Wildman 名前の由来

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。

Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr.Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it.

WILDMAN の作品

祝ナイキ40周年、華々しく欠陥品の復刻だぜ!!

今週はですね、富士のTried Customsさんへ出張Paintに行ってきました。

 

いつも沢山のPinstripeのお仕事ありがとうございます。

 

で、その日の昼食はと言うと、かねてからの私の希望により名古屋の味「寿がきや」に行って参りました。そう、あの独特なチープなラーメンを提供してくれる寿がきやであります。元々愛知県が本拠地の会社で東海地方を中心に出店していますがついこの前の1980年代までは横浜にもお店があったのです。高校のテニス部の帰り道、京浜急行金沢文庫駅のテナントに入っていてとっても安い値段でデザートまで食べられましたので重宝しておりました。

 

しかしその後、値段が安すぎた為なのか東京や横浜からは撤退してしまいまして、今回四半世紀振りくらいにあの懐かしい白濁色のチープなラーメンが食べられたのです、大変満足しました。どうやったらここまで薄く切れるのかに挑戦しているようなチャーシューと独特な味の白いスープは素晴らしい組み合わせなのであります。デザートのクリーム白玉あんみつも秀逸でありました。

 

あんまり嬉しかったので、インスタント仕様のラーメンと寿がきやオリジナルの先っちょがフォーク状になった不思議なスプーンを買って帰りました。とっても良い出張Paintとなった訳なのであります!!

で、やっと本題に入ります。今年2012年はナイキが創立40周年とのことで色々とエポックメイキングなシューズが復刻販売されるそうです。それにしても創立たったの40年なんてトミカやHot Wheelsと並んで歴史の浅いブランドなんですね・・・

 

もうマニアの皆様のお手元には行き渡っていると思いますが、1月にナイキの歴史を語る上で欠かせないこちらのモデルが復刻されました。期待していた方も多いと思われます、私もその一人になります。

 

1978年に発売されたこいつはナイキ御自慢のエアソールを初めて搭載した”Tailwind”テイルウィンドです。「追い風」ですね。

 

アメリカでスニーカーが売れ始め、まさに追い風に乗っていたナイキが革新的な物を作ろうと開発したのがテイルウィンドになります。元NASAの技術者のアイデアで、圧縮ガスをエアバッグの中に入れてそれをシューズのクッションとしてつかうという物で、ナイキの前にも他のメーカーに(アディダスなど)売り込みに行ったそうですが、ナイキだけがこのアイデアを本気にして契約を結びました。

こうして革新的なテクノロジーはナイキの物になり、その後エアジョーダンやエアマックスで空前のスニーカーブームが起こり、ナイキといえばエアソールというイメージが定着しました。もしアディダスの物になっていたら世の中はどのような流れになっていたのでしょう・・・・ナイキは倒産してたかも。

初のエアソールを持つテイルウィンドは1978年のホノルルマラソンでの発売を目指して開発され、紆余曲折何とか完成にこぎつけ、初回生産分230足はホノルルの小売店に向けて出荷され、スニーカー史上最高価格の$50というプライスで店頭に並べられましたが24時間後には完売したそうです。空前のジョギング・ブームですから・・・

ハイテクノロジーなイメージを作る為、テイルウィンドはシルバー色のメッシュのアッパーを持ち、いかにも高価な物に見えるように作られました、実際高価だったのですが。ホノルルマラソンでの発売後、メインランドでも本格的に発売開始となり、テイルウィンドは高価にもかかわらず爆発的に売れました。しかし数ヶ月後には爆発的な返品の嵐が待っていました。

「高級そうに見えるし、光って綺麗だね」という理由からメッシュにシルバー塗装をしたという何ともつまらない理由でテイルウィンドは欠陥品となってしまいました。

シルバーの染料の中にはの金属粒子が含まれていて(当たり前です)その粒子が極少の「剃刀」の役割となり、ランナーの足が着地するたびにメッシュの繊維をこすり上げ、しまいにはメッシュアッパーとエアソールが剥離してしまうという信じがたい結果となってしまいました。

鳴り物入りで登場した世界初のエアソール搭載シューズ「テイルウィンド」は予定外の悲しいデビューとなってしまったのです。すぐにマイナーチェンジが施されシルバーのメッシュアッパーは普通の地味なグレーのナイロン地に変更され、剥離のトラブルは解消されました。

 

ついこの前の1980年My First Nikeの頃、テイルウィンドは並行輸入で日本にも輸入されていてショップで現物を手に取りましたが、それはマイナーチェンジ後のグレーのナイロン地のヤツでした。アメリカ製の並行輸入品だけに何よりもその価格が凄まじく\18,800というプライスでは手の出しようが有りませんでした。今で言うと\30,000くらいのクツを買う様な感覚でしょうか・・・その後少し値下げして正規販売もされました。

年男より新年あけましておめでとう御座います!

皆様、新年あけましておめでとう御座います! 同士の皆様、本年もMooneyes並びにSigns & Pinstriping Studio並びにWildman石井を宜しく御願い致します。

2012年は辰年ですね、そう私は年男なのであります! ついこの前、年男だったと思ってましたが、あっという間に又もや年男になってしまいました。 毎年が年男のような気が致します。 今年はきっと色んな夢が叶うのではないかと期待してしまいます。 だって初夢なんか、ボルグ様とジーン・シモンズのご両人と対談するという強烈な夢をみてしまい、目覚めた瞬間「 なんちゅう夢だ、ヤッパリ俺は年男だ」再確認した次第であります・・・・

年末はスーパーの閉店を時間ギリギリまで粘って、このようにステキなアワビ様を半額にてゲット致しました、正月のプチ贅沢なのであります、小さいけど・・・ アワビ様は不肖Wildmanにとって最も大好きで重要な食材でありまして、霜降り牛肉を差し置いて私的には最上級のご馳走なのです、だって美味しいんだもん・・・(カニも美味しいですけど)

アワビ様は刺身ではなくステーキや踊り焼きといった調理方法で熱を加えて食すのが最高ですね。未だ食した事の無い「アワビ様のしゃぶしゃぶ」を食べるのが当面の目標なのであります。

何てお話しはどうでもよいとして、皆様は御正月は如何過ごされたでしょうか? 相変わらず私はほぼ自宅にひきこもり状態となりまして、整理のしようの無い部屋の整理を行ったり、ミニカーのワックス掛けをしたりと忙しい日々を送っておりました。

崩れ落ちそうな本の山の整理に気が遠くなりますが、いけないと思いつつパラパラとしばらく見てなかった本のページをめくってしまい、あっという間に数時間が経過し箱根駅伝も終了してしまうのです・・・ああ恐ろしい。

そんな中でこちらの本に目が留まって、久々に読み耽ってしまいました。 McQUEEN’S MACHINES(マックイーンズ ・マシンズ)という写真集なのですが、皆様ご存知の銀幕のスター、スティーブ・マックイーンの所有した(又は撮影で使った)狂ったような数の車やバイクたちを紹介してる本なのです。

本当に狂った様な数の車両たちなのですが、商用車、乗用車、セレブな高級車、レースカーとジャンルを問わないマックイーンのカーガイ振りが偲ばれますね。 ジャンル問わずというのは私のミニカーコレクションとよく似ております。 これからは私の事をマックイーンと呼んでくれてもぜんぜん結構です・・・・

こんな写真集を見てると、つい自分の所有するミニカーたちと照らし合わせてしまうのが変態の性でありまして、ケースから取り出しウットリと白昼夢が始まるのですな。

マックイーンといえば映画「ブリット」がカーガイの皆様には突き刺さると思いますが、サンフランシスコを舞台としたムスタングとダッジ・チャージャーのカーチェイスが印象深いですよね。

 

390ciビッグブロックのエンジン&4スピードの組み合わせの68年式マスタングと、悪役がピッタリはまる、こちらも68年式のチャージャーR/Tは440ciマグナムエンジン&4スピードの組み合わせで正に当時のマッスルカー対決となっております。

チャージャーはほぼノーマルの外観でしたが、ムスタングは馬のエンブレムが外されてメッキ部品がブラックアウトされアメリン・レーシングのトルクスラストDマグホイールが付いてたりして迫力が増しております。

共に撮影時、2台が製作されたそうですが、チャージャーは2台とも破壊され現存しておらず、ムスタングも2台の内、1台は解体されてしまいました。 残る1台は撮影終了後、ワーナーブラザーズの社員に売却され、さらに1974年になってロード&トラック誌の広告で売りに出されてしまい、その後2人位のオーナーの元を転々とし、現在はオーナーの名前は公表されずアメリカ南部でひっそりと余生を送っているそうです。 この間、自動車コレクターや映画関係者、マックイーン自身もこの車を手に入れようとしたそうですが誰も成功しなかったとのことです。 私のミニカーが一向に売られて行かないのと同じ事なのであります・・・・

前置きが長くなってしまいましたが、やっぱりミニカーも当時もので楽しまなければ全く意味がないのであります(持論)

このブリットな2台は非常に珍しいミニカーで有りまして1968年当時に発売された物なのですが、何とプラモデルで有名なアメリカのAMTが極短期間販売したミニカーなのでした、知らなかったでしょ?知ってたらすみません・・・・

 

1/65の小スケールモデルで非常に出来が良いのですが、出た時期が悪過ぎました。 1968年というと、何と言ってもホット・ホイール元年でありまして(ウィールぢゃないよ)世界中で吹きまくったホット・ホイール旋風に吹き飛ばされてしまい、あえなくAMTのミニカーは消えて行きました・・・・

   

古き良き時代の走らないミニカーだったので、走るミニカーであるホット・ホイールには全くかないませんでした、子供たちのアイドルはホット・ホイールだったのです。

走らないミニカーをこよなく愛するWildmanとしてはAMTの方に軍配を上げてしまうのでした。入手にも大変苦労したのも良い思い出で有ります・・・

シリーズ名をPUPSといい、箱にはそれを表すおイヌ様プリントされています、なんてカワイイのでしょう・・・・ 2台共ブリットと同じ68年式をモチーフにしてるところが泣かせてくれますね。

  

特にチャージャーの出来が秀逸で、小さいスケールながらMopar Muscleの迫力が伝わって来ます、最高です!! これさえあればスグでもにブリットごっこが出来るのですな。

ついこの前の1968年に作られたミニカーをウットリと部屋で眺める年男の変態行為は当分治まりそうにないですね・・・

という事でマックイーン・マシンズのお話は一回では済まなかったので、来週も宜しく御願い致します、改めて年男より新年あけましておめでとう御座います!!

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激走クイック・デリバリーはカリスマ店長の相棒だぜ!!

明日16日は2nd Annual Muscle Maniacが東京はお台場にて開催されます。 最近の私はですね「雨の神様」転じて「晴れの神様」に進化したようで仕事で出掛けるときは晴れ、 プライベートで出掛けるときは雨、というようになって来ているので、 仕事となる明日の天気はきっと晴れになりますので皆様ぜひ快晴のお台場にお集まりください。 昨年はあっという間に売り切れとなってしまった会場限定Tシャツですが、今年も販売致しますので宜しくお願いします。

で、仕事といえばこれまでMooneyesにはいろんな社用車(働くクルマ)がありました。 1986年の創業時から2011年現在まで働き続けている’74 VW Type IIは殿堂入りしても良い働きぶりですよね、まったく御苦労さまです。

アメリカでは90年代にこのように巨大なトレーラーを使ってましたが、これは 出張して一人で看板文字を描いた巨大な仕事でした。もちろん作業中には巨大な雨を降らせましたが・・・ 建物の上部に写っているブルーシートが前日の大雨の名残であります。

あ、この画像で1995年に文字描き中の私が着ているブルーのパーカーは 2011年現在も愛用しています。 買ったのはついこの前の1990年ですが、まだ使えますので毎日着ています・・・ エリア-1のカリスマ成田店長には「一刻も早く買い替えて下さい」としょっちゅう言われております。 頑固な店長に言われるとこちらも一層頑固になり、たったの21年しか着てないのでそうやすやすと替えるわけには行きません。 あと9年ほど着たら新しいのにしようかなと思ってます。

で、話が戻って働くクルマなのですが、Mooneyes名物だったのがこちらの 「トヨタ クイックデリバリー」であります、スタッフは通称「クイック」と呼んでました。

Mooneyesで使った初代クイックは純正塗装のアイボリーを生かし文字やストライプ を描き”Mobile Dealer”なんてカッコイイ看板を入れて走り廻りました。 もちろん足元はMoon Discであります。 初代のコイツは5速マニュアルミッションでしたね。

2代目クイックはオートマチック仕様でMoon Yellowにオールペイントし文字や ピンストライプで仕上げました。こちらの方が長期間使用し、軽く10万キロ以上走って、 現在は沖縄で余生を送っております。沖縄に行った方は見れるかもしれません。

クイックデリバリーはその素性が元々宅急便の配送車両として開発されただけあって、 とっても小回りが利いて狭い横浜の街を走るには最高のクルマでした。 着座位置が高くて視界が良く、誰が運転してもクイックに走り廻れましたね。 荷室も広くて四角いので信じられないくらい沢山の荷物が積めました。

あちこちのイベントにも行き皆様の目に触れたと思いますが、難点はスピードが あまり出なくて加速も悪く高速道路の上り坂では大変でした。 あと横風にも弱くて、ベイブリッジ走行時に強風が吹くと平気で1車線くらい吹っ飛んで くれました。でも車自体は本当にタフで故障もなく素晴らしい商用車でありました。

私も出張の時、何度も乗ってゆきましたが、バンナイスさんへ出張Paintした帰り道、 夜の11時ころ富士インターより東名高速に乗ってすぐにフラフラと蛇行し始め、 「ありゃ、強風が吹いてるのかな??」と思ったら、後輪がパンクしてました・・・ 路肩にクイックを停めて「さあ深夜のタイヤ交換だぜ」と意気込んだら、リアに吊ってある スペアタイヤを下ろすツールが見つかりません・・・もちろん取扱説明書も見当たりません でした。

まっ暗闇でいくら探してもツールは見つからないので仕方なく次のSAまでフラフラ走って […]

ハイジな国のスーパーカーは426ヘミでハイになってビックリだぜ!!

マクドナルドの株主である(つもりの)私のもとに新しい2冊の株主優待券がやって来ました。これにより12回はダブルクォーターパウンダーのLLセットが食せるという訳でありまして、大変有意義な食生活が待っている訳であります。

    

この前は鎌倉プリンスホテルの期間限定ランチバイキングに行って参りまして「フォアグラステーキ食べ放題!!」というキャッチに見事のせられてしまいました??? 気合いを入れて4つほどフォアグラを食しましたが、その後ローストビーフや天ぷら、パエリア、ポトフ、そしてあんみつ&モンブランと攻め込んだ所、急に気持ちが悪くなってしまい、吐き気をもよおしながら帰宅し4時間ほど寝込んでしまいました。 その後2日間は胃薬が手放せませんでした????皆さんもフォアグラの食べ放題には注意しましょう。

寝込んだ後は自室に引きこもり、口直しにミニカーを鑑賞していましたが、久々に手に取ったミニカーで面白いのがありました。

その昔、ハイジの国スイスで突然クルマを作り始めた奇特なお方がおりました。 といってもついこの前の1960年代の事なのですが、スイスなんて時計のイメージしかなく、自動車会社があったなんて不思議な感じがしますよね。 「ピーター?モンテヴェルディ」さんという方がおられまして、元々フェラーリやBMWのディーラーを経営していたのですが、フェラーリとの確執等いろいろありまして、一発奮起、独力で高級車市場に乗り不出して来たのです。 あの時代のヨーロッパは成り上がりさん中心に(イソ、ランボルギーニ等々)どうしても速くて高級なクルマを突然作りたくなる方々が沢山おられましたね、大変なのに???

でも、いきなり全部自分の所で作れる訳もないので、基本的にスペースフレームのシャシーのみ自社で作って、エンジンとギアボックスはあそこから、ブレーキはそちらから、パワステはこちらから、ボディーはこちらにデザインしてもらいましょうといった感じで、スイスのクルマといってもパーツは各国から調達しておりました。

速くて値段の高いクルマを手っ取り早く作るにはやはりアメリカンV8という訳でありまして、モンテヴェルディも心臓にクライスラー製のデッカイV8エンジンを選びました。

67年にやっとこ出来上がったクルマはこちらの「ハイスピード375S」というモデルでその心臓はバラクーダなんかに搭載されていたマッスルカーマニアにはおなじみの「440マグナム」で7,2リッターの排気量から375馬力を絞り出していた強烈エンジンでした。

その後もクライスラー製のビッグブロックにこだわり続け、巨大な4ドアセダンの「375/4」はマックス240km/hに達し、当時世界最速のVIPサルーンとなり、モンテヴェルディは世界に認められ始めました。 日本にも当時1台だけ新車でこの375/4が輸入され、東京の街を走っておりました。

こうなって来るとスーパーカー?ビジネスに参戦したくなるのは人情というもので、モンテヴェルディも禁断の果実、ミッドシップのスーパーカーを作っちやいました。

その名も「モンテヴェルディ?ハイ450SS」というハイスピードでハイになりそうなネーミングなのですが、ハイというのはHighではなくHaiというスペルでしてドイツ語で鮫の意味なんだそうです。スーパーカーの名前は色々と面白いですね。

ミッドに搭載されたエンジンはついに「やっちゃいました」という感じで、クライスラー製の最強エンジン「426ストリートヘミ」を放りこんでしまいました。アメリカ車マニア垂涎のエンジンですな。 7リッターの排気量から450馬力を発生し、ハイ450SSはカタログ上では290km/hという最高速度を豪語しておりました、これはあっぱれですな!!

実際当時の市販車最高速度テストではフェラーリ?デイトナ(280km/h)やランボルギーニミウラ(272km/h)次いで第3位の270,5km/hをたたき出したのは立派というほかありませんね。 でも、シフトのリンケージの取り回しがが上手く行かずに、シフトパターンは上下がひっくり返ってしまったという変態的な世にも恐ろしいスーパーカーとなってしまいました。 さすが手作り自動車メーカーですね???450馬力のシフトを間違えてしまったら、小心者としてはそんな事を考えただけで眠れなくなってしまいます。

結局オイルショックも重なり、ハイは数台の生産で消えて行ってしまい、モンテヴェルディも1982年には自動車の生産を止めてしまいましたとさ??? ハイジの国のスーパーカーは歴史の彼方に消えてしまいましたが、ミニカーとして残っているのが変態的には嬉しいのです、もちろん当時物として???

スペインにAuto Pilen(オートピレン)というミニカーブランドがあったのですが、こちらは創業時は他の一流ブランドの金型を利用してミニカーを作っていて海賊版扱いされていました。 でもオートピレンはただのマネッコではなく、見本としたオリジナルの物よりも開閉アクションを増やしたりして、独自のスタイルを確立していました。

   こちらのC2コルベットは左がオリジナルの英国製コーギートーイなのですが、右のオートピレンはコーギーでは無かったドアーの開閉アクションが追加されているのです。

その後オートピレンは独自の金型の開発にも着手し、70年代中期から後期に掛けてオリジナル金型の素晴らしいミニカーを作り始めました。 その中になんとモンテヴェルディ?ハイがラインナップされていたのです。

  

ついこの前の1978年に横浜市鶴見区のつくの商店街にあった「チェッカー」にて購入させて頂きましたが、いま手にとっても本当に素晴らしいミニカーだと思います。

 

この時代は外国製ミニカー暗黒時代で、どのブランドもプラ製のタイヤ&ホイールで実車のイメージ丸出だめ男なのですが、オートピレンはダイキャストホイールにゴム製タイヤという最強の組み合わせで、それだけでウットリしていたものです。

プロポーションも良くてハイ独特のボディーラインが見事に再現されております。金型職人の魂が感じられるのです。現代のCADなミニカーなんかとは比較になりませぬ???? 上品なゴールドの塗装もたまりませんね。

このミニカーを見ていると、アルプスの峠に行きハイジになってハイに乗って逆パターンミッションを駆使してハイな気分で290km/hを出してみたくなりますね、だから当時物ミニカーはやめられないのです!!

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2台のマッハ号は時代を越えたRod & Customだ!!

明日の日曜日は14th Annual All Odds Nationalsがお台場にて開催されます。

今年のFeature CarはマツダDayという事で東洋工業なクルマ達がいらっしゃいます。

   

このように素敵なミニカーの実車達が集まりますので、ミニカーが好きな方も実車が好きな方も広島カープが好きな方もぜひお越し下さいませ。

という事で今回も先週に引き続き劇中車両のお話となります。

「マッハロッドでブロロロロ〜ブロロロロ〜ブロロロロ〜ぶっ飛ばすんだギュンギュギュン」と頭から離れない歌のオープニングで、ついこの前の昭和47年、少年Wildman小学2年生の時に始まった「超人バロム1」はかなり刺激的な特撮物でありました。 なんたって小学5年生の秀才「白鳥健太郎」とクラスメートのガキ大将「木戸猛」の二人が「バロムクロス」で合体すると「超人バロム1」に変身するという、これまでになかったパターンの変身物だったのです。 登場する悪者たちもとても恐ろしくタコゲルゲ、イカゲルゲ、ナマコルゲ、キノコルゲと当時私が食べられなかった物ばかりモチーフにしていてそれは気持ち悪かった物です・・・

   

そして正義のヒーローバロム1の愛車はこちらのオープンカー「マッハロッド」でありました。 「ボップ」という小さなカプセルが変形してクルマになると言う斬新なアイデアでしたが、クルマもやはり斬新なデザインでした。 フロントにはロータリーエンジン、リアにはジェットエンジンが搭載されるというツインエンジンシステムは最高速度400km/hを誇り、現代でも通用する性能なのであります。 鮮やかなオレンジ色のボディー色はこの華麗なオープン2シーターをより一層カッコ良く見せて「練5」のシングルナンバーもバッチリ決まっております、車検を通していたのでしょうか???

   

ベース車は皆様ご存じの通りローウィンドーの日産フェアレディーを使用しています。 リア周りはまんまフェアレディーですがフロントのスラントノーズは当時最高にカッコ良く見えた物でした。

 

が、ある時マッハロッドが突然マイナーチェンジしたのです、番組中に。この事実には小学生なりに驚いてしまいました。 だってあの素敵なスラントノーズがナゼか逆スラントノーズとなってしまい、全体的に腰高になってマッハロッドの地を這うイメージが無くなってしまったのです。

「おかしいなマッハロッドはフェアレディーの改造車だったのになんか変だぞこれは」とテレビ画面をよく見てみると「おお、このフロントフェンダーの造型とサイドのプレスラインは見覚えがあるぞ」と少年マニヤは鮮やかに閃きました。

  見覚えがあるそのクルマの正体はお袋の会社の同僚のトシコさんの愛車である初代サニーでありました。

  「なんだマッハロッドはスポーツカーから乗用車に格下げかよ」とブツブツとテレビに向かって文句を言っておりました・・・

こちらのミニカーじゃなくってクルマになりますが、もしかしたらベースは改造しやすいサニートラックだったかもかもしれませんね。

当時は学校に行ってマッハロッドの変貌ぶりをイラスト化し、力説していた変態予備軍の少年は岡村小学校2年3組でありました。同年、腕の骨を折って1ヶ月ほど入院したことは強く印象に残っております。 あれを機にPinstripeが描けるようになった気も致します・・・・

 

そしてフェアレディーベースの特撮車両といえばこちらで決まりの「マッハコンドル」であります。この時代は「マッハ」という言葉が最高にカッコイイ響きを放っていたのです。 「正義のシンボル コンドールマン」の愛車として走りまわっておりました。 ドアの羽根マークをワンショットで描いてみたいですね・・・ 良く見るとフロントウィンドーが高く見えるのでベース車は後期型のフェアレディーのようです。

マッハコンドルは太陽エネルギーが動力源なので元祖エコカーとも思われますが、最高速度は実に1,200km/hに達するそうです、ぜひボンネビルで走らせたいですね。

リアのナンバープレートも素敵でぜひカスタムオーダーライセンスプレートで作ってみたいです。 それにしてもこの無茶苦茶なデザインはどういっ感性の方が仕上げたのでしょう。 SP&SRのフェアレディーがS30Zに進化する過程で遺伝子操作されてこのようになってしまったのでしょうか??

マッハロッドにマッハコンドル、2台のマッハ号は時代を超えたRod & Customなのであります!!

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