まさかまさかね。海外出張で足を4本骨折するなんて思ってもなかったですから。
あれ?丸が5個ある。5本折れてたのかな。えーずっと4本だと思ってた。
故障中のエレベーターに乗り込んで、3階から1階に落ちた事も、水溜りに飛び込んで撮影していたら犬のおしっこの水溜りだった事も、知らない危しげなオジサンと仲良くなってバイク二人乗りしてベトナムの観光地巡りした事も、空見て歩いていたらマンホールに落ちた事もありましたが、まさか骨折だなんて…。
あ、骨折したのは、2024年3月の事です(at タイ バンコク)。
この時は、沢山の人たちにご迷惑をお掛けしたのは流石の僕でも理解しています。未だに後遺症で、正座が出来ませんので、土下座するなら、お姉さん座りでします。まだ謝ってもらってないぞ! という社内外の皆様ご一報ください。ちょっと色っぽく土下座します。
ですので、入社以来ミラクルのミラクル連発の海外出張ツアーも完全にピリオドとなったと思っていたんですよ。そりゃそうです。そこはもう自業自得ですんで。我がトラベルに悔い無しです。悔いなんてありません。いやぁ色んな事あったけど、海外出張楽しかったなぁ〜と。
悔いどころか、タイから帰国後、近所でモリモリカレーライス食べてたら、全国ネットの夕方のニュースで「美味い!!」って答える映像が流れ、いったいコイツ反省してんのかという空気も流れました。
そんなこんなで、2025年1月早々、「今年のGrand National Roadster Show (以下GNRS)行くからね」と Shige-san に言われた時は、まぁまぁ動揺しました。
僕がですか?ですよ。
骨折後、タイに滞在中、イベント以外ほぼホテルと病院(リハビリ講習)の往復、大馬鹿野郎ですよ?
「タイトル: 呆れて失笑の Shige-san に松葉杖越しで謝罪」
皆が必死にバンコクで仕事をしているなか、僕は、ホテルの窓から遠くに見えるモノレールをひたすら眺めて「はい、出発します〜。はい到着しました〜」と「エア運転士」に何時間もなりきっていたような人間ですよ?
骨折で、立ってシャワーが浴びれなくて、急遽用意してもらったガソリン用のポリタンクに座ってシャワー浴びようとしたら、取っ手がお尻の割れ目にドンピシャで入って、骨折以上の激痛ですぐギブアップした人間ですよ?
とはいえ、とはいえ「いや、僕は前回沢山の皆様にご迷惑をおかけしていますので、折角お声掛けいただきましたが○△□○△□」なんて言えるほど意思が固い人間でもございません。何食わぬ表情で、タイでの大失敗を何も覚えていないテイで「承知致しました」と返答したわけです。
という事で(あーもー全然終わりそうもない。プロローグが長い)、まさかまさかで今回一年振りとなる USA に行ってまいりました。
今回の出張に向けての僕のモットーは
1. 無茶しない
2. 無欲
3. 節制
4. 早寝
以上。
アメリカ行くぜ!! 時間が勿体ないから寝ずに無茶苦茶動こうぜ!! (ホテルに朝4:30チェックイン、30分後の5:00チェックアウトで、Chico-san から滅茶苦茶怒られた思ひでアリ)的な考えは今回は一切無しです。
全ての煩悩を断ち切り、お坊さんのように、落ち着いて行動していけば前回のような失敗は起きないだろうと。
1月29日(水)12:00出発
何かのスポーツの日本代表チームと同じ飛行機だったようで、周りの乗客の皆さんがほぼ誇らしげ、CAの皆様もハイテンション応援ムードの中、一人日の丸を付けられずに着席。普段なら離陸前に眠りに落ち、着陸で起きるという爆睡時間ですが、何の日本代表でもない僕も高揚して、なぜか寝れず。
1月29日(水)4:50到着
毎回思うんですけど、着いた途端、出発した時間を遡っている事が本当にわからない中、着陸。何事も無く、全て順調に入国。
最初に決めたモットーの通り、落ち着いて安らかに動いていく事を意識しているからか、何もトラブルなく MOONEYES USA の Go-san のお迎えのクルマに乗り込み、何事もなく MOONEYES USA に到着。これだけでもまぁまぁの奇跡ですから。大体なんかしらトラブルが起きて四苦八苦してからの MOONEYES USA 到着という、いつもの流れからしたら上出来です。
「おーう着いたか〜」先乗りしている Shige-san は朝からバリバリフォークリフト運転して仕事。
こんな Dean MOON さんの写真あったなぁ。
Shige-san はひたすら倉庫で Dean MOONさん時代の紙物の資料の片付け。
痺れるくらい見た事無い資料ってまだまだあるんですよ。もう全くもって片付けなんて進むわけないじゃないですか。(既に半袖)
今度は、Chico-san から「ちょっと出かけよう〜」と商品の引き上げやら、スーパーへ。ここら辺から「あれ?」って思うんですよ。見たことも無い食材やお肉を見てテンションは上がるんですが、「あれ?なんかおかしいぞ」と違和感を感じるんですよ。
そうです。もう滅茶苦茶長いんですよ1月29日の水曜日が! かれこれ何時間水曜日生きてんだよ! ってくらい長い。無駄に飛行機で寝ずに早朝に到着の便ってこんなにキツイのか…。ここらへんから白目むいて意識飛ばしながら、あっち行ったりこっち行ったり、オーストラリアの皆様とBBQしたり。
仕事終わってからも、ちっちゃい友達と再会して、もう一回晩御飯食べたりして1日目終了。
(座高だけでも合わせようと思ったら腹がつかえてどうにもならないの図)
やっと寝れるぞ、やっと水曜日終わった、なげぇなげぇ水曜日だった、あとは寝るだけ!!
1月30日(木)
……全く寝れずに30日朝を迎える…。ベッドで横になった瞬間に目がパキパキに冴える…。
なんでだよ…。もう何が怖いって、昨日あんだけ色んなところで、意識ぶっ飛びながら動いていたのに、これから始まる新たな1日大丈夫かなと。今は、絶対やっちゃダメシリーズですが、以前は徹夜徹夜で会社に住んでたような時代もありますから、この時良くやっていた事を久しぶりにやってみました。「エア睡眠からの寝起き」です。「いやぁ昨日はよく寝たなぁ〜。今日も気持ちいい朝だ」と無駄に声出して、背伸びしたりしてたんですよ。完全なる自己暗示です。こんな事しないとこれから1日やってけんのか不安ですから。徹夜後の朝は、よく元同僚Steve(昨日夕食を一緒に食べたちっちゃい友達の父親)とやってました。
そんなこんなで、MOONEYES USA で日本から持ち込んでた仕事をこなし、GNRS 会場である Pomona に向かい、Shop の設営をして、ホテルに。
もう水が2本ぐらいありゃそれで十分です。寝落ちするまでアイス食べてたりなんかせず、出発前のモットー通り、お坊さんの如く、やすらかに、慎ましく、そして眠れればそれで良いのです。
1月31日(金)
….おぉい!! 今日も寝れなかった!!!
「何でも食べて、何処でも寝れる」が代名詞だったのに今回は、どうにもこうにも。ここまで来ると悟ってきます。もうどうにでもなれと思うしかありません。
ここからは、今回 emi-san の代打で初めて撮影してみた動画でどうぞー
イベント初日終了後は、Chabott Engineering Kimura-sama, Ayumi-sama とお会いして夕食。あぁこんな時が来るんですね、感慨深い。
初めてお会いしたのが2011年。
MOON Illustrated Vol.8 の発売を前に、Shige-san より「写真も原稿もレイアウトデザインも自分でやって1冊作ってみろ」と強烈超絶無謀な企画がスタートしました。
それまでは、プロのカメラマンさん、プロのライターさん、プロのデザイナーさんがページ作ってて、僕はカタログページ制作がお仕事でしたから、どれひとつとしてやった事の無い仕事でした。この時は、取材ってどうやんの?ぐらいの人間でした。
この年の Hot Rod Custom Show(以下HCS) のゲストが Chabott の Kimura-sama でしたので、当然コンタクト取って、撮影して取材してってやらなければならず。でもUSA にいる Kimura-sama にアポイントをどう取るかもわからず。よく考えないまま、連絡も一回も取らないまま「とりあえず Bonneville に行って、会って、ご挨拶して、密着する」という無謀な出張に行ったんでした。
当然 Kimura-sama いやもう「様」つけるのもあれなんで、「木村さん」は存じてましたけど、イメージが「なんか怖ぇ〜僕(当時30代前半)みたいなもんと話してくれんのかな。」と滅茶苦茶緊張した記憶があります。その前に、あの広大な Bonneville で木村さんを探さないといけませんし。
しかもこの年のHCSは、 Bean Bandits の Julio チームのレースカー
もゲスト車輌でしたので、一人で木村さん、Bean Bandits の2台、MOONEYES USA の Chico-san、4つのチームに密着するという今じゃ絶対に逃げ出す事やっていました。英語も話せないのに、通訳無しで、どうやって Bean Bandits の取材とかしてたのか全く記憶が無い…。MOONEYES USA Team のモーテルに朝まで戻らず、Julio 達と駐車場でダラダラしていたのはなんとなく覚えています。そんなドタバタで木村さんにしがみついてクオリティがド低空飛行の撮影と取材をしていたので大変ご迷惑をかけていただろうに。
そこからなぜか奇跡的に名前を覚えていてくださり、気にかけていただき、今でもお付き合いさせていただいているのは幸せな限りです。(オー!スミパン〜と背後から蹴りのスキンシップを受けていた時代が懐かしい)
そんな木村さんと Ayumi-san とお食事をご一緒出来る時が来るなんて。もう僕の劇弱、青臭い、ダメダメな部分、全部お二人にはバレていますから。貴重なお時間いただき誠に有難うございました。
(何年経っても MOON Illustrated Vol.8 は色んな意味で狂っていると思う。誰にどう言われようと僕はこの一冊が好きです。初めてづくしですから。この時が一番、言う事聞かない大馬鹿野郎でした。真ん中 Chico-san, 右 14年前の筆者)
この日は、数日寝ずの状態を Shige-san が心配してくれて、良く寝れる頭痛薬をいただき、安心。
2月1日(土)
寝れた!!! が…なんだこの感覚は。
前日は、ホテルに帰ってから仕事が残っていたので、全部終わってから頂いたお薬を飲んだけど25時を超えていたので、朝の段階で薬の効果が全く抜けていない。寝たんだけど、寝たんだけど意識が朦朧としながら1日がスタート。面倒くさい人間になったもんです。
(会場に着いても寝ぼけているので、無理繰りポテト食べながら歩く2025年の筆者。上の写真との差!! 鋭さゼロ!!)
そういえば、パイナップルの容器に入ったチキンとご飯食べましたね。完全なるお祭りパーティーご飯ですよ。シラフでこんな食事してたらアタマおかしくなりますから。何が凄いって、強烈に喉渇くから、一緒に買ってもらったケロリンのバケツみたいなレモネード飲んだら、身体が受け付けなくて痙攣するくらい甘くて10倍更に喉が渇くんですよ。以上、無駄情報でした。
GNRS 二日目と三日目はこれまた動画でどうぞー。
(なんか初めての感覚。ワープしたみたい。ワープ出来ているのは emi-san 始め、MOONEYES in Action Team の皆のおかげ。有難うございます)
2月3日(月)
GNRS も終わり、溜まっていた日本での業務もMOONEYES USA のオフィスで少し進め、お昼に Shige-san と Go.
着いたぜ Dairy Queen!! なんだかんだで行くのが夢だったので数日前に駄々っ子のように Shige-san 「もし、もしですよ?時間があったら Dairy Queen に行きたいんです」と懇願していたので時間を作ってくれました。
お客が誰もいない…。スタッフもいない…。こんな感じなのねと思っていたら奥からスタッフのおじさんが出てきてくれてオーダー完了。サイズを聞かれて「ミディアム」と僕が言う上から、必ず Shige-san 「Large!!」と力強く変更していったのは気にせず。流れに身を任せるのもとても大事な事なのです。
からのスタッフのおじさんが着ていたTシャツが欲しい!! で、しきりにジェスチャーで買いたい思いを伝える。
「よく英語もしゃべれないのに、そういう事やるよな…」と Shige-san からの呆れた視線を感じますが、海外だろうが、日本だろうが、どんな時も色んな人から助けてもらえているのは幸せな事です。過去の海外出張でも、名前も知らない沢山の人から助けてもらいました。だいたい初めての海外出張でエルミラージュの砂漠で野宿した時も、晩御飯は、全然初めましてのチームのテントに入っていつの間にかご飯食べてましたから。(これが Bean Bandits との出会いです)。有り難や有り難や。
からの会社に戻って、仕事。
そうそう今回は、これをやらずして帰れないと思っていた仕事。はい、Shige-san と Chico-san の2025年版広報写真撮影です。
まぁこれもUSA出張で時間が取れたら昔から何度もやっていますけど、そう簡単にはあの二人の時間を確保して、動いてもらってなんてなかなか出来ませんから、強引に始めるしかないんですよ。無理やりでも作るんですよこの瞬間を(力説!!)。何がなんでも二人を動かすしかありませんから。シャッター押すよりめちゃくちゃ喋ります。一緒に撮影の雰囲気に乗ってきてもらわないといけませんので、超オシャベリになります。
当然、「えぇ〜今から?」というリアクションですけど、そんな事は右から左に流せば良い事です。
「なんすか!!表情が硬い!!」この時ばっかりは、正直仕事じゃないかもしれません。
広報写真として使わなくても、いつかこの写真が何かの記録になればそれで良いんですよ。
で、仕事が終わったら、Deuce Factory 笠井さんとShige-san と Dinner。去年は、Flat4 Nao-san と Shige-san の Dinner に同席したな。ザ・TOP対談 #2 2025すな。今回は、12月7日に開催する HCS2025 の企画の Meetingでした。まぁ僕はただただ聞き役でうなずくだけです。通常運転です。
2月4日(火)
丸1日使えるのは今日が最後だったので、最終日として残っている仕事をやっていきます。
新商品の着用撮影。最近は、MOON Space Agency の大エース Kawai-san が撮影していますんで、久しぶりの人物撮影です。もうウキウキのワクワクで、楽しくて楽しくて。どうせなら、試してみたい事も沢山ありますから。こういう事も僕一人じゃ何にも出来ないんですよ。
MOONEYES USA のジョセフさんや、ノン君が協力してくれているから、最後の最後まで付き合ってくれているから出来る事です。有難うございました。
Shige-san より「時間あるんだったらピーターセンミュージアムに行ってくれば?」。おぉ〜、ですよ。マジですか〜ですって。「遅くなると道路混むから、○時までに帰ってこいよ」と。
ここまで、今回の出張のモットー「無欲、安らかに、落ち着いて」を守ってきましたが、あと数時間で出張が終わるのです。ちょっとぐらい無茶しても良いかなと。何出来んのかなと僕の煩悩コンピューターが全開で動くのです。脱お坊さんです。
平静を保って「それでは、行ってまいります」と一人 MOONEYES USA を出発後、ラジオのボリューム全開にして、予定通り、ピーターセンミュージアムへ。
Low Rider を特集しているのは知っていましたけどまさか、実際に見れるとは思ってもいませんでした。ただただ感動しましたし、その中に日本の車輌があるという事がとてもとても嬉しい事でした。
Cholos Hisashi-sama の 1954 Chevy 210 “Sphinx” も
Rohan Izawa-sama の 1958 Chevy Impala も存在感に圧倒されました。
かれこれ10年以上前ですけど、2014年の HCS の Car Show Spotlight が “Enchanted World of Color” という企画で、車輌のペイントに拘った車輌に集まってもらうという事だったんですけど、どんな車輌が日本にあるのかも、当然全部は把握していませんでした。いやぁどうしようどうしようとしている時、大阪でペイントの大御所の皆様の会合があるという噂を聞いて、夕方仕事終わってから新幹線に乗って大阪にマッハで向かった事があります。会合(高槻市の居酒屋さんだったような気がします)に参加し、その時、いらっしゃったのが Izawa-sama でした。色んな人たちから色んなお話をお聞きし、エントリー用紙(あぁ懐かしの黄色のエントリー用紙)に書き込んでいただき、翌朝の始発で横浜に戻った思い出があります。
素晴らしい空間でした。
個人的には、Honda CR-X のデザインを継承して2006年に制作されたコンセプト車輌を見れた事も嬉しかったです。販売していたら買うのに!!
と書いていますが、とにかく競歩並に弾丸で廻りました。めちゃくちゃ詰め込みたいので。ピーターセンミュージアムだけに行くのは勿体ない!! はい次!!
RIP City!!!!!
昨年骨折しているので、「もう一生スケートは禁止ね」と奥さんからは、何度も何度も釘を刺されていますが、見るだけなら良いじゃないですか。限られた時間ですから目見開いてたっぷり空気吸って。店主のお爺さんとジェスチャーでコミニュケーション取って。出張中に履いていたVans もこの場で脱ぎ捨てて、この場で新しい Vans に履き替えて。はい次!!!
Johnnie’s!!!!!!
パストラミサンドの老舗です。もう店のサインも壁も雰囲気もスタッフの皆さんの動きも素敵。
そして出てきたパストラミサンドがこちら。煩悩の塊ですよ。もはや、今回の無欲モットーは吹っ飛んでますね。
そして、何食わぬ顔で、MOONEYES USA に時間通りに戻る〜。今ここで初めて告白していますので、このレポートをアップした後「馬鹿野郎!!」って怒られるかもしれませんので先に謝ります。大変申し訳ございません。でも、時間内に1件行くところを無理繰り3件廻っただけですから。
ちゃんと帰りの空港も自分の足で歩いて帰ってこれた!! (前回は車椅子)
いつものイベント出張なら一眼で撮影しまくるという流れでしたが、今回、iphone で動画を撮影するという機会を頂き、物凄く新鮮な気持ちになれました。同じイベントなのにこんなにも感じる景色が違うのねと。
有難うございました〜。