
高校生になりテニス部に入部し、スーパースター"ビヨン・ボルグ"に陶酔しきっていた少年Wildmanは、またもや雑誌ポパイに影響され自分もボルグになりたいと日々考えるようになりました。ボルグの身につけるもの全てが物欲を刺激するカッコイイものばかりで、しかもこれらのテニスグッズはすべてボルグモデルとして販売されていました。つまり簡単に自分がボルグレプリカになれたわけです。
前回のブログで紹介しましたDonnayのラケットは猛烈にカッコ良かったのですが猛烈に使いにくく、しかもそんな物を使っていたら猛烈にテニスがうまくなければならないわけでありまして、当時コートでは逆に恥ずかしいアイテムの一つでした。シューズはイタリア製のDiadoraというメーカーと契約していて、これもカッコイイモデルだったのですが、WildmanはテニスシューズはAdidasが最高!という持論を確立していたので、いくらボルグモデルとはいえ使うわけには行かなかったのです(ガキが何を考えていたのでしょうね…)
となると残るはテニスウェアーという事になるのですが、これは当時世界最高の金額ともいえるイタリアのFila社製だったのです。それまで白が主流だったテニスウェアーの世界にとんでもない色使いで登場したFilaは、ボルグとの契約によりビッグなブランドになって行きました。ポパイでもバンバン紹介され、特にボルグのイニシャルをデザインしたBjマークの刺繍の入ったイタリア製ボルグモデルはFilaの中でも最高級ラインで当時のミーハーテニスプレイヤーの憧れでした。(Wildmanはオタクプレイヤーでした)
「うひゃー、ボルグモデルは本当にかっこいいのぅ!絶対に欲しいのぅ」と物欲が始まりましたが、さすがに高校生ごときがこいつを着てテニスをやるのは気がひけます・・・あくまで街中でファッションとして着てみたいというのがWildmanの目的となりました。こんな法外な値段のテニスウェアーを部活用として親が買ってくれるはずもありません。となったら緊急手段のアルバイトとなります。アルバイトニュースをめくり、何か良い仕事はないかと探していると、通学に利用していた京浜急行上大岡駅にあるAボウリングクラブというボウリング場で受付カウンターの仕事の募集をしておりました。時給は¥550とまあまあの金額で、しかも家から徒歩13分の距離だったのでコイツに決定となりました(初の食料品以外のバイトでした)
面接に行ってみるとすぐに来てくれと言われ、夜限定のボウリング場でのアルバイトが始まりました。ああ眠いったらありゃしない。カウンターに座って客から料金をもらったり、クツを貸していればいいのだろうと思っていましたが、とりあえずレーンの裏に廻ってくれと言われました。「?????裏に行って何すんの」と思いながら先輩の後について行くと、そこはガッチャン、ガッチャンとピンを自動でセットする機械のところでした。「なんかココ、怖いな!ガッチャンと機械に吸い込まれて自分がピンになってレーンに出てしまいそうだ」と恐怖を感じます。
すると浪人生の先輩が「各レーンに赤いピンが1本だけ入ってるからさ、それを適当なタイミングで一番ピンにセットしてよ」との指令を出しました。このボウリング場では「レッドピンチャレンジマッチ」なるものを常時開催していて、1投目で1番ピンに赤いピンがセットされている時に見事ストライクを出すと図書券をプレゼント!!というキャンペーンを行っておりました。「なるほど、じゃあ適当に赤いピンを一番前にセットすりゃいいのか、簡単じゃん」とメンマ工場の時のようになめ切っておりました。しかしこれが意外と、難しいというか怖かったのです。ガッチャンの機械はかなりメカニカルで速い動きをしていて、転がった赤いピンを探して一番前に突っ込むのはタイミングよくやらないと自分がガッチャンとやられてしまいそうでした。レーン裏は音も大きくて怖いのです。 「うひー、怖いな!何でこんな事を俺はやっているんだ!」と叫びながらレーンの裏で一人せこせことレッドピンを並べるWildmanでした。
しかし日にちが経ちだんだん慣れてくると今度は面白くなって来て、あそこのレーンもここのレーンもと次々とレッドピンを並べまくりました。並べまくりすぎてほとんどのレーンの1番ピンがレッドピンになった頃、マネージャーが血相を変えてレーン裏に乗込んで来て「バカかお前は!全部レッドピンになったらキャンペーンの意味がねえだろ!」と猛烈に怒られました。仕事って難しいと思いました。
そのうちマイクを持たされ館内放送も任されました。今でも言えますので放送します。「本日はAボウリングクラブに御来場頂き、まことに有難うございます。当ボウリングクラブではレッドピンチャレンジマッチを開催しております、お客様第一投目、一番ピンにレッドピンがセットされ見事ストライクを出されますと、図書券をプレゼント致します!皆様奮ってご投球下さい」という感じでした。
すみません・・・・・。
しかしここは居心地も良くカウンターに座っていてヒマな時はボーッとしていて楽でした。休み時間はボウリングもタダでやらしてくれ、この時期人生最高のスコアも出しました。しかも屋上にはオートテニス(懐かしい!)があったのでこれも打ちまくりでした。お客さんのプレイを見ているのも結構面白くて、本当に後ろにボールを投げてしまうオバサマや、一番はじっこのレーンで投げていたお姉さんが、レーンではなく横の従業員用の通路に投げてしまい、ドアをぶち破ったのもとってもおもしろかったです。しかし夜ばかり働いていたので眠たくてしょうがありませんでした。
何とかレッドピン並べのバイトを乗り切りお給料を手にして向かった先は今は無き横浜は馬車道のマルイでした。「うおお~Filaを買うぞ~!!高級品だぞ~」と横浜市営地下鉄に乗りマルイに出撃しました。1981年の秋の事のでした。Fila Shopに並ぶテニスウェアーの中で燦然と輝くボルグモデル、「ああ、なんてカッコイイのでしょう!数分後にはオレもビヨン・ボルグだぜ!」と思いながら、「コイツをくれたまえ」と17歳のクソガキは上下セットで当時三万数千円もした超高級ウォームアップスーツ"Fila Bjorn Borg"モデルを買ってしまったのです。
はい、下の画像がそれそのものでございます。26年間ワンオーナーでございます。あまりにも嬉しかったので買った時に入っていたビニール袋も紙タグももちろん取っておいてあります。変態冥利につきますね。しかしちっとも高くありません、今でも平気で街中で着ておりますよ。26年も着れる服なんて安いじゃありませんか!!(カミさんは2.5m離れて歩きますが・・・)

ここ数年ボルグモデルのカッコよさを再認識し、こつこつと集めているのが下のVintage Fila Borg Modelコレクションです、全て当時物です。ウォームアップもポロシャツもいろいろとあり、もしこれらを当時持っていたらとてつもない金額になっているはずです。たまに部屋の中で一人で憧れのビヨン・ボルグとなっています、変態です・・・。


何はともあれ、本当にボルグに憧れていたWildman少年でしたが、ある日驚きのテレビCMが目に飛び込んで来たのです、ああ本当に驚いた!!!という事でこのお話はまだ終わらずビヨン・ボルグ オートバイ編へと続いて行きます、お楽しみに!!!