皆様おはようございます。桜は満開となり、プロ野球は開幕し、ポカポカ陽気の素晴らしい季節になって来ました。

そんな中、ムーンアイズ エリア-1では「R381 あれから45年 パネル展」を開催致しております。
ついこの前である1968年の日本グランプリを制した伝説のレーシングカー「ニッサンR381」の活躍を貴重な写真で振り返ります。
このブログを読んで頂いているマニヤの皆様ならご存知でしょうが、R381のエンジンは当時Moon EquippedでチューニングされたシボレーV8を搭載しておりました。
当然R381設計者の桜井真一郎氏もDean Moonと関わっておりますので、当時の事を調べて行くとワクワクしてしまうのです。
Dean Moonが撮影した当時の貴重な写真も展示されておりますので、皆様ぜひエリア-1に足をお運びくださいませ!

そして私にとって貴重なのはこちら「ニッサングラフ」誌になります。
日本グランプリの翌年1969年3月号ですが、表紙はR381となっております。
この表紙写真を見ると助手席には、名レーサー高橋国光氏が座っておりますが、運転席で緊張な面持ちでハンドルを握っているのは何と石原裕次郎さんであります。
当時映画「栄光への5000キロ」撮影で日産と縁の深かった裕次郎がR381を試乗していたのです。

「こんなにすごいのは初めて!」とコメントされていますが、そりゃ凄いでしょう・・・村山工場のテストコースを5周されました、羨ましいな。
R381と言えば可変ウィングですよね。しかも2分割でサスペンションと連動し、コーナーで角度を変えダウンフォースを調整するという凝ったメカニズムに感動しました。
残念ながら当時R381はミニカーにはならず、プラモデルでしかモデル化されませんでした。

しかしこのようなプラスチック製のオモチャが出ておりました。
意味不明の青いボディーカラーを持っておりまして、ゼッケンも5番と無茶苦茶な設定でありますが、形は意外と良くて特徴的な可変ウィングのおかげで誰がどう見てもR381に見えてしまうのですな、これが。

ナゼかロールバーのみダイキャストになっていて安全性をアピールしています。

電池式のモーターライズで走行しますが、もちろん一度も走らせたことはございません・・・・

で、ウィングと言えば昔の暴走族、じゃなくってオバフェン、羽付きの「ポルシェ930ターボ」なのであります。
私ね、930ターボが出た時はビックリ致しましたよ、本当に・・・・

だってあのように出っ張ったオーバーフェンダーと、空高く飛んで行きそうな羽を最初から持っていては、ZEROやPIEROのサバンナRX-3でも対抗出来ないと思いました。
エレガントで清楚なポルシェ911がある日突然不良になったかと感じました。
大体小学生の身分では「ターボチャージャーって何なの?」という感じでして、カタツムリのようなタービンなる物を付けると何で速くなるのか全く意味不明でありました。
そんな難題を解き明かしてくれるのはやはり漫画でありました。

池沢さとし先生の「サーキットの狼」の中で主人公、風吹裕矢のライバル、早瀬左近がナナサン・カレラRSから930ターボに乗り換えたのでした。

「俺は根っからのポルシェファン・・・そしてまた、それは最高のモノでなければならない。それでこのポルシェの究極的モデルともいえる3リッターのターボをしとめたのさ」と漫画の中で早瀬左近がつぶやいておりました。すみません何言ってるか分からなくて・・・
当時出たばかりの3リッターの930ターボは激烈な加速力を示し、スーパーカー戦線に割って入って来たのです。
池沢先生は漫画の中でターボチャージャーについてやさしく解説してくれてアホな小学生にも多少なりとも理解することが出来ました、有難うございます。
「有り余る加速力に、メーカーは5速は不要で4速で十分」と漫画の中で説明されており、少年Wildmanはスゲ~と感動していましたが、実は当時のポルシェシンクロのミッションがターボの強烈パワーに耐えられなかっただけのようです・・・(のちに目出度く5速になりました)

池沢先生はご自分で実際にクルマを所有されて漫画に登場させていましたから、新車で当時1300万円!!もした930ターボをゲットされました、羨ましい印税生活でございます・・・(借金もされたようですが)

そしたら先生がミツワ自動車で購入された白の930ターボ「練馬33す49-31」号はやたらフケの良いシロモノだったそうで(当たり車両)ナラシも終わらないうちにゼロヨンのテストを敢行したところ、何と12秒台のタイムを叩きだしてしまいノーマル車輛では当時日本では最速だったのではないかと思われます。
「スゲエぞ、ポルシェ930ターボ!! カウンタックより速いじゃん」と単純な少年Wildmanは感動してしまい、「やっぱりポルシェだったら930ターボか4気筒の912だな」と意味不明な事を口走っておりました・・・・
そうこうしているうちに、当時私のバイブルだった「カドー玩具」というミニカー問屋が発行していた「月刊ミニチュアカー」誌の1976年3月号に意味深な広告が掲載されてました。

当時蔵前にあったカドー玩具はミニカー専門の玩具問屋で60年代後半から70年代に隆盛を極め、日本ミニカークラブを主宰してミニチュアカー誌を発行しコレクターの啓蒙活動を行っておりました。もちろん私も会員でありました。
エスカレートしたカドー玩具は自社でオリジナルのミニカーも製作し、ホンダF-1やポルシェ356Aスピードスターなどのマニヤ向けの高価なモデルを製作販売してました。
そして問題のミニチュアカー誌1976年3月号にはこのような予告が出てました。

「カドーオリジナルモデル4月デビュー」とありましたが、車種を教えてくれませんでした。
「チェッ、ケチだな車種くらい教えてくれればいいのに」と文句の手紙を送ろうと思ってたら、5月号でやっと発表されたのです」

こちらがその広告になります。「カドーオリジナルNo.3は・・・ポルシェターボ76年型」となってました。
「ポルシェの最新鋭車を完璧にモデル化!! エアスポイラー・ラジアルタイヤ・ダッシュボードメーター・フロント及びリアワイパー・シート・サイドミラー・ペダル類など、細部にわたって実車の再現を意図したオールダイカストモデル」。
色は5色で各色500台限定 5月上旬発売予定!!」との魅力的なうたい文句が書かれていました。
当時ここまで細かいパーツで構成される国産のミニカーは存在してませんでした。

「ゲッ、ついに出たのかポルシェ930ターボよ、どうしましょう!!」とミニチュアカー誌5月号を片手に叫ぶ変態小学生はついに6年生になってました。
だってお値段は驚愕の¥4,000(予価)となっているんですもの・・・
「よ、よ、よ、4千円!!なんでそんなに高いのですか???」と意識不明になりそうな衝撃を受けました。
当時はトミカが¥220で1/43スケールのミニカーで¥1,000前後、高級輸入品でも¥1,500位で買えたのに、このポルシェときたらそれらの数倍の金額設定なのです。
小学生にはキツ過ぎます、当時の¥4,000は現在では¥8,000~¥10,000の物を買う感じなのです。
どうにもこうにもならない状況でしたが、アホな小学生は一人つぶやきます。
早瀬左近のように・・・・
「俺は根っからのミニカーファン・・・そしてまた、それは最高のモノででなければならない。それでこのミニカーの究極的モデルともいえるカドーのポルシェをしとめるのさ」と親父にベニヤ板で作ってもらった初代ミニカーケースの前で誓っておりました。

月刊ミニチュアカー誌には毎月このようにポルシェの広告が載り、欲しい欲しい病がピークに達した夏の頃、ついに12回目の誕生日を迎えました。
学校の席はとなりが神取しのぶ議員でありました・・・・・
そこで登場するのが天国のお婆ちゃん、もうこれしかチャンスは無いと思い、「誕生日なので買うてくれ~、これがなきゃ死んじゃう」と毎日拝み倒しスポンサー契約を結ぶことになりました。おかげさまで現在でも私は生きております。
横浜駅西口ステーションビル4階にあった千代田ママストアにて対面するカドーの’76年型ポルシェ930ターボは、この世のものとは思えないほど精密なミニカーに見えていました。

で、これが実物なんですけど、今見ると手作り感満載の製造国不明な安物キットの完成品としか思えませんが、あの頃は超精密モデルと言う風に捉えられておりました。私もそう思ってました。

シャープさに欠けるのですが大げさなウィングの表現もあり、後ろ姿は中々の出来栄えなのです。
ヘッドライトやブラックの所はすべて手塗りで、ちょっとはみ出てる所に気合いを感じてしまいます。

ワイパーやミラーは別部品で「自分でボンドでつけてね」と言う感じでビニール袋に入ってました。
重量感は大したもので、文鎮の代用品にもなりそうな勢いです。

箱にはカドー玩具宛のこのようなアンケートはがきが同封されてました。
今から送ってもプレゼントは来ないでしょう・・・
ポルシェ930ターボは排気量&パワーアップを繰り返しながら、その後も空冷時代を生き抜き、常にトップクラスの加速性能を誇っていました。
水冷になっても激烈な速さに変わりありませんが、私にとってのポルシェターボは早瀬左近と池沢先生の「練馬33す49-31号」と「カドーのミニカー」のみを指すのであります。
オバフェン、羽付き大好き! 俺は根っからのミニカーファンなのさ!!