先週末は天候が心配される中、無事23回目のクラウンピクニックが開催され、マニヤの方々は楽しいひと時を過ごされましたね。
来場の皆様には記念Tシャツとトレーナーも好評の内、お求め頂きましたが、いつも最後に少しだけ残ってしまうのがXLサイズとなっております。しかし逆に少なく作ってしまうと早めに売り切れてしまい「XLないですか?」と聞かれるという事態が起こるので本当にマニヤ好みな微妙なサイズとなっております・・・
クラウンマニヤの皆様にはもっと太って頂き、来年はぜひXLサイズをお求め下さいませ。
クラウンピクニックでの楽しいひと時のあと、Wildmanはさらに一人楽しいひと時を過ごしております。
なぜかって? それはこちらの「カップ」がウチにやって来たからであります、ふふふ!!
Wildmanは長年における変態としての功績が認められ、全日本変態連盟ミニカー支部よりカップを授与されたのです。
じゃなっくって、とんでもないものが本当に私の部屋にやって来ました。
「1963 プロレス第五回ワールドリーグ 立川開催記念」というプレートが貼られたこちらのカップは正真正銘の本物、力道山先生ゆかりの御品なのであります!!本当だってば!!!
ついこの前の1963年にはあの赤坂リキ・アパートにあったであろうあり難き逸品なのです、ああ、あり難や・・・
プロレスワールドリーグ戦というのは、空手チョップとテレビ中継を駆使し国民的英雄になった力道山先生が編み出した興行でした。
1950年代後半には一時的にプロレスブームが下火になり、その時に起死回生の一発ということで、戦前の日本の浪曲の興行にヒントを得て世界中から各地の代表という形でレスラーを呼び寄せて、日本中を転戦し総当たりのリーグ戦を行いチャンピオンを決めるという大掛かりな興行でした。これが見事に当たってしまい、再びプロレス人気が息を吹き返したのです、先生お見事です!!
ついこの前の1959年に第一回大会が開催され、その後1972年まで14回に渡り開催されました。
当然力道山先生は一回目からお亡くなりになる1963年の五回目まで 五連覇されております、さすが先生であります!!
ちなみに最多優勝はジャイアント馬場の6回だそうです。
で、こちらのカップは先生最後の参戦である1963年の第五回大会の物なのです。
この年のワールドリーグ戦もあっちこっち地方巡業をこなされましたが、やっと東京に戻ってきて立川で6人タッグマッチを行いました。
キラー・コワルスキー、ヘイスタック・カルホーン、ジノ・マレラVS 力道山、豊登、グレート東郷という面子でしたが、何と力道山組は負けてしまった試合なのでした。
だからこちらのカップはサイズが小さいのだと勝手に解釈しております。
ちなみに世紀の悪役「グレート東郷」は力道山先生が大変憧れた「プロレス・ビジネスマン」なのでした、書きたい事は山ほどありますが。
そして2日後の5月17日には東京都体育館にてワールドリーグ戦の決勝が行われ、先生はキラー・コワルスキーを下し、見事大会五連覇を成し遂げたのであります。
直後に力道山と最後に闘った、あのザ・デストロイヤーが来日しましたね。
そしてこの年の12月15日に先生は天に召されてしまいました、合掌・・・
縁あって、というか私が力づくで引き寄せた力道山先生のカップは他の先生ゆかりのGoodsたちと一緒に末永く私の元で保管させて頂きます。
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