Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

灼熱のタイにてアラレちゃんこんにちは!

今年の春はとっても寒くて、本牧通りの桜さんたちも寒さを感じているようでして、ゆっくりと咲いてゆっくりと散って行くようです。

そんなSakura Weekの間にMQQNEYES御一行はタイに行って参りました。まさか帰国後も桜が咲いているとは思っておりませんでした。

タイはバンコクのMQQNEYES SHOP BKKが3周年記念のイベントを開催致しまして、そちらに参加して来ました。というか昨年の9月にも2周年記念イベントで行っておりますので、何だかAnniversaryだらけでよく分からないのであります・・・・・

タイは只今真夏でして、気温は平気で35度!になってしまう暑さでありまして、春なのに寒い日本とのギャップが激しかったのです。おかげでもう日本では食べられないDaily Queenのソフトクリームが食べられて大変満足なのでした。懐かしいなあ、元町や上大岡にあったDaily Queenが・・・・

いつもと同じくビンテージモール内のMQQNEYES Shop BKK & MQQNCafe前の広大なスペースを利用してCar & Bike Showが開催されました。

相変わらずいろんな車やバイクがあるのですが、今年はやたら旧い型式のメルセデスが多かったのです、タイで流行っているみたい!?

残念ながらこのマフラーの意味が分かりませんが・・・

こちらは出来たばかりのMQQN CafeのShop TruckのISUZUですが、黄色と白のツートンカラーは少し寝ぼけた感じがしていたので、塗り分けの境目に一本黒いラインをササっと描いたところ、このようにビシッと決まりました、自画自賛!?

日本車は人気でありまして、70’s なセリカには本牧ステッカーが張られていました。ルーチェもやたらうるさいロータリーサウンドを響かせておりました。

ナゼか藤原とうふ店(自家用)仕様はダイハツ・シャレードでした。

VWはHot Wheelsの実物大のような感じで作られていました。これからは実車からミニカーを作るのではなく、ミニカーを実車にしてしまう時代が来るのかもしれません・・・

フラフラ歩いておりますと、目の前に突然不気味な物体が! 何とマツダ・ライトバスがバーに改装されて鎮座しておりました。

何でこのような珍奇なクルマが、この場所にこのような形で存在しているのかさっぱり分かりませんでしたが、異国の地で余生を送っているライトバスに郷愁を感じたのであります。

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採算は取れたのか? SCNもインドネシアも天気予報は大外れ!

ついに33回目の開催となりましたMQQNEYES Street Car Nationalsでしたが、週間天気予報は見事に外れてくれまして、当日はちょっと晴れ間が覗く曇り空の中、無事に開催出来ました。

1200台を超えるエントリーの方々、145件ものSwap Meetの方々、そして11,000人の来場者の方々、皆様有難うございました!!

思い起せば大井競馬場で開催された1回目のSCNにエントリーしてから33年の月日が経ってしまったとは驚きです。あの時はまだ昭和だったのですね・・・・

昭和に始まり平成を駆け抜け、そして東京オリンピックの開催となって、34回目は未だ開催未定のSCN、この先も続けられるよう頑張りますので、宜しくお願い致します。

そして2週間前はですね、インドネシアで開催されました”BBQ Ride”というイベントに出撃致しました。これまでも他のMQQNEYESスタッフは参加していたのですが、私は今回が初参加となりました。

インドネシアのBandungという街での開催となったのですが、空港に着けばやっぱり雨・・・最近は晴れ男のイメージ先行のWildmanで有りましたが、初めて行くところはナゼか必ず雨が降っているような気が致します。

今回の会場付近は標高が高いところにあるため、これまで経験した強烈な蒸し暑さのインドネシアとは違った感じの場所で、過ごしやすかったのでした。

今回、MQQNEYES御一行を案内してくれたのはこちらのスズキのバンなのですが、日本から中古で輸出された車両なので、サンルーフ等フル装備状態でした。ETCまで付いたまなのですが、使えるはずが無いのに使っていたので何かと思ったら、ただのカード差しとして使っておりました・・・・・

相変わらず東南アジアの街中はスクーター天国ですが、ガソリンスタンドではこのようにとっても素敵なミツビシがおりました。

クルマの渋滞が酷い所でして、こちらの徒歩で進む移動レストラン?のおじさんには何度も抜かれました。歩いた方が早いのです。

こういった移動式屋台も風情がありますね、ひ弱な私は絶対に食べられませんが。初インドネシアの時、帰国後病院送りになった事を思い出してしまいます・・・

今回のイベントは2日間開催されるのですが、会場はジャングルクルーズのような密林地帯にあり、スズキのバンのエンジンを唸らせて山の中を突き進んで行くのでした。

画像では分かりにくいのですが、山の中にはこのように家の軒先でやっている小さな小さなガソリンスタンド?が沢山ありました。やっと着いた会場はキャンプ場にもなっているのですが、芝生のはずが、雨のせいで泥の中に芝生が見え隠れするといった感じでして長靴がないと遭難してしまいそうな所でした。

天気予報は2日間共に100%雨・・・・・「やっぱり私が来てはいけなかったのでしょう」と心を痛めていたのですが、結局雨は夜を中心に降ったので、日中の開催時間はあまり降らない状況が続いて、100%の降水確率というのは大げさな予報のようでした。

それにしても泥んこの中でキャンプをされている方々は凄いですね、私には絶対無理です。

MQQNEYESブース前も泥んこ状態でして、すのこというかパレットを敷いて歩けるようにしてました。というか何度も転びそうになりましたが・・・・

ステージも設けられた会場にはバイクメインのエントリー車が並びました。泥んこの上にディスプレイされたバイクたちはちょっとかわいそうでしたが・・・

こんなオリジナルなGTサンパチ@湘南爆走族桜井やCB500Fourも並んでました。

クルマは少なめでしたがアメリカ車がメインとなっておりました。と思うとヘッドライトにワイパー装着のメルセデスはボンネットに穴をあけて我が道を行くという感じが素敵でしたね。

こちらの赤いChevy C-10がMQQNEYES […]

ミニカーコレクション第4位、共産圏のクルマが大好き!?

この前のお休みの時にですね、ふと思いついて我が家の玄関扉の枠の部分のペンキを塗りたくなりまして、ホームセンターに直行、水性ペンキとハケを購入し寒い中、朝からペタペタと塗り始めました。

普段家では絶対にピンストライプのブラシなど握らないのですが、(私オンオフのスイッチが強力なので、家に帰るとPinstriperからただの変態になってしまうのです)ハケなら良いでしょうという事で、古い塗装を落とし、完璧なマスキングを施して塗り始めると、何だかとっても楽しくなって来ました。

素晴らしいハケ捌きで、ムラも残らずどんどん塗られて行く扉の枠、「うおおお〜完璧だ、趣味でやるなら建築塗装も楽しいぞ!」と次は横の柱も塗りまくり、まだペンキも余っているので今度は2階のベランダに行き、扉も枠も全部塗ってしまいペンキが無くなった所でハイ、おしまいとなりました。道行く近所の方々は、とっても不思議そうな目で塗装職人と化したWildmanを見ておりました、いつも不思議に思っているようですが・・・・・

まだ塗り足りないので、今度はお隣の家の玄関に侵入し勝手に塗ってしまおうかと思ってしまう今日この頃であります!!

という事で今回のお話は連載中の「44周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」第4位となります。ついに4位まで来てしまい、寂しい気分となってしまいます。せめてベスト50にすれば気持ちに余裕を持って考えられるのですが、10台というのはかなり厳しい選択となりまして、選ぶのに苦労するのです。そんなこと普通の方々にとってはどうでもいいことなのですが・・・・アブノーマルな人生は大変なのです。

この本に出合っていなければ、こんな人生は絶対に送っていなかったと常々思っている昭和の問題作、保育社のカラーブックス「世界のミニカー」を毎日熟読する小学生のWildmanは「今まで知らなかった自動車をミニカーで知る」という喜びを得まして、どんどん訳の分からない車の名前を憶えて行きました。

それまではポルシェ、フェラーリ、メルセデス・ベンツ、ジャガー、アストン・マーチン、リンカーン、キャデラック等々、いたって正統派のクルマを覚えて憧れを持っていたのですが、世界のミニカーを見てからはホールデン、パナール、ハンバー、ブリストル、ダフ、ヤライ、アドラー等々、普通では理解不能なクルマの名前が次々とインプットされ「アームストロング・シドレーが大好き! いつかはメドウス・フリスキーに乗ってみたい!」と叫ぶ、気の狂った小学生が横浜に一人誕生致しました、かたじけない・・・・

とにかく「世界のミニカー」を見て先にそのクルマの名前や形を覚えて、あとから実車の事を知るという変態極まりない車道楽が始まってしまったのです。

そんな中、世界のミニカーの39ページにセップトーイ社のガスキー(Septoy,Gasquy)というベルギーのブランドのミニカーが紹介されていました。「ベルギーだって、一体どの辺にあるんだろその国は?」と世界地図を広げるとヨーロッパのちっこい国でした。1970年代までは海外でのミニカーの生産国はイギリス、西ドイツ、フランス、イタリアといった国々が主流で、他のヨーロッパ諸国での生産はイレギュラーな感じだったのです。それにしてもそれから30数年の時を経て、ベルギーで開催されたEuropean Bug Inに行ってPinstripeデモを行う事になるとは夢にも思っていませんでした、白昼夢は良く見ますが・・・・

「ベルギー製か、しかもガスキーなんて気持ちの悪い名前のメーカーだな、ああ気持ち悪い、不気味だけど素敵だぜ!」と変態小学生はガスキー製のミニカーに興味を持ったのでした。世界のミニカーにはこのメーカーの説明文が以下のように書いてありました。

「このメーカーは一九五五年を最後に生産を中止している。当時はベルギー国内だけで販売されていたようで、現在では入手がむずかしいモデルである。代表モデルにタトラ、リムジーンがある」

「げっ、1955年に生産中止だって、しかも入手が難しいって」と不安になる小学生でした。1970年代中期のことなので、その当時でも20年前の絶版品で、現在では64年落ちのミニカーとなる訳です、ふ、古い・・・・・

代表作にタトラ・リムジーンがあると書いてあって、そのモデルは39ページの一番下に掲載されていました。

ガスキーの他のモデルはフラッシュ・サーフェスのフォードやシボレー、プリムス等いたってまともな車種を作っているのですが、ナゼか一点だけ「タトラ」なる不気味な響きのモデルがあります。

「タトラって何?? たとら、多虎、他登良・・・」と変態小学生は頭を悩ませます。しかも流線型でとってもカッコいいぞ!と今度はタトラにあこがれを持つ始末です。

ガスキーがモデル化したタトラは「タトラT600 タトラプラン」(TATRA T600 Tatraplan)なるクルマでした。今は解体された社会主義国家チェコスロバキアのクルマで、戦前より流線形の変態的なデザインのモデルを色々作っておりました。

だってこれら戦前のタトラのデザインなんてKustomの世界にしか思えず、完全にHirohata Mercuryもぶっ飛ぶ仕上がり具合だと思います、ハイ。

ガスキーがミニカー化した「タトラT600タトラプラン」は戦後のモデルで、1948年から本格的な生産が開始されたリアエンジンの空冷フラット4で2リッターの排気量を持つモノコックボディの6人乗り乗用車でした。流線形デザインの空気抵抗係数(cd値)は何と0,32というものでした、素晴らしい! 実車には世界一気温が高い博物館と思われるマレーシアのミュージアムで遭遇して大変感激し、日本には帰らず住み込みでそこの管理人になりたいと思ったくらいでした・・・・

で、ガスキーのタトラなのですがやはり難物でありまして、小学生や中学生のマニアにはとても手に負える代物ではありませんでした。ていうか、当時このミニカーを日本で持っているのはおそらく数名しかいないと思われ、トップクラスのウルトラ変態コレクターの手元にあるだけでした。インターネットもオークションもEMSも無い時代ですから・・・・

結局、夢のガスキー、タトラを入手したのは1980年代後半の大人になってからでした。昭和の大コレクターA氏のコレクションを譲り受けた物で、A氏も当時ヨーロッパとの海外交流で入手したそうですが、サラリーマン時代だったので先方からの請求額にはビックリしたそうです。私には儲け無しでそのビックリした金額で譲って頂きました、あ〜ビックリ!?

このようにガスキーの流線形タトラは素晴らしい出来栄えでありまして、どこからどう見ても「ミニカー芸術」に値する物なのです。

勢い余ってその後ももう一台入手しましたが、これでいつでも後ろから前から(@畑中葉子)美しい流線形タトラの姿を見らるのでした、素晴らしい!!

オマケで何点か不気味な芸術タトラのミニカーを紹介致します。

こちらはチェコスロバキアのIGRAというブランドの当時物T600で小さなベークライト製モデルになります。黒光りする異様な風情はゲンゴロウにしか見えませんが、怪しさを通り越して、芸術の域に達しているのですな。

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ミニカーコレクション第6位、珠玉の逸品は観音開きであります!

寒い寒い毎日、皆様いかがお過ごしでしょうか?

先週ですね、こちらの横浜のCafeの看板描きに行ったのですが、計3日半の作業中、1日目は途中から雨、2日目は強風、最後の半日は超低気温となりまして、まともな天候で作業出来たのは3日目だけだったという過酷な作業となってしまいました・・・・

通り掛かりの方々が「お兄さん、寒くないの?」と声を掛けてくれるのですが「ハイ、変態なので全く寒さを感じないのです」と答えるしかありませんでした。寒いに決まってますが・・・・

真冬の作業は日没も早くてとっても寂しい気持ちになるのですが、ミニカーと力道山先生とベイスターズのことだけを考えて猛スピードで仕上げたあっという間の3日半でございました。ご注文有難うございました!!

という事で連載中の「44周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」第6位となります。ベスト10なんて言ったはいいのですが、冷静に考えるとベスト10て本当に難しく、たった10台の優秀なミニカーを選択するのは 苦渋の思いで有りまして、ベスト1000にしたくなって来ました。

1000台紹介すれば、自分的にも納得出来るのですが、そんなことしてたら寿命が尽きてしまいそうなので、やっぱりベスト10にしておきます、ハイ・・・・

これまでの10位から7位は以下のモデルたちでした。

第10位がイタリア製Politoysの「BREサムライ」

第9位が西ドイツ製Marklinの「ビュイック・セダネット」

第8位が日本製モデルペットの「トヨタスポーツ800」

第7位が英国製Corgi Toysの「ロータス・エラン」 という順になっておりました.

そしてベスト10の第6位はアサヒ玩具のモデルペット製、品番No,1の「トヨペット・クラウンDX」とさせて頂きます。ついこの前である昭和34年10月発売の、これぞ国産ミニカーのパイオニアとなる珠玉の逸品なのであります。

戦後の復興期に当たる昭和30年代は、Made in Japanの玩具類は輸出用の花形産業としてティンプレート(ブリキ)メインに沢山作られておりましたが、ダイキャスト製のミニチュアカーというのは存在しておりませんでした。

最近プラモデル界では「国産最初のプラモデルは何?」という論争が上がっていて、これまでは長い間「〇ルサン」が日本で最初のプラモデルという説がまかり通っていたのですが、実はそれ以前に他のメーカーが先に作っていたことがほぼ判明し、歴史が書き換えられようとしています。私は門外漢ですが・・・・

日本のミニカー業界ではこのモデルペットのクラウン発売以前、前後にも実は「ミニカーらしき物」は作られておりました。揚げ足を取りたい方々からは「モデルペットは最初の国産ミニカーでは無いぞ!」と反論されそうなのですが・・・・

こちらはついこの前である享保9年創業の増田屋が昭和30年頃に輸出メインとして発売したのが「シルバーペット」シリーズでして、クロームメッキされた車体にフリクションモーター内蔵という玩具的なモデルでした。

こちらはとりあえず「ビュイックのクーペ」らしきものと判別出来るのですが、隣りに並べた同年代の外国製ビュイックのモデル(白/赤)と比べるとミニカーというより単なるオモチャにしか見えません・・・・

こちらの倉持商店製のモデルはとっても小さくてグリコのオマケ程度の大きさで、スバルやミゼット等とりあえず車種判別は可能ですがただの駄玩具に過ぎませんね。今日、これらを見つけるのはとっても大変なのですが・・・・

同じく倉持商店製の50’sアメ車群ですが、これらもアメリカのLINEMAR TOYSブランドで主に輸出目的で製造されていました。下請けみたいなものですね。日本国内にも少し流れたようで、手持ちのパッケージには当時のデパートの値札が貼ってあるのもありました。

出来はまずまずなのですが、キャストの質が悪い物が多かったらしく、まるで時限爆発装置がついているように、ある一定の期間が経つとボディーにヒビが入り最後はバラバラになってしまう恐れがあるという恐怖のミニカーなのです。幸い手持ちの物は他にもあるのですが、全て製造後60年経過しても未だ爆発しておりません。とってもラッキーですな!

これらのビュイックや正体不明のアメ車みたいなものも、パッケージが全て英語で表記されていて、国内向けというよりも輸出用という事が分かりますね、あくまで「ミニカーらしき物」です。

という事でこれらのモデルは、時系列では確かにモデルペットのクラウンよりも先、あるいは同時期に作られていたことが判明していますが、とてもスケールモデルとして考えるにはお粗末過ぎまして、輸出メインや駄菓子屋行き?という販売体系を考えると、Wildman的にはやはり「国産ミニカー第一号」の栄誉は問答無用でモデルペットの品番1、トヨペット・クラウンDXで決まりなのです!!

観音クラウンのプロポーションを見事に再現し、車種的にも王道でスケールも1/42とほぼ国際規格標準のスケールで作られた事もポイントが高いのですな。アポロ・ウィンカーも最高なのです。未だハンドルやシート、サスペンションは付いておりませんが、迫力あるプロポーションがそれらを帳消しにしてしまうのです。トランク左下にはOverdriveのエンブレムまで彫ってあるのでした。

当時このミニカーをデパートのショーウィンドウで見て興奮された黎明期のコレクター様の気持ちが良く分かります、私は不覚にも生まれておりませんでしたが、ああ残念・・・・

モデルペットを販売したサンタ印の旭玩具(のちにアサヒ玩具)は、昭和35年の玩具自由貿易化の流れに沿って、英国製のCorgi Toys、Dinky […]

ゴミか芸術か!? 箱が命のミニカー・コレクション(外国車編

この前ですね、Pinstripeのお客様でBMW 320iへの施工がありました。MooneyesのBMW740i ”Mond Augen”を見てリスペクトして頂き、お仕事の依頼を受けました。

ご覧の通りまっ白けの一見ごく普通のE90 320セダンなのでありますが、実は何ともレアというか、普通買わないというか、やっぱり変というのか「6速マニュアルトランスミッション仕様」のクルマでした。どうしても力いっぱいクラッチが踏みたいのか、マニュアル・シフトに強いこだわりをお持ちのオーナー様は、日本仕様ではディーラーに在庫が無いような3ペダルの新車を御注文なさって、はるばる船で運ばれて来るのを待っていたそうです・・・気が長いぜ!!

オーナー様の御希望色にてさらっとPinstripeを描きましたが、それだけでもクルマの雰囲気は結構変わりまして、満足して頂けました。変わったオーナー様、変わった仕様のBMWを末長く大切に乗って下さいませ。で、先週に引き続き、ミニカーの箱のお話であります。箱というより「紙箱における芸術作品」の御紹介なのでありますが、前回はMade in Japanの国産黎明期の物でしたが、今回は当時物の外国製ミニカーたちになります。1960年代まではミニカーといえば外国製品の黄金時代でして、世界各国でその地の特色が表れている作りで、当時のミニカーはパッと見ただけでどこの国のどこのブランドというのがすぐに分かりました。

これはイタリア製、これはフランス製、これは西ドイツ製というようにマニアならすぐに分かったのです。ほんとだってば!!!現在のようにデザインだけ自国で行い、作るのは人件費の安い国に任せてるミニカーたちは、全くブランドとしての特色がなく、それはミニカーではなくて「どれも同じつくりの超精密自動車模型」でしかありませんな(自論)だからそれらは芸術作品ではないのです(これも自論)同じく箱も紙製で実車の写真なんかじゃなく美しいイラストが描かれていなくてはいけないのです(やっぱ自論)

という事でほっぽっておくと話が長くなってしまうので、芸術作品を御紹介致します。まずは世界最強のミニカー・ブランドだったディンキートーイズ製のモデルたち(の箱)になります。

フランス工場にて作られたモデルたちですがド・ゴール大統領の専用車だったシトロエン・プレジデンシャルの実車はストレッチされたDSに防弾装備を施し、内装の仕上げはヴィトンやらエルメスとなっているそうです。ミニカーは昭和40年代中期に日本にも輸入されましたが、売価が¥2,700となっていて、当時ではありえない高額なオモチャだったそうです。まあ芸術作品ですから仕方ありませんが・・・・

室内のライトが付いたり、内装は起毛仕上げで凝ってますが、箱絵も秀逸で真剣な表情の運転手さんがたまりません。

同じくフランス製ディンキーのプジョー204カブリオレは夏の日差しの中、サングラスを掛けたブロンドのお姉さまが素敵です。

フランスの山道を疾走するフェラーリ275GTBはこの後カウンターを当てたまま谷底へ落ちてしまうのでしょうか・・・心配です。

英国製ディンキーのエルカミーノはトレーラーを2台も引っ張っていて運転が大変そうですが、ぜひこのスタイルでエルカミーノ・ナショナルズへのエントリーを期待しております。

イレギュラーな香港製ディンキーのビュイック・リビエラですが、箱絵は華やかな夜のパーティーが終わったあと、酔っ払い運転で自宅へ帰る姿というのが想像出来るのです、いい時代ですな、素晴らしいイラストです!!

フランス製のキラルという短命に終わったブランドのガルウィング300SLですが箱のイラストは絶対に写真やミニカーを見ながら描いたのではなく、何も見ないで頭の中で300SLを想像して描いたとしか思えません、これこそが芸術です。

お次はスペインのリコというブランドのプラスチック製ミニカーになります。

まずはセアト・セダンの箱絵はカップルが休日にドライブに行きました。素晴らしいスペインの山の景色を堪能する二人はとても楽しそうです。

そして帰り道、この二人は崖から転げ降ちる事故を起こしてしまい「セアトの救急車で救急病院に運ばれる図」というのがこのイラストになるのです。

もちろん私の勝手な想像ですがきっとそうに決まっています、ハイ。デンマークのテクノというブランドは独特の作風で近年ビンテージとして評価が高まっている5〜60年代製ミニカーの逸品です。

ボルボP 1800ですが、子供のころはコンテッサと並んで怖いクルマのトップクラスに入るデザインでした。だって前も後ろも気持ち悪いんだもん!!(特に後ろ姿は最悪)

箱絵はダンディーなおじ様がドライブのあとパイプをくわえて一服というものです。

マーキュリー・セダンとサンダーバードはまさにサーカスのアメリカン・フィーリングといった風情で箱絵プリントの色使いが泣けてきます。

ハーレーのサイドカーは実車じゃなくきっとこのミニカーを見ながらイラストを描いたのでしょう。いいなあ、こんな仕事・・・

べスパもサイドカー仕様になってますが、運転するのはグレゴリー・ペック、そして舟に乗るのはヘプバーンに決まってますな・・・・ああワイルドマンの休日。

疾走するポルシェ356のイラストは全てにおいて完璧で、漫画にも通ずるタッチは今後参考にさせて頂きます。空冷エンジンの吸気音が聞こえてきそうです・・・

と、ここまで書いたところで我にかえりましたが、写真を撮り過ぎてしまい全然話が終わりません・・・

本当に申し訳ありませんが、続きは次回に持ち越しとさせて頂きますので宜しくお願い致します。

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