やっぱりですねCADなんか無い頃に、人間の想像力だけで作られたクルマはどれもこれもカッコいいのであります。
ここ数年の乗用車デザインなんてドイツ車を中心に回っているだけでしてBMWのプレスラインを頂戴して某国産メーカーが新車を発表し、今度はメルセデスSクラスのフェンダーラインがカッコいいからこれを頂きましょうとなること必至ですね・・・・・CADってやーね。
レーシングカーだって80年代前半まではどれも個性的なスタイルでしたが、その後はF-1を見れば分かるように、言われなければどこのクルマだかわかんないくらいみな同じに見えます。レーシングカーなんて性能を追えば同じようなカッコになってしまうのはわからなくもないですが、それでは夢がないですよね・・・・
そうなるとやっぱりタイムスリップするしかないのです。
60年代は各デザイナーが腕をふるってとっても個性的なレーシングカーをデザインされておりました。特にル・マン等の耐久レースを走っていたプロトなんかは個性派揃いで今見ても胸がときめいてしまいます。
そんな中でまともに走れなかったけど「世界一美しいレーシングカー」としてWildmanが認定するクルマが日本にあります。というより一瞬だけ日本にありました。
日本車の心臓を持っていましたが、純粋な日本車ではないので存在自体が中ぶらりんですが、何といってもその問答無用の美しいスタイルだけでこの世に存在する価値のあるクルマなのです。
同世代の日産Rシリーズよりもトヨタ7なんかよりも670倍くらい美しいデザインを持つクルマは日野さんのところのクルマでした。レンジャーの日野さんです。トラックではありませんが。
といっても日野製なのはエンジンだけでありまして、その他はプロトタイプレーシングカーとして一から設計されたもので、デザイナーはWildmanが変態として、いや天才として尊敬する「ピート・ブロック」さんであります。
そう日本ではBRE Datsun 510等の美しいトリコロールカラーで塗られた日産車のレーシングカーで有名なピートさんであります。

GMのデザイン室で腕を振るったあと、シェルビー・アメリカンに入りそこでかの有名な「コブラ・デイトナ・クーペ」等の歴史に残るレーシングカーを設計しました。これらもカッコいいですよね。その後独立してBRE(ブロック・エンタープライズ)という会社にてレース中心の活動を行います。
60年代中期に日野自動車と組んでアメリカにてコンテッサ900や1300でレースに出場していました。そうあのリア・エンジンのコンテッサであります。コンテッサ1300といえば、子供のころ一番怖かったクルマなのです。
何が怖かったといえばリア・エンジンのため、フロントにラジエーター・グリルが無くのっぺらぼうさんで、なぜか後ろにはグリルがある!!この後姿にたまらなく恐怖を感じ、コンテッサが走ってくるとそのたびに目を背けたものでした。ついこの前の昭和44年頃の事ですが・・・・
日野コンテッサ1300のエンジンを軽くチューニングし、完全なプロトタイプレーシングカーに積んだのが今回のお話のクルマ「ヒノ・サムライ」です。


正式には“BRE Samurai”といった方が良いのでしょうか。まず名前からしてカッコいい、サムライですよサムライ!! スズキジムニーの輸出仕様のサムライではありませんのでご注意ください。日野がずーっと先に使っているネーミングなので。
ブロックのデザインの真骨頂が随所に表れていて、F-1が空気の流れを計算するもっと前に空力を意識したデザインがなされています、しかも美しい!!「リング・エアフォイル」と名付けられたリアの可変式ウィングはフェラーリF-40が登場する20年も前にそのコンセプトが確立されています。
繊細な鋼管スペースフレームにサスペンションはクロームメッキとなり、まるでカスタムカー並みのクオリティを誇る世界一美しいレーシングカーであります。あーカッコいい!!!
さてミニカーでもこの美しい姿が堪能出来ます。60年代後期になんとイタリアの“Politoys”というメーカーからサムライのミニカーが発売されていたのです。


東洋の島国のレースに参戦するマイナーなレーシングカーをモデル化したのはPolitoysのスタッフが変態だったのか、BREのネームバリューが凄かったのかどちらかでしょうね。このミニカーは当時としては珍しくホイールまで実車を模しています。しかもウィングは可変式であります!!横に並べたのは当時の日本のダイヤペット製「コンテッサ1300クーペ」でコンテッサのリア・スタイルがいかに怖いか分かって頂けると思います・・・・・・

実はヒノ・サムライの事を知ったのは実車の方が先ではなく、小学生の時このPolitoysのミニカーによってその存在を知りました。ミニカーは自動車史の勉強にもなるのです、素晴らしい!!!
また、サムライは人気者だったので当時プラモデルにもなっていて芸術的なボックスアートを楽しむことが出来るのです。決して作ってはいけません。

ピート・ブロックがデザインしたサムライは1967年の日本グランプリに出場するべくこの年の4月末にPAN AM機に乗ってロスアンジェルスより羽田に空輸されて来ました。出来立てのホヤホヤであります。
そして富士スピードウェイに運ばれ日本グランプリにエントリーとなったわけです。その名も「チーム・サムライ」として出撃し、監督にはなんと世界的俳優の三船敏郎が起用されました。元気です!ミフネ。
しかしここから茶番劇が始まりまして、実際にサムライを走らせてみると富士の名物だった30度バンクにてオイルの片寄りが発生し、急遽オイルパンをコンテッサ用に変えてみたり、最後はブリスカトラック用のエンジンに換装!!したりとその場しのぎの対策を施しました。
しかしどうやってもサムライは既定のロードクリアランスの10cmを確保出来ず、たった2センチの為に車検をパスする事が不可能となり、せっかく日本に来たのについぞグランプリを1センチも走ることなく寂しくアメリカに帰って行ったのであります。三船敏郎がピットで逆ギレしての抗議もむなしくサムライは日本のファンの前から姿を消したのでした。
傷心の内、アメリカに帰ったサムライは何度かオーナーやスタイル以外のメカニズムが変わり70年代にSCCAのレースなんかに出走していました。その後長い間、消息不明となり「幻のレーシングカー」となっていましたが、この世には存在しています。それはヒミツです・・・・・
ピート・ブロックはサムライ・プロジェクトの後はアメリカで日産の510や240ZのBREレースカーで大活躍しました。
天才ピートは空気の流れの研究は地上だけでは済まされなくなったようでハンググライダーの世界に行ってしまい空高く飛んで行ってしまいました。やっぱり変態だったのでしょうか・・・・・
それにしても美しいヒノ・サムライ・・・・・たとえレースで走れなくてもこの形だけで優勝といった風情であり、Wildman的にはサムライより美しいレーシングカーはあり得なく、唯一無二の存在なのであります。
カッコいいぜ、ヒノ・サムライ!!!