集まれ世界の創刊号、創刊号がいっぱいで壮観だぜ!
本がですね、お家でですね、あふれ返ってですね、もう手の付けようがなくなっている今日この頃なのですが、やっぱり捨てられないんですね、これが。
本なんてコレクションしているつもりではなかったのですが、変態道を極める為にはどうしても資料として取っておかなくてはならず、それが30年も続けば収集がつかなくなるのは当たり前ですよね、これが・・・・
大事なページだけ切り抜いておけばよいのですが、本を切り刻むなんて恐ろしい行為は小心者には出来ず、積もり積もって一千冊の本の森と化した我が家は変態向けの図書館が出来そうな有様でございます。
ある日突然たった一ページが読みたくなることがありまして、レンタルのコンテナなんかに入れたらすぐに読めないのでヤッパリ本は手元に置いておくしかありませんね。今回は雑誌のお話になるのですが、手元に置いておく事によってすぐに引っ張り出せますのでやっぱり倉庫なんか借りず、本の森で生活していた方が良いのです。床が抜けたらその時に考えましょう。
という事で今週ご紹介するブツは雑誌の創刊号たちになります。やっぱり創刊号というのはどんな雑誌でもコレクティブルなものになる要素がございまして、もしあなたが揃って持っている雑誌を処分してしまうことがありましたら、せめて創刊号は手元に残しておきましょう。なんなら私がお引き取り致しますが・・・・・
古い順に紹介して行きますが、まずはクルマ雑誌からという事で1962年(昭和37年)に創刊され、いまも続くおなじみのカー・グラフィック誌でございます。いつの時代もバイブルとしてカーマニアを洗脳し「アメ車はダメだ、ヨーロッパ車最高!」なんて素晴らしい持論を展開しておりました。
70年代にチャレンジャーやトランザムがデビューしたときなんか「こんな無駄車いらねえ!」くらいのことを言っていてアメ車好き少年としてはゾクゾクしておりました。これに反論するのが楽しかったのです。最近はトゲがなくフツーの本になってしまい、なんにも反論出来なくてつまらんです。もっといやみったらしい本を作って下さい。
創刊当初のカーグラは毎月1ブランドの自動車ブランドを取り上げるスタイルでこの創刊号ではメルセデス・ベンツが特集となっています。あまりにも有名な表紙は300SLで、記事もこのクルマを小林彰太郎御大がロードテストを行い、当時としては圧倒的なパフォーマンスを披露しております。
今年出た創刊45周年記念のカーグラの回想録みたいな本「CG45+」の中で小林御大が「当時300SLなんか持っているのは力道山くらいしかいなくまさか力道山にテストのためにクルマを貸せというわけにもいかなかった」という素晴らしいコメントを残してくれています。先生はやっぱり偉大です。
結局この表紙の車はディーラーのウェスタン自動車を通じてナンバーからもわかるようにアメリカの兵隊さんのクルマを勝手に借りてテストしてしまったという犯罪に近い行為を御大が45年ぶりにカミングアウトしています。暴露本と化したカーグラフィックでございます、こうでなくっちゃ!!
そして次の本はついこの前としか思えない東京オリンピックの年である1964年(昭和39年)創刊の平凡パンチです。私の生まれた年でございます。自分の知らない時代の文化、ここから勉強しなければなりません。平凡パンチは若者向けの情報誌としてファッション、車、スポーツ等を織り交ぜて編集されたいわばポパイの前身みたいな本ですね。表紙のアイビーカットの青年たちのイラストが60年代してて泣かせます。
創刊記念では「パンチ・クイズ」というのがありまして、若かりし頃の長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督がモデルになっています、カッコイイ!!
パンチ賞として「毎週1台いすゞベレットが当たる」となっていますが一体この企画は何週続いたのでしょう・・・すごい経費ですね。こんなプレゼントのあるクイズはぜひ「高速有鉛」誌でやってほしいものです。他にはこの後の第二回日本グランプリで優勝することになる式場壮吉氏のポルシェ904が特集されていて当時のクルマに対する憧れが感じられます。
そして次の本はやっと70年代に入り幻のカー雑誌「カービート」になります。1976年(昭和51年)創刊ですが、ちょうどミニカーコレクションを始めてから1年くらいの頃なのでついこの前に思えます。本当に。
特集は「ファンシーバン大集合」ということで出始めのサーファーバンたちがディッシュホイールを履いてケツを上げて湘南は七里ケ浜を爆走しております。サーフィン、スケボー、ホット・ロッド・・・・・いい時代ですね。
この本も創刊記念読者プレゼントで「あげちゃうよこのフェアレディ」というビッグプレゼントがあり11年落ちのフェアレディSPを大奮発しております。当時はクルマをあげるのが好きだったんですね、高速有鉛も見習わないと。
同じ1976年にはもはや伝説となったポパイ創刊号が出ております。この本により変態は育成され、あらゆる分野の情報が入手出来るようになったのです。あらゆる物にこだわりを持つということを教育されてしまい世捨て人が育成されて行きました。
ナイキが出てUCLAが記事となり青空の下、明るいカリフォルニアが紹介されて憧れが募るばかりでございました。
きっとロスではみんなナイキを履いてUCLAのTシャツにショートパンツでジョギングしているのかと思っていましたが、憧れ続けて10数年1991年に初渡米の際、ロスの空港に降り立ったらそんな奴は一人もおりませんでした。ガックリでした・・・・・・
そして1979年(昭和54年)にはポパイに3年遅れてホットドッグ・プレスが創刊されました。まさにポパイのコピーで何から何までそっくりサンでした。
しかし一時情報の豊かさではポパイを凌ぐ時期があったかもしれません。創刊号ではポロシャツが特集され、変態も大好きだったラコステのバリエーションが紹介されています。素敵です。
そして同じく1979年には企画室ネコがスクランブル・カー・マガジン創刊0号を出しております。こだわりのクルマ雑誌を作っていたネコはこの後巨大な出版社、ネコ・パブリッシングになります。
創刊0号はミニの特集でありますがペラペラの薄っぺらい本で、これがその後分厚いカー・マガジンになって行くとはこの時は思いもよりせんでした。
今も表紙は憧れのBOWさんがイラストを描いていますが、変態は中学生の頃よりBOWさんに憧れていて、1993年に初めてお会いしたとき、この創刊0号を持ち込みミニのイラストのところにしっかりサインを頂きました。変態冥利に尽きます。
そしてもういい加減にしろと言われそうなのですがあと1点だけ紹介致します。
これは1990年(平成2年)の創刊である“Mooneyes Nooz”でございます。初代タイトル文字を1-Shot Paintで描いたのなんてついこの前の事なのです。
とっても手作り感のある第一号は、懐かしいStudio初期のPinstripe作品、黒のRS56クラウンピック・アップ“The Magic of the Blue”が紹介されています。紹介といってもBossの作文によるものなのですが、これが75%くらい英語になっていて、初めて見た時は「日本語と英語をシンクロさせた新しい言語」という感じでチンプンカンプンだったのです。しかしこれがMooneyesが作る文章のスタイルとして確立されて行きました。今はここまで英語は多くありませんが・・・・・
他にはBossの70年代立川基地のDrag raceの想い出話しや大井競馬場で最後の開催となった「第4回Street Car Nationalsが開催されるぜ」といった記事が載っています。
思い起こせばこれがWildman最初のSCNにおけるPinstripeデモだったのですね。しかもこの時はまだWildmanという名前を”Big Daddy”Rothから授かる前でして、何と“Small Daddy”と呼ばれていました。そんな事すっかり忘れておりました。
大先輩のHot Stuffの山口サンと“Battle of Pinstriping”なんてのもやりましたっけ。90年なんてついこの前のことなのですが・・・
このNooz創刊号は今回紹介した他の創刊号に比べてはるかに入手が難しいと思われます。持っているアナタは真の変態であります・・・今から探すあなたはもっと変態です。
それにしても月刊Wildman’s Blogの創刊はいつになるのでしょうか・・・
それだけが気がかりな今日この頃であります。