Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

Down Under!! 南半球へGo!して眠くてDownだぜ・・・

皆様お久しぶりでございます。不肖Wildmanこのたび人生初の南半球遠征でコアラとカンガルーの国オーストラリアに行って参りました。 だって華やかな夏休みですもの・・・・

じゃなくって赤道をまたいで仕事をしに行ったのです、仕事を!!ほんとだってば!!!実はですね、オーストラリアはブリスベンという街にて開催されているカーショー”GreazeFest”というイベントがありまして、これまでにイベント記念のTシャツのデザインなんかをさせて頂いておりましたが、イベント主宰のLoriさん(女性)より「ぜひ今年はGreazeFestに来ませんか?」とありがたきお誘いを受け、今回招待されたのでした。

そこで週末3日間開催のイベントに合わせてBossと2人でDown UnderへGo!となったのでした、ほんの4泊でしたが・・・・

ちなみにこちらが今年のTシャツやステッカーに使用されたデザインになります。

で、木曜日の朝に羽田より出発となったのですが、ブリスベンまでの直行便が無いので、まずシンガポールまで行きそこで飛行機を乗り換えてからブリスベンに向かわなくてはならないという恐怖のトランジットなのでした。

   羽田10:55am発の便でシンガポールには夕方17:10pmに到着。そこで4時間以上待って21:25発の便に乗ると翌日の朝6:30amにブリスベン到着となる怖ろしい移動時間なのでした。 朝7時に横浜を出発しているので、殆ど24時間の旅となってしまいました・・・・日本とブリスベンは時差は1時間しかないのに訳が分からなくなってしまいました。

    

訳の分からないうちに借りた今回のレンタカーはこちらの地元オーストラリア製の「ホールデンSV6」なるクルマでした。昔っからGM資本のホールデンですが、日本では見ることが出来ないのでこういったのを運転出来るのは嬉しいですな、カーグラ風にレポートしたいくらいです。

しかしこのクルマ、排気量は3.6リッターもあってレンタカーとして考えると???という感じです。大袈裟なレンタカーですね。

      

早速ブリスベンの街に繰り出しましたが、なんか変なのです・・・ だって目の前に広がる景色はまさにアメリカとおんなじで、当然看板なんかの文字も全部英語だし、建物のデザインや街並みも全部アメリカしてるのに道路は左側通行でクルマは右ハンドルときてるから走る感覚は日本とおんなじ・・・・ 外国に来たらやっぱ右側通行で左ハンドルというふうに体が覚えているので、最初は景色とのギャップににとまどってしまい、本当は左側通行は得意なはずなのに慣れるまでとっても変な感じでした。

 

あと、日本でいうところのロータリー交差点が沢山あって(トラフィックサークル)そこは信号が無いのでロータリー侵入のクルマの優先権をつかむのにとまどいました。永遠にグルグルと廻っちゃいそうです、やっぱ小心者ですので・・・・

    

街中では旧いクルマは殆ど走って無く、この程度の物しか見られませんでした。サニトラはよく見かけましたが、何と言っても目に付いたのは200系ハイエースでして商用車として沢山使われていました。凄い生息率でオーストラリアではヒット商品なのではないでしょうか。

名前もHIACEとそのままでしたが、この和製英語のようないい加減で不思議なネーミングのまま販売しているのですね。だったらウルトラマンエースでもベンザエースでも何でもいいですね・・・

  

オーストラリアと言えばヘンテコピックアップの国ですが、ホールデン始めこのように劣悪なデザインが好まれているのは何とも切ないですな・・・どうしたらこのようなデザインセンスになるのでしょうか。

   

今回のお宿はこちらの画像の”Brisbane Street Studio”というこじゃれたネーミングとデザインのモーテルでした。部屋は綺麗だし、お湯もちゃんと出るし、トイレもちゃんと流れるし、生活用品も全部揃っていて、建物から見える青空もこんなに素敵だし、「こりゃ結構いいかも」と思ったのは昼間の内だけなのでした・・・・

だって建物の目の前は主要幹線道路で、朝夕ひっきりなしにクルマが走ってて、デッカイトラックもディーゼルエンジンの雄たけびと共に早朝から爆走し、救急車は通るし、犬はうるさいし、目の前は信号のある大きな交差点なので、信号が変わって発進時の音も強烈で、Bossともども全く眠ることが出来ずノイローゼ気味になってしまいました・・・・ ここはまさにStreet Studioといった感じでおかしな名前で判断しておくべきなのでした、一本取られましたな。

  全然眠れないので頭に来てTVを見てたらオーストラリアでは絶大な人気を誇るスポーツ、「クリケット」の試合をやってたので観戦してましたが、いくら見ても何が何だかさっぱりルールが分からず、しまいには「一体こんなことをやってて何が面白いのか!!」とキレ気味になり、ますます睡眠不足になってしまいました・・・・完全にDownですな。

あ、これはオーストラリアドルのお札になります。なぜかどの金額のお札も一部シースルーの透明な部分があり向こう側が透けて見えます。なぜだろうと考えると余計眠れなくなりました。

さて今回の参加イベントGreazeFestは週末3日間の開催で、金&土曜日は夕方6時からスタートで深夜1時までという寝不足野郎にはつらいスケジュールのライブ中心の物で、最終日の日曜日は朝から夕方まで終日カーショーを行うといった感じなのでした。

というわけで、最初の2日間は日中はヒマになってしまうのであっちこっちに行ってみました。 でもあくまで仕事なのでコアラやカンガルーと戯れる事は出来ませんでしたが・・・・

   

こちらはこの50系クラウンセダンを愛している板金&レストアショップSmooth CustomsのKellyさんであります。やたら話し好きの人で、何かひとつきっかけを作ってしまうと永遠にしゃべり続けるような方なのでした、親近感を感じますね。

   

クラウンについてるこのエンブレムはオーストラリア仕様の貴重なものだそうです。 Go! Crown Classics

   

Kellyさんがレストア中のこのヘンテコクルマは’62年式のホールデン ステーションワゴンになります。GM資本なので仕方ありませんが、どう見ても’57 Chevyにしか見えませんな。 このようにテールの処理はまんまChevyになります。かなり気合を入れて直していて、完成したらきっと素晴らしいクルマになることでしょう。日本では理解されませんが・・・

そしてお次に向かったのはオーストラリアのクルマ雑誌”Cruzin”のエディターであるGavinさんの所です、こちらのデッカイお方になります。態度はウチのカリスマ店長の方がデカイですが・・・

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チープな物ほど入手困難!?幻のディーノは思わぬとこからやって来た!!

この前、力道山先生がロールスロイス・シルバークラウドのオリジナル・ピンストライプの補修でMoon Garageにやって来ました。先生は夏の巡業で忙しくてお疲れのようで、ロールスのボディをを少しこすってしまったのです。

というのは暑さによる白昼夢だったようで、やって来たのはこちらのロールスロイスコーニッシュでした。こちらはボディーのペイント補修によって消えてしまったピンストライプを復元するというお仕事でした。

ロールスへの作業時は、クルマの後ろに力道山先生が立って監視されているような気がして、小心者はいつも緊張してしまいます・・・・

で、先日自室に引きこもって本を探していたところ、全然違う本がいっぱい出て来てウットリと見とれてしまいました。その中に美しい表紙の60年代Road & Track誌が何冊かありまして、’68年9月号の表紙写真は日本でも人気のクルマが素敵な構図で出ていました。

「ピニンファリーナ・ディーノ206・ベルリネッタ・プロトティーポ・コンペティツィオーネ」という早口言葉になってしまいそうな素晴らしく長い名称を持つこのクルマは1967年にピニンファリーナのパオロ・マルティンというデザイナーががディーノ206SP(フェラーリ)というレーシングカーをベースに作った実験用のデザインスタディで非常に美しいボディを持つワンオフモデルでした。

  発表当時世界中のカーショーを巡業したようですが、それから数年後突然日本で起こったスーパーカーブーム時には日本にもやって来てしまい(1977年7月)懐かしの晴海展示場に飾られてスーパーカー少年たちを狂喜させました。 何で少し前の時代のマイナーなプロトタイプカーが最新鋭なスーパーカーばかり追っていた当時の少年たちの注目を浴びたのかと言いますと、ブームを作った漫画である池沢さとし先生作「サーキットの狼」の中で主人公の風吹裕也がこのディーノをベースにした架空のレーシングカーである「ディーノ・レーシング・スペシャル」(ディーノRS)を駆っていたからなのです。池沢先生が勝手に作ったクルマですが、元ネタはディーノ206コンペティツィオーネでした。

少年たちの目にはディーノRS=ディーノ206コンペティツィオーネと写り、漫画の世界から実車が飛び出して来たように感じられました。漫画のディーノRSは当時プラモデル化され多額のロイヤリティが池沢先生の元へと行ったことでしょう・・・・ファンだから嬉しかったですけど。

で、ディーノ・コンペティツィオーネの当時物ミニカーなんですけど、実車発表当時の60年代後半に何点か作られて、その数年後日本のスーパーカーブーム時に日本製のモデルが勢いで作られてしまいました。

まずは本家イタリアの「ポリトーイ」という60年代後半に隆盛を誇ったミニカーブランドから出たのが1/43スケールのこのモデルです。完璧なプロポーションを誇り、今見ても見事に実車のイメージをとらえていると思います。私がコレクションを始めたついこの前の1975年時点ですでに絶版ミニカーでしたが、1976年の夏に当時通っていた鶴見のチェッカーというミニカーショップの絶版車コーナーに¥500というプライスが付いて販売されてるのを発見しました。その日はマッチボックスを買う位のお金しか持ってなく「出直して来週買いに来ましょう」と思い、本当に来週出直したのですが、ディーノはすでにどちら様かがお買いになられたようで無くなっておりました・・・・教訓、絶版ミニカー見つけた時に買う事!!!2台色違いで揃えるのにその後数年掛かりましたとさ・・・

お次は小スケールモデルで手前の赤いのが上記ポリトーイの小スケール版である「ペニー」というブランドで小さいながら良い形をしております。 後ろの紺色のは同じくイタリアの「スピ—ディ」というブランドで車高の高いのがNGですがプロポーションは結構良いのです。

狂ったようなスーパーカーブーム時にはミニカーメーカー以外の会社がブームに便乗してスーパーカーのミニカーを販売しました。こちらはモデルガンのマルシンが作った物ですが、エアインテークのスイッチを押すとガバッと開くと言うキケンなアクションを備えていますが、難しいディーノのプロポーションを良く再現しています。

こちらはソフビなんかの人形が有名な亀さんマークの中島製作所が突如として作ったモデルですが、難しいディーノのプロポーションをさらに難しくとらえてしまったようで最悪の出来のミニカーとなっております、ヒド過ぎます・・・・しかしあまり売れなかったので入手は意外と難しかったりします。

ブームが終わる頃、プラモメーカーの「エーダイ」が1/28スケールの大きなシリーズでディーノのミニカーを作りました。デカいだけに迫力満点の作りでプラモで鍛えた技術により完璧なプロポーションを誇り、日本製ディーノのミニカー史上最強の出来栄えとなっております(持論)こちらもブームの終わり頃に作られていて販売台数が多くなかったようで、レアなミニカーとなっています。スーパーカーブーム去った後、エーダイは倒産してしまいました・・・・

こちらは懐かしのスーパーカー消しゴムになります。ちゃんとディーノも作られていましたね。

で、やっと本題に入ります。ちょうどスーパーカーブームが熱い頃、愛読書であった「月刊ミニチュアカー」誌で「世界のスーパーカーモデル」という連載がありました。昭和52年5月号はディーノ特集で246gtやコンペティツィオーネのミニカーが色々と紹介されていました。

「フン、フン、これ持ってる、これ持ってない」なんて見てると、先程紹介した小スケールモデルのペニーやスピーディーの横に怪しげなミニカーが並んで写って紹介されていました。「ティントーイWT206番、色は赤だと、何じゃそりゃ!!」と叫ぶ少年Wildmanはその日からこのミニカーを探さなくてはならない宿命が生じてしまったのです。ティントーイっていうブランドは香港製のいわゆる駄玩具でありまして、現在はソコソコ評価されるも当時のコレクターにとっては殆どゴミのような扱いでありました。ミニカー屋さんや玩具店で売ってる訳ではなく、パチンコの景品や縁日の夜店、駄菓子屋なんかが流通経路で運が良くなければ巡り合えない不思議なチープミニカーの一つでした。

  その日からずっと探しまくりましたが、一向に出会うことなく1980年になって横浜駅西口にあったハマボウルにアイススケートをやりに行ったところ、入り口付近にあったミニカーの自動販売機?に何とティントーイのディーノが入ってるではありませんか!!有り金はたいて(確か一回¥200)ガチャガチャとやりましたが、一向にディーノは出てこずいらないゴミミニカーの山となってしまいました・・・・・その後数回横浜駅西口に行くたびにチャレンジしましたが結局ディーノは出て来ませんでした。

  それから20年以上が経過し、少年は変態になっておりましたが出会いってあるものですね。現在は鎌倉でStudioを構える同業者のS氏(旧E氏)とはクルマなんかの趣味がとっても合いいつも楽しい会話が出来るのですが数年前一緒に食事中にひょんなことからこのディーノのミニカーの話題となりました(何でそうなったんだろ・・・・)そうしたらですねS氏もその昔、地元で見つけた例のミニカー自動販売機でディーノを発見、何回もトライした結果見事ディーノをゲットしたのでした!!おめでとうございます。(ゴミミニカーも多数ゲットしましたが)

何ともうらやましいお話だったのですが、何とS氏は私にそのミニカーを譲ってくれると言うではありませんか!!嬉しい限りでございます。こちらのモデルになります。他のゴミミニカー達も一緒に我が家に来る事となり、ディーノは20数年経ってやっと私の手元に不思議な縁でやって来たのでした、めでたし、めでたし。月刊ミニチュアカー誌と同じ角度で写真を撮ってみました。これで昇天出来ますね・・・

その後、ストリートカーナショナルズのスワップミートでブルーのガラスのを入手出来、2台体制も整い老後の準備も完璧なのです、ああ嬉しい。

何だかんだで20年以上ふりまわされた駄玩具ディーノでしたが、長くコレクションしてると色々な方々のご協力で色々な物が集まって来るのです、皆様本当に有難うございます!!

 

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いつも手元にバイブルを、31年後も白昼夢??

カニ食って行こう〜♪ というわけでとっても美味しいカニを食べにアメリカまで行って来ました。タラバガニは焼くと風味が増し最強の御馳走となりますね!!

今回はなじみのバフェであるHOKKAIDOではなく、ちゃんとしたレストランなんかで5日間の滞在中3日もカニを食すという美食倶楽部なみのぜいたく三昧でした。カニを食べに西海岸へGo!! なんて素敵な旅なのでしょう・・・ああ良かった。

じゃなくってですね、7月9日にMooneyes USAにて開催されたOpen HouseでPinstripeデモを行う為に行って来たのですよ、仕事ですよ、仕事、本当だってば!!!このイベントの模様はですねMooneyes Mail Magazineにて日本在住のアメリカ人であるSteveが詳しくレポート致しますので、ぜひそちらをご覧くださいませ。

アメリカ出張に行く前に、このような感じで今年の20th Hot Rod Custom Showのロゴを仕上げました、もちろん手描きで。もうそんな季節なのですね、今後ポスター等も仕上がって行きますので、Showの詳しい内容等、日々Mooneyes HPをチェックして下さい。

で、やっと本題に入ります。この春にですね、2冊立て続けにナイキに関する本が出版されました。しかも両方共に内容はヴィンテージ・ナイキに絞られておりましてとっくの昔にヴィンテージ・ブームなんか去ってしまったのによくもまあ強気にもこのような本を出版されたものです。共に高い志を感じます、あっぱれですな。

2005年に”Blue Ribbons”という非常にデザイン性の高いヴィンテージ・ナイキの資料本が出版され、マニア達を狂喜させましたが、そういった内容ではそれ以来の本になると思います。

まずネコ・パブリッシングから出たのはその名もズバリ”NIKE VINTAGE”「’70〜’80年代ナイキの大図鑑」という物ですが、入手に苦労致しました・・・・予約も何もしてなかったので、普通に近所のツ○ヤに買いに行った所、最後の一冊が残ってました。「ああ、良かった」と手に取ると何故かビニール袋に包まれていてビニ本になってました。包まれてるから何もチェックせずに購入し、家に帰って袋を開けてビックリ仰天!!立ち読みしたバカヤロウが本をめくった時に折ってしまったページが多々現れ、表紙のコーティングもこすれてハガれ始めているではありませんか!!!本を財産と思っている私にとってはこれはジャンク以外何物でも無いので、一瞬気を失いそうになったのは言うまでもありません・・・

 

すぐにツ○ヤに引き返し「これは変態的にみるとジャンクですね、交換して下さい」と頼んだところ「出版元在庫なしで売り切れです、交換出来ません」と信じがたい展開となりました。「だってこれってこの前出たばっかじゃん、いくらなんでも売り切れのはずがない!!」と抗議しましたが「入荷見込みが立ちません、返金します」となってしまいました。「ふざけんなツ○ヤ!!、ジャンクのビニ本売ってんじゃねえ!!」と叫びながら(心の中で)納得の行かないまま寂しく家に帰りました。

 

そんな馬鹿なと思い、ためしにネコ・パブさんのオンラインショッピングでオーダーしてみたところ、あっさり「在庫あり、すぐ発送出来ます」との事・・・・・2日後には届いて何だか気が抜けてしまいました。で、この本の内容はですね、スニーカーよりもTシャツやジャージ等のアパレルがメインとなっているこれまでにない作りで、中々面白い物になっております。夢のあるヴィンテージアパレルのデザインが楽しめますよ。デザイナーさんの参考資料にもなりますね。

もう一方、エイ出版から出されたのは別冊ライトニング「ナイキ クロニクル」というタイトルでナイキで苦労するではありません・・・・昔の少年ジャンプ並みに分厚い本でして、これで¥1,260とは何ともお買い得といった感じなのです。こちらはかなりのバリエーションでスニーカーを紹介し、アパレルやグッズ、広告等まで幅広くヴィンテージを追っていて、ある程度のマニアじゃないととても付いて行けない内容になっています、素晴らしい!!!(成田空港でも売ってました)こちらはWildmanなんか比較にならないほど、度が過ぎている変態コレクター様たちが全面協力して作り上げた一冊で、好きな人が好きなように作った物なので、強烈な内容は後世に伝わる一冊となることでしょう・・・・コレクターの皆様に感謝であります。

  で、久々のナイキ本出版に一人感動してしましましたが、私にとって最強のバイブルはついこの前の1980年の暮れに、上大岡駅の「赤い風船」にあった本屋さんで出会ったこちらの本になります、31年間ずっ〜と一緒であります!!!「ザ・スポーツシューズ・ブック カタログ825」という本で’80年当時の最新スニーカー825足を全てカラー写真で紹介するという前代未聞の無茶苦茶な企画なのでした。

ジョギング&ランニング、テニス、バスケ、野球、サッカーその他もろもろ、当時存在したあらゆるスポーツシューズを解説付きで載せていて、当時の値段も出てるので大変貴重な資料になっております。

スニーカーショップも掲載されていて、当時私が通ったアスリートフット元町三愛店も出てました、ヒゲの店長が懐かしいぜ!!

何はともあれ「マイ・ファースト・ナイキ」を体験した16歳の私にとってこの本は夢の世界へ連れて行ってくれて、毎日ページをめくっては「これも買う、絶対あれも買う」と白昼夢の中、一人勝手に騒いでおりました(買えるわけないけど) しかし今見てみるとこの本は本当に凄く感じられ、デジカメもパソコンもない時代に825足も撮影してそれぞれにキャプションをつけるなんて狂ってます、凄過ぎます!!ちなみにカメラマンさんは6名の名前が連なっておりました、御苦労様でした・・・

  同じような角度で写真を撮ってみましたが、スニーカーの値段て31年前の方がずっと高い感じですね・・・この頃の一万数千円や二万円て、現在で言うと三万円位の価値に思えてしまいますね、ホントーに・・・・・

 

 

今ブログを書きながら又もやこの本を読みふけってしまいましたが、31年たってもやっぱり夢の世界に連れて行ってくれます、白昼夢は終わりません。

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KISS Alive!海賊版にゾクゾクしてたあの頃

先日ですね静岡の同志のお客様より、このようなイラスト製作を依頼され楽しく作業させて頂きました、誠に有難うございます。暑い夏にぴったりの熱い作品となりましたね。

ところで少し前にこのようなCDがでました。ジャケットは’77年日本初来日時の写真が使われ、タイトルは”KABUKI・BEASTS Kyoto 1977”で邦題は「狂獣四人男 京都一九七七」というものです、ウ〜ム何ていいかげんなんだ。

「KISS 鬼巣」なんて表記からしても怪しいこのCDはもちろんKISSオフィシャル版ではなくいわゆる「海賊版」というやつです、ブートレグですね・・・・

  KISSの海賊版音源なんて星の数ほどありまして、最近は無理に求めようとしなかったのですが、このCDにはちょっとビックリしてしまい即効入手となったのです。だってKISS初来日時の音源は天下のNHKが放送した「ヤングミュージックショー」をはじめとする東京公演の「日本武道館」のものしかこれまで出回って無く、京都公演の「京都会館第一ホール」のものがあったなんて全く知りませんでした。

このCDのオマケとしてミニポスターが付いているのですが、そこにはこの音源が録音されていると思われるソニーのカセットテープが写っていて、肉筆で生々しく「KISS京都公演 1977. 3.26(土)6:30pm 京都会館第一ホール2階9列86番」と書いてあります。2階席の最前列端っこにて必死に録音した模様です・・・・まさに「隠し録りここに極まる」といった感じで、よくもまあ30年もこの音源を出し惜しみしていたものです。京都公演77分の収録ですが音質はソコソコで、こちらを提供して下さった隠し録り名人に感謝です。

  で、こういった海賊版なのですが、ついこの前の70年代後半にKISSを聞き始めた頃は私にとって全く謎の物体でありました。だってレコードっていうのはビクターとかおっきい会社がアーティストと契約して出していて、街のレコード屋さんとか楽器店で正規ルートで購入するものであって、輸入版なんか「付録も付かないし安っぽくて変なの」と思っていたくらいの無知でありました。

ところがですね、ミュージックライフなんかの音楽雑誌を見るようになると、巻末のモノクロページの広告に「貴重盤」と称したレコードを売ってるお店が数店舗載っています。

「貴重盤とは何のこっちゃ、一体何が貴重なんだろ??俺にとってKISSのレコードは全部貴重なのに・・・」と疑問が生じてきました。 そうこうしているうちに80年代に入ってしまい、いてもたってもいられなくなり「一体貴重盤とはなんぞや、この目で確かめねば!!」と思い立ち、モノクロ広告をたよりに東京へ繰り出すことにしたのです。「貴重盤」を売ってるお店は新宿界隈に集中してることが分かり、京急と国鉄を乗り継いで新宿の街に繰り出しました。新宿なんて小学生の時に小田急ミニカーフェアに繰り出して以来の再訪でした。

  ミュージックライフの地図を頼りに裏通りにある貴重盤なお店を探し当てると、そこは街のレコード屋さんとは違い怪しげな店構えで、レッド・ツェッペリンがガンガン鳴り響いておりました。小心者としては店に入るのも恐ろしい位です・・・・

  勇気を振り絞って入ろうとすると長髪の店員さんがいきなり声を掛けてきました。「ウワッ殴られるぞ」と身構えたら「カバンはここに置いていって下さい」と入口横のベンチみたいなのを指さしました。「ハイ、すみません」と反射的に答えてカバンを渡して店にやっと入れました。

  店内には沢山LPレコードが並んでいて、やっとKISSの棚を探し当てました。「こ、これか貴重盤というのは!!」とジャケットを棚から引き抜くと「あれ、なにコレ???なんか変??」と思いながら掴んだLPレコード達はどれもこれも真っ白なジャケットでそれにコピーしたモノクロKISSの写真がペロンと貼ってあるだけなのでした。自分でデザインした方がもっといい物が出来そうだと思いました。

KISSと言えばハデで豪華なデザインのジャケットがウリでしたが、「貴重盤」のお店にあった「貴重盤」はまるで手作りのような風情を醸し出しておりました。 「どれもこれも何だかわからんが、どのジャケットにも日付や地名が書いて有るからきっとライブ・バージョンのレコードなんだ」と解釈出来ました。 が、値段が高い、高過ぎる!!通常のオフィシャルLPレコードよりも高い金額で売られていて「なんでこんないい加減なジャケットなのにこんなお値段なの??」と一人ブツブツほざいておりましたが、中身は興味津々なのでビックリなお値段でとりあえず1枚だけ買って帰ることに致しました。

ジャケットの写真が気に入りこれに決めたのですが”Destroys Anaheim”というタイトルで’76年8月20日に収録されたのアナハイム・スタジアム公演のものでした。ウ〜ム、夢のカリフォルニアだぜ!!!これが「貴重盤」つまり「海賊版」との出会いとなりましたが、家に帰ってステレオの針を落としてこれまたビックリ!! スピーカーから流れて来た大音響は雑音なのかKISSのライブなのかさっぱり分からない物で、ビクターのオフィシャルライブアルバムのような音を期待していた無知な私としてはただボーゼンとするばかりでした・・・レコードクリーナーで拭いて何度聞き返してもそれは同じで(当たり前だ)ステレオの前で「だ、だまされた・・・」とヘナヘナになっておりました。

  「そうか貴重盤というのはどこかの悪い人が勝手にラジカセかなんかで録音して勝手に売ってる物なんだ、なんて悪いやつらなんだ!!でもそれを買ってる俺も悪いのか??」と憤慨しておりましたが、何度か聞き直してると雑音の向こうにはオーディエンスの歓声や拍手が聞こえ、未だ見ぬ海の向こうのKISSのライブの興奮が伝わってくるではありませんか!! ポールやジーンのMCも何とか聞き取れ、次第にライブ会場にいるような雰囲気がしてくるのです(根が単純なもので・・・) 「こりゃ面白いかも、他にも聴いてみたいぞ!!海賊盤バンザイ、小さなバイキングビッケだぜ!!」と新宿通いが始まり少しずつ海賊盤に手を出すようになってしまいました。

中でも自分が見に行けなかった’77年初来日時の2枚組”Takes Tokyo”武道館公演は、まさかこんなのが出てるとは思わなかったので感動モノでした。

こちらはそのジャケット違いで、当時必死にさがしました。その後も聴いてみなきゃ全く中身が分からない怪しい海賊盤を買い続けましたが、ある時中古レコード屋さんも海賊版が売ってる事に気付き、お安く入手出来るようになりました。(さすがにしょっちゅう新宿まで行くのは面倒くさいと思ってたので)

その後海賊盤はだんだん豪華になって行きカラーのジャケットやボックスセットが出たりして、マニア心をくすぐりましたが、CDの時代になってから簡単に貴重な音源が手に入るようになりデモテープまで流出するようになってしまいました。余りにも膨大な数の音源が世に出て来るようになり、個人的には飽きてしまいました・・・・

  「海賊盤」と言えば私にとっては白い紙ジャケットの「貴重盤」のことを指し、CDではなくLPレコードでなくてはダメなのです。西新宿の怪しい店に行って、中身も分からずスリル満点の買い物をするのが海賊盤の本来の楽しみ方なのであります!!!う〜ゾクゾクしてきたぜ!!

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ゴミか芸術か!? 箱が命のミニカー・コレクション(外国車編Part II)

先週末にですね、新装なったVWとMotorcycleのSpecial Shopである”One Low”さんのOpen Houseにお招き頂き、美味しいBBQを頂いてまいりました、御馳走様でした。

思えば3月の地震の時には、こちらの建物の3階部分の看板文字描きをしているまっ最中でありましたが、強風なのかめまいなのかさっぱり分からないまま3階足場の上でひとりフラフラしていましたが、今こうやって見てみるとやっぱり高いですね・・・

お、こんな所に可愛い仔猫が!! 捕まえて家に持って帰ろうと思いましたが、そんなことをしたら我が家では7匹目のネコとなってしまい、エサ代で破産しそうなのであきらめました・・・

One Lowさんの手前エリアは横田基地がありますが、その周辺はなんとも趣きの有るこういったお店が立ち並んでいて「基地の街」というのを感じさせます。 横浜には無くなってしまった風景が沢山あって楽しそうなので、今度じっくりと再訪してみたいです。 で、先週からの引き続きでミニカーの「箱」のお話の時間がやって参りました。 本当にですねミニカー本体も箱も60年代までの製品は各国の作り(デザイン)の違いがよく出ておりまして、マニアなら一発でどこの国のどこのブランドのミニカーとわかるのでした。私も98%以上の確率で言い当てることが出来ると思います。 何て言ってるとまた勝手な話が終わらなくなってしまうので、ミニカー(の箱)を紹介して行きます。 芸術の国イタリアでは、芸術的なミニカーが60年代までは多数生産されておりました。 中でも「マーキュリー」というブランドは箱絵が秀逸なものばかりで、時には中身よりも箱絵にウットリしてしまいます・・・・

マセラティ3500GTですが実車の特徴であるロングノーズを協調し、箱絵もミニカーも確実に実車以上の仕上がりとなっております。バックの芝生もたまりません。 コレの実車は60年代、突発的に日本に上陸致しましたが、当時では宇宙船を買うくらいの感覚だったのではないでしょうか・・・

同じくマーキュリーのランチア・フルビア・ラリーカーですが、これはもう完全にアートですね。雪のモンテカルロ・ラリーを疾走するフルビアのイラストはヘッドライトの明かり、舞い散る雪、共々臨場感あふれるのでした。 ドライバーとコ・ドライバーの会話も聞こえてきそうで、これは額に入れて飾りたいくらいなのです。

イタリアのTOGIというマイナーなブランドは90年代に入って再販されてしまい私をとってもがっかりさせましたが、60年代オリジナルの箱絵はこんなに素敵だったのです。 鬼才フランコ・スカリオーネのデザインによるアルファロメオ・ジュリエッタSS(スプリント・スペチアーレ)はWildman的には好きなデザインベスト5に入るクルマなのです。その昔、俳優の夏木陽介氏も乗られていましたね。 箱絵はそのまま絵本にもなりそうなくらいの仕上がりですが、その時のタイトルは「ジュリエッタ君の冒険」で決まりです。 お次は地球の裏側で作ってたアルゼンチン製ミニカー達(の箱)です。いいですよね、南米産・・・日本やヨーロッパのデザインで製造はアジア諸国なんていう下請け生産の大人向けの個性無きミニカーたちとは違って、自国の子供たちの為に自国で作ったミニカーというのは最高なのであります、スピリットが違います。 アルゼンチンの「ブービー」というブランドは1950年代後期よりミニカーの生産をしていて自国ではかなりのシェアを持っていました。

フォード・ファルコンですが、当時あまりミニカー化されなかった車種なので貴重な存在となっております。箱絵もご覧の通り実車カタログ並みのクオリティーのイラストが描かれ、中身よりも感動してしまいます。

シェビーII ノバはレース仕様となっておりまして1970年代劇画タッチでサーキットを疾走する4ドアのノバが描かれています。 ミニカー本体のボンネットを開くとそこにはナゼかストレート6が鎮座されていてとってもエコなレーサーになっております。

メルセデスのトラックはブービーの傑作ミニカーとなっていて、物凄く出来がいいのです。これを初めて手にした時は「南米産ミニカーおそるべし」と思いました。 箱も立派なデザインで、工事現場に向かうおっちゃんの威勢良い声が聞こえてきそうな迫力があります。

おフランスの芸術はティンプレート(ブリキ)製のべラム・イセッタになります。 モデル自体もおにぎりのようでそのまま食べてしまいたいくらい可愛いのですが、箱絵に至っては問答無用の芸術で、あまりの迫力に言葉を失ってしまいました。 天才赤塚不二夫先生のキャラクター「べし」も逃げ出しそうなくらいのイラストです・・・これでいいのだ!! JEPというおフランスのブランドはプラスチック製ボディーにダイキャスト製のシャシーを組み合わせるという不思議なミニカーを作ってました。 不思議なのはミニカー本体だけでなく箱も不思議な作りで、組み上げると何とジオラマ風景になるというイカしたヤツなのでした。

シトロエンDSは岸壁で自分のコレクター人生を振り返っているナイスミドルが表現されているようです。

変なクルマ、パナールは箱を組み上げるとドーンとお城がおっ建っていて、もっと変になるのでした。意味分かりません・・・・ そしてやっとミニカーの故郷、英国製品(の箱)のご紹介です。 Hot Wheels登場以前に隆盛を極めた英国レズニー社のマッチボックスは 幼少時代もっとも親しんだミニカーなのでした。トミカなんてまだなかったし・・・ 当時絶対に買ってもらえなかった豪華ギフトセットがこちらになります。 RACE’N […]