「靴屋さんになります」
これ、僕が学生時代、進路面接で先生に宣言した言葉です。
聞いた先生からしたら衝撃的だったと思います。こいつナニ言ってんだと。
僕が通っていた学校は、ちょっと特殊な学校でした。国立のエンジニアを育てる学校でした。
1日8時間授業。通常の授業に加えて、専門授業もあり、8時間授業終了後、僕みたいな馬鹿野郎は補習授業もあり、終わるのは夜。今思うとサラリーマン並みに学校に缶詰です。
当然、進路面接というと、国立大学に編入するか、行政に進むか、設計の道に進んでコンサルタント業になるか、現場に行ってどのようなエンジニアになるかを話しあう場だったので、僕の「靴屋さんになります」面接なんて着地するわけもありません。
今思うと大馬鹿野郎なのは充分理解出来るんですが、当時はたぶん一点の曇りもなく純粋に答えていたんだろうなー。
その学校は、制服がありませんでした。いやありました。入学した時は、全員学ランでした。
ただ、僕らの代で制服を着て学校に通うのをやめました。なんか凄い反抗的な感じに聞こえますけど、そんなに一致団結したとか学校と揉めたとかはありませんでした。なんとなくだと思います。学校と先生たちが寛容だったんですかね。ただただ楽しかったから自然に私服で通うようになっていたと思います。
今から30年以上も前のハナシですから相当めずらしかったと思います。上級生になった時、下級生から「あの人たちが制服無くした人たち」って囁かれることもありました。バイクの免許もとって良いし、バイク置き場もあるし、駐車場もあるので、高3でクルマで通っている学生もいました。本当に特殊な環境だったと思います。
私服で学校に行くってなると、じゃーナニ着るよ?ってなり。とにかくお金が無かったので、まずは古着が好きになり。バッシュー(バスケットボールシューズ)からスニーカーに興味が移り。
そうなると授業どころじゃなくなっていくんです。クラスの誰かが「Boon(雑誌) と Cool Trans(雑誌)」買ってきた、「Smart(雑誌)」買ってきた、「Quant(雑誌)」あるぜってなると、授業中もひたすら友人どおしで、廻し読みするんです。
Quant は、個人売買の雑誌で、僕の学生時代(1993 – 1998)はめちゃくちゃ重要な位置付けの雑誌でした。ヤフオクがスタートしたのが1999年ですから、まだ始まっていません。だから個人売買と言ったら Quant でした。文字情報で欲しいアイテムが載っているページを授業中に折っておいて。
「Adidas Superstar 27.5cm 金ベロ フランスメイド 程度中」とか「Levi’s 501 赤耳(僕らが買えるギリの80s Vintage)」とか「northwave “ESPRESSO” 売り」にドキドキして夜、全然知らない人のお家に電話して交渉していました。
古着屋に行き、そのうちフリマに行き、欲しい服の為に持っている服を売り。そのうち「これいつも高いのに安いなー」と感じると、今度は売る為の服や靴、腕時計とかを手に入れるようになり。
当時は”ディスカウントショップ”と呼ばれるお店が結構熱くて、唐突にClarksが並んだり、G-Shockのイルクジモデルや、データバンク、Polo Sportsとか激安で発売される時があったので、初日狙いで並んでいました。お金も無いのに、着たり、履いたりしない服やスニーカーを所有し、良きタイミングで売る事で、自分自身が欲しい服や靴を手に入れる。サイコーに楽しい時代だったと思います。スニーカーと交換でクルマを手に入れた友人までいた時代です。むかーし、千葉に「ウォークマン」ってスニーカーショップがあったんですよ。SONYのウォークマンじゃないですよ(後にSONYとなんかあり「ウォークランナー」ってショップ名になったはず)。強烈な品揃えのスニーカーショップがあって。見てるだけで楽しかった。Air Max 95 が劇的に人気になっていた頃、僕は、Air Max 95 を売り抜け、Converse Chuck Taylorの Vintage を仕入れていました。「いつか絶対来る!」って信じて。そんな時代です。
GREGORY の赤黄デイパック(旧銀タグ)を背負って、Reebok のINSTA PUMP FURY履いて、裏原宿の Nowhere 通って。そんな時代を過ごしていたから、「靴屋さんになります」って言ったのかもしれません。(なりませんでしたけど)
よく、「10代で渇望していたことを一生追い続ける」と聞きますが、僕は間違いなくそうだと思います。
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今週から Bounty Hunter x MOON Equipped Special Shop の告知を開始しました。
今回の企画スタートは、今年の2月。
横浜でもなく、東京でもなく、九州で始まりました。あの時、九州で「やりましょう!」ってハナシが出来て本当に良かったと感じています。

「プロモーション用の撮影をさせてください」
上の写真を撮影している時。めちゃくちゃ10代の時の思い出が蘇ってくるんです。
Bounty Hunterさんは、今年で30周年。1995年スタートなんで、完全に僕の学生時代ど真ん中なんです。学校で友人が Hikaru-san の真似していましたからね。
そんな人間からすると、企画をご一緒し、プロモーションの撮影をしている事自体、信じられない感覚があるんですよ。当然、お仕事なんですけど、お仕事なんですけど、ほんの少しだけ違うんですよ。
この上の写真を撮影した時も、なんとなく、「真っ黒の空間で、Black Tshirt が沈まず、浮かび上がるように撮影したいな」とイメージだけしていたんです。あとは流れで考えようと。カチって現像仕上がった時、もうマジで幸せだ〜って思いましたから。楽しい〜って。
来週には、 Bounty Hunter x MOON Equipped Special Shop のWebページを公開します。(ヒロシュガー佐藤がカッコイイページを企んでいますので、楽しみにしていてください。)
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さてさて。
ハナシは変わりますが、今年の1月。
Shige-san から「こんなん作れないかな?」とある写真を見せてもらったんですよ。Webの写真だったか、テレビの写真だったか、定かじゃないですけど。
今まで見た事がない構造のモノでしたから、「おぉーすごいですね」と。
「とりあえず、ラフスケッチでも描いてみますね」
と、とくにその先のことを何も考えずに描いたモノがこちら。

で、「ヨシやろう!」となり。じゃどうやって作ろうとなり。
ここから長い長い険しい険しい道のりを経て、遂に来週お披露目となります。もう絶対絶対不可能だと思っていました。
こういう時、助けてくれる人が沢山いるんですよ。お互いずっとニコニコしているわけじゃないですけど。最終的には絶対助けてくれるんです。
本当に幸せモンな広報です。
来週をお楽しみに!!!
MOONEYES 広報 pan sumi
タイトル「10代で渇望していたことを40代で満たした瞬間」(左:初期モデル、右:後期モデル) #僕以外マジどうでも良い情報

