
何はともあれ、当時の子供たちはミニカーといえばマッチボックスでした。
バラエティに富んだ車種選択と、かなり精巧なディティールはトミカや
ホット・ホイール(ウィールじゃありません、念のため)誕生以前の
小スケールミニカーの代名詞だったのです。


Wildmanもついこの前の幼稚園時代はマッチボックスに大変お世話に
なりました。今でも大変お世話になっておりますが・・・
で、やっとブルーのミニカーの登場であります。マジックでゼッケン2番
が描かれてしまった傷だらけのこいつはタイヤも一本紛失していて
Wildman的には完全なジャンク・ミニカーなのです。



最近はこんなのでも程度がいいという変態も結構いるのですが・・・
このミニカーが我が家にやって来たのはついこの前の昭和44年、
岡村幼稚園、ひなぎく組の時でありました。
ある日、弘明寺商店街の中華料理屋に家族で食事に行き、今はなき
「さのや玩具店」にて買ってもらった当時最新鋭のミニカーでして、
現在手元に残っている「Wildmanワンオーナーカー」の中でも最古の
ミニカーの一台なのです。
でもね、幼年Wildmanは当時このミニカーの車種が全くわからず、
困り果てておりました。マッチボックスでもムスタングやワーゲンなんか
はその辺でも実車を見るから全然問題ないのですが、この青いクーペ
はその辺を走っていなく、何が何だかさっぱりわからないクルマでした。
シャーシに刻まれた英語なんて読めるわけないし・・・
親父に聞いても「きっとファミリア・クーペだよ」と無茶苦茶な答えしか
かえってこず、謎のクルマは謎のまま時が過ぎて行きました。
しか~し、ついにその謎が解ける日がやって来たのです。
岡村幼稚園、月組になった頃、今度は同じ弘明寺商店街にあった
いまはなき「高橋玩具店」にてミニカーのカタログを何冊か頂きました。
その中に「1969年マッチボックス日本語版」カタログがありまして、
パラリとページをめくるとそこにはあの青いクーペが出ていたのです!!

しかしまだカタカナがよく読めませんでした・・・・親父にそれを読んで
もらうと「イソグリフォ」って書いてあるよと言われました。
「いそぐりふぉ~」って何???へんなの、円谷プロダクションのクルマ
ですか???と又もやクビをひねるしかありませんでした・・・
とりあえずあの青いクーペの名前は「イソ・グリフォ」ということは
判明しましたが、実車を見ることもなく時は流れ、名前しかわからない
クルマのミニカーは遊び過ぎてジャンクになってしまいました。
そして読書が小学館の小学一年生から集英社の週刊少年ジャンプ
に変わり、さらに二玄社のカー・グラフィックに変わった頃、やっと
「イソ・グリフォ」の謎が解けたのでした。
「そ、そうか、幼稚園のころから悩んでいたイソ・グリフォってそういう
クルマだったのか」と長年の疑問が解決したのはついこの前の
1976年の事でした。
イタリアのイソという会社は冷蔵庫の生産で成功し、さらに戦後
スクーターの生産でもヒットを飛ばし、今度はクルマの生産に
とりかかってあの珍奇なクルマ「イソ・イセッタ」を開発したのです。
こちらの画像でイセッタから颯爽と降りてるのが、イソ社長の
レンゾ・リヴォルタ様であります。
さすが冷蔵庫の会社だけあってフロントドアが冷蔵庫みたいに開く
イセッタは珍奇なデザインでしたが、自社製エンジンが「2サイクル
単気筒ダブルピストン」という外観以上に珍奇なメカニズムを持ち、
これがトラブルの原因となり早々に生産中止となりました。
しかしこのパテントを西ドイツのBMWに売って、こっちが成功して
しまった「BMWイセッタ」は日本でも有名ですよね。
そしてイソの社長のレンゾ・リヴォルタさんは今度はついにスーパーカー
ビネスに参戦するという暴挙に出ました。
そう、この時代のイタリアの成り上がりはランボルギーニさん初め、
皆さん打倒フェラーリを目指してスーパーカーを作りたがっていた
のでした・・・皆さん白昼夢???
ということで、話が長くなってきたので次回に続きますのでお楽しみに!
イソ・グリフォとMoon Equipmentの関係はこれいかに???