先日、あるミニカーを探す為に我が変態部屋内の「ジャンク・ヤード」 (ただの段ボール箱)を物色していたところ、探しものとは全然関係ない 懐かしいブルーのジャンク・ミニカーが出て来て郷愁に浸ってしまいました・・・
このジャンク・ヤードというのは数十年に渡るミニカー心中生活の中で、 何らかの理由で傷ついてしまった物や、子供のころ弟に破壊されて しまった物、友人から「もういらないから持ってって」といわれ「ハイハイ、 かたじけない」と廃品業者のように回収してきた物たちがひっそりと眠る 「ジャンク・ミニカー安住の地」となっております。
でもこのジャンクたちも時には役に立つことがありまして、実車と同じく 「部品取り車」として大変重宝することもあるのです。タイヤなんかよく 利用致しますね。
で、ブルーのミニカーであります・・・・皆様は子供のころ買って頂いた オモチャをどのくらいお持ちでしょうか? エッ、全然持ってないって?? それじゃ人間失格ですね。3~40代の人であればせめて5歳くらいの ころのオモチャくらい持っていないと話になりませぬ・・・・・
ついこの前の昭和30年代後半から40年代前半に生まれた方であれば ミニカーといえば英国の”Matchbox”(マッチボックス)なのであります。 1/43スケールのミニカーなんて高価過ぎて、誕生日やクリスマスの イベント時くらいしか買ってもらえないのが当時の一般常識でありまして 60年代当時は150円で販売されていたマッチボックスは庶民の味方 だったのです。 何はともあれ、当時の子供たちはミニカーといえばマッチボックスでした。
バラエティに富んだ車種選択と、かなり精巧なディティールはトミカや ホット・ホイール(ウィールじゃありません、念のため)誕生以前の 小スケールミニカーの代名詞だったのです。
Wildmanもついこの前の幼稚園時代はマッチボックスに大変お世話に なりました。今でも大変お世話になっておりますが・・・ で、やっとブルーのミニカーの登場であります。マジックでゼッケン2番 が描かれてしまった傷だらけのこいつはタイヤも一本紛失していて Wildman的には完全なジャンク・ミニカーなのです。 最近はこんなのでも程度がいいという変態も結構いるのですが・・・ このミニカーが我が家にやって来たのはついこの前の昭和44年、 岡村幼稚園、ひなぎく組の時でありました。 ある日、弘明寺商店街の中華料理屋に家族で食事に行き、今はなき 「さのや玩具店」にて買ってもらった当時最新鋭のミニカーでして、 現在手元に残っている「Wildmanワンオーナーカー」の中でも最古の ミニカーの一台なのです。
でもね、幼年Wildmanは当時このミニカーの車種が全くわからず、 困り果てておりました。マッチボックスでもムスタングやワーゲンなんか はその辺でも実車を見るから全然問題ないのですが、この青いクーペ はその辺を走っていなく、何が何だかさっぱりわからないクルマでした。 シャーシに刻まれた英語なんて読めるわけないし・・・
親父に聞いても「きっとファミリア・クーペだよ」と無茶苦茶な答えしか かえってこず、謎のクルマは謎のまま時が過ぎて行きました。 しか~し、ついにその謎が解ける日がやって来たのです。 岡村幼稚園、月組になった頃、今度は同じ弘明寺商店街にあった いまはなき「高橋玩具店」にてミニカーのカタログを何冊か頂きました。 その中に「1969年マッチボックス日本語版」カタログがありまして、 パラリとページをめくるとそこにはあの青いクーペが出ていたのです!! しかしまだカタカナがよく読めませんでした・・・・親父にそれを読んで もらうと「イソグリフォ」って書いてあるよと言われました。 「いそぐりふぉ~」って何???へんなの、円谷プロダクションのクルマ ですか???と又もやクビをひねるしかありませんでした・・・
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