Monologue

このタコ野郎!!!

2016年も最後のブログとなりました。いや〜今年のブログ更新頻度の低さったらもう散々すよ。

根岸駅前のラーメン屋「千家」に行った回数より少なかったかもしれません。
土曜のブログ更新→帰り道に「千家」に行く→中盛り+ライスで一週間を締めるという昨年の流れが
気がつかなかったフリでブログ更新しない→帰り道に「千家」に行く→ダイエット中だから普通盛り(デラックス¥1,000)でというハードルを低くして一週間を締めるという流れになってしまいました。いかん。これじゃダメだ。ただの仕事しない太っちょの日常になりかけてる。でもラーメンとカレーライスの誘惑が多すぎるんですよ横浜。横浜で生活しているとこの二つの地雷が多すぎる。普通に赤信号だと思って立ち停まっちゃいますからラーメン&カレーライス。

さぁ2016年最後何を書こうか!!と角ラーメン正和カレーライスは考えたのですが、どうして今まで書いてなかったんだろうと先週気がついた事を書こうと思います。

どなたでも人生の中で何かの転換点があると思いますが、僕もある人との出会いで爆発的に感覚が変わった事がありました。

今から遡る事8年前の2008年5月。えぇ〜文字にするとたった8年前かよって思いますが凄い昔に感じます。絶対に戻りたくないですよ。
当時入社三年目なのに!!、何ひとつ仕事をこなせない僕。それなのに Shige-sanから「ちょっとそこのコンビニでパン買ってきてくれ」的な感じで僕の初めてのUSA出張が決まりました。出発は二日後、USAに到着した日と帰国前日以外は砂漠で野宿って今考えるととんでもなくフルスパルタンな出張でした。

エルミラージュでMOONEYES USA Chico Kodama がドライブする Land Speed Raceを撮影する事が僕の出張の業務でした。当時、商品撮影もままならない僕によく任せてくれましたよね Shige-san は。賭け以外のなにものでもないような気がします。

そこで一人の日本人の男性カメラマンの方と初めて会う事になります。それからの僕の人生を大きく変えた人物です。
僕の方は勝手に昔から存じてはいました。「この人の写真はぶっ飛んでる。」とずっと思っていた人物です。20代前半、山奥の工事現場のプレハブ宿舎で夜な夜な読み返していたマガジンのページは必ずこの人が撮っていました。

Zap Teshima

ご存知の方も多いですよね。現地に着いて初めてお会いした時、なんか挨拶とかしたんだっけかな?これが、全く覚えてません。だって「さっき骨折しちゃったよ」って言いながら肩から白い布で片手吊って写真撮ってるんですよ。どうかしてますって。人生初のアメリカで、人生初の砂漠、人生初のLand Speed Race、人生初の骨折カメラマン…..。もう目の前で起きている事が山盛り過ぎて僕は熱中症でぶっ倒れました。今考えると甘ちゃんすぎる意気込みですが、その時は死に物狂いで僕もシャッターを切っていたんだと思います。いやなんとなくですよこの頃のコイツは。あぁ〜この頃に戻りたくない。

特にZap-sanとお話する事もなくズタボロで帰国するとShige-san宛にZap-sanから「面白いヤツがMOONEYESにいるんだね」とメールが届いていたそうです。今度は3ヶ月後のBonnevilleへの出張がまたしても奇跡的に決まっていたので Shige-san から Zap-san へ「あいつをBonnevilleで鍛えて」と連絡がいき Bonneville での再会となったわけです。

当時の僕は、撮影も人間性同様「一歩引く」「奥手」「曖昧」の三拍子揃った魂が全くない言葉は悪いですがクソ撮影でした。Hot Rod Custom Showでの記念撮影でも沢山いるカメラマンさんの後ろでとりあえずシャッター切ってればいいっしょ的な。そんな人間がごまかしが効かない Bonneville で何か出来るわけがないんですよ。そこを Shige-san は見越していたんだと思います。僕なりには頑張っていたとは思うですけど、それは自分の許容範囲内での「頑張り」なんでそんなクソみたいな魂なんてですね通用しないんですよ。ショック療法が必要だったんだと思います。

Bonneville のスタート地点でカメラを構えているといきなり始まります。いつの間にか後ろにいた Zap-san にいきなり頭掴まれて「もっと寄れ! タコ!!」ってぶん投げられました。そう今まで経験した事もない対象物との距離で撮影する事になる訳です。「いや無理だって」ってなるじゃないですか。レーサーの「はぁ…はぁ…..」って吐息が聞こえそうな距離ですよ。これから命がけのレースが始まる人の邪魔しちゃいけないって都合のいい、逃げ道考えちゃうじゃないですか。でもZap-sanの撮影を見てると違うんですよ。ベタベタとずっとつきっきりでいるわけでなく直感的に「ここだ!」ってところで一気に距離詰めてバシバシって撮影してすぐ離れるって感じですかね。独特のスタンスで。そしてレーサーも嫌な顔しない。「あ〜した方が良い」「こうした方が良い」なんて技術的な教えも MOONEYES のピットで黒焦げになったホットドッグを食べている時に教えてもらっているはずです。ただやっぱりあの人の撮影を観る事の方が何万倍も勉強になるっていうか「ちっくしょう!!!」ってなります。だって同じ場所にいて同じ対象物撮影しているのに確実にタイミングも構図もドンピシャのところでシャッター切っていくんですもん目の前で。10日間ぐらいの滞在中にちょっとずつ自分の中で撮影に対しての意識が変わっていったんだと思います。いつのまにか何かに取り憑かれたようにシャッターを切り始めました。当時はBonnevilleのプレスパスなんかもってなかったですから、どうしても近づけない、いやどうしてもあそこの場所でシャッター切りたいってなるとスレスレもしくはアウトの事し始めます。ギリッギリまで車やトイレの陰に隠れて「今だ!!」ってところで撮影禁止エリアに飛び出して撮影する。時々、オフィシャルにバレる→怒られる、隣のコースで同じ事する→すぐバレる→怒られる。Zap-san に「タコ野郎! お前そのうち出入り禁止になるぞ。しかもそんな大きいロゴマーク入ったT-Shirts着てるのに馬鹿かお前は」と笑われたりもしました。

幸運な事にその後、何回もBonnevilleで撮影をする機会を会社から頂き、その都度 Zap-san に色々弱音吐いたり、啖呵きったりする事が出来たわけです。

そういえば一度撮影じゃなくてあの人と翻訳の仕事もした事もありました。MOON ILLUSTRATED Magazine Vol.07の記事の英文の翻訳一度僕したんですよ! 英語全くわからないこの僕がですよ。Zap-san 撮影、Bean Bandits Derby の文章、翻訳が僕…..。いや〜修羅場でした。絶対に絶対にこの時に戻りたくない。いや英語出来ないからって一度逃げたんすがガッチガチに怒られて「なにくそ!!」的な感じで。Zap-sanから「Google翻訳みたいな翻訳してんじゃねぇ〜よ、このタコ野郎が!!」ってメールが届くんですよ。「じゃぁこうですか!」「おぉ〜タコ野郎、惜しいな」「じゃこうすか!」「ん〜眠いからもう寝る」「ちょっと待ってくれ!! 寝るんじゃねぇ〜よ!!! 締め切り目の前だって!!」「は?オレ知らね」ってやり取りが続くという崖っぷちな日々。写真もレイアウトの時、1mmも切るなよ、USMかけるなよと。無理だってとブツブツいいながら全部断ち切り部分を伸ばして………..。最終的に締め切りも延ばしに延ばして、翻訳文章もほぼZap-sanの言葉でした。精魂尽き果てたのを覚えています。

Zap-san は1mmも思っちゃいないでしょうが、僕にとって師匠はこの人なんです。特に撮影に関して自信を持って「僕の師匠はZap Teshimaです」って言います。取り組み方、考え方はこの人から教わった部分がとても大きいです。

僕は撮影だけが仕事ではありません。だからかもしれませんが、入社して数年間、色々と撮影に関して嫌な思いや悔しい事もありました。
それでも「毎日冷や飯だろうが、泥水飲み続けようがとにかく頑張り続けろ。いつか必ずやりたい事が出来るようになる、いやお前はやりたい事をやれ」
とZap-sanに何度も言われてきたので撮影を楽しめたんだと思います。

つい2週間前のMOONEYES USA Xmas Party。

真っ暗な霧に覆われたIrwindale Speedwayでそんな師匠と久しぶりに会いました。事前連絡なんてしませんでした。
「おぉ〜久しぶり〜」なんて言わず、「お前が来るなら俺が撮影しなくていいじゃねぇか!!」と言われました。っぽいな〜。
ようやく最近落ち着いて、自分の撮影した写真、Zap-sanの撮影した写真を見比べています。まだまだ実力の差が半端ないですね。まだまだあの人現役ですよ悔しいですが。

Hoping the sacrifices pay off.
やることはやった、あとは知らねぇ!
MOON ILLUSTRATED Magazine Vol.07 P.008より

何がどうなってこう翻訳されるのか未だにわかりませんが、グッと伝わってくる最高の表現だと思います。Zap-sanっぽいな〜。

あの人が元気でバリバリやっているうちに、必ずブチ抜かしてみせます。息を呑むような一瞬を2017年は撮りたいと思います。

その時は、「どうだ、このタコ野郎!!」と失礼を承知でZap-sanに言おうと思います。
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