我がスーパースター"ビヨン・ボルグ" オートバイ編
80年代初頭高校生の頃、テニス部に所属し当時のスーパースターであるビヨン・ボルグに陶酔しきっていたWildman少年でしたが、ボルグのクールなプレイスタイルやダブルハンドのトップスピンによる強烈なパッシングショットなどは簡単にマネの出来るものではありませんでした。とにかく常に冷静沈着で、不利な判定にも文句一つ言わずもくもくとプレイし、最後には必ず勝ってしまう全盛期のボルグは当時のプレイヤーの憧れの的でした。
対照的に生意気なアメリカ小僧のジョン・マッケンローはサウスポーのサーブ&ボレーを武器とし、ストロークも変幻自在でしたがボルグと対照的だったのは審判に文句を言いまくりラケットをブチ折るなんてゆうのは日常茶飯事でありまして、罰金もたくさん収めていました。
両極端な2人だったからこそ試合は面白く、ライバルとして世界中の注目を集めテニス人気を引っ張っていたのです。 「やっぱりボルグ様のほうがカッコいいや!ボルグ最高!マッケンローなんかに絶対負けるな!!」と 常にボルグを応援し、ついに超高級品であるFilaのBorgモデル ウォームアップ スーツをレッドピン チャレンジ マッチ(ボウリング場)によるアルバイトで入手し、コートでは恥ずかくて着れないので(ヘタクソな大学生同好会がよく着ていたので・・)街中で颯爽と?着こなしビヨン・ボルグを気取っていたWildman少年でした。歩く広告塔といわれた
ボルグは世界中で色々な企業とスポンサー契約し、莫大な資産を 築いていましたが、テニスブームに沸く日本でもボルグ人気に目をつけない訳がありません。そして82年の早春、テレビを見ていたWildmanはそのCM画像に釘付けになりました。 「ダッシュ!スクーターGT、リード誕生」と言うキャッチと当時の英国のニュー・ウェイブ・グループ "Pigbag"というバンドの軽快なリズムと共に何とボルグ様が新型スクーターに乗って快走しているではありませんか!!

「あわわわわ!!ボ・ボルグ様がスクーターに乗っとる!なんじゃこりゃ!」 とビックリ仰天のWildman少年でした。
「なんという事だ、ついに日本企業までボルグ様と契約なさったのか! 大変だぞコレは!!」と感激と驚きと物欲がいっぺんにやって来ました。レーサーレプリカによるバイクブームが始まっていたこの頃ホンダとヤマハは有名なHY戦争 によって販売合戦を繰り返していて各排気量別に新型のバイクを次々と発表し、熾烈な争いは原付の世界でも広がっていました。それまで原付のスクーターはカブやモンキー、ダックスとは違うジャンルとしてラッタッタのホンダロードパルから始まりヤマハ パッソル&パッソーラによって利便性が認められホンダタクトに至って豪華さも増しシェアをどんどん広げて行きました。しかし、あくまで便利な足としての発展でパワーも3馬力程度でしかなく「走り」という面では今ひとつの感がありました。 そこにホンダが突然Dash!スクーティングのキャッチコピーと共に5馬力のハイパワー2ストロークエンジンを搭載して走りを意識し、デザインもそれまでのスクーターとは一線を画す豪華快速スクーターとしてリードを発表してそのイメージキャラクターにビヨン・ボルグを起用したのです。ホンダはそれまでもスティーブ・マックイーンやサッカーのペレ、ピーターフォンダ等その時代のスターをCMに起用していましたが、さすがボルグ様!!その役が回ってきたのです。
次の日「見たかホンダのコマーシャル!!ボルグ様が新型スクーターに乗っておったぞ!!」と興奮しながらテニス部仲間にお知らせするWildmanでした。なぜかモナコの街をスーツ姿のボルグ様がリードで快走するCMでしたが、強烈なインパクトがあり、もちろんCMソングのPigbagなるグループのシングルレコードも当然買いました。「ああ、何てカッコイイのでしょう!!ボルグ様とホンダリード、オレもこうなりたいぞ!!」と又も病気が始まりました。しかし、その頃はテニス部最後の試合に向かって猛練習中?でありまして、進路もまだ決まっていない宙ぶらりんのWildmanは我慢するしかありませんでした。しかし最後の試合なんてあっさりと終わってしまいました。1回戦を突破したかと思うと2回戦でこの大会でベスト8に入ったヤツと当たってしまいボロ負けしたWildmanでありました・・・言い訳も有るのです、大会直前に肩を壊してしまいモルヒネなる物を初めて注射し(あれ効きますね)さらに試合の2日前に自宅の階段から転げ落ち足首捻挫という間抜けな状態で試合に臨んだバカヤロウでした。おかげさまでこの頃より体調管理には十分気を使っております。そしてそれから約10ヶ月後、ボルグ様と同じブルーのリード50が変態の手元にやって来ました。「うおお~これぞボルグレプリカだ!!これでFilaを着て走ればオレもまさにビヨン・ボルグ!!最高だぜ!」 と見事にホンダの戦略にはまるWildmanでした。イメージキャラクターというのは大きいですのぅ・・
変態なのでキッチリと慣らし運転をした後、友人のスクーター全てに勝負を挑みましたがもちろん全勝でした。
最新式のリード50はスクーターGTという名の通り当時最速の原付スクーターでした。 5ポートの2ストロークエンジンはもちろん規制前フルパワーで、5psを駆使し0~200mが17,75sec という原付離れした加速を誇り、最高速も軽々と60km/hを超えてしまい、長い直線があれば70km/h も可能なスピードを体験出来たのです。
この頃原付はノーヘルOKでしたので、スピード感も倍増でした。
当時の原付のホンダタクトやスカイ、スズキのラブやジェンマ、ヤマハベルーガ等々、他のスクーター達は全く問題外で絶対的な性能を誇った初期型リード50でした。
その後4,5psエンジンながら軽量を武器にしたヤマハジョグが登場し、最速の座は奪われましたが リードとは車格がぜんぜん違うのでWildman的には違う乗り物としてとらえておりました。画像はリード号を買った時の領収書と取扱説明書になります。そしてオマケでもらえたホンダ特製 ボルグサイン入りテニスボールです(サインはただのプリントですし、缶もPennというボールメーカー の缶にボルグとリードのシールが貼ってあるだけですが・・・)もちろん宝物として25年間手元にございます。

そんなこんなでWildmanはリードのとりこになってしまい、以来四半世紀に渡り各世代の新車のリードに乗り続け、現在所有のリード100で4台目になります。雨の日も風の日もリードで走り続けております。
2ストロークエンジンの消滅に伴い最終型を購入し4年以上たちましたが、次期リードは4ストロークなのでガックリです・・・・2ストに乗りたい・・・ そして25年という月日は我がスーパースター、ビヨン・ボルグ様にも劇的な変化をもたらしてしまいました。83年に26才の若さであっさりとテニスを引退してしまったボルグ様でしたがその後の人生は あのクールなプレイからは想像もつかない無茶苦茶な物となってしまいました。
相次ぐ離婚での高額な慰謝料や事業の失敗、さらに突然のカムバック&失敗と続き、数十億は有ったはずの稼ぎは底をついてしまい、ボルグ破産!!というニュースが飛び込んできてWildmanはショックを受けました。さすがにオレも破産したいとは思いませんでした・・・(しまいにはウィンブルドンの優勝カップまでオークションに出すという暴挙に出ましたがこれは取り下げたそうです)現在はスポンサーでも付いたのか、母国のスウェーデンに戻り細々と自分の名のアパレルブランドを立ち上げています。デザインとってもかっこ悪いです・・・
結局四半世紀たって何も変わっていなかったのはWildmanだけだったという事ですね・・・ 分かっちゃいるけどやめられない変態人生なのです。これからもボルグ様のコスプレの機会は増やしてゆく予定ですので皆様もどこかでボルグ様(Wildman)に会えるかも知れませんよ!