
プロ野球ファンのことを考えた、極めて高等で奥深いベイ死んだふり作戦の中、ついに横浜DeNAベイスターズXMQQNEYESの2018年度版コラボグッズ第一弾が発売となりました!!!

今年のコラボ企画はですね、何と3回に分けての発売予定で、この後は6月、9月とプロ野球シーズンまっただ中に新しいコラボグッズの発売が予定されております。つまりですねクライマックスシリーズと日本シリーズにも合わせて新しいグッズを身に着けて応援に行けるという訳なのであります、素晴らし過ぎです!!

エッ、日本シリーズですって? そうですよ、今年は横浜DeNAベイスターズ20年振りの優勝が待ち受けているのは確定的でありますので、ベイファンの皆様は10月末から11月の予定は空けておくようお願い致します、ああ忙しい。まあ、優勝出来なくても3位に入ればクライマックスシリーズを勝ち上がるなんてちょろいもんなので、日本シリーズには必ず行けるのです!!





今年のデザインは、熱く燃えるFlamesと横浜スタジアム、MQQNEYESロゴを組み合わせたデザインになっておりまして第一弾は刺繍Tシャツ、ロングスリーブTシャツ、ジャージスタジャン、フラットバイザーキャップ、フェイスタオルが今回、春の発売分となります。
ベイ死んだふり作戦の中、これらを身にまとって横浜スタジアムに応援に行きましょう。Win! with MQQNEYESであります!!!
ということで、ミニカーのお話となります。前回はナゼかプラモデルのお話になってしまいましたが、やっぱりWildmanといえばミニカーなのであります。
今まであまり考えたことが無かったのですが、自分の持っているミニカーの中で一体何がお気に入りなのか? どれが一番好きなのか? そうだコレクションベスト10を決めてみましょう! と犬の散歩をしながら思いついてしまいました。

といっても推定2000台?のコレクションの中ではどれもこれもお気に入りなので、そこでベスト10を決めるのは難しいのですが、そこはコレクション43周年、苦渋の?ランク付けをしたいと思います、ハイ。
思い起こせばついこの前の1975年(昭和50年)少年Wildmanは大好きだったミニカーを買いに横浜は伊勢佐木町、おもちゃのマリヤに出撃しておりました。今では全く興味のカケラも無いトミカなる物体を購入し、お会計を済ませるとレジのお姉さんが一冊の小冊子を手渡してくれました。「なんじゃこりゃ、タダでもらえるの?」と不思議に思う少年Wildman、ときに11歳、小学5年生でありました。

これこそが私の人生を完全に狂わせてしまった本「月刊ミニチュアカー」誌1975年4月号でありました。ミニカーを大人が集めるという事を正当化している変態本は11歳の少年の心をわし掴みにして変態の道へのレールを敷いてくれたのでした。これを読まなかったら全く違う人生を歩んでいたことは間違えありませぬ・・・


月刊ミニチュアカーは可堂玩具(カドー玩具)というミニカーメインの玩具問屋が発行していた物なのですが、ミニカーを売るための啓蒙活動としてNMCC(日本ミニチュアカークラブ)なるものを主宰してそのクラブの会報誌というような位置付けでした。クラブに入っていなくてもミニカーを卸している専門店や玩具店にも配布して、ミニカーお買い上げのお客様に渡していました、そこで私ももらったのです。

こちらはNMCCのWildman最後の会員証と、ピンバッヂになります。



本の内容は当時のトップクラスのコレクター様が執筆したミニカーブランド別の解説やコレクションの仕方、ニューモデル紹介や個人売買欄等、小さな冊子にはとっても濃い内容があふれておりました、まさに昭和の変態の世界でした。インターネットのない時代に、日本でミニカーの情報や知識を提供してくれる唯一無二の存在だったのです。おかげでこんな立派な変態に育ちました・・・
既に存在していたミニカー専門店の広告を見て、横浜元町の千代田ママストア、鶴見のチェッカー、八丁堀のコジマ、浅草のテラオ、自由が丘のえびすや等々、横浜、東京のお店に片っ端から出撃して行きました。当時デパートでも定期的にミニカーフェアが開催されていて、小田急や西武、東武等、都内のデパートにも遠征しておりました。昭和の時代はミニカーは玩具売り場の花形商品でありました。
いきなりミニカーの知識を詰め込まれた少年Wildmanはそれまでただ単に車が好きだから集めていたミニカーを「コレクション」という物に格上げし、ミニカーが好きだからその実車に対して興味を持つという逆転の発想が生まれてしまい「初めにミニカーありき」という理論が目出度く成立となったのです。
なので実車よりミニカーの方が断然カッコいいという感情が強くなってしまいました。何を言っているのかさっぱり分からないという方は大勢いらしゃると思いますが、私には実車の方がカッコいいという理論の方がさっぱり分からないのです・・・・
そしてミニカーというのは実車が製造されていたのと同じ時期に作られていなければならないという絶対に変えることの出来ない感情も生まれてしまったのです。
例えば1964年型クラウンのミニカーは同時期の1964年に実車と同じ空気と技術の元に造られていなければならず、2015年に2015年の技術を使って作られた1964年型クラウンのミニカーはもう存在自体がどうでもいいのです。逆に2015年に造られた2015年型クラウンのミニカーは全く問題ありません。
なので「当時物ミニカー」という事に拘って集め続けておりますので、コレクションは必然的にビンテージが中心となってしまいました。
又、ミニカーを先に見て興味を持ち、その実車が好きになってミニカーとセットでウンチクを学びコレクションして行くので、ト〇カコレクターさんのように実車の事やディティールがどうこうではなく、やれこの色やホイールがレアだとか単なる二次加工品の特注品とやらを勝手に価値を付けて間抜けな法外価格で取引している現在隆盛を極めているト〇カコレクションとは考え方が全く違いますので、私にはミニカー友達があまりいません・・・・なので43年間も勝手な理論でミニカーコレクションを展開している訳であります!!
という事でやっと話が元に戻りコレクションベスト10(お気に入りベスト10)を発表させて頂きます。


今回はWildmanお気に入りランキング第10位で1960年代イタリアはPolitoys(ポリトーイ)製のBRE サムライ(日野サムライ)を紹介致します。
Politoysというイタリアのブランドは1960年代に1/43スケールでMシリーズというとても精巧に造られたミニカーを販売し、日本にも当時多数輸入されて高級ミニカーとして扱われていました。ドアーやボンネット開閉のアクションを持ち、マフラーやドライブシャフトもプラスチックの別パーツで表現する等、凝りに凝ったミニカーとして有名でした。
ポリトーイはMシリーズとは別にSERIE EXPORT(エクスポートシリーズ)といった別ラインで同じ1/43スケールの廉価版ミニカーも作っていました。開閉アクションも減らし、別パーツの構成も少なくし販売価格を下げた物でした。日本でもブリスターパックに入れられて駅の売店なんかにもぶる下がってました。

このエクスポートシリーズでなぜかBREサムライが造られていたのです、全く持って不思議な事でした。当時の日本車が外国製のミニカーになるなんてことはまずなく(トヨタ2000GT除く)よりによってまともに走ることが無かった世界的にはほぼ無名のレーシングカーである日野サムライをイタリアのミニカー会社が突然モデル化したのは理解に苦しみます。サムライの情報なんて当時Road & Track誌や日本のカーグラフィック誌が大きく取り上げたくらいで、日本グランプリを最低地上高の低さで車検を通れず失格となった車をわざわざモデル化するとは酔狂な担当者もいたものだと思います、ウケ狙い??
Wildman的には史上最も美しいレーシングカーと認定しているクルマなので、当時モデル化されたのは嬉しい事でした、ああ美しい!!名前もかっこいいSamurai(サムライ)だって! これが将軍や武士、落ち武者や大名だったらちっともカッコ良くありません・・・・




ミニカーは車高が超絶低いサムライのプロポーションを見事に表現し、コクピットや日野コンテッサ用のエンジンもそつなく出来ております。サムライ最大の特徴であるエアロフォイルと呼ばれた、BREのデザイナーであるピート・ブロックお得意のリアのウィングも実車と同じく可変システムとなってます。


水貼りデカールは自分で貼るようになっていてウィンドウパッケージには日本の国旗や背景も描かれています。



最初のファーストタイプはダイキャスト製の出来の良いホイールを履いていましたが、後期生産のセカンドタイプは最低なスピードホイールに変更され、フロントのプラスチック製別パーツだったフォグランプも省略されてしまいました、ああ残念!!しかし当初白色しかなかったボディカラーはセカンドタイプになって実車と同じ赤色が追加されました。こちら赤色は数が少なく手に入れにくくなっています。


そしてポリトーイは余程サムライが好きだったのか、プラ製スロットレーシング車両でもナゼかサムライを作っていて、このグレーのがそれになります。スロットはコースを走って破壊されてしまうので、今となっては中々見つかりませんね。
1967年日本グランプリの為にBREのピート・ブロックがアメリカより持ち込んだBRE(日野)サムライは日本グランプリではTeam SAMURAIとしてエントリーし、三船敏郎がチーム監督を務めて話題性抜群でしたが、結果色々あって三船監督の抗議もむなしく車検落ちとなり、レースを走らないままひっそりとアメリカに戻ってしまいました。
そんな不思議な歴史のクルマを当時遠く離れたイタリアのミニカーメーカーがひっそりとモデル化していた事に驚きと感動を覚えた少年Wildmanなのでした。このポリトーイ製サムライのミニカーは好き過ぎて画像以外にも計6台が手元にございます。という事で次回はベスト10の第9位の発表となりますので、宜しくお願い致します。