Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

さらばKISS, 42年間有難うございました!!

この1ヶ月少々の間にですね、台湾に行きタイに行き、Yokohama Hot Rod Custom Showが開催され、その後はアメリカに飛んでMQQNEYES USAのイベント、Christmas Bashに参加しフラフラと日本に戻って参りました。

何が何だか分からない日々を過ごし、混乱した毎日となっておりましたが、その先にはただ一つ、12月11日に大きな目標が待ち受けていたのです。私にとって令和元年、いや人生の中でも最大級のイベントとなるそれはもう言葉では表せないものとなったのであります!!!

我がKISSが”End Of The Road World Tour”で来日し、日本における最後のライブ開催となりました。KISSは1973年の結成以来46年間の活動となっておりますが、ついにライブをやめることとなりまして、事実上の引退ツアーとなったのでございます。

KISSと言えばライブ、火を吹き、血を吐き、空中をさまよう奇想天外なステージでファンを魅了して来ましたが、Gene Simmonsも今年はついに70歳となりまして、Tシャツとジーンズで椅子に座ってギターを弾いている分には全然大丈夫ですが、24キロの衣装を身にまとい火を吹いて2時間のステージで暴れるのはもう無理となったようであります・・・・そりゃそうですね。

今までも「やめる、やめる詐欺」を繰り返して来て「やめるのやっぱや~めた」などと言ってましたが、今度は本当にThe Endとなるとの事で、私もその言葉を信じております。

6月に日本ツアーが発表となり、人生掛けて申し込んだチケットは定価で

何と\150,000也・・・・・見事12月11日東京ドームのVIPパッケージ、

“Meet & Greet Experience”を手にして待つこと数か月、ついにその日がやって来たのであります。

もう¥150,000なんて法外なチケット代金はですね、感覚が麻痺しているので安いんだか高いんだか分からなくなっていました。「もう最後だし、ケチる理由はこれっぽちも無いぜ!」と豪語し15万振り込んだことなんてすっかり忘れてました。

ついこの前の1977年(昭和52年)KISSが初来日し、NHKのヤングミュージックショーで武道館ライブを放送し、あの怪獣4人組が歌手だったという事実を知り、それ以来42年間ずっとファンであり続けた私は、一度もKISSから離れることなく過ごして来ました。

レコードからグッズ、ありとあらゆるKISS物を収集し、KISSに捧げた42年間は全然後悔しておりません、地獄の収集はEndlessなのです。

おととし位に感じるついこの前の1988年に10年ぶりの来日をした際、横浜文化体育館でのライブにシェルビーGT350で乗り付けて以来、日本でのライブは毎回参戦し、ついに今回が最後となったわけであります。

首を長くして待っていたら日本に来る直前のオーストラリア&ニュージーランドのライブはPaul Stanleyがインフルエンザに掛かり何と中止になっているではありませんか!! 「こりゃまずい、ポールの具合次第では日本ツアーも中止か?そんなことになったら生きて行けない」と小心者はビクビクしていました。

しかしポールの具合は良くなったようで、特に延期や中止のアナウンスも無く、KISSは無事日本に到着したようです、ああ安心だ・・・・

私はですね大枚¥150,000を支払ったおかげで、VIP優先レーンなる物に並べば11時からの販売開始時間に先頭で購入出来るという特典が付いておりましたので、余裕をもってその風景を眺めてました、だって15万も払ったんだもんね!!

「これとこれとこれ全部頂戴!!」と言ってたくさんのTシャツやパンフレットを買ったので「恥ずかしいな、隣りの人に見られたら何て思われるのでしょう」と不安になっていると隣の人はもっといっぱい買ってました・・・今日はみんな完全に狂っているようですな。

色々と買いすぎて持ち切れなくなったのでコインロッカーにグッズを預けて、その後は一緒に参戦の方々と神保町のキッチン南海にて高カロリーなランチを食し、また東京ドームに向かいました。

VIPチケットの人は3:30pmに22番ゲート下に全員集合!!となっておりましたので、現場に行くとだんだんと列が長くなって行きます。「仙台のライブはVIPが100人くらいだったという噂を聞いていたので、東京は倍くらいの人数がいるかも?」なんて考えていたらその列はディズニーランドの行列のようになって来ました!? 先頭グループに並んでいたのでじゃあ数えてみましょうと、必死に人数をチェックすると何とビックリ400人は

いるじゃありませんか!! 「うおおおおお~、私以外のバカがこんなにいるなんて、何て素敵な世界なんだ!」と同志たちに感動致しました。

え~と、VIPおひとり様¥150,000で400人ですと¥60,000,000ですよね、

これに定価¥400,000のスーパーVIPの方々が20数名いたようなので、それを足すと、VIPチケットの売上だけで約¥70,000,000になるとは!!恐るべし地獄の商人KISSよ!!もっと貢がせて下さい!!

そしてついにその瞬間がやって参りました。バックステージに設けられた撮影スポット、そこにはKISSのメンバー4人がフルコスチューム姿で待ち受けているのであります!!

自分の番が近くなるにつれて小心物は緊張して来ました。「一人30秒くらいしか持ち時間が無いのに何を言えばいいんだ??好きです、愛しています、かたじけない、いや違うなそれは??」と錯乱状態に陥っている内に、ついに順番が回って来てしまい、目の前に本物のKISSが現れたのです!!!!!!

4人の前に突撃し、とにもかくにもブーツを履いたら身長2mのジーン・シモンズの前に行き、「こ、こんにちは御所山出身Wildman石井と申します。これはKISSが最初に契約したカサブランカレコードのスタッフジャケットであります」と変態丸出しの1978年製ジャケットを見せて胸の刺繍を指さすと、ジーンも指をさして反応してくれ、さらに肩をもんでくれました!!肩がこっていたので「もうちょっと右」と言いかけたところでカメラマンがシャッターを切って記念撮影終了、ハイ次の人となりました。

あっという間のKISSとの遭遇でしたが、それはもう夢のような30秒でありました・・・・・昇天。

[…]

採算は取れたのか? SCNもインドネシアも天気予報は大外れ!

ついに33回目の開催となりましたMQQNEYES Street Car Nationalsでしたが、週間天気予報は見事に外れてくれまして、当日はちょっと晴れ間が覗く曇り空の中、無事に開催出来ました。

1200台を超えるエントリーの方々、145件ものSwap Meetの方々、そして11,000人の来場者の方々、皆様有難うございました!!

思い起せば大井競馬場で開催された1回目のSCNにエントリーしてから33年の月日が経ってしまったとは驚きです。あの時はまだ昭和だったのですね・・・・

昭和に始まり平成を駆け抜け、そして東京オリンピックの開催となって、34回目は未だ開催未定のSCN、この先も続けられるよう頑張りますので、宜しくお願い致します。

そして2週間前はですね、インドネシアで開催されました”BBQ Ride”というイベントに出撃致しました。これまでも他のMQQNEYESスタッフは参加していたのですが、私は今回が初参加となりました。

インドネシアのBandungという街での開催となったのですが、空港に着けばやっぱり雨・・・最近は晴れ男のイメージ先行のWildmanで有りましたが、初めて行くところはナゼか必ず雨が降っているような気が致します。

今回の会場付近は標高が高いところにあるため、これまで経験した強烈な蒸し暑さのインドネシアとは違った感じの場所で、過ごしやすかったのでした。

今回、MQQNEYES御一行を案内してくれたのはこちらのスズキのバンなのですが、日本から中古で輸出された車両なので、サンルーフ等フル装備状態でした。ETCまで付いたまなのですが、使えるはずが無いのに使っていたので何かと思ったら、ただのカード差しとして使っておりました・・・・・

相変わらず東南アジアの街中はスクーター天国ですが、ガソリンスタンドではこのようにとっても素敵なミツビシがおりました。

クルマの渋滞が酷い所でして、こちらの徒歩で進む移動レストラン?のおじさんには何度も抜かれました。歩いた方が早いのです。

こういった移動式屋台も風情がありますね、ひ弱な私は絶対に食べられませんが。初インドネシアの時、帰国後病院送りになった事を思い出してしまいます・・・

今回のイベントは2日間開催されるのですが、会場はジャングルクルーズのような密林地帯にあり、スズキのバンのエンジンを唸らせて山の中を突き進んで行くのでした。

画像では分かりにくいのですが、山の中にはこのように家の軒先でやっている小さな小さなガソリンスタンド?が沢山ありました。やっと着いた会場はキャンプ場にもなっているのですが、芝生のはずが、雨のせいで泥の中に芝生が見え隠れするといった感じでして長靴がないと遭難してしまいそうな所でした。

天気予報は2日間共に100%雨・・・・・「やっぱり私が来てはいけなかったのでしょう」と心を痛めていたのですが、結局雨は夜を中心に降ったので、日中の開催時間はあまり降らない状況が続いて、100%の降水確率というのは大げさな予報のようでした。

それにしても泥んこの中でキャンプをされている方々は凄いですね、私には絶対無理です。

MQQNEYESブース前も泥んこ状態でして、すのこというかパレットを敷いて歩けるようにしてました。というか何度も転びそうになりましたが・・・・

ステージも設けられた会場にはバイクメインのエントリー車が並びました。泥んこの上にディスプレイされたバイクたちはちょっとかわいそうでしたが・・・

こんなオリジナルなGTサンパチ@湘南爆走族桜井やCB500Fourも並んでました。

クルマは少なめでしたがアメリカ車がメインとなっておりました。と思うとヘッドライトにワイパー装着のメルセデスはボンネットに穴をあけて我が道を行くという感じが素敵でしたね。

こちらの赤いChevy C-10がMQQNEYES […]

ミニカーコレクション第4位、共産圏のクルマが大好き!?

この前のお休みの時にですね、ふと思いついて我が家の玄関扉の枠の部分のペンキを塗りたくなりまして、ホームセンターに直行、水性ペンキとハケを購入し寒い中、朝からペタペタと塗り始めました。

普段家では絶対にピンストライプのブラシなど握らないのですが、(私オンオフのスイッチが強力なので、家に帰るとPinstriperからただの変態になってしまうのです)ハケなら良いでしょうという事で、古い塗装を落とし、完璧なマスキングを施して塗り始めると、何だかとっても楽しくなって来ました。

素晴らしいハケ捌きで、ムラも残らずどんどん塗られて行く扉の枠、「うおおお〜完璧だ、趣味でやるなら建築塗装も楽しいぞ!」と次は横の柱も塗りまくり、まだペンキも余っているので今度は2階のベランダに行き、扉も枠も全部塗ってしまいペンキが無くなった所でハイ、おしまいとなりました。道行く近所の方々は、とっても不思議そうな目で塗装職人と化したWildmanを見ておりました、いつも不思議に思っているようですが・・・・・

まだ塗り足りないので、今度はお隣の家の玄関に侵入し勝手に塗ってしまおうかと思ってしまう今日この頃であります!!

という事で今回のお話は連載中の「44周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」第4位となります。ついに4位まで来てしまい、寂しい気分となってしまいます。せめてベスト50にすれば気持ちに余裕を持って考えられるのですが、10台というのはかなり厳しい選択となりまして、選ぶのに苦労するのです。そんなこと普通の方々にとってはどうでもいいことなのですが・・・・アブノーマルな人生は大変なのです。

この本に出合っていなければ、こんな人生は絶対に送っていなかったと常々思っている昭和の問題作、保育社のカラーブックス「世界のミニカー」を毎日熟読する小学生のWildmanは「今まで知らなかった自動車をミニカーで知る」という喜びを得まして、どんどん訳の分からない車の名前を憶えて行きました。

それまではポルシェ、フェラーリ、メルセデス・ベンツ、ジャガー、アストン・マーチン、リンカーン、キャデラック等々、いたって正統派のクルマを覚えて憧れを持っていたのですが、世界のミニカーを見てからはホールデン、パナール、ハンバー、ブリストル、ダフ、ヤライ、アドラー等々、普通では理解不能なクルマの名前が次々とインプットされ「アームストロング・シドレーが大好き! いつかはメドウス・フリスキーに乗ってみたい!」と叫ぶ、気の狂った小学生が横浜に一人誕生致しました、かたじけない・・・・

とにかく「世界のミニカー」を見て先にそのクルマの名前や形を覚えて、あとから実車の事を知るという変態極まりない車道楽が始まってしまったのです。

そんな中、世界のミニカーの39ページにセップトーイ社のガスキー(Septoy,Gasquy)というベルギーのブランドのミニカーが紹介されていました。「ベルギーだって、一体どの辺にあるんだろその国は?」と世界地図を広げるとヨーロッパのちっこい国でした。1970年代までは海外でのミニカーの生産国はイギリス、西ドイツ、フランス、イタリアといった国々が主流で、他のヨーロッパ諸国での生産はイレギュラーな感じだったのです。それにしてもそれから30数年の時を経て、ベルギーで開催されたEuropean Bug Inに行ってPinstripeデモを行う事になるとは夢にも思っていませんでした、白昼夢は良く見ますが・・・・

「ベルギー製か、しかもガスキーなんて気持ちの悪い名前のメーカーだな、ああ気持ち悪い、不気味だけど素敵だぜ!」と変態小学生はガスキー製のミニカーに興味を持ったのでした。世界のミニカーにはこのメーカーの説明文が以下のように書いてありました。

「このメーカーは一九五五年を最後に生産を中止している。当時はベルギー国内だけで販売されていたようで、現在では入手がむずかしいモデルである。代表モデルにタトラ、リムジーンがある」

「げっ、1955年に生産中止だって、しかも入手が難しいって」と不安になる小学生でした。1970年代中期のことなので、その当時でも20年前の絶版品で、現在では64年落ちのミニカーとなる訳です、ふ、古い・・・・・

代表作にタトラ・リムジーンがあると書いてあって、そのモデルは39ページの一番下に掲載されていました。

ガスキーの他のモデルはフラッシュ・サーフェスのフォードやシボレー、プリムス等いたってまともな車種を作っているのですが、ナゼか一点だけ「タトラ」なる不気味な響きのモデルがあります。

「タトラって何?? たとら、多虎、他登良・・・」と変態小学生は頭を悩ませます。しかも流線型でとってもカッコいいぞ!と今度はタトラにあこがれを持つ始末です。

ガスキーがモデル化したタトラは「タトラT600 タトラプラン」(TATRA T600 Tatraplan)なるクルマでした。今は解体された社会主義国家チェコスロバキアのクルマで、戦前より流線形の変態的なデザインのモデルを色々作っておりました。

だってこれら戦前のタトラのデザインなんてKustomの世界にしか思えず、完全にHirohata Mercuryもぶっ飛ぶ仕上がり具合だと思います、ハイ。

ガスキーがミニカー化した「タトラT600タトラプラン」は戦後のモデルで、1948年から本格的な生産が開始されたリアエンジンの空冷フラット4で2リッターの排気量を持つモノコックボディの6人乗り乗用車でした。流線形デザインの空気抵抗係数(cd値)は何と0,32というものでした、素晴らしい! 実車には世界一気温が高い博物館と思われるマレーシアのミュージアムで遭遇して大変感激し、日本には帰らず住み込みでそこの管理人になりたいと思ったくらいでした・・・・

で、ガスキーのタトラなのですがやはり難物でありまして、小学生や中学生のマニアにはとても手に負える代物ではありませんでした。ていうか、当時このミニカーを日本で持っているのはおそらく数名しかいないと思われ、トップクラスのウルトラ変態コレクターの手元にあるだけでした。インターネットもオークションもEMSも無い時代ですから・・・・

結局、夢のガスキー、タトラを入手したのは1980年代後半の大人になってからでした。昭和の大コレクターA氏のコレクションを譲り受けた物で、A氏も当時ヨーロッパとの海外交流で入手したそうですが、サラリーマン時代だったので先方からの請求額にはビックリしたそうです。私には儲け無しでそのビックリした金額で譲って頂きました、あ〜ビックリ!?

このようにガスキーの流線形タトラは素晴らしい出来栄えでありまして、どこからどう見ても「ミニカー芸術」に値する物なのです。

勢い余ってその後ももう一台入手しましたが、これでいつでも後ろから前から(@畑中葉子)美しい流線形タトラの姿を見らるのでした、素晴らしい!!

オマケで何点か不気味な芸術タトラのミニカーを紹介致します。

こちらはチェコスロバキアのIGRAというブランドの当時物T600で小さなベークライト製モデルになります。黒光りする異様な風情はゲンゴロウにしか見えませんが、怪しさを通り越して、芸術の域に達しているのですな。

[…]

ミニカーコレクション第6位、珠玉の逸品は観音開きであります!

寒い寒い毎日、皆様いかがお過ごしでしょうか?

先週ですね、こちらの横浜のCafeの看板描きに行ったのですが、計3日半の作業中、1日目は途中から雨、2日目は強風、最後の半日は超低気温となりまして、まともな天候で作業出来たのは3日目だけだったという過酷な作業となってしまいました・・・・

通り掛かりの方々が「お兄さん、寒くないの?」と声を掛けてくれるのですが「ハイ、変態なので全く寒さを感じないのです」と答えるしかありませんでした。寒いに決まってますが・・・・

真冬の作業は日没も早くてとっても寂しい気持ちになるのですが、ミニカーと力道山先生とベイスターズのことだけを考えて猛スピードで仕上げたあっという間の3日半でございました。ご注文有難うございました!!

という事で連載中の「44周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」第6位となります。ベスト10なんて言ったはいいのですが、冷静に考えるとベスト10て本当に難しく、たった10台の優秀なミニカーを選択するのは 苦渋の思いで有りまして、ベスト1000にしたくなって来ました。

1000台紹介すれば、自分的にも納得出来るのですが、そんなことしてたら寿命が尽きてしまいそうなので、やっぱりベスト10にしておきます、ハイ・・・・

これまでの10位から7位は以下のモデルたちでした。

第10位がイタリア製Politoysの「BREサムライ」

第9位が西ドイツ製Marklinの「ビュイック・セダネット」

第8位が日本製モデルペットの「トヨタスポーツ800」

第7位が英国製Corgi Toysの「ロータス・エラン」 という順になっておりました.

そしてベスト10の第6位はアサヒ玩具のモデルペット製、品番No,1の「トヨペット・クラウンDX」とさせて頂きます。ついこの前である昭和34年10月発売の、これぞ国産ミニカーのパイオニアとなる珠玉の逸品なのであります。

戦後の復興期に当たる昭和30年代は、Made in Japanの玩具類は輸出用の花形産業としてティンプレート(ブリキ)メインに沢山作られておりましたが、ダイキャスト製のミニチュアカーというのは存在しておりませんでした。

最近プラモデル界では「国産最初のプラモデルは何?」という論争が上がっていて、これまでは長い間「〇ルサン」が日本で最初のプラモデルという説がまかり通っていたのですが、実はそれ以前に他のメーカーが先に作っていたことがほぼ判明し、歴史が書き換えられようとしています。私は門外漢ですが・・・・

日本のミニカー業界ではこのモデルペットのクラウン発売以前、前後にも実は「ミニカーらしき物」は作られておりました。揚げ足を取りたい方々からは「モデルペットは最初の国産ミニカーでは無いぞ!」と反論されそうなのですが・・・・

こちらはついこの前である享保9年創業の増田屋が昭和30年頃に輸出メインとして発売したのが「シルバーペット」シリーズでして、クロームメッキされた車体にフリクションモーター内蔵という玩具的なモデルでした。

こちらはとりあえず「ビュイックのクーペ」らしきものと判別出来るのですが、隣りに並べた同年代の外国製ビュイックのモデル(白/赤)と比べるとミニカーというより単なるオモチャにしか見えません・・・・

こちらの倉持商店製のモデルはとっても小さくてグリコのオマケ程度の大きさで、スバルやミゼット等とりあえず車種判別は可能ですがただの駄玩具に過ぎませんね。今日、これらを見つけるのはとっても大変なのですが・・・・

同じく倉持商店製の50’sアメ車群ですが、これらもアメリカのLINEMAR TOYSブランドで主に輸出目的で製造されていました。下請けみたいなものですね。日本国内にも少し流れたようで、手持ちのパッケージには当時のデパートの値札が貼ってあるのもありました。

出来はまずまずなのですが、キャストの質が悪い物が多かったらしく、まるで時限爆発装置がついているように、ある一定の期間が経つとボディーにヒビが入り最後はバラバラになってしまう恐れがあるという恐怖のミニカーなのです。幸い手持ちの物は他にもあるのですが、全て製造後60年経過しても未だ爆発しておりません。とってもラッキーですな!

これらのビュイックや正体不明のアメ車みたいなものも、パッケージが全て英語で表記されていて、国内向けというよりも輸出用という事が分かりますね、あくまで「ミニカーらしき物」です。

という事でこれらのモデルは、時系列では確かにモデルペットのクラウンよりも先、あるいは同時期に作られていたことが判明していますが、とてもスケールモデルとして考えるにはお粗末過ぎまして、輸出メインや駄菓子屋行き?という販売体系を考えると、Wildman的にはやはり「国産ミニカー第一号」の栄誉は問答無用でモデルペットの品番1、トヨペット・クラウンDXで決まりなのです!!

観音クラウンのプロポーションを見事に再現し、車種的にも王道でスケールも1/42とほぼ国際規格標準のスケールで作られた事もポイントが高いのですな。アポロ・ウィンカーも最高なのです。未だハンドルやシート、サスペンションは付いておりませんが、迫力あるプロポーションがそれらを帳消しにしてしまうのです。トランク左下にはOverdriveのエンブレムまで彫ってあるのでした。

当時このミニカーをデパートのショーウィンドウで見て興奮された黎明期のコレクター様の気持ちが良く分かります、私は不覚にも生まれておりませんでしたが、ああ残念・・・・

モデルペットを販売したサンタ印の旭玩具(のちにアサヒ玩具)は、昭和35年の玩具自由貿易化の流れに沿って、英国製のCorgi Toys、Dinky […]

43周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!

ベイスターズは完全に失速中でありますが、これはゴールデンウィーク前にセ・リーグを混乱させ面白くさせて、皆様をワクワクさせる為ににわざと負けている作戦だと思われます。「ベイ死んだふり作戦」こそ今年のテーマなのであります。

プロ野球ファンのことを考えた、極めて高等で奥深いベイ死んだふり作戦の中、ついに横浜DeNAベイスターズXMQQNEYESの2018年度版コラボグッズ第一弾が発売となりました!!!

今年のコラボ企画はですね、何と3回に分けての発売予定で、この後は6月、9月とプロ野球シーズンまっただ中に新しいコラボグッズの発売が予定されております。つまりですねクライマックスシリーズと日本シリーズにも合わせて新しいグッズを身に着けて応援に行けるという訳なのであります、素晴らし過ぎです!!

エッ、日本シリーズですって? そうですよ、今年は横浜DeNAベイスターズ20年振りの優勝が待ち受けているのは確定的でありますので、ベイファンの皆様は10月末から11月の予定は空けておくようお願い致します、ああ忙しい。まあ、優勝出来なくても3位に入ればクライマックスシリーズを勝ち上がるなんてちょろいもんなので、日本シリーズには必ず行けるのです!!

今年のデザインは、熱く燃えるFlamesと横浜スタジアム、MQQNEYESロゴを組み合わせたデザインになっておりまして第一弾は刺繍Tシャツ、ロングスリーブTシャツ、ジャージスタジャン、フラットバイザーキャップ、フェイスタオルが今回、春の発売分となります。

ベイ死んだふり作戦の中、これらを身にまとって横浜スタジアムに応援に行きましょう。Win! with MQQNEYESであります!!!

ということで、ミニカーのお話となります。前回はナゼかプラモデルのお話になってしまいましたが、やっぱりWildmanといえばミニカーなのであります。

今まであまり考えたことが無かったのですが、自分の持っているミニカーの中で一体何がお気に入りなのか? どれが一番好きなのか? そうだコレクションベスト10を決めてみましょう! と犬の散歩をしながら思いついてしまいました。

といっても推定2000台?のコレクションの中ではどれもこれもお気に入りなので、そこでベスト10を決めるのは難しいのですが、そこはコレクション43周年、苦渋の?ランク付けをしたいと思います、ハイ。

思い起こせばついこの前の1975年(昭和50年)少年Wildmanは大好きだったミニカーを買いに横浜は伊勢佐木町、おもちゃのマリヤに出撃しておりました。今では全く興味のカケラも無いトミカなる物体を購入し、お会計を済ませるとレジのお姉さんが一冊の小冊子を手渡してくれました。「なんじゃこりゃ、タダでもらえるの?」と不思議に思う少年Wildman、ときに11歳、小学5年生でありました。

これこそが私の人生を完全に狂わせてしまった本「月刊ミニチュアカー」誌1975年4月号でありました。ミニカーを大人が集めるという事を正当化している変態本は11歳の少年の心をわし掴みにして変態の道へのレールを敷いてくれたのでした。これを読まなかったら全く違う人生を歩んでいたことは間違えありませぬ・・・

月刊ミニチュアカーは可堂玩具(カドー玩具)というミニカーメインの玩具問屋が発行していた物なのですが、ミニカーを売るための啓蒙活動としてNMCC(日本ミニチュアカークラブ)なるものを主宰してそのクラブの会報誌というような位置付けでした。クラブに入っていなくてもミニカーを卸している専門店や玩具店にも配布して、ミニカーお買い上げのお客様に渡していました、そこで私ももらったのです。

こちらはNMCCのWildman最後の会員証と、ピンバッヂになります。

本の内容は当時のトップクラスのコレクター様が執筆したミニカーブランド別の解説やコレクションの仕方、ニューモデル紹介や個人売買欄等、小さな冊子にはとっても濃い内容があふれておりました、まさに昭和の変態の世界でした。インターネットのない時代に、日本でミニカーの情報や知識を提供してくれる唯一無二の存在だったのです。おかげでこんな立派な変態に育ちました・・・

既に存在していたミニカー専門店の広告を見て、横浜元町の千代田ママストア、鶴見のチェッカー、八丁堀のコジマ、浅草のテラオ、自由が丘のえびすや等々、横浜、東京のお店に片っ端から出撃して行きました。当時デパートでも定期的にミニカーフェアが開催されていて、小田急や西武、東武等、都内のデパートにも遠征しておりました。昭和の時代はミニカーは玩具売り場の花形商品でありました。

いきなりミニカーの知識を詰め込まれた少年Wildmanはそれまでただ単に車が好きだから集めていたミニカーを「コレクション」という物に格上げし、ミニカーが好きだからその実車に対して興味を持つという逆転の発想が生まれてしまい「初めにミニカーありき」という理論が目出度く成立となったのです。

なので実車よりミニカーの方が断然カッコいいという感情が強くなってしまいました。何を言っているのかさっぱり分からないという方は大勢いらしゃると思いますが、私には実車の方がカッコいいという理論の方がさっぱり分からないのです・・・・

そしてミニカーというのは実車が製造されていたのと同じ時期に作られていなければならないという絶対に変えることの出来ない感情も生まれてしまったのです。

例えば1964年型クラウンのミニカーは同時期の1964年に実車と同じ空気と技術の元に造られていなければならず、2015年に2015年の技術を使って作られた1964年型クラウンのミニカーはもう存在自体がどうでもいいのです。逆に2015年に造られた2015年型クラウンのミニカーは全く問題ありません。

なので「当時物ミニカー」という事に拘って集め続けておりますので、コレクションは必然的にビンテージが中心となってしまいました。

又、ミニカーを先に見て興味を持ち、その実車が好きになってミニカーとセットでウンチクを学びコレクションして行くので、ト〇カコレクターさんのように実車の事やディティールがどうこうではなく、やれこの色やホイールがレアだとか単なる二次加工品の特注品とやらを勝手に価値を付けて間抜けな法外価格で取引している現在隆盛を極めているト〇カコレクションとは考え方が全く違いますので、私にはミニカー友達があまりいません・・・・なので43年間も勝手な理論でミニカーコレクションを展開している訳であります!!

という事でやっと話が元に戻りコレクションベスト10(お気に入りベスト10)を発表させて頂きます。

今回はWildmanお気に入りランキング第10位で1960年代イタリアはPolitoys(ポリトーイ)製のBRE サムライ(日野サムライ)を紹介致します。

Politoysというイタリアのブランドは1960年代に1/43スケールでMシリーズというとても精巧に造られたミニカーを販売し、日本にも当時多数輸入されて高級ミニカーとして扱われていました。ドアーやボンネット開閉のアクションを持ち、マフラーやドライブシャフトもプラスチックの別パーツで表現する等、凝りに凝ったミニカーとして有名でした。

ポリトーイはMシリーズとは別にSERIE EXPORT(エクスポートシリーズ)といった別ラインで同じ1/43スケールの廉価版ミニカーも作っていました。開閉アクションも減らし、別パーツの構成も少なくし販売価格を下げた物でした。日本でもブリスターパックに入れられて駅の売店なんかにもぶる下がってました。

このエクスポートシリーズでなぜかBREサムライが造られていたのです、全く持って不思議な事でした。当時の日本車が外国製のミニカーになるなんてことはまずなく(トヨタ2000GT除く)よりによってまともに走ることが無かった世界的にはほぼ無名のレーシングカーである日野サムライをイタリアのミニカー会社が突然モデル化したのは理解に苦しみます。サムライの情報なんて当時Road & Track誌や日本のカーグラフィック誌が大きく取り上げたくらいで、日本グランプリを最低地上高の低さで車検を通れず失格となった車をわざわざモデル化するとは酔狂な担当者もいたものだと思います、ウケ狙い??

Wildman的には史上最も美しいレーシングカーと認定しているクルマなので、当時モデル化されたのは嬉しい事でした、ああ美しい!!名前もかっこいいSamurai(サムライ)だって! […]