幻のデメキンスバル(のミニカー)を求めて23年費やしました
前回のお話でウチのおやじの最初の愛車、デメキンスバル360の事を語らさせて頂きましたが、いてもたってもいられなくなり、久々にミニカーの話題にシフトします。
Wildmanは今から33年前の1975年よりミニカーコレクションを始めているのは、色々な所で何回も勝手にしゃべっておりますが、現在では泥沼と化したコレクションを始めた動機はいくつかあるのです。その一つは75年に手に取ってしまった、日本屈指のミニカーコレクター中島登氏による名著「世界のミニカー」という本がコレクション開始のきっかけの一つなのです。懐かしいカラーブックスシリーズのその本には、Wildmanが力説する「当時物」の世界中の絶版ミニカーが網羅されていたのです。「旧いミニカーを集めるなんて、こんな世界があったんだ・・・」と感動する小学5年生のガキはその本の巻末近くに掲載されていた2台のミニカーに釘付けになりました。
「こ、これはおやじが乗っていたデメキンのスバルではないか!!!ミニカーがあったんだ!」70年代当時はスバル360のミニカーなんて一切存在していませんでした(今でこそ昭和懐古趣味でスバルのモデルなんて腐るほど作られていますが・・・・)
Wildmanのミニカーに対するポリシーである「ミニカーというのは実車生産時期とシンクロしていなければならない、当時の同じ時間に同じ空気の元に同じ技術で作られていないミニカーなんて意味が無い」という変態の持論はこの頃より確立されていました。「2008年に2008年の高い技術で作る1959年型のスバルのミニカーなんて認められない、1959年型であればその当時に作られたミニカーのみが本物だ」という身勝手な事を言っておりますが、変態初心者の方はあまり気になさらないで下さいね。
「世界のミニカー」という本に載っていたデメキンスバルのミニカーは2つのメーカーからリリースされていました。一つは昨年のブログで「国産ミニカー第1号誕生」というタイトルで観音クラウンのミニカーで力説させて頂いたアサヒ玩具のモデルペットのNo,3のスバル360が紹介されていました。昭和35年3月発売のこのモデルは国産ミニカーとしては3番目に販売された物でした。出来自体はクラウンに比べると数段劣る物だと小学生なりに分析していました。
そしてもう1台のスバルは大盛屋ミクロペットというブランドから出ていました。「ミクロペット?なんじゃそりゃ、そんなメーカー知らないぞ」と小学生は悩みました。しかもどう見てもモデルペットのスバルよりもミクロペットの方が出来がいいのです。
モデルペットのミニカーはシリーズとしては昭和48年まで生産されていたので、昭和39年生まれのWildmanも知っているブランドでしたが、調べてみると大盛屋ミクロペットのほうは昭和40年に生産が終わっていたのです。「なんという事だ!こんなミニカーメーカーがあったなんて、僕が1歳の時に生産中止だと、どうすればいいんだ!」と変態小学生は悩む事になったのです。その後23年も悩むとはこの時には思いませんでしたが・・・
大盛屋ミクロペットという不思議な語感のミニカーブランドは、国産ミニカーマニアの間では最も珍重されているブランドなのです。(おおもり屋ではなく、たいせい屋と読みます)アサヒ玩具のモデルペットが昭和34年の10月に国産ミニカー第1号の観音クラウンを発売してから遅れること1年半、大盛屋という東京は蔵前にあった玩具メーカーが国産第2号ブランドとしてミニカーの発売に踏み切ったのです。
そのシリーズNo,1がデメキンのスバル360で昭和36年4月に¥150の定価で発売されました。ミニカーというのは当時としては他の玩具に比べ莫大な開発費が掛かるので商品化するにはかなりの苦労があったそうですが2代目の社長自らがマニアだった事もあり発売に踏み切りましたが、「若社長の道楽」といわれ社内ではミニカーの開発&発売というのは不評だったようです。それでも昭和40年までの生産中止までの間に68種ものミニカーを世に送り出した功績は素晴らしい事だと思います。
しかしミクロペットのミニカーというのは製造コストが安いアンチモニーという強度の低い素材で作られていて、通常のダイキャストのミニカーのように強くなく、子供が遊んだりするとすぐに破損してしまうというオモチャのクセにデリケートなミニカーだったのです。
もともと弱小メーカーで生産量が少ないうえに耐久性も低いという悪い条件が全て重なり、ミクロペットのミニカーは現存率が異常に低く、まともな状態で残っている方がおかしいといった感じのレアモデルなのです。特に初期に発売されたスバルは70年代当時でも珍重されていて、小学生マニアごときのWildmanがいくら欲しいと思っても見つかるあてもありませんでした。
そうこうしているうちに、1979年には元町のミニカー専門店のサンセットさんでモデルペットのスバルは何とか入手する事が出来ました。箱はありませんでしたが箱のみを14年後に入手しました、お疲れさまでした。
そして問題のミクロペットの方は全く見つからず、時間ばかりが過ぎましたが存在を知ってから23年後の1998年ベイスターズ38年ぶりの優勝の年に目出たく変態の手元にやってきました(入手経路は申し訳ありませんが、直接会った方のみにお話しする事になっております)画像に写っている左側メタブルーのモデルが幻の大盛屋ミクロペットのデメキンです。並んでいる画像の右のモデルがモデルペットです。
ミクロペットはスバル独特の丸みを上手く表現していますが、モデルペットは全体が四角くなってしまっているのが、少し実車のイメージと違っています。誰がどう見てもミクロペットの勝ちですよね・・・・といっても国産ミニカー初期モデルとしてどちらも貫録十分です。
現代のミニカーと比べれば実車同様、クオリティーでは比較にもなりませんが、製作者の熱い思いが伝わるのはやっぱり旧いモデルですね。コンピューターのない時代に職人さんが必死に型を作っていた時代の芸術品でございます。当時のモデルペットの広告には「ノミ一本の芸術」というコピーがあります、なんて素晴らしいのでしょう!!
オヤジの乗っていたデメキンスバルのミニカーを求めて23年もの月日を費やした変態でしたが、今後この芸術品を後世に伝えて行く使命があります。大盛屋ミクロペットのミニカーをお持ちの同士はぜひとも大切にしてあげて下さい。
ちなみに「ミクロペットのスバルが手に入ったらコレクションをやめる!」と豪語していたどこかの変態ですが未だその件については実践出来ておりません・・・・
幻のミニカーブランド大盛屋ミクロペットは昭和36年4月にシリーズ1作目のスバル360を発売してから約5年後の昭和40年12月に68作目となる最終モデルのいすゞベレットGTを最後にシリーズ生産中止となり、その後大盛屋はひっそりと倒産しました。この頃は出来の良い外国製ミニカーもたくさん日本に入ってきていて、ドン・キホーテのようなミクロペットでは太刀打ち出来なかったのでしょう・・・・
現在では資料も少なく謎だらけの大盛屋ミクロペットですが国産黎明期のミニカーとして伝説となり、コレクター魂を揺さぶるブランドになっています。