルーフ全体にスクラッチがあり、リアガラス上部が少しだけ飛び出していた状態でどのような類の事故か良く分からかったそうですが、これは懐かしの船橋サーキットででんぐり返ってコース上を滑走した時についた傷だったそうです。他には破損個所が無いのでこの時FRPボディの強さと復元力の優秀さが分かったそうです。だから力道山のロールスロイスを読んで下さいませ。

第二回日本グランプリにもエリートは出走してましたが、プラクティスでクラッシュしてしまい、あの伝説の式場ポルシェ904と共に2日の徹夜作業で修復し本レースに出走しております。

それにしても2台の事故車を同時に修復した名古屋三和自動車様には頭が下がります・・・・

そして本題のエリートのミニカーですが、残念ながら「当時物」では全く作られませんでした。国産では有名なコグレのプラモデルがありましたが、海外製品を含めても当時エリートはナゼかミニカー化されませんでした、残念!!

まあ量産車と言っても特殊なスポーツカーで今ほどロータス・ブランドも有名ではなかったので?あえて作る程の車種ではなかったのでしょう。

 

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オバフェン、羽付き、魅惑のポルシェは930ターボだぜ!!

皆様おはようございます。桜は満開となり、プロ野球は開幕し、ポカポカ陽気の素晴らしい季節になって来ました。

そんな中、ムーンアイズ エリア-1では「R381 あれから45年 パネル展」を開催致しております。

ついこの前である1968年の日本グランプリを制した伝説のレーシングカー「ニッサンR381」の活躍を貴重な写真で振り返ります。

このブログを読んで頂いているマニヤの皆様ならご存知でしょうが、R381のエンジンは当時Moon EquippedでチューニングされたシボレーV8を搭載しておりました。

当然R381設計者の桜井真一郎氏もDean Moonと関わっておりますので、当時の事を調べて行くとワクワクしてしまうのです。

Dean Moonが撮影した当時の貴重な写真も展示されておりますので、皆様ぜひエリア-1に足をお運びくださいませ!

そして私にとって貴重なのはこちら「ニッサングラフ」誌になります。

日本グランプリの翌年1969年3月号ですが、表紙はR381となっております。

この表紙写真を見ると助手席には、名レーサー高橋国光氏が座っておりますが、運転席で緊張な面持ちでハンドルを握っているのは何と石原裕次郎さんであります。

当時映画「栄光への5000キロ」撮影で日産と縁の深かった裕次郎がR381を試乗していたのです。

「こんなにすごいのは初めて!」とコメントされていますが、そりゃ凄いでしょう・・・村山工場のテストコースを5周されました、羨ましいな。

R381と言えば可変ウィングですよね。しかも2分割でサスペンションと連動し、コーナーで角度を変えダウンフォースを調整するという凝ったメカニズムに感動しました。

残念ながら当時R381はミニカーにはならず、プラモデルでしかモデル化されませんでした。

しかしこのようなプラスチック製のオモチャが出ておりました。

意味不明の青いボディーカラーを持っておりまして、ゼッケンも5番と無茶苦茶な設定でありますが、形は意外と良くて特徴的な可変ウィングのおかげで誰がどう見てもR381に見えてしまうのですな、これが。

ナゼかロールバーのみダイキャストになっていて安全性をアピールしています。

電池式のモーターライズで走行しますが、もちろん一度も走らせたことはございません・・・・

で、ウィングと言えば昔の暴走族、じゃなくってオバフェン、羽付きの「ポルシェ930ターボ」なのであります。

私ね、930ターボが出た時はビックリ致しましたよ、本当に・・・・

 

だってあのように出っ張ったオーバーフェンダーと、空高く飛んで行きそうな羽を最初から持っていては、ZEROやPIEROのサバンナRX-3でも対抗出来ないと思いました。

エレガントで清楚なポルシェ911がある日突然不良になったかと感じました。

大体小学生の身分では「ターボチャージャーって何なの?」という感じでして、カタツムリのようなタービンなる物を付けると何で速くなるのか全く意味不明でありました。

そんな難題を解き明かしてくれるのはやはり漫画でありました。

 

池沢さとし先生の「サーキットの狼」の中で主人公、風吹裕矢のライバル、早瀬左近がナナサン・カレラRSから930ターボに乗り換えたのでした。

「俺は根っからのポルシェファン・・・そしてまた、それは最高のモノでなければならない。それでこのポルシェの究極的モデルともいえる3リッターのターボをしとめたのさ」と漫画の中で早瀬左近がつぶやいておりました。すみません何言ってるか分からなくて・・・

当時出たばかりの3リッターの930ターボは激烈な加速力を示し、スーパーカー戦線に割って入って来たのです。

池沢先生は漫画の中でターボチャージャーについてやさしく解説してくれてアホな小学生にも多少なりとも理解することが出来ました、有難うございます。

「有り余る加速力に、メーカーは5速は不要で4速で十分」と漫画の中で説明されており、少年Wildmanはスゲ~と感動していましたが、実は当時のポルシェシンクロのミッションがターボの強烈パワーに耐えられなかっただけのようです・・・(のちに目出度く5速になりました)

池沢先生はご自分で実際にクルマを所有されて漫画に登場させていましたから、新車で当時1300万円!!もした930ターボをゲットされました、羨ましい印税生活でございます・・・(借金もされたようですが)

 

そしたら先生がミツワ自動車で購入された白の930ターボ「練馬33す49-31」号はやたらフケの良いシロモノだったそうで(当たり車両)ナラシも終わらないうちにゼロヨンのテストを敢行したところ、何と12秒台のタイムを叩きだしてしまいノーマル車輛では当時日本では最速だったのではないかと思われます。

「スゲエぞ、ポルシェ930ターボ!! カウンタックより速いじゃん」と単純な少年Wildmanは感動してしまい、「やっぱりポルシェだったら930ターボか4気筒の912だな」と意味不明な事を口走っておりました・・・・

そうこうしているうちに、当時私のバイブルだった「カドー玩具」というミニカー問屋が発行していた「月刊ミニチュアカー」誌の1976年3月号に意味深な広告が掲載されてました。

当時蔵前にあったカドー玩具はミニカー専門の玩具問屋で60年代後半から70年代に隆盛を極め、日本ミニカークラブを主宰してミニチュアカー誌を発行しコレクターの啓蒙活動を行っておりました。もちろん私も会員でありました。

エスカレートしたカドー玩具は自社でオリジナルのミニカーも製作し、ホンダF-1やポルシェ356Aスピードスターなどのマニヤ向けの高価なモデルを製作販売してました。

そして問題のミニチュアカー誌1976年3月号にはこのような予告が出てました。

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バゲーラでバケラッタ?プラスチックなクルマたちはカッコいいぜ!!

もうすぐは~るですねぇ♪と歌いたくなるようなポカポカな陽気になってまいりました。春は嬉しいですね、雪は一生見たくないので・・・

というわけでキャンディーズを歌っている場合ではなく、前回のブログの続きとなるプラスチックなクルマたちのお話をさせて頂きます。

キャンディーズが流行ってる頃といえばわが国はスーパーカーブームに明け暮れ、地獄の軍団KISSが来日し、ナイキが日本発売される等、私の狂った人生が狂い始めた記念すべきスタート地点となります、ハイ・・・

ついこの前の1977年5月8日に、今はなき磯子の高台にあった横浜プリンスホテルで開かれたスーパーカーショーにヤマハモトバイクで出撃し、展示車両だったロータス・ヨーロッパに座らさせて頂いたのがプラスチックなクルマの初体験でありました。

ロータス・ヨーロッパは漫画サーキットの狼の主人公、風吹裕矢の愛車だったので、当時の子供たちには絶大な人気を誇っておりました。

練馬56そ・740の白いヨーロッパ・スペシャルはアイドルとなっておりましたが、4気筒1600ccで126馬力、最高速度200km/hのこのクルマが漫画の中では12気筒4000ccで375馬力、最高速度300km/hを誇るカウンタックに勝ってしまうのが不思議でなりませんでした・・・

だったら2気筒360ccで36馬力のスバル・ヤングSSが6気筒2000ccで150馬力のトヨタ2000GTに勝てるのではないかと本気で考えてました、風吹裕矢の次の愛車はヤングSSにした方がイイと思ってました・・・

で、ヨーロッパの当時物ミニカーですが、実車が「史上最速のブレッド・バン」と呼ばれた不思議な形の為なのか、今一つ作りにくかったようで傑作と言えるモデルが見当たりません。

  

しいて言えばちっこいサイズのこの英国マッチボックスが初期OHVエンジン搭載の細いタイヤを履いたヨーロッパの雰囲気をイイ感じで捉えていますね。

イタリアはMebetoysからもこのレーサー風ヨーロッパが出ていましたが、おそらくコスワースエンジン搭載のレースカーである47GTをモチーフにしたと思われます。

  

このミニカーは1975年に鶴見のチェッカー、絶版車コーナーにて祖母におねだりして買って頂きました、¥2,500もしました・・・帰り道でつくの商店街の長崎屋でラーメンを食したこともちゃんと覚えております。

「今でも大切に持ってるぜ婆ちゃん!!」と墓参りの度に伝えております。

そしてプラスチックなロータスと言えば、古いエランの方がマニア受けは良いようですね。

初めて実車を見た時はあまりにも小さくて、ニセ物なんじゃないと心配してしまいました。

浮谷東次郎が船橋のレースで勝ったりして、古くからのファンには人気がありましたがスーパーカーブームの頃にはもう古過ぎて、子供たちのアイドルにはなれませんでした。

しかしミニカーマニヤの私には十分にアイドルとなってましたね。

 

英国Corgi Toys製の傑作モデルの誉れ高きエランS2は、シャーシー脱着可能!!という驚異のアクションを持ち、子供たちに実車の構造を教えてくれたのでした。

 

トヨタ2000GTがこのフレーム構造をマネしたんじゃないかとひねくれた考えを持つ子供を育てることにもなってしまいました・・・

ブルーに白ルーフのは、ついこの前の1976年にやはり婆ちゃんにチェッカーで買って頂きました、¥3,000もしました・・・・いまでも大切にしております。

いろんなバリエーションが作られましたが、1960年代の英国の人気テレビ映画The Avengers(邦題:おしゃれ丸秘探偵)の劇中車両セットもありました。

当時輸入されなかったようで、なかなか手にはいりません。

主人公のベントレーとヒロインの白いエランS2がセットになっていて、武器?であるこうもり傘も付属しています。箱絵を見ているだけで夢が広がって行くのです。

日本代表のプラスチックといえば1956年発売のフジ・キャビンにとどめを刺すのです。

全くこれ以上何を望めばいいのかと思わせるほどの前衛的なデザインを持つこの超小型3輪車は、フレームを持たないモノコック構造全体をFRPで構築するという画期的な手法で作られました。

同じ構造のロータス・エリートよりも2年も早い開発という快挙なのであります。

たったの125ccで5,5馬力という性能のキャビンは、夏は暑くて冬は寒いという素晴らしい特性を持ち、操縦性も悪くて市場には受け入れられずにたった85台が作られただけで寂しく消えて行きました。

でもプラスチックで錆びないから外で放置しても残ってしまった車輛も少数存在し、マニヤ様の元で生き永らえているようです。

キャビンは当時物では一切モデル化されず(ミニカー、プラモ、ブリキ)ここ何年かでレジンのキットや完成品が出たにすぎません。

  

こちらはレジンの完成品ですが、流石に現代の技術で作られた為「実車より精密」に作られております、味はありませんが・・・・・

お次はおフランスのプラスチックになりまして、日本ではあまりなじみの無いマトラになります。

フランスのルネ・ボネという小さな会社が作っていた世界初の市販ミッドシップカーであるルネ・ボネ・ジェットというクルマがありました。

1962年から2年間細々と作られていましたが経営難に陥り、航空宇宙産業やミサイルなどの軍需産業で有名なマトラ社がルネ・ボネを買収しました。

マトラは元々ジェットのFRPボディを作っていたのです。

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最速のチンドン屋、ナナサンカレラは最高だぜ!!

Hot Rod Custom Show 2012やMooneyes USAのX-mas Partyも無事終了致しまして、やっと落ち着いてミニカーのワックス掛けが出来る季節になりました、至福の時であります・・・

ローテーションが決まっておりますので「今日は右側ケースの一番端っこ最上段を攻めましょう!」とワックス片手に手を伸ばすとそこはポルシェの花園となっておりました。

ポルシェはですね、356Aと930ボディまでの911は大好きなクルマなのです、でも自分じゃ持とうと思いませんけどね・・・だってワーゲンと同じリア・エンジンのクルマなんて恐ろしくて乗れませんな。

きっとフロントガラスが割れたり、ワイヤーがブッチぎれたりと私と相性が悪いに決まってるのですから、ああ怖い、怖い・・・・

だからポルシェは見てるだけでいいのです、それもミニカーで。それが王道の楽しみ方に決まってますね、これぞAir Cooled in Actionだぜ!!

で、ポルシェの花園に手を伸ばすと、そこには懐かしい茶色のポルシェがこっちを向いていました。

 

ついこの前の1975年に横浜高島屋玩具売り場にて祖母をだまして、じゃなくって祖母にお願いして買ってもらったフランス製高級輸入ミニカーの「ソリッド」というブランドのポルシェカレラRSであります。

通称「ナナサンカレラ」ですね。

今見るととっても素朴な作りなのですが、当時は「こんな精巧なミニカー見たことない、こんなの初めて!!」と興奮し、枕元において寝てました。

 

実はちっとも精巧ではなく、アクションもドアの開閉だけなのですが、素晴らしいのはそのプロポーションでありまして、フェンダーのフレア具合、車高とポルシェアロイとのバランス、ダックテールの絶妙な角度と完璧にナナサンカレラRSしているのです。

思えばこのポルシェを手に入れてしまったことが切っ掛けで、その後泥沼化してしまったミニカーコレクションのスタート地点に立ったのでした。

良い子の皆さんは気を付けるよーに・・・

 

1973年型ポルシェカレラRSはグループ4のホモロゲーションモデルとして2,7リッターにスープアップされたフラットシックスを積んで軽量ボディと組み合わせたレーシング・モデルのロードバージョンと言う形で販売されました。当初500台限定でしたが、世界中で人気者となり追加注文で結局1500台を超える数が作られたようです。

日本には当時ミツワ自動車により14台が輸入されたそうです、790万円という天文学的なプライスにて・・・今はもっと天文学的になっておりますが。

で、ナナサンカレラといえばやっぱりナチス軍ポルシェ隊総統の早瀬左近ですよね。劇画「サーキットの狼」において主人公の風吹裕也のライバルだった早瀬左近の愛車で決まりなのです。

ポルシェだけの暴走族という設定もぶっ飛んでましたがナチス軍という名前は子供心にも行き過ぎでは?と思ってた小心者の少年Wildmanでした・・・

純白のボディに赤いCarreraのストライプはまさにチンドン屋(失礼)の風情でこのCarreraのレタリングがカッコ良くて授業中何回描いたか分かりませぬ・・・

横浜市内で実車を初めて見たときも白ボディーに赤ストライプのミツワ物で、他にもブルーや、グリーンのストライプがありましたが、やっぱり世界最速のチンドン屋の誉れ高きカレラRSは白ボディに赤ストライプで決まりなのです!

ストライプレスのモデルもありましたがあれは超マニヤ向けですよね。

プロトタイプのストライプはこんなデザインのもありましたが、何かバランスが変ですけど、もし自分がナナサンを持ったら黄色いボディに黒でこれに描き直したいです、というかオーナーの方、描かせて下さいませ。

ということでやっぱりナナサンカレラは「当時物ミニカー」で楽しむのが一番なのです。

 

当時ソリッドの次に手に入れたのが、このイタリアはBurago(ブラーゴ)製のモデルでした。

1/24スケールでデッカイのですがデッカイ割にたいして精密でもなく、エンジンもこの程度の表現でした。

先に発売されてた911Sのボディを利用したので、フェンダーもフレアしてなく、小さいソリッドの方が全然カッコ良かったのですダックテールのCarrera RSの彫り込みだけが素敵に見えて手に入れたのです。

 

お次はミニカーと言うとデカすぎる1/18スケールの西ドイツはSchuco(シュコー)製のモデルです。1976年にこのモデルを初めて見たときは実車にしか見えませんでした。まさにナナサンカレラその物のプロポーションで、ドアを開ければそこは早瀬左近の世界なのです・・・

   

ゼンマイ動力!で走りハンドルもステアしますが、そんな遊び方したら一発で廃車になってしまいます、ああ恐ろしい・・・

  

箱も秀逸なデザインでありまして、オーナー気分が味わえます。

 

で、真打ち登場となりましてシュコーの上をゆく1/16スケールの黄色い巨大なナナサンは70年代にスペインで作られたSanchis(サンチェス)製で置く場所に困っているモデルです。

昔写真で見たときは大きさがよく分からず、シュコーに似ていたのでただのコピーモデルかと思ってましたが、手元に来てビックリ、拡大コピーになっていました。

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チープな物ほど入手困難!?幻のディーノは思わぬとこからやって来た!!

この前、力道山先生がロールスロイス・シルバークラウドのオリジナル・ピンストライプの補修でMoon Garageにやって来ました。先生は夏の巡業で忙しくてお疲れのようで、ロールスのボディをを少しこすってしまったのです。

というのは暑さによる白昼夢だったようで、やって来たのはこちらのロールスロイスコーニッシュでした。こちらはボディーのペイント補修によって消えてしまったピンストライプを復元するというお仕事でした。

ロールスへの作業時は、クルマの後ろに力道山先生が立って監視されているような気がして、小心者はいつも緊張してしまいます・・・・

で、先日自室に引きこもって本を探していたところ、全然違う本がいっぱい出て来てウットリと見とれてしまいました。その中に美しい表紙の60年代Road & Track誌が何冊かありまして、’68年9月号の表紙写真は日本でも人気のクルマが素敵な構図で出ていました。

「ピニンファリーナ・ディーノ206・ベルリネッタ・プロトティーポ・コンペティツィオーネ」という早口言葉になってしまいそうな素晴らしく長い名称を持つこのクルマは1967年にピニンファリーナのパオロ・マルティンというデザイナーががディーノ206SP(フェラーリ)というレーシングカーをベースに作った実験用のデザインスタディで非常に美しいボディを持つワンオフモデルでした。

  発表当時世界中のカーショーを巡業したようですが、それから数年後突然日本で起こったスーパーカーブーム時には日本にもやって来てしまい(1977年7月)懐かしの晴海展示場に飾られてスーパーカー少年たちを狂喜させました。 何で少し前の時代のマイナーなプロトタイプカーが最新鋭なスーパーカーばかり追っていた当時の少年たちの注目を浴びたのかと言いますと、ブームを作った漫画である池沢さとし先生作「サーキットの狼」の中で主人公の風吹裕也がこのディーノをベースにした架空のレーシングカーである「ディーノ・レーシング・スペシャル」(ディーノRS)を駆っていたからなのです。池沢先生が勝手に作ったクルマですが、元ネタはディーノ206コンペティツィオーネでした。

少年たちの目にはディーノRS=ディーノ206コンペティツィオーネと写り、漫画の世界から実車が飛び出して来たように感じられました。漫画のディーノRSは当時プラモデル化され多額のロイヤリティが池沢先生の元へと行ったことでしょう・・・・ファンだから嬉しかったですけど。

で、ディーノ・コンペティツィオーネの当時物ミニカーなんですけど、実車発表当時の60年代後半に何点か作られて、その数年後日本のスーパーカーブーム時に日本製のモデルが勢いで作られてしまいました。

まずは本家イタリアの「ポリトーイ」という60年代後半に隆盛を誇ったミニカーブランドから出たのが1/43スケールのこのモデルです。完璧なプロポーションを誇り、今見ても見事に実車のイメージをとらえていると思います。私がコレクションを始めたついこの前の1975年時点ですでに絶版ミニカーでしたが、1976年の夏に当時通っていた鶴見のチェッカーというミニカーショップの絶版車コーナーに¥500というプライスが付いて販売されてるのを発見しました。その日はマッチボックスを買う位のお金しか持ってなく「出直して来週買いに来ましょう」と思い、本当に来週出直したのですが、ディーノはすでにどちら様かがお買いになられたようで無くなっておりました・・・・教訓、絶版ミニカー見つけた時に買う事!!!2台色違いで揃えるのにその後数年掛かりましたとさ・・・

お次は小スケールモデルで手前の赤いのが上記ポリトーイの小スケール版である「ペニー」というブランドで小さいながら良い形をしております。 後ろの紺色のは同じくイタリアの「スピ—ディ」というブランドで車高の高いのがNGですがプロポーションは結構良いのです。

狂ったようなスーパーカーブーム時にはミニカーメーカー以外の会社がブームに便乗してスーパーカーのミニカーを販売しました。こちらはモデルガンのマルシンが作った物ですが、エアインテークのスイッチを押すとガバッと開くと言うキケンなアクションを備えていますが、難しいディーノのプロポーションを良く再現しています。

こちらはソフビなんかの人形が有名な亀さんマークの中島製作所が突如として作ったモデルですが、難しいディーノのプロポーションをさらに難しくとらえてしまったようで最悪の出来のミニカーとなっております、ヒド過ぎます・・・・しかしあまり売れなかったので入手は意外と難しかったりします。

ブームが終わる頃、プラモメーカーの「エーダイ」が1/28スケールの大きなシリーズでディーノのミニカーを作りました。デカいだけに迫力満点の作りでプラモで鍛えた技術により完璧なプロポーションを誇り、日本製ディーノのミニカー史上最強の出来栄えとなっております(持論)こちらもブームの終わり頃に作られていて販売台数が多くなかったようで、レアなミニカーとなっています。スーパーカーブーム去った後、エーダイは倒産してしまいました・・・・

こちらは懐かしのスーパーカー消しゴムになります。ちゃんとディーノも作られていましたね。

で、やっと本題に入ります。ちょうどスーパーカーブームが熱い頃、愛読書であった「月刊ミニチュアカー」誌で「世界のスーパーカーモデル」という連載がありました。昭和52年5月号はディーノ特集で246gtやコンペティツィオーネのミニカーが色々と紹介されていました。

「フン、フン、これ持ってる、これ持ってない」なんて見てると、先程紹介した小スケールモデルのペニーやスピーディーの横に怪しげなミニカーが並んで写って紹介されていました。「ティントーイWT206番、色は赤だと、何じゃそりゃ!!」と叫ぶ少年Wildmanはその日からこのミニカーを探さなくてはならない宿命が生じてしまったのです。ティントーイっていうブランドは香港製のいわゆる駄玩具でありまして、現在はソコソコ評価されるも当時のコレクターにとっては殆どゴミのような扱いでありました。ミニカー屋さんや玩具店で売ってる訳ではなく、パチンコの景品や縁日の夜店、駄菓子屋なんかが流通経路で運が良くなければ巡り合えない不思議なチープミニカーの一つでした。

  その日からずっと探しまくりましたが、一向に出会うことなく1980年になって横浜駅西口にあったハマボウルにアイススケートをやりに行ったところ、入り口付近にあったミニカーの自動販売機?に何とティントーイのディーノが入ってるではありませんか!!有り金はたいて(確か一回¥200)ガチャガチャとやりましたが、一向にディーノは出てこずいらないゴミミニカーの山となってしまいました・・・・・その後数回横浜駅西口に行くたびにチャレンジしましたが結局ディーノは出て来ませんでした。

  それから20年以上が経過し、少年は変態になっておりましたが出会いってあるものですね。現在は鎌倉でStudioを構える同業者のS氏(旧E氏)とはクルマなんかの趣味がとっても合いいつも楽しい会話が出来るのですが数年前一緒に食事中にひょんなことからこのディーノのミニカーの話題となりました(何でそうなったんだろ・・・・)そうしたらですねS氏もその昔、地元で見つけた例のミニカー自動販売機でディーノを発見、何回もトライした結果見事ディーノをゲットしたのでした!!おめでとうございます。(ゴミミニカーも多数ゲットしましたが)

何ともうらやましいお話だったのですが、何とS氏は私にそのミニカーを譲ってくれると言うではありませんか!!嬉しい限りでございます。こちらのモデルになります。他のゴミミニカー達も一緒に我が家に来る事となり、ディーノは20数年経ってやっと私の手元に不思議な縁でやって来たのでした、めでたし、めでたし。月刊ミニチュアカー誌と同じ角度で写真を撮ってみました。これで昇天出来ますね・・・

その後、ストリートカーナショナルズのスワップミートでブルーのガラスのを入手出来、2台体制も整い老後の準備も完璧なのです、ああ嬉しい。

何だかんだで20年以上ふりまわされた駄玩具ディーノでしたが、長くコレクションしてると色々な方々のご協力で色々な物が集まって来るのです、皆様本当に有難うございます!!

 

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