Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

明日は快晴のSCN、これからのサインはTO WILDMANで決まりだぜ!!

さて皆様、明日はいよいよ東京はお台場にて「第27回ムーンアイズストリートカーナショナルズ」が開催されます。

ついこの前の1987年に大井競馬場にて産声を上げたこのイベントでしたが、私は1回目から全て参加し、気付けば軽く四半世紀を超えてしまい、未だに皆様に愛されているというのは嬉しい限りでございます。

今回もエントリー車両は約1000台!!という規模で皆様をお待ちしておりますので、快晴のお台場に6時だョ!全員集合であります。

そしてもうお手元にある方も沢山いらっしゃると思いますが、MOON IllustratedVol.11が発売となっております、気がつけばもう11号であります。

今回の春・夏号はページ数もたっぷりありまして、海外から国内の記事、New Itemの紹介等盛りだくさんの内容となっており、もちろん我がWildmanページも暴走状態で掲載されておりますので、皆様も一緒に暴走致しましょう!!

もちろんストリートカーナショナルズ会場でも販売しておりますので、お買い上げの方はぜひサインをさせて下さいませ!!

サインといえば、サインはV!!じゃなくって、先日カリフォルニアよりこのようにとんでもないものが私宛に送られて来ました・・・

「1クリックで間違えて海外通販で何か買っちゃったのかしら??」と恐る恐る封を開けてみるとそこには1枚のKISSの写真が入っていました。

我がKISSの写真にマジックペンで描かれたサインは何とジーン・シモンズの物であります!!

しかも”TO WILDMAN”となっているじゃありませんか!!!

「うおお~、ついにこの私にもジーンから直接手紙が来るようになったのか!?やっと長年の精力的な変態活動が認められたぜ!!」と勝手に解釈し、しばし放心状態になっておりました・・・・

しかしそんな事があるわけも無く、今回のサインはアメリカ在住のS様という知り合いの方が「ひょんなことから」ジーン・シモンズの自宅に行くことになり、そこで私が30数年に渡るKISS ARMYであることを思い出してくれて、わざわざジーンよりWILDMAN宛でサインを頂いてくれたのです。

S様本当にありがとうございます!!

それにしても「ひょんなことから」ジーン邸宅に行けるなんて一体何なのでしょう?? 私もひょんなことから行ってみたいものです・・・

これまでKISS関連のサインは力づく?で手に入れた物が何点かありましたが、それらには当然私宛の名前など入って無かったので、魂のこもったサインが手元に来たわけであります、最高です!!

先月は前回ブログでお伝えした通り、ジューシィ・フルーツ(ジューシィ・ハーフ)のイリア様に宛名入りサインを頂けたので、最近調子に乗っているWILDMANなのであります。

残念ながらついこの前の1961年に書かれた力道山先生の本物直筆サインには、他の方への宛名が入っておりますので、このようにカバーをして気を紛らわせております。

書き直して頂きたいですが、こればかりはどうにもなりませぬ・・・・

 

こちらはEd”Big Daddy” Rothより1991年に頂いたものであります。自分でWILDMANて名付けてくれたくせに、サインにはいつもHIROと書いてくれてましたね・・・ そういえば最初は間違えてHITOとも書いてました、確かに人ですが・・・

 

そして全然関係ありませんが、ついに禁断の果実に手を出してしまいました。 そう30年来の憧れだったテニスラケット”DONNAY BORG PRO”であります。

 

ついこの前の1981年に我があこがれのスーパースター、ビヨン・ボルグ様がウィンブルドン5連覇した時に使用してたのがこのモデルで、当時はお値段も強烈だったのと、何よりも恐れ多くてこんなもの使えないというのが、当時の正常な神経のテニス・フリークの考えでした。

 

だってこんなの使ってヘタクソだったら恥ずかしいじゃありませんか、小心者には絶対無理でしたね。

    

BORG PRO以前は同じベルギーはDONNAY社のこちら”ALL WOOD BJORN BORG”を使われていました。

   

契約の関係上アメリカでの試合はこちらアメリカはBANCROFT製の”BORG PERSONAL”を使用するという人気者ならではの二重契約??でした。

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女神さま降臨、33年越しの恋はベンチシートだぜ!

皆様、ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしょうか??

Mooneyes Area-1では「R381 あれから45年 パネル展」を引き続き開催しておりますので、ぜひ本牧まで足をお運び下さいませ。

  

カリスマ店長のFIAT 500にもPinstripeが入りましたのでご覧になって下さい。

お店にはこの春、数々のNew Itemが出揃いました。

その中でもWildmanの一押しはこちらのSigns & Pinstriping Studio Stickerとなります。久々のStudioオリジナルステッカーになりますね。

ブラックとパープルの2種類がありましてノーマルな方にはブラックを、変態の方にはパープルをお勧め致しております、ハイ・・・

5月19日のお台場はStreet Car Nationals会場でステッカーをお求めになられた方には勝手にサインをさせて頂きますのでどうぞ宜しくお願い致します(そんな元気がありゃいいんですけど・・・)

サインと言えば不肖Wildman、33年越しの夢が叶いました、有難うございます!!

 

ついこの前の1980年、16歳の時になんとなく見てたTVに映った美形のお姉さまが「ジューシィ・フルーツ」というバンドでリードギターをギュイーンと掻き鳴らすさまを見て、一発でファンになってしまいました。(Wildman’s Blog 2008年8月30日参照)

そうKISSのジーン・シモンズよりも好きになってしまったのは「イリア」こと奥野敦子様でした。

その後勝手に結婚しようと思っておりましたが、夢ははかなく破れてジューシィも解散してしまい寂しい日々を送っておりました。

30年の月日が流れ、ジューシィ・フルーツは半分のメンバーとサポートのお二人による「ジューシィ・ハーフ」となって復活し、私ども時流に逆らっている変態を楽しませてくれているのです、ああ楽しいな!!(Wildman’s Blog 2012年4月13日及び12月29日参照)

そしてこのほどジューシィ・ハーフのDVDが発売されることとなりまして「ジューシィ・ハーフDVD発売記念パーティー! ほかにもいろいろ特別に見せちゃうスペシャル」なる催しが高円寺であるというじゃありませんか!!

しかもミニライブや秘蔵映像鑑賞タイムのほかに何とビックリ「全員にサイン&握手」となっております。

「あ、あ、握手だって、イリア様と握手が出来る上にサインまで頂けるのか!? こりゃ変態だ、じゃなくって大変だ!!」と興奮しまくる私は失神しそうになってしまいました・・

ハイ、行って参りました古着の街、高円寺。高円寺なんて何年ぶりになるのでしょう。

 

場所はグリーンアップルさんという小さなお店ですが、そこには熱心なファンの皆様が沢山集まっておりました。

   

ミニライブからスタートし、トークや貴重な当時の映像も沢山流されました。

  

解散の時はTV「俺たちひょうきん族」で最後の演奏をしたジューシィでしたが、ひょうきんピヨコ隊の映像もたっぷり流してくれました。

トークの途中でイリア様が「今日はオリジナルメンバーの優司クンが遊びに来てくれています!」とこちらの方を指さして言っています。

みんなが拍手をするので「お、おれじゃないって!!と小心者は首をブルンブルンと振ろうと思ったら、何と私の後ろにオリジナルメンバーのベーシスト、沖山優司氏がいらっしゃいました。

「あ~ビックリした、全然気付かなかったぜ」と胸をなでおろしました・・・

しかし次の瞬間には正気に戻り、沖山さんにお願いしてちゃっかり記念撮影とサインも頂いてしまいました。沖山さんは本当に良い方でした、嬉しいな!!

ちなみに沖山さんは現在も作曲家、編曲家としてご活躍され、アンジェラアキやスキマスイッチ、ゆず、モー娘といった方々のライブサポートやレコーディングに参加されているとの事です、現役バリバリなのです。

私は当日、自分でデザインしたレインスプーナーのシャツを着ていましたが沖山さんに「オシャレだね」と誉められました、ただの小心者じゃなくって洒落者Wildmanだぜ!!

 

そしてイベントも終わりにさしかかり、いよいよ「サイン&握手会」となりました。

 

皆様DVDにサインを頂いているようですが、私的にはそれでは物足りないので場を盛り上げるためにも32年前のツアーパンフを持ち込み、それにサインしてもらおっと!!と決めておりました。小心者はいつでも準備周到なのであります・・・

[…]

あれから50年、今後も50年のWildman’s Blogは力道山先生と共に

先日Mooneyes Area-1の駐車場に、このようにとっても珍奇なクルマがいらっしゃっておりました。

 

「ロールスロイス・カマルグ」でございます。その昔のロールスロイスのトップモデルでして、日本の代理店コーンズでの80年代当時の新車価格は驚愕の¥48,000,000という一瞬で読めないようなプライスタグを引っ提げておりました、当時世界一高い車でございます。

22歳の私が¥2,000,000近い借金を背負っていた頃でございます・・・

カマルグの後ろに回るとそこにはこのステッカーが燦然と輝いておりました!!

  

正方形の中に並べられたSSSAのロゴデザイン、見る方が見れば分かりますよね。小学生のWildmanが通った横浜市神奈川区松ヶ丘にあったスーパーカーの総本山、あのお店の本物のステッカーなのでした。

この後カマルグに乗って来られた方に少しお話を伺いましたが、奥が深い話となってしまうので、又いつかの機会に、それでは皆様サヨウナラ・・・

じゃなくってロールスロイスと言えば力道山先生なのであります。(Wildman’s Blog 2008年1月4日参照)

 

力道山先生最後の愛車となったロールスでしたが、当時のトッパンの絵本にもこのように「じょうひんな せかい一のじどうしゃです」と紹介されております、やはり世界一の力道山先生でございます。

こちらの新聞は先月我が家のポストに定型外郵便で届いておりましたが(恐怖新聞ではありません)63年前の昭和25年6月14日(水)の毎日新聞であります。

豪雨で丸の内が浸水し、新車の’50シボレーが水没している写真が載っておりますが、その下には「力道山が保険金詐欺 船の放火に共謀容疑」という記事になっております。

相撲時代の事件なので髷姿の相撲時代の先生のお写真も掲載され、この後十年に渡る波乱万丈のプロレス人生の幕開けにふさわしい事件でございます、さすが先生だぜ!!

今年2013年は力道山先生没後50年となりました。

1963年12月15日にお亡くなりになりましたが、先生はその一週間前に赤坂のナイト・クラブ「ニューラテンクォーター」で起きたささいなトラブルから腹部を刺され、その後の医療ミスにより天に召されてしまいました。

入院中に寿司を食ったり、サイダーを飲んだりしたから病状が悪化して死んでしまったというようなマヌケな記事が氾濫しておりますが、デタラメもいいとこなのであります。

こちらは今から30年前の赤坂S病院の601号室で、力道山先生が息を引き取った部屋であります(現在はありません)

没後20年の時点での撮影ですが、ベッドもカバーも当時のままとのことでした、なんでだろ???

1963年の時点でバス、トイレ、応接室、キッチン付きで一日¥15,000という一流ホテルもビックリのお値段でした、さすが先生であります・・・

力道山先生側近のマネージャーであった吉村さんもすでに鬼籍に入られ、当時を知る方々はもう殆ど残っていないような状況の中、先日ニュースが飛び込んで来ました。

1963年12月8日、赤坂のニューラテンクォーターで喧嘩の末、力道山先生を刺してしまい、懲役7年の実刑を受けた当時大日本興業組員の

村田勝志さんが病気でお亡くなりになられました。先生を刺して「力道山殺傷事件」の犯人となった方ですが、その後50年生きられました・・・

こちらの手持ちの新聞は事件当時の顔写真ですが、結構貴重なのです。

毎年先生の命日の翌日に池上本門司への墓参りを欠かさなかったとのことで、氏も村田組の組長として壮絶な人生を送られたようです。

娘さんがプロレスラーになったというのも何の因果なのでしょうか・・・

本やテレビで事件の事を何度か語られておりましたが、真相はご本人たちにしか分かりませんので、全ては闇の中へと消えて行きます・・・

栄光の面とダークサイドが入り乱れる力道山先生の世界は今後も根掘り葉掘り自分なりに調べて行くのです、このブログが50年続く事を目指して!!

[…]

愛しのバンジ様はアディダス・グランドスラムだぜ!!

今週は関東地方に成人式の時並みの大雪との恐ろしい天気予報が出ておりました。

当日は朝5時に起床し、スコップ、長靴もそろえ準備万端の体制で待機していましたが、いくら空を眺めていても雪なんか降ってこやしない状況で、結局Studioに到着しても降ってるのは雨ばかりで完全なガセネタをくらってしまいました・・・・

まあ雪が降らなかったのは良いことなのですが、頭も体も雪かきモードに突入しておりましたので、ちょっと残念?でありました。

残念と言えばスニーカーの加水分解ですよね、全然関係ないけど。

初めて加水分解を体験したのはついこの前の1987年の雨の休日、6年目に突入していたフランス製アディダス・ロッドレーバーを履いたところ、雨の中でバラバラにソールが砕け散ったのでした。

「こ、こ、これは一体、何が起こったの??」とファミレスの駐車場で叫ぶ若き変態はどうしたら良いのかさっぱり分かりませんでした。

70年代後期からスニーカーのミッドソールにポリウレタンフォームなる素材が使われ始めました。

軽量で柔軟性があり、クッショニングも最高!!という夢のような素材でありました。

その後Nike Air等の新技術と共にあらゆるジャンルのスニーカーに使われる素材となりましたが、こいつがやっかいなシロモノでありまして、水分を吸うことによって化学変化を引き起こし、数年でバラバラに砕け散ってしまうのです、トホホ・・・

特に湿度の高い日本の気候では避けて通れない事実でありまして、新品であってもほっぽっておけば数年で「君に薔薇薔薇という感じ」になってしまいます・・・

まあ、スニーカーなんてもともと消耗品ですし、作る方だって30年先まで見てるはずないので仕方ありませんね。

それにしてもあの時の衝撃は忘れられませぬ、一生の思い出となりました。

で、衝撃といえば10年ほど前にしか感じられないついこの前の1980年の暮れに雑誌で発売予告されていたアディダスのテニスシューズであります。

品番3288商品名未定のそいつは「硬度の異なる3色の衝撃吸収ロッドを自分の体重やコートによって入れかえて、最適のクッションを得る新機構付き。はたして効果は?」なんて意味深な言葉が並べられていて変態少年の心をくすぐりました。

「こりゃ変態だ、じゃなくて大変だ!! こんなテクノロジーはスペースシャトル並だぜ!」と叫びまくり物欲モードはレッドゾーンに達しました。

しかもアッパー素材は高級なカンガルー皮革と来てました。

しかしお値段は前代未聞の¥33,000という当時中古の原付が買えてしまうような信じがたいハイプライスでありました。

昭和55年の時点で3万円を超えるという運動靴なんてありえない訳でして、それはそれは高校生には想像もつかないような世界だったのです・・・

しかし想像するのが私のいいところでありまして「1か月分のバイト代全部つぎ込めば買えるじゃん、全然ヘーキ」と居直りましてハム工場にせっせと通いまくりました。

 

その後、西ドイツ製アディダスの品番3288は翌1981年に目出度く発売となりました。その名も「グランドスラム」として・・・

そう、テニスの4大大会を示すその名はこれ以上ないネーミングでしたね。

それまでの最高金額だったアディダスのフォレストヒルズ¥22,000を軽くブッチギ切るお値段の¥33,000のプライスタグが眩しかったのです・・・・

今で言うと5万円のクツを買うような感じですな。

もっと眩しかったのは当時アディダスと契約していた女性プロ・テニスプレイヤー

「ベッチナ・バンジ」でありました。

 

西ドイツ国籍のバンジは80年代初頭に彗星のごとく現れたブロンドの美人プレイヤーでした。Wildmanにとって史上最強の女子プロであります。(クラスメートの神取忍じゃないよ)

シャラポワはですね、ガタイが良すぎてダメなのでありますな・・・

だって当時はあんまり可愛い女子プロ選手はおりませんでして(私見)せいぜいアメリカのクリス・エバートがちょっといいかなくらいでした。

 

あとはビリー・ジーン・キングやナブラチロワみたいな強いけど男だか女だか分かんない人ばかりでした(失礼)

そこへ長身でスリムな金髪バンジ様が現れまして「ボルグ様は男として尊敬するプレイヤーだがバンジ様には素直に惚れてしまった、俺より1歳年上みたいだしぜひ将来は国際結婚してみたいぞ!!」とジューシィ・フルーツのイリアとの婚約を勝手に破棄した少年Wildmanでありました・・・単純なので・・・

バンジ様はウィンブルドンでベスト4に入るなど、中堅プレーヤーとして活躍されました、美人は別にトップにならなくてもいいのです。

そして全身アディダスに身を包み華麗にコートを駆けめぐるバンジ様の足にいつしか「グランドスラム」が履かれるようになりました。

「やっぱ、そうだよなバンジ様のグランドスラムじゃなきゃだめだ、そうに決まったぜ!」と1か月分のバイト代を握りしめてアムスポーツ上大岡店に向かいました。

しかしそんな高い靴在庫してるわけ無くて、注文を入れさせて頂き1週間後に変態高校生の手元に¥33,000のテニスシューズがやって来ました。今思うと 気が狂っていたとしか思えませんが。

その後2週間は部屋で眺めて、ウットリし遠くウィンブルドンのバンジ様に思いを巡らせておりました・・・

そしていよいよグランドスラムを履く日がやって来ました、果たしてその効果は?

3種のロッドを色々入れ替えてみて「お、これは硬い、こっちは柔らかいぞ」と1981年時点の「超ハイテクシューズ」を堪能する日々が続きました。

もったいなくてテニスなんかじゃ使わず、もっぱら街履き専用の「勝負シューズ」となったのです、みんな俺を見てくれよ!!

その後バンジ様も引退されしかも勝手に結婚されてしまい、東洋の島国の少年の心は深く傷ついたのでした・・・

私のグランドスラムも殿堂入りとなり、オリジナルの箱に入れたまま20数年が経過しました。

    

玉手箱を開ければそこは素敵な加水分解の世界が広がり、手の施しようもない状況なのですが今でも大切に持ち続け、こうやってバンジ様との思い出の日々を綴っているのです・・・

グランドスラムは21世紀になって復刻されましたが、そんなの無視してました。だって値段がたったの1万円台になり下がってしまい、西ドイツ製じゃないのでどうもこうもありませんでした・・・

グランドスラムは¥33,000じゃなきゃいけないのです!!

こんなことばかり考えてると、しまいには脳が加水分解しそうな勢いなのであります!!

あ、それと皆様に緊急Newsなのですが来る2月16日(土)朝の9:30より日本テレビをご覧くださいませ。

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ルックチョコレートとミニカーの融合、ローウィは天才だぜ!!

この前の月曜日なのですが、せっかくのお休みにもかかわらず横浜は晴れているのに雪が降っているという不思議な光景となりまして、私の頭脳なみに地球は混乱しているのだなと感じました・・・

雪を見ただけで一歩も外には出ない方針のWildmanと致しましては当然引きこもりとなりまして、コーラとお菓子で一人酔っぱらっているしかありません、ああ美味しい。

スイーツ好きの私でありますが、実はチョコレートというのはそれほど好きではありませぬ。チョコレートケーキよりもショートケーキ、生クリーム万歳!!なのであります。

でも何点か好きなチョコはありまして、キットカットと東チョコのライスチョコレート、そして不二家のルックチョコレートがとても美味しゅうございます・・・

中でもルックチョコレートとは古い付き合いでございまして、幼稚園の頃よりフェイバリットな存在でした。

現在は買わなくても親父がパチンコの景品で貰ってくるので実家に行った時に回収してくるのです。

 

不二家ルックチョコレートは昨年、発売50周年という節目を迎えましたが、基本的なパッケージデザインは50年前と大して変わらないのです、凄いですね。まあ1962年なんて全くついこの前なのですが・・・

アラモードのフレーバーは昔はバナナ、ストロベリー、キャラメル、コーヒーでしたが現在はバナナ、アーモンド、ストロベリー、キャラメルに代わっております。

そんなことはどうでもいいのですが、不二家のロゴマークというのは子供の頃から頭の中にこびり付いておりまして、やっとひらがなが読めるようになった頃、アルファベットのFをモチーフ としたこのマークがひらがなの「み」をデザインした物にしか見えなかったのです、本当に・・・・

「み」とお花のマークは一体何なのでしょう??と幼年Wildmanはルックチョコレートを食べながら一人悩んでおりました、今も色々と悩んでおりますが・・・

その後数年が経過し、自動車とミニカーの研究にせっせと勤しんでいた頃、へんてこな形のミニカーを手に致しました。

  

それは英国Corgi Toys製の「スチュードベーカー・ゴールデンホーク」なるクルマでした。

カッコいいんだか悪いんだか当時の頭では理解不能なデザインでしたがとりあえず「実車より先にミニカーで勉強する」といういつものスタイルでゴールデンホークを調べて行きました。

するとあるデザイナーのお名前が頻繁に出てきます、それが”Raymond Loewy”「レイモンド・ローウィ」なるお方でした。

ダイヤモンドユカイではありません・・・

文献には必ず「口紅から機関車まで」というフレーズが出て来て、ローウィという方は一時代を築いた産業デザイナーと言うことが分かりました。しかも超ビッグネームではありませんか!!

フランスからアメリカに渡り帰化したローウィは流線型をモチーフに色々な物をデザインした偉大なお方でした、小学校高学年になるまでそんな事を知らなかった自分の事を恥ました・・・

     

機関車、船舶、飛行機、自動車、冷蔵庫等の工業製品から、ラッキーストライク、シェル石油の貝殻マーク、エクソン石油等のロゴやパッケージデザインもこなしております。

日本のたばこのピースもそうでしたね。

それにしてもこの機関車は強烈デザインですよね・・・・

こちらフジ・キャビンと同じくらいのインパクトがあります。

そして何と不二家のナゾの「み」マークもローウィの手になる物でした。

しかも愛するルックチョコレートのパッケージデザインも手掛けておりました、最高だぜローウィよ!!

「うーむ、口紅から機関車までというよりもチョコレートからスチュードベーカーまでと言った方が良いのでは」と思いました。

  

そんなこんなでスチュードベーカーをさらに遡って調べて行くとゴールデンホークなんて序の口で、1950~51年に掛けての通称”Bullet Nose”(銃弾の先端)を持ったデザインのグリルが凄過ぎました。

ミニカ・ダンガンとはわけが違います・・・

同じようなグリルがモチーフの1949 Fordの方が先に出てしまったのであっちの方が偉そうですが、デザイン自体はスチュードベーカーの方が先にあがっていたそうです、世の中早い者勝ちですね。

  

フロントも凄いですがリアスタイルも無茶苦茶で180度パノラマビューのガラス面を持ち、一体どっちが前なのか後ろなのか分からず、当時はジョークで”Coming or Going” 来るのか行くのかどっちなの?と言われてました。

後ろから前から@畑中葉子ではありませぬ・・・・

こちらはついこの前の昭和25年1月10日に発行された私の蔵書、「ポピュラ・サイエンス 第2集 自動車編」でありますが、思わず目をそむけたくなるような強烈イラストのスチュードが表紙になっております、怖いですね・・・

 

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