今週はですね、富士のTried Customsさんへ出張Paintに行ってきました。
いつも沢山のPinstripeのお仕事ありがとうございます。
で、その日の昼食はと言うと、かねてからの私の希望により名古屋の味「寿がきや」に行って参りました。そう、あの独特なチープなラーメンを提供してくれる寿がきやであります。元々愛知県が本拠地の会社で東海地方を中心に出店していますがついこの前の1980年代までは横浜にもお店があったのです。高校のテニス部の帰り道、京浜急行金沢文庫駅のテナントに入っていてとっても安い値段でデザートまで食べられましたので重宝しておりました。
しかしその後、値段が安すぎた為なのか東京や横浜からは撤退してしまいまして、今回四半世紀振りくらいにあの懐かしい白濁色のチープなラーメンが食べられたのです、大変満足しました。どうやったらここまで薄く切れるのかに挑戦しているようなチャーシューと独特な味の白いスープは素晴らしい組み合わせなのであります。デザートのクリーム白玉あんみつも秀逸でありました。
あんまり嬉しかったので、インスタント仕様のラーメンと寿がきやオリジナルの先っちょがフォーク状になった不思議なスプーンを買って帰りました。とっても良い出張Paintとなった訳なのであります!!
で、やっと本題に入ります。今年2012年はナイキが創立40周年とのことで色々とエポックメイキングなシューズが復刻販売されるそうです。それにしても創立たったの40年なんてトミカやHot Wheelsと並んで歴史の浅いブランドなんですね・・・
もうマニアの皆様のお手元には行き渡っていると思いますが、1月にナイキの歴史を語る上で欠かせないこちらのモデルが復刻されました。期待していた方も多いと思われます、私もその一人になります。
1978年に発売されたこいつはナイキ御自慢のエアソールを初めて搭載した”Tailwind”テイルウィンドです。「追い風」ですね。
アメリカでスニーカーが売れ始め、まさに追い風に乗っていたナイキが革新的な物を作ろうと開発したのがテイルウィンドになります。元NASAの技術者のアイデアで、圧縮ガスをエアバッグの中に入れてそれをシューズのクッションとしてつかうという物で、ナイキの前にも他のメーカーに(アディダスなど)売り込みに行ったそうですが、ナイキだけがこのアイデアを本気にして契約を結びました。
こうして革新的なテクノロジーはナイキの物になり、その後エアジョーダンやエアマックスで空前のスニーカーブームが起こり、ナイキといえばエアソールというイメージが定着しました。もしアディダスの物になっていたら世の中はどのような流れになっていたのでしょう・・・・ナイキは倒産してたかも。
初のエアソールを持つテイルウィンドは1978年のホノルルマラソンでの発売を目指して開発され、紆余曲折何とか完成にこぎつけ、初回生産分230足はホノルルの小売店に向けて出荷され、スニーカー史上最高価格の$50というプライスで店頭に並べられましたが24時間後には完売したそうです。空前のジョギング・ブームですから・・・
ハイテクノロジーなイメージを作る為、テイルウィンドはシルバー色のメッシュのアッパーを持ち、いかにも高価な物に見えるように作られました、実際高価だったのですが。ホノルルマラソンでの発売後、メインランドでも本格的に発売開始となり、テイルウィンドは高価にもかかわらず爆発的に売れました。しかし数ヶ月後には爆発的な返品の嵐が待っていました。
「高級そうに見えるし、光って綺麗だね」という理由からメッシュにシルバー塗装をしたという何ともつまらない理由でテイルウィンドは欠陥品となってしまいました。
シルバーの染料の中にはの金属粒子が含まれていて(当たり前です)その粒子が極少の「剃刀」の役割となり、ランナーの足が着地するたびにメッシュの繊維をこすり上げ、しまいにはメッシュアッパーとエアソールが剥離してしまうという信じがたい結果となってしまいました。
鳴り物入りで登場した世界初のエアソール搭載シューズ「テイルウィンド」は予定外の悲しいデビューとなってしまったのです。すぐにマイナーチェンジが施されシルバーのメッシュアッパーは普通の地味なグレーのナイロン地に変更され、剥離のトラブルは解消されました。
ついこの前の1980年My First Nikeの頃、テイルウィンドは並行輸入で日本にも輸入されていてショップで現物を手に取りましたが、それはマイナーチェンジ後のグレーのナイロン地のヤツでした。アメリカ製の並行輸入品だけに何よりもその価格が凄まじく\18,800というプライスでは手の出しようが有りませんでした。今で言うと\30,000くらいのクツを買う様な感覚でしょうか・・・その後少し値下げして正規販売もされました。
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