スカイラインのサポーターはポルシェ904だぜ!!
先週のブログにてお伝えしましたが、我がベイスターズは私が観戦し勝利したあの試合以降は見事に3連敗となりまして、「たまに勝つから見ていて楽しい」というベイ勝利の方程式は今季も崩れることはなく、ますます応援に力が入るという物であります。皆様Mooneyes x 横浜DeNA Baystarsコラボレーションも宜しくお願い致します!!
で、話はガラッと変わりまして、この前崩れ落ちて来た本の山からこんな素敵な表紙の一冊が出て参りました。
「自動車JUNIOR」誌の1964年6月号であります。ちなみに定価¥140、送料¥18となっております。
64年なんて全くついこの前である東京オリンピック開催の年なのですが、そういえば6月では私は生まれていない事に気付きました。
でも当時の出来事を沢山覚えているのはナゼなのでしょう・・・
やはり前世があったとしか思えない「時の旅人Wildman」なのであります!!
そんなことはどうでもいいとして、この自動車JUNIOR誌は伝説の「第2回日本グランプリ特集号」となっています。
表紙はあまりにも有名なGT-IIクラスのスタートシーンでポルシェとスカイラインGTが写っています。
裏表紙は日産ブルーバードのCMですが、遠くに見える江ノ島の位置、角度から推測すると三浦半島の荒崎海岸あたりでロケしたものでしょうか?
今度私もこの場所へロケに行って参ります・・・
さて本の方はかなり気合が入っている内容で、モノクロですが豊富な写真とレースの各クラスの詳細なレポートが記してありまして、まるで当日現場に行ったような気分にさせてくれますね、だから私もよく覚えているのか!! ナ~ル程・・・・
なにはともあれこのレースはスカイライン神話を生んだGT-IIクラス(1000cc~2000cc)が後世に語り継がれる物になってますよね。
前回のグランプリでトヨタに惨敗したプリンス自動車が、1,5リッター4気筒のスカイラインのノーズを無理やり伸ばし、グロリア用2リッター6気筒を押し込んで和製マッスルカーをグランプリマシンとして作り、このスカイラインGTが主役になり絶対に勝つというプリンスにとってのシナリオが書かれていたはずでした。
性能を考えたら他の国産車ではスカイラインGTに太刀打ち出来るはずもなく、プリンスが圧勝してトヨタに雪辱を果たすはずでしたが、そこに突如として現れたのが当時最新鋭のミッドシップ・レーシングカーである「ポルシェ904カレラGTS」でした。
904はFRPの軽量ボディに180bhpの空冷2リッターDOHCフラット4をミッドシップに積んだレーシングカーで、6気筒とはいえ乗用車ベースのスカイラインやべレット、トラックのフレームのフェアレディたちでは太刀打ち出来るはずがありません。
中学生の運動会に突然ボルトが飛び込んで来たようなものです・・・
長きに渡りこのポルシェ904の突然のグランプリ参戦に関してはトヨタが金を出して輸入し、前回クラウンで優勝したドライバー、式場壮吉にドライブさせスカイラインGTの優勝を阻止する目的だったという小説のようなストーリーがありました。
しかし近年の式場氏のインタビューでは、そんな馬鹿バカしい話ではなく、来日した当時のポルシェのレーシング部門監督を通じ、自分でミツワ自動車から「たったの571万円」で買ったとお話しされております。
私的にはトヨタ説の方が物語が面白くって好きなのですが、本当の事は当事者様たちにしかわかりません。
力道山先生の死とともにどちらも半世紀近く前のお話なので真相は闇の中であります・・・
レース2週間前にパンナム機であわただしく輸入された904はぶっつけ本番のような形でレースに挑みましたが、神様はプリンスに味方したのか904は予選でクラッシュしてしまい見るも無残な姿に変わり果ててしまいました。
200キロ近いスピードで突っ込んだらしく、フロント部を中心に大破してしまい、これではレース出場は無理でしょうという状況になってしまいました。
プリンス首脳陣はさぞや喜んだことでしょう・・・
自動車JUNIOR誌の偉いところはこの雨に打たれる無残なポルシェ904の事故直後の姿を捉えている所でして、当時のオートスポーツ誌始め、他の雑誌では事故前や修復後の写真は載っていても、グシャグシャの姿は殆ど紹介されてなく当時の貴重な資料写真となっております、流石だぜ自動車JUNIORよ!!
もうレース参加は絶対無理だと思われていたポルシェ904でしたが、名古屋の名人のもとに運ばれ徹夜の2日間で無理やり修復し、レーススタート4分前にガムテープだらけでグリッドに並ぶという奇跡が生まれました。
名古屋の名人は並行して予選でクラッシュしたロータス・エリートも修復し、2日間の徹夜で2台を修理しレースに間に合わせるという離れ業を演じたそうです。流石だぜ昭和の名人よ!!
レースの方は皆様御存じの通りポルシェが飛び出しましたが、ほんの一瞬だけスカイラインGTがトップに立ち観客を狂喜させ「国産車がポルシェを抜いた」ということで、ここにスカイライン神話が誕生し、スカイライン・ブランドは現在も存続し、日本人に愛されてきました(最近は厳しいですが・・・)
結局ポルシェ904の圧勝に終わったレースでしたが、プリンスはグロリア始め他のクラスで勝ったので、このことを大々的に報じCMに生かし見事販売に繋げました。当時はレースの結果が販売を左右するというおおらかな時代でありました。
こちらのレース後のCMではグロリアを押し出し「プリンス圧勝!」を謳っておりますが、スカイラインGTの所だけ「国産車上位を独占しました」となってるのがとっても寂しいですね・・・
ちなみにこのミニカーは日本グランプリを記念して当時発売された大盛屋のミニカーになります。
ツーリングカーⅥクラス優勝のグロリアとⅤクラス優勝のスカイライン1500です。よくぞこんなモデルを作ってくれました、今は亡き大盛屋に感謝であります!!
傷つき優勝したポルシェ904はその後どうしていたのかと思っていたら、ついこの前の1978年に大枚¥1,800を投じてイワセ商店街は湖南書房にて購入した企画室ネコ発行の心に残る名車の本シリーズ”The Porsche 1978”に実車が紹介されていて少年Wildmanは仰天しました、¥1,800という本の値段にも・・・
当時秋田のコレクターのもとにあった904は美しくれストアされ、ナンバーも取得しロードバージョンとして素敵な余生を送っていました。
でもこの頃じゃたったの14年落ちなのですね・・・
クロームのホイールキャップが素敵過ぎてミニカーにしか見えず、当時クラクラしてしまったことが思い出されます。
それよりもボンネットにビス止めされたナンバープレートが心配でまたもクラクラしておりました。「あれはきっと両面テープで留めてあるのだろう」と勝手に希望的観測をしておりましたが・・・
ポルシェ904のダイキャスト製「当時物ミニカー」は意外と少なく、こちらのイタリア製ポリトーイが代表的な物になります。
「とにかくどこもかしこも開けてやるぜ」といった絶頂時のポリトーイが作ったのでフルアクションでどこもかしこも開いてしまい、1960年代に製作されたミニカーとしては驚異的な作りとなっています。
ソレックスキャブを備えたDOHCフラット4エンジンもちゃんと再現され,ボンネットを開けるとジャッキまで付いております。
ホイールやバケットシートの造型も見事で、ひっくり返すとデフやミッション、マフラーまで再現されていて、とても60年代の子供向け玩具とは思えないのがポリトーイの凄さなのあります。昔のミニカーって本当にイイですね!!
日本グランプリを走った実車のポルシェ904式場号は21世紀現在は秋田を離れ他の地に存在しておりますが、スカイライン神話を見事サポートしお互いに伝説を作ったクルマとして永遠に語り継がれて行くことでしょう。ちなみに私は生まれておりませんでしたが・・・