Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

毎日がデッドヒート、ジャカルタは熱過ぎるぜ!!

皆様ご無沙汰しております。不肖Wildman、先週末にですねBossと二人で東南アジアはインドネシアのジャカルタのさらに奥、Jogjakarta「ジョグジャカルタ」という街に行って参りました。ヤマハジョグではありませぬ・・・・

いつもの通り瞬間移動なのですが、成田からジャカルタまで飛んで、トランジットがありそこからジョグジャカルタに行ったのですが、合計で半日くらい掛かってしまいアメリカまで行くのと大して変わりませんでした・・・・

機内食のカニ釜めし、大変美味しゅうございました。

ジョグジャカルタの空港に着くといきなりWorld FamousRamen Hakoneの看板が出ていました。世界中でラーメンブームのようですな。

空港の作りはこのようにとってもアジアンチックで素敵でしたね。

宿泊したホテルからの眺めはこんな感じで、東南アジアな雰囲気が漂っておりました。

街に繰り出しとそこは熱いサーキット!! 気温も暑いですが、皆様の走りがとにかく熱い!! 朝も夜も市街地グランプリの様相で特にた~くさん走ってる小型バイクの方々が常に全開走行を心掛け、次の信号まで「何人たりともオレの前を走らせねえぜ!」という感じでアクセルをひねっておりました。

絶対にぶつかるようなシチュエーションでもヒラリと身をかわし、見事な流れを阿吽の呼吸で作ってギリギリの走りを展開しています。日本と同じ左側通行でも私には絶対に無理!!です。この人たち任意保険とか入ってるのでしょうか??と小心者は心配になってしまいます・・・

そしてこちらは違法な路上駐車ではなく、毎日曜日はこのように路肩に車を停めて値段を付けてCar For Saleだそうです。不思議なシステムでしたね。

今回お招き頂いたのは今年で2回目の開催となるイベントでIndonesian Kustom Kulture Festival “KUSTOMFEST 2013″という長い長い名前のショーでした。少し愛して、なが~く愛して@大原麗子

ジョグジャカルタ、訳してジョグジャのエキスポセンターというインドア会場にクルマやバイクを展示し、屋外にはステージを設け多数のベンダーも出店し、かなり大きな規模のイベントとなっていて驚いてしまいました。

でももっと驚いたのは会場に着いて送迎の車を降りた瞬間から何やら制服を着たコワモテの警備員さんがピタリとついて来て、Mooneyesブースに2日間はり付いてくれていたのです、一体何でだろ!?何だか警護されるKISSのジーン・シモンズになった気分で、なんちゃってVIP気分を味わえました。でも警備員さん最後にはビール飲んでましたが・・・

このイベントはインドネシアの”Retro Classic Cycles”さんが主宰してる物で、こちらBossと肩を組んでにっこりピースマークの方が主催者のおなじみ「やくみつる」さんです。元ベイスターズファンですね。 じゃなくって”Lulut”さん(通称”LT”さん)でした、すみません・・・日本でHot Rod Custom Showにもエントリーされているので、日本では”Yaku”のニックネームで親しまれております・・・ 2日間のイベントは朝9時から夜10時までと無茶苦茶なタイムスケジュールになっていて、本当に2日も体がもつのかしら??と小心者はビビり始めました。

今回アメリカより”Roland Sands”もゲストとして招かれていて楽しそうに過ごされてましたね。

お姉さんがステージ前で水びだしの太鼓?を叩いて唐突にイベントは始まりましたが、唐突にPinstripeの仕事が入り、そのまま夜まで休むことなく作業は続きました・・・

お客さんは隣のブースのヘルメット屋さんでメットを買って、ウチに持って来てPinstripeを描いて帰るという、予想外のビジネス展開となり、相乗効果というか、流れ作業?というかとにかく2日間で十数個の(数は忘れました)ヘルメットを仕上げるという自分でも何が何だか分からないデモとなりました。皆様有難うございました!! (作業出来なかった方々、本当にごめんなさい)

又、Bossも私もお客様に沢山のサインを頼まれて、本当にジーン・シモンズの気分を味わえました。

ショーの方は右ハンドルのアメリカ車やVWがズラリと並び、きちんと現地でカスタムされているようで好感が持てましたね。

[…]

1964年、東京オリンピックと力道山とWildman

せっかくDeNA Baystars x Mooneyesのコラボグッズが出たと思ったらBaystarsは完全に失速し、ジャイアンツに手も足も出ず3連敗となり2013年度は終戦となりました・・・・

クライマックスシリーズへの道はまだ終わってないですがそんな事はもうどうでもよくなってしまい、来年への再建を期待することにしました。

獲れそうなピッチャーは全員獲ってもらい、ドラフトもトレードもFAも全てピッチャー狙いで行って下さい。

野手は今のメンバーで全く問題ありませんので、とにかくピッチャーの補強に全ての資金をブチ込んで頂ければ、必ずこのチームは大化けしますのでDeNA様、宜しくお願い致します。

ということでオリンピックも2020年東京開催が決定し、ついこの前の1964年以来2度目の日本における夏季オリンピックとなりましたね。

1964年といえば東京オリンピックが開催され、新幹線が開通し、かっぱえびせんとワンカップ大関が発売され、日本武道館が開館し、大洋ホエールズは1ゲーム差の2位となり、王選手が55本の本塁打日本記録を樹立し、クレージーキャッツの日本一のホラ吹き男が封切られ、7月にはWildmanが誕生致しました・・・・何てエポックメイキングな年なんでしょう!!!

そして1964年の東京オリンピック前年の9月に力道山先生は五輪基金として財団にポンと一千万円を寄付していたのです。

「今度の東京オリンピックはアジアで初めてのオリンピック。国民はオリンピックを開催できることを誇りに思い、それを成功させて“どうだ”とと世界に胸を張ってみせるんだよ。ワシも誠心誠意オリンピックには協力したい」と言われて風呂敷に包んだ現金一千万円を寄付致しました。

大卒初任給が¥14,600の頃の一千万円ですから凄い金額ですよね、さすが力道山先生!!

私も誠心誠意Baystarsには協力したいので、もし日本一になったらポンと金一封を選手たちに送る予定です・・・・

しかし力道山先生はその東京オリンピックを見ることなく、1963年の12月に亡くなられてしまいました・・・合掌。

で、力道山先生をリスペクトしてきた事に対して、先生からの御祝儀?としてこのたびネコ・パブリッシングのDaytona誌10月号に「力道山、執念で呼び寄せた珠玉のコレクション」として不肖Wildmanが紹介されております、あら嬉しい・・・

「超絶マニアの楽しい世界」の記事の中で出てますが、変質者の集まりは本当に楽しいですね。

私の力道山リスペクトのきっかけとなった「力道山のロールスロイス」は復刊されましたので、皆様もぜひお読み下さいませ。

で、1964年といえばWildmanの愛車でもあるフォード・マスタングが生まれた年でもありますね。

徹底的なマーケティング・リサーチとフルチョイスシステムにより爆発的な大ヒットとなった初代マスタングもこの年の誕生でした。

当初はトリノとかクーガーというネーミングが予定されてましたが、最終的にマスタング(野生馬)となり結果的に車のイメージにぴったりのネーミングとなりました、名前も重要なのです。

子供のころはムスタングと呼んでいたので、今でもそっちの方がなじみがあり言いやすいのですが・・・

60年代当時、本牧エリア-1前の通りを親父の初代ダイハツ・フェローで疾走中、ベースの中から出てきた薄いグリーンのハードトップの印象が忘れられず、ムスタングは大好きなクルマの仲間入りを果たしました。

マッチボックスやテクノのミニカーを買ってもらい遊び倒したのはついこの前の出来ごとであります。

  

で久々のミニカー紹介となります。ムスタングと言えばコレで決まりの1960年台当時物デンマークはテクノ(Tekno)製のモデルです。

   

初めて買ってもらったフルアクションを持つミニカーで、ドアは開くはボンネットは開くは、中にエンジンは入ってるは、シートはリクライニングするは、トランクには三角表示板とポリタンクが入ってるは、ライトはダイヤカットでキラキラ光るはと、至れり尽くせりの贅沢ミニカーで、幼年Wildmanにとって衝撃的なモデルでありました。

アイボリーのボディに赤の内装はとってもオシャレで、まるで実車を見ているようでいつもウットリしていました。(その後初代は1974年頃、弟により完全破壊)

そしてもう一台はこのカッコいいムスタングです。

「なに言ってるの、これはムスタングじゃないでしょ」と怒られそうですが正真正銘ムスタングなのでした。

1965年のニューヨークショーで公開されたイタリアはベルトーネデザインの100作目にあたるデザイン・スタディ・モデルで、ムスタングのシャシーにイタリアンデザインを身にまとったクルマなのでした。

天才ジウジアーロの匂いがプンプンするデザインですが、ワンオフのこのクルマ、今こそカスタムカーとしてだれかに作って欲しいですな。

     

こちらはイタリアのポリトーイ(Politoys)が60年代絶頂期に作ったミニカーでもちろんフルアクションを備えて、ボンネットを開けると289 V8エンジンやバッテリーが現れ、内装は起毛で再現されてカーペットのようになってるのです。もちろんシートはリクライニングします。

裏を見るとドライブシャフトやマフラーが別パーツで再現され、リアのリーフのサスペンションは実際にポヨン、ポヨンと可動するのでした!!

 

当時の技術でやるだけの事をやった感じで、60年代的傑作ミニカーの一つだと思っております、ああ楽しいな!

そんなこんなでついこの前の1964年にムスタングや新幹線やかっぱえびせんと共に生まれてきたWildmanですが、変態道はヤッパリやめられないとまらないという感じなのでした。

[…]

ダーリンとは何ぞや?プラスチックなクルマたちはカッコいいぜ!!

皆様おはようございます。

先週の土曜日、日テレの「ぶらり途中下車の旅」ご覧になって頂けたでしょうか?

というか、あのような朝の時間帯の放送にも関わらず、多数の方々より「テレビ見たよ」と言われこちらが驚いてしまいました、本当に有難うございます。

TVスターとなったWildmanはこのままジャニーズに入り同い年のマッチと共演しデビュー曲は「ビンテージスニーカーぶる~す」で決まりなのです!!

そんなことはどうでもいいとして、やっぱりクルマはプラスチックなのであります。

また頭がおかしくなったとお思いでしょうが、先週富士のTried Customsさんに出張Paintでお伺いしたときに、このように素敵なC2のコルベット・スティングレイが鎮座されておりました。ワゴンRスティングレーじゃありませぬ・・・

プラスチックなFRP製のブラックボディが何とも艶めかしく、やっぱりクルマはプラスチックだぜ!!と一人つぶやいておりました。

このC2は何とオリジナルの427ビッグブロックエンジン搭載車でありまして425hpを誇る凶暴な個体の生き残りでありました、凄いですね・・・

プラスチックのクルマって走ってるだけでバラバラになってしまいそうです。

ということでFRPボディを持つクルマたちをいつものようにミニカーで勝手に語らさせて頂きます。

 

初代のC1コルベットは1953年にFRPボディを身にまといエレガントな2シーターのアメリカ製スポーツカーとしてデビューしました。

といってもエンジンは直6で、ミッションは2速ATと雰囲気重視のカッコだけスポーツカーといった感じでした。その後度重なるドーピングにより強力なスポーツカーに変貌を遂げて行きますが、初代C1の女々しさが何とも素敵なのであります。

 

こちらはC1コルベットが製造されていた頃、販促品とされていたプラスチック製プロモーショナルモデルで実車同様60年前に作られております。

 

プロポーションは正確でして、何といってもプラ製なので実車同様の質感が楽しめるのです、ああ楽しい。

そしてC1コルベットと同時期にアメリカではへんてこスポーツカーがFRPで作られていました。

 

以前ブログでご紹介したこちらのへんてこ乗用車「カイザー・ヘンリーJ」のカイザー社がヘンリーJのコンポーネンツを使用してFRPボディを着せて突発的に2シータースポーツカーを作っちゃいました。

C1コルベットよりちょっとだけ遅れてデビューしたこちらのへんてこは「カイザー・ダーリンDKF161」と命名されたアメリカ流スポーツカーでした。

エンジンは直6で161cu.inの90hpという可愛らしい物が載せられておりましたが、コルベット同様ドーピングが施され、数百台しか作られなかった短い生涯の間に最終的にはキャデラック用のV8 365cu.inで335hpというエンジンが無理やり載せられておりました、かわいそうなダーリン・・・

このクルマはドアーがスライド式で、後ろから前へズルッと開く変態振りなのです。

当時遥かかなた東洋の島国でどうやってこのクルマの資料を手に入れたのか分かりませんが日本製のティンプレート(ブリキ)製モデルが存在してました。

  

殆ど輸出用だったと思われますがコスゲ(製造)とアサヒトーイ(販売)のダブルネームでこちらのモデルがあったのです。

郷愁漂うイラストの箱は秀逸ですが、ボディは寸詰まりとなっていてダーリンだか何だか良く分からないのですな。きっと職人さんは1~2枚の写真をたよりに想像しながら(適当に)作ったのでしょう。

 

でも60年前の実車と同時期に造られた当時物ということに意義があるのであります。室内のプリントなんか芸術以外何物でもないのです!!

そしてお次は又コルベットに戻りまして、MAKO SHARK(メイコシャーク)であります。

GMのコンセプトカーでありまして、そのデザインは次期コルベットに受け継がれて行くクルマたちでありました。

1962年の初代マコシャークはGMスタイリングのボス「ビル・ミッチェル」がフロリダ沖でメイコシャーク(アオザメ)を釣り上げた事に由来しているそうです。

サメっぽいデザインですし、クリアーのバブルルーフは潜水艦として本当に海の中に潜って行けそうなのです。

メイコシャークは次期コルベット1963年のC2にそのデザインコンセプトが生かされましたね、カッコいいなあ・・・

香港の雄、プレイアートがコルベットじゃなくナゼかこのメイコシャークをモデル化してくれていて大変感謝したのでありました。

小スケールながら非常に出来が良く、バブルルーフも見事に再現されています。

しかし70年代の時点で流通していたのはこちら後期モデルの不細工なレモンの輪切りみたいなホイールを履いていた物ばかりでした。

この初期の2ピースホイール仕様はなかなか見つかりませんでした。しかも初期型はボンネット開閉アクションもありちゃんとV8エンジンがモールドされていたのです。

後期型はホイールも不細工でボンネットも開かず、とても同じミニカーには見えなかったのでした、実車もミニカーもキモはやっぱりホイールなのであります。

[…]

ルックチョコレートとミニカーの融合、ローウィは天才だぜ!!

この前の月曜日なのですが、せっかくのお休みにもかかわらず横浜は晴れているのに雪が降っているという不思議な光景となりまして、私の頭脳なみに地球は混乱しているのだなと感じました・・・

雪を見ただけで一歩も外には出ない方針のWildmanと致しましては当然引きこもりとなりまして、コーラとお菓子で一人酔っぱらっているしかありません、ああ美味しい。

スイーツ好きの私でありますが、実はチョコレートというのはそれほど好きではありませぬ。チョコレートケーキよりもショートケーキ、生クリーム万歳!!なのであります。

でも何点か好きなチョコはありまして、キットカットと東チョコのライスチョコレート、そして不二家のルックチョコレートがとても美味しゅうございます・・・

中でもルックチョコレートとは古い付き合いでございまして、幼稚園の頃よりフェイバリットな存在でした。

現在は買わなくても親父がパチンコの景品で貰ってくるので実家に行った時に回収してくるのです。

 

不二家ルックチョコレートは昨年、発売50周年という節目を迎えましたが、基本的なパッケージデザインは50年前と大して変わらないのです、凄いですね。まあ1962年なんて全くついこの前なのですが・・・

アラモードのフレーバーは昔はバナナ、ストロベリー、キャラメル、コーヒーでしたが現在はバナナ、アーモンド、ストロベリー、キャラメルに代わっております。

そんなことはどうでもいいのですが、不二家のロゴマークというのは子供の頃から頭の中にこびり付いておりまして、やっとひらがなが読めるようになった頃、アルファベットのFをモチーフ としたこのマークがひらがなの「み」をデザインした物にしか見えなかったのです、本当に・・・・

「み」とお花のマークは一体何なのでしょう??と幼年Wildmanはルックチョコレートを食べながら一人悩んでおりました、今も色々と悩んでおりますが・・・

その後数年が経過し、自動車とミニカーの研究にせっせと勤しんでいた頃、へんてこな形のミニカーを手に致しました。

  

それは英国Corgi Toys製の「スチュードベーカー・ゴールデンホーク」なるクルマでした。

カッコいいんだか悪いんだか当時の頭では理解不能なデザインでしたがとりあえず「実車より先にミニカーで勉強する」といういつものスタイルでゴールデンホークを調べて行きました。

するとあるデザイナーのお名前が頻繁に出てきます、それが”Raymond Loewy”「レイモンド・ローウィ」なるお方でした。

ダイヤモンドユカイではありません・・・

文献には必ず「口紅から機関車まで」というフレーズが出て来て、ローウィという方は一時代を築いた産業デザイナーと言うことが分かりました。しかも超ビッグネームではありませんか!!

フランスからアメリカに渡り帰化したローウィは流線型をモチーフに色々な物をデザインした偉大なお方でした、小学校高学年になるまでそんな事を知らなかった自分の事を恥ました・・・

     

機関車、船舶、飛行機、自動車、冷蔵庫等の工業製品から、ラッキーストライク、シェル石油の貝殻マーク、エクソン石油等のロゴやパッケージデザインもこなしております。

日本のたばこのピースもそうでしたね。

それにしてもこの機関車は強烈デザインですよね・・・・

こちらフジ・キャビンと同じくらいのインパクトがあります。

そして何と不二家のナゾの「み」マークもローウィの手になる物でした。

しかも愛するルックチョコレートのパッケージデザインも手掛けておりました、最高だぜローウィよ!!

「うーむ、口紅から機関車までというよりもチョコレートからスチュードベーカーまでと言った方が良いのでは」と思いました。

  

そんなこんなでスチュードベーカーをさらに遡って調べて行くとゴールデンホークなんて序の口で、1950~51年に掛けての通称”Bullet Nose”(銃弾の先端)を持ったデザインのグリルが凄過ぎました。

ミニカ・ダンガンとはわけが違います・・・

同じようなグリルがモチーフの1949 Fordの方が先に出てしまったのであっちの方が偉そうですが、デザイン自体はスチュードベーカーの方が先にあがっていたそうです、世の中早い者勝ちですね。

  

フロントも凄いですがリアスタイルも無茶苦茶で180度パノラマビューのガラス面を持ち、一体どっちが前なのか後ろなのか分からず、当時はジョークで”Coming or Going” 来るのか行くのかどっちなの?と言われてました。

後ろから前から@畑中葉子ではありませぬ・・・・

こちらはついこの前の昭和25年1月10日に発行された私の蔵書、「ポピュラ・サイエンス 第2集 自動車編」でありますが、思わず目をそむけたくなるような強烈イラストのスチュードが表紙になっております、怖いですね・・・

 

[…]

鬼才ガンディーニの傑作は亀マークのナバホだぜ!!

まったく地球は一体どうなってしまったのでしょう??この前の成人の日、関東地方は強烈な雪が降りまして、横浜市では有史以来初めてとしか思えない積雪13センチを記録しまして、私のような小心者は一歩も外に出られなくなってしまいました。

 

我が家は山の上にございますので、数日間は遭難したも同然となり通勤は長靴をはいてバス停まで25分歩くという悲しい日々をおくる事になってしまいました・・・ナイキじゃないと足が痛いんです。

 

雪はあと30年くらい、横浜市内には降らなくて結構なのです。

そして早く春にならないかと思っておりましたところ、皆様に吉報であります!

第27回Mooneyes Street Car Nationalsの開催が5月19日(日)に決定致しました。当初のスケジュールより変更となり、5月の開催となってしまいましたが、場所はおなじみの東京はお台場になります。

当日、雪は絶対に降りませんし、ゴールデン・ウィーク渋滞もありませんので、カッコいいクルマ、変態なクルマ、奇抜なクルマ、たくさんお待ち申し上げておりますので宜しくお願い致します!!

  

で、カッコ良くて、奇抜なクルマと言えばどう考えてもスーパーカーか三輪トラックになりますよね。

子供の頃、カウンタックと三菱レオは同じような衝撃を受けました。

今でもどっちが欲しいかと言われれば本当に悩んでしまいますよね・・

カウンタックのデザインと言えばカロッツエリア・ベルトーネのチーフデザイナーだったマルチェロ・ガンディーニさんであります。

強そうな悪役みたいな名前ですが・・・

私、この方の作品が大好きなのであります、なのでフェラーリよりもランボルギーニなのです(それよりも三菱レオかもしれませんが・・・)

 

天才ジウジアーロが抜けたベルトーネのチーフ・デザイナーを務めた鬼才ガンディーニは60年代中期から70年代に掛けて数々のスーパーカーやコンセプトカーをデザインし、はるか離れた東洋の島国の少年たちを狂喜させました、いまだに狂喜している馬鹿もここにおりますが・・・

 

ランボルギーニ各車、フィアットX1/9、ランチア・ストラトス、マセラティカムシン等々、極端なウェッジ・シェイプのデザインは一目でガンディーニの作品と分かる物でした、ああカッコいいなあ・・・

と言うことで今回もガンディーニな作品を、実車よりもっとカッコいい「当時物ミニカー」たちで紹介させて頂きます。

まずは名車の誉れ高きランボルギーニ・ミウラです。ジウジアーロの流れを汲む60年代的な美しいラインは今でも色褪せることありませんね。

 

ミニカーの世界でも人気者で当時は世界各国、各社でモデル化されましたが、一番入手しづらいと思われるのがイタリアはEDIL TOYS製のこちらになります。

ミウラのモデルとしては平均的な仕上がりなのですが、このエディル製は何せ生産数が少なく、当時日本にもちょぴっとしか輸入されなかったのです。

あとシルバーのがあるのですが、生涯かけて探すしかありませぬ・・・

お次はフル4シーターのスーパーカー、ランボルギーニ・エスパーダです。

フロントに12気筒エンジンを積んだ4人乗りのおシャレさんですが、70年代から80年代にかけてグリーンのSSSAディーラー車をしょっちゅう横浜市内で目撃し、オーナー様に声を掛けたこともある大好きなランボです。

 

イタリアはPolitoysより素晴らしいプロポーションでミニカー化されており、フルアクションのこいつは12気筒エンジン、4つのシートも再現された傑作であります。全3色揃えるのに15年掛かりましたが・・・

同じく4つのシートを持ちながら何とミッドシップ・エンジンという手品のようなクルマはランボルギーニウラッコであります。

V8エンジンの2+2のスーパーカーは対ポルシェ911を想定していましたが、商売としては惨敗に終わりました。

ついこの前の1976年、小学6年生のときに、東京は目黒通りのミツワ自動車にポルシェの撮影に繰り出し、正面入り口から突入し怒られましたが、帰りにちょうど現FLAT4さんのあたりを歩いていると、メタグリーンのウラッコが走って来たのを目撃したのがウラッコ初体験であります。

こちらもイタリアのPolitoysとMebetoysよりミニカー化されてました。

よく見るとリトラクタブル・ヘッドライトの位置が違っていて、左のポリトーイはボンネットの真ん中あたりに位置していますが、右のメーベトーイはもう少し前になっています。

子供の頃はポリトーイのライトの位置が「真ん中へんで変なの、俺が目黒通りで見たやつはもっと前だったぜ!」と一人ブツブツ言ってましたが、その後、中学生になって調べた結果、ウラッコのプロトタイプは真ん中へんにライトがあり、ポリトーイのはプロトタイプをモデル化したことが判明しました納得。

やはりミニカーで実車を勉強出来ることが明白になったのであります。

そしてお次はランボルギーニ・ハラマです。V12フロントエンジンで2+2のシートを持つごく平凡的なレイアウトのGTカーでしたが、ショートホイールベースのハンドリングに優れたクルマでバランスが良く、サーキットではミウラをしのぐ走りをしたそうです。

地味なスタイルのハラマでしたが、大社長フェルッチョ・ランボルギーニのお気に入りだったそうです。

テストドライバーのボブ・ウォレス共々「あれこそ本当のランボルギーニ」と絶賛していたクルマなのです、鬼才ガンディーニにしちゃおとなしいデザインですが・・・

 

ハラマも当時Politoysからモデル化されてました。スクエアなスタイルを上手く表現しV12エンジンもちゃんと載っております。

[…]