Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

オバフェン、羽付き、魅惑のポルシェは930ターボだぜ!!

皆様おはようございます。桜は満開となり、プロ野球は開幕し、ポカポカ陽気の素晴らしい季節になって来ました。

そんな中、ムーンアイズ エリア-1では「R381 あれから45年 パネル展」を開催致しております。

ついこの前である1968年の日本グランプリを制した伝説のレーシングカー「ニッサンR381」の活躍を貴重な写真で振り返ります。

このブログを読んで頂いているマニヤの皆様ならご存知でしょうが、R381のエンジンは当時Moon EquippedでチューニングされたシボレーV8を搭載しておりました。

当然R381設計者の桜井真一郎氏もDean Moonと関わっておりますので、当時の事を調べて行くとワクワクしてしまうのです。

Dean Moonが撮影した当時の貴重な写真も展示されておりますので、皆様ぜひエリア-1に足をお運びくださいませ!

そして私にとって貴重なのはこちら「ニッサングラフ」誌になります。

日本グランプリの翌年1969年3月号ですが、表紙はR381となっております。

この表紙写真を見ると助手席には、名レーサー高橋国光氏が座っておりますが、運転席で緊張な面持ちでハンドルを握っているのは何と石原裕次郎さんであります。

当時映画「栄光への5000キロ」撮影で日産と縁の深かった裕次郎がR381を試乗していたのです。

「こんなにすごいのは初めて!」とコメントされていますが、そりゃ凄いでしょう・・・村山工場のテストコースを5周されました、羨ましいな。

R381と言えば可変ウィングですよね。しかも2分割でサスペンションと連動し、コーナーで角度を変えダウンフォースを調整するという凝ったメカニズムに感動しました。

残念ながら当時R381はミニカーにはならず、プラモデルでしかモデル化されませんでした。

しかしこのようなプラスチック製のオモチャが出ておりました。

意味不明の青いボディーカラーを持っておりまして、ゼッケンも5番と無茶苦茶な設定でありますが、形は意外と良くて特徴的な可変ウィングのおかげで誰がどう見てもR381に見えてしまうのですな、これが。

ナゼかロールバーのみダイキャストになっていて安全性をアピールしています。

電池式のモーターライズで走行しますが、もちろん一度も走らせたことはございません・・・・

で、ウィングと言えば昔の暴走族、じゃなくってオバフェン、羽付きの「ポルシェ930ターボ」なのであります。

私ね、930ターボが出た時はビックリ致しましたよ、本当に・・・・

 

だってあのように出っ張ったオーバーフェンダーと、空高く飛んで行きそうな羽を最初から持っていては、ZEROやPIEROのサバンナRX-3でも対抗出来ないと思いました。

エレガントで清楚なポルシェ911がある日突然不良になったかと感じました。

大体小学生の身分では「ターボチャージャーって何なの?」という感じでして、カタツムリのようなタービンなる物を付けると何で速くなるのか全く意味不明でありました。

そんな難題を解き明かしてくれるのはやはり漫画でありました。

 

池沢さとし先生の「サーキットの狼」の中で主人公、風吹裕矢のライバル、早瀬左近がナナサン・カレラRSから930ターボに乗り換えたのでした。

「俺は根っからのポルシェファン・・・そしてまた、それは最高のモノでなければならない。それでこのポルシェの究極的モデルともいえる3リッターのターボをしとめたのさ」と漫画の中で早瀬左近がつぶやいておりました。すみません何言ってるか分からなくて・・・

当時出たばかりの3リッターの930ターボは激烈な加速力を示し、スーパーカー戦線に割って入って来たのです。

池沢先生は漫画の中でターボチャージャーについてやさしく解説してくれてアホな小学生にも多少なりとも理解することが出来ました、有難うございます。

「有り余る加速力に、メーカーは5速は不要で4速で十分」と漫画の中で説明されており、少年Wildmanはスゲ~と感動していましたが、実は当時のポルシェシンクロのミッションがターボの強烈パワーに耐えられなかっただけのようです・・・(のちに目出度く5速になりました)

池沢先生はご自分で実際にクルマを所有されて漫画に登場させていましたから、新車で当時1300万円!!もした930ターボをゲットされました、羨ましい印税生活でございます・・・(借金もされたようですが)

 

そしたら先生がミツワ自動車で購入された白の930ターボ「練馬33す49-31」号はやたらフケの良いシロモノだったそうで(当たり車両)ナラシも終わらないうちにゼロヨンのテストを敢行したところ、何と12秒台のタイムを叩きだしてしまいノーマル車輛では当時日本では最速だったのではないかと思われます。

「スゲエぞ、ポルシェ930ターボ!! カウンタックより速いじゃん」と単純な少年Wildmanは感動してしまい、「やっぱりポルシェだったら930ターボか4気筒の912だな」と意味不明な事を口走っておりました・・・・

そうこうしているうちに、当時私のバイブルだった「カドー玩具」というミニカー問屋が発行していた「月刊ミニチュアカー」誌の1976年3月号に意味深な広告が掲載されてました。

当時蔵前にあったカドー玩具はミニカー専門の玩具問屋で60年代後半から70年代に隆盛を極め、日本ミニカークラブを主宰してミニチュアカー誌を発行しコレクターの啓蒙活動を行っておりました。もちろん私も会員でありました。

エスカレートしたカドー玩具は自社でオリジナルのミニカーも製作し、ホンダF-1やポルシェ356Aスピードスターなどのマニヤ向けの高価なモデルを製作販売してました。

そして問題のミニチュアカー誌1976年3月号にはこのような予告が出てました。

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思い出の大エース、遠藤様は大洋一筋さ!!

皆様遅ればせながら明けましておめでとうございます。

本年もMooneyes並びにMooneyes Studio並びに当ブログを宜しくお願い致します。

お正月休みはどのように過ごされたでしょうか?

私は相変わらず自室に引きこもり、ミニカーのワックス掛けにいそしんでおりました、恒例行事なので・・・

今回はスーパーカーの棚を中心に行いましたが、ほとんどがあのブームの頃に入手した物なので、かれこれ36年は手元にいる奴らばかりなのです、1977年なんてついこの前の事ですが。

それはそうと我が横浜DeNAベイスターズは年末にかけて怒涛の補強を行い、気がつけば中日ドラゴンズよりブランコら外国人選手3人を強奪し、ホークスからは多村が帰って来るわでストーブリーグを賑わせております。

オーナーが「補強の予算は全部使っちゃって下さいね!」とのことなので高田GMの腕の見せ所ですな(福留はいらんかった、良かった阪神で)

現在は元レッドソックスの108勝投手、バディーヤと交渉中とのことで、これが決まれば予算をきれいさっぱり使えそうです、ああ気持ちいい。

さらに奇跡が起これば、あの松坂大輔獲得も視野に入れているのでその時は特別予算枠が発生するそうです、いいぞ大盤振る舞いDeNA Baystars!!! プロ野球はこうでなくっちゃ。

これで驚異の5年連続最下位より脱出できると思われます。それどころかCS進出も確定的ですな!! (そう思っているだけならタダですので)

ほんとにここまで弱い期間が長く続いたのは、ついこの前の1975年にファンになって以来、たぶん初めてのことだと思われます。

そりゃね万年Bクラスのチームでしたし、優勝だって2回しかしたことないし、大洋時代だってたまに3位になったくらいですし、どうもこうもないような成績なのですが、いくらなんでも5年連続でビリッケツで借金が軽く30を超えるような状況は考えられませんでした。

何で顔見知りの6球団で争う競技でこうも差がつくのか、不思議で不思議でなりません。

なのでこうなったらお金で解決するしかないようなので、大補強大いに結構なのであります!!

勝てないのであれば、せめて個人タイトルくらいガンガン獲って欲しい物ですな。

その昔大洋時代はチームはBクラスでも首位打者や最多勝を獲得した選手がおりまして、ファンにとってせめてもの慰めになっておりました。

そんな時代で大洋ファン最大のヒーローは(私にとっても)何と言っても背番号24の大エース「遠藤一彦」様なのであります!!

問答無用で80年代のセ・リーグを代表するピッチャーで、江川と最多勝を争った真のエースでした。

1955年生まれの遠藤様は東海大から、スーパーカーブームに沸くついこの前の1977年にドラフト3位で大洋に入団しました。

翌年の春に大洋は川崎から横浜にフランチャイズが移転となるわけです。

79年にその才能が開花し12勝12敗8セーブという素晴らしい成績を上げ、少年Wildman的には「やったぜ新人王確定だ!!」と大騒ぎしておりましたが、結果は何と13勝5敗0セーブの中日の藤沢が新人王になってしまい、テレビの前で遠藤様よりWildmanの方が落胆致しました、トホホ・・・

だってその後の遠藤様は15年の現役生活を全うし、数々のタイトルを獲り通算134勝58セーブを上げセ・リーグを代表する投手となりましたが、

藤沢なんて実働6年で27勝35敗ですぜ。全く見る目がない奴らだのう・・・と34年経った現在でも毎日落胆しております。

長身から投げおろすストレートと魔球のような高速フォークボールでバッタバッタと三振の山を築く姿は、弱い大洋の中でキラリと光輝いていたのです。

東海大の後輩である原(現巨人監督)にはナゼかポンポン打たれましたが当時現役メジャーリーガーとして日本へやってきた巨人のロイ・ホワイトが「遠藤のフォークボールはメジャーで通用する」と言っていたのが忘れられません。

時代が違っていたら遠藤様はメジャーに行っていたでしょう・・・

第一回ストリートカーナショナルズが開催されたついこの前の1987年にアキレス腱断裂という事故に見舞われましたが、それを克服しその後クローザーに転向して見事カムバック賞を受賞しました、流石だぜ!!

  

で、こちらはその頃に頂いた遠藤様の直筆サインボールなのであります!!ボルグ様のサインボールと並び我が家の家宝になっていることは言うまでもありません。

そういえば80年代の選手名鑑か何かの資料で、遠藤様のご自宅住所が何と我が街、横浜市磯子区岡村町となっているではありませんか!!!

しかし番地までは掲載されていなかったので当時激励に行こうと必死に探し回りましたがついぞ発見することは出来ませんでした、無念・・・

 

そういえばもう一人のエース斎藤明雄投手は当時横浜市南区別所に住んでおられ、高校の時の友人が御近所で斎藤投手宅で高校生相手によく麻雀をやってましたね・・・・昭和っていいですね!!

2年連続最多勝、最多奪三振、沢村賞まで獲得しあとは優勝だけでしたが、残念ながらそれだけは経験出来ず、1992年に涙の引退となりました。(ちなみにベイスターズ38年ぶりの優勝は1998年であります)

横浜スタジアムで最後の登板となりましたが、この日は遠藤様にとっても大洋ホエールズにとっても最後の試合となり、翌年から「横浜ベイスターズ」にチームが変わってしまいました。

よって遠藤様は大洋ホエールズ最後の大エースなのであります。

横浜大洋ホエールズが生まれた時に入団し、ホエールズからベイスターズになる時に引退するという数奇な運命をたどられましたね。

今年はどう考えてもCS進出が確実な横浜DeNAベイスターズですが、(勝手に言ってるだけですので)遠藤様のような真の大エースが現れる事を期待しております、Go! DeNA Baystars

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カッコよかった小林繁、ベイとタイガース仲良くやろうぜ!!

 

おとといですね、またもや横浜スタジアムに出撃し、横浜DeNAベイスターズ x 阪神タイガース戦を観戦して参りました。今年はプロ野球づいているWildmanなのです。今回もこの141番(イシイ番)のWildman指定シートであります。

 

一勝一敗で迎えた3連戦の最終日でしたが、仕事を終えてダッシュでスタジアムに駆けつけるとすでに ベイスターズが2点のリードとなっていました、珍しいですね。

 

一割バッターの梶谷が今季第一号の先制ツーランホームランを放ったとのことで、まぐれあたりの奇跡の一発でありました。

    

その後も追加点があり3対0となって「今日は楽勝ムードだぜ!!」と上機嫌でお弁当を食べていたら、一発を放った梶谷がホームランを帳消しにするエラーをし、その後も代わったピッチャーがあっさりホームランを打たれたり、気がつけば3対3の同点になってしまい「さすがベイスターズ、お客様を楽しませるコツを知っとるぜ!!」といつもの流れにファンタグレープで酔いしれておりました。

と思いきや、さすがベイと共に最下位争いをしている阪神、8回裏に代わったピッチャー福原が乱調で、ポンポンとヒットを打たれたと思ったら、打率2割5分の代打下園に決勝タイムリーを打たれてしまいました。4回に1回しかヒットを打てないバッターにこんな大事な場面で打たれてしまうとは阪神のチーム状態の悪さが出まくってますね…

抑えの山口は今日は落ち着いていて、前回のように救急車を出動させることもなかったのであります。

 

そしてですね、試合の合間に突然アナウンスとともに電光掲示板にMooneyesアイボールマークのタオルを持ったお姉さんが写し出され「横浜と言えばムーンアイズ、黄色のロゴマークでおなじみのムーンアイズとのコラボレーショングッズで~す」とMooneyes x 横浜DeNAベイスターズコラボグッズの宣伝をして頂きました。突然の事でビックリしてファンタを吹き出してしまいましたが、大変嬉しゅうございました・・・

さらに地元ローカル局のTVKテレビには観戦するWildmanの姿も映し出されておりました。 一体今日はどうなっているのでしょう???

 

そんなこんなで今回の観戦も勝利し、今年は3回行って2勝1敗と大変高い確率で勝利しているのです。80年代、横浜大洋ホエールズ時代にせっせと横浜スタジアムに通っていた頃は3勝8敗とか2勝7敗なんて事はザラでして、それに比べれば精神的にも安定しております・・・

そして阪神タイガースであります。今年はベイと仲良く最下位争いを演じている西の横綱人気球団でありますが、その昔は我が大洋ホエールズと共に長い暗黒時代がありまして、子供の頃は大洋の次に好きなチームでありました。お互い強烈に弱かったものでして・・・

田淵や掛布、カークランドにラインバック、若菜に竹之内と沢山の個性的な選手がいて、人気の割にとても弱いという不思議なチーム状態が続いておりました。 バースが一人で優勝したり、野村、星野両監督の元で短い栄光の時代があったりとここ数年は人気と実力が兼ね備わっておりましたが、今年はバタバタしてますね。

そんなタイガースで一番好きだったのは何と言っても「故小林繁投手」であります。 巨人に入団した頃の選手名鑑の写真を見たときはカマキリにしか見えず「こんな細い体のプロ野球選手なんて信じられん」とほざく小学生のWildmanでしたが、その後サイドスローを駆使し、あっという間に大巨人軍のエースになってしまいました。

私ね、阪急の山田投手とかアンダースローやサイドスローのピッチャーが好きなのであります。

「巨人は嫌いだけど、小林だけは好き」とほざく中学生のWildmanでしたが、ついこの前の1978年に例の「江川事件」が起こり、大巨人軍が紳士の振舞いを見せ空白の一日を利用して力づくで江川を入団させてしまいました。いつの時代も巨人軍は紳士であります・・・

結局それは認められず、江川はドラフトでクジを引いた阪神タイガースに一度入団し、阪神から巨人にトレードで入団するという詐欺まがいの行為で目出度く大巨人入りとなりました、良かったね。

そしてその犠牲となり大巨人軍のエースだった小林は阪神にトレードされてしまいました、なんてかわいそうなのでしょう・・・

世間は大騒ぎし、Wildmanも大騒ぎし「江川はぶっ殺す、小林頑張れ」とほざいておりましたが、本当に小林投手は頑張ってしまい移籍一年目のタイガースで22勝をあげ最多勝となり、巨人戦では8連勝!!という漫画のような活躍を見せました。

 

世間一般の人々はみな小林投手の事を応援していたような時代の流れでした。氏の気持は複雑だったようですが・・・

「なんて小林はカッコいいんだ、来年はぜひ大洋ホエールズに移籍してほしい!!」と勝手にほざくWildmanがそこにおりました、IQが低いもので・・・・

その後も小林投手はタイガースのエースとして大活躍されましたが、ついこの前の1982年の横浜スタジアムでの開幕戦で(Wildman現場観戦)大洋相手に「サヨナラ敬遠暴投」というレアな技を見せてくれ、ますます小林投手の事が好きになってしまいました。

そしてまだ余力があったにも関わらず、あっさりと引退してしまい伝説の大投手となってしまいましたが、TVキャスターを務めたり、コーチとなったりして各分野で活躍されておりましたが2010年に心筋梗塞で亡くなられてしまいました、合掌・・・・

小林投手が活躍されていたあの頃の弱いタイガースが好きでしたが、最近はあの頃並みに弱くなってきたので、ベイスターズと共に仲良くやって行きたいものですね。

ベイ、タイガース共に小林投手のような個性的な選手が出てきて欲しいですな。

あ、それと明日の日曜日は本牧Mooneyes Area-1店頭開催のサイドウォークセールにてピンストライプのデモを行いますので、皆様ぜひ遊びに来て下さいませ!!

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勝ったけどつらい試合、DeNAベイスターズ絶好調だぜ!!

先日ですね、4月以来久しぶりに横浜スタジアムに足を運びプロ野球観戦を堪能してまいりました。

 

皆様御存じの通り、我が横浜DeNAベイスターズはここまで圧倒的な弱さを誇り最下位を独走し、夏休みを前にシーズン終了といった流れを保ち「たまに勝つから楽しいし、意義がある」といった私はじめ、多数のベイファンをとりこしているのであります。

勝率5割以上のチームなんか応援してもしょっちゅう勝ってるから感動しないしつまらないのです、勝率3割台のDeNAベイを応援していれば週に一回くらい勝利した時の感動は優勝並みになるのですな・・・

今回の相手は今季コテンパンにやられ、バッティング練習の相手にされているとしか思えないような広島カープとなり、3連戦の最終日に見に行きました。

初戦は4対4の引き分けでしたが、本来なら完全にDeNAベイの勝ちゲームですがあっさり追いつかれてしまいました・・・

そして2戦目は球界を代表するカープのエース、マエケンこと前田健太に対し打線はキリキリ舞いとなり、カープの各バッターにはいつも通り試合中にバッティング練習をさせてあげて12対0という何のスポーツかわからないようなスコアで大敗となりました。

中畑監督も「こんな試合をしてしまいファンに対し申し訳ない」とガックリしていましたが、全然申し訳なくなんかないのであります!!

こうやって十分に負けたあとでたまに勝つからベイファンは楽しいのです。監督、気になさらないで下さいませ・・・

ということで広島カープに対して今季1勝12敗1引き分けという圧倒的大差の中「たまに勝つ」ことを信じ「いくらギャグでもそろそろ勝つだろう」という希望的観測も含めて、カープ3連戦最終日に横浜スタジアムへ乗り込みました。

もちろん私はVIPのオーナーなので(ウソ)こちらのシートになるのであります。

 

仕事が終わってから横浜スタジアムへ向かったのですでに試合は1回表裏の攻防が終わっておりましたが、この通りすでにカープが1点リードしているところがギャグなのです、さすがDeNAベイスターズ、期待通りだぜ!!

球場外には「ハマスタBayガーデン」なるものが併設され巨大モニターで試合を見ながらのビアガーデンとなっておりました。球場の外で球場でやってる試合を画面で見るというのも変なのですが、そんなこと酔っぱらいには関係ないのでしょう。ここでケーキバイキングでもやってれば大変嬉しいのですが・・・

 

そしてやって来ました「DeNAベイスターズオフィシャルショップ」であります。

   

前回のブログでお伝えした通りWildmanデザインのMooneyes x DeNA Baystarsのコラボレーショングッズも好評発売中となっておりました!!

大洋ホエールズファンとなって以来苦節37年、自分でデザインしたものがこうやって横浜スタジアムで販売されているとは感無量であります!!

ムーンアイズエリア-1店頭でも販売しておりますので、”YOKOHAMA Connection”を皆様宜しくお願い致します。

 

そして球場内に突撃致しました、もちろんコラボレーショングッズを身にまとってです。

VIP席に座り弁当を食べたりかき氷を食べたり忙しくしていると、携帯の着信が何回もあったことに気付きました。「誰だ、こんなクソ忙しい時に電話してくるヤツは、けしからん!!」

と着信履歴を見るとMooneyes Staffの通称オッチャンからでした。

何だろ??と思い返信してみると「石井さん手を振ってくださ~い」と意味不明の言葉が聞こえたので、小心者が手を振ってみると遥かかなた反対の3塁側応援席でこっちに手を振る集団が豆粒のように見えました。デジカメのズームで思いっきり拡大してみるとそこにはオッチャンやらPan君やらSteveやら広島出身カープファンのもみじ君ら総勢6名のMooneyesStaffの姿が見えました。

何の事はない、彼らも仕事が終わってから勢いでこの試合を見に来ていたのでした。

この後オッチャンはビールと酎ハイで逝ってしまい、横浜スタジアムのトイレで轟沈したのでした・・・・

 

試合の方はですね、1回の表にカープに1点を先制されたあとズルズルと何も起こらないと言うか、今シーズンこれまでDeNAベイに1点も取られていないという天敵野村投手に6回までなすすべなく抑え込まれておりました。

    

「やっぱりこのまま1対0で負けるというのも美しい敗戦かもしれない、大敗12対0に続いて1点の僅差で敗れるのもベイのロマンだぜ、ああコーラが美味い!!」と思い込んでいた矢先の敗戦濃厚な7回裏、ポンポンとヒットが続き、野村投手をマウンドから引きずり降ろし、その後、金城の逆転タイムリーヒットが出て3対1と試合をひっくり返してしまいました。

 

さらに8回裏にはまたもや金城のタイムリーが出てしまい5対1となって「あとは金城のヒーローインタビューを聞くだけだな、これもロマンだぜ、スタジアムでベイのヒーローインタビューを聞くなんて何年ぶりかしら??」と思い始めたとたんに何が起こるか分からないのがDeNAの良いところでありまして、4点も差があるのに9回表は不安定度No,1の守護神??ストッパー山口投手を送り出しここから山口劇場の開演となったのです・・・・

抑え投手なのに何人もランナーを出してヒヤヒヤしながらセーブをするのが得意で、私的には演劇のようなスリルが味わえるので好みなのですが、まともなファンの目で見たらたまったもんじゃないでしょうね。

 

そうこうしているうちにヒットが2本続き、1アウト1,2塁となってしまい「さあ、ここからホームラン打たれて1点差で勝つのがスリル満点の山口劇場だぜ!!」と息巻いていたら、事故は起こりました。

代打の会沢選手の頭をめがけて山口の放った148キロのストレートが直撃したのです!!

結構近くの席だったのでパキャンと鈍い音が聞こえ、会沢選手はその場に倒れてもがき苦しみました。

球場内が騒然となり両軍の選手もホームベース付近に集まり、試合は一時中断となりました。

すぐに担架が運ばれて来たのですが、ヘタに動かさない方が良いと判断されたのか、会沢選手は寝かされたままの状態で全然動かなくなりました。

どんどん時間が経過しカープファンは会沢コールとともに騒ぎ出し、ベイファンも心配そうに見守る中「ご覧のような状況なのでしばらくお待ちください」というアナウンスがありました。

「ご覧のような状況」って言われても確かにご覧のような状況ですけど、これヤバくない??

といった雰囲気が球場内に立ち込めました。

  

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苦節37年、夢のコラボは横浜DeNAベイスターズだぜ!!

皆様お久しぶりでございます、ここのところあっちこっち出張が続いてしまい、出たり消えたり行方不明ですみませんです・・・

先週末はですねMooneyes USAにて開催された恒例のOpen Houseに出撃して参りました。

 

今回はなんとArea-1のカリスマ成田店長と一緒の旅だったのです。

せっかく一緒に行ったのだからとりあえずカリフォルニアの雨でも見せてあげようと思ったらやっぱり初日はバッチリ雨となりました、雨の神様健在であります!!

      

でもイベント当日は快晴となり、たくさんのPinstripeのお仕事を頂きまことに有難うございました。

  

今年も好評のChico’s Burgerはカリスマ店長も大活躍し、炎天下の中真っ赤になって次々とパテを焼いておりました、さすがカリスマだぜ!!

このイベントの詳しい情報はカリスマ店長がバッチリレポート致しますのでこちらをクリックしてご覧になって下さいませ!!

     

あ、今回も当然大好物のカニを食しましたが、こちらの”Joe’s Crab Shack”なるお店でこのように豪快な「キングクラブのバケツ蒸し?」を頂きました、とっても美味しかったです、カニって本当に素晴らしいですね!!

そして話題変わりましてWildmanは只今猛烈に感動しております!!!

何が感動してるかって?? それは言えないぜ、サヨウナラ・・・じゃなくって

苦節37年、ついに夢がかないました。

思い起こせばついこの前の1975年、生まれて初めて親父に川崎球場へ連れて行ってもらい大洋 x 巨人を観戦し、それ以来大洋ホエールズのファンになり、1978年には私の地元横浜に奇跡の移転となり「横浜大洋ホエールズ」が誕生し、80年代は優勝を信じてせっせと横浜スタジアムに通い続け、全く優勝は無理と分かっていてもたまに勝つことに生きがいを感じ、5年くらい前にしか感じない1993年に「横浜ベイスターズ」に生まれ変わった後も応援し続けました。

そして1998年には38年ぶりの優勝という人生最高の瞬間を迎え「もう思い残す事は無いぜ!!」と豪語しましたが、やっぱり小心者は思い残すことが沢山あったので、今も細々と暮らしております。・・・

そんな事はどうでもいいとして、優勝後の数年間は暗黒時代を迎えてしまい「もうプロ野球なんかどうでもいいや、所詮他人がやってる事だし・・・」などと言ってはいましたが、夜になるとついプロ野球の結果を調べてしまい、勝率3割台でも「勝負というのはたまに勝つことに意義がある、しょっちゅう勝ってたら全く意味がない」という新理論を展開し、応援し続けておりました。

その後、球団売却、本拠地移転問題にハラハラしながらも動向を見守り、何とかDeNA様に救って頂き「横浜DeNAベイスターズ」の誕生となりました。横浜じゃなきゃ意味がないのですよ!!

中畑新監督を迎え今年は新たな船出となり話題性も大きくなりましたが、成績自体はなかなか上向きません。でもね、たとえ負けても面白い試合が多かったり、若手が伸びて来たりと昨年までよりも楽しくて夢のあるチームになって来ましたぜ。

そして感動の本題です・・・・ついにその時がやって来ました、14年振りの横浜優勝!!

じゃなくって何とビックリ、Wildmanもビックリ、横浜のMooneyesと横浜DeNAベイスターズがコラボレーションし横浜X横浜の”Yokohama Connection”なる展開でコラボグッズが販売となったのです。しかもデザインは私、Wildman石井が担当させて頂きました!!感動し過ぎて涙が止まりません、カリスマ店長のクシャミも止まりません・・・

大洋時代より応援し続けて37年、夢にまで見た球団オフィシャルグッズのデザインをさせて頂くとは感無量であります!!

Tシャツ、キャップ、マフラータオル、トートバッグ、リストバンド等々、横浜DeNAベイスターズ初優勝へ向けて入魂の一筆なのです!!

この後の勝手な予定としては、優勝記念グッズのデザインや夢のユニフォーム・デザインまで妄想は広がるのです・・・とりあえず優勝グッズは先にデザインしておきましょう。5年以内に使いますから・・・

それと選手全員の自家用車にPinstripeを描いてもいいですね。

アイテムは現在、横浜DeNAベイスターズオフィシャルショップ、同公式オンラインショップ、横浜スタジアム等で販売されておりますが、もうすぐMooneyes Area-1での発売もスタート致しますよ!!

いつかは中畑監督とのサイン会をArea-1店頭で行いたいものですな、もちろん優勝パレードは本牧通りと御所山で、熱いぜ横浜! Go! Yokohama DeNA Baystars

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