Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

ミニカーコレクション第6位、珠玉の逸品は観音開きであります!

寒い寒い毎日、皆様いかがお過ごしでしょうか?

先週ですね、こちらの横浜のCafeの看板描きに行ったのですが、計3日半の作業中、1日目は途中から雨、2日目は強風、最後の半日は超低気温となりまして、まともな天候で作業出来たのは3日目だけだったという過酷な作業となってしまいました・・・・

通り掛かりの方々が「お兄さん、寒くないの?」と声を掛けてくれるのですが「ハイ、変態なので全く寒さを感じないのです」と答えるしかありませんでした。寒いに決まってますが・・・・

真冬の作業は日没も早くてとっても寂しい気持ちになるのですが、ミニカーと力道山先生とベイスターズのことだけを考えて猛スピードで仕上げたあっという間の3日半でございました。ご注文有難うございました!!

という事で連載中の「44周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」第6位となります。ベスト10なんて言ったはいいのですが、冷静に考えるとベスト10て本当に難しく、たった10台の優秀なミニカーを選択するのは 苦渋の思いで有りまして、ベスト1000にしたくなって来ました。

1000台紹介すれば、自分的にも納得出来るのですが、そんなことしてたら寿命が尽きてしまいそうなので、やっぱりベスト10にしておきます、ハイ・・・・

これまでの10位から7位は以下のモデルたちでした。

第10位がイタリア製Politoysの「BREサムライ」

第9位が西ドイツ製Marklinの「ビュイック・セダネット」

第8位が日本製モデルペットの「トヨタスポーツ800」

第7位が英国製Corgi Toysの「ロータス・エラン」 という順になっておりました.

そしてベスト10の第6位はアサヒ玩具のモデルペット製、品番No,1の「トヨペット・クラウンDX」とさせて頂きます。ついこの前である昭和34年10月発売の、これぞ国産ミニカーのパイオニアとなる珠玉の逸品なのであります。

戦後の復興期に当たる昭和30年代は、Made in Japanの玩具類は輸出用の花形産業としてティンプレート(ブリキ)メインに沢山作られておりましたが、ダイキャスト製のミニチュアカーというのは存在しておりませんでした。

最近プラモデル界では「国産最初のプラモデルは何?」という論争が上がっていて、これまでは長い間「〇ルサン」が日本で最初のプラモデルという説がまかり通っていたのですが、実はそれ以前に他のメーカーが先に作っていたことがほぼ判明し、歴史が書き換えられようとしています。私は門外漢ですが・・・・

日本のミニカー業界ではこのモデルペットのクラウン発売以前、前後にも実は「ミニカーらしき物」は作られておりました。揚げ足を取りたい方々からは「モデルペットは最初の国産ミニカーでは無いぞ!」と反論されそうなのですが・・・・

こちらはついこの前である享保9年創業の増田屋が昭和30年頃に輸出メインとして発売したのが「シルバーペット」シリーズでして、クロームメッキされた車体にフリクションモーター内蔵という玩具的なモデルでした。

こちらはとりあえず「ビュイックのクーペ」らしきものと判別出来るのですが、隣りに並べた同年代の外国製ビュイックのモデル(白/赤)と比べるとミニカーというより単なるオモチャにしか見えません・・・・

こちらの倉持商店製のモデルはとっても小さくてグリコのオマケ程度の大きさで、スバルやミゼット等とりあえず車種判別は可能ですがただの駄玩具に過ぎませんね。今日、これらを見つけるのはとっても大変なのですが・・・・

同じく倉持商店製の50’sアメ車群ですが、これらもアメリカのLINEMAR TOYSブランドで主に輸出目的で製造されていました。下請けみたいなものですね。日本国内にも少し流れたようで、手持ちのパッケージには当時のデパートの値札が貼ってあるのもありました。

出来はまずまずなのですが、キャストの質が悪い物が多かったらしく、まるで時限爆発装置がついているように、ある一定の期間が経つとボディーにヒビが入り最後はバラバラになってしまう恐れがあるという恐怖のミニカーなのです。幸い手持ちの物は他にもあるのですが、全て製造後60年経過しても未だ爆発しておりません。とってもラッキーですな!

これらのビュイックや正体不明のアメ車みたいなものも、パッケージが全て英語で表記されていて、国内向けというよりも輸出用という事が分かりますね、あくまで「ミニカーらしき物」です。

という事でこれらのモデルは、時系列では確かにモデルペットのクラウンよりも先、あるいは同時期に作られていたことが判明していますが、とてもスケールモデルとして考えるにはお粗末過ぎまして、輸出メインや駄菓子屋行き?という販売体系を考えると、Wildman的にはやはり「国産ミニカー第一号」の栄誉は問答無用でモデルペットの品番1、トヨペット・クラウンDXで決まりなのです!!

観音クラウンのプロポーションを見事に再現し、車種的にも王道でスケールも1/42とほぼ国際規格標準のスケールで作られた事もポイントが高いのですな。アポロ・ウィンカーも最高なのです。未だハンドルやシート、サスペンションは付いておりませんが、迫力あるプロポーションがそれらを帳消しにしてしまうのです。トランク左下にはOverdriveのエンブレムまで彫ってあるのでした。

当時このミニカーをデパートのショーウィンドウで見て興奮された黎明期のコレクター様の気持ちが良く分かります、私は不覚にも生まれておりませんでしたが、ああ残念・・・・

モデルペットを販売したサンタ印の旭玩具(のちにアサヒ玩具)は、昭和35年の玩具自由貿易化の流れに沿って、英国製のCorgi Toys、Dinky […]

KISSも終わりか!? そしてミニカーコレクション第8位

2018年も残りあとわずかとなりましたね。先月が元旦だと思っておりましたらもう年末を迎えようとしております・・・

今年は我が横浜DeNAベイスターズは3年振りのBクラスに沈んでしまい、昨年はクライマックスシリーズを勝ち上がり日本シリーズまで行った事実が夢のように感じられます・・・

まあ数年前までは毎年のように最下位だったことを考えますと、贅沢なことは言ってられませんが、いい加減に優勝しないと本当に前回のように「38年ぶりの優勝!」なんて恐ろしい事態になりかねません(すでにあれから20年経過しましたが)このパターンが繰り返されますと次回の優勝は2036年になりますので、皆様覚悟を決めておいてください・・・

そして今年の私的な出来事でベイスターズのBクラス転落以外でショッキングな出来事はと申しますと、KISSがついに最後のツアーを行うという事が発表されてしまいました・・・・「ついに解散か??」と途方に暮れてしまいましたが「ライブ活動はこれで終わり」という事らしく、もうライブはやりませんが、解散はしないという解釈のようです。

ややこしいのですが、彼らももう70歳が目前に迫っておりまして、Tシャツとジーンズ&アコースティックギターで適当に演奏してれば何歳でもライブが出来ますが、あの衣装と18cmのブーツを身にまとい、空中遊泳をし、火を噴いて2時間近いライブをこなすのはさすがに無理という事のようです・・・そりゃそうだ。

KISSは2000年にも「もう、や~めた」とフェアウェルツアー(サヨナラツアー)を行って、もうこれで最後だと私もだまされて、せっせと日本ツアーを廻りましたが、結局「やっぱりやめるのや~めた」という事になりKISSはその後も何も無かったように存続、活動し現在に至っておりましたが、今度は「もう疲れるからライブ活動や~めた」という事のようです。なのでまだ解散はせず、新しい楽曲も出る可能性もありますし、無限にグッズ類も売られ続けるでしょう・・・永遠のKISSビジネス万歳!であります。

最後のツアーはOne Last KISS: “End Of The Road” World Tourというカッコいいタイトルで数年掛けて世界中を回るとの事です。これまでで最も激しく、最もデカいショウになるそうです。生KISSを見たことのない方は本当に最後のチャンスですぜ・・・

すでに2019年のスケジュールはほぼ発表されているのですが、まだその中に日本は入っておりませんので来年は来ず、オリンピックイヤーの2020年の来日かもしれません、ぜひ聖火台で火をぶっ放して欲しいのであります!そしてその年にベイスターズが優勝したら私は昇天して死んでそのまましまうかもしれません・・・

という事で本当はKISSの話をするつもりでは無くて、ミニカーの話をするはずでした。以前「43周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」と大騒ぎしたのですが、10位と9位を発表したままで、それ以降をお休みしておりましたので、反省してお気に入りベスト10の第8位を発表させて頂きます。

10位はイタリアのPolitoys製「BREサムライ」(ヒノサムライ)でしたね。見れば見るほどカッコいい!!

そして9位は西ドイツMarklin(メルクリン)製の”Buick Sedanette”でした。ほぼ70年落ちのミニカーなのですが、その迫力は現在の模型化したミニカーでは到底表現出来ないものとなっております、まさに芸術ですな。

そして栄光の第8位は8という事でヨタハチ、トヨタスポーツ800に決定いたしました!! 8という数字は良いですな、御所山8も・・・

私、国産車の中ではスバル360やフジ・キャビンとともに最も好きなクルマの一つがヨタハチでありまして、この車のデザインは国産車の中では最強と思っております。どう考えてもトヨタ2000GTの10倍はカッコいいのです・・・・あくまで私見ですが。

そんなヨタハチのミニカーですが当時物は1種類しか出ておりませんでした(ブリキ製は除く)ついこの前である昭和40年の5月に発売となったアサヒ玩具はモデルペット製の品番31「トヨタスポーツ800」であります。Wildman生後10か月のときでありました・・・・

昭和40年8月1日発行の当時のミニカーコレクターのバイブル、月刊コレクター誌No,66の表紙にもなっております。このミニカーの当時の定価は¥450でした。

存在を知ったのは、少年Wildmanがミニカーコレクションを始めた年である昭和50年(1975年)9月発行の月刊ミニチュアカー誌 No,85の連載記事「モデルペットのすべて」にこのヨタハチが紹介されていた時なのであります。

「うおおお~なんてカッコいいミニカーなんだ、まんまヨタハチじゃん!!」と興奮する11歳は変態の道を突き進んでおりました。その頃、モデルペットのヨタハチは発売後約10年が経過しており当然絶版モデルだったので、そんなものをすぐに手に入れるのは至難の業となっていました。

あっちこっちのミニカー専門店、ひなびた玩具店、ミニチュアカー誌の売買欄等を必死に探しましたが、全く私のアンテナに引っ掛かりませんでした。「欲しい、欲しい、欲しい」とのたうち回ってもナゼかこのミニカーは目の前に現れず、長い年月が経過して行くのでありました。

縁の無いモデルというのはある物で、たいして珍しくないモデルでもどういう訳か全然手元にやってこないことがありまして、ヨタハチはまさにそんな一台の代表となってしまいました・・・

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変態が認める三輪トラックデザイナーは天才だぜ!!

皆様お久しぶりでございます。いよいよMoon Illustrated vol.10が発売となりました!!

今回はですね巻頭特集がHot Rod Custom Show 2012のSneak Previewということで、Showに来るクルマやゲストのことを詳しく紹介しております。こちらを読んでから当日会場に来て頂ければ、より一層楽しくなることうけ合いでございます。

Wildmanページはですね、やはりイベントのAir Cooled in Action(VW)に敬意を表し? VWの見たこともないようなミニカーをFruityと御紹介しておりますので、変態の皆様は必見です!! その名も「マニアがワーゲン」でございます。ということで今年のHot Rod Custom Showは大盛況だった昨年の20回記念よりもさらに盛り上がること必死なのであります。 だって現時点で昨年よりもクルマもバイクもベンダーも全てエントリー数が増えているのですから、ああこりゃ大変だ・・・・・

で、話は変わりまして、先日長年探していた本がやっとこ手に入りました。 発行が昭和58年4月20日なので、全くついこの前の新しい本で恐縮なのですが、こちらの一冊になります。

マツダR360クーペと三輪のK360が表紙になっている「わがインダストリアルデザイン 小杉二郎の人と作品」という高速有鉛とは一線を画す?真面目一直線な感じの本ですが、本当に真面目な内容となっております。

 

故小杉二郎様は昭和の時代に御活躍された工業デザイナーで、クルマからバイク、ミシンや電化製品までありとあらゆるジャンルの工業デザインを手掛け、日本における工業デザイナーのパイオニアといえる存在なのであります。

日本における変態のパイオニアの自分としてはとしては非常に尊敬しております。

何といっても素晴らしいのはマツダ(東洋工業)関連の車両デザインでして、Wildman的には突き刺さるものばかりなのです。

日本の戦後復興の過程で三輪トラックは絶対に欠かせない存在でしたが、バイクに荷台を付けただけのような簡素なデザインだった三輪トラックに小杉氏は全天候型のキャビンを付けて見事なデザインをまとめ上げたと思っております。

特にこちら1950年代中期のCHTA型はバーハンドル時代の集大成だと理解しています。ドアーも付いたキャビンは強烈なフロント周りのデザインで、どう考えてもカウンタックよりカッコイイのです、本当に。

そして丸ハンドルへとフルチェンジしたHBR型は「究極の工業デザイン」といえるキャビンを持ち、流線形なスタイルで国鉄の特急列車よりもスピードを感じさせるのです、もう完璧過ぎますよね!!

これらの小杉氏のスケッチを見ているだけで天才と思えます、本当に。

CHTA型やHBR型は古すぎて当時物ミニカーになることはなく、ブリキの玩具でモデル化されていました。

   

共にバンダイ製なのですが当時の持てる技術を駆使して作った傑作モデルでして、強烈な出来栄えを誇っているのです。

    

特に丸ハンドルのHBR型は素晴らしく、部屋の中でじっと見ている変態行為を繰り返していると、本当に実車に見えてきて昇天してしまいます・・・

スバル360と同時期に造られていたマツダR360クーペもデザイン重視のクルマで、どうやったらこんなに可愛らしい形を思いついたのか一度聞いてみたかったです。

子供のころでも見る機会は少なく、短期間親戚のオジサンが乗ってましたが、それ以外でクーペ見たときは興奮しておりました。

 

当時物ミニカーでは大盛屋ミクロペットとアサヒ玩具のモデルペットから製品化されていましたが、出来はこちらのミクロペットに軍配が上がります。

 

ついこの前の昭和36年7月に発売されていましたが、フリクションモーターが内蔵されていて、走らせて遊ぶ玩具だった為、殆どが当時の心無い子供たちによって破壊されてしまい、実車並みに現存台数の少ないレアなミニカーとなっております。

マツダ車はこの他にもロンパーやキャロルのデザインも手掛けられていますが、世に出なかったこれらクレイモデルたちも強烈なセンスでデザインされています、 素晴らしい!!

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二大イベントの後はホットカルピスとミニカーでほっと一息であります!

   

この三週間はですね、日本ではHot Rod Custom Showが、Mooneyes USAではX-mas Partyがたて続けに開催されまして、帰国後は大阪に出張Paintに行ったりと時差ぼけだか何だか分からないままあっという間に時間が経過してしまい、行方不明で申し訳ありませんでした。

  

アメリカでは現地到着後、たった一日でこちらのMoonlinerのモデルを下地塗装からStripeまで一気に仕上げるという変態技を見せ、翌日のX-Mas Partyのオークションでは最高額にて落札して頂きました、まことに有難うございます。

 

もちろん出張中はカニやスイーツの摂取も忘れず、健康的な日々を過ごさせて頂きました。

で、帰国後は大阪に行きタップリと仕事をしヤットコ横浜に舞い戻って来ました。 そして自室にこもりほっと一息、ホットカルピスをすすりながらのミニカー鑑賞は至福のひと時なのですな。

今回ウットリとしたのは国産コーナーでして、黎明期の日本製ミニカーを手に取り感慨に耽りました。 ミニカーと言いましてもついこの前の昭和34年10月に発売された国産本格的ミニカー第一号として認められているモデルペット製、トヨペット・クラウン以前に細々と造られていたミニカーというか「ミニカーのような物」たちです。

戦後、日本製の玩具はティントーイ(ブリキ)を中心に輸出の花形産業でしたがダイキャストミニカーに関しては技術力も無く後発的なジャンルでした。昭和35年に玩具輸入自由化となってからは外国製ミニカーが入って来たり、モデルペットや大盛屋等が技術を磨き必死にミニカーを作りましたが、それ以前は何処かの町工場であまり参考にする物も無い状況で、職人さんが必死に「ミニカーのような物」を作っておりました。

当時駄菓子屋でも売っていたと言われている倉持商店というブランドがありまして、東京タワーが建つ頃より豆粒の様なミニカーを作っておりました。それはそれは小さく今でいうHOスケールの様な感じで、この様に小スケールのトミカと比較してもふた回りは小さいのです。

   

出来がどうこう言う以前の芸術作品となっておりますが、おそらくたった一、ニ 枚の写真を頼りに職人さんが必死に作ったと思われます。一応実車をモデル化していてどれも何とか車種の判別はつくのです、素晴らしい! なぜか立派なプラスチックのケースに一台づつ入れられ、1ダース入りアソート箱で出荷されていました。

 

こちらは1959年のインパラで、特徴的なフロントグリルやテールフィンが確認出来ます。

 

これはジャガーXK150ドロップヘッドクーペとなっていますが、ケースに車名が書いてなければ何だかサッパリ分からないような芸術性を見せております。 最大の見所は米粒大の素敵な女性フィギュアが乗っている所なのです。

外車の乗用車やスポーツカー、建設車等合わせて120種類くらい作られていたそうですが、最近国産車のモデルがあったことが判明致しました。

見てびっくりのスバル360とバーハンドルのダイハツミゼットであります!まさかこんな物があったとは・・・・

 

スバルは初代デメキンをモチーフとしていてとっても可愛く、このように当時物グリコのオマケのスバルと並べると大きさがわかると思います。本来SUBARUと入るボンネット下のエンブレムは何故かJAPAN と入っている所が芸術なのです。

ミゼットは初代のバーハンドル仕様ですが、ドアーがついているので後期型をモチーフとしています。フロントフェンダーの丸みがとっても愛らしく、ツートンカラーが素敵過ぎるのです。

このように二台並べると、三丁目の夕日の世界へとトリップ出来るのです・・・・

そして倉持商店はもう一回り大きなモデルも作っていました。アメリカのLINEMARと言う玩具メーカーからの依頼で下請けのような形で主に輸出用として作られていました。なので日本国内にはあまり出回らず、モデルペットよりも先の発売にもかかわらず、純粋な国産ミニカーとして認められていないと言う悲しい存在なのでした。

コレクトーイというブランド名で、トミカよりも少し大きなサイズでフリクションを内蔵していて走らせることが出来、ヨーロッパ製スポーツカーやアメリカ車のラインナップしていました。

 

こちらはシリーズ中最高の出来を誇るフォードのデリバリーバンです。全体の型彫りも良くてフロントグリルの出来は秀逸なのです。

こちらはビュイックと悲劇の名車フォードエドゼルですが、双方ともに悲劇的な出来栄えなのでした・・・・この二台はついこの前の1979年に入手しました。

そしてC-1のコルベットなのですが、金型師の想像だけで作ってみた感じが致します。 箱絵は小学生並みのデッサン力ですが、ミニカーと合わせればこのように芸術作品と化すのでした。

  

同年代のアメリカ製ミニカー、Hubley 社の黄色いコルベットと並べてみましたが、この様に技術の差は歴然といった感じでして、当時の日本とアメリカの工業力の違いを見せつけられてしまいます。実車において立場が変わる時代が来るとは思いもしなかったことでしょう・・・

そして最後はオマケ画像になりまして、プラスチック製のダイハツミゼットになります。 丸ハンドルがモチーフとなっていますが、これは当時のダイハツの販促用モデルでありまして、何と鉛筆削りなのでした。

 

しかし流石にメーカーのオフィシャル物なのでその出来は凄まじく、五十年近く前のモデルですが、現代の目で見ても侮り難いプロポーションを誇っております、素晴らしい!!

そんなこんなで、国産黎明期の悲しくもパワーのあるモデルたちをご紹介しましたが、ヤッパリ一回じゃ全部出し来れませんので、またいつの日か仕切り直しと行きますので宜しくお願い致します。

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ゴミか芸術か!? 箱が命のミニカー・コレクション(日本車編)

思い起こせばついこの前である36年前の1975年、ミニカーをオモチャではなく芸術作品とみなし、遊ぶ物からコレクションへとシフトし「自分が好きなクルマ」のみに絞って集め続けて参りました。なので私のコレクション内容は無茶苦茶で全くシリーズ化されてなく、日本車からアメリカ車、ヨーロッパ車、共産圏のクルマ、レーシングカー、スーパーカー、商用車、軽自動車と何の脈略もない物達が揃っております。

ある程度数が集まって来ると自分でジャンルを決めて、ミニカーブランド別に集めたり、車種を決めて集るのが普通なんですが、そんな事をしたら自分が興味のないどうでもいいミニカーまで揃えなくてないけなくなるので、お金が幾らあっても足りなくなるし、買ったらそのまま段ボール箱へポ〜ンなんていう状況はせつないので(こういう人沢山います)何はともあれ自分が「これはミニカーにおける芸術だ」と認めたモデルだけを集めているのであります。

 

ニューモデルが出たら片っ端から買うような方もおられますが、ああいうのは修行にしか思えません、私には到底無理でございます・・・ という事で36年という短い期間、ミニカーコレクションを続けておりますが、集め始めた最初の頃はミニカーが入っている「箱」というのはそれほど重視しておりませんでした。ただカッコイイイラストや写真が使ってある箱は何となく手元に取っておいたのですが、当時のオモチャ屋では入荷した時点で箱を処分してしまい、お客さんにはミニカーを包装紙でくるんで渡すというような店も多々有りました。

  しかしですね、ミニカー専門店に通うようになり、知識も高まってくると「箱」の重要性が理解出来るようになりました。専門店でビンテージの絶版ミニカーが並ぶコーナーを見ると、同じミニカーなのに箱があるものと箱が無い物ではお値段が違っているではありませんか。モデル本体のコンディションは同じなのに箱が付いているだけで何割か値段が高くなっているということは、ミニカーというのは出荷時の姿に限りなく近い方が価値が高くなるという事が判明致しました。”Mint in Box”(箱付き傷無し)というのが最強のコンディションになるという事なのです。最近では「箱付きと「箱無し」では倍くらい値段が違ってしまうという恐ろしい状況も生まれております。そこまでしなくてもいいと思うんですけど・・・・ それ以来、買ったミニカーの箱は全て保管しなくてはならないという義務が生まれてしまいましたが、そんな箱たちをじっくり見てみますと、5〜60年代の昔のミニカーの箱たちは殆どがイラストによるボックス・アートで、それぞれのブランドで全く違ったタッチで描かれていてとっても面白かったのです。

ブリスターパックの物や最近のアジア産精密ミニカーたちはプラスチックケースに入っていて、あんなのは開けてしまえばただのゴミで、箱がどうこうという物ではないのですが、イラストが描かれた昔の紙箱たちは完全に芸術作品と認めざるおえないのです、本当に・・・・ そんな芸術的な箱を見ていると「これを描いた人たちは一体どんな気持ちで描いていたんだろう」と妄想が膨らんでしまい、カルピス・ソーダでも酔っ払ってしまいます。 という事で私的に芸術作品と思われるミニカーの箱たちをちょろっと紹介させて頂きます。今回は国産車編という事で宜しくお願い致します。

まずは伝説のブランド大盛屋の第一号車であるスバル360になります。ミニカー自体も可愛いですが箱はもっと可愛い!!! スバルだかお椀だかわからないような絵と、くすんだ黄色とブルーのパッケージデザインは日本製なのに日本語が一切入らない物で独特のオリエンタルな雰囲気があります。

同じく大盛屋のマツダR360クーペですが、こちらは箱の上面と側面の2面を利用し、そこにドーンとクルマのイラストを持ってくるという大胆なレイアウトが素敵です。とても日本人のデザインとは思えません。

さらに大盛屋のプリンス・マイクロバスでは箱の上面が街中を疾走するバスで側面が田園地帯を行くバスになっていて、そのタッチは小学校高学年でクラスの中で一番絵の上手い子が描いたような説得力のある作品になっています。こんな素敵なバスでどこか遠足にでも連れて行って欲しいものです・・・

今度はアサヒ玩具のモデルペットになりますが、スバル360は大盛屋の物とはミニカーも箱も違うテイストで仕上がっています。現在のミニカーは精密過ぎてどこのブランドも同じに見えてしまいますが、昔はこのように各ブランドで解釈の仕方が全く違っていて、実車同様ミニカーでも個性があったのですな。スーサイド・ドアを開いて身を乗り出すお姉さんのイラストがたまりません。

モデルペットのトヨタ・スポーツ800は私の好きなミニカーベスト3に入る芸術作品ですが、箱の側面はヘルメットを被りやる気満々のナポレオン党とも思われるお兄さんがヨタハチに乗るイラストで、上面は実車でなくミニカーをモチーフにイラスト化しているという気のきいたデザインになっております。

つり目のスカイライン・スポーツですが、ミニカーも箱もちゃんとオープンとクーペを作り分けているモデルペットは偉いのでした。実車はミケロッティのとっても優雅なデザインでしたが、子供のころは日野コンテッサと並んで「怖いクルマ」リストに入っていた怖ろしいデザインのひとつでした、だってあの顔怖いんだもん・・・・

そして今度はミニカーではなくとっても古いプラモデルの箱でして「ミドリ」というブランドの一本バンパーのデメキン・スバル360になります。中身の出来がどうこう言えるようなレベルのプラモではないのですが、ご覧の通り箱絵は堂々とデッサンが狂ったヘタウマイラストで仕上げていて、全てを吹き飛ばしてしまいます。顔の判らないドライバーのイラストが恐怖感を醸し出していてホラー的な芸術作品となっております。

お次は昭和30年代に作られていた「木製キット」のダイハツ・ミゼットMPです。1978年に元町サンセットにて購入しましたが、プラモデル以前に木のキットがあったのはこのモデルで初めて知りました。これは中身よりも箱絵が重要でして、完璧なデッサンのミゼットは京浜工業地帯(推定)を疾走しております。仕上がった金物を納品に行く若夫婦はとっても幸せそうなのでした、三丁目の夕日の世界です。

ちなみに箱の裏には完成図の写真が載ってますが、ご覧の通り凄まじいキットなのでした。これはこれで芸術かもしれませんが・・・

最後はこちらも木製キットのダットサン・ライトバンであります。久々に取り出したら包んであったビニールがびりびりに破けてしまいましたが、秀逸なイラストは健在です。お父さんが新車のダットサンを買って、これからドライブに行く幸せ家族の一日をテーマにしています。女の子のドレスからしてかなり裕福なご家庭と思われ、お父様はもしかしたら日本プロレスで力道山の下で働いていたのかもしれません。羨ましいな・・・・ という感じで何点か国産モデルの芸術作品をご紹介いたしましたが、次回はさらに芸術的な外国製品の箱絵を紹介致しますのでお楽しみに!!

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