猛烈に暑い中、皆様お元気でしょうか? 私は今はとっても元気ですが、先週は一時とっても不元気でありました・・・
というのはですね灼熱のイベント”Mooneyes Summer”参加の為に渡米中、イベント2日前の夕食でなぜかCaliforniaにてアジフライを食したところ、これが見事に大当たり!! 美味しかったとかそういうのじゃ無くって見事に食あたり!! イベント前日の搬入日はトイレと友達になってしまい、もう何も出来ない状況でグッタリしておりました・・・・・
これまで絶対に効いていたはずの大好きな正露丸糖衣を飲んでも全く効かず、このままIrwindale Speedwayで干からびてしまうんじゃないかと思いましたが小心者だけに何とか立ち直り、イベント当日には復帰致しました。皆様にいろんな薬を頂き、それをブレンドして飲んだのが良かったのではないかと思っております。
Mooneyes Summerに関してなのですが、今回は全く雨も降らず絶好のイベント日和となり、ShowもDrag Raceも私のお腹もエキサイティングな一日となりました。詳しい内容に関しては今回初渡米となったMooneyes Staffの”TAJI”君がレポートをまとめましたので今週のMMMをご覧ください、ここをクリックと。まだMMM登録してない方は早いとこ手続きして下さいな。
で、やっと本題であります。前々回のブログではこれまであたためていた「マカロニほうれん荘」について語らさせて頂きましたが、沢山の反響がありまして嬉しい限りでございます。でもあんまり勝手な話題ばかり提供していると真面目な?読者が離れていってしまうのでちゃんとクルマのお話もします、ミニカー絡みですけど。
ずっと前に「デ・トマソ・パンテーラ」について語らさせて頂きましたが、(Wildman’s Blog 2008年9月20日参照)今回は「ダイハツシャレードデ・トマソ」についてです。じゃなくって、今回は「デ・トマソ・マングスタ」についてのお話です。
アルゼンチンでペロン大統領官邸襲撃未遂事件を起こして国外退去となった「アレッサンドロ・デ・トマソ」さんはイタリアに渡って、レーサーとなりました。そして大富豪のアメリカ人女性レーサーと知り合い結婚し巨万の富を手に入れ、レーシングカーの製作をおっぱじめ最終的にはF-1まで作っちまいました。いいな~人のお金でクルマが作れて・・・でもやっぱりレーシングカーじゃなくって普通の市販車も作ってみたいというのが人情でありまして、’65年にミッドシップの小型スポーツカー「デ・トマソ・ヴァレルンガ」を作って販売しました。
でもこれはレーシングカーに近くて商売としては成功せず、数十台を作っただけでフェード・アウトとなりました。カッコ悪いですね、コレ・・・なぜかWildman宅から10分のところに真紅のヴァレルンガが置いてありたまに見学しております。
その次にいきなりスーパーカービジネスに参戦してしまうというのが当時らしく今度はヘビー級のクルマ作りに着手しました。ヴァレルンガのレーシングカーみたいなシャシーを拡大して、フォードのV8をミッドに積み、ボディ・デザインはミウラの基本デザインを置き土産にベルトーネからカロッツェリア・ギアに移籍したばかりの新鋭デザイナーのジウジアーロが担当し、全高わずか1,03メートルのペッタンコなスーパーカーは「マングスタ」と名付けられ’66年のトリノショーでプロトタイプが発表され話題となりました。305馬力にチューンされたフォード289エンジンを積んだ約1トンの軽いこの車はあっさりとMax250km/hの世界に到達しました。
何といってもデザインが面白いですよね、リアのエンジンフードはガルウィングになっていて両側からガバっと開くなんて今じゃ考えられません・・・これを見るとこの後のパンテーラのデザインはおとなしく見えてしまいます。
マングスタの名前の由来は毒蛇コブラを食い殺す「マングース」のイタリア語で、これは当時コブラを作っていた「キャロル・シェルビー」との確執から来ていると言われています。
「中沖満」さんの名著「力道山のロールスロイス」の中にもマングスタが登場しています。60年代の後半、まだマングスタが新車だった頃、東名の飛ばし屋さんたちの中で有名だった謎のスーパーカーがこのマングスタで、あまりのスピードに誰も追いつけずしまいには「無人車輛だった」なんて噂もでていたのが、実は背の小さなご婦人がシートにクッションを敷いて、ハンドルの間から前だけを見てのんびりとアクセル全開で運転していたのがマングスタでありました・・・・
重いクラッチで「左足だけ太くなる」と心配していた女性オーナーは雨漏りにも悩ませれクレームした所「イタリアでは雨はそんなに降らないし、雨の中飛ばすクルマでも御座いませんので」という素敵な回答があったそうです。素晴らしい!!
排ガス規制の影響を受けフォード302エンジンに換装され1971年まで生産されていたマングスタは後をパンテーラに譲って消えて行きました。スーパーカーブームのころは年式的にも古く、派手なパンテーラの方が人気があったのでマングスタはあまり活躍しませんでしたね。
しかしマングスタ現役当時はミニカー界ではとっても人気があり、多数のモデルが生まれていました。あまりに多いのでWildman推薦のモデルを何点か御紹介致します。
まずは屋根にスクリーンを持つプロトタイプをモデル化したのが英国のCorgi Toysであります。カラーもホワイトとブルーのツートーンでアレッサンドロ・デ・トマソの故郷アルゼンチンのナショナルカラーをモチーフにしています、分かっていdらっしゃる。
何がすごいってこのミニカーはボディとシャシーが分離するアクションを持っていてマングスタの基本構造が理解出来るのです。エア・ファンネルやマグホイールもたまりません!!(だからウィールじゃないって)1960年代の子供のオモチャとしては驚異的なものがありますね。パッケージも凝っていてこのように分離状態で収められ、ネーミングもちゃんと”Ghia 5000 Mangusta with De Tomaso Chassis”となっていてこのクルマの成り立ちを表しているのです。
お次は謎のホンコン製モデルですが、ボディはプラスチックで出来ています。見ての通り、Corgi Toysのコピーモデルで、1/43スケールのCorgiを拡大コピーし1/25に仕立て直し、プラスチックで作っちゃいましたという感じなのです。このモデルは出来云々じゃなくって、箱にボールペンで書かれた文字に価値があるのです。「1971年の9月16日のヨーク・フェアーにてパパより」なんていう感動的な書き込みがあるじゃありませんか!!数十年経って私がこのモデルを購入し、この文字を見つけた時は、親子愛を感じひっくり返りそうになりました。この親子は今どうしているのでしょう・・・・ミニカーは歴史もコレクトなのです。
今度は何とアルゼンチン製の超大型モデルですが、40センチ近くもあるこいつは懐かしのリモコン式なのでした(ラジコンじゃないよ)電池を入れてハンドル式のコントローラーで操作する超アナログなおもちゃは70年代にマラドーナの故郷で作られていました。プラボディですが形はとても良いのです。それにしてもデカイ・・・
最後は本家イタリアのPolitoysのモデルです。ダイキャスト製ですが大型ミニカーの走りで、スケールは1/25で当時としてはとってもデカイのです。60年代後半当時の日本では何と¥2,700という超セレブなプライスが付いておりました。普通じゃ買えませんね・・・・
大型スケールを生かしフルアクションを持ち、マングスタ最大の特徴であるガルウィング式のエンジンフードもちゃんと開閉します、いい仕事しています。ステアリングを廻すと前輪がステアし、足回りも実車同様に再現され、ミッドのエンジンルームの隅にはパンタググラフ・ジャッキやバッテリーまで付いていて289エンジンもスペアタイヤもバッチリ収まっています。このマングスタは1960年代製造ミニカーにおける技術の集大成の一つですね。
デ・トマソ・マングスタはコブラ・キラーとし華々しく誕生しましたが、生産性の悪さも手伝って台数は少なく、後の大量生産長寿スーパーカー「パンテーラ」に道を譲り1971年にひっそりと消えて行きました。今じゃ、立派なビンテージ・スーパーカーとして価値がありますが当時もっと評価されたかったですね。
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