Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

Go! 横浜DeNA Baystars,今年もコラボでクライマックスだ!!

皆様、お暑い日々が続いておりますが、やっとこ気温が30度を下回る日々も出て来まして、私の大好きな秋はもうそこまで来ております。

下回ると言えば我が横浜DeNA Baystarsもグングン下回っております。

撃沈した交流戦以降、一瞬持ち直したと思ったら9連敗をやらかしたりして、クライマックスシリーズ出場権を獲れる3位は遥かかなたに行ってしまい、下回り過ぎて定位置の最下位まで射程に入ってしまいました(それ以上にヤクルトがおかしいので何とかなってますが)

が、巨人と並んでセ・リーグトップの得点を誇る打線の破壊力は凄まじく、たまに大勝ちや大逆転勝利なんかあったりして、わずかな期待を持たせてくれるのは昨年までと違うところです。

が、セ・リーグ最下位の防御率を誇る絶望的な投手陣は、なす術なくてここへ来てケガ人も出て来てしまい、ローテーションの組みようがありませぬ・・・この先どうやって行けばいいのでしょうか・・・・

リーグトップの得点とリーグ最多失点の投手陣の組み合わせは、もはや伝説の域に達し、10対9で勝つか16対2で負けるかといった野球のスコアとは思えないような試合が続き、横浜DeNA Baystarsのだいご味となっております、ああ楽しいな・・・

そんな野球シーズンも最後の盛り上がりを見せる頃、今年もやって来ました、昨年に続いて横浜DeNA Baystars x MQQNEYESのコラボレーション企画、”Yokohama Connection 2013”であります!!

奇跡のクライマックスシリーズ出場を果たす為の最終兵器となるであろう? 応援グッズの数々です。

こちらがその新デザインです!! じゃなくって、こちらは横浜大洋ホエールズ時代の物でした、すみません・・

ホントはこっちでした!! 大洋ホエールズ、横浜大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズと4球団を38年に渡り応援し続けて来たWildman石井デザインのグッズたちです。

リリーフカーに乗ったDB. STARMANイラストやHot RodなFlamesのデザインでそれぞれTシャツ、キャップ、トートバッグ等を揃えております。

真のベイファンであるWildmanがデザインしたものなので、気合の入り方が違います。

これらを見にまとい横浜スタジアムへ最後の応援をしに行き、奇跡のクライマックスシリーズ出場を夢見ようじゃありませんか!!

*これらの横浜DeNAベイスターズ商品は本牧のMQQNEYES Area-1店舗のみの販売となりますので予めご了承下さいませ。

Go!横浜DeNA Baystars, Go! with MQQN

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思い出の大エース、遠藤様は大洋一筋さ!!

皆様遅ればせながら明けましておめでとうございます。

本年もMooneyes並びにMooneyes Studio並びに当ブログを宜しくお願い致します。

お正月休みはどのように過ごされたでしょうか?

私は相変わらず自室に引きこもり、ミニカーのワックス掛けにいそしんでおりました、恒例行事なので・・・

今回はスーパーカーの棚を中心に行いましたが、ほとんどがあのブームの頃に入手した物なので、かれこれ36年は手元にいる奴らばかりなのです、1977年なんてついこの前の事ですが。

それはそうと我が横浜DeNAベイスターズは年末にかけて怒涛の補強を行い、気がつけば中日ドラゴンズよりブランコら外国人選手3人を強奪し、ホークスからは多村が帰って来るわでストーブリーグを賑わせております。

オーナーが「補強の予算は全部使っちゃって下さいね!」とのことなので高田GMの腕の見せ所ですな(福留はいらんかった、良かった阪神で)

現在は元レッドソックスの108勝投手、バディーヤと交渉中とのことで、これが決まれば予算をきれいさっぱり使えそうです、ああ気持ちいい。

さらに奇跡が起これば、あの松坂大輔獲得も視野に入れているのでその時は特別予算枠が発生するそうです、いいぞ大盤振る舞いDeNA Baystars!!! プロ野球はこうでなくっちゃ。

これで驚異の5年連続最下位より脱出できると思われます。それどころかCS進出も確定的ですな!! (そう思っているだけならタダですので)

ほんとにここまで弱い期間が長く続いたのは、ついこの前の1975年にファンになって以来、たぶん初めてのことだと思われます。

そりゃね万年Bクラスのチームでしたし、優勝だって2回しかしたことないし、大洋時代だってたまに3位になったくらいですし、どうもこうもないような成績なのですが、いくらなんでも5年連続でビリッケツで借金が軽く30を超えるような状況は考えられませんでした。

何で顔見知りの6球団で争う競技でこうも差がつくのか、不思議で不思議でなりません。

なのでこうなったらお金で解決するしかないようなので、大補強大いに結構なのであります!!

勝てないのであれば、せめて個人タイトルくらいガンガン獲って欲しい物ですな。

その昔大洋時代はチームはBクラスでも首位打者や最多勝を獲得した選手がおりまして、ファンにとってせめてもの慰めになっておりました。

そんな時代で大洋ファン最大のヒーローは(私にとっても)何と言っても背番号24の大エース「遠藤一彦」様なのであります!!

問答無用で80年代のセ・リーグを代表するピッチャーで、江川と最多勝を争った真のエースでした。

1955年生まれの遠藤様は東海大から、スーパーカーブームに沸くついこの前の1977年にドラフト3位で大洋に入団しました。

翌年の春に大洋は川崎から横浜にフランチャイズが移転となるわけです。

79年にその才能が開花し12勝12敗8セーブという素晴らしい成績を上げ、少年Wildman的には「やったぜ新人王確定だ!!」と大騒ぎしておりましたが、結果は何と13勝5敗0セーブの中日の藤沢が新人王になってしまい、テレビの前で遠藤様よりWildmanの方が落胆致しました、トホホ・・・

だってその後の遠藤様は15年の現役生活を全うし、数々のタイトルを獲り通算134勝58セーブを上げセ・リーグを代表する投手となりましたが、

藤沢なんて実働6年で27勝35敗ですぜ。全く見る目がない奴らだのう・・・と34年経った現在でも毎日落胆しております。

長身から投げおろすストレートと魔球のような高速フォークボールでバッタバッタと三振の山を築く姿は、弱い大洋の中でキラリと光輝いていたのです。

東海大の後輩である原(現巨人監督)にはナゼかポンポン打たれましたが当時現役メジャーリーガーとして日本へやってきた巨人のロイ・ホワイトが「遠藤のフォークボールはメジャーで通用する」と言っていたのが忘れられません。

時代が違っていたら遠藤様はメジャーに行っていたでしょう・・・

第一回ストリートカーナショナルズが開催されたついこの前の1987年にアキレス腱断裂という事故に見舞われましたが、それを克服しその後クローザーに転向して見事カムバック賞を受賞しました、流石だぜ!!

  

で、こちらはその頃に頂いた遠藤様の直筆サインボールなのであります!!ボルグ様のサインボールと並び我が家の家宝になっていることは言うまでもありません。

そういえば80年代の選手名鑑か何かの資料で、遠藤様のご自宅住所が何と我が街、横浜市磯子区岡村町となっているではありませんか!!!

しかし番地までは掲載されていなかったので当時激励に行こうと必死に探し回りましたがついぞ発見することは出来ませんでした、無念・・・

 

そういえばもう一人のエース斎藤明雄投手は当時横浜市南区別所に住んでおられ、高校の時の友人が御近所で斎藤投手宅で高校生相手によく麻雀をやってましたね・・・・昭和っていいですね!!

2年連続最多勝、最多奪三振、沢村賞まで獲得しあとは優勝だけでしたが、残念ながらそれだけは経験出来ず、1992年に涙の引退となりました。(ちなみにベイスターズ38年ぶりの優勝は1998年であります)

横浜スタジアムで最後の登板となりましたが、この日は遠藤様にとっても大洋ホエールズにとっても最後の試合となり、翌年から「横浜ベイスターズ」にチームが変わってしまいました。

よって遠藤様は大洋ホエールズ最後の大エースなのであります。

横浜大洋ホエールズが生まれた時に入団し、ホエールズからベイスターズになる時に引退するという数奇な運命をたどられましたね。

今年はどう考えてもCS進出が確実な横浜DeNAベイスターズですが、(勝手に言ってるだけですので)遠藤様のような真の大エースが現れる事を期待しております、Go! DeNA Baystars

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苦節37年、夢のコラボは横浜DeNAベイスターズだぜ!!

皆様お久しぶりでございます、ここのところあっちこっち出張が続いてしまい、出たり消えたり行方不明ですみませんです・・・

先週末はですねMooneyes USAにて開催された恒例のOpen Houseに出撃して参りました。

 

今回はなんとArea-1のカリスマ成田店長と一緒の旅だったのです。

せっかく一緒に行ったのだからとりあえずカリフォルニアの雨でも見せてあげようと思ったらやっぱり初日はバッチリ雨となりました、雨の神様健在であります!!

      

でもイベント当日は快晴となり、たくさんのPinstripeのお仕事を頂きまことに有難うございました。

  

今年も好評のChico’s Burgerはカリスマ店長も大活躍し、炎天下の中真っ赤になって次々とパテを焼いておりました、さすがカリスマだぜ!!

このイベントの詳しい情報はカリスマ店長がバッチリレポート致しますのでこちらをクリックしてご覧になって下さいませ!!

     

あ、今回も当然大好物のカニを食しましたが、こちらの”Joe’s Crab Shack”なるお店でこのように豪快な「キングクラブのバケツ蒸し?」を頂きました、とっても美味しかったです、カニって本当に素晴らしいですね!!

そして話題変わりましてWildmanは只今猛烈に感動しております!!!

何が感動してるかって?? それは言えないぜ、サヨウナラ・・・じゃなくって

苦節37年、ついに夢がかないました。

思い起こせばついこの前の1975年、生まれて初めて親父に川崎球場へ連れて行ってもらい大洋 x 巨人を観戦し、それ以来大洋ホエールズのファンになり、1978年には私の地元横浜に奇跡の移転となり「横浜大洋ホエールズ」が誕生し、80年代は優勝を信じてせっせと横浜スタジアムに通い続け、全く優勝は無理と分かっていてもたまに勝つことに生きがいを感じ、5年くらい前にしか感じない1993年に「横浜ベイスターズ」に生まれ変わった後も応援し続けました。

そして1998年には38年ぶりの優勝という人生最高の瞬間を迎え「もう思い残す事は無いぜ!!」と豪語しましたが、やっぱり小心者は思い残すことが沢山あったので、今も細々と暮らしております。・・・

そんな事はどうでもいいとして、優勝後の数年間は暗黒時代を迎えてしまい「もうプロ野球なんかどうでもいいや、所詮他人がやってる事だし・・・」などと言ってはいましたが、夜になるとついプロ野球の結果を調べてしまい、勝率3割台でも「勝負というのはたまに勝つことに意義がある、しょっちゅう勝ってたら全く意味がない」という新理論を展開し、応援し続けておりました。

その後、球団売却、本拠地移転問題にハラハラしながらも動向を見守り、何とかDeNA様に救って頂き「横浜DeNAベイスターズ」の誕生となりました。横浜じゃなきゃ意味がないのですよ!!

中畑新監督を迎え今年は新たな船出となり話題性も大きくなりましたが、成績自体はなかなか上向きません。でもね、たとえ負けても面白い試合が多かったり、若手が伸びて来たりと昨年までよりも楽しくて夢のあるチームになって来ましたぜ。

そして感動の本題です・・・・ついにその時がやって来ました、14年振りの横浜優勝!!

じゃなくって何とビックリ、Wildmanもビックリ、横浜のMooneyesと横浜DeNAベイスターズがコラボレーションし横浜X横浜の”Yokohama Connection”なる展開でコラボグッズが販売となったのです。しかもデザインは私、Wildman石井が担当させて頂きました!!感動し過ぎて涙が止まりません、カリスマ店長のクシャミも止まりません・・・

大洋時代より応援し続けて37年、夢にまで見た球団オフィシャルグッズのデザインをさせて頂くとは感無量であります!!

Tシャツ、キャップ、マフラータオル、トートバッグ、リストバンド等々、横浜DeNAベイスターズ初優勝へ向けて入魂の一筆なのです!!

この後の勝手な予定としては、優勝記念グッズのデザインや夢のユニフォーム・デザインまで妄想は広がるのです・・・とりあえず優勝グッズは先にデザインしておきましょう。5年以内に使いますから・・・

それと選手全員の自家用車にPinstripeを描いてもいいですね。

アイテムは現在、横浜DeNAベイスターズオフィシャルショップ、同公式オンラインショップ、横浜スタジアム等で販売されておりますが、もうすぐMooneyes Area-1での発売もスタート致しますよ!!

いつかは中畑監督とのサイン会をArea-1店頭で行いたいものですな、もちろん優勝パレードは本牧通りと御所山で、熱いぜ横浜! Go! Yokohama DeNA Baystars

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インフルエンザで快進撃!?DeNAベイスターズ発進だぜ

プロ野球のキャンプも始まり、我が新生「横浜DeNAベイスターズ」も中畑新監督のインフルエンザ感染という形で最高のスタートを切りましたね、さすがです・・・・

親会社はWildmanには縁もゆかりもないゲーム会社のDeNAに決まり、巨人時代には罵声を浴びせ続けた中畑さんが監督になってしまうなど、思いもよらぬ展開のオフシーズンでしたが、何とか本拠地横浜残留となり今後もプロ野球を楽しむ事が出来そうです。

さすがに新潟に行ってしまったらとてもじゃないけど応援する気にもなれませんので40数年にわたるプロ野球趣味生活にピリオドが打たれるところでしたね・・・ 漫画家のやくみつる先生はDeNAが嫌いで横浜ファンをやめてしまいましたが・・・

「男・村田」さんとかいう12球団で一番チャンスに弱い4番バッターが目出度く巨人にFAしてくれて、代わりに統一球にいまいち対応出来ず、落ち目とはいえ2000本安打目前のラミレスが巨人からやって来るという不思議な現象が起こりましたが、横浜にとってはこっちの方が良かったと思います。村田なんかよりも怖いですぜ・・・

横浜スタジアムにて目の前で中日の優勝&胴上げを見せつけられ「あの優勝の輪に入りたいから、ぼくちゃんは強くてお金持ちのチームに移るのさ、そうすれば簡単に優勝出来て楽しいじゃん」という前代未聞の迷言を残し横浜を去った「男・村田」さんでしたが、まあその気持ちも分からなくは無いですね。 横浜は本拠地で他チームの優勝をこれまでに6回も見せつけられているという奇跡的なお人好しなチームなのですから・・・・21回の最下位というのも12球団最多ですが・・・

それにしても横浜ファンに向かって言うような言葉じゃないですよね・・・・まあ、どうせ彼は巨人じゃ夏までに代打専門になりますからどうでもいい事なのですが。各チームが良いピッチャーを当ててくる巨人戦じゃ、とても打てないと思いますよ、横浜だからこそ何とか取れたホームラン王なのですから・・・

ラミちゃんは来日時、大韓航空でやってく来るなど親しみを感じさせ?「やっぱ期待大だぜ」と思ってたらあっさりインフル感染と早くも横浜らしさを体で表してくれました。

素行に問題のある?かつての最多勝左ピッチャーの藤井が「男・村田」の人的保障で巨人からやって来ましたが、最後にもう一花咲かせて欲しいですね。 地元横浜高校出身の筒香、石川、荒波の3人が一皮むけそうで、中日の小池や巨人の鶴岡など、元横浜選手がFAで出戻りしたり、若い国吉というイキのいいピッチャーに期待が持てたりと、ここ数年の間では中畑監督のリップサービス中心にですが、何かとマスコミにも取り上げられるようになり、多少なりとも期待が持てるシーズンです。と言っても期待というのは5位になれるかどうかというレベルなのですが・・・

で、そんな中、この様な本がベースボールマガジン社より出版されました。 「夢をありがとう!横浜ベイスターズ 1993-2011」という一瞬球団消滅を匂わせるようなタイトルで小心者をビビらせましたが、何の事はない今シーズンより親会社が変わり、 横浜ベイスターズから横浜DeNAベイスターズになったので、横浜ベイスターズお疲れ様、それではサヨウナラという感じの物でした。ややこしいなもう・・・

「横浜大洋ホエールズ」から1993年に「横浜ベイスターズ」に変わり、2012年シーズンより「横浜DeNAベイスターズ」となったので、93年から11年までの横浜ベイスターズ時代を振りかえりましょうという、熱心な横浜ファン以外には何とも寂しい内容の本なのです。

親会社がホエールズ時代の大洋漁業からTBSに変わったり、38年振りの奇跡の優勝を果たしたりと激動の横浜ベイスターズ時代でしたが、この本ではやはり優勝したついこの前の98年にスポットを当てて「栄光の1998年V」をいまさら完全再現レポートしています、なんて寂しいのでしょう・・・・

  

大魔神佐々木、マシンガン打線、西武を破って日本一、優勝パレード・・・横浜ファンにとっては数少ない良い思い出の時が刻まれています、ああ胸が熱くなりますねえ。

 

ベイスターズ初年度の93年には横浜移転前年の77年から抑えのエースとして活躍して来たヒゲの「斉藤明夫」が引退されていましたね。 新人王、セーブ王と弱小大洋時代を支えてくれた偉大な選手でありました。 こちらの色紙は横浜大洋時代に頂いたサインになります、ああ有り難や・・・・

 

こちらのサインは現在はファームの打撃コーチである高木由一さんの選手時代の物です。 ついこの前の1980年9月23日対阪神タイガース22回戦の時に頂きました。この日は横浜スタジアムでハマケイの鶏のから揚げセットを食べた記憶が残っております。 まったく先週の出来ごとのように感じますね・・・

 

元祖裏切り者?として横浜ファンの思い出に残る82年の首位打者、長崎慶一さんから頂いたサイン色紙には「孝洋君へ」と私宛ての物になってます。

この人、阪神に移籍してから自分の歴史の中で大洋時代を抹殺しているようでして 12年在籍の大洋時代、3年在籍の阪神時代では阪神の方に重みを置いておられます。経営する焼肉店看板や荒川区議選出馬時のポスター等、全て「元阪神」で押し通しております・・・・まあ85年の阪神優勝時にはそれなりに貢献してるので御本人の勝手ですから。もっとも商売上は「元阪神」の方が聞こえが良いですからね、気持ちもわかります。

そんなこんなで横浜大洋&ベイスターズ時代の選手サインは他にも色々と手元にありますが、あと30年以内の優勝を夢見て今後も大切に保管しておきます。

2012年は「横浜DeNAベイスターズ」元年となりましたが、報道陣を集める事と元気の良さが取り柄の中畑新監督の元、多少変わったメンバーでとりあえず5位を目指しますので横浜ファンの皆様は期待して応援致しましょう、失うものは何も有りませんから・・・

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ああ我がベイスターズよ、迷走の果ては天国か地獄か!?

先週末の第22回クラウンピクニックには多数のマニア(変態)の方々がお集まりになられ大変盛り上がりました、本当に有難うございます!!

  

このように金メッキされた車両のエントリーも多くなり、最近の金市場の高騰とシンクロしているようで、マニアの集まりでも世の流れが感じられますね・・・

こちらの「自家用」マークは80代の超ベテラン看板職人様が描いた物だそうです。 まるで文字が生きているような躍動感があり、文字を囲む直線のラインもマスキング無しのフリーハンドで仕上げるという豪快さであります。

言葉も出ない凄い作品に最敬礼のWildmanでありました。40年後に私もこういった文字を描けるように精進致します・・・・

さて、昨日モバゲーのDeNAがいよいよTBSからの球団譲渡を申請し、いよいよ「横浜DeNAベイスターズ」の誕生となりますね。楽天がいくら参入に反対しても無理な状況になりました。「モバゲー」も球団名はNGになったようだし。

ゲームの会社がプロ野球球団持つなんてを考えてもみませんでしたが、これで迷走する我がベイスターズは何とか来年以降もプロ野球球団として存続されるので私的には良かったとするしかありません・・・・

カリスマ成田店長がブログで叫んでいたように、京浜急行、ミツウロコ、シウマイの崎陽軒らが組んだ「横浜連合」でベイスターズを買い取れれば横浜市民としては一番良かったのですが、いかんせん参戦が遅過ぎました、財力でも絶好調のDeNAと比べると厳しい感じです。

マルハの「大洋ホエールズ」時代からのファンと致しましては、ゲームの会社がオーナーになるなんて信じがたき事実なのですが、とりあえず横浜に本拠地を残してくれる方向なのでもう受け入れるしかありません。だって横浜から出てったらさすがの私も興味なくなりますから。

でも私はゲームに関しては全く興味もないし、今後も絶対にやらないので残念ながらDeNAの本業に協力する事は出来ません。

ついこの前の昭和53年に「スペースインベーダー」が登場し日本中でブームになった時もついぞ一度もやることは無く、家庭用ゲーム機器が流通するようになり、実際自宅にも弟が買った物が沢山あっても、触ることすらありませんでした。

70年代、スペースインベーダーは当時一回¥100だったので、友人たちは必死にそのお金を調達していましたが、あんなゲームを3回やれば¥300も消えてしまうのです。

  

そのお金があればマッチボックスが1台買えたし、カービートやホリデーオートも1冊買えたので私はそちらを選びました。

友人たちは「おまえはバカだ」といっていましたが「おまえこそ底なしのバカだ」と言い返していた私の勝利はゆるぎない物があります。

だって33年後、インベーダーに何万円も費やした友人たちの手元には何も残っていませんが、私の手元にはちゃんとマッチボックスもホリデーオートも残っているのですから・・・・俺の勝ち!!

とにかくゲーム嫌いの私にはモバゲーなんかやってる無駄な時間は無く、ミニカーの手入れと読書に勤しまなければ人生を全う出来ないのであります。

話がそれましたが、今回の買収劇によりとりあえずTBS以上の資金を得たベイスターズは一からチームを作り直さなければなりません。

監督も何もかも総入れ替えとなるでしょうが、そのくらいしないとどうにもならない状況にまで落ち込んだチームなのでチームカラー一新と行きましょうね。

確かに猛烈に弱いのですが、今年の戦いぶりなんか見てると、常にボロ負けばかりしている訳ではなく、一歩間違えれば本当は勝っていたと思われる試合が多々ありました、負け惜しみではなくて。そういうあと一歩を上手にセコく勝つのが優勝したセコい中日ドラゴンズでありましてああいうのが本当にセコくて上手い野球なのでしょうな、つまらんけど・・・・

何たって今年は一時的に失点も得点もセ・リーグNo.1という奇妙な戦い方をしていたので、問題の意味の無い失点さえ防げれば、このチームは化ける可能性があるのです。10点取っても15点取られるというギャグのような戦い方をとりあえず止めましょう・・・

この10年でチームの主力はFAでことごとく引き抜かれ、それら出て行った選手は皆活躍しているという状況もひどいです・・・今年のホークスの内川素晴らしいですね。

チームの要であるキャッチャーが同一リーグへ移籍するという信じがたいパターンの移籍は98年優勝時のキャッチャー谷繁の中日移籍から始まり、ヤクルトに移籍した相川も大活躍だし、何だかアホらしいですね。

谷繁なんて真面目な森監督のイジメに耐え切れず出て行ったような物なのですから、もうああいう旧時代の大物監督はヤメにしてチャラく行った方が良いと思います。

新庄監督でもクロマティ監督でも佐々木監督でもいいし、とりあえず話題性を作ってチャラいチームを作り38年後の優勝を目指しましょう、行くぞ大洋!!

あ、来年も間違えなく最下位ですので他の5球団のファンの方、ご心配なく・・・・・

つまらないセ・リーグの立役者、横浜DeNAベイスターズを宜しくお願いします。

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