Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

Happy New Year!! そしてミニカーコレクション第7位であります。

皆様、明けましておめでとうございます。本年もWildman’s Blogにお付き合いくださいませ。

今年の干支はBoar(イノシシ)なので、本牧はArea-1のNew Year Special Stickerはイノシシさんをモチーフにデザイン致しました。毎年恒例のプレミアムなギンギラ仕様となっております。Area-1店舗にて¥3,000(税別)以上お買い上げの方にプレゼントしておりますが、残り少なくなって来ましたので、ぜひご来店頂きお買い物を楽しんでステッカーをGetしてください。

そして力道山先生より年賀状を頂きました。先生のご結婚を祝うもので、大変恐縮で有ります。

今年は昭和38年か、来年は東京オリンピックだなあ・・・・と思ったら平成31年で有りました、初夢を見てしまいました。でも東京オリンピックはまた来年ありますね、東洋の魔女再来であります!

という事で夢から覚めまして、次はいつもの白昼夢ミニカー話の続き「43周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」第7位となります。43周年のはずでしたがいつの間にか年が明けてしまったので、コレクションスタートの1975年からは44周年となってしまいましたが・・・・

第10位がイタリア製Politoysの「BREサムライ」 第9位が西ドイツ製Marklinの「ビュイック・セダネット」第8位が日本製モデルペットの「トヨタスポーツ800」ということでありました。もちろん全て実車現役時代に作られた「当時物」のビンテージミニカーたちなのです。

そして今回発表の第7位は英国製Corgi Toysの傑作ロータス・エラン(Lotus Elan)であります。もちろん1960年代に造られたミニカーなのです。

1975年当時、少年ジャンプにて「サーキットの狼」の連載が開始されましたが人気が出ない為、打ち切り話が出たくらいでしたが、突如人気が出てその後は76〜77年に掛けてのです爆発的なスーパーカーブームにつながって行きました。

主人公の風吹裕矢の駆るロータス・ヨーロッパが当時のお子様たちの人気でしたが、頭のおかしい少年Wildmanは「ロータスだったらヨーロッパより エランの方がカッコいい、いやコルチナの方がいいかも」とひとりつぶやく変質者と化していました。

すでにミニカーコレクションはスタートしておりましたが、まだ知識の浅い小学5年生はこれまでにどんなクルマがミニカー化されていたのか全く理解出来ておらず、資料も今と違って少ないので、ミニカーは現場で知るしかありませんでした。ミニカー専門店、玩具店、デパート、文房具屋、駄菓子屋、縁日の露店等々現場で遭遇してその存在を確認しておりました。

変態への道を突き進んでいた11歳はミニカー専門店というものを突き止めて通うようになりました、世捨て人の始まりです・・・・

70年代当時の横浜はミニカーパラダイスでして、数々の専門店が存在し、買う買わないに関わらず、そこに行けばいろんなミニカーに遭遇出来たのです。横浜に生まれてしまったことが人生を狂わせたと言っても過言ではありません・・・・

専門店では新製品や現行モデルに混じってとっくの昔に生産が終わっている「絶版ミニカー」が平然とショーケースに並んでおりました。

いろんなお店に行きましたが最初にホームグラウンドとなったのが鶴見区にあった「チェッカー」というホビーショップでありました。ミニカー、プラモデル、モデルガン等々、当時のお子様に人気のあった商品を小さな店舗内に所狭しと並べてありました。

夢のような空間で夢のような買い物をする術が少年Wildmanにはありまして、当時鶴見区には親戚が住んでおり、そこに遊びに行こうと祖母を誘い出し、途中でチェッカーに寄ってミニカーを買ってもらうという鉄板のルーティーンがあったのです・・・なんというガキなのでしょう!

昭和50年のとある日、いつものように祖母を誘い出しチェッカー経由で親戚の家に行く段取りとなりました。すでに頭のおかしくなっていた少年Wildmanは現行品や新製品のミニカーには目もくれず、店の奥にあった絶版ミニカーコーナーを凝視しておりました。

するとブルーと白のツートンカラーのミニカーが目に留まりました。「あれ何だろ、小さなスポーツカーに見えるぞ」と思い店主のTさんに「み、見せて下さい、その青いの」と頼んでケースから出して頂きました。

紛れもないロータス・ヨーロッパよりも好きなロータス・エランでありました。「うおおお〜エランのミニカーなんてあったんだ!」と興奮し、祖母にお願いし「これを買って下され」となりました。

これが英国Corgi Toys製のロータス・エランでその頃でも10年近く前のミニカーでした(実車が60年代のクルマなので)

こちらが当時のCorgi Toysカタログ画像になります。

Corgi Toysは昭和35年の玩具自由貿易が施工された時に日本に最初に正規輸入されたブランドの一つでした。

ミニカー王国の英国ではDinky Toysというブランドが戦前からトップブランドのミニカーとして君臨しておりました。こちらの画像が50年代のDinky Toysですがプロポーションも良く頑丈な造りとなっています。未だ窓ガラスが無い時代のモデルです。ハドソンの美しさにはほれぼれ致しますね・・・

後発のCorgi ToysはDinky Toysに追い付け追い越せという感じでスタートし、こちらの初期モデルでもすでに窓ガラスを装着していてDinkyに差をつけていました。

その後怒涛のCorgi快進撃が始まり、こちらの1960年発売のアストン・マーチンDB4では世界初のボンネット開閉アクションを持ちエンジンも再現されるというエポック・メイキングなモデルとなりました。

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2大イベントの後は不良の?ミニカー話で。

27th Yokohama Hot Rod Custom Showも無事終了となりまして、その後すぐにアメリカに飛んで、今度はMQQNEYES USA主催のMQQNEYES X-mas Partyに参加して来ました。

こちらのイベントは元々90年代、Ed”Big Daddy”Roth存命中にRat Fink PartyとしてMQQNEYES USA敷地内で開催されていたのですが、どんどん参加車両が増えてしまい、とてもShop敷地内では出来ない状況となってしまいまして、Police Academyに会場を移したりしていたのですが、Irwindale Speedwayという大きな会場で開催出来るようになりまして1000台規模のイベントとして継続しております。Show & Dragが堪能できる最高の場所なのですが、こちらもSpeedway自体がClosedしてしまうという噂? がここ数年流れていまして、昨年はポスターにLastの文字を入れて「これで最後ですよ」と謳ったのですが結局未だClosedせず今年も何とか開催出来ました、良かったです!

今年も現場では早朝から沢山のペイントのお仕事を頂きまして、写真を写すことが出来ませんでした、すみません・・・・

そんな中、気になったクルマがこちらになりましてChevy Vanには70’sなAir BrushによるChopperのイラストが描かれておりまして、思わず見とれてしまいました。何とロシア人の女性Artistによる作品との事でした。

そしてこちらは珍車? のAMX 390でございます。Drag Racerでとってもカッコ良かったのですが、子供の頃はヘンテコな形にしか見えずとってもカッコ悪いゲテモノ車だと思っておりました、本当にすみませんです・・・・

AMXの「当時物ミニカー」は数が少なく、あまりモデル化されておりませんでしたが(やっぱりゲテモノ?)何とスペイン製のミニカーで4座モデルのジャベリンがあったのでした。

Auto Pilenというブランドなのですが、当時この会社はコピー商品をたくさん作っていて、英国のDinky ToysやCorgi Toysの型を流用したりアップデートしたりして沢山のモデルを製造していまして、日本にも70年代に結構な量が輸入されていましたね。

こちらのC2 Corvette Stingrayは英国のCorgi Toys製のモデルで、リトラクタブルのヘッドライトの開閉アクションを持つ60年代製造商品としては画期的なミニカーでございました。(ちなみに右端のカッパーの色は激レアモデルなのです)

そしてこちらはその型を流用し更にドアー開閉アクションを追加したスペインはAuto […]

買えないクルマはミニカーで、バットモービル出撃だぜ!!

少し前、千葉界隈に出没し世間を騒がせた「千葉ットマン」なる方がおられましたが、ジョージ・バリスもビックリと言った珍奇なトライクに乗っておられましたね。 次はぜひクルマでその変態度を再現して頂き、安いオープンカーベースで竹ヤリ&出っ歯でない「千葉ットモービル」を作り上げて欲しい物です。

で、バットマンと言えばバットモービル、それもTV版初代のヤツに限りますね。新しいデッカイ奴はもはや車の風情ではなく、凡人の私には全くカッコ良さが理解出来ませぬ・・・・

バットモービルはこちらの画像、リンカーン・マークIIベースの1955年のコンセプトカーであった”Lincoln Futura”(リンカーン・フューチュラ)をベースに大御所バリスが変態カスタムを施した車でした。ベースカーの時点でバブルトップを備えていたので、結構フューチュラのイメージを残したままの感じですよね。

お役御免になった流行遅れのテールフィンを持つフューチュラが10年後にバリスの元へ行ってお色直しされ、1966年のTV Movieバットマンの劇中車両として再デビューを果たし、世界中の人気者となりました。リンカーン・フューチュラは1台しかないので、バットモービルに変身してしまったあとは残念ながら美しいあの姿はこの世に存在していないのです・・・

つまりオリジナルのフューチュラベースのバットモービルは1台しかなく、バリスの手で複数台作られた物はレプリカとなる訳であります。撮影以外にドラッグレース場等でプロモーションにも使われてました。

と言ってもどれもこれも本物そっくりで、この画像は10数年前のMooneyes Rat Fink Reunionに来ていた車両ですが、とっても本物に見えておりました。 本物は2年ほど前のバレット・ジャクソン・オークションにバリスが出品し4億円オーバーで落札されてましたが・・・ ということでどうしても本物が買えない時はミニカーに限るのです。(ビッグが当たったら本物を買いますが)

バットモービルのミニカーと言えば1966年、TVと同じ時期に同じ空気の元で作られた(これが重要)当時物Corgi Toysで決まりなのです。世界中で売れまくったミニカーでありまして、66年から79年までの間に何と4,907,000台以上!!!という驚異的な出荷量を誇ったオモチャ界のベストセラーとなったのです。

当然当時日本にも輸入されまして、定価¥1,200という高級玩具で日本製ミニカーの倍のプライスとなっていました。

こちらはついこの前の昭和41年12月1日発行の月刊コレクター誌82号(ジャパン・ミニチュア・コレクタークラブ発行のミニカー専門誌)ですが深紅の表紙を新製品バットモービルが飾っております。

フロントからはノコギリがニョキっと飛び出し、メッキの3連パイプからはミサイル弾が発射、リアのエグゾーストパイプからは炎を噴射(と言ってもプラスチックの炎ですが)という驚異のアクションを持ち、バットマンとロビンのフィギュアも乗車していて、室内にはバットマン電話もセットされるというもう子供にはたまらないミニカーとなっていたのでした。

当然、子供のオモチャとして殆どが消費されてしまった為、このように説明書やミサイル弾、ステッカー、梱包材等全てがコンプリートで揃っている個体は極めてレアな存在となっています。

箱絵も素敵過ぎて、完全にアートの域に達しております。これを見ているだけでワイルドマンはバットマンになってしまいそうなのです「バットマン石井」いい響きだな・・・

この画像のように初版のバージョンはリアにけん引フックが無いのですが次のバージョンではトレーラーを引く為のけん引フックが追加されるのです。

シャシーも凝っていてこのようにバットマンがエンボス加工で浮き出ていて夢が広がって来るのです、ああ素敵・・・

そしてコーギーのバットモービルは長い生産期間の間にバットボート等の色々なバリエーションを増やしていって、最終的にはバットモービル、バットボート、バットコプター(ヘリコプター)の3台を一緒にした究極のギフトセットをついこの前の1976年に発売したのです。

あまりにも豪華なセットでありまして、これを当時買ってもらった子供は天にも昇る気持ちだったことでしょう。私は既に天に上り過ぎていて気が変になっておりましたが・・・

76年に154,000セット、77年に134,000セットが販売され、日本では当時定価¥4,000となっていてクリスマス以外には買ってもらえないような、かなり高価なお品でありました。いっぺんに3台のオーナーとなれる贅沢セットなのでした。

横に広がるウィンドウ・ボックスは44センチもあり、飾っておくだけでも大迫力なのですな。もちろんミサイル弾は未使用であります、このまま永遠に・・・・

そしてオマケは78年発売のコーギー製”Batbike”(バットバイク)であります。相変わらず箱絵が素敵過ぎますね・・・電人ザボーガーもビックリのカスタム度でありますが、何だか実車で作れそうな気がして来ます。バットモービル同様ミサイル弾発射のアクションを持ち、フロントのカウルから飛び出すのです。ホークIIあたりをベースにロケットカウルとテールフィンを付ければあっという間に完成出来そうですね!!千葉ットマンさんは今度これを参考に作った方が絶対マニア受けすると思いますが・・・

このミニカーは78年から82年の間に549,000台が販売されましたが、画像のこいつはその生き残りで何と未開封!!となっていてバットマンフィギュアとバイクは当時コーギーの工場でくくりつけられた輪ゴムでとまったままなのであります、ずっと切れなきゃいいな・・・・

こんな素敵なミニカーさんたちを見ていると、いつか「ワイルドマンモービル」を作ってしまいたくなる今日この頃なのであります。その時は横浜スタジアムのリリーフカーとして出撃する予定です。8回裏、相手ベンチにミサイル発射だぜ!!

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バゲーラでバケラッタ?プラスチックなクルマたちはカッコいいぜ!!

もうすぐは~るですねぇ♪と歌いたくなるようなポカポカな陽気になってまいりました。春は嬉しいですね、雪は一生見たくないので・・・

というわけでキャンディーズを歌っている場合ではなく、前回のブログの続きとなるプラスチックなクルマたちのお話をさせて頂きます。

キャンディーズが流行ってる頃といえばわが国はスーパーカーブームに明け暮れ、地獄の軍団KISSが来日し、ナイキが日本発売される等、私の狂った人生が狂い始めた記念すべきスタート地点となります、ハイ・・・

ついこの前の1977年5月8日に、今はなき磯子の高台にあった横浜プリンスホテルで開かれたスーパーカーショーにヤマハモトバイクで出撃し、展示車両だったロータス・ヨーロッパに座らさせて頂いたのがプラスチックなクルマの初体験でありました。

ロータス・ヨーロッパは漫画サーキットの狼の主人公、風吹裕矢の愛車だったので、当時の子供たちには絶大な人気を誇っておりました。

練馬56そ・740の白いヨーロッパ・スペシャルはアイドルとなっておりましたが、4気筒1600ccで126馬力、最高速度200km/hのこのクルマが漫画の中では12気筒4000ccで375馬力、最高速度300km/hを誇るカウンタックに勝ってしまうのが不思議でなりませんでした・・・

だったら2気筒360ccで36馬力のスバル・ヤングSSが6気筒2000ccで150馬力のトヨタ2000GTに勝てるのではないかと本気で考えてました、風吹裕矢の次の愛車はヤングSSにした方がイイと思ってました・・・

で、ヨーロッパの当時物ミニカーですが、実車が「史上最速のブレッド・バン」と呼ばれた不思議な形の為なのか、今一つ作りにくかったようで傑作と言えるモデルが見当たりません。

  

しいて言えばちっこいサイズのこの英国マッチボックスが初期OHVエンジン搭載の細いタイヤを履いたヨーロッパの雰囲気をイイ感じで捉えていますね。

イタリアはMebetoysからもこのレーサー風ヨーロッパが出ていましたが、おそらくコスワースエンジン搭載のレースカーである47GTをモチーフにしたと思われます。

  

このミニカーは1975年に鶴見のチェッカー、絶版車コーナーにて祖母におねだりして買って頂きました、¥2,500もしました・・・帰り道でつくの商店街の長崎屋でラーメンを食したこともちゃんと覚えております。

「今でも大切に持ってるぜ婆ちゃん!!」と墓参りの度に伝えております。

そしてプラスチックなロータスと言えば、古いエランの方がマニア受けは良いようですね。

初めて実車を見た時はあまりにも小さくて、ニセ物なんじゃないと心配してしまいました。

浮谷東次郎が船橋のレースで勝ったりして、古くからのファンには人気がありましたがスーパーカーブームの頃にはもう古過ぎて、子供たちのアイドルにはなれませんでした。

しかしミニカーマニヤの私には十分にアイドルとなってましたね。

 

英国Corgi Toys製の傑作モデルの誉れ高きエランS2は、シャーシー脱着可能!!という驚異のアクションを持ち、子供たちに実車の構造を教えてくれたのでした。

 

トヨタ2000GTがこのフレーム構造をマネしたんじゃないかとひねくれた考えを持つ子供を育てることにもなってしまいました・・・

ブルーに白ルーフのは、ついこの前の1976年にやはり婆ちゃんにチェッカーで買って頂きました、¥3,000もしました・・・・いまでも大切にしております。

いろんなバリエーションが作られましたが、1960年代の英国の人気テレビ映画The Avengers(邦題:おしゃれ丸秘探偵)の劇中車両セットもありました。

当時輸入されなかったようで、なかなか手にはいりません。

主人公のベントレーとヒロインの白いエランS2がセットになっていて、武器?であるこうもり傘も付属しています。箱絵を見ているだけで夢が広がって行くのです。

日本代表のプラスチックといえば1956年発売のフジ・キャビンにとどめを刺すのです。

全くこれ以上何を望めばいいのかと思わせるほどの前衛的なデザインを持つこの超小型3輪車は、フレームを持たないモノコック構造全体をFRPで構築するという画期的な手法で作られました。

同じ構造のロータス・エリートよりも2年も早い開発という快挙なのであります。

たったの125ccで5,5馬力という性能のキャビンは、夏は暑くて冬は寒いという素晴らしい特性を持ち、操縦性も悪くて市場には受け入れられずにたった85台が作られただけで寂しく消えて行きました。

でもプラスチックで錆びないから外で放置しても残ってしまった車輛も少数存在し、マニヤ様の元で生き永らえているようです。

キャビンは当時物では一切モデル化されず(ミニカー、プラモ、ブリキ)ここ何年かでレジンのキットや完成品が出たにすぎません。

  

こちらはレジンの完成品ですが、流石に現代の技術で作られた為「実車より精密」に作られております、味はありませんが・・・・・

お次はおフランスのプラスチックになりまして、日本ではあまりなじみの無いマトラになります。

フランスのルネ・ボネという小さな会社が作っていた世界初の市販ミッドシップカーであるルネ・ボネ・ジェットというクルマがありました。

1962年から2年間細々と作られていましたが経営難に陥り、航空宇宙産業やミサイルなどの軍需産業で有名なマトラ社がルネ・ボネを買収しました。

マトラは元々ジェットのFRPボディを作っていたのです。

[…]

ルックチョコレートとミニカーの融合、ローウィは天才だぜ!!

この前の月曜日なのですが、せっかくのお休みにもかかわらず横浜は晴れているのに雪が降っているという不思議な光景となりまして、私の頭脳なみに地球は混乱しているのだなと感じました・・・

雪を見ただけで一歩も外には出ない方針のWildmanと致しましては当然引きこもりとなりまして、コーラとお菓子で一人酔っぱらっているしかありません、ああ美味しい。

スイーツ好きの私でありますが、実はチョコレートというのはそれほど好きではありませぬ。チョコレートケーキよりもショートケーキ、生クリーム万歳!!なのであります。

でも何点か好きなチョコはありまして、キットカットと東チョコのライスチョコレート、そして不二家のルックチョコレートがとても美味しゅうございます・・・

中でもルックチョコレートとは古い付き合いでございまして、幼稚園の頃よりフェイバリットな存在でした。

現在は買わなくても親父がパチンコの景品で貰ってくるので実家に行った時に回収してくるのです。

 

不二家ルックチョコレートは昨年、発売50周年という節目を迎えましたが、基本的なパッケージデザインは50年前と大して変わらないのです、凄いですね。まあ1962年なんて全くついこの前なのですが・・・

アラモードのフレーバーは昔はバナナ、ストロベリー、キャラメル、コーヒーでしたが現在はバナナ、アーモンド、ストロベリー、キャラメルに代わっております。

そんなことはどうでもいいのですが、不二家のロゴマークというのは子供の頃から頭の中にこびり付いておりまして、やっとひらがなが読めるようになった頃、アルファベットのFをモチーフ としたこのマークがひらがなの「み」をデザインした物にしか見えなかったのです、本当に・・・・

「み」とお花のマークは一体何なのでしょう??と幼年Wildmanはルックチョコレートを食べながら一人悩んでおりました、今も色々と悩んでおりますが・・・

その後数年が経過し、自動車とミニカーの研究にせっせと勤しんでいた頃、へんてこな形のミニカーを手に致しました。

  

それは英国Corgi Toys製の「スチュードベーカー・ゴールデンホーク」なるクルマでした。

カッコいいんだか悪いんだか当時の頭では理解不能なデザインでしたがとりあえず「実車より先にミニカーで勉強する」といういつものスタイルでゴールデンホークを調べて行きました。

するとあるデザイナーのお名前が頻繁に出てきます、それが”Raymond Loewy”「レイモンド・ローウィ」なるお方でした。

ダイヤモンドユカイではありません・・・

文献には必ず「口紅から機関車まで」というフレーズが出て来て、ローウィという方は一時代を築いた産業デザイナーと言うことが分かりました。しかも超ビッグネームではありませんか!!

フランスからアメリカに渡り帰化したローウィは流線型をモチーフに色々な物をデザインした偉大なお方でした、小学校高学年になるまでそんな事を知らなかった自分の事を恥ました・・・

     

機関車、船舶、飛行機、自動車、冷蔵庫等の工業製品から、ラッキーストライク、シェル石油の貝殻マーク、エクソン石油等のロゴやパッケージデザインもこなしております。

日本のたばこのピースもそうでしたね。

それにしてもこの機関車は強烈デザインですよね・・・・

こちらフジ・キャビンと同じくらいのインパクトがあります。

そして何と不二家のナゾの「み」マークもローウィの手になる物でした。

しかも愛するルックチョコレートのパッケージデザインも手掛けておりました、最高だぜローウィよ!!

「うーむ、口紅から機関車までというよりもチョコレートからスチュードベーカーまでと言った方が良いのでは」と思いました。

  

そんなこんなでスチュードベーカーをさらに遡って調べて行くとゴールデンホークなんて序の口で、1950~51年に掛けての通称”Bullet Nose”(銃弾の先端)を持ったデザインのグリルが凄過ぎました。

ミニカ・ダンガンとはわけが違います・・・

同じようなグリルがモチーフの1949 Fordの方が先に出てしまったのであっちの方が偉そうですが、デザイン自体はスチュードベーカーの方が先にあがっていたそうです、世の中早い者勝ちですね。

  

フロントも凄いですがリアスタイルも無茶苦茶で180度パノラマビューのガラス面を持ち、一体どっちが前なのか後ろなのか分からず、当時はジョークで”Coming or Going” 来るのか行くのかどっちなの?と言われてました。

後ろから前から@畑中葉子ではありませぬ・・・・

こちらはついこの前の昭和25年1月10日に発行された私の蔵書、「ポピュラ・サイエンス 第2集 自動車編」でありますが、思わず目をそむけたくなるような強烈イラストのスチュードが表紙になっております、怖いですね・・・

 

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