すでに、一部のお客様にはお伝えさせて頂きましたが、2014年5月10日を最後に、
私、成田亮平は、家業継承の為、MOONEYESを退職する事になりました。
本当に長い間、お世話になり有難うございました。また、突然のご報告となり、申し訳ありません。
在職期間も、残り約2週間となり、このブログも今回を入れ残3回、最終章となりますので、ざっと25年間の
足跡を、画像と共にたどっていきたいと思います。
こうして見ると、25年は長い!自分の人生の半分以上、MOONEYESと過ごしてきた訳ですからね、、、、、
それでは、始まり~始まり~
アルバイト時代ですから、1989年か90年頃でしょう。
【左】;元町プラザ、【中央】【右】は、御所山W/Hです。
アルバイト時代の最後に、アメリカの大地を踏む事ができました。(1991年)
そして、アルバイト後の1年間は、TVCM制作のいわゆる、ギョ-カイ人に憧れて他社で働いておりましたが、
1年ちょっとで、MOONEYESにカムバックしたのが、1992年でした。
MOONEYES FUNNY CARのデビュ-、記念すべきHCS第1回も、ちょうどこの年でしたね。
下段は、当時のMOON CAFEですね、ワイルドマン、奥君、KUSTOM STYLE社長の佐近君、SUGI SACKこと杉本君、
足を投げ出して偉そうなのが僕と、当然ながら皆さんお若い!
我が人生初のUSA車が、68’CAMARO、この後、数奇な運命を辿る事になろうとは、、、、
その隣は、TYPEⅡPARTYですかね、会場は今のイト-ヨ-カド―辺りかと思います。
長谷川部長が、持っている携帯電話の大きさが時代を物語っていますよね。
伝説のBOYD CODDINGTON社長&HCSのフュ-チャ-カ-、CHEZOOM、
それにしても、この時期のBOYD WHEELの人気は凄まじかった!
直接、お客様と接するという意味でも、
EVENTへの出展、A-1 JUNK FAIRも大事な業務の一つでした。
2000年にOPENさせた恵比寿のお店も、時代が早過ぎたのかなぁ?
この頃から、僕の体型も丸み帯び、髪も薄くなってきました、、、、、、
前篇は、ここまでと致しましょうか。後編は来週です。