Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

ハイエース王国タイでランボルギーニだぜ!

先月、久しぶりに結婚式に招待されまして、Bossと一緒にはるばる名古屋まで出撃致しました。(新幹線なので全然楽チンでありました)

何とビックリ、同じ変態仲間のThe Nash殿が突然結婚されることとなりまして、式に招待して頂いたのであります。結婚式なんて久しぶりでしたので、小心者は緊張してしまいました。

Nash氏と初めて会ったのは四半世紀前のアメリカはBonneville SpeedWeekでした。一人で観戦に来られていて「変わった日本人がいるな」と思っていました。日本に帰ってからはついこの前の1991年、本牧に初代 MOONEYES Area-1 & CafeがOpenした際、Nash氏が当時日本ではとても珍しかったNash Metropolitanに乗って意気揚々と遊びに来られたのでした。その時もこの人変わってると思いました。

Street Car Nationals等のイベントで会う時も、いつも短パンに巨大な帽子といういでたちで、やっぱりこの人変わってると思いました。

その後都内にDetroit Junkなる雑貨店をOpenさせ、さらにいろんな意味で激しい執筆活動を始められて、ついに今も続くコアマガジンBurn Out誌を発刊させてインターナショナルに活躍するKustom Kultureの伝道師としての立場を確立させました、やっぱりこの人変わっています・・・・

Wildman 25周年イベントの時もサポートして頂き、他のイベントも含めてこれまで色々とお世話になって来ました。

まさか四半世紀を経て、結婚式にお呼ばれするとは思っていなかったので本当にビックリしてしまいました。式当日はTeam Nashの面々や海外からの来賓もあり、とても盛り上がっていました。オシャレな結婚式場での開催もWildmanは初体験だったので面白かったです。なにはともあれThe Nash夫妻、御結婚おめでとうございます!!!

で、その結婚式翌日には日本との気温差が20度以上あるタイ王国に行って参りました。暑いんですよ、これが・・・

今回の出張はですね、タイはバンコクでのカスタムカー&バイクのイベント、”Bangkok Hot Rod Custom Show”にお招き頂き、現地でPinstripeデモを行うという物でありました。

マレーシア、インドネシアに続きタイでもこのようなカスタムイベントが開催されるに至って、東南アジアのカスタム業界は熱くなっています。気温も暑いんですけど・・・・

週末の2日間開催されたイベントはですね、多数の車両エントリーがありました。お客様は日中は暑いせいか少ないのですが、夕方から夜に掛けて気温が下がり始めると沢山来られるという流れでありました。暑い国は大変であります・・・

有り難いことに2日間共に沢山のお仕事を頂きまして、イベント会場をゆっくり見ることは出来ませんでしたので、あまり写真を撮ることが出来ませんでしたが、Wildman的にはこちらGo! with MickeyなH/Dが面白かったです。

こちらSpeed Master Wheel装着のクジラクラウン・ハードトップもおシャレさんでありました。

そんなこんなで、ヘルメットやらタンクやらシューズやら沢山のOrderを頂き、もうパンク状態となってしまいこれ以上時間内に出来ないので現地スタッフに頼んでこちらの看板を書いてもらいました。「もう終わりだよ」と書いてあるのでしょうか・・・

エントリー車両の画像やイベントの詳細は一緒に行ったSteveのTrip […]

鬼才ガンディーニの傑作は亀マークのナバホだぜ!!

まったく地球は一体どうなってしまったのでしょう??この前の成人の日、関東地方は強烈な雪が降りまして、横浜市では有史以来初めてとしか思えない積雪13センチを記録しまして、私のような小心者は一歩も外に出られなくなってしまいました。

 

我が家は山の上にございますので、数日間は遭難したも同然となり通勤は長靴をはいてバス停まで25分歩くという悲しい日々をおくる事になってしまいました・・・ナイキじゃないと足が痛いんです。

 

雪はあと30年くらい、横浜市内には降らなくて結構なのです。

そして早く春にならないかと思っておりましたところ、皆様に吉報であります!

第27回Mooneyes Street Car Nationalsの開催が5月19日(日)に決定致しました。当初のスケジュールより変更となり、5月の開催となってしまいましたが、場所はおなじみの東京はお台場になります。

当日、雪は絶対に降りませんし、ゴールデン・ウィーク渋滞もありませんので、カッコいいクルマ、変態なクルマ、奇抜なクルマ、たくさんお待ち申し上げておりますので宜しくお願い致します!!

  

で、カッコ良くて、奇抜なクルマと言えばどう考えてもスーパーカーか三輪トラックになりますよね。

子供の頃、カウンタックと三菱レオは同じような衝撃を受けました。

今でもどっちが欲しいかと言われれば本当に悩んでしまいますよね・・

カウンタックのデザインと言えばカロッツエリア・ベルトーネのチーフデザイナーだったマルチェロ・ガンディーニさんであります。

強そうな悪役みたいな名前ですが・・・

私、この方の作品が大好きなのであります、なのでフェラーリよりもランボルギーニなのです(それよりも三菱レオかもしれませんが・・・)

 

天才ジウジアーロが抜けたベルトーネのチーフ・デザイナーを務めた鬼才ガンディーニは60年代中期から70年代に掛けて数々のスーパーカーやコンセプトカーをデザインし、はるか離れた東洋の島国の少年たちを狂喜させました、いまだに狂喜している馬鹿もここにおりますが・・・

 

ランボルギーニ各車、フィアットX1/9、ランチア・ストラトス、マセラティカムシン等々、極端なウェッジ・シェイプのデザインは一目でガンディーニの作品と分かる物でした、ああカッコいいなあ・・・

と言うことで今回もガンディーニな作品を、実車よりもっとカッコいい「当時物ミニカー」たちで紹介させて頂きます。

まずは名車の誉れ高きランボルギーニ・ミウラです。ジウジアーロの流れを汲む60年代的な美しいラインは今でも色褪せることありませんね。

 

ミニカーの世界でも人気者で当時は世界各国、各社でモデル化されましたが、一番入手しづらいと思われるのがイタリアはEDIL TOYS製のこちらになります。

ミウラのモデルとしては平均的な仕上がりなのですが、このエディル製は何せ生産数が少なく、当時日本にもちょぴっとしか輸入されなかったのです。

あとシルバーのがあるのですが、生涯かけて探すしかありませぬ・・・

お次はフル4シーターのスーパーカー、ランボルギーニ・エスパーダです。

フロントに12気筒エンジンを積んだ4人乗りのおシャレさんですが、70年代から80年代にかけてグリーンのSSSAディーラー車をしょっちゅう横浜市内で目撃し、オーナー様に声を掛けたこともある大好きなランボです。

 

イタリアはPolitoysより素晴らしいプロポーションでミニカー化されており、フルアクションのこいつは12気筒エンジン、4つのシートも再現された傑作であります。全3色揃えるのに15年掛かりましたが・・・

同じく4つのシートを持ちながら何とミッドシップ・エンジンという手品のようなクルマはランボルギーニウラッコであります。

V8エンジンの2+2のスーパーカーは対ポルシェ911を想定していましたが、商売としては惨敗に終わりました。

ついこの前の1976年、小学6年生のときに、東京は目黒通りのミツワ自動車にポルシェの撮影に繰り出し、正面入り口から突入し怒られましたが、帰りにちょうど現FLAT4さんのあたりを歩いていると、メタグリーンのウラッコが走って来たのを目撃したのがウラッコ初体験であります。

こちらもイタリアのPolitoysとMebetoysよりミニカー化されてました。

よく見るとリトラクタブル・ヘッドライトの位置が違っていて、左のポリトーイはボンネットの真ん中あたりに位置していますが、右のメーベトーイはもう少し前になっています。

子供の頃はポリトーイのライトの位置が「真ん中へんで変なの、俺が目黒通りで見たやつはもっと前だったぜ!」と一人ブツブツ言ってましたが、その後、中学生になって調べた結果、ウラッコのプロトタイプは真ん中へんにライトがあり、ポリトーイのはプロトタイプをモデル化したことが判明しました納得。

やはりミニカーで実車を勉強出来ることが明白になったのであります。

そしてお次はランボルギーニ・ハラマです。V12フロントエンジンで2+2のシートを持つごく平凡的なレイアウトのGTカーでしたが、ショートホイールベースのハンドリングに優れたクルマでバランスが良く、サーキットではミウラをしのぐ走りをしたそうです。

地味なスタイルのハラマでしたが、大社長フェルッチョ・ランボルギーニのお気に入りだったそうです。

テストドライバーのボブ・ウォレス共々「あれこそ本当のランボルギーニ」と絶賛していたクルマなのです、鬼才ガンディーニにしちゃおとなしいデザインですが・・・

 

ハラマも当時Politoysからモデル化されてました。スクエアなスタイルを上手く表現しV12エンジンもちゃんと載っております。

[…]

ほろ苦いコーヒーはカウンタックと共に

この夏の企画だった缶コーヒーBOSSのオマケにですね、とても気になるミニカーがまぎれておりました。

今回のオマケシリーズは2缶用に6種の全長8cmモデル、1缶用は9種の全長4,5cmモデルが存在しています。 「ランボルギーニ スーパーカーセレクション」というシリーズで大きいのも小さいのも全部ランボルギーニ車で構成されていました。 60年代のモデルから最新のまで色んな車種を作り、この企画はオタクの方かマニアの方が参加されていたのではないかと推測されます。

   

小さいほうの出来はサイズのせいもありそれなりなのですが、ナゼか一番地味な存在のランボルギーニ・ウラッコの出来がとっても秀逸でした、これは良く出来ました!!

で、2缶用の大きい方のシリーズなのですが、こちらは中々コンビニ等の店舗に置いてなくて、入手するのが難しく人気もあって売り切れ続出状態となっておりました。 この2缶用6種の中にですね、素晴らしい車種選択のモデルがありました。

 

6種の中の3種はカウンタックをモデル化していて、羽根の生えたウルフ・カウンタックや、デブなディアブロ、アウディが造ってるムルシエラゴヤアベンタドールなんてどうでもいいのですが、何とビックリどうしてこれを選んだのか分からないカウンタックのプロトタイプ”LP500”をモデル化していたのです!!! 何でみんなが好きなミウラじゃなかったんだろ??

しかもやたら出来がいいのです。このプロトタイプLP500の「70年代製当時物ミニカー」はあまり出来のよろしくないマッチボックスの物くらいしかなかったので、これは私にとって嬉しいサプライズなのでした。

が、これが中々手に入らないのです。自宅や会社の近くのコンビニを探しても全然捕獲出来ず「こんなことをしてたら本当に売り切れちゃうよ」と心配になって来て、会社のみんなに「LP500プロト捕獲作戦」を発令し協力してもらったところ、Moon Space AgencyのSteve君が東京は中野のコンビニで捕獲してくれたのです。彼は本物のオタクなので中野の「まんだらけ」にもよく出没しますので見掛けたら声を掛けて下さいませ。 何はともあれオタクのSteve君ありがとう!!!

    

で、これが問題のランボルギーニ カウンタックLP500プロトタイプのミニカーであります。

どうです、素晴らしい出来でしょ!!!これぞオリジナルカウンタックのクリーンな姿のなのです。

 

このプロトの実車は一世を風靡したミウラの後継車種として開発され71年のジュネーブショーで発表され人々の度肝を抜きました。 ミッドシップエンジンの前にトランスミッションを配置したりして、乗る人のことを考えない機械としての理想主義を貫いたカウンタックでしたが、難しいメカニズムや性能の事はほっといて何と言っても見た瞬間に誰もが驚き、絶対に忘れられないのがこのスタイルなのではないでしょうか。

このプロトが発表されたついこの前の1971年当時は私は小学校に入学致しましたが、写真の美しいイタリア人モデルのお姉さんは現在60歳以上なのでしょうか・・・・・

当時未来的と言われましたが、カウンタックは結局20年近く製造されたので、やっぱり未来の国から来たクルマだったのでしょうね。

  

プロトタイプLP500は生産型のLP400と違い余計なダクトやスクープを一切持っておらず、LP500S以降の下品なオーバーフェンダーやウィングも付いてないので本当にクリーンな美しいスタイルなのです、ああ岡田奈々並みに美しい・・・・・ コクピットも宇宙船みたいでそのまま未来へ飛んで行きそうです。生産型LP400は全く普通のGTカーのコクピットでしたが・・・

確かにね、あんなに狭いとこにV12エンジンを積んじゃって、エアクリーナーの横に電動ファンで冷却するラジエーターでは、エンジンが冷える訳がないので生産型LP400では弁当箱みたいなスクープやダクトで武装し、何とか公道を走れるまでに仕上げましたがLP500プロトの気絶するほど悩ましいスタイルは完全にスポイルされてしまいましたね・・・

   

ボディも高速で浮き上がっちゃうからLP500S以降クワトロバルボーレ、アニバーサリー等の後期モデルでは色んな羽根を付けてごまかしましたが、族車以上に下品なだけでちっともカッコ良くありません、タイヤも太すぎます。あれをカッコいいと言い切るMoon SpaceAgency、Pan君のセンスが私には意味不明であります・・・・

結局プロトのカウンタックLP500は生産型LP400が完成する頃、クラッシュテストに供されてしまってこの世には1台も存在していないのであります。美人は薄命よのう・・・・

カウンタックなんて見てるだけで十分で実際に走らなくてもいいのですから、そういう変な人の為にLP500プロトもあの姿でぜひ生産して欲しかったです、エンジンレスでも全く問題ありませんな。 見る為だけのカウンタック、これぞ究極のマニア向け変態スーパーカー(実物大ミニカー)なのです。

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芸術作品がバラバラに・・・ベルトーネよ何処へ行く

猛烈に暑い日が続きますのう、とろけちゃいそうですな・・・・・ この前、携帯電話が鳴ったから取ろうと思ってバッグに手を突っ込み電話を握った瞬間なにやらネチョッっという不思議な感触があり、ビックリして手のひらを見た所、1-Shot Paintのミディアム・ブラウンかと思われるような物が手にべっとり付いているではありませんか・・・・ 「ありゃりゃ、これはいったい何ですか??」と手のひらを顔に近づけると何やらスイーツな香りが漂ってます。 「こりゃチョコレートじゃないか!! 何でバッグの中でチョコが溶けてるの??」と一瞬パニック状態に陥りましたが、バッグの底には外国製チョコレートのパッケージと液状化したチョコがこんにちは・・・

はじめは何のことやらさっぱりわかりませんでしたが、6秒後に思い出しました。 いくら私が甘いもの好きといっても常にチョコを持ち歩いたりはしておりません。 これはですね先週のオーストラリア出張の時、帰りの便の機内食に入ってたチョコレートをその時は満腹で食べずに「もったいないから持って帰ろう」と思いバッグの中にポイッと入れてそのまますっかり忘れてました・・・

幸いにも携帯電話と手のひら以外には被害は無く、一緒に入ってたデジカメと30数年来の愛読書である「カーグラフィック」誌は奇跡的に無事でありました。 皆さん、夏場のチョコレートには注意し、機内食は持ち帰らないようにしましょう。

で、今月のカーグラ誌なのですが大変気になる記事が載っておりました。 「オークションに掛けられたベルトーネの至宝たち」という物で、イタリアのカロッツェリア・ベルトーネが製作した6台の歴史的ショーカーがオークションに掛けられ競売されてしまうということなのでした。

1950年代から70年代に掛け、フランコ・スカリオーネ、ジョルジェット・ジウジアーロ、マルチェロ・ガンディーニといった超優秀なチーフデザイナーを配し、BATシリーズ、アルファロメオ・ジュリエッタSS、カングーロ、イソ・グリフォ、ミウラやカウンタック等 の数々のランボルギーニらをデザインしたカロッエリア・ベルトーネが数年前に倒産し管財人が入ってゴタゴタが続いているという話は前から聞いてましたが、今回90台に及ぶベルトーネ所有のショーカーコレクションの内6台が競売されてしまうという事なのでした、寂しいのう・・・ 管財人は残りの84台も買い手を探しているとのことなので今後の動きが注目されています。ミニカー84台なら私が即金で買うのですが・・・・

今回競売されてしまったのは’63シボレー・コルベア・テステュード、’67ランボルギーニマルツァル、’70ランチア・ストラトス・ゼロ、’74ランボルギーニ・ブラーヴォ、’78ランチアシビーロ、’80ランボルギーニ・アトンの計6台でした。 こんな夢のようなクルマ達が売りに出されるとは本当に夢にも思っておりませんでした・・・

このうち3台は私の大好きなクルマたちだったのでミニカーにて御紹介致します。

  

まずは’63シボレー・コルベア・テステュードですが、あのリアエンジン空冷フラット6のコルベアをベースとし、何とも不思議なデザインのボディをまとわせました。 ジウジアーロのデザインでそのテーマはプレスラインがボディ上下半分を分割し、それが亀の甲羅をイメージさせることからラテン語でテステュード(亀の意)と名付けられました。 まるでエド・ロスのショーカーのようなガラスキャノピーがとっても素敵なのです。

    

ミニカーは当然60年代当時物でイタリアのポリトーイから出てまして、ヘンテコ亀さんデザインを見事に表現しております。 実車同様、四角いステアリングも再現されておりますが、今回撮影の為に購入後20年以上経ちますが、初めてキャノピーを開けてみました、怖かった・・・ 実車はたったの30万ユーロ(3,400万円)で落札されてしまいました、安過ぎです。

 

そしてガンディーニデザインによる問題作、’70ランチア・ストラトス・ゼロであります。 デビュー時「今世紀最大のウソ」と自動車雑誌に評されたゼロは全高840ミリ!!という驚異の車高を誇ります。楽勝でETCバーもタイムズのバーも潜り抜けられますな。 ガンディーニはこのクルマで「自動車スタイリングの限界」に挑んだそうですが、限界を飛び越えてると思います・・・さすがカウンタックを生んだ狂気のデザイナーであります。

   

ミニカーはやっぱり当時物でイタリアのメーべトーイ製ですが、ペッタンコなゼロのスタイルを見事に表現しています。 自車同様ドアじゃなくって、フロントガラス??が開きますが乗降はさぞや大変だった事でしょう・・・デザインの限界と言うよりも乗りにくさの限界に挑戦してるようです。 落札価格はたったの68万ユーロ(7,680万円)という金額で想定価格の100万ユーロに達せず超お買い得だったと思います、マジで。

 

そして私にとって夢のクルマだった’67ランボルギーニ・マルツァルまでが競売されるとは・・・変な時代になった物です。 マルツァルもガンディーニの作品ですが、発表当時はSFの世界から飛び出して来たようなデザインでかなりの衝撃だったようです。 ミウラのV型12気筒エンジンを半分にブッタ切って型バンク6気筒のみ使用し、リアに積んで完全4シーターのスーパーカーを作っちゃいましたが、このクルマのハイライトは何と言ってもボディの殆どがガラスで構成されてるようなデザインにつきると思います。ガルウィングのドアも殆どガラス面で、ルーフもガラスとくりゃ日当たりバッチリで「走る日焼けサロン」と化す事でしょう・・・・ 乗ってる人の足も丸見えでビンテージ・ナイキでも履いてたらさぞや目立つ事でしょうな、楽しいな!! インテリアやらテール周りやらあっちこっちに六角形のハニカム模様を配して遊んでいますが、ガンディーニさんはよっぽど蜜蜂が好きだったのでしょうか???

発表当時モナコGPにマルツァルは姿を見せて、レーニエ大公がグレース王妃を乗せてサーキットを1周しましたが、王妃はでっかい帽子を被っていてやっぱりマルツァルの車内はまぶしくて暑そうなのです。

ミニカーは人気者だったマルツァルは当時色んなブランドから出ていて、今回はガルウィングドアがガバッと開くヤツを選んでみました。

  

イタリアのエディル・トーイのは当時物マルツァルのミニカーでは最も入手が難しいですが、ドア部はガラスを省略しフレームだけなのが残念です、形はいいのですが。

同じくイタリアのポリトーイのヤツもドアガラスを省略してしまいちょっと残念なのです。

 

スペイン製のインターカーというブランドはタイヤが経年変化で溶けてしまうといった事で有名なミニカーですが、マルツァルは形自体は良く、殆どの部分をプラスチックで表現したので、ガラス面が多い実車の雰囲気が出ています。 購入後30年以上経っておりますが、タイヤはこの後もチョコレートのように溶け続けることでしょう・・・・

   

同じくスペイン製のナコラルのは1/24スケールのデッカいミニカーですが、デカいだけで何の取り柄もありません・・・・ しかしデッカいガラスのドアをプラスチックで表現してくれたのでマルツァルらしさは結構出ております。 室内も六角形のハニカム模様を再現していてなかなか楽しいのであります。

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「なんだ、これは!」殿堂入りのスーパーカーはカウンタック様だぜ!!

当ブログ読者ならすでに御覧いただいていると思いますが、ムーン・イラストレイテッドvol.6がとっくに発売となっております。 今回のWildmanページはですね、またもやFruityとのコンビによる物ですが、ついこの前の1990年代に一世を風靡致しました雑誌”Cal”へのトリビュートという形でデザインしました。意味の分かる方は「ナール程!」と思いますが、分からない方にはさっぱり分からない構成となっています、そこがいいのですな!! 一字一句、慎重にお読み下さいませ。 何はともあれ本屋さんにGo!であります。ムーンアイズ通販にてお求め頂ければ勝手Wildmanページにサインをしてお届けすることも可能であります!!

で、この前ですね出張Paintの際に首都高速をHiaceにて激走中、「ランボルギーニカウンタック」に遭遇しました。官能的なフェラーリ・ミュージックと違い今にもぶっ壊れそうな爆音がたまらなく素敵で、そこにあるだけで人々を幸せにしてくれる車だと改めて痛感致しました。

ついこの前の1970年代の日本で突然巻き起こったスーパーカー・ブーム時にはその頂点に立ち、少年のアイドルとしてAKB48なんか目じゃないような存在となり、未だにスーパーカーと言えばカウンタックの事を指していると思っております。 昔から自称カーマニアと言われる方々はカウンタックや70’sスーパーカーをバカにしたり興味無い様な素振りを見せてくれますが、カウンタックの素晴らしさが理解できないようでは人間として致命的な欠陥を抱えていると思います。

カウンタックはですね、岡本太郎先生の「なんだ、これは!」という脅威の芸術性を表す言葉がまさにピッタリでありまして、本当にイタリア語でそういう意味の感嘆詞なのです(正式発音はクンタッシュやクンタッチだそうですが) やっぱり日本人にとってはカウンタックという名前の響きが良いのです、名前だけで強そうでカッコ良く感じるじゃありませんか。 これが同じイタリア語でも、ランボルギーニ・バジリコやランボルギーニ・カルパッチョじゃゼンゼン駄目だったでしょうね・・・

嘘八百の最高速度300キロ、高速になればなるほどフロントがリフトし、どこに走って行くんだか分からないスリリングな直進性を誇っておりますが、実は見掛けに似合わずコーナリングは結構良かったりするおませさんだったりします。

そんな事はどうでもいいのです、鬼才「マルチェロ・ガンディーニ」の手によるあの外装デザインと、天才エンジニア「パオロ・スタンツァーニ」による基本設計の組み合わせはまさに「Oh! Countach」なのであります。 空に向かって跳ね上がるドア、芸術としか思えない構造の鋼管スペースフレーム、スペックなんかどうでもいい巨大な12気筒エンジン・・・・全てはカウンタックだけの素晴らしき世界なのです。ああ本当に素晴らしい・・・

ミニカーの世界ではカウンタックが現役の70年代当時、英国マッチボックスのちっこいモデル以外、海外ミニカー業界ではなぜか無視されていた存在で、東洋の島国でのあのブームが無ければまとまなミニカーにもならなかったというのはちょっと意外な事実なのです、なんでだろ?? 70年代のスーパーカー・ブーム時、その人気に当て込んだ日本の「サクラ」というミニカー・ブランドがありまして多数のスーパーカーをモデル化し一時大儲けしてました。そんなサクラがシリーズ第3弾として発売したのがカウンタックLP400でした。 世界初の1/43スケールのカウンタックの登場は待ち遠しく、愛読書の月刊ミニチュアカー誌発売予告のCMが載っていて楽しみにしておりました。 そしてついこの前の昭和52年3月20日発売のカウンタックを求めに横浜市は磯子区の闇市上がりである「浜マーケット」内の玩具店に出撃致しました。 それがこちらミニカーになります。今見れば幼稚なモデルですが、カウンタック最大の売りであった(少年たちにとって)リトラクタブル・ヘッドライトとガルウィングドアー開閉アクションの採用はこのミニカーをベストセラーとしました。なんといっても当時物ということに価値があります。 そしてもう一台の色違いは、まるでちんどん屋さんのようなセンスの白と赤のツートーンになります。これ冗談ではなく本当に実車にあったカラーなのです!! どこのどちら様がこういったカラーにしたかは存じませんが、当時はあまりにも強烈で少年Wildmanは「なんだ、これは!」を連発しておりました。サクラさん、よくぞこの色をモデル化してくれました、御礼申し上げます。 カウンタックのシートに初めて座ったのは、1994年の夏、Blue Maxのダイゴさんがナゼかブラックのカウンタック・アニバーサリーに乗って御所山Studioに来られた時の事でした。 「ダ、ダ、ダイゴさん、これどーしたんですか???」と聞くと「借り物だよ、CM撮影の帰りだよ座ってもいいよ」と言われたのでありがたく着座させていただきました。全く後ろが見えなかったです・・・・

このオレンジのカウンタックは横浜のシーサイド・モーターが入れた新車輸入三号車で、21世紀現在も素晴らしいコンディションに保たれております。数年前の箱根のスーパーカー・イベントで撮った写真ですが、このときMini Truck界の重鎮たち?がこの会場にいた事が忘れられません・・・やっぱりみんなカウンタックが好きなのさ!! ちなみに日本上陸一号車は、60年代の日本グランプリをジャガーやローラで激走し、その後税務署を手玉に取り、ラスベガスに高飛びしホテル王となった「安田銀治」氏が購入されたそうです(黒色) そんなヒストリーもカウンタックらしくてとっても素敵なのです。

何はともあれカウンタックは史上最強のスーパーカーであり、ちんどん屋であり、芸術作品なのです。 ブガッティが400キロ出ようが、バイクの隼が300キロを超えようが、カウンタックの嘘八百300キロの方がゼンゼン説得力があるのですな。

「なんだ、これは!」最高だぜランボルギーニ・カウンタックよ!!!

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