Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

43周年のミニカーコレクション、ザ・ベスト10発表!!

ベイスターズは完全に失速中でありますが、これはゴールデンウィーク前にセ・リーグを混乱させ面白くさせて、皆様をワクワクさせる為ににわざと負けている作戦だと思われます。「ベイ死んだふり作戦」こそ今年のテーマなのであります。

プロ野球ファンのことを考えた、極めて高等で奥深いベイ死んだふり作戦の中、ついに横浜DeNAベイスターズXMQQNEYESの2018年度版コラボグッズ第一弾が発売となりました!!!

今年のコラボ企画はですね、何と3回に分けての発売予定で、この後は6月、9月とプロ野球シーズンまっただ中に新しいコラボグッズの発売が予定されております。つまりですねクライマックスシリーズと日本シリーズにも合わせて新しいグッズを身に着けて応援に行けるという訳なのであります、素晴らし過ぎです!!

エッ、日本シリーズですって? そうですよ、今年は横浜DeNAベイスターズ20年振りの優勝が待ち受けているのは確定的でありますので、ベイファンの皆様は10月末から11月の予定は空けておくようお願い致します、ああ忙しい。まあ、優勝出来なくても3位に入ればクライマックスシリーズを勝ち上がるなんてちょろいもんなので、日本シリーズには必ず行けるのです!!

今年のデザインは、熱く燃えるFlamesと横浜スタジアム、MQQNEYESロゴを組み合わせたデザインになっておりまして第一弾は刺繍Tシャツ、ロングスリーブTシャツ、ジャージスタジャン、フラットバイザーキャップ、フェイスタオルが今回、春の発売分となります。

ベイ死んだふり作戦の中、これらを身にまとって横浜スタジアムに応援に行きましょう。Win! with MQQNEYESであります!!!

ということで、ミニカーのお話となります。前回はナゼかプラモデルのお話になってしまいましたが、やっぱりWildmanといえばミニカーなのであります。

今まであまり考えたことが無かったのですが、自分の持っているミニカーの中で一体何がお気に入りなのか? どれが一番好きなのか? そうだコレクションベスト10を決めてみましょう! と犬の散歩をしながら思いついてしまいました。

といっても推定2000台?のコレクションの中ではどれもこれもお気に入りなので、そこでベスト10を決めるのは難しいのですが、そこはコレクション43周年、苦渋の?ランク付けをしたいと思います、ハイ。

思い起こせばついこの前の1975年(昭和50年)少年Wildmanは大好きだったミニカーを買いに横浜は伊勢佐木町、おもちゃのマリヤに出撃しておりました。今では全く興味のカケラも無いトミカなる物体を購入し、お会計を済ませるとレジのお姉さんが一冊の小冊子を手渡してくれました。「なんじゃこりゃ、タダでもらえるの?」と不思議に思う少年Wildman、ときに11歳、小学5年生でありました。

これこそが私の人生を完全に狂わせてしまった本「月刊ミニチュアカー」誌1975年4月号でありました。ミニカーを大人が集めるという事を正当化している変態本は11歳の少年の心をわし掴みにして変態の道へのレールを敷いてくれたのでした。これを読まなかったら全く違う人生を歩んでいたことは間違えありませぬ・・・

月刊ミニチュアカーは可堂玩具(カドー玩具)というミニカーメインの玩具問屋が発行していた物なのですが、ミニカーを売るための啓蒙活動としてNMCC(日本ミニチュアカークラブ)なるものを主宰してそのクラブの会報誌というような位置付けでした。クラブに入っていなくてもミニカーを卸している専門店や玩具店にも配布して、ミニカーお買い上げのお客様に渡していました、そこで私ももらったのです。

こちらはNMCCのWildman最後の会員証と、ピンバッヂになります。

本の内容は当時のトップクラスのコレクター様が執筆したミニカーブランド別の解説やコレクションの仕方、ニューモデル紹介や個人売買欄等、小さな冊子にはとっても濃い内容があふれておりました、まさに昭和の変態の世界でした。インターネットのない時代に、日本でミニカーの情報や知識を提供してくれる唯一無二の存在だったのです。おかげでこんな立派な変態に育ちました・・・

既に存在していたミニカー専門店の広告を見て、横浜元町の千代田ママストア、鶴見のチェッカー、八丁堀のコジマ、浅草のテラオ、自由が丘のえびすや等々、横浜、東京のお店に片っ端から出撃して行きました。当時デパートでも定期的にミニカーフェアが開催されていて、小田急や西武、東武等、都内のデパートにも遠征しておりました。昭和の時代はミニカーは玩具売り場の花形商品でありました。

いきなりミニカーの知識を詰め込まれた少年Wildmanはそれまでただ単に車が好きだから集めていたミニカーを「コレクション」という物に格上げし、ミニカーが好きだからその実車に対して興味を持つという逆転の発想が生まれてしまい「初めにミニカーありき」という理論が目出度く成立となったのです。

なので実車よりミニカーの方が断然カッコいいという感情が強くなってしまいました。何を言っているのかさっぱり分からないという方は大勢いらしゃると思いますが、私には実車の方がカッコいいという理論の方がさっぱり分からないのです・・・・

そしてミニカーというのは実車が製造されていたのと同じ時期に作られていなければならないという絶対に変えることの出来ない感情も生まれてしまったのです。

例えば1964年型クラウンのミニカーは同時期の1964年に実車と同じ空気と技術の元に造られていなければならず、2015年に2015年の技術を使って作られた1964年型クラウンのミニカーはもう存在自体がどうでもいいのです。逆に2015年に造られた2015年型クラウンのミニカーは全く問題ありません。

なので「当時物ミニカー」という事に拘って集め続けておりますので、コレクションは必然的にビンテージが中心となってしまいました。

又、ミニカーを先に見て興味を持ち、その実車が好きになってミニカーとセットでウンチクを学びコレクションして行くので、ト〇カコレクターさんのように実車の事やディティールがどうこうではなく、やれこの色やホイールがレアだとか単なる二次加工品の特注品とやらを勝手に価値を付けて間抜けな法外価格で取引している現在隆盛を極めているト〇カコレクションとは考え方が全く違いますので、私にはミニカー友達があまりいません・・・・なので43年間も勝手な理論でミニカーコレクションを展開している訳であります!!

という事でやっと話が元に戻りコレクションベスト10(お気に入りベスト10)を発表させて頂きます。

今回はWildmanお気に入りランキング第10位で1960年代イタリアはPolitoys(ポリトーイ)製のBRE サムライ(日野サムライ)を紹介致します。

Politoysというイタリアのブランドは1960年代に1/43スケールでMシリーズというとても精巧に造られたミニカーを販売し、日本にも当時多数輸入されて高級ミニカーとして扱われていました。ドアーやボンネット開閉のアクションを持ち、マフラーやドライブシャフトもプラスチックの別パーツで表現する等、凝りに凝ったミニカーとして有名でした。

ポリトーイはMシリーズとは別にSERIE EXPORT(エクスポートシリーズ)といった別ラインで同じ1/43スケールの廉価版ミニカーも作っていました。開閉アクションも減らし、別パーツの構成も少なくし販売価格を下げた物でした。日本でもブリスターパックに入れられて駅の売店なんかにもぶる下がってました。

このエクスポートシリーズでなぜかBREサムライが造られていたのです、全く持って不思議な事でした。当時の日本車が外国製のミニカーになるなんてことはまずなく(トヨタ2000GT除く)よりによってまともに走ることが無かった世界的にはほぼ無名のレーシングカーである日野サムライをイタリアのミニカー会社が突然モデル化したのは理解に苦しみます。サムライの情報なんて当時Road & Track誌や日本のカーグラフィック誌が大きく取り上げたくらいで、日本グランプリを最低地上高の低さで車検を通れず失格となった車をわざわざモデル化するとは酔狂な担当者もいたものだと思います、ウケ狙い??

Wildman的には史上最も美しいレーシングカーと認定しているクルマなので、当時モデル化されたのは嬉しい事でした、ああ美しい!!名前もかっこいいSamurai(サムライ)だって! […]

鬼才ガンディーニの傑作は亀マークのナバホだぜ!!

まったく地球は一体どうなってしまったのでしょう??この前の成人の日、関東地方は強烈な雪が降りまして、横浜市では有史以来初めてとしか思えない積雪13センチを記録しまして、私のような小心者は一歩も外に出られなくなってしまいました。

 

我が家は山の上にございますので、数日間は遭難したも同然となり通勤は長靴をはいてバス停まで25分歩くという悲しい日々をおくる事になってしまいました・・・ナイキじゃないと足が痛いんです。

 

雪はあと30年くらい、横浜市内には降らなくて結構なのです。

そして早く春にならないかと思っておりましたところ、皆様に吉報であります!

第27回Mooneyes Street Car Nationalsの開催が5月19日(日)に決定致しました。当初のスケジュールより変更となり、5月の開催となってしまいましたが、場所はおなじみの東京はお台場になります。

当日、雪は絶対に降りませんし、ゴールデン・ウィーク渋滞もありませんので、カッコいいクルマ、変態なクルマ、奇抜なクルマ、たくさんお待ち申し上げておりますので宜しくお願い致します!!

  

で、カッコ良くて、奇抜なクルマと言えばどう考えてもスーパーカーか三輪トラックになりますよね。

子供の頃、カウンタックと三菱レオは同じような衝撃を受けました。

今でもどっちが欲しいかと言われれば本当に悩んでしまいますよね・・

カウンタックのデザインと言えばカロッツエリア・ベルトーネのチーフデザイナーだったマルチェロ・ガンディーニさんであります。

強そうな悪役みたいな名前ですが・・・

私、この方の作品が大好きなのであります、なのでフェラーリよりもランボルギーニなのです(それよりも三菱レオかもしれませんが・・・)

 

天才ジウジアーロが抜けたベルトーネのチーフ・デザイナーを務めた鬼才ガンディーニは60年代中期から70年代に掛けて数々のスーパーカーやコンセプトカーをデザインし、はるか離れた東洋の島国の少年たちを狂喜させました、いまだに狂喜している馬鹿もここにおりますが・・・

 

ランボルギーニ各車、フィアットX1/9、ランチア・ストラトス、マセラティカムシン等々、極端なウェッジ・シェイプのデザインは一目でガンディーニの作品と分かる物でした、ああカッコいいなあ・・・

と言うことで今回もガンディーニな作品を、実車よりもっとカッコいい「当時物ミニカー」たちで紹介させて頂きます。

まずは名車の誉れ高きランボルギーニ・ミウラです。ジウジアーロの流れを汲む60年代的な美しいラインは今でも色褪せることありませんね。

 

ミニカーの世界でも人気者で当時は世界各国、各社でモデル化されましたが、一番入手しづらいと思われるのがイタリアはEDIL TOYS製のこちらになります。

ミウラのモデルとしては平均的な仕上がりなのですが、このエディル製は何せ生産数が少なく、当時日本にもちょぴっとしか輸入されなかったのです。

あとシルバーのがあるのですが、生涯かけて探すしかありませぬ・・・

お次はフル4シーターのスーパーカー、ランボルギーニ・エスパーダです。

フロントに12気筒エンジンを積んだ4人乗りのおシャレさんですが、70年代から80年代にかけてグリーンのSSSAディーラー車をしょっちゅう横浜市内で目撃し、オーナー様に声を掛けたこともある大好きなランボです。

 

イタリアはPolitoysより素晴らしいプロポーションでミニカー化されており、フルアクションのこいつは12気筒エンジン、4つのシートも再現された傑作であります。全3色揃えるのに15年掛かりましたが・・・

同じく4つのシートを持ちながら何とミッドシップ・エンジンという手品のようなクルマはランボルギーニウラッコであります。

V8エンジンの2+2のスーパーカーは対ポルシェ911を想定していましたが、商売としては惨敗に終わりました。

ついこの前の1976年、小学6年生のときに、東京は目黒通りのミツワ自動車にポルシェの撮影に繰り出し、正面入り口から突入し怒られましたが、帰りにちょうど現FLAT4さんのあたりを歩いていると、メタグリーンのウラッコが走って来たのを目撃したのがウラッコ初体験であります。

こちらもイタリアのPolitoysとMebetoysよりミニカー化されてました。

よく見るとリトラクタブル・ヘッドライトの位置が違っていて、左のポリトーイはボンネットの真ん中あたりに位置していますが、右のメーベトーイはもう少し前になっています。

子供の頃はポリトーイのライトの位置が「真ん中へんで変なの、俺が目黒通りで見たやつはもっと前だったぜ!」と一人ブツブツ言ってましたが、その後、中学生になって調べた結果、ウラッコのプロトタイプは真ん中へんにライトがあり、ポリトーイのはプロトタイプをモデル化したことが判明しました納得。

やはりミニカーで実車を勉強出来ることが明白になったのであります。

そしてお次はランボルギーニ・ハラマです。V12フロントエンジンで2+2のシートを持つごく平凡的なレイアウトのGTカーでしたが、ショートホイールベースのハンドリングに優れたクルマでバランスが良く、サーキットではミウラをしのぐ走りをしたそうです。

地味なスタイルのハラマでしたが、大社長フェルッチョ・ランボルギーニのお気に入りだったそうです。

テストドライバーのボブ・ウォレス共々「あれこそ本当のランボルギーニ」と絶賛していたクルマなのです、鬼才ガンディーニにしちゃおとなしいデザインですが・・・

 

ハラマも当時Politoysからモデル化されてました。スクエアなスタイルを上手く表現しV12エンジンもちゃんと載っております。

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スカイラインのサポーターはポルシェ904だぜ!!

先週のブログにてお伝えしましたが、我がベイスターズは私が観戦し勝利したあの試合以降は見事に3連敗となりまして、「たまに勝つから見ていて楽しい」というベイ勝利の方程式は今季も崩れることはなく、ますます応援に力が入るという物であります。皆様Mooneyes x 横浜DeNA Baystarsコラボレーションも宜しくお願い致します!!

で、話はガラッと変わりまして、この前崩れ落ちて来た本の山からこんな素敵な表紙の一冊が出て参りました。

「自動車JUNIOR」誌の1964年6月号であります。ちなみに定価¥140、送料¥18となっております。

64年なんて全くついこの前である東京オリンピック開催の年なのですが、そういえば6月では私は生まれていない事に気付きました。

でも当時の出来事を沢山覚えているのはナゼなのでしょう・・・

やはり前世があったとしか思えない「時の旅人Wildman」なのであります!!

そんなことはどうでもいいとして、この自動車JUNIOR誌は伝説の「第2回日本グランプリ特集号」となっています。

表紙はあまりにも有名なGT-IIクラスのスタートシーンでポルシェとスカイラインGTが写っています。

裏表紙は日産ブルーバードのCMですが、遠くに見える江ノ島の位置、角度から推測すると三浦半島の荒崎海岸あたりでロケしたものでしょうか?

今度私もこの場所へロケに行って参ります・・・

 

さて本の方はかなり気合が入っている内容で、モノクロですが豊富な写真とレースの各クラスの詳細なレポートが記してありまして、まるで当日現場に行ったような気分にさせてくれますね、だから私もよく覚えているのか!! ナ~ル程・・・・

なにはともあれこのレースはスカイライン神話を生んだGT-IIクラス(1000cc~2000cc)が後世に語り継がれる物になってますよね。

前回のグランプリでトヨタに惨敗したプリンス自動車が、1,5リッター4気筒のスカイラインのノーズを無理やり伸ばし、グロリア用2リッター6気筒を押し込んで和製マッスルカーをグランプリマシンとして作り、このスカイラインGTが主役になり絶対に勝つというプリンスにとってのシナリオが書かれていたはずでした。

性能を考えたら他の国産車ではスカイラインGTに太刀打ち出来るはずもなく、プリンスが圧勝してトヨタに雪辱を果たすはずでしたが、そこに突如として現れたのが当時最新鋭のミッドシップ・レーシングカーである「ポルシェ904カレラGTS」でした。

 

904はFRPの軽量ボディに180bhpの空冷2リッターDOHCフラット4をミッドシップに積んだレーシングカーで、6気筒とはいえ乗用車ベースのスカイラインやべレット、トラックのフレームのフェアレディたちでは太刀打ち出来るはずがありません。

中学生の運動会に突然ボルトが飛び込んで来たようなものです・・・

長きに渡りこのポルシェ904の突然のグランプリ参戦に関してはトヨタが金を出して輸入し、前回クラウンで優勝したドライバー、式場壮吉にドライブさせスカイラインGTの優勝を阻止する目的だったという小説のようなストーリーがありました。

しかし近年の式場氏のインタビューでは、そんな馬鹿バカしい話ではなく、来日した当時のポルシェのレーシング部門監督を通じ、自分でミツワ自動車から「たったの571万円」で買ったとお話しされております。

私的にはトヨタ説の方が物語が面白くって好きなのですが、本当の事は当事者様たちにしかわかりません。

力道山先生の死とともにどちらも半世紀近く前のお話なので真相は闇の中であります・・・

レース2週間前にパンナム機であわただしく輸入された904はぶっつけ本番のような形でレースに挑みましたが、神様はプリンスに味方したのか904は予選でクラッシュしてしまい見るも無残な姿に変わり果ててしまいました。

200キロ近いスピードで突っ込んだらしく、フロント部を中心に大破してしまい、これではレース出場は無理でしょうという状況になってしまいました。

プリンス首脳陣はさぞや喜んだことでしょう・・・

 

自動車JUNIOR誌の偉いところはこの雨に打たれる無残なポルシェ904の事故直後の姿を捉えている所でして、当時のオートスポーツ誌始め、他の雑誌では事故前や修復後の写真は載っていても、グシャグシャの姿は殆ど紹介されてなく当時の貴重な資料写真となっております、流石だぜ自動車JUNIORよ!!

もうレース参加は絶対無理だと思われていたポルシェ904でしたが、名古屋の名人のもとに運ばれ徹夜の2日間で無理やり修復し、レーススタート4分前にガムテープだらけでグリッドに並ぶという奇跡が生まれました。

名古屋の名人は並行して予選でクラッシュしたロータス・エリートも修復し、2日間の徹夜で2台を修理しレースに間に合わせるという離れ業を演じたそうです。流石だぜ昭和の名人よ!!

レースの方は皆様御存じの通りポルシェが飛び出しましたが、ほんの一瞬だけスカイラインGTがトップに立ち観客を狂喜させ「国産車がポルシェを抜いた」ということで、ここにスカイライン神話が誕生し、スカイライン・ブランドは現在も存続し、日本人に愛されてきました(最近は厳しいですが・・・)

 

結局ポルシェ904の圧勝に終わったレースでしたが、プリンスはグロリア始め他のクラスで勝ったので、このことを大々的に報じCMに生かし見事販売に繋げました。当時はレースの結果が販売を左右するというおおらかな時代でありました。

こちらのレース後のCMではグロリアを押し出し「プリンス圧勝!」を謳っておりますが、スカイラインGTの所だけ「国産車上位を独占しました」となってるのがとっても寂しいですね・・・

  

ちなみにこのミニカーは日本グランプリを記念して当時発売された大盛屋のミニカーになります。

 

ツーリングカーⅥクラス優勝のグロリアとⅤクラス優勝のスカイライン1500です。よくぞこんなモデルを作ってくれました、今は亡き大盛屋に感謝であります!!

傷つき優勝したポルシェ904はその後どうしていたのかと思っていたら、ついこの前の1978年に大枚¥1,800を投じてイワセ商店街は湖南書房にて購入した企画室ネコ発行の心に残る名車の本シリーズ”The Porsche 1978”に実車が紹介されていて少年Wildmanは仰天しました、¥1,800という本の値段にも・・・

当時秋田のコレクターのもとにあった904は美しくれストアされ、ナンバーも取得しロードバージョンとして素敵な余生を送っていました。

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我が家にブリキがやって来た!そいつの名前はフェロー君

皆様、先週分ブログのWildman Ishii Italy Trip Reportはご覧になって頂けたでしょうか? 予期せぬ極寒の地、イタリアでの修行に近い1週間は「人生において先入観は禁物だ」という事を教えてくれました、だってあそこまで寒いとは思わなかったんだもん!!

   

そんな寒い中、ベニスやヴェローナの街を走り回りましたが、旧車といえるような現役車両はほとんど見かけませんでした。 ヨーロッパの街並みにたたずむ旧車のある素敵な風景にはなかなか巡り合えず、2年前に行った時は何度か見かけたイタリアの国民車Fiat 500(昔のね)も1台見掛けただけでした。コマネズミ達はどこに行ってしまったのでしょう・・・

Moon Cafe ItalyのAlbertoさんにその事を聞くと「もう500なんか殆どまともに走ってないよ、滅多に見ないね」とその現実を知らされました。

  

そんなAlbertoさんより先日メールが来て何かと思ったら、街中で見かけたFiat 500の画像を送ってきてくれました。それも貴重なバンタイプの商用車「ジャルディニエラ」でした。 500の後部に無理やり荷室を付けたようなヘンテコ車ですが、ノーマルと違い最終型までドアーはスバルのように逆開きのままだったので、ビンテージ感があふれていますね。

で、こちらは60年代当時物ジャルディニエラのミニカーになります。

 

白いのはフランス製ノレブ(NOREV)というブランドのプラスチック製ミニカーですが、プラだけに細部の彫りまで素晴らしく、実車さながらのプロポーションを誇っております。

 

茶色いのは御当地イタリア製ポリトーイ(POLITOYS)の物で、実車同様テールゲートが横開きで開閉するというとっても素敵なアクションを備えておりました。 しかも室内にはカーペットが敷きつめられているという変な凝りようなのでした。

この様に極寒の地イタリアの自動車文化を楽しんでいる間に、日本の我が家に素敵な物体がやって来たのです・・・

2008年5月31日のブログ「我が家に新車がやって来た!そいつの名前はフェロー君」にてお話しました「ダイハツ・フェロー」の事なのです。

初代フェローは昭和40年代初頭、ウチの親父が2台の中古スバル360を乗り継いだ後、昭和43年に最初に買った新車なのでありました。 石井家始まって以来のテレビより高い買い物となった白いフェロー君でしたが、さすが新車だけあり、中古デメキンスバルのように立ち往生する事もなく、ついこの前の昭和46年に親父が「フェロー・マックス」に買い替えるまで実に立派に自家用車としての使命を全うしてくれました。

私としてもこのフェロー君での思い出は沢山あり、石井家自家用車史上一番印象が残っているクルマなのであります。

しかしですね、当時フェローはナゼかミニカーにはならず、幼年Wildmanとしてはとても不満な日々を送っておりました。プラモデルにはなっていましたが、まだ上手く作れるような年齢にはなっておらず論外でした、プラモデルはあんまり好きじゃなかったし・・・・ そうこうしているうちに1970年代も中盤を過ぎ気がつくと立派なミニカーマニアに成長していていろんな古いおもちゃを調べるようになっていました。

するとですね、初代フェローはデビュー当時ブリキのおもちゃ(ティンプレート)になっていた事が判明したのです。 でも幼年Wildman的には当時そのブリキに出会った記憶がありませんでした。 昭和40年代前半までは結構ブリキ玩具は作られていて、自動車もすでにミニカーには押されていましたが、まだまだいろんな車種が作られていました。 初代カローラや二代目セドリック、スバル360なんかのブリキが我が家にもあり、おもちゃ屋でも色々な車種を目撃しましたが、フェローなんか一度も見た事ありませんでした。

それもそのはず、フェローのモデルは基本的には市販用の玩具としてではなく、ダイハツの販促品の一つとして製作されていたようなのです。 セールスマンが色見本として配ったりするようなプロモーショナル・モデルなので、一般の販売ルートには殆ど乗らず、市場では流通しませんでした。

そんな物、幼年Wildmanの目に留まるはずもなく、マニアとなるまで存在すら知りませんでした。 存在を知ってからも実物に出会う事もなく、2008年のブログの時も「だれか譲って下さいな」と懇願しておりました。

するとだれかが本当に譲ってくれました!!思い詰めてると夢は実現するのです・・・・

  

こちらがそのブリキのモデルになります。真紅のボディーは我が家の白いヤツとは色が違いますが、まぎれもなく初代フェローをモデル化していました。

コクピットを覗くとあの懐かしい風景が甦り、伊豆家族旅行を思い出してしまいます。ついこの前の事なのですが・・・・

 

箱のイラストはデザイン含めて小ざっぱりしていて、おもちゃというよりも販促品的な匂いが致します。 フリクションモーターはちゃんと後輪駆動になっていてFRのフェローを表していますね。 ウィンカーやテールランプなどはプラ部品が使われていて、ブリキのモデルでも終わりの時代の作りになっています、といっても45年前の物ですが・・・

  

2012年、時代は進んでも、頭の中と我が家の中は完全に逆行しまくり、この様に時代ズレした物ばかりが集まって来ます。おかげさまでどの時代にでも簡単にタイムスリップ出来るのでありました。 Back to the Future!!

[…]

チープな物ほど入手困難!?幻のディーノは思わぬとこからやって来た!!

この前、力道山先生がロールスロイス・シルバークラウドのオリジナル・ピンストライプの補修でMoon Garageにやって来ました。先生は夏の巡業で忙しくてお疲れのようで、ロールスのボディをを少しこすってしまったのです。

というのは暑さによる白昼夢だったようで、やって来たのはこちらのロールスロイスコーニッシュでした。こちらはボディーのペイント補修によって消えてしまったピンストライプを復元するというお仕事でした。

ロールスへの作業時は、クルマの後ろに力道山先生が立って監視されているような気がして、小心者はいつも緊張してしまいます・・・・

で、先日自室に引きこもって本を探していたところ、全然違う本がいっぱい出て来てウットリと見とれてしまいました。その中に美しい表紙の60年代Road & Track誌が何冊かありまして、’68年9月号の表紙写真は日本でも人気のクルマが素敵な構図で出ていました。

「ピニンファリーナ・ディーノ206・ベルリネッタ・プロトティーポ・コンペティツィオーネ」という早口言葉になってしまいそうな素晴らしく長い名称を持つこのクルマは1967年にピニンファリーナのパオロ・マルティンというデザイナーががディーノ206SP(フェラーリ)というレーシングカーをベースに作った実験用のデザインスタディで非常に美しいボディを持つワンオフモデルでした。

  発表当時世界中のカーショーを巡業したようですが、それから数年後突然日本で起こったスーパーカーブーム時には日本にもやって来てしまい(1977年7月)懐かしの晴海展示場に飾られてスーパーカー少年たちを狂喜させました。 何で少し前の時代のマイナーなプロトタイプカーが最新鋭なスーパーカーばかり追っていた当時の少年たちの注目を浴びたのかと言いますと、ブームを作った漫画である池沢さとし先生作「サーキットの狼」の中で主人公の風吹裕也がこのディーノをベースにした架空のレーシングカーである「ディーノ・レーシング・スペシャル」(ディーノRS)を駆っていたからなのです。池沢先生が勝手に作ったクルマですが、元ネタはディーノ206コンペティツィオーネでした。

少年たちの目にはディーノRS=ディーノ206コンペティツィオーネと写り、漫画の世界から実車が飛び出して来たように感じられました。漫画のディーノRSは当時プラモデル化され多額のロイヤリティが池沢先生の元へと行ったことでしょう・・・・ファンだから嬉しかったですけど。

で、ディーノ・コンペティツィオーネの当時物ミニカーなんですけど、実車発表当時の60年代後半に何点か作られて、その数年後日本のスーパーカーブーム時に日本製のモデルが勢いで作られてしまいました。

まずは本家イタリアの「ポリトーイ」という60年代後半に隆盛を誇ったミニカーブランドから出たのが1/43スケールのこのモデルです。完璧なプロポーションを誇り、今見ても見事に実車のイメージをとらえていると思います。私がコレクションを始めたついこの前の1975年時点ですでに絶版ミニカーでしたが、1976年の夏に当時通っていた鶴見のチェッカーというミニカーショップの絶版車コーナーに¥500というプライスが付いて販売されてるのを発見しました。その日はマッチボックスを買う位のお金しか持ってなく「出直して来週買いに来ましょう」と思い、本当に来週出直したのですが、ディーノはすでにどちら様かがお買いになられたようで無くなっておりました・・・・教訓、絶版ミニカー見つけた時に買う事!!!2台色違いで揃えるのにその後数年掛かりましたとさ・・・

お次は小スケールモデルで手前の赤いのが上記ポリトーイの小スケール版である「ペニー」というブランドで小さいながら良い形をしております。 後ろの紺色のは同じくイタリアの「スピ—ディ」というブランドで車高の高いのがNGですがプロポーションは結構良いのです。

狂ったようなスーパーカーブーム時にはミニカーメーカー以外の会社がブームに便乗してスーパーカーのミニカーを販売しました。こちらはモデルガンのマルシンが作った物ですが、エアインテークのスイッチを押すとガバッと開くと言うキケンなアクションを備えていますが、難しいディーノのプロポーションを良く再現しています。

こちらはソフビなんかの人形が有名な亀さんマークの中島製作所が突如として作ったモデルですが、難しいディーノのプロポーションをさらに難しくとらえてしまったようで最悪の出来のミニカーとなっております、ヒド過ぎます・・・・しかしあまり売れなかったので入手は意外と難しかったりします。

ブームが終わる頃、プラモメーカーの「エーダイ」が1/28スケールの大きなシリーズでディーノのミニカーを作りました。デカいだけに迫力満点の作りでプラモで鍛えた技術により完璧なプロポーションを誇り、日本製ディーノのミニカー史上最強の出来栄えとなっております(持論)こちらもブームの終わり頃に作られていて販売台数が多くなかったようで、レアなミニカーとなっています。スーパーカーブーム去った後、エーダイは倒産してしまいました・・・・

こちらは懐かしのスーパーカー消しゴムになります。ちゃんとディーノも作られていましたね。

で、やっと本題に入ります。ちょうどスーパーカーブームが熱い頃、愛読書であった「月刊ミニチュアカー」誌で「世界のスーパーカーモデル」という連載がありました。昭和52年5月号はディーノ特集で246gtやコンペティツィオーネのミニカーが色々と紹介されていました。

「フン、フン、これ持ってる、これ持ってない」なんて見てると、先程紹介した小スケールモデルのペニーやスピーディーの横に怪しげなミニカーが並んで写って紹介されていました。「ティントーイWT206番、色は赤だと、何じゃそりゃ!!」と叫ぶ少年Wildmanはその日からこのミニカーを探さなくてはならない宿命が生じてしまったのです。ティントーイっていうブランドは香港製のいわゆる駄玩具でありまして、現在はソコソコ評価されるも当時のコレクターにとっては殆どゴミのような扱いでありました。ミニカー屋さんや玩具店で売ってる訳ではなく、パチンコの景品や縁日の夜店、駄菓子屋なんかが流通経路で運が良くなければ巡り合えない不思議なチープミニカーの一つでした。

  その日からずっと探しまくりましたが、一向に出会うことなく1980年になって横浜駅西口にあったハマボウルにアイススケートをやりに行ったところ、入り口付近にあったミニカーの自動販売機?に何とティントーイのディーノが入ってるではありませんか!!有り金はたいて(確か一回¥200)ガチャガチャとやりましたが、一向にディーノは出てこずいらないゴミミニカーの山となってしまいました・・・・・その後数回横浜駅西口に行くたびにチャレンジしましたが結局ディーノは出て来ませんでした。

  それから20年以上が経過し、少年は変態になっておりましたが出会いってあるものですね。現在は鎌倉でStudioを構える同業者のS氏(旧E氏)とはクルマなんかの趣味がとっても合いいつも楽しい会話が出来るのですが数年前一緒に食事中にひょんなことからこのディーノのミニカーの話題となりました(何でそうなったんだろ・・・・)そうしたらですねS氏もその昔、地元で見つけた例のミニカー自動販売機でディーノを発見、何回もトライした結果見事ディーノをゲットしたのでした!!おめでとうございます。(ゴミミニカーも多数ゲットしましたが)

何ともうらやましいお話だったのですが、何とS氏は私にそのミニカーを譲ってくれると言うではありませんか!!嬉しい限りでございます。こちらのモデルになります。他のゴミミニカー達も一緒に我が家に来る事となり、ディーノは20数年経ってやっと私の手元に不思議な縁でやって来たのでした、めでたし、めでたし。月刊ミニチュアカー誌と同じ角度で写真を撮ってみました。これで昇天出来ますね・・・

その後、ストリートカーナショナルズのスワップミートでブルーのガラスのを入手出来、2台体制も整い老後の準備も完璧なのです、ああ嬉しい。

何だかんだで20年以上ふりまわされた駄玩具ディーノでしたが、長くコレクションしてると色々な方々のご協力で色々な物が集まって来るのです、皆様本当に有難うございます!!

 

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