全くどう評価していいのか分からない今期のベイスターズですが、10連敗した後ちょっと勝ったと思ったら又5連敗し、その後再び連勝が続き、ぶっちぎりの最下位にいたはずが、振り向けば横浜、何となく他のチームに追い付いて来ました、ゆっくりとですがね・・・・
このあと6月にはセ・リーグにとって恐ろしい交流戦も待ち受けておりますので、そこでまた順位はシャッフルされ、7月には一体どのような順位になってるのかさっぱりわかりませんね。過度の期待は禁物ですが・・・
横浜DeNAベイスターズXMQQNEYESのコラボレーショングッズは今季
も製作しておりますので、もう少しお待ちくださいませ。
そしてついに「44年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!」の栄えある第1位発表となってしまいました! う~ん、名残惜しいな・・・
一体全体、何台持ってるのかさっぱり分からないミニカーの中でベスト10を決めるというのは無謀な企画だったのですが、無理やり10台を決めさせて頂きました、かなり無理やりなのです。
第10位はこちらのイタリアはPolitoys(ポリトーイ)製のBREサムライ(日野サムライ)です。’67日本グランプリを車検失格で出走出来なかったこの美しすぎる(珍奇な)レーシングカーをよくもまあ遠いイタリアのメーカーが当時モデル化してくれたと思います、感謝であります!
第9位は今から約70年前!に造られた西ドイツはメルクリン(Marklin)製のBuick Sedanetteであります、まさに怪獣ですな。コレクションを始めた小学生の頃「こんなに旧いミニカーは一体どうやって手に入れるんだろ?」と毎日悩んでおりましたが、その後10,950日くらい掛かりまして入手出来ました。諦めが悪いのか、しつこいのかよく分かりません・・・
第8位は昭和40年5月発売の国産ミニカーの雄、アサヒ玩具はモデルペット製のトヨタスポーツ800です。ヨタハチの丸みを見事に捉えた秀逸なモデルで当時の国産ミニカーとしては抜群の仕上がりだと思います。一台目の入手は苦労したはずなのに、あまりにも好き過ぎて気付けば同じのが2018年の時点で5台並んでいました・・・・
第7位は英国Corgi Toys(コーギートーイ)製のLotus Elan(ロータス・エラン)であります。ボディとフレームが分離するという変態アクションを持つ自動車マニヤ養成ギプスのようなミニカーでありまして、見事変態に養成されてしまいました。ヨタハチ同様多数が我が家に生息しております。
第6位は国産ミニカー珠玉の逸品、アサヒ玩具はモデルペット製のトヨペット・クラウンです。「本格的国産ミニカー第一号」として昭和34年10月に発売された観音クラウンのミニカーですが、Made in Japanのパイオニアとして長く語り継がれて行く最高傑作であります。
第5位はフランスはQuiralu(キラル)製のメッサーシュミットKR200です。
名著、保育社のカラーブックス「世界のミニカー」を見て死にそうなくらい欲しくなったミニカーですが、ついこの前の1979年にお年玉を駆使して入手したので死なずにすみました。1960年頃には絶版となっていたので、その時点でも20年落ちのモデルでしたね。
第4位はベルギーはGasquy(ガスキー)製のTatra(タトラ・リムジーン)です。名前もスタイルも気持ちの悪い最高のクルマですが、実車よりも先にミニカーで存在を知った物になります。「まずはミニカーで覚えてから実車を知る」という変態的な法則を小学生の時に習得致しました。ガスキーのタトラは1950年前後に造られた大変にレアなミニカーで、入手まで長い長い年月が掛かりました。
第3位は英国はZebra Toys(ゼブラ・トーイ)製のHeinkel Bubble Carです。
1979年に元町サンセットさんで実物を見るまではその存在すら知らなかったモデルで、当時の資料には一切出て無く、日本では存在を知ってる人も欲しがる人もいなかったような幻のミニカーなのです。その後28年の歳月を掛けて手に入れましたが、一度は入手をあきらめたミニカーの代表格なのであります。
第2位は国産ミニカー二番目のブランドである大盛屋(タイセイヤ)Micro Pet(ミクロペット)の品番F-1 スバル360です。昭和36年4月に発売されたモデルですが元々生産量が少なく、殆どが子供のオモチャとして扱われて破壊されてしまったので、現存台数が異常に少ないミニカーなのです。 1998年、ベイスターズが38年ぶりの優勝を遂げた年に力ずくでやっと入手致しました。出目金スバルはWildman家最初のマイカーだったので思い入れも強いのでした。
そしてついに第一の発表となります。実は10位から9位を考える方が難しく、1位は最初からあっさりと決まってました。
小学生の頃「世界のミニカー」に次ぐバイブルだったのが、日本ミニチュアカークラブを主宰するカドー玩具が発行していたミニカーコレクション啓蒙誌「月刊ミニチュアカー」でした。30数ページの小冊子には毎月色々な記事やモデルが紹介され、変態小学生はどんどんミニカーの世界にのめり込んで行ったのです。
昭和50年の12月25日のクリスマスに発行された通巻89号から新しい連載がスタートしました。Wildmanも所属するJMAC(Japan Miniature Automobile Club)の大先輩N氏が執筆する「あちらのこちら」という難解なタイトルの記事でしたが、その内容は外国製の国産車(日本車)ミニカーを紹介する物なので「あちら」は外国で「こちら」は日本というまさに高速有鉛的なギャグ感満載のタイトルだったのでした、素晴らしい!!
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