名ばかりのエリートは道をあける、さて私は誰でしょう?
皆様明けましておめでとうございます、本年もMooneyes並びにWildmanを宜しくお願い致します。
年末&お正月はですね、恒例のイトーヨカードー鮮魚売り場にて閉店間際アワビの値下がりを待ち、無事2つゲット!!
ステーキにして美味しく頂きました、最高です!!
さらに私のひそかな楽しみである、関内某ホテルのデザート食べ放題付きのランチにて、食後のデザートを2周させて頂きました、御馳走様でした!
そしてお正月は恒例のミニカーワックス掛けを行いまして、誰にも邪魔されることなく一人至福の時を過ごしておりました。
なかなか減らないシュアラスターもだいぶ底をついてきました。
又、新年のMooneyes Area-1 Sidewalk SaleのPinstripeデモにお越しの皆様、寒い中有難うございました。
次回は3月の第一日曜日となりますので宜しくお願い致します。
で、1000冊の本の森と化した自宅にてほんの整理のつもりが手に取った本をついつい読んでしまい、何も整理しないまま数時間が過ぎると言う悪循環を30年位続けております・・・
そんな中こちらの本をじっくりと読んでしまいました。
ついこの前の昭和53年11月発行ですから、まだ新刊みたいな物ですが、(株)企画室ネコの心に残る名車の本シリーズ第5巻”The Lotus 1978”でございます。
当時としては¥1,800もした豪華本でありましたが、それはそれは貴重な資料だと中学生ながらに感じ、ポルシェから始まったこのシリーズをコツコツと揃えておりました。
今見れば手作り感満載の本で、編集の方々の情熱と気合が感じられます。
旧い車に対しての向き合い方が、それまであった日本の他の本とは違い「本当に好きな人が集まって作った本なんだ」と勝手に中学生評論家は論じておりました・・・
表紙は憧れのBOWさんのイラストで当時「それだけで買いだぜ!」と思ってました。
他の記事の挿絵のタッチがとっても気に入り、よくマネをして描いていましたが、それらを描いていたのはモデルカーズ誌の初代編集長平野克己様であった事を後から知って驚きました。
3年くらい前としか思えない’85年に創刊された初期のモデルカーズ誌も衝撃的な内容だったので「こんな本を作ってる方々にお会いしてみたいもんだ!」と当時偉そうに思っていたら、その数年後に平野様が取材のお仕事で御所山倉庫に来られましたが、小心者は緊張してしまいたいして話が出来ませんでした・・・
その時の私の愛車、カワサキ350SS マッハIIを見て誉めて?くれたことだけ覚えております。
で、The Lotus 1978なのですが、何が素晴らしかったと言えば、当時の少年Wildmanがあまり知識を持ち合わせていなかった、ロータス初の量産車である「初代ロータス・エリート」について詳しくスポットを当てていたのです。
この頃はスーパーカーブームの名残がまだあった時期で、ロータスと言えばサーキットの狼主役である風吹裕矢の愛機ロータス・ヨーロッパの事を指しておりましたので、それ以前のエラン、ましてやエリートなんぞ少年たちの耳には入って来ませんでした。
私は実車より先にミニカーから入っておりましたのでエランやコルチナの事は理解しておりましたが、初代エリートとなるとさすがに??という感じで、この本を読んでどんなクルマだったのか理解出来ました。
その頃新型でこのような二代目ロータス・エリートが出ていてましたがスポーツ・ハッチのそのデザインは少年Wildmanにとって理解しがたく「出来そこないのライトバンみたいだぜ!!」とスーパーカーになり切れてないデザインと勝手に酷評してました。今見るとカッコいいです・・・
初代エリートはその新型とは似ても似つかない形で、エレガントな丸みを帯びた古き良き時代のデザインでありました。
キットカーとしても販売されてましたね。
1957年~64年にかけて1000台弱が作られましたが、オールFRPのモノコックボディを武器に1,2リッターの小さいエンジンながら軽さを利用した抜群の運動性能を誇りましたが、チャップマン・ストラットと呼ばれた独特の足回りや華奢な作りで、その後はさらに完成度の高いエランに道を譲りました。
ネコのこの本では、新車当時エリートは芙蓉貿易の手により7台が正規輸入されていて、それら全部の戸籍調査を行ってその消息を追った記事も素晴らしかったです。
ある自動車メーカーに渡り、研究後解体処分されてしまった個体や本田宗一郎&博俊親子が所有した物、ZFミッションにレース用フィラーキャップ、特注カラーの仕様で入って来たものなど、詳しく調べていて情報網の少ない当時で頭が下がるばかりです。
塗装名人、故中沖満氏の「力道山のロールスロイス」の中にもこのエリートのお話があり、補修で入って来たエリートのルーフ全体にスクラッチがあり、リアガラス上部が少しだけ飛び出していた状態でどのような類の事故か良く分からかったそうですが、これは懐かしの船橋サーキットででんぐり返ってコース上を滑走した時についた傷だったそうです。他には破損個所が無いのでこの時FRPボディの強さと復元力の優秀さが分かったそうです。だから力道山のロールスロイスを読んで下さいませ。
第二回日本グランプリにもエリートは出走してましたが、プラクティスでクラッシュしてしまい、あの伝説の式場ポルシェ904と共に2日の徹夜作業で修復し本レースに出走しております。
それにしても2台の事故車を同時に修復した名古屋三和自動車様には頭が下がります・・・・
そして本題のエリートのミニカーですが、残念ながら「当時物」では全く作られませんでした。国産では有名なコグレのプラモデルがありましたが、海外製品を含めても当時エリートはナゼかミニカー化されませんでした、残念!!
まあ量産車と言っても特殊なスポーツカーで今ほどロータス・ブランドも有名ではなかったので?あえて作る程の車種ではなかったのでしょう。
そんな中、何とかモデル化してくれていたのが日本製バンダイのティンプレートモデル(ブリキ)でした。
バンダイのブリキ製品の中でもかなり後期のモデルで、ワイヤーホイールにプラスチックを使用していてちょっとチープな雰囲気なのです。
しかしプロポーションは流石バンダイで、エリート特有のロングノーズで丸みを帯びたボディラインを見事に表現しています。
そんなことよりこのモデルの何が凄いのかと言えば、車名表記を完全に間違えていることなのです。
当時物ミニカーでもたまにスペルミスや何らかの表記ミスはありますが、バンダイのエリートは堂々としていて車名を「ロータス・エラン」と謳っているのでした。
箱にもシャシーにもどこもかしこもエランでして、当時の子供はこのオモチャを買ってもらってエランと覚えてしまい悲惨な目にあったことでしょう・・・・
エリート(エラン)はバンダイのGTカーシリーズで、他にはフェラーリ250GT、C2のスティングレイ、フォードGTがラインナップされてますがナゼかエリートのみ箱のイラストもエランになってます、しかも26Rと思われるマニアックな物なのです・・・
ここまでマニアックなのになぜ間違えたのか不思議でして、そもそも営業部ではエランを作ってもらうように指示していたのに、製作の方で勝手にエリートを作ってしまったのか車名を聞き間違えたのか今となってはナゾなのです。
旧型エリートより新型エランの方が資料があっさり揃ったと思うのですが・・・
何はともあれ、あまりモデルに恵まれなかったエリートを作ってくれたバンダイ様には感謝であります。
それでは本年も宜しくお願い致します。